2009年6月14日日曜日

アルクティカ復活

 一昨日、連絡があった。
本当は来週の月曜日と聞いていたのだが、わがアルクティカだ。
 「修理が完了しすでに届けてあります」と。

 なんという素早さ。うれしい予想外であった。
 もとよりエンジンその他、走行に必要な部分にはまったくダメージが無く、単に車体だけの問題だったのだけれど、久しぶりに帰ってきたからには試運転が必要だ。
というわけで、今日は少々まとまった距離を走ってみた。当然ながら快調。

 ああ、よかったよかった。

2009年6月13日土曜日

今年も…




庭のライラックとフジが咲き始めた。
ライラックは今週の月曜日頃からチラホラ開花し始めていたが、フジは昨日あたりから花を開き始めた。
昨日も今日もけっこう強い雨が降っていたのに、けなげだ。

こうやって、今年も春の宴は締めくくられる。

2009年6月12日金曜日

霧の道


 霧の日が続いている。
朝、羅臼への道の両側にハルザキヤマガラシが咲き誇っている。霧の中に花に縁取られた道が続く風景は美しい。
 だが、この花、新参の外来種なんだがなあ。

知床の漢(おとこ)

 昼、弁当を持って行かなかったのでパンを買いに行った。このパン屋のご主人、実は昨日マッコウクジラを観た時、一緒にいた「エヴァーグリーン」の船長なのだ。店に入っていくなり声をかけられた。
「昨日、よかったショ。やっと観られたね。久しぶりだったでしょう。」まるで自分のことのようにうれしそうな様子だった。
 昨年、僕が企画したホエールウォッチングはことごく時化は濃霧で中止になったり、出向してもクジラに出会えずじまいだったりした。この船長から、「霧男」と呼ばれ、自分でもいささかヤケになって「霧野悠羅」というすばらしい名前を名乗ることになったのだ。 もちろん自然が相手のことだし、僕は、まったくゲンを担がないので、さして気にならなかった。けれども彼は、僕の「不運」をずっと気にしてくれたのだということに、昨日、初めて気づかされた。
気が荒く、言葉遣いも厳しい海の男の優しい一面を見せられた瞬間だった。
 これが知床の漢(おとこ)なんだなあ。思い返すたびにジーンとなる。

2009年6月10日水曜日

クジラ




 港は濃い霧に包まれていた。
 やはり、と思った。根室海峡は、どうしても僕を霧で迎えたいらしい。この霧が、僕とクジラを隔てる意志のようにも思えて、少々意気が下がるなあ、と感じつつタラップを踏む。今日乗せてもらう船は「民宿まるみ」さんの「アルランⅢ世」だ。
 
 少々沈んだ僕の気持ちにお構いなしで船は港を出た。しばらく走っても霧は晴れない。波も少し高い。風も出てきた。今日もダメかな、と思った時、船の進行方向の霧が薄くなり、青空が見えだした。風も弱くなっている。もう国後島との中間ライン近くだが、ハシボソミズナギドリの群れも集まっている。ひょっとしたら、と期待がわき始める。

 やがて、先にその海域に来ていた知床ネーチャークルーズの「エヴァーグリーン」が北東方向に走り出した。よく見ると左舷前方に噴気が見える。マッコウクジラだ。「アルランⅢ」のエンジンが唸り出す。あっという間に「エヴァーグリーン」と並んだ頃、海面で行こうマッコウクジラのそばまで来ていた。
 久々に見るあのゆったりとした呼吸。人間をまったく無視しているようにゆうゆうと体を休めている。数分間、断続的に噴気を繰り返した後、一瞬腰を高く持ち上げた。
「潜る」と思ったと同時に尾を高く上げてそのクジラは海底に向かって行った。
 5月末、ガリンコ号でミンククジラには会ってきたが、根室海峡のクジラは実に実に久しぶりであった。
 ああ、良かったなあ。

