2009年1月13日火曜日

立ち待ちの月

月が出ていた。
 黒い海の上に
 広がる銀の道
 それは
 鯨の表皮のようにも
 見える

 月齢17日
 満月を過ぎてはいたが
 久しぶりに
 落ち着いた大気と波は
 立待の月を
 取り囲み
 祝っているかのようだった

 帰り道
 大きな火球が飛んだのだと言う

2009年1月12日月曜日

冬の海岸

 低気圧の置き土産で、海は、まだ荒れていた。カモメが群れて、打ち寄せられた漂流物の中から、食べられる物を熱心に探している。

 繰り返し寄せてくる波を眺めていると様々な思いが脈絡なく意識にのぼってくる。海底に沈んだ物が、水流に巻き上げられ、波で運ばれ、浜に打ち上げられるように。たぶん、海と心がどこかで響き合うのだろう。
 心の深層から、波が巻き上げて運んできた古い記憶や苦い想い出を食べてくれるカモメは、いるのだろうか。

 カモメたちが啄まなかった物は、渚に散乱しているが、これらもやがて波が持ち去ってしまうのだけれども。

 荒れる根室海峡を眺めていて、こんなことを考えた。

2009年1月11日日曜日

吹雪の夜は明けて


 吹雪は予想よりずっと小さかった。
 いや、吹雪かなかった、と言うべきだろうか。
 風は強かった。湿った雪は、除雪車「ポチョムキン」の窓に白く貼り付いた。
 停電もあった。断続的に何回も繰り返される停電だった。蝋燭を点けて風呂に入り、電灯が点いている間は本を読む。電灯が消えたら薪ストーブの火をかき立てる。久しぶりに良い夜だった。
 積雪もほとんどなく、除雪作業も必要ない。風が強く、路面状態も危険だから不要不急の外出は中止して、ずっと家で過ごした。昼食にカレーを作った。
 夜は野鳥の会根室支部の集まりがある。

2009年1月10日土曜日

吹雪た!


 低気圧が来た。
  今、午後2時。気圧は、今朝より10hPaも低くなった。
 いよいよ低気圧が近づいてきたことが実感される。
 さきほどから湿った雪が横に吹きつけてきて、視程は、まだ200メートルくらいはあるだろうか。いろいろな予定がキャンセルされた。
 除雪車「ポチョムキン」も出動態勢をとって待機している。
 自然の力の前で、あらためて無力感を覚える。同時に本心では、ちょっと快感でもある。ワクワクしてもいる。低気圧は、愛おしくもある。

2009年1月9日金曜日

反省したこと

 昨日、父とちょっとした言い合いをした。
 妹から携帯電話のEメールが来た。帰る僕を見送りたいが、どこで合流したらよいか、というような内容だった。それに対して僕は、込み入った内容だから直接話し合って決めようと考え、「電話で話そう」という返事をEメールで送った。
  父が傍にいて、妹がどこからそのメールを送ってきたか、ということをしきりに気にしていた。彼女にはその日、朝から出かける予定があることがわかっていたからである。
 携帯電話のメールだから詳しい内容は書かれていない。彼女がどこにいるかなど、わかる訳がない。わかる訳のないことをいつまでも気にする父に、僕は少しだけイライラした。そこで、「わからないことについてあれこれ考えるよりも、いま手に入っている情報を基に、次の行動を考えた方が合理的ではないか。」というようなことを言った。

 しかし、言った後で、すぐ次のようにも考えた。
  僕らは、いつも何気なく携帯電話やパソコンのEメールなどを使って会話(情報交換)していることが多い。いつの間にかそれを当たり前のことと感じている。だからメールの限界もわきまえているつもりだし、「手に入らない情報をあれこれ考えるのは無駄」という意識が知らないうちに出来上がっているのかもしれない。昨年米寿を迎えた父は、携帯電話やメールなども使ってはいるが、間違いなく一世代前の価値観で生活している。そのため、思考のテンポがゆっくりしているのかも知れない。いや、それは逆で、携帯やインターネットの世界がいつの間にか「日常」になっている僕(たち)の方が、思考のテンポを異常に早めて、「無駄なことは考えない」などと賢しげに口にしているのでは、あるまいか。
 日頃から近代文明に対する疑問と不信を感じているつもりだったが、いつの間にか僕自身も近代文明のスピード感に自分を合わせ、それからほんの少し遅れた思考テンポを持つ父に、ある疎ましさを感じたのではないだろうか。
 自分の了見の狭さを痛感し、反省した一コマでありました。

