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2013年5月31日金曜日

今日という一日

 今日の5・6校時は、羅臼高校2学年の「野外観察」で、久々の2時間連続の授業だった。昨日の雨が嘘のように天気が良くなったので、羅臼町の「裏山」とも言える「望郷の森」まで登って来た。  片道2キロ足らずの山道だが「立仁臼川(たちにうすがわ)」という沢に沿って登る。終着点の標高は300メートルほどだろうか。美しいダケカンバの林がある。知床山系でそろそろダケカンバ帯が始まる高さでもある。  久しぶりに軽く汗を流して爽快な気分で下りてきた。  事務所に戻ってからは、明日の釧路教育大生向けのプレゼンの準備にかかった。  彼らは羅臼町のクマ学習についての話を聴きに来てくれる。大学生を相手に話すのには慣れていないので、やはり緊張するものだ。  しかし、将来教員になっていく学生たちだろうから、「ビデオを見せて自然体験に代える」などという発想を持たずに、学ぶことの本質を的確に理解した教師になってくれることを希望する。 本ブログは,明日から 次のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2013年5月28日火曜日

 一昨日から急速に気温が上がった。  連日、昼間の気温が25℃に迫る。4日前は6℃とか7℃だったから大変な飛躍だ。もう少し中間の「ちょうど良い」くらいの気温にならないものだろうか。  元々高温に弱い羅臼の人々は、まだ身体が馴れないうちに一気に真夏に近い高温に襲われて「暑いねえ」という会話が言葉が飛び交っていた。  以前の日記を見るとちょうどこの時期にエゾヤマザクラが満開になっていた。今年は、まだ、葉も伸びきっていない.エゾヤマザクラは花よりも葉の方が先に出てくるのだ。  昔、父から聞いた思いで話だが、彼が中学生(旧制中学校)の時、「山桜」というあだ名の先生がいたという。その理由は「鼻より歯が先に出ているから」という理由だったという。  「昔の中学生は、なかなか気の利いたあだ名を付けていただろう?」と自慢そうに話してくれた。  父が死んで、まもなく4週間が経つ。  正直なところ、あまり喪失感のようなものはなく、淡々と父の死を受け入れることができているように思うのだが、最近になってふとした拍子にこのようなことを思い出すことが増えた。  亡くなった人は、このような形で、生きている者に別れを告げるものかも知れない。 本ブログは,来月から 次のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2013年5月27日月曜日

よって立つウトロと羅臼

5月26日(日)  昨日からウトロと斜里を放浪している。  知床財団の評議員会と知床大学院大学設立財団の理事会とが連続したためだ。  AFANと一緒の「旅」だ。  昨夜は、懇親会の酔いもあって、自分の部屋に戻らず車の中でAFANと一緒に眠った。  昨日から気になっていることだが、ウトロ市街地に全然にぎわいが見られない。観光客はチラホラとは見かけるが、毎年の風景である団体客を乗せた大型バスが少ない。  マスツアーの団体がゾロゾロと集団で歩いている図は、個人的にはあまり好きではない。こんな落ち着いた雰囲気ならウトロの夏は最高だ、などと思ったが、観光に頼って生活している人々にとっては、大きな傷手であろう。多くの土産物店、食堂など閉店している店も少なくない。町に活気がないと感じるのはそのせいもあるだろう。  原因は明らかだ。知床峠の冬季閉鎖がまだ続いているからだ。  例年なら5月上旬には開く。早い時には大型連休前に開通することもある。今年も最初は、その予定だった。予定が狂ったのは連休中に大雪が降ったためだ。平地でも数十センチ積もったというから山の積雪はもっと多かったのだろう。おまけに雪崩があったという話も聞いている。  開通に向けて着々と進められていた除雪作業も振り出しに戻ってしまったというわけだ。  斜里町ウトロ地区と羅臼町は、知床半島を挟んでほぼ同じ位置にある。二十数キロの峠を越えれば片道30分程度で行き来できる。そこが通れないとなると半島の基部を迂回して120キロくらいの道のりになる。2時間と少々かかる。 この二つの地域は、何かというと比較され、反目し合うというほどではなくても対抗意識から対立するような事もあった。  知床峠が利用できると、団体客のツアーは、ウトロを観光し、峠を越えて羅臼側で海産物などを買い求め、釧路湿原や阿寒へ向かうというのが「黄金のルート」のようだ。  峠が閉鎖されていると、ウトロを訪れても同じ道を戻らなければならない。そのためキャンセルやコースの変更で団体客が激減しているのだろう。  今回の事態は、特に観光業にとって、「羅臼あってのウトロ、ウトロあっての羅臼」であることを実感させてくれた。  知床は一つなのである。 本ブログは,来月から 次のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2013年5月25日土曜日