2009年6月9日火曜日

根室海峡に十六夜の月

 上空を通過する寒気のせいかこのところ曇りの日が続いている。南東の風が入り込み霧の出る日も多い。
 「初夏」というこの時期のもつイメージとは裏腹に、冷たくじめじめした毎日が続く。これが道東の初夏なのだとあらためて思い知らされる。もっとも、このような気候を日本のアイルランドと呼んでみると気分が変わってくるような気がする。
 羅臼に昔からある民宿で、海の見える浴室から国後島の上の十六夜の月を眺めながら今夜はそんなことを考えた。

2009年6月8日月曜日

電気自動車のこと


電気自動車のことが話題になっていたが、ニュースを見ていて僕の考えと少し違うな、と感じて、「環境保護」の教科通信にこんな記事を書いた。

 電気自動車が発達してきた
温暖化対策として電気自動車の普及が急がれている、とニュースで紹介されていました。
二酸化炭素の排出を減らす有力な選択肢の一つとして注目されていることは、今や誰でも理解していることでしょう。沖縄を中心にレンタカーを電気自動車に置き換える試みなども検討されているといいます。

 電気自動車で満足できるか 
 このこと自体は悪いことだとは思わないのですが、一つ大事なことに注意しておかなければならないのではないかと考えながらこのニュースを見ていました。それは、電気自動車が普及し、化石燃料(ガソリンなどのことネ)を燃やして走る自動車が減ったとしても二酸化炭素の排出量が根本的に激減するのかどうか、厳密な検証をしなければならない、ということです。
 それにはいくつかの根拠があります。
① 自動車が使う電気は発電所で作られているので、発電量が増え、火力発電への依存  が増えると二酸化炭素排出量はそれほど減ることにはならない。
② 新たに電気自動車に置き換えるために、自動車の部品の製造や生産のための運搬が活 発になるとその分の二酸化炭素排出量が増加する。
③ 沖縄の場合、観光客が増加すると観光客を沖縄めで輸送のための二酸化炭素排出量が 増加する。

環境問題は見かけだけでは全然ダメ
 要するに何を言いたいかというと、ガソリンエンジン車を電気自動車に置き換えると目に見えている部分では二酸化炭素排出量が減る。しかし、社会全体の構造としてどれほど二酸化炭素を削減できるのかは、冷静な検証が必要で、ムードだけが先行することはかえって問題の本質を覆い隠すことになってしまう、ということです。

 「環境問題」は、このような複雑な背景をもっていることが多くあり、意識的にそれをカクレミノにして一儲けをたくらむ企業などがあり、僕たちはこれに振り回されないような注意が必要だと思います。

 沖縄のレンタカーの問題にしても、観光客が移動する交通手段を「現在と同じ個別のクルマによる」という前提から根本的に変えていく発想が必要なのではないでしょうか。たとえばトロリーバスを走らせるとか鉄道を走らせる、さらに観光のあり方そのもの(つまり文化のあり方ですね)を変えていくような検討が必要ではないでしょうか。

本質に切り込む環境学習
 環境問題はもはやムードとか気分では解決できない深刻な段階に達しています。羅臼高校の「環境保護」では、このような本質に切り込む環境学習を常に心がけていきたいものです。

 環境問題の本質的な解決は、「今の生活を見直す」ところから始まるのではないでしょうか。今の、「便利すぎる」「快適すぎる」「カッコ良すぎる」生活を検討して、本当に大切なもの、本当に必要なものだけを残し、それ以外の部分は思い切って削り取っていくことが必要です。
 個人の生活でも企業の営利活動でも同様だと思います。特に、スケールを考えると企業の「金儲け」の活動は大きく見直す必要が出てくると思います。
 社会的な合意の中で「金儲けは善」という価値観を見直すことは急務であるように思います。
 個人の生活でも「ちょっと不便に」「ちょっとカッコ悪く」ということも必要になってくると思います。

写真は本日の夕食
ひとりウニ丼