2012年10月29日月曜日
石原慎太郎氏への個人的な感情
東京都知事だった石原慎太郎氏がその職責を途中で投げ出して、国政に復帰すると言い出したことに注目が集まっている。
いろいろな立場の人が色々なことを言っている。
批判的な意見が多いように見受けられる。
これまでの言動から、彼が右翼的で偏見に満ちあふれているレイシスト(人種差別主義者)であることは明白で、そのことへの批判も多い。
それとはまた別の理由で、僕は、彼のことが大嫌いだ。
それは、彼の中にある鼻持ちならぬ過度な東京中心主義と言うより、東京ナショナリズムに対する嫌悪である。
皆が自分の生まれ育った土地に愛着を持ち、自分の住む地域を誇ることは良いことだ。その土地ごとに積み重ねられた歴史があるし、気候的なあるいは、地形的な特徴を備えている。
それは、それぞれが輝いているし価値のあることだ。
だから「善き地域ナショナリズム」を持つことは望ましいと思う。
だが、石原氏のそれにはどうしても違和感を覚える。
「東京が日本の中心で、東京がすべての標準で、東京が何でも一番で、東京の基準で全てが決まる」と心の底で思っているに違いない、と感じる言動が目立つのだ。
この、彼の言葉に口臭のように含まれている意識に反発を覚えるのだ。
断じて違うはずである。
繰り返すが、土地ごとに積み重ねられた異なる歴史があるし、異なる気候的、異なる地形的な特徴を備えていて、そのどれもが、等しく価値のあるもののはずだ。
地域間の関係は水平的であり、上下の関係にはないはずだ。
僕の通っていた小学校の保健室に、空飛ぶ円盤のような直径7~8メートルほどの鉄でできた機械があった。部屋と言っても良い。
それは「太陽灯」という装置で、その中に虚弱な児童を入れて太陽光線に近い光を浴びさせるものであると説明されたのを覚えている。
虚弱とは縁遠かった僕は、その中に入った事はなかったし、かなり時代がかっていたその古めかしい装置が稼働しているのを見たこともない。
考えるに、戦前の遺物だったのではないだろうか。
そして、その太陽灯はいつの間にか保健室から姿を消していた。
石原さんの作る新党の名前がどんなものになるか、野次馬的な話題を集めているが、彼の(唯一の)代表作「太陽の季節」にちなんで「太陽党」が良いのではないか、という意見がツイッターに書かれていた。
僕も賛成する。
戦前の遺物太陽灯とイメージが重なるから。
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