2013年3月28日木曜日
「フクシマを忘れない」なんて言うならこの現実をどう受け止める?
東北電力は今日、福島県浪江町と南相馬市に新設予定だった浪江・小高原子力発電所の建設計画を撤回すると発表した。(東京新聞から)
この場所は東京電力福島第一原発から20kmも離れていない。事故後は警戒区域となっていることもあるが、地元の理解を得られないというのがその主な理由だろう。だれが考えても、これほどの大事故を起こし、その収まりもついていないのに、新たな原子力発電所をすぐそばに建てることに賛成する人はいないだろう。まあ、まともな判断だが結論が出るまでに2年以上も費やされたことが理解できない。
そして、何より理解できないのは、身近で原発事故が起きた福島では原発を建てられないが、「身近ではない」青森県大澗町とか山口県上関町などには、平気で建設できるという神経である。日本では、昔から、こういう態度を「盗人たけだけしい」と言うと思う。
計画を撤回したということは、事故の危険性がある事故が起きたら壊滅的な結果を招く、ということを認めたことになる。それほど危険なものならどこであっても作ることはできないはずだ。
また、それぞれの立地の住民で原発に理解を示している人々にも疑問を感じる。福島の人々が「もう、まっぴらだ」と感じている経験をなぜおもんばからないのか。札束で目を曇らされたのでない限り、ごく普通に考えれば、地元でこれほど忌避され、ついに計画を撤回せざるえなくなったものをわざわざ引き受ける気持ちにはなれないだろう。当事者の苦しみを共感する想像力が無いのだろう。愚かなことではないか。
まさか、「福島だけを被曝させておけない。みんな一緒に放射能を浴びよう」ということではないだろう。
昔、故立川談志が「日本は法治国家なんかじゃない。情治国家だ。」と言っていたが、 あまりの愚かしさに言葉もない。
2013年3月13日水曜日
国会中継を聞きながら
今日、衆議院予算委員会の質問をラジオで聞いていたら日本維新の会の議員が質問していた。それは質問と言うより安倍内閣に阿りヨイショしているという姿だった。
その中で、唖然としたのは原発事故で飛び散った放射性物質はそれほど多くなく、今や危険はないのにまだ立ち入りを制限しているのは憲法の定める居住の自由を冒すものだと大声で述べていたことだ。さらに、空間線量と外部被曝線量は異なるから空間線量だけで規制するのは間違っているとも言っていた。放射線のうちベータ線はそれほど危険はないので、内部被曝も問題にしなくていいと主張していた。
さらに除染は無駄な事業だから止めろとまで言っていた。
現憲法を敵視する維新の会が、政府を追及するときに憲法を持ち出すのも滑稽な話だと思ったが、それはまあよい。国会の場で放送で、の中継を意識してだろうが、平然とウソ八百を並べ立てる図々しさだ。維新の会というのはファシストの集団だと思っているし、ファシストは平気でウソをつく。「小さなウソはばれるが大きなウソは皆が信じる」、と言ったのは、ナチスのゲッペルスだったろうか。
取るに足らぬ笑止なことだと思う。ただ、聞いていてカチンときたのは、彼がしきりに「科学的」を連発し、放射能の人体への影響を心配する人々を「反科学」と罵っていたことだ。彼の方こそ非科学的で政治的な思惑で真理を平気で真理を曲げる体質を持っていることは明かなのだが、大声で何度も繰り返すことで自分の主張が正しいものであるかのように印象づけようという意図がありありと見えていた。
とにかく下品な質問者で、あんな議員を千葉県の選挙民が選んだこと自体を恥と思ってもらわなければならないだろう。
2013年3月11日月曜日
最大の被害はなんだろう
上空に寒気が入っている、ということで今朝は-10℃の気温。路面が非常に滑りやすく、車を運転していてタイヤがすっかりすり減ったのではないかと何度も思った。-10℃というのは、この地域ではそれほどの冷え込みではない。冬としてはむしろ暖かい方なのだが、3月中旬という季節を考えると非常に寒く感じるから不思議だ。
今日は、あの地震から2年目ということで様々の行事が催された。ラジオも朝からその話題を多く取り上げていた。この地震は、現世に生きている人が経験したことのない規模であり同様の津波を伴っていたこと、おびただしい映像が撮影されマスコミやインターネットで流れたことなどが従来の災害とは異なる特徴だったろう。
さらに、原子力発電所の事故を引き起こしたのも大きな特徴で、このために被害が拡大・長期化し、まだ続いている。
そして、それに伴って「政府の発表」とか「専門家の見解」がウソと誤魔化しでしかなく、大手マスコミの報道も含めて全く信頼できないかつての「大本営発表」と同じ構図だということがバレてしまった。
政府の発表、権威者の話、大手マスコミの報道がこれほど信頼を失う状況は、かつて日本にあっただろうか。その状況が二年も続き三年目に突入したことになる。この溝は、この先3年や5年では埋まりそうもない。いや、数十年経っても無理のような気がする。
さまざまな被害や被災があるけれど、このことが日本にとって最大の災害かも知れない。
2013年3月1日金曜日
「染まる」とは繊維の隙間に細かな色の粒子が入り込むことだ
「染」という漢字の右上の「九」は、本来「乃」という字だったとのこと。
満開のサクラを”萬朶の桜(ばんだのさくら)”と言うように、「朶」は、萬開の花葉が、重く垂れ下がる形。従って「染」は、植物の花や葉から染色液を作って布を染める、いわゆる、”草木染め”のことだろうと思う。
以上のことは、伊東信夫さんという方の書いた『成り立ちで知る漢字のおもしろ世界動物・植物編』という本に書いてあった。
音読みは「セン」で、訓読みは「そ・める」、「し・みる」。
色がつく、しみこむ、という意味から拡大して影響を受けるという意味にも使われる。
「感染」や「伝染」という語からもそれがわかる。そしてもちろん「汚染」もそこから来ている。
「除染」は染まったものをそこから取り除くのだが、あくまでも「取り除く」だけだ。取り除いてどこかに持って行かなければならない。持って行く場所があるのだろうか。決して「消染」ではないのだ。
