2009年5月31日日曜日

サクラの花を思う

 五月が終わる。
 リラ冷えを予感させる寒い一日だった。自分のためではなくネコたちのために暖房を使った。昨日は、久々に網走管内に足を伸ばし、カッコウの声を聞いてきた。根室管内に戻ってみるとウメがまだ咲き残っている。リンゴの花は咲こうか咲くまいかまだ逡巡しているようだ。サクラは、一応花の時期を終えたが、まだ余韻が残っているようだ。

 サクラを思うと、薄田泣菫の「桜の花」というエッセイを思い出す。江戸時代の画家、小島老鉄の話である。

 抜粋して引用:
 むかし徳川の末、たしか弘化の頃であつたと思ひます。名古屋に山本梅逸の弟子で、小島老鉄といつた画家がありました。古寺の閻魔堂のかたはらに、掘立小屋のやうな小やかな庵を結んで、乞食にも劣つた貧しい生活のなかにも、蘭の花のやうな清く高い心持を楽んでゐました。ある冬の事、あまりの寒さつづきに、小屋掛の身はどんなに凌ぎ難からうと、親切にもわざわざ炭三俵を送つてよこした友達がありました。老鉄はそれを見ると大層喜びました。
「折角の志ぢや。火をおこしてすぐに煖まるとせう。」
 といつて、いきなりそれに火をつけて、三俵とも一度に火にしてしまひました。そして尻を煖めながら、
「ああ煖かい、いい気持ぢや。久し振で今日は大尽になつたやうな気がするて。」
 といつて、いい気になつてゐたといふ事であります。
 炭を送つてよこした友達の心では、冬中の寒さはこれだけあつたら凌ぎおほせるだらうと位に考へてゐたらしいのです。また普通の人ならばきつとさうしただらうと思はれます。だが、老鉄はそんな真似をしないで、三俵一度に火にしてしまひました。つまりこれまでの貧乏暮しのやうに、ちびりちびり火をおこしたところで、三俵の炭はやつと六十日を持ちこたへるに過ぎますまい。それでは唯平凡な日の連続に過ぎません。それよりかも、折角到来の炭です。残りの五十九日はよし寒さに顫へてゐようとも、その五十九日にも更へ難い程の一日を味つてみたいといふのが、画家老鉄のその日の思ひ立ちではありますまいか。彼が尻を煖めながら、いい気持になつて、
「まるで大尽になつたやうな気がする。」
 といつたのは、実際言葉どほりに生活の跳飛であり、経験の躍進であり、更にまた新しい心持の世界の新発見でありました。
 桜の花の気持は、画家老鉄のやうな態度を持つた人で、初めてよく味はれますし、老鉄の抱いてゐたやうな心持は、この花の姿でおもしろく表現出来てゐると思ひます。

 これは、文章の後半で、前半では、
サクラの花は、「一夜のうちに咲き揃つて、多くの植物にみられいような蕾から花への発展」というような順を踏んで開花するのではなく、「すばらしい跳躍」がある、と指摘している。そして、その跳躍は、桜の開花すること自体が「生命の昂揚であり、燃焼であり」「他の花から見て、若き日の徒費であらうと、少しも構はない」
と桜の花の心を想像してみせている。

 書かれている内容はともかく、このエッセイが春先から何となく気になっていたが、きょう、ゆっくりと読み込むことができた。短い文だが非常に重い内容を含んでいる。重い内容だからこそ、一度、どこかで読んだ内容がずっと心に残っていたのだろう。

2009年5月30日土曜日

紋別市沖海鳥調査






 朝、6時集合だったから前日、ウトロでの会議プラス懇親会の予定をこなしてから行くのは、ちょっと抵抗を感じた。

 しかし、宴会を一次会で切り上げ、ホテルの部屋に戻ってベッドに入ったは9時。午前2時30分にセットしたアラームで目覚め(本当はその前に目が覚めた)3時少し前にホテルを出る。まだ暗かったが少し走るうちに徐々に明るくなってきた。
 この朝の空気に中を走っていると、
「よし、紋別まで走るぞ」という気持ちが高まってくる。夜明けは気持ちが良い。特に、今頃の季節は。
 朝陽は北浜の海岸を走っているとき、水平線から顔を出した。さらに走り続け、紋別市内に入ったのは5時。予想以上に早く着いた。コンビニを探して朝食とお昼用の予備食を買い、集合場所のガリンコステーションへ。荷物と服装を整えて待った。
 能取湖から常呂付近までは晴天だったのだが、浜佐呂間を過ぎた辺りから濃い霧がたちこめいて、紋別市内も霧の中。海も当然霧。「霧の魔女の呪い」はまだ続いているのか、というイヤ感じを覚えた。

