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2013年2月1日金曜日

複雑系としての流氷  流氷百話 28/100

「 流氷は、知床半島から国後島付近に散在し、国後島に接岸しています。また、流氷の  一部が根室海峡南部に流入しています。   これから1日にかけて、流氷の動きに大きな変化はありませんが、2日は北東へ進む  見込みです。」  これが今日、第一管区海上保安本部から発表された流氷情報と今後の予想だ。  何度も書いたが今年は流氷に厚みが感じられない。「国後島付近に散在」と書かれているが羅臼からは見えていない。過去の記録を調べると流氷の量は大きく変動するようだ。非常にたくさんの流氷が来た年もあったし、まったく来ない年もあったようだ。  ただ、1970年頃からの記録を見ると全体として減少する傾向を見せているという。  流氷も一種の気象現象だから温度、気圧、湿度、風や海流によって影響を受ける。つまり冷厳な物理法則に支配されている。ただし関係する要素が多くあり過ぎて単純に解析することはできない。複雑系なのだ。  人は複雑系に直面してもそれを単純に考えようとする傾向があるみたいだ。天候の予想では「雨」か「晴れ」かをわかりたいのだ。地震はいつどこで起きるのかを知りたくなるし、火山噴火は的確に予知したい。確かにそれが人情だから気持ちはわかる。  単純化を望むあまり主観を先行させ、どこかで論理を飛躍させてしまうこともある。そして、無意識にまたま意識的に、都合よい結論を導き出す誤りも冒す。  意識的な事例は原子力発電を推進したかった原発利益共同体、いわゆる原子力ムラでたくさん見られた。これらは誤りというより曲学阿世であって、犯罪と言っていいだろう。  流氷は大量に押し寄せたり、まったく来なかったり、大きく変動してきた。その震幅はこれから続いていくことだろう。自然という複雑系が人間に示してくれる一種の予測不可能性の教材のように思える。 そして、予測不可能性に飽くことなく挑戦するのも人間の知の技だろう。複雑系が読み解けないからと言って読み解く作業を投げ出してしまったら知の成長は無い。  科学は間違いなく人間を不幸にするものを生みだしてきた側面もある。だが少なからぬ恩恵を与えて来た側面も否定できまい。  科学の依って立つところは、自然から出題される問にいかに答えるかということではないだろうか。そんな自然を読み解く科学を僕は信頼したい。 来たり来なかったり、西かと思えば東に動く流氷を眺めて、そんなことを考えている。

2013年1月29日火曜日

流氷の海の物質循環   流氷百話 27/100

羅臼も含めて北根室地方は強風で地吹雪が激しい一日だった。  982hPaの低気圧が千島列島の東海上で停滞してるため根室地方の一部で結構な風が吹いた。遮るものの無い海上を疾走してきた風は、突然現れる知床半島の1500メートルを超える高さの山々にぶつかり、複雑な渦を作って舞い上がる。  風下側にある羅臼の町には、海に向かって口を開けた谷から思いもよらぬ強さで吹き出してくる。このために海面は沸騰したように泡立ち、海水と空気がかき混ぜられる。  山から流れ下る川水や流氷には栄養塩類が豊富に含まれていると言われる。海底からわき上がってくる深層水も栄養塩類が豊富だと言われる。「栄養塩類」というと聞こえは良いが、閉鎖された水系に流れ込む生活排水にも「栄養塩類」が含まれている。  その具体的な内容はリン、カリウム、カルシウム、マグネシウムetc.…etc.  酸素が少なく、温度がある程度以上の条件の時、これらの栄養塩類が多くなるとアオコなどが発生し「汚れた水」となる。  流氷の海では水温が十分に低く攪拌されて酸素が十分供給されているから植物プランクトン→動物プランクトンという順で栄養塩類が利用されてゆきバランスの取れた物質循環が成り立っている。この精緻なメカニズムは、絶妙なバランスの上にある。  羅臼ではウニ漁が始まった。もうすぐ知床の海で育ったコンブを十分に食べたエゾバフンウニが、また食べられる。

