2012年2月29日水曜日

流氷が連れてきた動物たち 流氷百話 16/100



 今日、羅臼沖の流氷の密度が高まったように感じる。
 昨夜から今朝にかけて、弱い南風が吹いた。
 そのため標津町の海岸にあった流氷が離岸した。その分だけ羅臼の沖の密度が高まったのかも知れない。

 流氷が岸に迫ってくると、いつもは沖の方にいる動物たちを海岸近くで見られることがある。アラナミキンクロなどのカモの仲間、ウミスズメの仲間など。流氷の上で出産するゴマフアザラシの仔が見られることもある。
 オオワシは氷を食卓として利用している。流氷に追われるようにトドも来る。

 流氷とともにやって来るこれらの生き物は、「流氷が連れてきた動物たち」と呼ばれる。
 羅臼で暮らしているとこれらの動物は身近な存在だが、彼らに会うために、わざわざ遠方から道東を訪れる人たちもいる。
 オオワシは、地球上でオホーツク海沿岸にしか生息していないから、ヨーロッパのバードウォッチャーたちの憧れである。

 知床で暮らす人々とも、これら流氷の周辺にいる生き物たちに対して、もっと興味をもって見てくれるようになればいい、と願っている。

2012年2月28日火曜日

こんな官僚がなぜ生まれたか・・・・エリート教育考

去年3月11日以降の福島原発の事故の時、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI=スピーディ)の情報を国民に知らせなかっただけでなく、その存在さえ総理大臣などに知らせていなかったことが、原子力事故の民間調査委員会によって明らかになった。
 アメリカにはいち早く知らせていたのだから、開いた口が塞がらない。

 これは、おそらく日本の行政を担っている官僚の仕業だろう。それも、政府の中枢にいるエリートたちだ。そして、そのエリートたちの中のさらに選ばれた者たちは政治家になっていて、今や政党の幹部になっている者も少なくない。
 国民の生命、財産、健康を守り、弱い者の立場に立ってものを考え、人権を尊重し、自然の力に畏敬の念をもった官僚は、いったい何パーセントくらいいるだろう?
 その比率は、これら「エリート官僚」と呼ばれる人たちとごく一般的な国民とでは、どのように違うだろう?非常に興味あるテーマだ。

 さまざまな見方があるとは思うが、僕は、教育の観点からこのような国民に害をなす政治家や官僚がどうして生まれたか考えてみた。
自分の受けてきた教育も含めて、戦争直後、現在の六・三・三・四制が始められて以降学校教育は徐々に変わってきた。変化する時代や科学技術に応じて見直されるのは当然だが、それに紛らせて、密かに様々な勢力の思惑が混入してくる。
 早い話が昭和30年代あたりから「エリート」と「一般国民」との分別を前倒しして、可能な限り早い段階から「エリート」には、高度で難解な教育を、「一般国民」には、簡単であまり深く真理に迫らなくて良いようなカリキュラムを与える政策がとられるようになった。これは、あまり目立たないよう、少しずつそっと進められたようだ。

 いろいろな議論があるだろうが、「エリート」と「一般国民」を早々と分けることで、効率的な教育ができる面もあろうが、「エリート」にとっては、「ごく普通の人々」の感じ方や考え方を理解する機会を奪うことにもなると思う。

 防衛局長の暴言、沖縄県庁忍び込み、原発事故、しゃくに障ることは数々あるが、根っこにある要因は。共通しているのではないだろうか。

 機会があれば、もう少し具体的に詳しく書いてみたい。

2012年2月27日月曜日

「理解」すべきは野田さん!アンタだ

今日、一斉に野田総理大臣の沖縄への訪問がニュースになっていた。
たとえば、時事通信の記事の冒頭。

 野田佳彦首相は26日、就任後初めて沖縄県を訪問し、同県糸満市の平和祈念公園や「ひめゆりの塔」など戦跡を視察した。首相は那覇市内のホテルで記者団に対し、仲井真弘多(ひろかず)知事との27日午前の会談では、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の「県外移設」を撤回したことなどを陳謝するとともに、同飛行場の名護市辺野古への移設に理解を求める考えを示した。(ここまで引用)