会議とハチ・・・・なんだか忙しい春の週末

 この季節になると数年前から超多忙になる。  セイヨウオオマルハナバチの講習会をあちこちで開くからだ。  遠いヨーロッパから運ばれ、住み慣れない日本のビニールハウスに放されたまではよかったのだろうが、生きものの常として生息域を拡大しようとする衝動に動かされ、ハウスを脱出し、北海道の大地に広がった。  すると法律で「特定外来生物」というレッテルを貼られて、見つかり次第追い回される。捕獲されると管瓶に閉じ込められて命を奪われる。  ただでさえ屋外では外敵も多いのに、法律までもが自分たちを追い詰める。 「トキの雛がカラスに襲われて死んだ」と大きく新聞に載り、人々はそれを読んで「ああ、残念」と嘆く。その陰で、仇のように追い回される虫もいる。  どちらも生命に違いはない。   一方、「講習会」を開く側もけっこう大変なのだ。やっと巡ってきた週末。家の周りも片付けたい。犬たちの遊び場のフェンスも作りたい。クルマの整備もしたい。  山のように溜まっている課題を尻目に、今日も家を出る。  講習会が終わったら知床財団の評議員会。明日は、知床自然大学院大学設立財団の理事会。斜里とウトロを行ったり来たりすることになる。  おまけに今年は、知床峠がまだ未開通だ。  「互いにけっこう辛いね、ハチよ。」と声をかけたかったが、外気温は9℃。ハチは1頭も姿を見せなかった。 本ブログはまもなく以下のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2013年5月20日月曜日

病む人々

 猟銃所持免許の更新時期が迫ってきたので、今日はそのための健康診断を受けてきた。 4年前の銃刀法の改正によって、それまでどこの病院で受けてかまわなかったものが、精神科医による診断に限られるようになった。  そのために根室市の病院へ出かけた。半日で済むものと思っていたら、他の患者さんで混み合っているとのことで、午後からの受診となった。 その病院は内科の外来診療もしているから、月曜日の今日は、特に混雑するらしい。しかし、心を病んでいる人々も少なくない様子だった。  根室市の人口は3万人を切っているはずだし、「ギスギスした都会」という印象でもない。それでも、やはり悩みを抱え、追い詰められているらしい人々が少なからず暮らしているのだという現実を思い知らされた。 これが現代日本の縮図なのだろうか。どうしたら、もっと皆が幸福感を感じながら生活できるようになるのだろう。  思いがけなく、そんなことを考えさせられた日だった。 本ブログはまもなく以下のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2013年5月19日日曜日

野鳥 夜話(よばなし) 裏話(うらばなし)

 昨夜、日本野鳥の会ねむろの定期総会があった。  その後、恒例の懇親会席上での会話。  A「なかなか暖かくならないねえ」 B「鳥のもなかなか鳴かないよね」  僕「アオジは鳴き始めたようだけどね」  B「アオジじゃねえ・・・・」  僕「でも、僕はアオジ好きだなぁ。アオジに何度も救われましたよ。探鳥会で」  A「『困ったときのアオジ頼み』ってあるよね」  僕「そうそう。とりあえずスズメじゃない、というところで惹きつけられるよね」  A「そう。なかなか良い声だし、姿も黄色味が強くてきれいですよね。よく見ると」  僕「何より、目立つ枝先で鳴いてくれるから見つけやすいしね」  B「うーん。そうだね。考えてみると良い鳥だよね。確かに」  アオジは北海道の森林から緑地の多い市街地などでよく見られるスズメ目ホオジロ科ホオジロ属の小鳥。スズメくらいの大きさで上面は褐色に黒い縦縞。腹側は薄い黄色。上嘴は暗褐色、下嘴の色彩は淡褐色。後肢の色彩は淡褐色。オスは眼の周囲や喉が黒い。  比較的声量のある柔らかな声でゆったりとさえずる。歌は緩急のあるリズムで心地よい。    個体数は多い方で、現在のところ希少種ではない。そのため探鳥会などではあまり重視されない存在だが、よく考えてみるとありがたい存在なのである。 本ブログはまもなく以下のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2013年5月18日土曜日

寒冷地住民の特権

 今日、やっと乗用車のタイヤを交換した。  例年だと5月の連休前に換えてしまうことが多い。この付近の人々は、ほとんど連休明けに換えている。  「雪が降ったら乗らない。峠越えはしない。」と割り切れば、4月下旬に交換してもかまわない。  今年は、4月下旬から訪米したこと、父が札幌で入院していたため札幌へ行く機会が多かったこと、さらに雪が降った時に使うべき四輪駆動車が車検と修理のために整備工場に入っていたことなど多くの理由が重なって今日まで延びた。  ところで、冬用のスタッドレスタイヤから夏タイヤに換えた時の感覚は大好きだ。騒音が一段と少なくなるし、アクセルを戻して惰行に移ってもいつまでも停まらずに走り続ける。燃料を使わないで距離を稼げばそれだけ得をしたように感じる。  タイヤ交換などという煩わしい「行事」の不要な地域に住んでいる人も多いと思う。夏タイヤに換えた時のヨロコビを味わえるのは、寒冷地に住む者の特権かも知れない。 本ブログはまもなく以下のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2013年5月15日水曜日

