2012年11月7日水曜日

アメリカの大統領選挙結果なんて、急いで知る必要なんか無いべっ!

 今日のNHKは、朝から嬉しそうにアメリカ大統領選挙の開票日であることを報じていた。  正確には数日前から、たびたび報道していた。テレビは全く見ていない。車に乗った時、ラジオでニュースを聞くくらいなのだが、何度もこのニュースが耳に入ってくるということは、かなりの頻度で報じているのだろう。  いよいよ開票日当日になって、通常の番組を中止し、編成を変えてまで報じていた。ほとんどリアルタイムで「開票速報」と言って差し支えなかろう。  これだけ集中的に選挙結果を報じられたら冗談では無しに、ここはアメリカの一部なのだ、という気がしてくる。  本当にそう思わせることを狙っていると思わざるを得ない。 少なくとも日米関係は、何よりも重要であるという考えに国民を誘導するうえで絶大な効果があるだろう。  オスプレイの問題も、米兵による暴行事件も、アメリカ軍の駐留を止めればあっさり解決する。  日本の権力者は、国民がそれに気づくことを極度に恐れているのだろう。「米軍撤退」の選択肢を必死に隠そうとしているに違いない。  実際、多くの人々に、この「アメリカ大事」という考えは確実に浸透している。  (このような表現は問題があるかも知れないが)政治の問題など日頃あまり考えていないような人々でさえ、「日米関係は大切」という幻想に取り憑かれている。 アメリカの大統領選挙をまるで我が国の出来事であるかのように伝える、NHKのこのような姿勢は、確実に世論形成に影響しているのだ。  それが意図的なものであったなら、由々しき問題と言わなければならない。売国的とも言えよう。  夕方のニュースで、大統領選結果に関するインタビューに、ごく普通っぽい若い男性が  「日本の安全のためには、沖縄の米軍の役割は重要だと思う」と答えていた。  聞きながら思わず  「それなら東京に駐留させればいいべっ!」と叫んでしまった。  クルマの中で、たったひとりだったが。  とにかく、大統領選の報道に接するたびにむかっ腹の立つ一日だった。

2012年11月6日火曜日

今夜、羅臼で「歌は風。沙漠も海も国境も軽々と越えていく」

 その歌手は、コンサートの終わりにこう呟いて、最後の曲を歌った。 彼女の歌は、羅臼町内にある小さな店いっぱいに、時には切々と、時には情熱的に力強く、また、時には底抜けに陽気に響きわたる。  伴奏のアコーディオンがヴァイオリンのように、あるいはラッパのように、またあるいは、打楽器のように歌に寄り添っていた。 昨日、突然、友人からこんなメールが届いた。 「ご無沙汰しています、突然ですが、明日なんと羅臼でロシアの囚人が作ったバラード というか、ブルース、ってジャンルがあるんですが、これを歌っている石橋幸さん、っ ていう人のコンサートがあるそうです!   この人新宿のゴールデン街でガルガンチュアっていうロシア業界じゃ有名な小さな店 をやっていて、ロシアに招かれてコンサートもやる有名な人です。(以下略)」  生きる苦しみと悲しみ、愛する歓び、人生のあらゆるシーンが歌になっていく。  それも当然。ほとんどすべてがロシアの歌でロシア語で歌われているのだ。  ロシア革命前、ツァーリ(皇帝)の支配するロシアで過酷な暮らしを強いられる人々。  ロシア革命によって、解放されたと思うのもつかの間、スターリンの独裁体制による監視と密告、厳しい文化統制で窒息を強いられる生活。  第二次世界大戦でのナチスドイツの侵略。2000万人もの犠牲者を出したと言われている。  そんな厳しい条件の中でも、時には官憲の目をかい潜り、時には国外から、人々を励ます歌が、風のようにロシアの大地に吹き続けていたのだ。 多くの日本人に親しまれているロシア民謡ではなく、ロシアの普通に人々の間で歌い継がれてきた歌を中心に、18曲の歌が歌われた。 昨日の夜に、このコンサートのことを初めて知ったのだが、即座に行くことに決めた。そして、しみじみと行って良かったと感じている。  帰りにクルマの中で、僕の頭の中では、うろ覚えのロシア語の歌詞がグルグルと回転していた。  このコンサートを企画してくれた羅臼のKさん。  そして、通訳仲間の友人からの情報をわざわざ僕に伝えてくれた親友のFさん。  もちろん、歌手の石橋幸さんとアコーディオン奏者の後藤ミホコさんに深い尊敬と感謝を捧げたい。