取り除いた汚染物の中には放射線源が含まれていて放射線を出し続けている。危険だ。法律で決められている「放射線管理区域」よりもはるかに高い放射線を出しているものもあるらしい。
いかにも簡単そうに「除染」と言っているが、実際には多くの困難がつきまとい、「除染」いうより「隠染」になっているようだ。
そのうえどれだけの費用がかかることになるか、いまだに見通しさえ立っていない。そして東京電力はその費用を原発のコストに入れていない。
こんな状況で原発を再稼働させることがいかに無謀であるか、明白だ。
今、もっとも取り除かなければならない汚れは、ここに至っても原発にしがみつこう、しがみつかせようとする考え方ではないだろうか。
2013年2月21日木曜日
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ
春分の日までほぼ一ヶ月となった。
もう少しで日の出の時刻も5時台になる。
そんな春への流れを堰き止めようとするみたいにこの数日、冷え込みが厳しい。
季節はいつも行きつ戻りつしながら進んでいく
ヒトの歴史もそのようなものであるらしい。
自民党安倍政権は、原発再稼働に向けて着々とレールを敷いている。この政権のタチの悪い所は、徹底的にホンネを隠してソフトな「ソトヅラ」だけを前面に出していること、甘い言葉で国民を釣りあげ、巧みに地獄の淵に誘導しているところだ。
権力者の危険性にいち早く気づいて、国民に危険を知らせる「坑道のカナリア」とも言うべきマスコミもコロリと騙されて提灯を持たされている。
先週末のロシアに落ちた隕石や2年前の巨大な津波だけではなく、この数十年間にわれわれは人間の力ではどうすることもできない圧倒的な自然の力を見せつけられているはずだ。しかし、それでもまだ科学技術は自然のあらゆる脅威よりも勝っているという幻想にしがみついている人間がいる。少なからずいる。特に政治家に多いのか。
どうしても原発を再稼働させたい、再稼働させなければどうにもならない、再稼働させたくてたまらない,と言う人々は、福島の放射能で汚染された地域に行き、除染でもゴミ拾いでも後片付けでも自分の体で体験してみるといい。
いまだに故郷に帰ることができずにいる人々と一週間くらいじっくり語り合ってみるがいい。
それでもなお原子力発電が必要だと考えるのなら、それから再稼働を提案すべきではないだろうか。
季節は行きつ戻りつしながらも確実に進む。
人類はどのようにエネルギーを得るのが正しいか、行きつ戻りつしながらもいつか良き結論を得る時が来ると信じたい。
宮澤賢治先生が書いている。
「風とゆききし 雲からエネルギーをとれ」 (農民芸術概論綱要より)
2013年2月16日土曜日
重層的下請け構造と重層的労働構造
1869年、明治2年、明治政府は 農工商を廃止してすべて平民とした。これを「四民平等」というスローガンで宣伝した。しかし、被差別部落民は残され、華族・士族・平民の新たな呼称によって身分秩序が再編成されたに過ぎない。
それでも、150年近く前から「平等かもしれない」という思想は、すでに存在した。
最近になって逆行が甚だしい。
まず、非正規社員と正規社員との別。
思い立ったかのように「同一労働、同一賃金」などと言われて久しいが、実際にはこんな言葉は絵に描いた餅に過ぎなく、改善の兆しも見えない。
人に対して差別が残っているくらいだから会社と会社の間にはもっと生々しい格差と差別がまかり通っている。
例えば福島第一原発の事故現場がそうだ。
東電は「下請け」という言葉を使うのは避けている。後ろめたさを隠蔽するために違いない。「協力会社」と呼ぶ。姑息きわまりない。呼び方を変えても実態は変わっていないのだから。このことからして欺瞞だ。
下請けの下位へ行くほど危険が増すという構造になっている。そして、利益の配分も下位ほど少ない。
「下請けを使うのはコストを抑制するためだ」と元請けは胸を張る。
翻訳すれば「実際の作業は孫請け、ひ孫請けに行わせ、われわれは手を汚さないでカネだけを得るためだ」となるのだろう。
なんのことはない、それは寄生の構造だ。それは本当は恥ずべきことで、(本当はやってはいけないことなのだが)こっそりと人目を忍んでやることであるはずだ。にもかかわらず堂々と発言してはばからないほど重層的下請け構造および労働構造よる搾取と収奪が現代社会では「悪」とされずに「善」であるかのような社会通念が作られているからだろう。
われわれはまず、こんな社会構造を変えなければならない。
2013年2月11日月曜日
氷の流れ着く浜で 氷の国の歌を聴いた帰路 熱い心も凍りつく薄ら寒さを覚える
ロシアの歌謡曲、と言っても虐げられた人々、「社会」からはじき出された人々の間で歌い継がれてきた歌をロシア語で歌う歌手石橋幸(いしばしみゆき)さんと魔法のようにアコーディオンを弾く後藤ミホコさんによる「私の庭」と題したコンサートが今夜羅臼町で開かれた。
昨年11月にも羅臼で公演して下さったお二人だが思いがけない早い再会となった。
小柄な身体のどこからあれほどの声が出るのかという声量と生き生きとした表情や仕草で言葉の壁を跳び越えて伝わる情感には聴くたびに感心する。
東京でロシア歌謡のライヴが聴ける酒場を経営しているという石橋さんだが、半年も経ずに羅臼に来てくれたのは、親しいお友達がいるかららしい。
東京まで行かなければ聴けない貴重な歌を安価に聴くことができて、ありがたい限りだ。
約2時間にわたって16曲も演奏してくれて、中には「カチューシャ」や「黒い瞳」「百万本のバラ」など日本でもおなじみの曲もあった。しかし、「マダムバンジョー」とか「カラス」「行かないで・・・秋」などというあまり知られていないけれど深い意味を持った歌、深刻な背景を持っている歌、そしてユーモラスで笑ってしまうような歌など多彩なプログラムであった。
ロシアといえば流氷の生まれる国だ。
演奏会が終わって外に出ると東よりの強風で流氷が押し寄せている気配がした。
熱い気持ちで帰路に就いたが、ラジオから流れる関東地方の交通情報を聴いて心が凍りついてしまった。
「常磐自動車道は震災のため○○インターと××インターの間で通行止めです」と言っているのだ。
いつの震災だろう?もう二年も前の震災だ。
思わず「ウソつきやがれ!」と口をついて出た。
なぜ「原発事故のため」と言えない?