酪農地帯の神社は酪農地帯に相応しい装い

 今日の午後、別海町の文化財保護審議会があった。 その席上、旧西別神社(現別海神社)祠(ほこら)が別海町歴史文化遺産として認定された。  この祠は、昭和9年(1934年)に、建造された西別神社(現別海神社)の本殿として鞘掛けされて使われていた。「鞘掛け」とは小さな建物を大きな建物でスッポリと覆うことだそうだ。  西別神社は昭和3年(1928年)に建立されたもので、その時からこの祠が使われてきたもので、少なくとも建造から85年は経っていることになり、たいそう古いものだということがわかる。   会議が終わってから現物を確認するために別海神社まででかけた。  祠には、本殿の横の手前に建てられており、しめ縄が張られていた。  不信心な僕は、神社になど来ることはほとんど無い。良い機会だと思い、祠や本殿の建物をじっくり観察した。すると、普段は見過ごしているいろいろな発見があった。  その一つがここに張られていたしめ縄である。最初は全然気づかなかったのだが、よく見るとこれがトワインでできているのだ。トワインというのは、牧草をまとめたものを縛るナイロン製の紐のことだ。牧草は、今はほとんど機械で巻いて大きなロールにする。昔は、人が持ち運べるくらいの大きさのコンパクトと呼ばれる立方体の形にまとめた。どちらにしてもナイロンを撚り合わせた細い紐でまとめる。  別海の主要な産業は酪農だ。ウシを飼い乳を搾るのだが、冬の間の主要なエサは乾草だ。そして、乾草を作り蓄えておくのは春から秋までの間だ。酪農とトワインは非常に深い関係にある。  しめ縄というのは内地では稲ワラで作るのではないだろうか。それが普通のことだと思っていた。米の獲れない根釧原野でも、神様を飾るしめ縄くらいは、遠くで求めた稲ワラを使っているものと思い込んでいた。  だが、この祠だけでなく本殿の正面に張られた大きなしめ縄もやっぱりトワイン製なのだ。  このアイデアに思わず頬が緩み、神様も粋だなと思った。地元の人々の生活を守るのだから地元で使われる材料でしめ縄を作るべきなのだ。氏子に過大な負担をかけてわざわざ遠くから稲ワラを求めることを潔しとしないということだろう。  稲ワラのしめ縄は、稲作地帯で大量に生み出されるイネの茎を利用して作られる。酪農地帯では、その地で大量に余る使用積みのトワインを使ってしめ縄にするのは、きわめて理に適っていると言うべきだろう。  それに、石油製品のリユースという資源の有効利用にもなっている。これこそ地元の特色を生かしている好例ではないだろうか。  これまであまり関心のなかった神社が、突然身近なものに思われた今日の体験だった。

2013年4月15日月曜日

旅の支度を調える

落語を聴きながら今週末出発する旅の支度をしている。古今亭志ん朝さんの「付き馬」。歯切れの良い語り口が心地よい。  旅立ちは水曜日。もうあまり日が無い。今度の旅は仕事がらみの集団行動だから出発から帰着まであまり自由な時間は無いだろう。しかし、集団であるがゆえに旅先での組織的な交流や関係者との情報交換の機会は多くありそうで、自分の知識や経験を高めるためには大きな意義がありそうだ。  旅は苦手で住み慣れた場所でずっと過ごしてる方が好きだという人もいるようだが、僕は、どんな形でも知らない土地を訪ね、そこの空気に触れるのが好きだ。だから旅立ちの前は、期待に心躍る思いでワクワクしている。  生きているということは物質の流れを作り出していることなのだそうだ。ヒトの身体は、常に新しい物質を取り入れて自分の身体を作り、古くなった材料はどんどん排出する。1~2週間もすれば、身体を作っている分子は、たとえ同じ化学物質であってもすべて入れ替わっているのだそうだ。  そんな動的平衡状態を保っているのが「生きている」ということなのだという。2週間も旅していれば、身体を構成する分子や原子はすっかり新しくなって帰って来ることになる。  そんな「新しい容れ物」に新しい価値観や世界観が備わるだろうか。  「脳力」の衰えが気になる身としては、少々心許ないが、せいぜい頑張って勉強してくるつもりだ。

