2013年5月8日水曜日
強風の羅臼
昨夜から吹き荒れた風は、今日になってもおさまらなかった。これほど悪天候が続くのも珍しいと羅臼に昔から住む人々が話していた。
羅臼には、過去にも想像を絶する強風が吹いて大きな被害を出したことがある。
羅臼町百年史によると風による災害の代表的なものに以下のようなものがあった。
◎1954年(昭和29年)5月10日発生
最大風速50メートル、家屋の被害439戸、漁船被害87隻、人的被害 死者2名、 負傷者8名、行方不明者27名
◎1959年(昭和34年)4月6日発生
最大風速45メートル、家屋の被害117戸、漁船被害49隻、人的被害 死者7名、負傷者4名、行方不明者82名
それぞれ「5・10災害」、「4・6突風」と呼ばれている。
完全に平坦な海上に1500メートルを超える山がニョキッと突きだしているのが知床半島だ。何者にも阻まれることなく進んできた風は、突然山にぶつかる。そこは尾根や谷が複雑に入り組んでいる場所だ。山を越えた風が、それまで以上に勢いよく吹き出してくることになる。
羅臼の突風はこうして生じる。
突風は災害をもたらすことも多いが、実は海面を泡立て酸素を溶かし込むことできれいな水を作りだし、水中で生物が住みやすい状態にする。その結果として魚も豊富になる。
強風は諸刃の剣なのである。
2013年2月6日水曜日
森のひととき・・・・冬
高校の裏の山でスキーの授業をした。
滑走面にナイロンのシールを貼り付けてあるスキーは斜面を楽々と登ることができる。先日の荒天の日に室内でシール用ワックスを塗ったので滑る時も快適だ。
今日の授業は一時間だけで、2~3本滑ったらすぐに戻る頃合いになった。生徒はみな慣れない「長靴スキー」に苦戦していたのでちょうど良かったようだ。
斜面を滑り降り、上から降りてくる生徒たちを待っている間、何気なく周りの樹木に目をやると冬芽が膨らみかけていた。ケヤマハンノキ、ダケカンバ、イタヤカエデ。それぞれの樹木がそれぞれの伝統の格式に従った冬芽を膨らませている。
ああ、春が近い。
密度の高いトドマツの林と隣り合ったダケカンバやハンノキの周りに小枝がたくさん散らかっている。よく見ると小枝の先にあるはずの冬芽がことごとく食べられている。切り口は鋭い小刀で削り取られてようになっている。おそらくモモンガの食事の跡だろう。
上空ではオジロワシが旋回している。
冬の森は、決して休んでなどいない。
2012年9月5日水曜日
ヒト慣れしたクマ VS. クマ慣れしたヒト
昨日、わが職場の係長がクマと遭遇したことを書いた。
実は、僕が外出先から帰ったちょうどその時は、彼がクマと遭遇した直後だったらしい。その時の彼は、裏口の扉を閉め、ドアノブを固く握りしめていた。
「この扉は、外からは絶対に開けさせない」と言わんばかりだった。
いくらクマでも、自分でドアを開けて入ってくるわけがない。冷静に考えれば当然のことだが、それだけ余裕を失っていたということだろう。
それほど慌てたことを笑えるだろうか?いや、とんでもない。
野生のヒグマとさえぎる物体がまるで無い状況で5メートル以内で対峙した経験のある人は、どのくらいいるだろう?
おそらく北海道内に限ってもほとんど居ないはずだ。限りなくゼロに近いに違いない。ヒグマ生息密度の異常に高い知床半島に於いてさえ、そのような遭遇例は稀だと言って良い。
野生のヒグマと相対したとき、遭遇の状況にもよるが慌てたり恐怖におののいたりするのはごく当たり前の反応だと思う。中には失禁してしまう人さえいると聞く。
今年のヒグマ目撃例が異常に多いのは、知床のヒグマの間で「第二世代」のヒト慣れ個体が現れ始めたからではないかと指摘されている。
ヒトを気にしない個体が増加していることは、以前から言われていた。
しかし、今年のような「同時多発的な」目撃例は、ヒト慣れの進んだ親から生まれた子どもたちが、独立し始めたことで、よりいっそう顕著になってきたのではないかというのである。
確かに思い当たるフシがある。
そこで、知床で暮らすわれわれの側も、今までのヒグマ対策だけでは対応しきれなくなる虞がある。
これから目指すべき方向は、「クマ慣れした人間の育成」ではないだろうか。
ここで言う「クマ慣れ」とは、万が一遭遇した時のクマの状態を正しく判断でき、それに基づいて冷静に安全に行動できる、ということだ。そのためにはヒグマに関してより多くの知識を持ち、その習性、行動、恐ろしさを知悉していなければならない。
「ヒグマ」と言うところを「自然」と置き換えてみよう。
われわれは、文明の恩恵に浴する過程で、自然界から限りなく離れてしまっているのではないだろうか。
自然界のどんな現象でも、それを恐れるに足るだけのすさまじいパワーを秘めている。それらひとつひとつを理解し、できるだけ危険を回避することに努めてきたところに人間の叡智がある。
今こそ、この原点への回帰を考える良い機会かも知れない。
自然の力は恐ろしいものだが、人間が作り出した放射能の方が、もっとずっと恐ろしいのではないかと思うのだが。
実は、僕が外出先から帰ったちょうどその時は、彼がクマと遭遇した直後だったらしい。その時の彼は、裏口の扉を閉め、ドアノブを固く握りしめていた。
「この扉は、外からは絶対に開けさせない」と言わんばかりだった。
いくらクマでも、自分でドアを開けて入ってくるわけがない。冷静に考えれば当然のことだが、それだけ余裕を失っていたということだろう。
それほど慌てたことを笑えるだろうか?いや、とんでもない。
野生のヒグマとさえぎる物体がまるで無い状況で5メートル以内で対峙した経験のある人は、どのくらいいるだろう?
