今日、一つの歌と出会った。
歌の名は「ZAMAN-AI」(ザマナイ)
カザフ語で「ああ、時代!」
セミパラチンスクは、今ではカザフスタンの一地域だが、ソビエト連邦の時代、核実験場が作られていたことは、よく知られている。
四国ほどのもあるその核実験場で、1949年から40年間にわたって467回の核実験が行われたという。
もちろん大気中、地上、地下とあらゆる条件の核実験が行われた。核実験に伴って生じた、放射性降下物が風で近隣に飛散し、住民は被曝した。
また核実験でできた「Atomic Lake」という直径数十メートルの「湖」などもあり、その湖面からも強い放射線が出ているという。
ここでは、近隣住民の被曝以外にも、一部の成人男子を放射能汚染地域に滞在させる「実験」なども行われ、人体実験であるとして非難されている。
また、ベトナムの枯れ葉剤のようにここでも奇形児が生まれ、ホルマリン漬けで保存されているという話もある。
その後、放射能汚染による住民の健康被害が次第に広がり、地元の研究者たちによる調査が行われたが、ソ連当局に黙殺され続けた。ソ連末期のグラスノスチ(情報公開)により実験の実態が明らかになると、住民の鼻帯運動と国際的な非難の高まりによって閉鎖された。
だが、閉鎖から20年以上経った今でも、実験場では自然界の10倍程度の線量率が測定されているそうだ。
ザマナイ、「ZAMAN-AI」はカザフ語で「ああ、時代」という意味なのだそうで、
「なんという酷い時代!」という意味がこめられているのだそうだ。
(この部分 TOMOKOさんのブログ「永遠の歌を求めて」より転載 )
日本語訳の歌はYou Tube で聴くことが出来る。
2012年4月7日土曜日
2012年4月6日金曜日
ハクチョウたちへの思い
・・・・昨年の4月6日のブログから抜粋。
ハクチョウがシベリアへ渡る季節になった。
君が代になんか全く敬意をはらっていない僕だが、渡りをするハクチョウの群れを見かけた時には、いつも直立不動で見送る。
自力で3000キロを旅する者を敬う気持ちと、渡りの途中で命を落とす個体が必ずいるわけで、生命をかけて旅する者を見送る厳粛な気持ちから、尊敬と祈りを込めて。
出勤の朝、北へ帰る群れと並んで走ることもある。そのような時は、運転席から敬礼する。
例年なら心中で、
「来年もみんなそろって戻って来いよ~」と念じる。
今春は、違っていた。
「気をつけて帰れよ~。
日本の水域は、放射能で汚染されるぞ~。
来年は戻って来ない方がいいよ~」
何の情報も無く保障など皆無の野生動物たち。
何一つ苦情も言わない者たちに代わって、言ってやろう。
原子力発電所や風力発電の巨大風車は、いますぐなくせ。
作ったヤツは謝れ
・・・・ここまでが昨年のブログの抜粋である。
どうだろう?
昨年、予想した通りになっている。いや、放射性物質を含んだ瓦礫を全国にばらまくことにした政府。早々と受け入れに手を挙げ、政府に「よい子ぶり」をアピールした北海道。だいたい北海道の知事は、北海道出身ではなく、北海道とは縁もゆかりもない人物だ。そんな者が、このアイヌモシリを放射能で汚す権利があるのか。
迷惑だ。迷惑だ。迷惑だ。
先日、釧路の鶴居村にあるタンチョウのための給餌場に、渡り途中のハクチョウの群れが立ち寄って、ツルのための餌を食べているところが紹介されていた。その時、給餌場の関係者が、ハクチョウたちがツルへインフルエンザを感染させないかと心配していた。
だが、ツルだって一応は野鳥なのだから、ウイルスへの耐性は持っていると思った。本当はハクチョウたちが放射性物質で汚染されることの方がもっと現実的な心配なのに、と考えながらそのニュースを見ていたものだ。
ハクチョウがシベリアへ渡る季節になった。
君が代になんか全く敬意をはらっていない僕だが、渡りをするハクチョウの群れを見かけた時には、いつも直立不動で見送る。
自力で3000キロを旅する者を敬う気持ちと、渡りの途中で命を落とす個体が必ずいるわけで、生命をかけて旅する者を見送る厳粛な気持ちから、尊敬と祈りを込めて。
出勤の朝、北へ帰る群れと並んで走ることもある。そのような時は、運転席から敬礼する。
例年なら心中で、
「来年もみんなそろって戻って来いよ~」と念じる。
今春は、違っていた。
「気をつけて帰れよ~。
日本の水域は、放射能で汚染されるぞ~。
来年は戻って来ない方がいいよ~」
何の情報も無く保障など皆無の野生動物たち。
何一つ苦情も言わない者たちに代わって、言ってやろう。
原子力発電所や風力発電の巨大風車は、いますぐなくせ。
作ったヤツは謝れ
・・・・ここまでが昨年のブログの抜粋である。
どうだろう?