2012年11月5日月曜日

札幌の銘菓

 毎年、この時期に札幌で買うお菓子がある。  円山に近い古い市街地にある老舗の和菓子店がある。  その店で作っている菓子で、果物のブドウを砂糖の衣で包んだだけのごくシンプルなものだ。  口に入れると程よく溶ける砂糖の甘みとブドウの香り、わずかな酸味が上品に広がる。 「どうだ!甘いだろう!参ったか!エイ!エイ!」という押しつけがましさが全く無い。 「菓子」の「菓」は、元々「お茶うけなどの食用にされる果実」だからこれこそが和菓子の原点であるようにも思える。  もうずいぶん有名になり、人気も高まり、最近はやや品薄気味になってきているのが気がかりなほどだ。  だから、知っている人も増えているだろう。  もう30年以上も昔、学生時代に円山地区で暮らしたことがあった。その当時は、十月下旬頃から作られ始めるのを楽しみに待っていて、買いに行ったものだった。  菓子の構造上大量生産は、不可能なようで、円山にあるその店以外では絶対に買えない。 商業主義真っ盛りの昨今で、インターネットやアンテナショップ、一流デパート・ホテルなどで、全国の名物が買える時代だ。  そんな風潮に背を向けるかのように、創業した店(おそらく)のみでしか販売しないという方針を貫いているこの菓子店とその看板の銘菓に拍手を送りたい。

2012年11月4日日曜日

合同教研から

精神病棟での会話  男A「俺はナポレオンだ」  医師「ああ、そうですか。証拠は?誰が決めたんですか?」  男A「神が決めたのだ」  男C「俺がいつ、そんなことを決めたんだ」  いま、国会や政治家を見ていると、このジョークを思い出す。  いっそのことみんな揃って治療を受けたらどうだろう。  今回の滞在は、合同教育研究集会に参加するためだった。  いつも「環境・公害と教育」という分科会だった。  その中で、とりわけ強く感じたこと。  化学物質過敏症とか、低周波振動による健康障害などの問題も多く提起されていた。  水俣病やイタイイタイ病などの公害病も初めのうちは原因がわからず、原因が分からないことを隠れ蓑に企業の都合だけが優先されてしばらくの間、公害物質との因果関係が明らかにされないままに放置された経緯がある。  だから、化学物質過敏症や低周波振動障害、電磁波過敏症などもこれから、その因果関係が明らかになっていくかも知れない。その可能性を保留したままで、なおかつ感じたことである。  それは、発電用大型風車や携帯電話の中継局などを建設する時に、建設を進める側がその立地に隣接する住民と間で、十分なコミュニケーションをとったうえで合意を形成しているようなケースはほとんど無い、という事実だ。  今日、ふと思ったのは、低周波振動や電磁波の障害を訴えている人の何パーセントかは、これらの公共事業が、十分な説明や話し合いをせず、「すでに決まったこと」としてトップダウンで強引に進められた結果、受け止める側の心理的なストレスの昂進によって、より激しい症状が出ているのではないか、ということだ。  つまり、不安定な体調変化で悩まされている人々の幾人かは、日本社会の公共事業の進め方の拙劣さの犠牲になっている人々ではないだろうか、と考えたのである。  もっと厳密な検証が必要だ、とは思うが、いずれにしても「権力」を持つ側の傲慢さ、強引さが引き起こす日本的な歪みの一側面ではないだろうか。

ディベロプメントということ

札幌にいる。 強い風が時雨をもたらし、ビルの陰で落ち葉をくるくると巻き上げている。  冬の足音の聞こえる札幌だ。  午前中、合同教育研究集会のテーマ討論「アイヌ副読本書き換え問題を考える」に出席。討論に聴き入った。  副読本の書き換えに圧力を加えた勢力が、どのような背景を持ち、どのような狙いをもって教育現場に介入しようとしているか、この「副読本問題」を通して、よく見えてきたように思う。  同時に今後の「さらに厳しい闘い」も予感させられた。  だが、その反面、闘志が湧いてくる自分の内面も感じた。  午後から、北海道ユネスコスクール研修会に出席。  印象的だったのは、北海道ユネスコ連絡協議会会長 大津先生の挨拶だ。  ESD(Education for Sustainable Development)の邦訳が  外務省は「持続可能な開発のための教育」と言い、  文科省は「持続可能な成長のための教育」として、「対立」がつづいていて、現場の先生や生徒は混乱するばかりだ。  しかし、「develop」という単語は「Envelop」であること。  それは何かが(封筒などに)しまわれ、隠されているところから、その包み(封筒など)を開いて取り出すことが「develop」という本来の意味であること。  成長というのは、隠された能力や可能性をそれを包んでいる封筒から取り出し、花開かせることことだ、という意味である。  だから、どちらの訳が正しいかなどという議論は意味のないことで、私たち教育に関わる者は、子どもたちの隠されている能力を花開かせるために努力しなければならない。  おおむね、このような内容だった。  久しぶりに、学ぶところの多い集まりであった。

2012年11月2日金曜日

帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!

