2013年2月4日月曜日
暗イウチハ、マダ滅亡セヌ
今日は父の医療費に関する手続きのために札幌市中央区まででかけた。札幌駅から駅前通の地下歩行空間を北1条まで歩いた。
地下歩道は、まだ完成してそれほど経っていないから近代的、都会的で洗練された内装だ。全体的になんとなく垢抜けている感じがする。ヨーロッパの地下鉄のコンコースを歩いているのかと勘違いしそうだ。日本国内でそう感じられることはめったにない。どうしてだろうと考えているうちに入り口に答えが貼ってあった。
「節電中」と。
思わず苦笑した。「この明るさで節電なのか?」
それからため息が出た。
やっぱりこの場所は、「節電中」でない普通の時には、もっと明るくきらびやかで、必ずどこかでキャーキャーピーピーと大騒ぎしているべき空間なのか。
なぜ、暴力的なほど明るくしなければならないのだろう。
「節電中」でもまったく不都合がない明るさではないか。
本気で節電したいのならもっと暗くても良いようにさえ思った。
どこまでも限りなく明るくするようにエネルギーを大量に消費することが「質の高い生活」だと言うのだろうか。道に迷うほど出入り口を無闇に出入り口を作り、そこに照明を付けあまつさえエスカレーターまで設置する。
挙げ句の果てには電力が足りない足りないと大騒ぎする。
そういう文化って、どこか子供じみた様相だと思われてならない。
他の場所より照度を落とした灯りに照らされた地下歩道は、歩いている人々までが大人びて見えたのだが、あれはやっぱり錯覚だったのか。
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