昨年、予想した通りになっている。いや、放射性物質を含んだ瓦礫を全国にばらまくことにした政府。早々と受け入れに手を挙げ、政府に「よい子ぶり」をアピールした北海道。だいたい北海道の知事は、北海道出身ではなく、北海道とは縁もゆかりもない人物だ。そんな者が、このアイヌモシリを放射能で汚す権利があるのか。
迷惑だ。迷惑だ。迷惑だ。
先日、釧路の鶴居村にあるタンチョウのための給餌場に、渡り途中のハクチョウの群れが立ち寄って、ツルのための餌を食べているところが紹介されていた。その時、給餌場の関係者が、ハクチョウたちがツルへインフルエンザを感染させないかと心配していた。
だが、ツルだって一応は野鳥なのだから、ウイルスへの耐性は持っていると思った。本当はハクチョウたちが放射性物質で汚染されることの方がもっと現実的な心配なのに、と考えながらそのニュースを見ていたものだ。
2012年4月5日木曜日
動物の生き方
日曜日など、家で一人きりになることがある。
朝から夜まで、一人のニンゲンにも会わずに数日過ごすこともある。このような状況は、都会で生活している人には想像し難いかも知れない。ある意味で、貴重な体験なのかも知れない。
ただ、まるっきりの孤独ではない。ネコがいる。イヌがいる。サンショウウオがいる。外に出るとウマがいる。そして、原野や森を歩くと小鳥たち、カラス、オジロワシ、無数のシカなどに出会う。
夏ならば、野生の花々が咲き競い、チョウやハチが飛び回っている。
だから孤独ではないし、寂しいこともない。
動物たちを見ていて考える。彼らはどこまでも真面目だ。感情の表し方もごく控えめだ。ひたすら黙々と生きている。運命に逆らわず、黙って状況を受け入れている。
ニンゲンは、こんな野生の動物たちに甘え過ぎてきたのではないか。
土地が必要な時は、海岸を埋め立てる。木材が必要な時は、迷うことなく森林を伐採する。畑を作りたいから、と原野を開墾する。砂が必要なら海岸や河原から大量の砂を運ぶ。ゴルフがしたいと言って、里山の森を切り開く。
何もするな、と言うのではない。
様々な事情で、やむなく開発行為をしなければならないことはあるだろう。ニンゲンは自然環境に手を加えなければ生きて行かれなくなった動物だから。
だが、目の前にある環境に手を加える時、たとえそれが小さな穴を一つ掘るだけでも、そこで暮らしている無数の命のことを考えてみてはどうだろう。
野生の生き物たちは、ニンゲンが必要とすれば、黙ってその場所を明け渡してくれる。それに対して、黙ったままでよいから心の中で感謝すべきではないのか。
そんな心の持ち方が枯渇しきってしまっているところに、現代社会の悲劇の根源があるように思える。
朝から夜まで、一人のニンゲンにも会わずに数日過ごすこともある。このような状況は、都会で生活している人には想像し難いかも知れない。ある意味で、貴重な体験なのかも知れない。
ただ、まるっきりの孤独ではない。ネコがいる。イヌがいる。サンショウウオがいる。外に出るとウマがいる。そして、原野や森を歩くと小鳥たち、カラス、オジロワシ、無数のシカなどに出会う。
夏ならば、野生の花々が咲き競い、チョウやハチが飛び回っている。
だから孤独ではないし、寂しいこともない。
動物たちを見ていて考える。彼らはどこまでも真面目だ。感情の表し方もごく控えめだ。ひたすら黙々と生きている。運命に逆らわず、黙って状況を受け入れている。
ニンゲンは、こんな野生の動物たちに甘え過ぎてきたのではないか。
土地が必要な時は、海岸を埋め立てる。木材が必要な時は、迷うことなく森林を伐採する。畑を作りたいから、と原野を開墾する。砂が必要なら海岸や河原から大量の砂を運ぶ。ゴルフがしたいと言って、里山の森を切り開く。
何もするな、と言うのではない。
様々な事情で、やむなく開発行為をしなければならないことはあるだろう。ニンゲンは自然環境に手を加えなければ生きて行かれなくなった動物だから。
だが、目の前にある環境に手を加える時、たとえそれが小さな穴を一つ掘るだけでも、そこで暮らしている無数の命のことを考えてみてはどうだろう。
野生の生き物たちは、ニンゲンが必要とすれば、黙ってその場所を明け渡してくれる。それに対して、黙ったままでよいから心の中で感謝すべきではないのか。
