2009年1月6日火曜日

ジンガロ

 ジンガロがやって来る。1月24日から東京で公演が始まる。初来日は2005年だった。「ルンタ」(風)というタイトルで、チベットの祈りの世界におけるウマと人のつながりを幻想的な舞台で演じていた。圧倒されあたまがボオッとなって帰ってきたのを覚えている。
 ジンガロとはフランスに根拠をおく騎馬劇団の名前だ。1984年の創立。バルタバスという人が主宰している。この人のウマの扱いは超絶的だ。円形の舞台を10頭以上のウマが疾走する。こんな曲芸的な騎乗にももちろん驚かされるが、スポットライトに浮き上がったウマが真横に移動したり後ろに下がったり、まるで踊っているよう動きを見せる。そんな幻想的なシーンが美しい、と思ったし技術的にも難しいのだろうなあ、と感じた。ほんの少しだけ僕も乗馬をしているから。
 今回の出し物は「バトゥータ」という。ルーマニアの二つの楽団の生演奏に乗せて繰り広げられる、生命力に満ちた熱狂的な大スペクタクル。なのだそうだ。駆け抜ける馬上の花嫁、暴走する馬車、大衆の生活と喧噪………

 以上、公式HPからの受け売り

 だが、それにしても、やっぱり楽しみだ。
公式HPのURLは以下の通り
 http://www.zingaro.jp/

2009年1月5日月曜日

知西別の谷で

巨大な獣のチェーンストークが
谷を駆け下りていく
獣は
確かに最後の個体である
この個体の死と
この種の死は
同じ意味を持つ

この谷は
獣たちの息の通り道
一息に海まで駆け下りて
海峡に広がる
ニンゲンの
思惑や打算を無視し打ち砕き
一息に脊梁山脈から駆け下りた風は
この谷を出て
一挙に海面に散開する

散開した風は波を呼び起こし
呼び覚まされた波は向こう岸にある島をバネにして
大波となって帰ってくるのだ

そして
すべてを洗い流す

塩化ナトリウムの溶液に乗り
無気力に運ばれていく物たち
都会への回帰を夢見る眼球
「評判」だけを気にする耳
男の誘いを待ち続ける乳房
「思惑」に毒された大脳
「まさぐる」ことしか知らない指

これらは海峡に流れ出し
巨大なマッコウクジラに飲み込まれる
これらの現象を前にして
生態学者は誠実そうな眼差しで
「海と陸との物質循環」を語り続ける。

2009年1月4日日曜日

「エコ」がオジロワシを殺した






 携帯用の箸を持ち歩いていると、よく
「エコですか?」と声をかけられる。正直なところこのように見られると照れて戸惑ってしまう。なぜなら、自分の使う割箸1膳くらいで、森林が救えるとか温暖化が防げるとか思い込めるほど僕はお人好しじゃないし、そんな大それた理由で持ち歩いているワケじゃないからだ。自分で使う食器のうち、簡単に持ち歩けるものを一つくらい歩いてもいいじゃないか、と思う。それに今はチタンなど優れた素材の箸があって、ちょっとオシャレでもある。

 それよりもまず、「エコ」という言葉の軽さに戸惑う。どうやら環境問題に関心を持ち、環境保護に貢献することを「エコ」というらしい。同時に「地球にやさしい」とか「環境にやさしい」という表現もつきまとってくる。どこの世界に「やさしい」という形容詞を自分に対して使う者がいるだろうか。「僕は女にやさしいヨ」などと言う奴が信用できるワケがない。話が逸れたけど「エコ」とは「エコロジー」のことで、そもそもは「生態学」のことだ。それが拡大して、生態学的な知見を反映しようとする文化的・社会的・経済的な思想や行動に使われるようになったのだろう。だから、厳密に言えば「Ecology movement」などの英語から来ているわけで、もちろん間違っているわけではない。