おそらく北海道内に限ってもほとんど居ないはずだ。限りなくゼロに近いに違いない。ヒグマ生息密度の異常に高い知床半島に於いてさえ、そのような遭遇例は稀だと言って良い。
野生のヒグマと相対したとき、遭遇の状況にもよるが慌てたり恐怖におののいたりするのはごく当たり前の反応だと思う。中には失禁してしまう人さえいると聞く。
今年のヒグマ目撃例が異常に多いのは、知床のヒグマの間で「第二世代」のヒト慣れ個体が現れ始めたからではないかと指摘されている。
ヒトを気にしない個体が増加していることは、以前から言われていた。
しかし、今年のような「同時多発的な」目撃例は、ヒト慣れの進んだ親から生まれた子どもたちが、独立し始めたことで、よりいっそう顕著になってきたのではないかというのである。
確かに思い当たるフシがある。
そこで、知床で暮らすわれわれの側も、今までのヒグマ対策だけでは対応しきれなくなる虞がある。
これから目指すべき方向は、「クマ慣れした人間の育成」ではないだろうか。
ここで言う「クマ慣れ」とは、万が一遭遇した時のクマの状態を正しく判断でき、それに基づいて冷静に安全に行動できる、ということだ。そのためにはヒグマに関してより多くの知識を持ち、その習性、行動、恐ろしさを知悉していなければならない。
「ヒグマ」と言うところを「自然」と置き換えてみよう。
われわれは、文明の恩恵に浴する過程で、自然界から限りなく離れてしまっているのではないだろうか。
自然界のどんな現象でも、それを恐れるに足るだけのすさまじいパワーを秘めている。それらひとつひとつを理解し、できるだけ危険を回避することに努めてきたところに人間の叡智がある。
今こそ、この原点への回帰を考える良い機会かも知れない。
自然の力は恐ろしいものだが、人間が作り出した放射能の方が、もっとずっと恐ろしいのではないかと思うのだが。
2012年8月20日月曜日
クマ騒動
今年、羅臼町ではクマの出没(目撃)情報が異常に多い。
十日くらい前、海岸に打ち寄せられたクジラの死体に13頭ものクマが群がっているという話も聞いた。
そこは、知床岬に向かう場所で、人の居住している市街地から遠い海岸で、その沖でコンブ漁をしている漁師さんたちから情報だ。
今朝、職場の同僚が話してくれたが、昨日、自宅付近で見た個体はガリガリに痩せていたのだそうだ。
「山に食べ物がないのかねえ」と気遣わしげに言っていた。
この季節、知床のクマたちは川に遡上する餌の多くをカラフトマスに依存している。マスの遡上は始まったばかりだからこの先がどう変わるかわからないが、現時点では「あまり回帰していない」と言われている。
川に遡って産卵するマスが少なくなると、クマたちの食糧事情も悪化するに違いない。
それに加えて、クマを見つけると近づいて写真を撮ろうとする観光客が増えている。
一定の距離を超えてクマに接近する人間が増えるとクマの側にも人慣れを生じさせる。人慣れしたクマは、食べ物を獲得する場を人の活動範囲へ簡単に広げてしまう。
こうして「問題行動グマ」が産み出される。
世界一の高密度生息域である知床半島で暮らす人々の多くは、クマとの安全で適切な関係を保ちたいと望んでいる。クマの住まなくなった知床は、もはや知床とは呼べないとさえ言う人もいる。
知床半島のクマを守るためにも、この地を訪れる人々が自然への自制の効いた理性的な行動をとってもらいたいと願う。
十日くらい前、海岸に打ち寄せられたクジラの死体に13頭ものクマが群がっているという話も聞いた。
そこは、知床岬に向かう場所で、人の居住している市街地から遠い海岸で、その沖でコンブ漁をしている漁師さんたちから情報だ。
今朝、職場の同僚が話してくれたが、昨日、自宅付近で見た個体はガリガリに痩せていたのだそうだ。
「山に食べ物がないのかねえ」と気遣わしげに言っていた。
この季節、知床のクマたちは川に遡上する餌の多くをカラフトマスに依存している。マスの遡上は始まったばかりだからこの先がどう変わるかわからないが、現時点では「あまり回帰していない」と言われている。
川に遡って産卵するマスが少なくなると、クマたちの食糧事情も悪化するに違いない。
それに加えて、クマを見つけると近づいて写真を撮ろうとする観光客が増えている。
一定の距離を超えてクマに接近する人間が増えるとクマの側にも人慣れを生じさせる。人慣れしたクマは、食べ物を獲得する場を人の活動範囲へ簡単に広げてしまう。
こうして「問題行動グマ」が産み出される。
世界一の高密度生息域である知床半島で暮らす人々の多くは、クマとの安全で適切な関係を保ちたいと望んでいる。クマの住まなくなった知床は、もはや知床とは呼べないとさえ言う人もいる。
知床半島のクマを守るためにも、この地を訪れる人々が自然への自制の効いた理性的な行動をとってもらいたいと願う。
2012年7月31日火曜日
静謐の羅臼湖まで
ついに羅臼湖へ行く日がきた。
「今の僕には、ヒマラヤへ登るほどの覚悟だ」と冗談めかして周りの人と話していたが半分以上は本気なのだ。
そして、無事に行くことができた。
羅臼湖は、以前と変わらずにそこに横たわっていた。