そんな心の持ち方が枯渇しきってしまっているところに、現代社会の悲劇の根源があるように思える。
2012年4月4日水曜日
もう「公共放送」とは言えない
今日の読売新聞のweb版14時03分によると、「4日、東北電力の東通原発1号機(青森県)と女川原発1号機(宮城県)の使用済み核燃料貯蔵プールの冷却機能が約20~40分間停止したと発表した。」とある。
「プールの冷却水を循環させるポンプの電圧が、暴風の影響で低下したのが原因とみられる。
東通原発は、同日午前6時44分頃、2系統あるポンプのうち一つが電圧低下のため自動停止した。別のポンプを午前7時23分に起動させて冷却機能は復旧した。プールには約600体の使用済み燃料があったが、冷却機能喪失でプールの水の温度上昇はなかった。」(以上 2012年4月4日14時03分 読売新聞より引用)
NHKの夜7時のニュースを見たが、このことには全く触れていなかった。予想通りと言えば予想通りだが、あまりにもひどい。
今回の急速に発達した低気圧の被害については、まとまった時間を充てていたが、その中身は、都内の会社は、それぞれ従業員の退勤を早めたり分散したりして、動いている交通機関への集中を避けたことや、風速40メートルを超えた地域で建物が壊れたこと、電柱が倒れたことなどの報道に終始した。
20本を越える電柱がなぎ倒されている映像などは何度も出てきた。
あれほどの時間を低気圧の被害報道に割くなら、原子力発電所におけるこのニュースも入れられたはずだ。
使用済み核燃料の冷却が止まるということが、どんな大変な事故につながるか、今や多くの人が知っているし、それこそが原発の本質的な危険の一つであるのだから、このようなヒヤリとする事故が日常的にあちこちの核施設で起こっている事実を、広く知らせることこそ「丁寧な説明」であり、「国民の理解を深める」ことにつながるのではないか。
「不安を煽らないように」報道に対して「配慮」し始めることがマスコミの堕落だと知らなければならない。
戦争中の翼賛報道をみればそれは明らかなはずなのに、その反省のカケラもないのだろうか。NHKでは、ジャーナリストの良心は、死滅してしまったのだろうか。
もう「公共放送」とは言えない。
「プールの冷却水を循環させるポンプの電圧が、暴風の影響で低下したのが原因とみられる。
東通原発は、同日午前6時44分頃、2系統あるポンプのうち一つが電圧低下のため自動停止した。別のポンプを午前7時23分に起動させて冷却機能は復旧した。プールには約600体の使用済み燃料があったが、冷却機能喪失でプールの水の温度上昇はなかった。」(以上 2012年4月4日14時03分 読売新聞より引用)
NHKの夜7時のニュースを見たが、このことには全く触れていなかった。予想通りと言えば予想通りだが、あまりにもひどい。
今回の急速に発達した低気圧の被害については、まとまった時間を充てていたが、その中身は、都内の会社は、それぞれ従業員の退勤を早めたり分散したりして、動いている交通機関への集中を避けたことや、風速40メートルを超えた地域で建物が壊れたこと、電柱が倒れたことなどの報道に終始した。
20本を越える電柱がなぎ倒されている映像などは何度も出てきた。
あれほどの時間を低気圧の被害報道に割くなら、原子力発電所におけるこのニュースも入れられたはずだ。
使用済み核燃料の冷却が止まるということが、どんな大変な事故につながるか、今や多くの人が知っているし、それこそが原発の本質的な危険の一つであるのだから、このようなヒヤリとする事故が日常的にあちこちの核施設で起こっている事実を、広く知らせることこそ「丁寧な説明」であり、「国民の理解を深める」ことにつながるのではないか。
「不安を煽らないように」報道に対して「配慮」し始めることがマスコミの堕落だと知らなければならない。
戦争中の翼賛報道をみればそれは明らかなはずなのに、その反省のカケラもないのだろうか。NHKでは、ジャーナリストの良心は、死滅してしまったのだろうか。
もう「公共放送」とは言えない。
2012年4月3日火曜日
電話線切断でインターネットが使えない!