2013年1月27日日曜日

水の不思議 その3 雲はなぜ落ちてこないか  流氷百話26/100

「雲はどうして落ちてこないの?」  子どもに突然こんなことを訊かれたらどう答えたらいいだろう。  「雲が空に浮かんでいるのは当たり前。昔からそうだった。」と、まあ、こういう受け方もあるだろう。     しかし、それは力でねじ伏せているようなものであまりスマートではない。 落下運動は重力による加速度運動だが空気中(流体中)を落下する物体は、空気の(流体の)抵抗で一定の速度(終端速度)以上には加速されない。そして終端速度は表面積が大きいほど大きくなる。  つまり水滴が大きいほど落下速度は大きくなり、上昇気流の速度よりも落下速度が大きくなると(水滴が大きくなると)雨となって降ってくる。  では、元々小さな水滴だった雲の粒がどうして互いにくっ着き合って大きく成長するのだろう。  ここにも水という物質の特異な性質がある。水の分子は、互いに引き合いくっ着き合わずにはいられないのだ。なぜなら水の分子は、電気的な偏りが持っていて、プラスの部分とマイナスの部分がある極性分子と呼ばれる構造になっているからだ。  具体的には中央の酸素原子はマイナスに、両端の水素原子はプラスに電気を帯びている。だから分子同士が電気的な力で引き合ったり反発し合ったりする。  一般に物質は、大きな分子ほど融点が高い傾向がある。分子同士が引き合う力が強いからだ。だが、分子量18の水は、ほぼ0℃で凍る。そして、例えばアンモニアは分子量17だが融点は-77.7℃である。このように水の融点が他の同じくらいの大きさの物質と比べて飛び抜けて高い理由もここにある。  私たちの生活可能な温度の範囲内で水が氷になったり水に戻ったりしているからこそ流氷を楽しむことができる。これも巧まざる自然の恵みと言えるだろう。  僕たちは自然に対してもっと謙虚であるべきだと思う。  自然を守るにしても資源として活用するにしても自然への畏敬の念を忘れてはならないと思う。そして、その畏敬の念を抱く根拠は多面的であるほど良いと思う。  物理学とか化学とかをムズカシイと決めつけて耳目をシャットダウンさせてしまっては自然の精緻な仕組みを理解するチャンスを逸する。  豊かな心で科学を学んでもらいたい。  そして科学を教える教師自身がこのことをより深く理解してなければならないだろう。

2013年1月24日木曜日

流氷の禁止事項  流氷百話 25/100

 日本の学校では夏休みや冬休みなどの長期休業の時、生活についての注意事項を児童生徒に与えるのが普通である。「早寝早起き」とか「夜は○時には就寝する」とか煩わしいほど細かな注意が並べられている。  オホーツク海沿岸にある学校では「冬休みの生活の注意」の一つに「流氷に乗らない」という項目を入れることが多い。この注意事項を初めて見た時、僕は理由もなく嬉しくなった。当たり前だがこんな注意を掲げている学校は、流氷の来る地方にしかないだろう。  流氷に乗ることは、なぜいけないのか。当然、いくつかの危険が伴うからだ。  まず、海に落ちる危険が考えられる。  海岸線がわからなくなっていることも多い。場合によっては氷の上を数キロメートルも沖まで歩いて行けることもある。流氷原は一面に凍りついているように見える。しかし、基本的に氷盤が集まって出来ている流氷原には、氷盤と氷盤の境目に隙間があり、その部分の海水が凍って一見しただけでは厚い部分と区別できない場所もある。誤ってそんな氷を踏み抜いたらその下は、海なのだからきわめて危険なことだ。  次に、流氷に乗ったまま流されてしまう危険もある。  見渡す限りの氷原で微動だにしないように見える氷も強い風が吹けばあっという間に吹き流される。わずか数百メートル沖まで歩いて出た時、急に風が変わるということも十分にありうることだ。  さらに、天候が急変して視界が失われ陸のある方向がわからなくなるということも考えられる。  とにかく流氷の上は危険がたくさんということで、「流氷に乗らない」という注意事項ができたというわけだ。  だが、禁止されている事こそ楽しみは深い。凍った海の上を歩くのは、たいへん楽しい。なにしろ流氷がなければそこは海なのだ。  船にでも乗らなければ絶対に行かれない場所に自分の足で行ける。こんな楽しいことはない。 前任校での授業で凍った海を渡って砂嘴(さし)から砂嘴へ海上を歩いて渡ったことがあった。もちろん十分な安全確認をしてからのことだ。生徒たちは異様なほど喜んでくれた。禁じられたことを実行できる悪童のような心理も手伝ったからなのだろう。  今でも時々思い出す流氷の思い出だ。

2012年10月11日木曜日

イカの季節

 イカが獲れはじめた。  秋になると根室海峡でイカ漁が始まるのは毎年のことだが、今年は少し遅れ気味のようだった。  昨日あたりから急にイカ釣り船が増え、夜の海が漁り火で真昼のように明るくなりはじめた。イカ釣り船の集魚灯がまぶしくてよく眠られない、と職場の同僚がぼやいていた。  ぼやきながらも町に活気が生まれることに、どこか嬉しさがまじっているようだったが。  今朝、さっそく獲れたてのイカを持ってきてくれた人がいて、数匹のイカを持ち帰った。 1匹はすぐに刺身に、2匹はマリネに、他は解体後皮を剝いて冷凍した。新鮮なゴロ(肝臓)と足や耳は塩辛にした。  塩辛は、イカの身とゴロと食塩だけで作る。  新鮮なゴロにはタンパク質分解酵素が含まれていて、筋肉のタンパク質を分解してアミノ酸を生産する。それが塩辛の旨味となる。それには、何よりも新鮮なイカが必要で、僕は、秋のこの時期、前浜でのイカ漁を心待ちにしている。  ところで、大量の塩辛を作っても塩辛ばかりをおかずにするわけにもいかないだろう、と言われる。そんなことはない。少量ずつ分けて冷凍しておき、少しずつ食べる。そして、何より茹でたジャガイモに塩辛を載せて食べるのが最高なのだ。人生のヨロコビと言っても過言ではない。  今日は夜半から雨になった。寒冷前線が上空を通過している。雨が上がると気温も一段と冷え込むに違いない。冷え込んだ海上で、イカ漁はこれから最盛期を迎える。漁師たちの厳しい労働にも感謝して、塩辛を味わわなければ。