都合の悪いことはとにかく隠そう隠そうとする体質が、こんな所にもしみ出している。
何度でも言ってやろう。
常磐自動車道は、放射能汚染地域を通っているから今でも復旧工事ができなくて通行止めなのだ。
2013年1月9日水曜日
オリンピックなんてトンデモナイ
2020年のオリンピックを東京に招致するためのキャンペーンが突然、異常に展開され始めた。
競争相手となる他の2都市よりも有利な条件が揃っているが、国民の支持だけが足りないのだという。そこで、大手のマスコミを総動員して一大キャンペーンを企んだのだ。日本の世論誘導を得意とするマスメディアたちは、あの福島の原発事故隠しで実績を積んだことで「二匹目のドジョウ」を狙ってこのキャンペーンに加担した。
もっとよく考えてみるが良い。
今の日本は、本当にオリンピックなどを開催して浮かれていられる状況だろうか。原発事故以来町全体が避難して30年は帰られないと言っている自治体もある。そして、この事態にどう対応するか、国としての方針がいまだに示されていない。
沖縄では米軍基地に駐留する兵隊による犯罪が後を絶たないのに、解決の道筋が全く示されていない、というより解決する気がないのだろうけれど。
辺野古に新しい基地を作るという方針は、掲げられたままだ。
ゲリマンダーの小選挙区制度によって、支持率3分の1程度の勢力が3分の2の議席を占め、政治を好き勝手に動かそうとしている。
日本には、「臭い物に蓋をする」という言葉がある。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とも言う。
オリンピック開催のムードを煽り、バカ騒ぎを盛り上げ、意味の分からない「感動をありがとう」などとわめき散らし、肝心なことから目を逸らさせる。
そう言えば、第二次世界大戦前、ナチスもベルリンでオリンピックを開催した。東京での開催も画策された。その頃のマスコミも政府考えだけを伝える発表ジャーナリズムに転落していた。
これは、いつか歩んだ墜落への道に違いない。
オリンピックなんかより、米軍基地と原子力発電所を東京に招致してはどうだろう。そうすれば、マスコミの作り出す大嘘に踊らされる人々も目を覚ますのではないだろうか。
2012年12月26日水曜日
保身のために真理をねじ曲げる
先日、職場の忘年会があった。
一次会の会場から二次会の会場まで1キロメートル足らずの道のりを歩いて移動した。雪が降りしきる中をY課長と並んで四方山の話しをしながら歩いた。
それを後ろから見ていた同僚が、「ユーラ(僕のこと)は、まるでマロースのように見えた」と言ってくれた。
「マロース」と言うのは、倉本聰 作の芝居の題名であり、そこに登場する主人公のことでもある。彼は数万のハクチョウを率いてシベリアから渡ってくる「冬の旅団」の旅団長だ。
そこまでおだてられて舞い上がってしまったのは言うまでもない。
だが、この物語は、深刻な内容を扱っている。
記憶を失ったその老人が助けられた森中のコーヒー店「ブナの森」の近くで野鳥が大量死する。その原因をウイルスによるものと断定した行政機関は、野鳥を皆殺しにして焼き払う処置を決める。
しかし、野鳥の大量死の原因は、その場所にかつて大量に投棄された有害物質のためではなかろうかという、全く違った見方が浮上する。
作者の倉本さんは、芝居の中ではこの「原因」について突き詰めてはいないのだが、そうすることでかえって人間の自然に対する思い上がりと身勝手な解釈について告発しているように感じる。
そして、今日、東北電力の東通原発内に活断層がある可能性が高いとする原子力規制委員会の判断が発表された。東北電力は、早速それに反対する「見解」を発表した。
破砕帯が活断層であるかないかは純粋に科学的な問題のはずなのに、利害関係者が必ずそれに反対する。反対するための根拠を集めようとする。
水俣病など過去の公害問題の時とまったく変わっていない対応に失望を覚える。
このような学者がいるから科学への信頼はボロボロに破綻してしまうのだ。
曲学阿世という言葉ある。「世の中に気に入られるように自説を曲げ、信念も気概もなく時流に媚び諂うこと。真理がわかっているのにも関わらず、自分の身の保身に走って真理をねじ曲げること。」という意味だ。
福島の原発で、あれほどの規模の取り返しのつかない事故を起こして間もないのに、あらゆる危険に目をつぶろうとする学者がいて、学者を続けていることが信じられない。
まさに曲学阿世の徒、曲学阿電または曲学阿原、曲学阿資本、曲学阿大企業、曲学阿政のヤカラたちではないか。
一掃されるべきは彼らの方なのである。
2012年11月30日金曜日
「泊原発がなければ冬乗り切れぬ」という記事
今日の産経web版の記事には驚かされた。
こんなことを堂々と書けるものだとあきれた。
以下、引用する
暗闇の登別「泊原発なければ冬乗り切れぬ」 北海道大規模停電ルポ
暴風雪の影響で北海道登別市などの大規模停電被害は29日も続いた。北海道を代表する観光地、登別の温泉街はひっそりと静まりかえり、夜のとばりが降りると信号も消えた街を暗闇が覆った。衆院選を戦う各党に「脱原発」の動きが目立つ中、ひとたび大規模停電に陥れば市民生活が脅かされる現実を見せつけている。(大竹直樹)
「街は死んだような状態だ。町中真っ暗で電話もタクシー無線も通じない。商売あがったりだ」。JR登別駅前で客待ちをしていたタクシー運転手の加藤昭夫さん(65)が嘆く。
夜、小雪が舞う登別温泉街に着くと、観光客の姿はなく、凍(い)てつく強風が土産物店のシャッターを揺らしていた。
営業休止となった老舗旅館「第一滝本(たきもと)館」の上田俊英総支配人(55)は「電気がなければ暖房も使えず、館内放送さえできない。宿泊客の連絡先もパソコンの中で、連絡を取るのも一苦労だ。山奥でラジオも入らず、情報も不足している」と話す。登別観光協会によると、営業休止による被害総額は4億円を超えるという。
避難所となっている同市の施設では、急遽(きゅうきょ)設置された非常用発電機が轟音(ごうおん)を立てていた。28日夜には氷点下5・7度の厳しい冷え込みの中、242人が不安な一夜を過ごした。寝付かれずロビーにいた漁師の丹後武美さん(62)は「自宅にいたが、寒くて耐えられなかった。電気のある生活に慣れていたが、今回ほど電気の必要性を実感したことはない」。
27日に11月の観測史上最大となる瞬間風速39・7メートルの暴風雪に見舞われた都市部の室蘭市では、停電で思わぬ被害もあった。「坂の多い室蘭では、道路の融雪設備が停電で使えなくなり、道が凍り付いた」と室蘭観光協会の仲嶋憲一事務局長(38)は話す。
北海道では泊原発が定期検査に入り、道内の稼働原発はゼロだ。「布団にくるまって寒さをしのぐしかなかった。北海道の冬は泊原発がなければ乗り切れないのでは」。室蘭市のオール電化住宅に住む和田山忠生さん(72)は電気のありがたみを実感していた。(引用以上)
今日、パソコンのニュースを見ていたら、とんでもない見出しが目についた。
「泊原発なければ冬乗り切れぬ」というのだ。
室蘭市や登別市の送電線トラブルによる長期間停電の「北海道大規模停電ルポ」と称して、「ねっ!だから原発は必要ですよね」と書いているのだ。
新聞という公器を使った悪質な世論誘導であり、意図的に事実をねじ曲げ、論点をすり替えて、ひたすら原発再稼働に持って行こうとする意図が丸見えの記事だ。
ここであらためて述べるまでもないが、今回の停電の原因は、発達した低気圧による強風で送電線の鉄塔が倒壊したためだ。原発を何十基動かして電気を作っても、送電線が切れたら電気は泊まる。
たとえ原発が稼働していたとしても今回の停電は避けられなかったわけだ。
むしろ現在のような少数の大規模な発電所から一方的に送電するシステムだったことが原因の一つで、小規模な発電施設を散在させていたなら停電は避けられたかも知れないのだ。
この記事の筆者は、おそらく、そのようなことは百も承知していて、とにかく大規模停電という事件を原発再稼働のチャンスに利用しようとしたのだろう。そうであれば実に悪質きわまりない。
そうではなく、素朴に真剣にこの通りと信じていたのなら、あまりにも知識不足、勉強不足と誹られてもやむを得ないだろう。まさかね。
詐欺!破廉恥!悪意に満ちた誘導記事、という誹りを甘んじて受けなければならない。
2012年11月18日日曜日
甲状腺の危機
前線が通り過ぎて、じわじわと気温が下がってきた。
気圧配置が冬型になってきた。
札幌に来ているのだが帰路の峠は雪になりそうだ。
福島県の子どもに甲状腺癌の疑いのある患者が見つかったと今朝の北海道新聞が報じていた。
原子力発電所から出た放射性物質の中にヨウ素の放射性同位体が多量に含まれていたこと。ヨウ素はチロキシンの材料としてヨウ素は甲状腺に取り込まれる。放射性ヨウ素が甲状腺に集まり、そこで放射線を発するからその近くの細胞が被ばくし、癌化が起きる危険性が高まること。
ここまでは、誰もが知っている事実だ。