 だが、どこか安っぽい底の浅さを感じて、僕は使いたくない言葉なのだ。!
  その実例のひとつに風力発電用風車への鳥の衝突、という問題がある。風力発電に対してまさに「環境にやさしく、エコである」というイメージ作りが先行しているが、発電用風車に激突する鳥はかなりの数にのぼっているのだ。
   例えば、2002年以降の調査記録(昨年12月に出された日本野鳥の会のプレリリースに付帯した資料による)2004年以来、オジロワシの衝突事例が11例取り上げられている。いずれも北海道内で起きているものだが、このうちの11番目の事故の発見には僕も関わっている。(未発表の事故例もあり、合計で13例起きている、という説もある)
 風車への衝突が、どれほど凄惨な事故になるか、写真を見てもらいたい。
これらは、2008年10月19日に発見された、釧路管内浜中町の発電用風車に激突したと考えられるオジロワシの死体である。なお、成鳥の衝突事例が明らかになったのは、この事故が最初、と考えられている。さらに事故の起こった時期から、この成鳥が北海道内で繁殖していた個体である可能性が極めて高い、と指摘されている。

2009年1月3日土曜日

空中の黒猫


   空中の黒猫(習作)

 空中を黒猫が漂っている
 ブラブラ

 単振動する黒猫
 脂身を狙って
 単振動する黒猫
 脂身は金網に囚われていて
 窮屈な隙間を出ることができなかったのだが
 脂身を狙って
 単振動する黒猫

 金網は藤棚から
 ぶら下げられ
 黒猫の跳躍を誘った

 爪一本でぶらさがり
 単振動する黒猫
 北西の風に吹かれて
  単振動する黒猫
 僅かな脂身のために
 単振動する黒猫

 それは
 黒猫の揶揄だったのかも知れない
 プレカリアートを
 演じてみせた黒猫は

  脂身をせしめて
 黙って立ち去ったけれども

2009年1月2日金曜日

続編「知床横断鉄道」

   知床空想列車…ある夏の夕景
 知床斜里発カムイワッカ行き、三両編成の637列車は定時に0番線を滑り出した。一旦廃止され、復活した根北線のレールを辿って以久科駅を過ぎる。やがて越川駅に着く。以久科でも越川でも部活帰りの高校生が賑やかに下車した。まるで小鳥の群れが飛び去った後のようだ。高校生たちの通学の手段として、知床線は重宝されている。それまで自家用車で送迎されていた高校生たちも通学列車に戻ってきたという。バスでは望めない開放感とくつろぎを列車に感じるからだろうか。
 越川を過ぎるといよいよ知床半島部に乗り入れる。午後の斜光に照らされて金粉をまき散らしたようなオホーツク海が眼前に広がる。夏のオホーツク海には、「北の果ての海」という陰鬱なイメージはない。薄い青色の海面がどこまでも広がり、穏やかで明るい。列車は、峰浜駅を出るとウトロ駅まで、オホーツク海を左手に見ながら走るのだ。この季節、北緯44度の知床半島の日没は遅い。
 17時46分、斜里から54分でウトロ駅に到着する。乗客の大部分は観光客で、ウトロで下車した。今夜の温泉と海の幸をふんだんに使った夕食への期待で、唾液腺の活動が高まっていることだろう。網走を観光してから知床に来た人が多いようだ。中には旭川市の旭山動物園を楽しんで来た人もいる。
 夏季の輸送繁忙期のため増結された二両をウトロで切り離し、一両になったキハ54は、ようやく水平線に近づいた夕陽に照らされた幌別台地に向かって長い上り坂を軽快に登っていく。この車両は、従来のキハ54に高性能蓄電池とモーターを組み込んでハイブリッド化したものである。車内には、岩尾別のユースホステルへ行く旅行者、木下小屋に泊まって明朝羅臼岳に挑む登山者、自然センターを訪ねる研究者らしい人物が2人乗っている。さらに、「横断鉄道」の最終列車に乗り継いで羅臼町を訪ねる旅行者が7~8人、意外にたくさんの人が乗っている。
 列車は、自然センター駅のホームに到着した。島ホームの反対側、2番線に知床横断鉄道の小さな赤い客車が待っている。半分ほどの乗客を降ろしたキハ54は、そそくさと岩尾別台地に向かって幌別台地を下っていった。終点カムイワッカ駅では、知床山系縦走を果たした登山者たちが待っている。この車両が折り返し上り638列車となって、斜里駅に帰り着く頃には、長かった夏の日もとっぷりと暮れていることだろう。
 637列車を追いかけるように、ひときわ高い汽笛とともに2番線の羅臼行きも出発した。出発してすぐ、レールは大きく右に曲がり、知床峠へと伸びている。客車と同じ赤く塗られた機関車は、この長い登りに挑むように進んでいく。この列車が羅臼に着くのは19時を少し過ぎているだろうか。知床横断鉄道の最終列車には、大きな三脚を持ち込んだ人々がいた。この人たちは、夜の知床峠で一晩中星を眺めて過ごそうというのだろう。
  知床横断鉄道ができて、一般の自家用車の通行が禁止された知床横断道路は、約三〇年ぶりに原始の闇と静けさを取り戻した。そのため、最近になって天体望遠鏡を持ち込み星空を楽しむ人々が多くなった。しかし、この地域はヒグマの高密度生息域であり、国立公園を管理する知床財団では、ヒグマとヒトの偶発的事故防止に神経をとがらせている。今頃は、羅臼行きの車内で、添乗している知床財団職員からヒグマへの注意を受け、クマ撃退スプレーなどの装備のチェックを受けていることだろう。
  知床峠をゆっくり登っていく登山鉄道を後押しするようにな光を投げかけ、夏の太陽が水平線に沈んでいった。
 こうして知床の夏の一日が過ぎていく。

