2011年11月14日月曜日

いま気になること

ごく個人的な思いを書きたい。

 顔色を窺う生徒が増えていないだろうか?

 つまりこういうことだ。

 生徒を飽きさせないよう、配慮しながら授業を進めていくのは今や高校でも常識だ。
 一方的な「講義型」の授業では、通用しずらくなって久しい。

 そこで、授業中に様々な工夫を凝らした(それほどでもないが)発問(これは「業界用語」かな?ようするにこちらから生徒への質問です)をしながら授業を進める。
 できるだけ生徒に考えさせたいので、考えさせるように考えた発問をする。(クドイ!)

 ねらいとしては、教師からの質問への答えを考える作業をさせたいのである。

 僕が最近感じる不満は、生徒たちが答える時に、あまり考えずに答えることだ。
 質問に対して、とりあえず何か答えを言ってみる。そしてこちらの顔色を窺うのだ。
 「答えが違っていそうだ」と判断すれば、すぐに別の答えを言う。そしてまた、顔色を窺う。
 時によってはそれが正反対の答えだったりするワケね。

 「バカヤロオ!結局オマエの考えはどっちなんだ?」と詰め寄りたくなる。
 (詰め寄る時もある。)

 正解を出すことより考える過程を大切にしたいのに、いつから、こんな卑屈なニンゲンが増えたんだろう?
 
 こんなクソ面白くない精神を持った子どもたちを生み出した、現代の日本社会を僕は憎む。

2011年11月13日日曜日

サヨナラ東京


 昼過ぎに羽田空港を飛び立った。
 いつになくホッとした感覚を覚えた。
 東京の方々には申し訳無いが、やはり放射線の影響から少しでも遠い地へ帰ることのできる安心感を感じる。
 そして、出来るなら、自分の身内中でも年若い身内は、なるべくこの地に来させたくないという思いを強くした。

 座席は左舷の窓側だった。
 ふと外を見ると富士山が雲の上に堂々と頭を出している。コニーデの美しい斜線が目を捉えて離さない。まだ、東京湾の真上にいる。東京から富士はこれほど近くにあるのだとあらためて感じた。

 そして、ふと考えた。
 こんな美しい山。美しいということは、この山が若い活火山であることの何よりの証拠だ。日本という国は、列島全体が火山で出来ていると言っても過言ではない。
 これだけ火山があること。富士のような若い火山があるということは、地質的にもきわめて不安定であるということだ。

 そんな不安定な土地に原子力発電所を建てまくるなんて!
 どう考えても暴挙だ。狂気の沙汰である。

 原子力発電の技術は、アメリカやヨーロッパなど地震も少なく安定した地盤を持っている国で開発された。それをそのまま日本に導入するとは。
 明治維新以来、日本は欧米の技術を導入し、改良して今日の「繁栄」を築き、「技術大国」を標榜してきた。
 たしかにそれはそれで素晴らしいことだと思う。

 だが、欧米に追いついて、まだたかだか百年ほどなのだ。少し、急ぎすぎていないだろうか。
 科学技術ばかりでなく、欧米の植民地主義も真似た。そして手痛い失敗をしたのではなかったか?

 あまり知られていないようだが、風力発電用の大規模風車も同じような失敗例だと聞いたことがある。デンマークで生まれ、風量や風向が安定しているヨーロッパの風に合わせて設計された風車は、平野が少なく山が海に迫っている地形の日本のような不安定な風で回されると軸の部分がいつも大きな力を受けて、故障しやすいのだそうだ。

 日本人は「猿まねが上手い」と揶揄される。
 「真似」がすべて悪いとは思わないが、設計思想や歴史的な背景まで視野に入れた真似ではなく、上辺だけを模倣したのでは、手痛い失敗を繰り返し、世界の笑い者になってしまうのではないだろうか。

 そういう愚行に気づく人が、もっと増えて欲しいと願う。

2011年11月12日土曜日

東京海洋大学で


 その標本は、ミニバン3~4が入ればいっぱいになるほどの小さな建物の中に押し込められるように展示されていた。二頭分だった。
 
扱いが粗末なのではない。入れきらないほど大きいのだ。セミクジラの骨格だから。やむを得ないだろう。

 痕跡的な骨盤まで付いている。
 会議が東京海洋大学で開かれていたので、しばらくの間、鯨たちをゆっくり対面することが出来た。

 必要時上に鯨を神格化したり美化したりする考え方とは距離を置きたいと思うが、こんな巨大なほ乳類が海で暮らしているという事実は素直に受け止めたい。

 海や地球は、ニンゲンだけのものではない。
 骨格は、静かにそう思っているようだった。

2011年11月11日金曜日

東京の放射線量

出張で東京にやって来た。
 以前から気になっていたので、放射線量計を持参した。

 正直なところ、北海道の我が家の周辺とどのくらい違うかが知りたいという野次馬的な気持ちもある。
 しかし、購入した線量計が、正しく動作しているのかどうかを確認したいというマジメな理由もあった。