 もう、何度もニュースで流れているだろうが、沖縄で、アメリカ兵が一般の住宅に入り込み、そこにいた中学生を殴るという事件が起きた。  つい先日。女性を暴行する事件が起きたばかりで、米軍の「反省と自粛」の態度を示すため、夜間外出が禁止されていた中で起きた事件だ。  外出禁止が形骸化していることは以前から指摘されていたが、アメリカ軍の方にも、少しは「はばかる」態度があるのかと思っていた。  戦闘の場に臨めば、生命のやりとりをするのが軍隊だ。軍隊として行動する場面では、規律に絶対的に従う行動が必要となる。たとえ戦場に行っていなくても、日常的にそのような訓練をしている。  それによって起きるストレスは想像できないほど大きなものだろう。兵士の心は、荒れる宿命から逃れられないのだ。それが「戦争をする人間」の当たり前の姿だ。  だから、休暇を与え、リラックスさせる時、羽目をはずす行動を黙認せざるをえない。  命がけの戦争をし、あるいはいつ戦場に飛ばされるかわからない状況下におかれ、緊張を強いられている兵士が、休暇の時も羽を伸ばすことができず、「日米関係の良好を保つため」に模範的な行動をとることなど初めから無理なことである。  その意味で、今回の事件は起こるべきして起きたという面があろう。  だから事件の再発防止を本気で願うなら、米軍に帰ってもらうしかないのだ。  アメリカ軍が駐留している以上、これからも事件は起き続ける。  こんな簡単な理屈がなぜわからないか。  いや、戦後長期間政権の座についていた自民党も、それに代わった民主党も、政治家はそのことをよくわかっているはずだ。  わかっていて自国の国民を生け贄のように差し出すことは許されない。   もう一度言う。  アメリカ軍には出て行ってもらうしかない。  物心ついてからずっとそう思ってきたが、このような歳になっても、やっぱり思う。  今は、確信している。  帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!

2012年11月1日木曜日

朝の原野でトビムシと出会った

 3日間、気圧の谷の中にいて、雨が降っていたが、今朝になって青空が戻って来た。  外気温5℃。ストーブが頼もしい。  今日から11月だ。   朝、犬と共に草地を散歩した。 日陰の草にうっすらと霜が残っていた。  出勤前のほんの30分程度だが、雨が降らない限りなるべく散歩につれだすことにした。  いや、正直に言えば、朝食時から家の中で僕につきまとって離れないから根負けして散歩に連れ出す。  遠くでシカの鳴き声が聞こえてくる。 哀愁を帯びてもの悲しい声なのだが、犬にとっても僕にとっても、その前にシカの居場所が気になる。  獲りやすい場所にいたら獲ってやろうという気持ちの方が強い。  なんと野暮な主従であろうか。    ふと一本のヤナギの幹を見ると小さな小さな白い虫が一匹だけ、ボンヤリと佇んでいた。  粘管目の昆虫 トビムシであろう。1ミリにも満たない小さな体で、腐植質を食べている。  小さな虫だが森林の土壌の生物多様性には欠かすことのできない生物群集だ。 一瞬の出会いがあり、次の瞬間にはもう二度と出会うことのない別れがやって来た。  とるに足らないような虫だが、放射性物質で汚染された地域では、この虫のような微小な土壌動物が、その影響を直接受けている。そして、上位の階層にいる生物ほど汚染物質を数十から数百倍ずつ多く蓄積しているのだろう。  まったく罪のない野生の生物たちの体に。 久しぶりに青空は戻ったけれど,遠い山の上や水平線上には不穏な意志を隠しているような雲が浮かんでいた。 青空が出ているけれど、いつ激しい雨が降ってくるかわからない、油断のならない空模様である。警戒を怠ることはできない。 トビムシの運命とわれわれ国民の運命が重なる。  一人一人の個人に比べて、はるかに大きな力を持っている国家権力は、はたして国民の幸福を守ろうとしているだろうか。  守ろうとしているはずはない。