静謐な衣をまとっているのも変わらない。
一段と透明に感じられる湖上の空気を通して、知西別岳も静かに座っていた。
6月6日に二輪車運転中にエゾシカと衝突し、肋骨と鎖骨を痛めた。だが、実はその時に左足を中心に腰や股関節も強打していた。骨折こそ無かったが、この影響で事故の翌朝には立つことも出来ず、車椅子を使っていた。その後、立てるようになり、一歩ずつ足を運べるようになり、ゆっくり回復してきた。
今日、7月31日、根室管内の新採用教員研修で、参加者を羅臼湖まで案内することは決まっていたから、なんとかそれに間に合うようにと回復に努めてきた。
もう何十回も羅臼湖に通ったが、今日の羅臼湖は、特別なものだった。
午前中は、晴天だったが午後から雲が多くなり、遠くで雷鳴も聞こえ始めた。そして、それが徐々に近づいてくる。
そんな条件下での羅臼湖行きだった。
だから、往路は少しゆっくりと植物観察などをしながら進んだが、帰路は迫り来る雷雲と競走するかのように最大の速度で下山した。
羅臼湖の余韻にひたりつつ、のんびりと下山したかったのに残念なことだった。だが、入り口に帰着すると同時に、激しい雷雨となったので、結果としては的確な判断だったと思った。
何よりも、再び僕を受け入れてくれた羅臼湖に心から感謝したい。
「今の僕には、ヒマラヤへ登るほどの覚悟だ」と冗談めかして周りの人と話していたが半分以上は本気なのだ。
そして、無事に行くことができた。
羅臼湖は、以前と変わらずにそこに横たわっていた。
静謐な衣をまとっているのも変わらない。
一段と透明に感じられる湖上の空気を通して、知西別岳も静かに座っていた。
6月6日に二輪車運転中にエゾシカと衝突し、肋骨と鎖骨を痛めた。だが、実はその時に左足を中心に腰や股関節も強打していた。骨折こそ無かったが、この影響で事故の翌朝には立つことも出来ず、車椅子を使っていた。その後、立てるようになり、一歩ずつ足を運べるようになり、ゆっくり回復してきた。
今日、7月31日、根室管内の新採用教員研修で、参加者を羅臼湖まで案内することは決まっていたから、なんとかそれに間に合うようにと回復に努めてきた。
もう何十回も羅臼湖に通ったが、今日の羅臼湖は、特別なものだった。
午前中は、晴天だったが午後から雲が多くなり、遠くで雷鳴も聞こえ始めた。そして、それが徐々に近づいてくる。
そんな条件下での羅臼湖行きだった。
だから、往路は少しゆっくりと植物観察などをしながら進んだが、帰路は迫り来る雷雲と競走するかのように最大の速度で下山した。
羅臼湖の余韻にひたりつつ、のんびりと下山したかったのに残念なことだった。だが、入り口に帰着すると同時に、激しい雷雨となったので、結果としては的確な判断だったと思った。
何よりも、再び僕を受け入れてくれた羅臼湖に心から感謝したい。
2012年7月28日土曜日
知床の戦後開拓についてもっと論じなければならない
「活字中毒」というのだろうか。
手元に読むものがないと落ち着かない。
本を伏せてだらしなく寝ていることも多いのだが、とにかく手元に本が欲しい。
病院に行くとき、乗り物に乗るとき、一人で外食するとき、本を手放せない。
待ち時間に読むのだから、そんなに小難しい本ではない。ごく通俗的な本だ。
昨日は、中標津空港から出発した。朝、9時30分出発の便だった。
ちょっと慌ただしく家を出て、空港に着いたのは8時40分頃だった。搭乗手続きを済ませ、待合室に入ろうとしたとき、気がついた。
「本を持っていない」ちょっとしたパニックだった。
中標津町内の書店に戻り、何か買ってこようかと、一瞬だけ真剣に考えた。もちろん一瞬後には自分の中で否定してたが。
空港内の売店をのぞいた。
北海道の観光案内のための本ばかりが並んでいて、さすがに買おうとは思わなかった。代わりに新聞を買ってもいいからネ。だが、搭乗までの待ち時間、飛行中の機内、千歳空港で降りてから札幌までの移動時間、出発後の時間の量を考えると新聞は読み尽くしてしまいそうに思った。
そんなことを考えながら、本の並べられた棚を眺めていると、一冊の本が目に飛び込んできた。菊池慶一さんの「もうひとつの知床」戦後開拓ものがたり という本だ。
この本は、以前、どこかで見つけて読んでみたいと思っていたのだ。
迷わずに買い求めた。そして、昨日から今日にかけて、一気に読んだ。
「知床開拓」は、羅臼高校の「知床概論」でも取り上げているからある程度は知っていた。
大正期の開拓、戦前、戦後と主に三つの波があり、大正時代の開拓は、飛蝗による害で壊滅的な被害を受けて頓挫、第二次の開拓も冷涼な気候、強風、生活上の困難性などが原因で、結局は失敗、戦後の開拓者は、機械力や畜力によって、粘り強く条件の悪い土地を農地とするべく努力したが、結局は全員離農せざるを得なくなった。
開拓農民は過酷な条件で悲惨な生活を強いられたという一般的な知識は持ち合わせていたが、菊池さんの本は、多くの開拓農民から話を聞き、その人々の体験に基づいて書かれていて、事実の重みが感じられた。
一方、「知床開拓スピリット」という写真を中心にした本がある。著者は栂嶺レイさんという女性だが、こちらは、主に戦後開拓に焦点を絞って、開拓地の生活の明るい部分や楽しい思い出に光を当てたものである。