2013年4月12日金曜日

ポーランドからきた食器たち・・・・ちょっと柄にもないけど

 これらの写真を見て頂きたい。  模様や形はさまざまだが、どこか共通点があるように感じられないだろうか。これらは、みなポーランドから来た食器たちである。厳密にはポーランドのボレスワヴィエツという表記もある)という町で作られた陶器だ。  ボレスワヴィエツはポーランドの南西の端、ドイツとの国境近くにある町だ。市街地は歩いて簡単に一回りできるくらいの本当に小さな町だが、このような食器を作っている工場がいくつもあり、ポーランド食器の生産地として世界中に知られている有名な町なのだ。  などと偉そうに書いたが、チタンのシェラカップが最高級の食器だと確信し、それでウィスキーを飲んでいればもうそれ以上の幸福な無いと信じているガサツで朴念仁の僕には、ちょっと縁遠い所だ。ゆえに「ボレスワヴィエツ」という難しい名前もなかなか覚えられなくて情けない思いをした。  最近、当ブログでは、政治や社会に対してやたら批判を書くことが多く、自分でも食傷してきたので、何かホッとするようなネタはないかと考えていた。本日の夕食後、食器を片付けていて、ふとこのポーランドを代表する食器のことを書いてみようかと考えた次第だ。  一つ一つ微妙に違っているのに全体から感じられる統一感はどこから来るのだろう。それが「伝統」というものなのだろうか。これらの食器は、一つずつ手描きで彩色されている。それが多様性の元となり、「手描きである」ということ自体が統一性を生み出しているのだろうか。  これらの点もセンスの無い僕にはよくわからない。  ただ、綺麗だなあとは感じる。それに加えて、写真からは伝わりにくいが、手で持った時の重量感が実に適切で、食事する楽しさが増すように思う。また、マグカップなどの唇を付けた時の感触がとても気持ちいい。  長い歴史を経て伝えられた伝統が食器作りの技術に生かされているのだろう。  ボレスワヴィエツの人口は4万人くらいだそうだ。郊外は丘陵地帯で豊かな森が町を囲んでいた。日本では、最近、一つの町が何かを売り出し、評判を上げるとすぐに他の町がその真似をし、終いには、どの町でも同じような「地元産品」が売り出され、飽きられるといつの間にか消えていくということが繰り返されている。  売れようと売れなかろうと頑固に良い物を作り続け、200年後とか400年後にそれが伝統になっているというような物作りをしてみようという気構えがほしい。  陶器などの焼き物は、元来は森の産物だ。柔らかな土、それをこねる水、そして焼く時の燃料として薪が必要だ。今でこそ激減している、ヨーロッパにはかつて大森林が広がっていた。ポーランドはその中で、まだまだ豊かな森が残されている。  これらの食器たちからそんなポーランドの森の息づかいが聞こえて来るような気がする。

2013年4月7日日曜日

低気圧に追われながら生命について考えた

 昨日は夜遅くなってこともあってブログは、お休みしました。  札幌に行っていた。金曜日に出発し、今日帰ってきた。 父の見舞いのためだ。  12月に自宅で転倒して病院へ運ばれて以来、病態は悪化する一方だった。最初に入院した病院を一旦退院したが、食欲が回復せず、衰弱するばかりだったので約三週間で別の病院へ再入院となった。  今回入院した病院は非常にきめ細かな看護・介護としてくれるうえ、医師を始めとしてすべてのスタッフが細やかな心遣いを欠かさないので家族としては安心しているのだが、食欲不振と衰弱の原因がまだ突き止められない。「歳が歳だから」と言ってしまえばそれまでなのだが。事実最初に入院した病院の医師はそう発言した。  しかし、現在、父を診てくれている医師は、そのような考え方はせず、病因をきちんと突き止めたいという考えでいるらしい。  生命には限りがある。90年以上も生きたのだから、という考えも決して間違っているとは思わない。しかし、僕の考えは少し違う。  生命は、不可逆的なものだと思っている。平たく言えば、生命はこの宇宙の時間の流れの中で一回限りのものだと考えるのだ。それゆえに、生命を与えられた者は、可能な限りそれを大切にし、長く保たねばならないと思う。生きるのが辛いとか苦しいということは誰にでもあるだろう。もちろん他者から強制されるような性質のものではないが、生きている「本人」はそう努力するべきだと思うのだ。  今回の札幌行きで、そんなことを考えた。  そして今日、二つ玉低気圧に追い上げられるように這々の体で逃げ帰ってきた。  札幌午前9時に出発。  病院に立ち寄り、道央道、道東道を通り足寄、阿寒と進んだ。  接近する低気圧から逃げるようなコースで走る。  雨は激しくなったり弱くなったりしている。十勝平野にさしかかると風が強まった。  道東道をなんとか走り抜け阿寒を目指す。足寄峠は霙。路面はシャーベット状になっていて非常に滑りやすい状況だ。  阿寒湖を通過しながら、このまま阿寒横断道を通るとこの危険なシャーベット状の路面の峠道を下らなければならない。数十分の時間を余分に費やしても安全なルートへ迂回した方がいいだろうと決意して、阿寒町を回ることにした。