 千代田区のホテルの部屋で、0.14~0.21(μSv/h)だ。
 50メートル離れたコンビニからホテルまでの歩道を測ってみたが、0.15~0.24を示した。
 街路樹の周りや側溝の上がやはり高い。はっきりと有意な差が表れた。

 北海道の自宅では、線量が低い時は0.08を示す。
 どれほど精密なものかわからないので、数値そのものは完全に信用できない。けれども相対的に東京の放射線量が高いことは明らかだろう。
 東京では「0.08」は示されない。

 この放射線量は、もちろん「ただちに健康への影響が出る」値ではない。しかし、福島原発の事故によって、東京の人々は、本来浴びる必要のない放射線を浴び続けているということは事実だろう。

2011年11月10日木曜日

授業の一コマ




 今日から根室の日の入りが15時台になった。
 光の冬である。

 弱まる日差しを追いかけ、「野外活動」の授業は牧草地へ出かけた。

 狭苦しい校舎から解放された子どもたちにとって、この場所に立つこと自体が、もう既に十分な学びになっているのではないだろうか。

 ここも知床なのである。

2011年11月9日水曜日

立冬の知床から



 羅臼岳が雪を被った。
 羅臼岳のみではなく、標高800メートルより高いところは雪になったようだ。
この雪は、もう春まで融けないのではないかという予感がしている。
 いよいよ、知床にも冬が来る。

 家でも、たまに薪ストーブを焚く。
 薪ストーブは強力で、部屋の片隅で燃えているにもかかわらず、間仕切りのない部分全体が、短パン半袖で過ごせるほどに暖まる。

石油ストーブで、これほどまでに室温を上げると、
 「もったいない!」という思いが強くなり、心がチクリとする。
 だが、薪ストーブの温もりは、思い切り手足を伸ばして浸りきることができそうに感じるからおもしろい。

 もちろん、燃やされる樹木に感謝しているのだが。

2011年11月8日火曜日

突然の断水

 羅臼に一軒住宅をお借りしている。
 由緒ある商家だった方の住宅で、大変古い。
 一週間ほど水道を使わずにいた。先週、蛇口を開けたら水の出が悪くなっていた。
「出が悪い」などというものではない。一分間に200ミリリットルくらいしか出ない。
「ほとんど出ない」と言ってもよいだろう。

 屋内の配管も相当に古そうだったからすぐに修理業者に連絡した。

 今日、工事が始まったが念のためということで、まず外の配管を調べた。
 すると、外からの水の供給がすでの悪くなっていることが判った。
外の配管となるとそれは役場の管轄で、役場の水道課の人がすぐに来てくれた。
 来てくれた時点で暗くなって、今日の作業は終了時刻を迎えた。
 その時、役場の方から意外な申し出を受けた。
「お隣の家へ入っている水道管から分岐させて、臨時の配管を引きましょう」と。
 おおっ、なんという親切。
 しかし、即座に辞退した。一日や二日、たとえ一週間水道が出ないからといって、何が問題だろう?

 部屋の中にいて、寝ぼけ眼にボロパジャマで、蛇口をひねれば新鮮な水がどんどん出てくる状況は、贅沢の極みではないだろうか。日常の、そのような便利さに対して、僕たちは、感謝すべきであり、それが当たり前と思ってはいけないのだ。

 生活用水を手に入れるのに、近くの井戸まで水くみに行くというは江戸時代の普通の生活だった。それだって、遠い川まで行き、重い水を担いで帰ってくる時代の生活から見れば便利だったに違いない。

 僕が子供の頃、函館市に住んでいたが、地域によっては、町内に一カ所しかない共同の水道栓まで、家庭で使う水を汲みに行っていた。

 そう。
 水を手に入れるということは、大変な努力と労働を伴うことだったのだ。栓をひねるとドドドッと水が出てくる暮らしなんて、われわれが手に入れて100年にも満たないのではないだろうか。

まして、未来永劫水道が出ないわけではない。ほんの一週間か十日の間のことだ。臨時の配管をして今夜からまた水道を復活させる必要なんか、全然ない。

 便利であることは良いことかもしれないが、便利さに慣れてしまっては自分の中から逞しいココロ失われると思う。


 それにしてもナァ。
 今では、キャンプ場にまで水道がある。
 キャンプというものは文明のありがたさを知ることが目的だ、と昔習ったような気がするのだが、今は、キャンプに行っても、便利な暮らしを手放せない時代なんだナァ。

 こんな些細な日常の出来事からも、病む社会が見えてくるような出来事だった。