昨日から職場のインターネットが繋がらなくなった。
メールが来ない。出せない。
屋根から滑り落ちた雪と氷の塊が電話線を切断したのが原因だ。
年度始めでとても忙しい時期だから大変だ。職員は皆、イライラして一刻も早い復旧を待ち望んでいるはずだ。
ところが、職場の雰囲気はいつにも増して和気藹々。
ちょっと不便だけど、ダメなものはダメ。吹雪もあれば大風もよくある。自然の懐に抱かれて暮らすこの土地では、システムが壊れた時は、カリカリしてもしかたがない。笑い飛ばすしかない、ということを誰もが知っている。
世の中、あれば便利だけど無ければ無いで、しょうがないモノやコトってたくさんある。 いつかは復旧するのだから、それまで待っていればいいのだ。
反対に、あるだけで大迷惑なモノやコトの方が多い。原子力発電所とか基地とか。
そう言えば去年の今日も、ここに書いていた。
「人生は、もっと単純で良い
愛する家族、犬、猫、馬がいる。
日々の食物があり、安心して住む場がある。
寒さや雨、露をしのぐ衣類がある。
他に何が必要だろう?」と。
メールが来ない。出せない。
屋根から滑り落ちた雪と氷の塊が電話線を切断したのが原因だ。
年度始めでとても忙しい時期だから大変だ。職員は皆、イライラして一刻も早い復旧を待ち望んでいるはずだ。
ところが、職場の雰囲気はいつにも増して和気藹々。
ちょっと不便だけど、ダメなものはダメ。吹雪もあれば大風もよくある。自然の懐に抱かれて暮らすこの土地では、システムが壊れた時は、カリカリしてもしかたがない。笑い飛ばすしかない、ということを誰もが知っている。
世の中、あれば便利だけど無ければ無いで、しょうがないモノやコトってたくさんある。 いつかは復旧するのだから、それまで待っていればいいのだ。
反対に、あるだけで大迷惑なモノやコトの方が多い。原子力発電所とか基地とか。
そう言えば去年の今日も、ここに書いていた。
「人生は、もっと単純で良い
愛する家族、犬、猫、馬がいる。
日々の食物があり、安心して住む場がある。
寒さや雨、露をしのぐ衣類がある。
他に何が必要だろう?」と。
2012年4月2日月曜日
腐敗アミン説ふたたび
ブログを書き始めて一年を過ぎている。
今日、昨年の3月30日に書いた文へのコメントが寄せられた。
会ったこともない人からのコメントだが、ブログの文を正面から受け止め、丁寧に新聞記事などを調べ、知らせてくれたものだ。行間から誠実な人柄が伝わって来るようなコメントだ。
僕の文は、以下のような内容だった。
東工大の清浦教授が、水俣病の原因について、熊本大の調査結果を否定し、腐敗した魚介類から生じるアミンだと主張した。そのため、有機水銀が原因物質だと突き止められるのが遅れ、被害が広がった。
「腐敗アミン説」を主張した学者は、チッソや国を庇ったことになる。原発事故をめぐる一連の「原子力専門家」の発言も、これと軌を一にしている、とした。
一年前、こういう趣旨の文を書いた。
それに対して、今日、以下のようなコメントが寄せられたというわけだ。
東工大清浦教授について、当時の新聞記事を公開しているサイトなどで調べてみました。
細かい経緯を見ると単純に有毒アミン説を唱えただけでは無いですね。
まず、熊本大が有機水銀説を発表します。これは症例や解剖学的所見、チッソが製造工程に水銀を使用していることなどが根拠だったようです。
それに対しチッソが「科学的に見て」根拠薄弱だと反論しています。
清浦教授は周辺海水を調査し、水銀の濃度が魚類の致死量の千分の一から十万分の一でしか無いとして「熊大の水銀説は根拠のないことではないが、慎重に取扱うべき問題で推論は世論をまどわすのでいけないと思う。水俣病の原因は現在の段階ではまだわからないが何の罪も無い漁民こそ気の毒だ。」と述べます。