2013年3月30日土曜日

今さら当たり前なことだけど、大切なことに気づかされた送別会

 昨夜は、職場を去る人たちを送る会があった。午前1時過ぎまで飲み歩いていたのだが、後半には自制してお酒を過ごさないようにしていたので、スッキリとした気分で朝を迎えることができた。  今回職場を去る人は二人。  一人は郷土資料館長。  彼は、学芸員として就職し、30年以上にわたって羅臼町内の遺跡の発掘や天然記念物の保護活動を続けてきた。数々の考古学上の重要な発見をし、その方面では非常に有名な人物である。でも、気取りのない人柄で彼の同僚になってからは知床の考古学について多くのことを教わった。遺跡や古代史に関する僕の質問に、即座に的確な答を返してくれた。彼の実力と造詣の深さを感じさせたものだ。年齢は僕より少し若いが、知床に関する大先輩であると言える。  お正月に家に押しかけ、囲炉裏のある彼の自慢の部屋で夜中過ぎまでお酒を飲み、翌日は二人とも宿酔いで七転八倒したのが、酔いいや良い思い出となった。  もう一人は教育委員会の文書の受付と管理や町立学校との連絡、机周りの清掃からたまに漁師さんからもらう魚の処理まで何でもやってくれた人だ。この人がいてくれたので事務所ではいつも熱いコーヒーを飲むことができた。また、外回りの仕事の多い僕の動向を常に把握していてくれて、安心して出歩くことができた。  人それぞれに歴史があり、今、僕が働いている職場も多くの人々が自分の人生と引き替えるようにして築きあげてきたものであるな、とあらためて感じた。その環境の中で、思う存分の仕事ができることは、すごく幸せなことである。  仕事に上下の差などあるはずはないが、特に目立たない立場で、こつこつと確実に仕事をこなしてきた人たちの力のお陰で、今の僕は快適に働くことができるのだと思った。  「表」に出る人間は、目立つしマスコミに顔や名前が出る機会も多い。少し大きな仕事をやり遂げれば、賞賛を浴びることもたまにはある。人間は愚かだからそんな時、自分の仕事を支えてくれたたくさんの人々の働きをつい忘れがちになるものだ。もっともっと自分の置かれている立場を誰がどのように手助けしてくれているのか、ということを正しく見ておかなければならない。  そんなことに気づかされた送別会であった。

2013年3月26日火曜日

 正義の味方「ハンバーグ仮面」・・・仮面に隠したその素顔は

 はじめに拒絶され、  次に絶賛され、  それから欠陥が明らかになる。  そこかで再び猛反発を受け、  欠陥や反発を克服できた技術は成熟へと向かい、  社会的な基盤となっていく。  しかし、その試練を乗り越えられず、決定的な欠陥を露呈した技術は、  歴史の舞台から退場せざるをえない。 たとえば、原子力がその例かもしれない。  だから、社会を発展させるためには、進歩主義も反進歩主義も必要なのだと思う。 (ここまでは本日の雑感です。表題とは関係ありません。)  たまにはプライベートを暴露しましょう。  写真は、わが家の夕食の惣菜である。何に見えますか?  そう!ハンバーグです。ソースによる後押しもあって、香り、歯ざわりもハンバーグそのものです。こんな大きな物が一人あたり二個です。コレステロールの摂りすぎが心配ですか。脂肪過多が心配ですか。  チッチッチッチ。さにあらず、です。  実はこれ「ハンバーグ」のように見えますが、肉は一切使われていません。肉ではないあるものがハンバーグの仮面を被った姿なのです。  成分としては、植物性のタンパク質とタマネギ、ピーマン、ニンジン、ヒジキ、山芋、小麦粉、パン粉そして少々のオリーブオイルです。  だから「肉ではないあるもの」以外はすべてハンバーグの材料です。  では、この辺で仮面を脱いで「肉の代わりになったあるもの」の正体を明かしましょう。 それは、高野豆腐です。高野豆腐を水でもどし、丁寧に刻んで入れてあります。  これなら、二個くらい食べても健康的ですね。  お財布に優しく(たぶん)身体も優しい、という訳です。  まさに、正義の味方「ハンバーグ仮面」というわけです。

2013年3月18日月曜日

札幌にて

 札幌に着いてあらためて感じた。  都市空間の環境と僕が普段生活している知床の環境とのギャップになんだか戸惑う。人類は、とっくに限界を超えているのかもしれない。

2013年3月15日金曜日

卒園式

 町議会が開会中だったので、代理出席を頼まれて幼稚園の卒園式に出させてもらった。 28人の可愛らしい園児たちが一人ずつ登壇し卒園証書を受け取っていた。3歳の時に入園し、今日までの3年間で心身ともに大きく成長したことだろう。見守る保護者や先生方の感激もひとしおだったようだ。  野外活動などの時に呼ばれて、指導させてもらうことはあるが、やや緊張気味で畏まった子どもたちを見るのは僕も初めてのことだ。得難い体験をさせてもらえた。  子どもたちを賢く健やかに心豊かに育てたいと願う思いは親にも教師にも共通で、それは社会の思いでもあるだろう。  それなのに、たった一つの企業が暴走して引き起こした事故のために、福島ではどれだけの子どもたちが不自由な辛い目に遭っているのか。思いはどうしてもそこへ向かう。 写真撮る父の目元の潤って、誇らかに歩む卒園の列