 やがて20名あまりの人々が集まってきて、ガリンコ号は7時に出航した。実は、この船に乗るのは初めてだった。流氷観光で有名なのだが、紋別まではなかなか遠く、冬にここまで来る、というのはちょっと気合いが要る。そんなわけで、気になる存在ではあったけれど、乗る機会がなかった。思いがけない形で乗船させてもらえるとは、うれしい限りだ。
 参加者は「調査する人」と「単にバードウォッチングする人」に分かれているらしかった。「調査の人」はさらに二班に分けられる。右舷の班と左舷の班だ。ガリンコ号は幅が広く、調査ブリッジの両側のデッキで観察することになるため、両舷のコミュニケーションがほとんどとれない。したがって、完全に二つの班に分かれることが必要だ。海鳥の識別にあまり自信のない僕は記録係を志願した。
 船は、定刻に出航したが、霧が深く、紋別港外に出たことすら船長さんに教えてもらって初めてわかったほどだ。
 港内の堤防にオジロワシが一羽とまっていた。さっそく記録。

 航路は次の通りだ。海岸線から1マイルの距離をたもって、コムケ湖の湖口まで進む。そこで左へ90度進路を変えて海岸線から直角に8マイル進む。その地点から反転し、紋別港へ直接戻ってくるのである。つまり直角三角形の縁を進むことになる。
 速力は10ノット。ガリンコ号は、舳先に巨大な砕氷用のドリルを二本も抱えていて水の抵抗を強く受けそうな船形でありながら意外に速い。昔、北極海で乗ったロシアの動力付き艀(はしけ)なんかよりはるかに軽快に素早く動く。日本の技術力はこんな所にもいかんなく発揮されている、と感心した。

 コムケ湖湖口から沖に向かい始めて2マイルくらい進んだだろうか。突然、霧が晴れてきた。そして、その時に合わせたように行く手におびただしい数の鳥群れが現れた。根室海峡でもなじみ深いハシボソミズナギドリだ。この時の群れは推定で1万超。周辺にも同じような群れがいるだろうからこの海域だけで数万のハシボソミズナギドリがいることになる。目の前にいるその大群は、さかんに餌を採っている。想像を絶する量のオキアミがいるのだろう。中には、腹がはち切れそうにふくらみ、満足に飛び立てないような個体もいる。

 こんな海にはミンククジラがきていることが多いんだよなあ、と考えていると400mくらい遠くで白い波がピカリと光った。瞬間であったが、クジラがダイビングしたときの波だ、と感じた。隣にいた識別担当のCさんも同じように感じたらしい。この時点で、僕たち二人はミンククジラの存在を確信した。
 案の定その数分後、根室海峡で見慣れた鍵型の小さな背びれをしたミンククジラが数頭現れたではないか。

 実に久々に間近で見るクジラの姿だった。ガリンコ号はしばらくそこに留まり、乗客は皆、クジラの姿を堪能できた。

 人間とはゲンキンなものだ。今日の参加をあれほど逡巡してことなどすっかり忘れて、クホクしながら船を下りる僕自身を見ていて、つくづくそう考えた。

 ◎確認した種(個人用野張写し)◎
オオセグロカモメ、ウミネコ、ウトウ、ケイマフリ、ウミウ、ヒメウ、アビ、ハシジロアビ、ウミスズメsp、アカエリヒレアシシギ、フルマカモメ(褐色型、白色型)、ウミアイサ、ハシボソミズナギドリ、オジロワシ、トビ、キセキレイ、ハシブトガラス

2009年5月29日金曜日

非定住型の生活

一日曇り
 珍しく一日中教育委員会でデスクワーク。
 夕方から知床財団評議員会
 その後、ウトロに一泊し、明朝6時までに紋別港へ。
 紋別沖海鳥調査。
 久々に懐かしい顔に会えそうだが、長距離の移動になる。
 つくづく、自分は定住型の人間ではない、と感じる今日この頃だ。

