2011年9月29日木曜日

秋のひととき

原野は今、秋

光る草は、真っ盛り


 セイヨウオオマルハナバチの標本整理をした。
 何やかやと言って、今年200頭を超す数を捕獲している。
 今まで、特定の種をこれだけたくさん捕獲したことはないかも知れない。
 
野生生物の生息数を人工的にコントロールしようという試みは、大体が芳しい結果にはならないものだが、昆虫を相手にした時は、特にそう言えるかもしれない。

2011年9月28日水曜日

攻城戦





 羅臼町内にセイヨウオオマルハナバチの巣があるらしいことは、少し以前からわかっていた。そばに小学校があり、その付近での捕獲数が突出して多かったからだ。
 一ヶ月くらい前にハチの出入りする地点が突き止められた。そこはクマイザサの密生する崖の下の方だった。
 場所はわかったのだが密生するササが邪魔になって、地中の巣を掘り出すまでには至っていなかった。大がかりに周囲のササを刈り取って土を取り除かなければ巣を掘り出すことはできないことがわかったからだ。

 そして、ついに、今日、巣の掘り出し作業を行うことになった。
 小学校に連絡したら4年生の子どもたちが理科の時間ということで見学(応援)にきてくれた。

 午前10時、環境省のレンジャー二人と知床財団の職員に僕も加わって作業が始まった。

 やがて子どもたちも到着して、巣から飛び出してくるハチたちを捕まえる仕事を一手に引き受けてくれた。
 子どもたちの網捌きは、ちょっとおぼつかないが人数が多いことで十分効果を発揮して、50頭近いハチを捕らえてくれた。
 今は、新女王が現れる時期で、巣を壊滅させたとしても新女王を逃がしたのでは、防除の効果は半減してしまう。
 そのため、子どもたちの存在は、非常に重要だった。

 激闘一刻。
 ちょうどお昼になる頃、地中の巣は完全に掘り出され、知床に根を下ろそうとしていたセイヨウオオマルハナバチの巣が一つ終焉を迎えた。

2011年9月27日火曜日

38億年の息づかい

「生物はなぜ生きているの?」
 生物の授業をしていて、ごくたまに生徒に質問されることがあった。
 「生殖のためだよ」
 そんな時は、わざと詳しい説明抜きにこう答えてみる。
 質問したのが男の子なら
 「キミだってそんなもんじゃないのか?」と付け加えたりする。

 たいていは、
 「ええええっ!ギャハハハハ」となり、お互いに笑って誤魔化す。

 だが、ヒトの場合はともかく、それ以外の生物について、この答えは間違っていないと思っている。
 生きるためには、まず食べる。食べなければならない。
 つまり自己の生命の維持を図る。
 そして、それが満たされ、時が満ちてくると次の段階は生殖のための行動をとるようになる。つまり種族の維持だ。
 種によっては、極端に利他的な行動が見られる場合もある。
 生命には限りがある。
 誕生した者は、必ず死ぬ。
 いや、「生命活動」とは、「死」へ向かって一方通行の道を進むことそのものだ。
 だから、生命は、自分の生命を受け継い生きる、「次の世代」を生み出すことに、自分の生の全てをかけるのだろう。
 みずからの個体を維持しようとするはたらきも、できるだけ次世代の生命を残す機会を多くしようとするためだろう。

生命は、そうやってみずからの有限性の本質に基づいて、生命を受け継いでいく方法を確立し38億年の地球上の時の流れを旅してきた。
 その生命の流れを、無理矢理押しとどめ、ねじ曲げようとしたのはニンゲンの作り出した放射線であり、放射性物質であろう。

 出張から帰ってみるとアファン(犬)の発情が始まっていた。
 現在生後16ヶ月。
 2回目の発情だ。
 相変わらず年齢の割には子どもっぽい行動が治まらないが、部屋で黙っている時にはずいぶんおとなしく、一見憂鬱そうにも見えるほど、普段の行動と異なる。

 イヌの成長は早い。生後一年目がヒトの15~16歳にあたるという説もある。だからわが家のイヌはもう20歳前後だろうか。
 横顔には母の雰囲気さえまとい始めているようにも見える。
 (まあ、次の瞬間には子犬に戻っているのだが)

2011年9月26日月曜日

北海道へ

 無事に北海道に戻ってきた。
 今回はユネスコ協会連盟主催のユネスコ教員研修会という会合で、持続可能な発展のための教育(ESD)に関する研修会だった。

 「持続可能な未来」と簡単に言うけれど、以前にも書いたように、実際にはそこへ至るまでに解決すべき問題はたくさんあり、そう簡単にはいかない。
 ただ、実際に教育の現場で、児童生徒に伝えるためには、悲観的なことばかり言ってもいられないわけで、現在直面する問題を率直に伝えるとともに、それを解決しようとする意志も伝えていく必要があるだろう。