2013年3月6日水曜日

久々にスキー授業

 久々に「野外観察」の授業でスキーを履いた。  一時間(正味50分)の授業だったので遠くへ行けないので、校舎の向かい側の斜面を登った。途中に大きなミズナラが立っている。胸高直径で軽く1メートルを越す巨木だ。 皆でその下に集まり、しばらくその斜面で滑った。気温が高く、湿ったボタン雪が積もっていて滑りが悪いのではないかと思ったが案に相違してなめらかに滑ることができた。  緩斜面なので、生徒たちも喜んで滑っていた。シーズンの始め頃にくらべて皆、ずいぶん上手になっている。やはり若者は新しいことに慣れるのも早い。  しばらく滑っていたが終業時刻が近づいたので、校舎までおりることにしたが、普段とは違うコースをとった。僕も今まで使ったことのないルートで野球場を作るために元々あった山を垂直に近い角度で削り取った斜面だ。しかし、このところの吹雪のお陰で45~50度くらいの傾斜になっている。  さすがに直滑降で降りる訳にはいかないので斜面を斜めに横切って降りることにした。まず、先頭に僕が降りた。寒気と風で雪の表面が適度にクラストしていてエッジがよく効いた。しかし、中程まで降りたとき異様に堅い雪面に捉えられ、エッジが抜けて横滑りとなり垂直に大きく落ちてしまった。  一旦停まってから立て直し、下まで一気に滑り降りた。後続の生徒にはコースを変更し、アイスバーンを避けるよう指示した。  やや時間がかかったが、まずまず全員が無事に降りることができた。  「夏にあの崖をもう一回見ておきなさい。今日、滑り降りた所がどんな斜面だったかあらためて驚くと思うよ。」そんな話を交わして授業を終えた。  短時間のスキー授業だったが一定の達成感を味わうことができた。

2013年3月5日火曜日

「『自然だーい好き』なんて言うな!」と書いたことをめぐって

昨日の僕のtwitterでの発言が一部で不興を買った。それはこんな発言だ。 ◎北海道の暴風雪について思ったこと。チャラチャラと「自然だーい好き」なんて言ってるヤツ(本当はコピーライターかも知れないが)に、今回の吹雪の現実を突き付けてやりたい。俺たちはこんな吹雪も含めた自然環境を見つめている。  「人を見下した傲慢な印象を免れない」という批判だ。  言われてみればそうかも知れない。もし不快に感じた方がいたらまずお詫びしよう。  同時に、こんな発言が生まれた背景も説明させてもらいたい。それによってますます不愉快に感じられたら困ってしまうのだが・・・。  日本人の中でどれくらいの人が「吹雪の怖さ」を知っているだろうかと思ったのだ。ほとんどのマスコミや政府、北海道庁でさえ今回の被害の元を「大雪」と言っている。雪と暮らしていると一口に「雪」では片付かないほど雪には多様な「相」があることがわかる。吉幾三の歌にも「津軽には七つの雪が降る」と歌われているではないか。重い雪、湿った雪、乾いた雪、堅い雪、ふわっとした雪、濡れ雪など雪そのものの状態だけでも多様だ。 そして一言で「吹雪」と言っても降雪量と風の強さと気温や湿度との組み合わせで様々な形態がある。ロシア語には「吹雪」に相当する単語は5つ以上あると聞いた。  現在の日本語や日本の文化は、主に照葉樹林帯で作られたと考えていいだろう。ごく大雑把に分けて、北海道東部や北部は亜寒帯針葉樹林帯に属し、南西部は夏緑林帯の気候風土と言って良い。  夏緑林帯で生まれ育った僕は、就職して初めて網走地方の猛吹雪を経験して、これほど激しい雪嵐があるのだと驚いた。吹雪いている雪は気体で、小さな隙間から容赦なく入り込む。そのまま積もれば固体に変わり、その場で融ければ液体になる。  クルマを運転していて、自分の車が走っているのか停まっているのかを速度計だけを頼りに判断するという状況を何人の人が理解できるだろう。  以上のような経験や経緯が前提にあって、冒頭のような発言になった。その思いをよりかき立てたのは、マスコミの「大雪」という表現や政府や北海道庁の「対応策」があまりにも当事者の感覚からかけ離れたものだったこのへの怒りだったと思う。  「自然」は良いもので「人工」は良くないものだ、というような一般的な気分もあり、「自然派」「自然系」などという言葉も市民権を得ている。「自然」に対して好印象を持つことは悪いことではないけれども、他方で人知の及ばぬ桁外れな力を無差別にふるうのも「自然」だ。地震も津波も火山噴火も先日の隕石も自然のなせる現象だ。  人は無力で弱い存在だから、「自然」持つ二面性のうち自分たちに都合の良い部分だけに注目し、都合の悪いところは見ないようにする傾向がある。そのような傾向を苦々しく感じて「チャラチャラと」と書いてしまった。そこには「自然の力の強大さや危険をきちんと理解していますか」という問いを込めたつもりだった。  繰り返しになるが、挑発的な書き方をしたつもりはなかったのだけれど、不快に感じた人々にはお詫びしたい。  互いに異なる文化同士が理解し合うことが何よりも肝要だ。激しい暴風雪が吹き荒れる地域で暮らす人々は、全人口に比べればごく少数かも知れないが、互いに相手の立場を理解し合ってこそ真の異文化理解、多文化共存だと思う。  けっして「上から目線」のつもりはなかった。  本当に「上から目線」なのは政府や北海道庁の役人たちではないだろうか。

