2013年2月16日土曜日
重層的下請け構造と重層的労働構造
1869年、明治2年、明治政府は 農工商を廃止してすべて平民とした。これを「四民平等」というスローガンで宣伝した。しかし、被差別部落民は残され、華族・士族・平民の新たな呼称によって身分秩序が再編成されたに過ぎない。
それでも、150年近く前から「平等かもしれない」という思想は、すでに存在した。
最近になって逆行が甚だしい。
まず、非正規社員と正規社員との別。
思い立ったかのように「同一労働、同一賃金」などと言われて久しいが、実際にはこんな言葉は絵に描いた餅に過ぎなく、改善の兆しも見えない。
人に対して差別が残っているくらいだから会社と会社の間にはもっと生々しい格差と差別がまかり通っている。
例えば福島第一原発の事故現場がそうだ。
東電は「下請け」という言葉を使うのは避けている。後ろめたさを隠蔽するために違いない。「協力会社」と呼ぶ。姑息きわまりない。呼び方を変えても実態は変わっていないのだから。このことからして欺瞞だ。
下請けの下位へ行くほど危険が増すという構造になっている。そして、利益の配分も下位ほど少ない。
「下請けを使うのはコストを抑制するためだ」と元請けは胸を張る。
翻訳すれば「実際の作業は孫請け、ひ孫請けに行わせ、われわれは手を汚さないでカネだけを得るためだ」となるのだろう。
なんのことはない、それは寄生の構造だ。それは本当は恥ずべきことで、(本当はやってはいけないことなのだが)こっそりと人目を忍んでやることであるはずだ。にもかかわらず堂々と発言してはばからないほど重層的下請け構造および労働構造よる搾取と収奪が現代社会では「悪」とされずに「善」であるかのような社会通念が作られているからだろう。
われわれはまず、こんな社会構造を変えなければならない。
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