それゆえ、福島県に住む子どもたちに甲状腺の検査が行われていることは、よく知られていることだ。
だが、その検査の結果がどうなっているのかあまり知らさていない。
少しだけ発表されてもその内容への信頼性が揺らいでいた。
なぜなら過去の公害事件の例と同様に、支配者は、常に被害を小さく見せようとするから。
大手メディアには、常にそのバイアスが働いていた。今回の原子力発電所の事故も同様だった。今さら具体例を挙げるまでもない。
低線量による内部被曝の影響は、すぐに把握できないことだからこそもっとも隠したい事柄であり、隠しやすいやすい事でもある。
当然、マスコミもなかなか取り上げない。
「癌患者の発生」という隠し通せない事実が浮上して、しぶしぶ報道したという感がある。
チェルノブイリにおける例では、若い人に甲状腺癌の多発が確認されるまで4年かかっているという話もあるから、今回の患者と原子力公害との因果関係は不明だとされている。 その通りかも知れない。
なによりも重要なことは、福島県に住む若い人々の甲状腺の状態への関心をもっと高めることだろう。
さらに報道機関がこの問題をどれほど正確に伝えているかも監視していくことだろう。
2012年10月19日金曜日
北海道における電力会社のウソ そして暖房自立のすすめ
いま、北海道では北海道電力による「電力不足デマゴギー」が盛んに広げられている。 泊町にある原子力発電所が稼働していない状態で初めての冬を迎えるということで、原発再稼働を画策する勢力が張り切って展開している。
北電の予測するピーク時の需要が563万kWで、供給能力が596万kWだから、供給余力は33万kWしかないので、火力発電所などがトラブルに見舞われたら需要が供給を上回ってしまうというのがその言い分だ。
だが、それは小学生でもわかるほどのウソだ。
まず、火力発電が原子力発電よりも故障を起こしやすいという根拠が全く示されていない。「火力発電でトラブルがあったら」といいう仮定を成り立たせるためには、火発の脆弱性(そんなものがあればの話だが)を具体的に示さなければならない。
大幅に譲歩して火力発電がトラブルを起こしやすいものだと仮定しよう。
原発の出力に比べて火力発電の出力ははるかに小さい。そのために火力発電所はあちこちに建設させれ、数で勝負している。たとえトラブルが起きても影響は小さく抑えられる。リスク分散されていることになるからだ。
さらに、トラブルからの復旧時間を比べててもいい。原発が深刻なトラブルを起こせば何ヶ月にも、時には一年以上も運転できないだろう。
次に、電気の使い途はどうだろう。
現段階で町の広告や「ホワイトイルミネーション」などという飾り立てることに浪費される電力は相当な量に及ぶのではないだろうか。
使い途を吟味しないで、いきなり
「冬の北海道で電気が停まれば生命に関わる」と断定するのは乱暴すぎる。
さらに、暖房に電気を用いることそのものへの疑問を拭いきれない。
暖房は、可能な限りペチカや薪ストーブにすればいい。これらの暖房器具を設置する人に補助金を出すなどして普及を図ればよい。
わが家でも、薪ストーブと芯で燃焼させる石油ストーブを用意していて、停電が何時間続いても、暖房については何の心配もない。
暖房のために原発を稼働させるのではなく、道民一人一人が暖房についての停電対策をたてればそれで済むことなのである。
だいたい、僕の住んでいる地域は吹雪のために停電することは、普通にあることなのだ。
停電なんて怖くない。
いや、ほとんどの人にとって、停電よりも放射能の方がはるかに怖いではないか。
2012年9月11日火曜日
科学の凋落を嘆く
福島県内の子どもが甲状腺癌を発症したという報道があった。
福島医大放射線科の見解では、放射能の影響であるとは考えにくいとのことだった。
その理由は、放射線による被曝の影響があるとすれば4年後以降になると考えられるからなのだそうだ。
それは、そうなのかも知れない。
その見解自体は正しいとしても、問題は、もはや多くの国民が、そのような説明を全く信じられなくなっているという事実なのだ。
不信感と疑惑が渦巻いている事実。
言葉の正しい意味における科学の権威が地に落ちてしまっているという事実が、目の前に突き付けられている。
今回の甲状腺癌に関するニュースでも同様だ。癌患者が発生したことは事実なのだ。即座に原発事故が原因ではない、と発表する。こんな態度だから、多くの国民は、逆に怪しむばかりだ。
科学は人類が何世代にもわたって切り拓いた知と技の精である。純粋な真理への好奇心から多くの犠牲も払いながら蓄積されてきた財産である。
一部の政治家、拝金主義者、不道徳な野心家によってその地位が貶められていることが悲しい。
福島医大放射線科の見解では、放射能の影響であるとは考えにくいとのことだった。
その理由は、放射線による被曝の影響があるとすれば4年後以降になると考えられるからなのだそうだ。
それは、そうなのかも知れない。
その見解自体は正しいとしても、問題は、もはや多くの国民が、そのような説明を全く信じられなくなっているという事実なのだ。
不信感と疑惑が渦巻いている事実。
言葉の正しい意味における科学の権威が地に落ちてしまっているという事実が、目の前に突き付けられている。
今回の甲状腺癌に関するニュースでも同様だ。癌患者が発生したことは事実なのだ。即座に原発事故が原因ではない、と発表する。こんな態度だから、多くの国民は、逆に怪しむばかりだ。
科学は人類が何世代にもわたって切り拓いた知と技の精である。純粋な真理への好奇心から多くの犠牲も払いながら蓄積されてきた財産である。
一部の政治家、拝金主義者、不道徳な野心家によってその地位が貶められていることが悲しい。
2012年8月13日月曜日
「パンとサーカス」=「電気とオリンピック」
オリンピックが終わった。
正直なところホッとしている。
新聞も、TVもオリンピックのニュース一色に塗りつぶされた観があり、その陰に隠れて、金持ちや大企業を優遇し社会保障を切り捨てる、消費税の引き上げが一段と進んだ。 野田内閣は、迷走しちぐはぐなことをしているのだが、子どもにでもわかるはずのことにまだ多くの人が気づいていない。
オリンピック惚けだ。
たとえば、前総理大臣の時に民主党は「脱原発依存」を決めた。
そう決めたはずの民主党政府が、いまさら、2030年代のエネルギー政策をどうするかパブリックコメントを募集し、それを精査するというのは、どういうつもりだろう?
あわよくば「脱・脱原発依存」を目指し始めたということではないだろうか。
8月6日の「原発ゼロになった場合のエネルギー需給状況の精査」を首相が指示したというのも同様だ。
一部原発推進論者の中から「エネルギー政策を今決めるべきでない」という発言もある。
「今は福島の事故直後で国民が感情的になっているから、冷静さを取り戻してから決めるのが良かろう」という趣旨の発言だ。
「冷静さを取り戻して」というのは、つまるところ「反対論の熱が冷めてから」という意味に他ならず、なんとしても原発を推進しようという執念から出た意見以外の何物でもない。
「ニッポン!ニッポン!」と絶叫している間に、この種の悪意の包囲網が着実に用意されていくのだ。
スポーツは、悪いものとは思わない。重要な文化の一つだ。
だが、極論すれば勝つか負けるかというのは、最終的にはその競技に向けて努力してきた当事者の問題だということになる。
観る側に贔屓の選手やチームがあっても良いが、それはあくまでも観る側の個人的な判断と選択によるもので、周りか強制されるものではない。日本人だから誰もが日本を応援するとは限らないだろう。
マスメディアが社会の公器として、日本への応援を強調するのは、自重すべきだ。
勝敗に固執し、スポーツへの興味をその一点に矮小化することで、娯楽性を増幅し、市民を政治的盲目の状態に陥れ、その陰で悪意に満ちた策動をする、というのはローマ帝国の時代から行われていた世論操作の手法だ。
ローマ時代の詩人ユウェナリスは、古代ローマ帝国の世相を「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを詩篇の中で揶揄した。
これは、今の日本にも当てはまるのではないか。
現代風に言い直せば「電気とオリンピック」かも知れない。
これだけ「進歩」した社会の住民たる現代人は、もう少し頭を冷やすことはできないのだろうか。
正直なところホッとしている。
新聞も、TVもオリンピックのニュース一色に塗りつぶされた観があり、その陰に隠れて、金持ちや大企業を優遇し社会保障を切り捨てる、消費税の引き上げが一段と進んだ。 野田内閣は、迷走しちぐはぐなことをしているのだが、子どもにでもわかるはずのことにまだ多くの人が気づいていない。
オリンピック惚けだ。
たとえば、前総理大臣の時に民主党は「脱原発依存」を決めた。
そう決めたはずの民主党政府が、いまさら、2030年代のエネルギー政策をどうするかパブリックコメントを募集し、それを精査するというのは、どういうつもりだろう?