2013年3月4日月曜日

板子一枚下は地獄・・・反省をこめて

 「板子一枚下は地獄」とは、船底の板一枚を隔ててその下は大海原あり、いったん港を出れば風まかせ、波まかせで人の力は及ばない、と船乗りの仕事が危険に満ちた仕事であることをたとえた言葉。“板子”とは和船の船底のことだという。  今回の暴風雪で死者が9名になった。不幸なことだがひょっとしたらもっと増えることもあり得る。  吹雪にさらされている車内で横になっていた。車体や窓の凍結を防ぐ目的もあってエンジンは切らないでいた。不意の衝突を防止する目的で最小限の灯火類も必要かと思い、車幅灯を点灯していた。風に運ばれてくる雪が高速で螺旋を描いて飛び去っていくのがフロントガラスから見える。猛烈な風の軌跡を雪が可視化してくれる幻想的な光景だった。  そんな吹雪を見ながら「板子一枚下は・・・」という言葉を思い出していた。気温は氷点下6℃。決して「極寒」ではない。この季節、この地方の気温としては特に低温とは言えない。2~3時間おきに車外に出て排気管が露出しているかなどを点検するのだが。風速20メートルの風は容赦なく体温を奪い、肌を露出している部分は瞬間的に冷える。体感温度は-26℃ほどだろうか。「鉄板一枚外は地獄」だ。  今回の暴風雪でなくなられた方々の死因は、車内でのCO中毒と車外での凍死とが大部分ではないだろうか。エンジンをかけたまま車にこもるのも危険。避難先を目指して猛吹雪の中を歩き出すのも危険だ。特に吹雪きの中を歩くのは予想以上に大量を消耗するものだ。10メートルでも遠く感じる。100メートルならはるか彼方に感じる。目的地が見えているとしてもだ。  われわれは、日常的にクルマを多用し、クルマに頼りすぎていないだろうか。町の中であれば、クルマも「町」というシステムを構成する要素の一つとして、快適に便利に機能している。まるでエレベーターのようなものだ。  だが、町から町へと移動する時は、森林や海岸、峠や河川など様々な環境の中を通り過ぎることになる。内地と違って北海道、就中道東では、そのような「点と点を結ぶ移動」になることが多い。そのような場面で、クルマは「鉄板一枚外は地獄」という環境を通り抜ける場合もある。  僕らは、あらためてこのことを認識しなければならない。 強い反省もこめて、今回の立ち往生で足りなかった物、持っていてい良かった物をリストアップしてみた。 ××反省点 ・何と言っても斜里へ行くべきでなかった。行ったとしても遅くても一時間早く帰路に就くべきだった。 ×足りなかった物  ・燃料。斜里町を出発する時点で残量4分の1。航続距離は250km強だったから「間 に合う」と判断した。帰路を急ぐあまり給油をしなかったのは完全な判断ミスだ。幸い なことに開発局の除雪隊と行動を共にしたのでガソリンの補給を受けられたが、それに 頼らざるを得なくなったことが悔やまれる。 ◎持っていて心強かった物 ・食料   若干の食料を斜里町で購入した。ただし夕食は帰宅してから摂るつもりだったので、 「おやつ」程度だった。それでも何も無いよりはずっと良かった。 ・冬山用の防寒防水の上下の上着   これは吹雪の中で行動するには不可欠で、お陰でストレスなく外に出て行動すること ができた。 ・長靴   普段から履いている。 ・サンダル   車内で長時間快適に過ごすためにはよかった。 ・タオルケット   イヌ用にいつも積んである。いざとなったらこれにくるまろうと考えていたが実際に は使わなかった。   ・スコップ(小)   使うことはなかったが ・スノーヘルパー   同じく使わなかったが ・ゾンメル社製山スキー 使わなかったが、持っているだけで安心できた。雪上を歩くとき徒歩よりもずっと早 くて楽だ。 ・本やPC   時間を有効に使うためにはこんな物もあればいい。