 どの報道も同様の内容だが、どうしても納得できないことがある。
 それは、何度も出てくる「理解を求める」とか「粘り強く理解をお願いしていく」と言う言葉だ。
 「理解する」とは、「物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。他人の気持ちや立場を察すること。」と辞書にある。

 日米両軍の激しい地上戦に巻き込まれた末に、27年間アメリカの統治下におかれ、その後40年経っても米軍基地や演習場がひしめき、アメリカ軍駐留に起因する事件や事故が絶えない沖縄。

 もっと遡れば、ヤマトと清国との二重支配を受け、薩摩藩による異国化政策とその影響による琉球差別など辛い経験をしてきた沖縄の人々の苦しみを理解すべきは野田さん!あなたの方だろう。
 あなたが「理解してくれ」と言うのは、おかしい。断じて間違っている。

 もちろん野田総理大臣は、知っている。
 「理解を求める」のではなく、本当は「強制的に辺野古に基地を作っちゃうから、黙って従えよ」と言っているんだということを。
 それが日本の政財界の意志だ。
 だから、前防衛局長の田中某の『不適切発言』などが飛び出すのだ。あれは、『不適切』じゃない。『正直発言』『ホンネ発言』である。
だから、夜明けにコッソリと環境影響評価書の一部を守衛室に持ち込んで、『提出』したことにできるのだ。「この連中には、この程度のやり方でアリバイが作られればいい」と考えているに違いない。

 野田首相は、最初から沖縄の人々の怒りや苦しみを「理解」するつもりなどない。もちろん新基地建設を「理解」させるつもりもない。
 もし、沖縄の人々の気持ちをちょっとでもわかろうとするなら、ヘリコプターによる上空からの視察で済ますなどという無礼千万な行動をとるはずはないだろう。

 「理解する」は、英語で「understand」だ。
 相手よりも下(under)に立って(stand)、相手の「気持ちや立場を察する」ことが理解なのだと思う。

 胸くその悪い出来事だった。

2012年2月26日日曜日

航空機のトラブル

札幌からの帰り、新千歳空港発15時50分。中標津空港着16時45分。ANA4835便に乗る予定だった。

 新千歳空港に着いたのは14時少し過ぎ。空港は吹雪だった。除雪のため滑走路は閉鎖中で、全便の搭乗手続きが停止していた。
 一瞬呆然となり、どうするか考えていると、中標津行きより先に出発する稚内行き、女満別行き、釧路行きの道内ローカル便の欠航が次々に告げらていく。道内便で残るはANA4835のみとなった。

 仙台行きや東京行きなど長距離便の欠航も次々に決まり、予約の変更や払い戻し手続きを行うカウンターには長い長い列ができていた。

 そばにいた地上係員に中標津行きの見通しについて尋ねてみた。
 彼女は、現在の状況、これまでの経験から、中標津行き欠航の可能性はきわめて高い、と話した。自分とほぼ同意見だった。

 そこで迷いが出た。この時点でJRの特急に乗り換えれば、今日のうちに家に帰ることは出来る。しかし、格安のチケットで来ているので、払い戻しされる航空運賃より特急列車の運賃の方がずっと高くつく。それに加えて、中標津空港にクルマを置いてある。
 結局、明日になってもいいから飛行機で帰ることを決意して、カウンターへの列に並んだ。
 まだ欠航が決まったわけではない。飛ぶ可能性は残っていた。列に並び、自分の順番が来るまでには、欠航かどうかが決まるに違いない。当初予定していた交通機関のトラブルなのだから、明日、遅刻や欠勤という事態になってもやむを得ないだろう。 こんなふうに腹を括ったのである。

 列の中程くらいまで進んだ時、表示板がパッと変わり、中標津行きの搭乗口変更が示された。最初、目を疑ったが、自動チェックイン機で搭乗券を発行された時、やっと確信することができた。

 航空機を利用する頻度は、それほど多いわけでもないが、過去の人生で、飛行機の欠航や到着地変更などの経験は一度もない。もちろん事故に遭ったこともない。
 今日は、人生初の経験になるかと思ったが、ギリギリのところで救われた。旅が一日延びたことでノンビリ過ごすのも悪くないかも知れない。だが、やはり予定通りに進むのが一番だろう。
 自分の幸運さに感謝しながら帰ってきた。