「知床横断鉄道」への夢



 早起きしてテレビをつけたら「世界SL紀行」という番組を放送していた。スイスの山岳鉄道とルーマニアの森林鉄道が紹介されていた。経済性や採算だけでなく、文化=産業遺産として鉄道を今でも大事にしていることがよく伝わってきた。
 昨年末、「知床自然大学検討会」で斜里町の人々と語り合った時、斜里町と羅臼町を結ぶ交通機関として、知床横断鉄道の必要性をあらためて感じた。昨年の春、「レールライフ」という鉄道雑誌に書いたものだった。お正月だ。夢のある話もいい。
                     (イラストは 山富士ままこさん)


 1.なぜ、知床に鉄道を、と考えたか。
  知床半島は2005年、世界遺産条約に登録され注目を集めた。それは一時の観光客誘致の手段ではない。この地域の自然環境を未来にわたってより良い状態で継続させる必要がある、という人類共通の意志が示された、ということである。
 現在の知床では一部の観光スポットに来訪客が集中し、自家用車は飽和状態である。

2.知床鉄道の概要
 「知床鉄道」は次に二つの路線からなる。
  ①斜里・ウトロ・幌別台地・カムイワッカを結ぶ普通の鉄道(JR線)
  この路線は、ウトロを訪れる観光客、知床連山への登山者、知床半島先端部の漁業者の生活物資や水産物の輸送を主とする。

  ②幌別台地と羅臼を結ぶ知床横断鉄道(本格的な山岳鉄道)
  知床横断鉄道は、国道334号線に代わる路線とし、自動車の通行に伴う自然へのインパクトを現在、将来にわたって軽減することを目的とする。したがって、①に比べ、観光客の輸送に重点が置かれるが、羅臼町とウトロ地区や斜里町との文化的な交流を支える役割も小さくない。従って冬期間の運行可能性も視野に入れる。
 横断鉄道の輸送対象は知床峠への観光客、羅臼湖への登山者、羅臼・ウトロ間を移動する観光客、さらに知床財団や行政関係者、地元で自然環境について学習している高校生などが主になる。