2013年3月3日日曜日

244号線遭難記2013年版 その1

 3月2日(土)昨日アップできなかった文です。吹雪に閉じ込められたクルマの中で書きました。  午後から斜里町で知床自然大学院大学設立財団の事務局会議が予定されていた。  朝9時の時点で気圧は971hPa。時間とともにさらに下がり続けていた。  やっぱり荒れるな、と思った。いつになく出かけるのが億劫で嫌な予感がした。だが、天候はまだ荒れていない。出席を辞退しようかとも思ったが、事務局会議としては初の顔合わせだったし予定では90分程度で終わるはずだったから、終わり次第急いで戻るつもりで出かけることにした。  だが、それが大変な結果を引き起こしてしまった。  いま、21時。  国道244号線上に停車している。いや、駐車していると言うべきか。  根北峠を下り、標津市街へ通じる直線部分に入ってすぐの場所だ。金山スキー場の入り口から2キロほど標津町側に寄った地点だ。それまで道は山間の森林地帯を走ってきた。ここから両側に牧草地が開ける。それも大規模な牧草地だ。当然猛烈な風が吹き付けてくる。白い幕が勢いよく引かれるように、目の前を雪の煙が走り抜けていく。5メートル前方に開発局の除雪車が停まっている。ハザードランプを点滅させているが、地吹雪で見えなくなることも多い。たまに見えるくらいだ。  斜里を出たのは16時。会議は15時30分に終わる予定だった。主な懸案は終了予定時刻までに片づいたが、会議後に細かな情報交換や連絡事項のやりとりがあり、事務所を出た時は16時になっていた。  事務所から外に出てすぐに「あ、失敗したな」と思った。斜里町市街は、すでに猛烈な吹雪になっていたから。それでも国道はまだ通行止めになっていなかった。開いてるなら通ってやろうと考えて峠へ向かった。  予想どおり、峠の手前、斜里市街から越川付近までの間が強い風とそれに飛ばされてくる雪で非常に視界が悪い。完全なホワイトアウトで自分の車のボンネットさえ見えなくなる。何度も弱気になる心を励まして進む。  国道を進み続ければ低気圧の中心から離れられるし、峠に入れば道は谷間を通っているし両側の森林が風を弱めてくれるだろう。  はたして予想は的中した。峠に入り快適な速度を取り戻して進むことができた。  やがて頂上を越え、下りにかかる。雪の量は増えていたが下りの道も快適と言えるほどのペースで進むことが出来た。  やがて標津町金山にさしかかった時、開発局の除雪車とそれに随行している道路パトロールカーが止まっていた。外に立っていた職員は僕を停めてこう言った。 「この先の標津までの間の地吹雪がひどい状態で、単独で行くのは非常に危険です。この除雪車が戻る時に私たちと一緒に行くのがいいと思います」と。  時刻は17時30分近くで、すでに辺りは暗くなっていた。  ホワイトアウトの中を走るのは本当に辛いし危険だ。根北峠を下りてから標津市街までの道路は、ほぼ直線だが両側に牧草地が広がり、風が猛烈な勢いで走ってくる。この区間では、今までに何度も危険な経験をしている。だから一も二もなく誘導してもらうことに決めた。  除雪車が根北峠の頂上で引き返してくるまで待たねばならない。少し先の駐車帯で待った。30分くらいで戻ってくると言っていたが、実際には1時間以上経ってからの出発となった。 もう一台、僕の後からきたクルマがあり、除雪車に誘導されて時速10~12キロの速さで手探りをするように進んだ。予想通り、猛烈な地吹雪ですぐ前のクルマのテールランプも時々見えなくなる。それでもまず安全に確実に前進し始めたのだ。やれやれこれで帰れると思った。  しかし、ほんの2キロほど進んだところで隊列が停まった。さすがの除雪車も普通の住宅くらいに積み上がった吹きだまりと視界不良で前に進めなくなったらしい。  時刻は19時を回っていた。  今夜のうちに家に帰りたかったが、それが叶わなくてもせめて標津市街くらいまでは行きたかった。  待つこと90分近く。やがて道路パトカーの人たちが非常食や水、携帯トイレを持ってきてくれた。吹雪の中を配り歩く姿は手を合わせたいほどありがたかったが同時に今夜は帰れないかも知れないと覚悟を決めた。  幸いわずかに携帯電話のつながる場所だったので家に連絡を入れることができた。  こうして長い長い夜が始まった。

2013年2月13日水曜日

暮れゆく根室海峡を見ながら・・・今日の「日常」

 午後、明日の羅臼幼稚園VC見学の打ち合わせ。  その後、天狗岩までアファンと二人で流氷を見に行った。流氷は、知床岬の方向に進むにつれて海岸に近づいており、天狗岩付近ではほぼ海岸まで達し、狭い開水面が所々に残っているだけになっていた。その海面を3~4羽のシノリガモが泳ぎ回っている。  夕闇せまる根室海峡の向こうには国後島がいつも通り長々と横たわっており、ねぐらと目指して沖から帰って来るオオワシが二羽、三羽と通り過ぎる。  海辺に数十分たたずんでいてもヒトやヒトの痕跡らしいものは一つも通らない。  氷と雪と海と岩だけの世界。  無駄なものを削ぎ落とし、基本的な構成要素だけで再構築すれば、こんな景色ができあがるだろう。  「地の果て」とは、こんな単純な組成の場を指す。  他の要素は何も加わることのできない場のことだ。  こんな単純な組成の世界で、複雑なあれこれを考える意味が、いったいどこにあるのか。 どんな価値があるのか。  見上げると純白の知床岳がそびえている。  今は巨大な雪の塊にしか見えない知床岳。  地の果ての山だ。