2009年1月8日木曜日

昨日のそれから・・・・・僕の悪癖





 午後、小樽まで行った。札幌で浪人をしていた頃、里心が起こってくるとよく小樽へ行ったものだった。何かほっとする空気を感じたし、街の規模、坂道の先に港があるという風景が、函館を思い出させてくれたからだろう。その頃は、蒸気機関車がまだ全盛で、小樽築港機関区を眺めるのも好きだった。

 しばらく小樽を訪ねることはなかったが、最近また、小樽行きが増えてきた。駅前の的な蕎麦屋さんが目的だ。
 「藪半」という名のその店は、小樽駅前の国道より一本だけ浜側を通っている狭い道にある。間口は小さく、あまり目立たないのだが奥行きはかなりある。行く時はJRで行くことにしている。他人には「汽車で行く」と言う。「デンシャ」などとは口が腐っても言わないのだ。電車というのは鉄道車両の一種でしかない。たしかに日本の都市部の鉄道はほとんど電化されていて、正真正銘の「電車」が走っている。しかし、日本にはまだまだ非電化区間があり、そこでは気動車(ディーセルカーですね)が活躍している。ごく一部だが客車列車(動力のない客車を機関車が牽引する列車)も走っている。
 僕は鉄道マニアではない(つもり)だが、鉄道の列車を見ると何でもかんでも「デンシャ」と呼ぶ人とは距離を置きたいと思っている。言葉へのデリカシーがなさ過ぎるように感じるのだ。そうやって都会風を吹かせているように感じるヒガミもあるのかね?

 まあ、とにかく、小樽へは汽車で行く。蕎麦屋ではまず、酒を注文する。一合だけ。注文した蕎麦が運ばれてくるまで、チビチビとやり、香り高い蕎麦をすすっと食べて出てくるのだ。普段、あまり日本酒は飲まない。まして昼酒などしない。だから真っ昼間から酒を飲んでいるだけで小心者の僕は罪悪感を覚える。だが、少量の酒で熱くなった胃袋に冷たく滑らかな蕎麦が入っていく感覚は、少々の罪悪感で増幅され、楽しいひとときとなる。だから、いつの間にか、なかなか止められない習慣になってしまった。



2009年1月7日水曜日

都会のヨクボウ


 札幌に来ている。ほとんど私用だが、仕事もすこしばかりある。ゾンメルを買うのだ。
ゾンメルとは、山スキーのことだ。短く幅が広い。裏面にシールが貼られている。造林や狩猟など山仕事をする人々に愛用されてきたスキーだ。

 来年度から始まる「野外活動」の授業で使う。20足ほどのゾンメルを買う予算がついた。しかし、このスキーは現在、札幌の秀岳荘という店でしか扱われていない。
 というわけで、似合わない「商談」に来ているのである。

 そして今、紀伊國屋書店の二階で「アラビアの真珠」を手に入れた。その真珠は熱く濃い。触れるとしびれるように熱が伝わってくる。琥珀色をしている。唇に近づけると表面からの熱が輻射してくる。かすかに、濃厚に甘い香りがする。手に持つと、生き物のように震える。すこしだけ口に含む。香りはさらに強まり、心地よい苦みが喉の奥へと広がっていく。飲み込むと、胃の中からも香りが立ってくるように感じる。もちろん「アラビアの真珠」とは、コーヒーのことでした。
 そんな真珠がたった530円。しかもサービス券があるから支払うのは、430円。

 それにしても、都市というのは、ニンゲンの欲望にとことん応えるようにできているなあ、と思う。何を今更、といいう気もするが。
 朝、ホテルを出て、地下鉄に乗る。目的地近くに黙って運んでくれる。書店に行き欲しかった本を手に入れ、そのまま二階でインターネットに接続して自分の書きたいことをこうやって書き散らかしていられるのだから。
 便利でありがたいのだが、この状況が当たり前と感じるようになったら、それはとても怖いことであるような気がする。いや、怖いことだ。

 人間は、こうやって「文明」をどんどん巨大化させてきたのだろうなあ。