2009年5月6日水曜日

本日の行程


本日の行程
0515 旭川
0700 遠軽で給油と軽食
0820 美幌峠弟子屈側 7合目付近で小休憩
屈斜路湖は雲海の下で眠っていた。
0945 本別海着

2009年5月5日火曜日

自由のマシンで


 バイクで旅している。まあ、「旅」と言うほどの旅ではなく、ちょっと距離の長いツーリング程度なのだが。

 四輪車とは全く異なる次元を走っている感覚が楽しい。
 注意深く運転するにしても、ゆっくり走っている四輪を追い越すのは難しくない。北海道の道路であれば、ほぼ自分の思ったとおりのペースで走ることが出来る。連休で道路が混雑している時には、このことがしみじみとありがたく感じられる。四輪で走っていると、どうしても「もっとも遅い車」のペースに合わせなければならないからね。そして、道路には、さまざまの事情を抱えた人や車たちが走っている。高齢の人、病気がちの人、調子の悪い車、ちょっとそこまでしか行かない人などなど。
 二輪車は、他の車のペースにピタリと合わせる必要は、あまりない。
 「自由のマシン」とは、よく言ったものだ、と思う。

 反対に制約も多い。
 まず、持てる荷物の量。旅に必要な(と思われる)物でもすべて持ち歩く,という訳にはいかない。写真の二つのバッグが今の僕の携行品の全てである。これ以上は持てない。携行品を厳選しなければならない。このことは、頭を使う。楽しいことでもあるが。
 
 次ぎに天候。
 全天候型のウエアを着ていてもやはり雨は嫌なものだ。

 しかし、これらの不自由さも、冒頭に書いた快適さと比べれば、ほとんど気にならない。特に、天候に合わせて予定を変える、というのも昔の船の「風待ち」のようで良いではないか。
 やっぱり「自由のマシン」なのである。

2009年5月4日月曜日

来ないで下さい!知床に


 羅臼から知床峠を通った。4月28日開通予定だったものが、吹雪に見舞われ、一昨日5月2日に開通がずれ込んだ。
 連休の中日ということもあって峠の混雑はひどいものだった。これほどたくさんの人たちが、何の用で集まってきているのかと、つい思ってしまう。もちろん中には、明白な理由と目的をもって訪れている人もいるとは思う。しかし、道の駅に立ち寄った時、
「けっきょく何にも無いよなぁ」という声も上がっているのを聞いた。
「だったらわざわざ来るなよ」と言ってやりたくたくなる。日本の政治のことを考えているのかいないのかわからないが、無責任な投票行動で無責任な政治家を選び出し、自分たちの住んでいる場所の自然を蹂躙しておきながら「自然を求めて」休日には知床に殺到してくる姿が浮き彫りになってしまう。
 観光地だから都会の人間の便宜をはかって当然、といったような態度で闊歩する傲慢な姿を見ていると、本当の意味での「観光」とはなんだろう、と疑問を感じてしまった、峠の渋滞でありました。

2009年5月3日日曜日

ウメが咲きました




 ウメが咲いた。
 と言っても、室内に挿しておいた剪定した枝だが。
 それでも、嬉しいものだ。どこか心が浮き立つ。

2009年5月2日土曜日

最近感じる素朴な疑問

  バイクを洗い、車の小整備をし、午後からちょっと買い物に出かけてゆったりと過ごした。知床岬でのシカ撃ち、羅臼高校での授業、連続した会議などで少々疲れ気味の心と身体にとっては、いい休日となった。

 五月の予定を整理してみた。五月も予定が詰め込まれている。忙しい、ということは、あちらこちらから当てにされている、ということだろう。それは、本来ありがたいことだ。


 最近、気になっていることがある。ブログへのコメントやトラックバックがたまに寄せられるのだが、それらのうち、いくつかは全く無関係な内容で、特に成人向きのもので、実に不快きわまりない内容のものがある。楽天のブログがとくに甚だしい。インターネットの世界だから、そのような不埒な輩が跋扈しているのも仕方ないのかも知れないが、ブログの場を提供している側は、もう少しそれを防ぐ努力が出来ないものなのだろうか、と考えてしまう。
 もちろん、一番悪いのは、モラルも何も無く、顔が見えなければ何でもやってしまうという卑怯な者たちに違いない。だが、大きな利益を上げているプロバイダーにも、ウェブの秩序を保っていく責任があるのではないだろうか。

 最近感じる素朴な疑問のひとつである。 

2009年5月1日金曜日

「システム」となることの問題点

 本日もバイクで通勤。
 弱い気圧の谷の通過で一時天候が崩れかけたがすぐに回復した。

 知床峠、明日10時に開通予定。
 羅臼でアオジ初鳴き。
 授業で、シラカバ樹液を生徒に採取させた。あるグループは一昼夜で1リットル以上も集めた。

 昨日の採取のための装置を取り付けた。ところが,今日はそれを回収する時間が取れない。やむなく教員たちの手で回収した。
 本当なら装置の取り付け、回収、樹液の処理など一連の作業を体験させたいのだが、「学校」というシステムに組み込まれた「授業」という枠の中にそれを納めるのは困難だ。もっとゆったりとした教育が行えないものだろうか。口先ばかりで「環境教育の重要性」などと叫んでも、所詮お題目に過ぎない。
 学校教育のシステムそのものが疲弊し病んでいる、と言うべきか。