一見科学的根拠があるかのように見えること。「世論をまどわす」というセリフ。被害者を慮るかの様なブラフ。確かに最近もどこかで見たような・・・と思わせるものがありますね。
この海水調査がチッソの招聘によるものだったかどうか知りたいところですが、まだ資料を見つけることが出来ていません。 (コメントここまで)
一年以上経過しているにもかかわらず、拙い文を丁寧に読んで下さったことに感謝したい。
同時に、文末の清浦教授の調査がどのような経緯で、どこからの資金が出されてなされたか、が重要なポイントであるとわかる。新聞記事などでは、なかなかわからないことだろう。清浦教授の調査はわずか5日間で、報告は通産省(当時)へ提出されているという。このことから、何らかの公費による資金提供であったことは明らかだろう。
清浦氏自身の意図がどこにあったかは別として、結果的にこの調査が水俣病の広がりを拡大し、多くの人の病態を悪化させることに手を貸し、チッソや国への責任追及を遅らせたことは明らかだ。
60年以上も前の出来事だ。次第に事実の輪郭がぼやけるのは仕方がないかもしれないが、今でも病に苦しんでいる人々が大勢いのだから、責任は明確にしておかなければならない。
「南京大虐殺はなかった」などと、意図的に歴史をねじ曲げる策動を得意技にしているニンゲンがうようよしているこの国にあっては、特にそう思う。
今日、昨年の3月30日に書いた文へのコメントが寄せられた。
会ったこともない人からのコメントだが、ブログの文を正面から受け止め、丁寧に新聞記事などを調べ、知らせてくれたものだ。行間から誠実な人柄が伝わって来るようなコメントだ。
僕の文は、以下のような内容だった。
東工大の清浦教授が、水俣病の原因について、熊本大の調査結果を否定し、腐敗した魚介類から生じるアミンだと主張した。そのため、有機水銀が原因物質だと突き止められるのが遅れ、被害が広がった。
「腐敗アミン説」を主張した学者は、チッソや国を庇ったことになる。原発事故をめぐる一連の「原子力専門家」の発言も、これと軌を一にしている、とした。
一年前、こういう趣旨の文を書いた。
それに対して、今日、以下のようなコメントが寄せられたというわけだ。
東工大清浦教授について、当時の新聞記事を公開しているサイトなどで調べてみました。
細かい経緯を見ると単純に有毒アミン説を唱えただけでは無いですね。
まず、熊本大が有機水銀説を発表します。これは症例や解剖学的所見、チッソが製造工程に水銀を使用していることなどが根拠だったようです。
それに対しチッソが「科学的に見て」根拠薄弱だと反論しています。
清浦教授は周辺海水を調査し、水銀の濃度が魚類の致死量の千分の一から十万分の一でしか無いとして「熊大の水銀説は根拠のないことではないが、慎重に取扱うべき問題で推論は世論をまどわすのでいけないと思う。水俣病の原因は現在の段階ではまだわからないが何の罪も無い漁民こそ気の毒だ。」と述べます。
一見科学的根拠があるかのように見えること。「世論をまどわす」というセリフ。被害者を慮るかの様なブラフ。確かに最近もどこかで見たような・・・と思わせるものがありますね。
この海水調査がチッソの招聘によるものだったかどうか知りたいところですが、まだ資料を見つけることが出来ていません。 (コメントここまで)
一年以上経過しているにもかかわらず、拙い文を丁寧に読んで下さったことに感謝したい。
同時に、文末の清浦教授の調査がどのような経緯で、どこからの資金が出されてなされたか、が重要なポイントであるとわかる。新聞記事などでは、なかなかわからないことだろう。清浦教授の調査はわずか5日間で、報告は通産省(当時)へ提出されているという。このことから、何らかの公費による資金提供であったことは明らかだろう。