あわよくば「脱・脱原発依存」を目指し始めたということではないだろうか。
8月6日の「原発ゼロになった場合のエネルギー需給状況の精査」を首相が指示したというのも同様だ。
一部原発推進論者の中から「エネルギー政策を今決めるべきでない」という発言もある。
「今は福島の事故直後で国民が感情的になっているから、冷静さを取り戻してから決めるのが良かろう」という趣旨の発言だ。
「冷静さを取り戻して」というのは、つまるところ「反対論の熱が冷めてから」という意味に他ならず、なんとしても原発を推進しようという執念から出た意見以外の何物でもない。
「ニッポン!ニッポン!」と絶叫している間に、この種の悪意の包囲網が着実に用意されていくのだ。
スポーツは、悪いものとは思わない。重要な文化の一つだ。
だが、極論すれば勝つか負けるかというのは、最終的にはその競技に向けて努力してきた当事者の問題だということになる。
観る側に贔屓の選手やチームがあっても良いが、それはあくまでも観る側の個人的な判断と選択によるもので、周りか強制されるものではない。日本人だから誰もが日本を応援するとは限らないだろう。
マスメディアが社会の公器として、日本への応援を強調するのは、自重すべきだ。
勝敗に固執し、スポーツへの興味をその一点に矮小化することで、娯楽性を増幅し、市民を政治的盲目の状態に陥れ、その陰で悪意に満ちた策動をする、というのはローマ帝国の時代から行われていた世論操作の手法だ。
ローマ時代の詩人ユウェナリスは、古代ローマ帝国の世相を「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを詩篇の中で揶揄した。
これは、今の日本にも当てはまるのではないか。
現代風に言い直せば「電気とオリンピック」かも知れない。
これだけ「進歩」した社会の住民たる現代人は、もう少し頭を冷やすことはできないのだろうか。
2012年8月12日日曜日
霧のかなたの流星群
今日は、いつもはあまり利用しない、旭川→層雲峡→北見→美幌峠→別海というコースで帰って来た。
別に用事があったからではなく、あくまでも気分がそういう選択をさせたのだが。
美幌峠は非常に濃い霧に覆われており、速度を40~50km/hに制限して走った。
根釧原野に入っても、霧はすっきりと晴れることなく、空を見上げても星は見えない。 今、ペルセウス座流星群の時期だというのに、どうにも焦れったい。
流れ星は、どうして人を惹きつけるのだろう。
天空に張り付けられたようにその位置を変えない星たちの間をツーッと音もなく流れて消える様子がダイナミックだし、「静」であるはずの星が突然「動」に変じるようで、その対比が面白いからだろうか。さらに、普段はなかなか見る機会が少ないので、珍しさも加わって魅力的に感じるのだろうか。
そのせいか、流れ星に関する言い伝えは多い。
願い事を唱えれば叶うというのは、誰でも知っている。
源流は、神が下界の様子を眺めるために時々、天界の扉を開ける。その時に扉から漏れた光が流れ星だというキリスト教の言い伝えから、流れ星が流れている間に願い事を唱えれば神に声が届いて、願い事がかなうと言われるようになった、という話を何かで読んだことがある。
また、人の死の予兆という見方も広くあるようで、一晩に三度流れ星を見ると身内に不幸が訪れるという言い伝えもあるらしい。人の死と結びつける考えは、世界中のあちこちにあるようだ。
どこの国のどんな民族でも、似たような感想を持つところが面白い。
詩人の草野心平さんが、既に亡くなった文学関係の人々について書いた文を一冊の本にまとめ、「私の中の流星群-死者への言葉」という本を出した。1975年
宮澤賢治、八木重吉、山村暮鳥、高村光太郎、北原白秋、中原中也など40人以上の文学者との間で交わされた書簡や交流の思い出などが書かれている。
また、草野と同様詩人だった兄の天平さんや弟の民平さんの思い出も書かれている。
この本の出版後1988年には、心平さん自身も亡くなった。
自分という意識の持続している間に出会って交流し、自分より先に生を全うした人々を「流星群」と呼んだその感性は、さすがだなあと思った。
そして、草野さん自身も多くの人の心に明るく輝く流れ星としての光跡を刻んだというわけだ。
明るく輝くか、暗くひっそり流れるかの別はあっても、人はみな、互いの心のスクリーンに「流れ星」として映るのだろう。
自分のスクリーンができるだけたくさんの流れ星が通り過ぎる一生であれば良いと願う。
草野心平さんは福島県の出身だ。旧上小川村、現在のいわき市小川町で生まれた。
いわき市内は、生家が保存・公開されていて、草野心平記念文学館もある。
福島第一原発の事故で、いわき市小川町はかなりの被害を受けている。
草野心平さんという偉大な詩人も少なからずその被害を受けているだろう。
原子力発電所の事故によって、文学までもが影響を受けているとすれば、許されることではない。
別に用事があったからではなく、あくまでも気分がそういう選択をさせたのだが。
美幌峠は非常に濃い霧に覆われており、速度を40~50km/hに制限して走った。
根釧原野に入っても、霧はすっきりと晴れることなく、空を見上げても星は見えない。 今、ペルセウス座流星群の時期だというのに、どうにも焦れったい。
流れ星は、どうして人を惹きつけるのだろう。
天空に張り付けられたようにその位置を変えない星たちの間をツーッと音もなく流れて消える様子がダイナミックだし、「静」であるはずの星が突然「動」に変じるようで、その対比が面白いからだろうか。さらに、普段はなかなか見る機会が少ないので、珍しさも加わって魅力的に感じるのだろうか。
そのせいか、流れ星に関する言い伝えは多い。
願い事を唱えれば叶うというのは、誰でも知っている。
源流は、神が下界の様子を眺めるために時々、天界の扉を開ける。その時に扉から漏れた光が流れ星だというキリスト教の言い伝えから、流れ星が流れている間に願い事を唱えれば神に声が届いて、願い事がかなうと言われるようになった、という話を何かで読んだことがある。
また、人の死の予兆という見方も広くあるようで、一晩に三度流れ星を見ると身内に不幸が訪れるという言い伝えもあるらしい。人の死と結びつける考えは、世界中のあちこちにあるようだ。
どこの国のどんな民族でも、似たような感想を持つところが面白い。
詩人の草野心平さんが、既に亡くなった文学関係の人々について書いた文を一冊の本にまとめ、「私の中の流星群-死者への言葉」という本を出した。1975年
宮澤賢治、八木重吉、山村暮鳥、高村光太郎、北原白秋、中原中也など40人以上の文学者との間で交わされた書簡や交流の思い出などが書かれている。
また、草野と同様詩人だった兄の天平さんや弟の民平さんの思い出も書かれている。
この本の出版後1988年には、心平さん自身も亡くなった。
自分という意識の持続している間に出会って交流し、自分より先に生を全うした人々を「流星群」と呼んだその感性は、さすがだなあと思った。
そして、草野さん自身も多くの人の心に明るく輝く流れ星としての光跡を刻んだというわけだ。
明るく輝くか、暗くひっそり流れるかの別はあっても、人はみな、互いの心のスクリーンに「流れ星」として映るのだろう。
