2011年4月6日水曜日

ハクチョウ 怒りの日

 今日の羅臼は昼間気温が17℃にもなった。
 サハリンと大陸の間にある間宮海峡に低気圧があり、本州中部が高気圧に覆われている時、ハクチョウたちは北へ渡る。
 昨日も今日も朝から夕方まで、多くの群れがひっきりなしに北へ飛び去った。

 シベリアへ飛び去るハクチョウを見送る時、いつも厳粛な気持ちになる。
 自力で3000キロを旅する者を敬う気持ちと、渡りの途中で落命する個体が必ずいるわけで、死へ向かう者を見送る寂しさが交錯するからである。

福島県・茨城県はオオハクチョウの越冬南限だ。福島市内の阿武隈川や猪苗代湖で多数の個体群が越冬する。

 間宮海峡に低気圧があることを彼らは天気図も見ずに感じ取る。渡りの多い日の天気図を比べると、毎年ほぼ同じ気圧配置だ。

 だが、そんな彼らにも放射線を感じたり、その危険を予知する力は無いだろう。なぜなら、原子力発電はニンゲンが作り出したもので、放射能はそこからまき散らされたのだから。生命を危険にさらすような濃密な放射線は自然界には無い。

 ハクチョウの渡りの群れを見かけると、いつも直立不動で見送ることにしている。
 尊敬と祈りを込めて。
 例年なら心中で、
 「来年もみんなそろって戻って来いよ~」と念じる。

 今春は、違っていた。
 「気をつけて帰れよ~。
 日本の水域は、放射能で汚染されるぞ~。
 来年は戻って来ない方がいいよ~」

 何の情報も無く保障など皆無の野生動物たち。
 何一つ苦情も言わない者たちに代わって、言ってやろう。
 原子力発電所や風力発電の巨大風車は、いますぐなくせ。
 作ったヤツは謝れ

2011年4月5日火曜日

沈黙の宇宙船

エゾオオカミが絶滅したとき、100年後にエゾシカが増えすぎて、様々の被害を出すことを誰が想像したろう?
 農薬で、クモや鳥やカエルがいなくなって、「効率的に」米が作れると考えた人たちは、トキやコウノトリが絶滅することまで想像できたろうか。

 福島第一原子力発電所では、昨夜から排水許容基準の100倍の濃度の「低レベル」放射能汚染水を海に捨て始めた。
 100年後の日本の海にどのような変化が起こるか。いや、50年後でもいい。10年後でもいい。予想し、検証し、想像することさえせずに「緊急事態だから」ということで、このタレナガシが行われたわけだ。

 人類は、またひとつ地球の環境に大きな汚点を残した。自然への罪を犯した。そしてその先頭に日本が立った。
 にもかかわらず、いまだに
 「海水中に拡散して薄まるから問題はない」と根拠の無い楽観にしがみついている学者たちには、自然環境という複雑系に対する畏敬の念や謙虚さが無いのか!

 僕の声は小さいけれど、ハッキリと言っておきたい。
 キミたちは間違っている。
 間違いを犯した。
 それは、歴史によって裁かれることだろう。

 原子力発電は止めるべきだ。
 今すぐ。
 それによって、一時的に不便な生活に戻ることがあったとしても。
 なぜなら、原子力を使う方向に進んだこと自体が間違っていたのだから。 

2011年4月4日月曜日

大きいことは良いことか?

 仙台市の都市ガス網の復旧に、全国から2700人ものガスの技術者が集まったという記事を読んだ。地震発生から間もなくひと月になろうとしている。

 あらためて被害の大きさがわかる。と、同時に都市ガスという巨大なシステムの脆弱さについて考えてしまう。
 1994年のことだが、北海道東方沖地震で震度5強を経験した。
 幸い、住宅は、地盤液状化のために少々浮き上がった程度で何の被害もなかった。引っ越直後だったので、整理が終わったばかりのおびただしい本が床に散乱し、本の洪水になったことが最大の被害だった。

 その時、水道は数日間断水し、停電も丸一日くらい続いたと思う。
 ただ、ガスは、液化石油ガス(LPG)だったので、屋外のガスボンベのそばにある遮断機で止まっただけだった。これは、僕が「復帰操作」をして、すぐ元に戻り、使用可能になったことを覚えている。

 地震の程度も違うので単純に比較できないが、都市ガスのように大規模で集約的なシステムより、個人の住宅ごとに独立したガス供給システム(「システム」というほどのものではないが)は、小回りがきいて、ダメージを受けにくいことは確かだ。

 電気にも同じだろう。
 大規模な発電所から地域全体に供給される現在のシステムは、地震にも弱い。そして、肝心の大本の原子力発電所が壊れて、大騒ぎになっているのだ。

 工場や鉄道、ドーム球場や遊園地など大電力を使う施設は別だが、家庭で使う電気には、発電の方法はたくさんあるはずだ。燃料電池、太陽光、小規模な風車、水車などなど。
 半導体技術の進歩で交直流間の変換も手軽になっている。
 みな、なぜそれを進めないのか?