ある意味でこれら二冊の本は、対照的で内容は矛盾しているように受け取れるが、僕はどちらも真実なのだろうと考える。
人は、どんなに過酷な運命にあっても、生きていく楽しみや希望を捨てないと思うし、また、それら個々の思いとはかけ離れたところで、政治的な思惑や駆け引きによって、無情な力が個人に対して働くものだと思うから。
いずれにしても、「知床の大自然」を語るときに、そこで繰り広げられてきた人間の営みについて、我々は正しく理解し、「自然環境」が自然と人間との相互作用の結果としてそこにある、ということ理解しなければならない。
知床の戦後開拓についてもっと論じなければならない
「活字中毒」というのだろうか。
手元に読むものがないと落ち着かない。
本を伏せてだらしなく寝ていることも多いのだが、とにかく手元に本が欲しい。
病院に行くとき、乗り物に乗るとき、一人で外食するとき、本を手放せない。
待ち時間に読むのだから、そんなに小難しい本ではない。ごく通俗的な本だ。
昨日は、中標津空港から出発した。朝、9時30分出発の便だった。
ちょっと慌ただしく家を出て、空港に着いたのは8時40分頃だった。搭乗手続きを済ませ、待合室に入ろうとしたとき、気がついた。
「本を持っていない」ちょっとしたパニックだった。
中標津町内の書店に戻り、何か買ってこようかと、一瞬だけ真剣に考えた。もちろん一瞬後には自分の中で否定してたが。
空港内の売店をのぞいた。
北海道の観光案内のための本ばかりが並んでいて、さすがに買おうとは思わなかった。代わりに新聞を買ってもいいからネ。だが、搭乗までの待ち時間、飛行中の機内、千歳空港で降りてから札幌までの移動時間、出発後の時間の量を考えると新聞は読み尽くしてしまいそうに思った。
そんなことを考えながら、本の並べられた棚を眺めていると、一冊の本が目に飛び込んできた。菊池慶一さんの「もうひとつの知床」戦後開拓ものがたり という本だ。
この本は、以前、どこかで見つけて読んでみたいと思っていたのだ。
迷わずに買い求めた。そして、昨日から今日にかけて、一気に読んだ。
「知床開拓」は、羅臼高校の「知床概論」でも取り上げているからある程度は知っていた。
大正期の開拓、戦前、戦後と主に三つの波があり、大正時代の開拓は、飛蝗による害で壊滅的な被害を受けて頓挫、第二次の開拓も冷涼な気候、強風、生活上の困難性などが原因で、結局は失敗、戦後の開拓者は、機械力や畜力によって、粘り強く条件の悪い土地を農地とするべく努力したが、結局は全員離農せざるを得なくなった。
開拓農民は過酷な条件で悲惨な生活を強いられたという一般的な知識は持ち合わせていたが、菊池さんの本は、多くの開拓農民から話を聞き、その人々の体験に基づいて書かれていて、事実の重みが感じられた。
一方、「知床開拓スピリット」という写真を中心にした本がある。著者は栂嶺レイさんという女性だが、こちらは、主に戦後開拓に焦点を絞って、開拓地の生活の明るい部分や楽しい思い出に光を当てたものである。
ある意味でこれら二冊の本は、対照的で内容は矛盾しているように受け取れるが、僕はどちらも真実なのだろうと考える。
人は、どんなに過酷な運命にあっても、生きていく楽しみや希望を捨てないと思うし、また、それら個々の思いとはかけ離れたところで、政治的な思惑や駆け引きによって、無情な力が個人に対して働くものだと思うから。
いずれにしても、「知床の大自然」を語るときに、そこで繰り広げられてきた人間の営みについて、我々は正しく理解し、「自然環境」が自然と人間との相互作用の結果としてそこにある、ということ理解しなければならない。
2012年1月10日火曜日
雪の降る日に
上空の寒気が流れ込む直前の穏やかな一日、というのが全国一般的な天候のようだったが、知床や道東地方ではそういうわけにもいかず、雪の降る時間の多い一日だった。
ただ、風は無く、雪の量もそう多くなかったので、これでも「穏やか」と言える日なのだろう。
ただし、車の運転には少し苦労させられる一日だった。
一日を通して、-5℃前後の気温だったので、雪の粉が舞い上がって、ちょっとしとことで視界が失われ、ホワイトアウトになってしまう。
まあ、ゆっくり走ればいいだけだが、何かの事情で先を急ぐ人もいるだろう。
そこには、クルマ同士の駆け引きがあり、譲ったり、譲られたりする機会が増えるとただでさえ悪い視界がますます悪化していくことになる。
運転には神経を使う一日だった。
粉になって舞い上がる雪を見ながら、放射性物質のことを考えていた。
原子炉から吐き出された放射能を持つ微粒子たとえばセシウムは、カリウムやナトリウムと同じアルカリ金属だから一価の陽イオンの形をしているそうだ。
だから雨や霧の水滴に溶け込んで存在しているのだろう。
粒子の細かな水滴は、あまり目に付くことはない。
しかし、クルマが走った時に巻き上げる雪を見ていると、それらが簡単に空中を漂うものであることをあらためて、実感した。
「漂う」と言うよりも空気の一部のようになっていると考えた方が良いかも知れない。