非定住型の生活

一日曇り
 珍しく一日中教育委員会でデスクワーク。
 夕方から知床財団評議員会
 その後、ウトロに一泊し、明朝6時までに紋別港へ。
 紋別沖海鳥調査。
 久々に懐かしい顔に会えそうだが、長距離の移動になる。
 つくづく、自分は定住型の人間ではない、と感じる今日この頃だ。

2009年5月28日木曜日

セイヨウオオマルハナバチバスターズへの危惧



 今朝、ニワトリに餌を運んでいるとき、一頭のマルハナバチが飛び回っていた。明らかにセイヨウオオマルハナバチと違う種類なのだがよく見ると腹部末端(要するに「お尻」に見える部分)が白色なのだ。捕獲して調べてみるとアカマルハナバチの女王だった。このハチは腹部の最末端節だけが白い点、「白い」といっても黒い地肌が目立つほど体毛の密度が高くない点、などの特徴でセイヨウとは容易に区別がつく。
 だが、区別がつけられるのは昆虫の識別にある程度習熟した人ではないだろうか、とふと考えた。
 昼、ビジターセンターでこのことを話し合ったが、実際にアカマルハナバチを「お尻が白いから」セイヨウオオマルハナバチかと思った」という誤捕獲の事例もあったようだ。 慣れてしまえば識別は簡単なのだが、今まで昆虫との付き合いが薄かった人々にとっては、昆虫の特徴を読み取るときのコツを飲み込むまで一定の時間がかかると思われる。万が一、そのような状態のまま「セイヨウオオマルハナバチ バスターズ」などという腕章を着けて網を振り回したとしたら、恐ろしいことになってしまう。この活動に僕が感じる危惧の一つがここにある。
 もちろん、これを機会に昆虫の世界に親しんで、関心をもってくれる人が少しでも増えればそれは望ましいことだ。これまでの「虫好き」は、やたらに標本を集めたがるコレクターや、カブトムシやクワガタなど一部の「カッコイイ」虫にしか興味を持たない人が多かった。ナチュラリストとしての虫好き、つまり「虫めずる姫君」や「むしめずるおの子」がもっともっと出現してほしいものであるから。

2009年5月26日火曜日

危険な国

 根室沖にしつこく張り付いていた低気圧もやっと立ち去り、天気はいくぶん回復に向かい始めた。気温もやや上昇しはじめた。ことに、夕方になってから、風もおさまり、波も静かになってきた。
 それでも、知床峠は、雪のため終日通行止めだった。

 オオバナノエンレイソウが咲き始めている。この時期の季節の歩みは、どんどん進んでいく。進む季節を眺めていると、自分だけが取り残されるような気持ちになる。移り変わる季節とは無関係に人間社会では、○○会議とか××大会だとかいう行事がぎっしりと続いている。
  もう少し、浮き世の用件を整理して、自然界に目を向けてほしいものだが、現代ではこのような願いは「変わり者のタワゴト」として無視される。そうしなければ出世や金儲けの行列に加わることができない。
 いま、学校の現場では、このような環境で育ってきた人間たちが教師をやっている。そのような者たちは、自分と同じ価値観しか再生産できないから、ニンゲンはますます自然から切り離されていくのだろう。

 だが、こんな方向へ猛進する国は、危ない。もう、救いようのない点まで到達しているのかもしれない。

2009年5月25日月曜日

セイヨウオオマルハナバチ駆除活動への疑問

 このハチは1980年代にベルギーで増殖技術が確立したと言われている。農薬と同じ位置づけである。それが日本に紹介されたのは1991年、ハウス栽培の省力化、コスト削減への有用性が認められ、翌1992年には本格的な導入が始まった。当然、農水省あたりが音頭をとってたに違いない。しかし、同時に環境への影響を心配する意見もあったようだ。
 つまりは、このハチによって利益を得た法人や個人が多くいるはずである。
                                                            
 いま、環境の面からこのハチが問題にされ、駆除に多くの労力と予算が使われている。労力の方はボランティアであり、それを組織し支援したり啓発を行うために少なからぬ税金が使われている。

 このハチによって利益を得た企業や個人は、その一部を環境の正常化活動に還元すべきだ。環境の保護を個人の善意によるボランティアに頼る構造はおかしい。
 実際、春先の捕獲駆除活動を自分で行ってみて、大変な時間と手間がかかることを実感した。それらは、全くの無償で行わなければならないのだ。
 このハチで大儲けした人々と、その尻ぬぐいを無償で行っている自分とのギャップを考えてしまう材料のひとつである。