 そんな感想を持ち帰った。

2011年9月25日日曜日

危険なマチ

 東京三日目。
 何でも簡単に用が足り、こちらの欲求が満たされる便利な街だがとにかく人が多い。
 多すぎる。

 「経済成長」を夢見た政治家や資本家は、今日のこの姿を「繁栄」と受け止めているのだろうか?「豊か」と感じているのだろうか?
 僕には、やはりこれは失敗例のように感じられてならない。
 この街を快適と感じているのは、たっぷりとお金を持っている一部の人たちだけではないだろうか。
 他の人々は、狭い空間に押し込められ、押し込められているという状態に馴らされ、あまり不条理を感じなくなり、この都会暮らしが満足なものだと思わされているのではないだろうか。

 この人の集中をみていると、少子化なんてまったく問題なく、むしろ大歓迎すべきではないかと思えてくる。

 そして、この場所が、事故を起こした福島第一原発からそれほど遠くないという事実も頭から離れない。こんなに人が密集している場所が、原子力発電所事故の影響をジワジワと受ける場所であるということは、この先10年後20年後に、様々な形の放射線障害が多くの人に顕れる可能性がぬぐい去られていないのだ。
 政府は「収束しつつある」という宣伝に躍起だ。事故そのものの沈静化は進んでいるに違いない。だが、長期にわたる影響は、これから徐々に現れてくる。

 オソロシイことである。

東京の地下鉄で知床の海岸を思う。

9月24日(土)
 羅臼町の「ふるさと少年探検隊」がベースキャンプにするモイルス湾の直前に、巨大な岩が海岸を埋め尽くしている場所がある。
 地質のことはよくわからないが、古い海底噴火活動の溶岩が隆起して崖となり、割れて崩れ落ちた岩が積み重なったもののようだ。住宅一件分もあるような岩が、昨日転がり落ちてきたばかりのようにゴロゴロと積み上がっている。
 岬へ行く時は、底を突破するしかない。
 這いのぼる、隙間をくぐり抜ける、飛び降りるなどあらゆる方法で通過する。巨利にすればさほどの長さではない。せいぜい数百メートルくらいだろう。だが、そこの通過には時間がかかる。
 時間が掛かるもう一つの理由は、ルートを見つけにくいことにもよる。僕も昨年、クマの追い払いのために単独で先行したとき、ルートを誤り10メートルくらいの高さの断崖で立ち往生したことがあった。

 網の目のように張り巡らされた東京の地下鉄で、移動しているとき、ふとこの経験を思い出した。
 地下鉄の駅やコンコースも構造はよく似ていると思う。
 ただ、地下鉄の方は、案内の標識が「これでもか」と言わんばかりに案内標識がどこにでもある。インターネットで調べると、安いルート、早く着くルート、乗り換えの少ないルートなど細々と出ている。乗り場や、乗り換える時はどの辺の車両に乗ればよいかまで書かれている。親切で便利なものだ。

 ふと考えてみた。
 これらの情報が突然、一切合切消えてしまったらどうなるだろう。
 試行錯誤を繰り返し、わずか数百メートル進むのに何十分もかかるに違いない。
そんな構造は知床半島の海岸と大きな違いはないだろう。
 違っているのは、知床の海岸には、標識の代わりにあちこちにヒグマの糞があることくらいだ。

 都市は便利で快適だ。
では、知床の難コースにももっと標識を設置すれば良いだろうか。
 「この先モイルス湾」とか、「こちら相泊」とかのように。

 いや、そんなものは要らない。 

2011年9月23日金曜日

夜間飛行から

 日本の上空を夜、飛行機で飛ぶと蛍光菌の培地を連想する。
 光の濃い部分があちこちに散らばる。菌のコロニーだ。
 コロニーとコロニーは光る糸のような道でつながっている。

 ニンゲンは、この美しく小さな極東の島に、蛍光菌のようにへばりつきながらそのコロニーを広げ、増やし、コロニー同士をつなぐ道を太くして「繁栄」してきたのだろう。

 久しぶりに東京に来た。
 飛行機の窓から見える東北から関東にかけて、以前より光が少なくなり、暗さがジワリと増したように感じる。

 「気のせい」かも知れないが。

 そして、このくらいの暗さがちょうど良いのではないかと思う。

 地上から見える星空もちょっぴり見やすくなったのではないだろうか。

 夜は、暗い方が良い。