3.各論
3-1.車両
  車両は、整備の利便性やコストの低さを考えて動力集中方式にする。動力は、環境への負荷を考慮すると電気が望ましい。しかし、景観への影響を抑えるためには架線を用いない方が良い。これらのバランスをとるために、ディーゼルエンジンを電気によるハイブリッド機関車を新たに開発する。ハイブリッド機関車は、まだ実用化されていないが、この点は最新の技術を集約してこの鉄道の最大の特徴として位置づけたい。

3-2.登坂方式
 幌別台地・羅臼間は、距離が短い。また、知床峠の景観を楽しむ目的の乗客も多いと思われるのでそれほどの高速は必要ないと考えられる。
 したがって、急勾配への対策としては技術が確立されているアプト式がふさわしい、と思われる。また、羅臼側の急峻な地形への対策としてはループ式も併用せざるを得ないだろう。鉄橋を多用することで冬期間の運行も可能になると考えられる。

3-3.運行期間
 観光を目的に考えると冬期間の運休もやむを得ないようにも思われるが、冬期間の魅力を積極的に売り込むためには通年運行が望ましい。生活路線として定着させるためにもこのことは重要である。
 国道を廃止し、その跡を利用して敷設する路線であるから、自動車との差を明らかにするためにも冬期間の運行確保は不可欠である。

4.まとめ
 ローカル線が「赤字」を理由に次々に廃止されていった中で、新しい路線の建設など絶対にあり得ないことだろう。「現実」にはほぼ実現不可能なことがらに違いない。実現できないからこそそれは夢であり、人は夢によって生きるエネルギーを得てきた。
 しかし、「知床鉄道」は、突拍子もない夢ではなく、実現可能性のある夢なのである。
 社会的な価値観がほんのちょっと変化するだけで、このプロジェクトは現実に走り出す。外国には同じような鉄道路線が存在しているし、知床に鉄道を敷きたい、と願い続けてきた人々は少なくない。「瓢箪から駒」という言葉もある。
 ここで論じたプロジェクトは、個人のささやかな思いつきであって、もっと具体的に「知床鉄道」の計画を描いている人もいるはずだ。そのような人たちが、いろいろな機会に夢を述べ合うことで、「知床鉄道建設計画」は埋み火のようにこの土地でいつまでも息づいていくだろう。
 知床半島は海底火山が造った半島である。知床の山々の地下には、今も火山のエネルギーが眠り続けている。そんな密かに息づく地球の熱い息吹とともに、「知床鉄道」の夢も、永く語り継がれていってほしい。

2009年1月1日木曜日

新しい年、映画との出会い

 昨年暮れ、一つの映画に出会った。正確には二本の映画。
 「チェ・28歳の革命」と「チェ・39歳 別れの手紙」
 南米の革命家エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナを描いた映画である。

  今更説明の必要もないと思う…
 1928年アルゼンチン生まれ、カストロと共にキューバ革命を成功させ、
 1967年10月、ボリビアで殺害された。
 「チェ」とは、アルゼンチンのスペイン語で「ねぇ君」などと相手に呼びかけるときに使う言葉に由来するあだ名である。彼が「Che」とサインに使っていたのだそうだ。


 今この時代に、ゲバラや彼の著作や行動が注目されている、というこに僕は、大きな意味を感じる。時代がゲバラを求めているのではないだろうか。
  ニンゲンをコストとしかみなさいような世の中、「儲かる」ことが善で、そのためなら何をやって許されるような世の中、フリーターや派遣労働者になるのは本人の責任だ、という「強者の論理」が堂々とまかり通る世の中への不信感、閉塞感を打ち破る、ひとつの明確な方向をゲバラの生き方に見いだす人は多いのではないだろうか。

 予告編のコピーが泣かせてくれる。
「かつて世界を本気で変えようとした男がいた
アメリカがもっとも恐れた男、世界がもっとも愛した男」
 「愛と情熱、正義と信念」
「20世紀最大のカリスマはなぜ39歳で死に至ったのか」
「すべてが真実、すべてが劇的」

http://che.gyao.jp/

http://www.youtube.com/watch?v=1yNnUre8J_w