福島第一発電所からは、そんな物質が大量にばらまかれているのだ。
ただ、風は無く、雪の量もそう多くなかったので、これでも「穏やか」と言える日なのだろう。
ただし、車の運転には少し苦労させられる一日だった。
一日を通して、-5℃前後の気温だったので、雪の粉が舞い上がって、ちょっとしとことで視界が失われ、ホワイトアウトになってしまう。
まあ、ゆっくり走ればいいだけだが、何かの事情で先を急ぐ人もいるだろう。
そこには、クルマ同士の駆け引きがあり、譲ったり、譲られたりする機会が増えるとただでさえ悪い視界がますます悪化していくことになる。
運転には神経を使う一日だった。
粉になって舞い上がる雪を見ながら、放射性物質のことを考えていた。
原子炉から吐き出された放射能を持つ微粒子たとえばセシウムは、カリウムやナトリウムと同じアルカリ金属だから一価の陽イオンの形をしているそうだ。
だから雨や霧の水滴に溶け込んで存在しているのだろう。
粒子の細かな水滴は、あまり目に付くことはない。
しかし、クルマが走った時に巻き上げる雪を見ていると、それらが簡単に空中を漂うものであることをあらためて、実感した。
「漂う」と言うよりも空気の一部のようになっていると考えた方が良いかも知れない。
福島第一発電所からは、そんな物質が大量にばらまかれているのだ。
2011年12月27日火曜日
吹雪に吹かれながら
2011年12月26日月曜日
羅臼町郷土資料館開館


峯浜に「羅臼町郷土資料館」がオープンした。
今まで、羅臼町町民体育館の一階の一部に数多くの収蔵物が所狭しと並べられていたが、昨年度、閉校になった植別小中学校の校舎を改築して、展示スペースを作った。
二階建てで、一階に考古第一、第二、近世の3つの展示室の他、この建物の前身である植別小中学校を記念する「植別室」がある。二階には、昆虫、植物、動物、産業、生活展示室の他にレクチュアルーム、実習室。工作室などを備えている。
展示物は縄文時代早期の土器や石器から始まり、江戸時代・明治・大正・昭和初期に至るまでの知床の生活用具や写真・図などで、知床・羅臼町の歴史が一度に体感できる。
今後、羅臼町の文化の新しい発信源になるとともに、児童生徒の学習の場所としても活用されることになるだろう。
写真は、アイヌ民族の伝統的な家(チセ)の精巧な模型。内部も精密に作り込まれている。
場所:目梨郡羅臼町峯浜町307番地
電話:0153-88-3850
開館日:祝祭日・年末年始を除く月曜日~金曜日
時間:10時~17時
入館料:無料
2011年12月18日日曜日
2011年10月20日木曜日
山々に
今日は、山が美しい日だった。
「生態系学習Ⅲ」ということで高校生たちと知床峠を越え、斜里町側の岩尾別台地までの区間を往復した。
羅臼岳・三峰・サシルイ・オッカバケ・知円別岳、そして硫黄山までの「知床中央高地」の山々が青空を背景にクッキリとそそり立っていた。
午後に訪れたわれわれには、西日を受けてそれが一層きわだって見えた。
ただひたすらありがたく、心の中で手を合わせた。
岩尾別台地は、昭和30年代まで農地開拓が行われていた場所で、過酷な自然環境の中であっても人々の温もりのある暮らしが営まれていた。
この土地で生きた人々が仰ぎ見た時と変わらぬ姿で、この山々は座り続けてきたのだろう。
落ち着きなく変わっていくのは人間の生活の方で、舗装道路が延び、今やアミューズメントパークとも言える「神秘の湖」知床五湖へレンタカーがかっ飛ばして走り、救急車が急いで駆けつけ、パトカーが焦って追いかける、大都会と変わらぬような場所になり果ててしまった。
物言わぬ山々は、そんな風景をどんな思いで見下ろしているのだろう。
生徒に説明している事を忘れ、思わず、ボーゼンとして立ちすくんでしまった。
「生態系学習Ⅲ」ということで高校生たちと知床峠を越え、斜里町側の岩尾別台地までの区間を往復した。
羅臼岳・三峰・サシルイ・オッカバケ・知円別岳、そして硫黄山までの「知床中央高地」の山々が青空を背景にクッキリとそそり立っていた。
午後に訪れたわれわれには、西日を受けてそれが一層きわだって見えた。
ただひたすらありがたく、心の中で手を合わせた。
岩尾別台地は、昭和30年代まで農地開拓が行われていた場所で、過酷な自然環境の中であっても人々の温もりのある暮らしが営まれていた。
この土地で生きた人々が仰ぎ見た時と変わらぬ姿で、この山々は座り続けてきたのだろう。
落ち着きなく変わっていくのは人間の生活の方で、舗装道路が延び、今やアミューズメントパークとも言える「神秘の湖」知床五湖へレンタカーがかっ飛ばして走り、救急車が急いで駆けつけ、パトカーが焦って追いかける、大都会と変わらぬような場所になり果ててしまった。
物言わぬ山々は、そんな風景をどんな思いで見下ろしているのだろう。
生徒に説明している事を忘れ、思わず、ボーゼンとして立ちすくんでしまった。
2011年10月18日火曜日
知床の川とヒグマ
研究会があり、そのエクスカーションで羅臼町内の川まで行った。
最近のこの川にはカラフトマスが多数遡上していて、それを目当てにヒグマが集まってきている