自分のスクリーンができるだけたくさんの流れ星が通り過ぎる一生であれば良いと願う。
草野心平さんは福島県の出身だ。旧上小川村、現在のいわき市小川町で生まれた。
いわき市内は、生家が保存・公開されていて、草野心平記念文学館もある。
福島第一原発の事故で、いわき市小川町はかなりの被害を受けている。
草野心平さんという偉大な詩人も少なからずその被害を受けているだろう。
原子力発電所の事故によって、文学までもが影響を受けているとすれば、許されることではない。
2012年8月2日木曜日
開会式の怪 その2
「開会式の怪」というタイトルを見て、「ああ、アレだな」と思った方は多いのではないだろうか。
ロンドンオリンピック開会式で、日本選手団だけが、セレモニーに参加することなく入場行進後、そのまま会場外へ誘導されてしまったという件である。
昨日は、それをはぐらかそうとした訳ではない。
その問題も意識の中にはあったのだが、自分の中でも考え(見解)がまとまらず、曖昧なままで取り上げることが躊躇われたのだ。
それで、タイトルには挙げてみたものの、この問題に触れずに終わってしまったのである。
この、「場外への誘導」は、YOUTUBEにも上がっているので、一部の人々の間では広く知られている事実だ。
異様な感じする風景だった。
さらに、異様だったのは、この事実を日本のマスコミがほとんど取り上げなかったことだ。僕の知る限り、TBSが今日(2日)の朝の報道番組でほんの少し取り上げた。
その中で報じられた「原因」は「誘導係のミスだった」という一言だけだった。
また、日本選手団の意向で、試合を控えた選手を深夜にまでおよぶ開会式に出席させないで体調管理に徹した、という「説明」も2ch情報として流れていた。
さらに、IOCの中に、放射能によって汚染されている日本選手を他の選手と同席させることへの抵抗がある委員がいて、この措置がとられた、という「解釈」もツイッターなどを中心に流れている。
要するに今のところ真実はわからないが、今のところ三つの異なる解釈が流れている。
いずれにしても国を代表する選手団が、入場行進をして開会式の式場に入る。開催国のメッセージや 聖火の点火などさまざまの式次第に参加することなく、さっさと出口から退場し宿舎に 戻ってしまうという異様さについて、納得のいく説明をしてもらいたいと思う。
① この原因が誘導ミスだとしたら、それに気づいた時点で再入場させるなどの措置をと ることが出来たのではないだろうか。
なぜ、それができなかったのか。
② 「選手団の意向」というのは、もっとも説得力がありそうに思うが、今朝のTBSの 報道とは異なっている。
また、「そこまでして勝ちにこだわるのか」という批判的な意見も寄せられている。③ 周囲から放射能汚染を危惧されて、というはあまり考えられないようにも感じた。 日本から行っているのは選手だけではないし、汚染されているのはヒトではなく、日本 の国土なのだから、それを混同した受け止め方が一般に通用しているとは思えないのだ。
昨日から、このことが気になって、考えていたのだが、今日になって、ツイッター上に以下のような書き込みを見つけた。一部を( )で補足し原文のまま転載しよう。
「野田(首相)が出発前に選手たちにお守りとして福島の瓦礫製のバッジを。ヒースロー空港を通過したが、IOCが問題視。開会式の入場で英BBCらはこの事実を生放送。NHKは急遽その場で無言で放送。300人の日本選手は一周した後に誘導されて会場外へ。JOCはこの事実を認めず『選手らが間違って外へ』(と強弁した)」
どうだろう?
所詮インターネット上で交わされる噂、と言ってしまえばそれまでだ。
だが、何らかの理由で、日本選手団が開会式に出席しないで、入場行進からそのまま退場したことは事実だ。
そして、それについて、何の説明もされず、マスメディアも黙殺しているのも事実だ。
去年、原発の大事故を起こし、それについて情報の開示を渋り、いまだに放射能の危険性を小さく見せようとする政府やそれに協力する大手マスメディアへの信頼がすっかり失われている。それが原因で、様々の憶測やウワサが飛び交っているのが、現在の日本の状況なのである。
嘆かわしいことだし、大変不安なことでもある。
日本社会の機能は、このようにして次々に失われつつあるのだろうか。
ロンドンオリンピック開会式で、日本選手団だけが、セレモニーに参加することなく入場行進後、そのまま会場外へ誘導されてしまったという件である。
昨日は、それをはぐらかそうとした訳ではない。
その問題も意識の中にはあったのだが、自分の中でも考え(見解)がまとまらず、曖昧なままで取り上げることが躊躇われたのだ。
それで、タイトルには挙げてみたものの、この問題に触れずに終わってしまったのである。
この、「場外への誘導」は、YOUTUBEにも上がっているので、一部の人々の間では広く知られている事実だ。
異様な感じする風景だった。
さらに、異様だったのは、この事実を日本のマスコミがほとんど取り上げなかったことだ。僕の知る限り、TBSが今日(2日)の朝の報道番組でほんの少し取り上げた。
その中で報じられた「原因」は「誘導係のミスだった」という一言だけだった。
また、日本選手団の意向で、試合を控えた選手を深夜にまでおよぶ開会式に出席させないで体調管理に徹した、という「説明」も2ch情報として流れていた。
さらに、IOCの中に、放射能によって汚染されている日本選手を他の選手と同席させることへの抵抗がある委員がいて、この措置がとられた、という「解釈」もツイッターなどを中心に流れている。
要するに今のところ真実はわからないが、今のところ三つの異なる解釈が流れている。
いずれにしても国を代表する選手団が、入場行進をして開会式の式場に入る。開催国のメッセージや 聖火の点火などさまざまの式次第に参加することなく、さっさと出口から退場し宿舎に 戻ってしまうという異様さについて、納得のいく説明をしてもらいたいと思う。
① この原因が誘導ミスだとしたら、それに気づいた時点で再入場させるなどの措置をと ることが出来たのではないだろうか。
なぜ、それができなかったのか。
② 「選手団の意向」というのは、もっとも説得力がありそうに思うが、今朝のTBSの 報道とは異なっている。
また、「そこまでして勝ちにこだわるのか」という批判的な意見も寄せられている。③ 周囲から放射能汚染を危惧されて、というはあまり考えられないようにも感じた。 日本から行っているのは選手だけではないし、汚染されているのはヒトではなく、日本 の国土なのだから、それを混同した受け止め方が一般に通用しているとは思えないのだ。
昨日から、このことが気になって、考えていたのだが、今日になって、ツイッター上に以下のような書き込みを見つけた。一部を( )で補足し原文のまま転載しよう。
「野田(首相)が出発前に選手たちにお守りとして福島の瓦礫製のバッジを。ヒースロー空港を通過したが、IOCが問題視。開会式の入場で英BBCらはこの事実を生放送。NHKは急遽その場で無言で放送。300人の日本選手は一周した後に誘導されて会場外へ。JOCはこの事実を認めず『選手らが間違って外へ』(と強弁した)」
どうだろう?