2012年2月25日土曜日

「競争」のふうけい

札幌に来ている。昨夜はJR札幌駅近くのホテルに泊まった。
 今日が、国立大学二次試験ということで、ホテルは混み合っていた。特に朝食時が混み合うということで、ホテル側からわざわざ丁寧な説明があった。

 受験生は、一生に関わる試験だから、こちらはいくらでも我慢できる。
 ただ、この「受験戦争の現場」に直面して、つくづく競争について考えた。
はたして競争は万能なのだろうか、と。

 すべての競争を否定するつもりはない。幼稚園の運動会で、「皆が並んでゴールイン」なんて、絶対にバカげていると思う。
 しかし、この受験戦争が、いったい何年続いていることか。そして、受験戦争は、はたして、どのような社会的なメリットを生み出したか?ほとんど百害あって一利無しだったのではないか、と。
 その証拠が、昨今、様々の面で行き詰まりを見せている我が国のシステムではないだろうか。
 受験戦争の結果、より優れた人材が輩出するなら、福島の原発事故は無かったかも知れない。事故が起こってしまってからでも、もっと住民のためになる選択がなされていたのではないだろうか。

 受験競争では、定員の数だけ合格者がいて、定員をオーバーした数だけ「敗者」を生み出すことになる。
 今、目の前にいる受験生に、
「頑張って!」と声をかけると、その受験生が合格することによって、誰か一人の受験生が合格できなくなることを祈ったことになる。
 もちろん、人情としては理解できるのだが、突き詰めて考えれば、そういうことではないだろうか。だから、そんな制度はおかしい。おかしいと思いつつ、ずっと続いている。
今では、その「受験戦争」を勝ち抜いた者たちが、「戦争」を継続させ、「戦場」へと向かう者を再生産している。

 もっとなんとかならないものだろうか。

2012年2月24日金曜日

愛について

「愛する」は命令できない。
 「愛する」は意志では決まらない。
 「愛する」には現在完了形しかない。
 「愛しちゃう」ものだと
 昔、教育原理特講の先生が言っていたのを思い出す。

 「教育でもっとも大切なものは何だと思いますか?
  それは『愛』です」
 昔、勤務していた高校に
 昇任して校長になった
 長谷川先生が
 少し紅潮した表情でそう言った。

 僕は、
 いや、教育においてもっとも重要なのは『真理』だべ、と
 心の中で反発しながら聴いていた。
 だが、
 やはり間違いだった。
 教育でもっとも大切なのは『愛』だ。
 長谷川先生は正しかった。

 人を愛し
 真理と正義を愛する
 真理と正義があふれる国になったら
 国も愛しちゃうだろう。

 不正に目をつぶることを強い
 危険に目をつぶることを強い
人々を危険にさらして
反論を許さない
 
 歌うことを強い
 起立すること強い
 国を愛することを強いて
 抜け殻のようの人間を大量生産したがる

そんな国を愛することはできない。
 「愛する」は命令はできない。
 「愛する」は意志では決まらない。
 「愛する」には現在完了形しかない。
 「愛しちゃう」ものだと

2012年2月23日木曜日

吹雪の夜

北海道南岸を通過する低気圧が急速に発達し、午後から吹雪模様になった。風、雪ともにまだ、ちょっと弱いだろうか。

 数年前までは一冬に数回は襲ってきた、本格的な吹雪にはやや力不足だろうか。
 本当に、力のある圧倒的な吹雪は少なくなったように感じる。

 現在22時10分。
 風は、そこそこに吹いているようだが、雪が少ない。このまま推移すれば、吹雪の影響は、あまりなさそうに思う。

 じつは、吹雪が好きだ。
 低気圧が近づいて来ると、少し期待して天気図を見る。吹雪であることを理由に、仕事へも行かず、屋外での作業もせず、家にこもって、普段できないことをやっているという状況が好きなのだ。

停電になるのもまた良いものだ。停電するとPCも使わないから、家に持ち帰った仕事もしない。本もあまり読めない。
 お酒を飲むことぐらいしかできない。
 蝋燭をともし、お酒を飲みながらギターなどを引っ張り出してきて、歌ったり、ネコと遊んだりする。
 
 吹きだまりが家の屋根ほどの高さに達し、スコップを持たなければ道を歩けないような吹雪は、もうやって来ないのだろうか。