人間との濃厚な接触が続くと、それらのヒグマの中から危険な個体が生まれることも心配される。そうなるとヒグマ生息地域と人の生活圏の重なり合う羅臼町は危険きわまりない事態に陥るのは明白だ。
ところが、この川のカラフトマスに群がるヒグマに、カメラを持ったニンゲンが群がっていた。
それもほとんどすべてが町外、中でも本州からの来訪者らしい。
彼らは、プロのカメラマンが長時間かけ、苦痛に耐えた末にやっと撮影した写真と同じような写真を手軽に安直に撮影したいらしく、カメラを構えてヒグマを待ち構えている。
ルサ川河口部には漁業の番屋もたくさんあり、人の住む集落からも近い。危険を未然に防ぐためにそこまで出てきたクマは追い払いの対象になってきた。
そのような地元の事情を知ってか知らずか、ヒグマを自分たちの被写体としてしか見なしていないような写真愛好家がいて、追い払いの業務にクレームをつけているらしい。
これは、明らかに業務に対する妨害行為だし、羅臼町の住民を危険にさらす犯罪的態度である。
大部分の写真愛好家は、良心的で、模範的にマナーを守っているものと信じたいが、現実にこのような写真愛好家が一部にいることは、嘆かわしい。
巨大で強力で物静かなヒグマ。
キムンカムイと呼ばれ、畏怖され感謝されてきたヒグマへの畏敬の念など微塵も持っていないのだろう。
断言するが、こういう人々が日本の自然の状況を悪くしているのだなあと実感した日であった。
最近のこの川にはカラフトマスが多数遡上していて、それを目当てにヒグマが集まってきている
人間との濃厚な接触が続くと、それらのヒグマの中から危険な個体が生まれることも心配される。そうなるとヒグマ生息地域と人の生活圏の重なり合う羅臼町は危険きわまりない事態に陥るのは明白だ。
ところが、この川のカラフトマスに群がるヒグマに、カメラを持ったニンゲンが群がっていた。
それもほとんどすべてが町外、中でも本州からの来訪者らしい。
彼らは、プロのカメラマンが長時間かけ、苦痛に耐えた末にやっと撮影した写真と同じような写真を手軽に安直に撮影したいらしく、カメラを構えてヒグマを待ち構えている。
ルサ川河口部には漁業の番屋もたくさんあり、人の住む集落からも近い。危険を未然に防ぐためにそこまで出てきたクマは追い払いの対象になってきた。
そのような地元の事情を知ってか知らずか、ヒグマを自分たちの被写体としてしか見なしていないような写真愛好家がいて、追い払いの業務にクレームをつけているらしい。
これは、明らかに業務に対する妨害行為だし、羅臼町の住民を危険にさらす犯罪的態度である。
大部分の写真愛好家は、良心的で、模範的にマナーを守っているものと信じたいが、現実にこのような写真愛好家が一部にいることは、嘆かわしい。
巨大で強力で物静かなヒグマ。
キムンカムイと呼ばれ、畏怖され感謝されてきたヒグマへの畏敬の念など微塵も持っていないのだろう。
断言するが、こういう人々が日本の自然の状況を悪くしているのだなあと実感した日であった。
2011年9月28日水曜日
攻城戦




羅臼町内にセイヨウオオマルハナバチの巣があるらしいことは、少し以前からわかっていた。そばに小学校があり、その付近での捕獲数が突出して多かったからだ。
一ヶ月くらい前にハチの出入りする地点が突き止められた。そこはクマイザサの密生する崖の下の方だった。
場所はわかったのだが密生するササが邪魔になって、地中の巣を掘り出すまでには至っていなかった。大がかりに周囲のササを刈り取って土を取り除かなければ巣を掘り出すことはできないことがわかったからだ。
そして、ついに、今日、巣の掘り出し作業を行うことになった。
小学校に連絡したら4年生の子どもたちが理科の時間ということで見学(応援)にきてくれた。
午前10時、環境省のレンジャー二人と知床財団の職員に僕も加わって作業が始まった。
やがて子どもたちも到着して、巣から飛び出してくるハチたちを捕まえる仕事を一手に引き受けてくれた。
子どもたちの網捌きは、ちょっとおぼつかないが人数が多いことで十分効果を発揮して、50頭近いハチを捕らえてくれた。
今は、新女王が現れる時期で、巣を壊滅させたとしても新女王を逃がしたのでは、防除の効果は半減してしまう。
そのため、子どもたちの存在は、非常に重要だった。
激闘一刻。
ちょうどお昼になる頃、地中の巣は完全に掘り出され、知床に根を下ろそうとしていたセイヨウオオマルハナバチの巣が一つ終焉を迎えた。
2011年8月29日月曜日
松浦晃一郎さんがやって来る
前ユネスコ事務局長の松浦晃一郎さんが明日から知床に来る。
松浦さんは、知床が世界遺産に登録された時の事務局長だった人だ。
世界遺産になってから実際に知床に来るのは初めてことで、松浦さん自身も知床に来ることを楽しみにしておられるらしい。
斜里町での講演会と羅臼町の中高生への講演が予定に入っていて、完全にプライベートな訪問というわけにもいかず、ご本人に十分満足していただけるか疑問もあるが、松浦さんのような方は、それもやむを得ないのかも知れない。