所詮インターネット上で交わされる噂、と言ってしまえばそれまでだ。
だが、何らかの理由で、日本選手団が開会式に出席しないで、入場行進からそのまま退場したことは事実だ。
そして、それについて、何の説明もされず、マスメディアも黙殺しているのも事実だ。
去年、原発の大事故を起こし、それについて情報の開示を渋り、いまだに放射能の危険性を小さく見せようとする政府やそれに協力する大手マスメディアへの信頼がすっかり失われている。それが原因で、様々の憶測やウワサが飛び交っているのが、現在の日本の状況なのである。
嘆かわしいことだし、大変不安なことでもある。
日本社会の機能は、このようにして次々に失われつつあるのだろうか。
2012年7月22日日曜日
昼下がりのありふれた地震から
午後1時42分ごろ、地震があった。震央は十勝地方南部。震源の深さは50キロ。マグニチュード5.1の規模で、十勝管内浦幌町で震度4を記録した。
イスに座っていたら、始めに携帯電話の緊急速報が鳴り、続いて微動が起きた。震度1程度だった。その数十秒後、大きな(と言っても震度2~3程度だが)揺れがやや長めに続いた。典型的なP波とS波に分かれて到達した地震波だった。
昨日、そこそこのエネルギーを使って、本棚の本を整理したので、「そろそそ大きな地震が来るかな」と心配していたが、それほどの規模にはならなかったので、一安心。
それでも、全国のあちらこちらで、中規模の地震がひっきりなしに起きているので、いつ、何があってもおかしくない。
心構えだけは、しっかり持っておきたい。
おそらく、日本列島で暮らす人の大部分は、今、同じように感じているだろう。まったく頓着していないのは、財界と政府、日本政府だけだ。この状況を考えたら原発の再稼働など危険すぎて出来るはずがない。
ネコが通りすぎのを待って、コソコソと動き始めるネズミのように卑怯で姑息で愚かな政治家たちである。
イスに座っていたら、始めに携帯電話の緊急速報が鳴り、続いて微動が起きた。震度1程度だった。その数十秒後、大きな(と言っても震度2~3程度だが)揺れがやや長めに続いた。典型的なP波とS波に分かれて到達した地震波だった。
昨日、そこそこのエネルギーを使って、本棚の本を整理したので、「そろそそ大きな地震が来るかな」と心配していたが、それほどの規模にはならなかったので、一安心。
それでも、全国のあちらこちらで、中規模の地震がひっきりなしに起きているので、いつ、何があってもおかしくない。
心構えだけは、しっかり持っておきたい。
おそらく、日本列島で暮らす人の大部分は、今、同じように感じているだろう。まったく頓着していないのは、財界と政府、日本政府だけだ。この状況を考えたら原発の再稼働など危険すぎて出来るはずがない。
ネコが通りすぎのを待って、コソコソと動き始めるネズミのように卑怯で姑息で愚かな政治家たちである。
2012年7月21日土曜日
ウソツキを生産するシステム
福島第一原発での作業員の被曝線量偽装工作について、今日、一斉に報道された。当事者である東電の下請け会社に批判が集中するのは当然だろう。
その行為は、未必の故意による殺人未遂だとさえ思われる。
だが、一方で、このニュースに接した時、「やっぱりな」とも感じた。このような行為は、ずっと以前からどこかで行われていたのではないか、という疑いを否定しきれない。
たとえば普段、道路を走っている車の何パーセントが制限速度や法定速度を守っているだろう。そして速度違反取り締まりが行われている区間だけ、皆が厳格に法を守って運転する。
海の上でも制限されている漁獲量を超えた違法な操業がしばしば摘発されている。
大相撲の新弟子検査やボクシングの計量でも、「検査の瞬間」に合わせて増量や減量をする話はよく聞く。
いつの間にか、われわれは、規制の趣旨や目的を忘れ、目の前にある「検査の瞬間」さえ通り過ぎれば良い、という発想に取り憑かれるのではないだろうか。検査をパスすることが最大の目的になってしまうということだ。
人間は、そのような誤りを犯しやすい。まして会社の儲けや作業員の収入が左右されるとなると、なんとか誤魔化して他者より余計に稼ぎたいという誘惑に駆られるのだろう。 だから、原発は、このような偽装や欺瞞を生み出すシステムでもある。
今回の問題で、当事者の会社や役員を責めるだけでは不十分だろう。また、被曝線量の測定方法を工夫するなどの小細工では解決しないと思う。
この犯罪を生み出した構造や原発というシステムそのものを見直さなければ、どうにもならない。
その行為は、未必の故意による殺人未遂だとさえ思われる。
だが、一方で、このニュースに接した時、「やっぱりな」とも感じた。このような行為は、ずっと以前からどこかで行われていたのではないか、という疑いを否定しきれない。
たとえば普段、道路を走っている車の何パーセントが制限速度や法定速度を守っているだろう。そして速度違反取り締まりが行われている区間だけ、皆が厳格に法を守って運転する。
海の上でも制限されている漁獲量を超えた違法な操業がしばしば摘発されている。
大相撲の新弟子検査やボクシングの計量でも、「検査の瞬間」に合わせて増量や減量をする話はよく聞く。
いつの間にか、われわれは、規制の趣旨や目的を忘れ、目の前にある「検査の瞬間」さえ通り過ぎれば良い、という発想に取り憑かれるのではないだろうか。検査をパスすることが最大の目的になってしまうということだ。
人間は、そのような誤りを犯しやすい。まして会社の儲けや作業員の収入が左右されるとなると、なんとか誤魔化して他者より余計に稼ぎたいという誘惑に駆られるのだろう。 だから、原発は、このような偽装や欺瞞を生み出すシステムでもある。
今回の問題で、当事者の会社や役員を責めるだけでは不十分だろう。また、被曝線量の測定方法を工夫するなどの小細工では解決しないと思う。
この犯罪を生み出した構造や原発というシステムそのものを見直さなければ、どうにもならない。
2012年7月20日金曜日
内部被曝のことを考えていた
昨日に続き、オホーツク海の高気圧が吐く息で、春先のような寒さになった。今朝の気温は13℃だった。
原発事故について、今後のエネルギーのあり方をどうするか、ということに関心が集まり、盛んに論議されている。再稼働反対や脱原発を訴えるデモや集会も盛んだ。
それは、大事なことに違いない。
その一方、見落とされがちだが、内部被曝(低線量被曝)がどれほどの危険性をはらむか、という議論も行われている。
この問題は、事故直後、枝野官房長官(当時)が繰り返し強調していた通り、「直ちに影響のでる」問題ではないので、論じること自体に、ある種の難しさを伴っているようだ。
人の身体の中は、たくさんの物質が多様な化学反応を連鎖させながら、一時も止まることなく動き続けている壮大な化学反応系だ。そこは、海の中や森の中と同じような物質が絶えず流れている生態系と同じようなものだと考えて良いだろう。
気象現象や地殻の運動と同じような複雑系である。