 電力会社やそれが作り出す利権に群がる政治家の思惑に乗せられていると考えるのは僕だけだろうか。

 水力発電のためのダムを造りまくっていた時代もあった。そのために自分の生家や育った集落が水没した経験を持つ人々もいる。火力発電所もしかり。

 まして、原子力発電所は桁違いの規模で人々に犠牲を強いている。

 大きいことは良いことか?
 大福餅やチョコレートなら大きい方が良いが、何でもかんでも大きけりゃ良いというものではないと思うのだが。  

2011年4月3日日曜日

きょうは、幸福について考えた

 人生は、もっと単純で良い。
 愛する家族がいる。
 愛する犬が、猫が、馬がいる。
 日々の食物が得られる。
 たまに美味しいものが食べられる。
 安心して住む場がある。
 寒さや雨、露をしのぐ衣類がある。

 他に何が必要だろう?
 このままで、人生や世界、宇宙のことも考えられるではないか。

 電気エネルギーが必要なら、太陽光、小さな風車、小川の流れで回る水車、場所によっては地熱などで、まかなえるはずだ。

 こう考えてくると、「経済成長」というものが何のために必要なのかさっぱりわからい。

 経済成長など不要ではないか。
であれば、それを支える大規模な発電所など不必要なはずだ。
 そして、当然放射能による汚染も無くなる。

2011年4月2日土曜日

「大将」の死

大将が死んだ。
 「大将」と名付けた野良猫である。
 国道をすっ飛ばしている身勝手な自動車に轢かれた。

 川を渡ってわが家に遊びに来ていた。飼われている家でも、「自分の家のネコ」という自覚はなく、外で餌を与えるのみだったらしい。

 なかなかヒトに馴染もうとせず、孤高をつらぬいたネコだった。
 かと言ってヒトを拒むこともせず与えられる食べものは遠慮せずに食べてくれた。
 わが家でもたまに彼をもてなした。

 賢く、用心深い彼が、何故国道を走る車を避けきれなかったのか、不思議だ。


 かつてわが家で暮らしていた動物たちの隣に並べて大将が眠るための穴を掘った。
凍土はまだ、固く地表を覆ってい、スコップをはね返すほどに固かったけれど、ひたすら掘った。掘っているうちに涙腺に痛みを感じた。
 ニンゲンは、どこまで動物に冷酷なのだろう。自分が生きるために他の命を奪う場合を除いて、他種の命をこれほど虐げた動物が地球上にいただろうか。

 原子力発電はその最たるもので、これまで、現在、これから、どれほどの命を奪うことになるのか、やはり存在自体が罪悪だ。そして何も考えずにその恩恵を受けている、または今後も平気で恩恵を受けることを厭わないニンゲンたちも同罪かもしれない。

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大将が死んだ。
 「大将」と名付けた野良猫である。
 国道をすっ飛ばしている身勝手な自動車に轢かれた。

 川を渡ってわが家に遊びに来ていた。飼われている家でも、「自分の家のネコ」という自覚はなく、外で餌を与えるのみだったらしい。

 なかなかヒトに馴染もうとせず、孤高をつらぬいたネコだった。
 かと言ってヒトを拒むこともせず与えられる食べものは遠慮せずに食べてくれた。
 わが家でもたまに彼をもてなした。

 賢く、用心深い彼が、何故国道を走る車を避けきれなかったのか、不思議だ。


 かつてわが家で暮らしていた動物たちの隣に並べて大将が眠るための穴を掘った。
凍土はまだ、固く地表を覆ってい、スコップをはね返すほどに固かったけれど、ひたすら掘った。掘っているうちに涙腺に痛みを感じた。
 ニンゲンは、どこまで動物に冷酷なのだろう。自分が生きるために他の命を奪う場合を除いて、他種の命をこれほど虐げた動物が地球上にいただろうか。

 原子力発電はその最たるもので、これまで、現在、これから、どれほどの命を奪うことになるのか、やはり存在自体が罪悪だ。そして何も考えずにその恩恵を受けている、または今後も平気で恩恵を受けることを厭わないニンゲンたちも同罪かもしれない。

2011年4月1日金曜日

レティクル(照準線)の向こうに見える知床

息を止め、静かに接眼レンズに目を近づける。
 十字のレティクル(照準線)の中心と左前胸部を重ね、そっと握るようにトリガーを引く。轟音とともに強烈な反動が生じる。肩に食い込む銃床の重みを受け止めつつフォアエンドを前後に動かし、次弾を装填する。装填しながらスコープを覗くとエゾシカが転がり落ち、途中で大きくバウンドしてコンクリートの擁壁の上で止まるのが見えた。

 2月と3月の毎週末、羅臼町内でエゾシカの有害駆除が行われてきた。
 そして、月末の3日間は新人ハンター研修として、ベテランの指導を受けながら駆除の実習をさせてもらうことになった。
 「本番」の駆除の場面では、少しでも多くのシカを捕獲することが目的なので、新人ハンターはなかなか積極的に発砲できない。どうしても先輩に譲ることが多い。
 そこで猟友会の計らいで、期間が終わる直前の三日間を新人優先の機会を与えてもらえたというわけである。
 この期間は、ベテランの助言を受けつつ、堂々と初弾を撃たせてもらえる。

 北海道のエゾシカの個体数は、異常な増加の後、なかなか減ることがなく、知床でも希少植物や樹皮への食害が激しく、大きな問題になっている。シカを補食するオオカミをニンゲンが絶滅させてしまったいま、エゾシカの天敵はいなくなってしまった。
 ハンターが天敵のニッチェ(生態的地位)に就くことは不可能だが、少しでも増加を食い止められれば、との狙いで有害駆除が行われている。
 厳しい寒さが緩み、草も人々も、そして、シカたちもホッとしてのびのびと時をおくろうというこの時期、シカたちに銃を向けるのは少々気が引けないわけではない。
 だが、知床の自然をなんとか良い状態に保ちたいという思いも強くある。
 こんなジレンマを抱えつつスコープを覗くのである。

 これも、ニンゲンが自然界でしたい放題の自分勝手な行いをしまくったツケである。いわば先人の愚行の尻ぬぐいだ。

 髪の毛の先ほどの煩わしさ除くために電気に頼り、無駄遣いし放題だったツケを将来の子孫に支払わせるなんて、どうしても止めてもらいたい。