ところで、知床半島は「自然遺産」として遺産条約登録地になったわけだが、実は、知床で営まれてきた先住民の生活や文化も含めた「複合遺産」として登録すべきだとの意見があったと聞いている。
そして、どうやら松浦さんも「複合遺産」として登録したいという意見を持っておられたらしい。
そのような経緯のためだろうか。松浦さんはアイヌ民族の踊りや歌を鑑賞してみたいという希望をお持ちだということが伝えられた。
このような訳で、「KAPIW & APAPPO」という阿寒の姉妹によるデュオに羅臼に来てもらい、松浦さん歓迎交流会でムックリなど伝統楽器の演奏や唄を聴かせてもらうことになった。
彼女たちは先日、釧路の「ジスイズ」というジャズ喫茶で初ライヴを行い、僕も聴かせてもらったが、アイヌ民族の伝統と格式を守りつつも新しい感覚を採り入れた、美しく親しみやすい演奏で、深い感銘を受け印象深いものだった。
31日の夜、松浦さんをはじめ、参加者一同に、あの夜と同じ感動を呼び起こす演奏になれば、と願ってやまない。
松浦さんは、知床が世界遺産に登録された時の事務局長だった人だ。
世界遺産になってから実際に知床に来るのは初めてことで、松浦さん自身も知床に来ることを楽しみにしておられるらしい。
斜里町での講演会と羅臼町の中高生への講演が予定に入っていて、完全にプライベートな訪問というわけにもいかず、ご本人に十分満足していただけるか疑問もあるが、松浦さんのような方は、それもやむを得ないのかも知れない。
ところで、知床半島は「自然遺産」として遺産条約登録地になったわけだが、実は、知床で営まれてきた先住民の生活や文化も含めた「複合遺産」として登録すべきだとの意見があったと聞いている。
そして、どうやら松浦さんも「複合遺産」として登録したいという意見を持っておられたらしい。
そのような経緯のためだろうか。松浦さんはアイヌ民族の踊りや歌を鑑賞してみたいという希望をお持ちだということが伝えられた。
このような訳で、「KAPIW & APAPPO」という阿寒の姉妹によるデュオに羅臼に来てもらい、松浦さん歓迎交流会でムックリなど伝統楽器の演奏や唄を聴かせてもらうことになった。
彼女たちは先日、釧路の「ジスイズ」というジャズ喫茶で初ライヴを行い、僕も聴かせてもらったが、アイヌ民族の伝統と格式を守りつつも新しい感覚を採り入れた、美しく親しみやすい演奏で、深い感銘を受け印象深いものだった。
31日の夜、松浦さんをはじめ、参加者一同に、あの夜と同じ感動を呼び起こす演奏になれば、と願ってやまない。
2011年8月7日日曜日
「へつり」で進む海岸線
午前中、エコツーリズム協議会に関連する科学委員会との懇談会に参加した。
世界遺産地域の保護と利用の両立を図るためのエコツーリズム戦略について、掘り下げた話し合いができた。
しかし、やっぱり単純に考えれば考えるほど、利用すればするほど保護が疎かになっていくことに違いない。
利用の総量規制を行わないならあまり意味がないし、観光を業とする人たちは、できるだけ緩い規制で済ませることを望んでいるだろう。
「エコツーリズム戦略」が収奪的な利用の免罪符として使われることだけは、止めなければならないだろう。
知床岬行の話をひとつ。
「へつり」という進み方をする場所も多い。
崖が直接海に落ちているような場所で、岩に張り付きながら横に移動することを言う。 それほど長い区間ではないが、数十メートルくらい連続している場所が何カ所かある。足下は海。それも明らかに人間の背の立たない深さの海で、登山靴を履き、思い荷物を背負っている自分が、その深みに落ちた時のことを想像すると恐怖感を覚える。
そんな場所は、ベースキャンプのあるモイルス湾から知床岬に行くまでの間に数カ所ある。
そして、そればかりではなく、相泊とモイルスの間にもあって「デバリ」と呼ばれている。そこは初めて探検隊に参加した小学校4年生の子どもたちでも通るのだ。
知床半島の海岸の崖は、海中で急冷されたマグマによってできており、手や足をかけることの出来る(ホールドの利く)手がかりは無数にある。したがって見た目ほど「へつり」は、難しくない。
それでも手がかりとなる岩石はハイアロクラスタイトと呼ばれるガラス質むき出しのスルドイ角を持っていて、新品の革製ロッククライミング用グローブが、あっという間にボロボロになったほどだった。
このような場所を、三点確保を基本に、アメーバのように這い進むのが「へつり」である。
以上、全然「落ち」の無い文章になってしまったけれど、「へつり」の話だから落ちは無い方がよいだろう。
世界遺産地域の保護と利用の両立を図るためのエコツーリズム戦略について、掘り下げた話し合いができた。
しかし、やっぱり単純に考えれば考えるほど、利用すればするほど保護が疎かになっていくことに違いない。
利用の総量規制を行わないならあまり意味がないし、観光を業とする人たちは、できるだけ緩い規制で済ませることを望んでいるだろう。
「エコツーリズム戦略」が収奪的な利用の免罪符として使われることだけは、止めなければならないだろう。
知床岬行の話をひとつ。
「へつり」という進み方をする場所も多い。