そのような中で放射性物質がどのように振る舞い、どんな影響を与えるか、未知の部分も大きい。未知の部分を探るために、過去の経験を統計的に処理した疫学的な手法を用いるのが常だが、放射線の影響について、人類が蓄積している経験はあまりに少ない。
だが、過去の多くの公害による疾病では、常にこのような方法による予測を超えて、様々な障害や疾病が顕れているという。
そのため、低線量被曝への評価は、十分に悲観的に行うべきではないだろうか。
こう考えてくると、現在、日本の政府や学界の大部分は、福島で起きている事態について、あまりにも楽観的過ぎるように思う。
あの原発事故を契機に、被曝医療に携わる専門家を大量に養成したり、放射性物質を分析する施設を郵便局くらいの密度で配置したり、とにかく日本の国の有りようを根本から変えて、「原発事故を起こしたけれど、国民の命と健康は、これ以上危険に曝さない」という意志が感じられるようにしなければならないだろう。
上辺だけ「絆」を叫んでも「食べて応援」と言いながら自分や家族には、安全なものを選り分けて食べさせていたりするような態度では、国は決して良くならないだろう。
まして、再稼働などもってのほかである。
原発事故について、今後のエネルギーのあり方をどうするか、ということに関心が集まり、盛んに論議されている。再稼働反対や脱原発を訴えるデモや集会も盛んだ。
それは、大事なことに違いない。
その一方、見落とされがちだが、内部被曝(低線量被曝)がどれほどの危険性をはらむか、という議論も行われている。
この問題は、事故直後、枝野官房長官(当時)が繰り返し強調していた通り、「直ちに影響のでる」問題ではないので、論じること自体に、ある種の難しさを伴っているようだ。
人の身体の中は、たくさんの物質が多様な化学反応を連鎖させながら、一時も止まることなく動き続けている壮大な化学反応系だ。そこは、海の中や森の中と同じような物質が絶えず流れている生態系と同じようなものだと考えて良いだろう。
気象現象や地殻の運動と同じような複雑系である。
そのような中で放射性物質がどのように振る舞い、どんな影響を与えるか、未知の部分も大きい。未知の部分を探るために、過去の経験を統計的に処理した疫学的な手法を用いるのが常だが、放射線の影響について、人類が蓄積している経験はあまりに少ない。
だが、過去の多くの公害による疾病では、常にこのような方法による予測を超えて、様々な障害や疾病が顕れているという。
そのため、低線量被曝への評価は、十分に悲観的に行うべきではないだろうか。
こう考えてくると、現在、日本の政府や学界の大部分は、福島で起きている事態について、あまりにも楽観的過ぎるように思う。
あの原発事故を契機に、被曝医療に携わる専門家を大量に養成したり、放射性物質を分析する施設を郵便局くらいの密度で配置したり、とにかく日本の国の有りようを根本から変えて、「原発事故を起こしたけれど、国民の命と健康は、これ以上危険に曝さない」という意志が感じられるようにしなければならないだろう。
上辺だけ「絆」を叫んでも「食べて応援」と言いながら自分や家族には、安全なものを選り分けて食べさせていたりするような態度では、国は決して良くならないだろう。
まして、再稼働などもってのほかである。
2012年7月18日水曜日
幌延直下で地震頻発
一瞬の夏が過ぎてゆく。
根釧原野では、夏とは春の後ろ姿に他ならない。
朝、エゾニウの花にカミキリムシが来ていた。
そして、ホザキシモツケも咲き始めた。
このところ、北海道の宗谷地方南部と上川地方北部で地震が頻発している。
15日の夜半頃から始まり、M4クラス、最大震度4の地震が4回起きている。
この震源域は、核廃棄物貯蔵施設が作られようとしている幌延町の真下だ。
この地域では、今まで大きな地震がなく、「比較的安定した地盤」とされていた。そのために貯蔵施設の建設が検討され、強い反対の声に押されて、「高レベル放射性廃棄物貯蔵」という冠を隠して、「深地層研究計画地下研究施設」という名称で作られている。いくら名称を誤魔化しても、その事業者は日本原子力研究開発機構なのだ。
なんと姑息なことだろう。なるべく国民に知らせないようにコトを進めようとする原子力行政の体質がここにも、にじみ出ている。
ちなみに事業費は、第二期の整備費用だけで23,556,653,113円(税込)工期は平成30年度までである。
今回の地震は、この足元で起きた。
安定だと思われていた場所で地震が頻発するようになったのだ。ここに放射性廃棄物を貯蔵など狂気の沙汰であることが明白になった。
半減期2万4000年も物質をここで貯蔵したとして、この先、2万4000年間、この地域で地震が起きないと誰が保証できるだろう。
もっとも、日本列島のどこをとっても「安定した地盤」などあるはずがないのだが。
原子力政策の誤りを素直に認め、原子炉をこれ以上稼働させないようにし、幌延での貯蔵計画が無謀であることをただちに認めるべきだ。
「補助金」に尾を振ってすりよっている幌延町長や北海道知事たちは、今すぐ、この問題に対する態度を明らかにする責任がある。
もう、破滅は始まっているかも知れないが、これ以上進むことを断念すべき時であることは明白だ。
根釧原野では、夏とは春の後ろ姿に他ならない。
朝、エゾニウの花にカミキリムシが来ていた。
そして、ホザキシモツケも咲き始めた。
このところ、北海道の宗谷地方南部と上川地方北部で地震が頻発している。
15日の夜半頃から始まり、M4クラス、最大震度4の地震が4回起きている。
この震源域は、核廃棄物貯蔵施設が作られようとしている幌延町の真下だ。
この地域では、今まで大きな地震がなく、「比較的安定した地盤」とされていた。そのために貯蔵施設の建設が検討され、強い反対の声に押されて、「高レベル放射性廃棄物貯蔵」という冠を隠して、「深地層研究計画地下研究施設」という名称で作られている。いくら名称を誤魔化しても、その事業者は日本原子力研究開発機構なのだ。
なんと姑息なことだろう。なるべく国民に知らせないようにコトを進めようとする原子力行政の体質がここにも、にじみ出ている。
ちなみに事業費は、第二期の整備費用だけで23,556,653,113円(税込)工期は平成30年度までである。
今回の地震は、この足元で起きた。
安定だと思われていた場所で地震が頻発するようになったのだ。ここに放射性廃棄物を貯蔵など狂気の沙汰であることが明白になった。
半減期2万4000年も物質をここで貯蔵したとして、この先、2万4000年間、この地域で地震が起きないと誰が保証できるだろう。
もっとも、日本列島のどこをとっても「安定した地盤」などあるはずがないのだが。
原子力政策の誤りを素直に認め、原子炉をこれ以上稼働させないようにし、幌延での貯蔵計画が無謀であることをただちに認めるべきだ。
「補助金」に尾を振ってすりよっている幌延町長や北海道知事たちは、今すぐ、この問題に対する態度を明らかにする責任がある。
もう、破滅は始まっているかも知れないが、これ以上進むことを断念すべき時であることは明白だ。
登録:
投稿 (Atom)