清浦氏自身の意図がどこにあったかは別として、結果的にこの調査が水俣病の広がりを拡大し、多くの人の病態を悪化させることに手を貸し、チッソや国への責任追及を遅らせたことは明らかだ。
60年以上も前の出来事だ。次第に事実の輪郭がぼやけるのは仕方がないかもしれないが、今でも病に苦しんでいる人々が大勢いのだから、責任は明確にしておかなければならない。
「南京大虐殺はなかった」などと、意図的に歴史をねじ曲げる策動を得意技にしているニンゲンがうようよしているこの国にあっては、特にそう思う。
2012年4月1日日曜日
泉佐野市の馬鹿げたたくらみ
大阪の泉佐野市が市の命名権を売りに出すことを検討しているという。
地名は歴史を背負っているのだから、祖先への尊敬の気持ちがあるなら、安易に過去から続く名称を変えるべきではないと思うのだが。
歌詞の意味不明で、訳のわからぬ歌を、力ずくで「国歌」だとして、無理矢理押しつけるより、その土地がどのような歴史をたどり、どういう意味でそう呼ばれてきたかを考え、尊重する方がずっと大事だと思う。
地名は文化だと思う。
まあ、こう言ってはみたけれど、市町村の合併で、なんだか意味不明で没個性的な名前の自治体がやたらに生み出されたし、住居表示では「自由が丘」とか「光が丘」、「緑町」とかが全国的に急増しているから、もう々でも良いのかも知れない。
日本人は、「伝統」とか「武士道」とか都合の良い時に口にする割には、古いものを大事にしない。使い捨ての伝統を持っているようだ。
割り箸とか伊勢神宮の建て替えとか。そもそも、使い捨てが「日本」の「伝統」なのかも知れない。
その延長線上で、「どうせ一時の名前なんだからカネになるなら売っちまおう」ということなのだろう。
だが、そういう思想の人だけが暮らしているわけではない。日本列島には、その種の文化に与しない民族もいる。
自然を敬い、モノを大切に使い、土地と土地の背負っている歴史を敬い、そこで暮らす生き物を大切にしてきた人々もいる。
もうこれ以上、人の気持ちを踏みにじる政治、政策はやめろ。
地名は歴史を背負っているのだから、祖先への尊敬の気持ちがあるなら、安易に過去から続く名称を変えるべきではないと思うのだが。
歌詞の意味不明で、訳のわからぬ歌を、力ずくで「国歌」だとして、無理矢理押しつけるより、その土地がどのような歴史をたどり、どういう意味でそう呼ばれてきたかを考え、尊重する方がずっと大事だと思う。
地名は文化だと思う。
まあ、こう言ってはみたけれど、市町村の合併で、なんだか意味不明で没個性的な名前の自治体がやたらに生み出されたし、住居表示では「自由が丘」とか「光が丘」、「緑町」とかが全国的に急増しているから、もう々でも良いのかも知れない。
日本人は、「伝統」とか「武士道」とか都合の良い時に口にする割には、古いものを大事にしない。使い捨ての伝統を持っているようだ。
割り箸とか伊勢神宮の建て替えとか。そもそも、使い捨てが「日本」の「伝統」なのかも知れない。
その延長線上で、「どうせ一時の名前なんだからカネになるなら売っちまおう」ということなのだろう。
だが、そういう思想の人だけが暮らしているわけではない。日本列島には、その種の文化に与しない民族もいる。
自然を敬い、モノを大切に使い、土地と土地の背負っている歴史を敬い、そこで暮らす生き物を大切にしてきた人々もいる。
もうこれ以上、人の気持ちを踏みにじる政治、政策はやめろ。
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