崖が直接海に落ちているような場所で、岩に張り付きながら横に移動することを言う。 それほど長い区間ではないが、数十メートルくらい連続している場所が何カ所かある。足下は海。それも明らかに人間の背の立たない深さの海で、登山靴を履き、思い荷物を背負っている自分が、その深みに落ちた時のことを想像すると恐怖感を覚える。
そんな場所は、ベースキャンプのあるモイルス湾から知床岬に行くまでの間に数カ所ある。
そして、そればかりではなく、相泊とモイルスの間にもあって「デバリ」と呼ばれている。そこは初めて探検隊に参加した小学校4年生の子どもたちでも通るのだ。
知床半島の海岸の崖は、海中で急冷されたマグマによってできており、手や足をかけることの出来る(ホールドの利く)手がかりは無数にある。したがって見た目ほど「へつり」は、難しくない。
それでも手がかりとなる岩石はハイアロクラスタイトと呼ばれるガラス質むき出しのスルドイ角を持っていて、新品の革製ロッククライミング用グローブが、あっという間にボロボロになったほどだった。
このような場所を、三点確保を基本に、アメーバのように這い進むのが「へつり」である。
以上、全然「落ち」の無い文章になってしまったけれど、「へつり」の話だから落ちは無い方がよいだろう。
2011年8月6日土曜日
岬までの行程で、最後の難所は兜岩だ。
海面から120メートルの高さにせり上がっている瘦せ尾根で、羅臼側からは、樹林帯となっている急な斜面を一気に登る。まあ、普通の登山コース急坂と言える。
問題は、岬側への下りで、垂直に近い岩の割れ目を一息に下るのだが、足下が脆く崩れやすくて、滑り落ちそうになる。
恐怖感に足をすくませる子どもたちを励ましながら下りるわけだ。
そして、ここを下ってしまうと、目的地の知床岬までは、ずっと砂浜が続く。
それまでゴロゴロとした歩き難い石の浜で苦しんだ足には、ありがたい砂浜だが、その距離が長すぎる。
だが、この先は、岬まで緊張を強いられるような場所はない。
そのことを実感しつつ、最後の頑張りへの意志をかためるのがこの赤岩川の休憩地点かも知れない。
ここまで到達するために越えてきた、いくつかの難所のことを思い、岬への旅の終わりを噛みしめるひと時である。
2011年7月28日木曜日
羅臼湖
2011年7月11日月曜日
オショロコマを釣る授業
「野外活動」の授業で2週間前から釣りをやっている。
一応「渓流釣り」の範疇に入る。
今まで羅臼川で釣っていたが、今年の羅臼川は思うように釣れない。全く釣れないわけではないが、釣りの上手な者にしか釣れない。
そこで、今日は場所を変えることにした。
2時間の授業時間内で学校からの往復が可能で、かつ釣りをする時間もそこそこにあるような川となると選択が難しい。先生方と協議し、結局サシルイ川に決めた。
15分弱で川に着き、おもむろに釣り始める。
生徒にポイントをアドバイスしてやるとすぐに一匹のオショロコマがかかった。
続いて、各自が次々に釣り上げる。
結局ほぼ全員が釣果をあげて満足して帰路に就いた。
魚をつかめなかった男の子、虫にさわれなかった女の子、それぞれ課題を抱えつつ、魚がかかった一瞬の快感を報酬に、それぞれの課題克服に努力していた。授業に関する課題に対してこれほど熱心に努力する生徒を僕は他で見たことがない。
終了時刻が近づいてもなお「授業を続けたい」と求める高校生を、他では知らない。
知床のオショロコマはシマフクロウの重要な食物だ。
規制が無いといっても無闇に捕獲するべきでない。
だが、生徒たちがその豊かさを理屈抜きに感じ取るために、少量のオショロコマが捕獲されたとしても、コタンコロカムイは許してくれるのではないだろうか。
こう考えるのは身勝手かなあ?
一応「渓流釣り」の範疇に入る。
今まで羅臼川で釣っていたが、今年の羅臼川は思うように釣れない。全く釣れないわけではないが、釣りの上手な者にしか釣れない。
そこで、今日は場所を変えることにした。
2時間の授業時間内で学校からの往復が可能で、かつ釣りをする時間もそこそこにあるような川となると選択が難しい。先生方と協議し、結局サシルイ川に決めた。
15分弱で川に着き、おもむろに釣り始める。
生徒にポイントをアドバイスしてやるとすぐに一匹のオショロコマがかかった。
続いて、各自が次々に釣り上げる。
結局ほぼ全員が釣果をあげて満足して帰路に就いた。
魚をつかめなかった男の子、虫にさわれなかった女の子、それぞれ課題を抱えつつ、魚がかかった一瞬の快感を報酬に、それぞれの課題克服に努力していた。授業に関する課題に対してこれほど熱心に努力する生徒を僕は他で見たことがない。
終了時刻が近づいてもなお「授業を続けたい」と求める高校生を、他では知らない。
知床のオショロコマはシマフクロウの重要な食物だ。
規制が無いといっても無闇に捕獲するべきでない。
だが、生徒たちがその豊かさを理屈抜きに感じ取るために、少量のオショロコマが捕獲されたとしても、コタンコロカムイは許してくれるのではないだろうか。
こう考えるのは身勝手かなあ?
2011年6月4日土曜日
羅臼湖へ
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