2012年8月3日金曜日

朝陽に輝く飴色 羅臼昆布は こう作られる

羅臼の昆布漁は7月から始まった。今は、その真っ盛りの時である。
 朝、出勤の時、思い思いの方向を向いた小舟が浜近くにたくさん浮かび、「マッカ」とか「サオ」と呼ばれる10メートル以上もある長い棒を使って、海底のコンブを巻き付けて採る風景を見ることが出来る。
 コンブ採りは、岸のすぐ近くで行われる。しかし、岸のすぐ近くでさえ10メートルを超える長さの器具を使わなければならないほど知床半島の海は急に深くなっている。
青く澄んだ海底から飴色のコンブが引き上げられ、朝の光が半透明なコンブを通って輝く様子は美しい。

 知床の森から流れ出た中小の川は、みな急流で、森の栄養成分を海に直送する。森が豊かであれば海も豊かになる。羅臼の前浜のコンブはそのような自然環境が育てる。

 羅臼昆布は、高級なダシ昆布として有名だが、こうして海底から引き上げられた後、洗い(表面の汚れや貝などの小生物を取り除く)→乾燥(天日または乾燥室で水分を飛ばす)→しめり(乾いた昆布を夜露や霧などに晒して再び湿らせる)→日入れ(再び天日で乾燥させる)→耳刈り(両端の薄い部分を切り取って整形する)などの複雑な工程を経て仕上げられる。
 この作業工程は羅臼昆布特有のもので、これによって身が厚く、深いダシが出て、しかも昆布自体も軟らかい羅臼昆布ができあがる。

 今朝は、無風に近く海面は鏡のようになっていた。
 小舟でコンブを採る父、それを浜で家族が待ち受け、一斉に作業にかかる。家中が協力して生きる姿がここにある。
 最近では、多くの地域で失われたものが、確かに息づいている。知床で息づいているのは、野生生物ばかりではない。


2012年7月4日水曜日

海に出る

とにかく海に出たかった。
 6月6日の事故以来、自由のきかない身体で、痛む足で、揺れる船に乗ることなどできるだろうか、という不安があった。
 いろいろな人の助けで、少しずつ回復し、歩く速さも元に戻りつつあったし、手もある程度自由に動かせるようになった。
 体力の回復には、まだ時間がかかるかも知れないが、それでも船に乗りたかった。海に惹かれていた。

 町内の理科教員の研修で、今日のホエールウォッチングが計画されていた。それを楽しみにしていた。
 5日も前から気圧配置を気にしていた。最近は気圧配置が固定化し、天気が大きく動くことがなかったので、「このまま行ける」と希望半分の予想を立てていた。
 そして、今日、心配されていた霧も薄くなり、波はほとんど無い。
 勇んで知床ネーチャークルーズの「EVER GREEN」に乗り込んだ。
 陸の建物より狭い船内、急な階段。
 だが、そんなものは気にならない。
 久しぶりに海に出られるのだ。

 最近の情報では、マッコウクジラはまだ来ておらず、シャチも数日前から姿を見せていないという。その代わりイシイルカとミンククジラがかなり来ているということで、まず上手(半島基部)の方向から反時計回りに前浜を一周した。

 海は、穏やかに迎え入れてくれ、いつもの表情を見せてくれた。
 ああ、生きているのだ、とあらためて感じた。

[野帳写し]
鯨類:イシイルカ  きわめて多数
   ミンククジラ 4頭以上
鳥類:オオセグロカモメ     
ハシブトガラス
ハシボソミズナギドリ  まだ、数百羽ずつの群れが多数散在していた。
フルマカモメ   八木浜沖で海獣(アザラシ?)の死体に集まっていた。
トウゾクカモメ 1羽
ウトウ 航路全体に少しずつ
ウミガラス 海岸町沖に3~4羽
ケイマフリ 海岸町沖に2羽
オジロワシ 帰港時に1羽


2012年4月13日金曜日

海明け 流氷百話 22/100

流氷の季節も終わる。
 海岸には、もう流氷の「本隊」はない。
 南風の日が増え、北へ吹き流されてしまった。
 海岸には、座礁して動けなくなった氷が、ポツンと取り残され、日ごとに小さくなって消える時を静かに待っている。
 無生物の氷塊だが、そこに寂寥感や無常感を覚えるのは、ひとつの「終末」の姿であり、滅びる姿が見えるからだろうか。
氷が滅びる海は、春の明るさに満ちている。。

 流氷原が完全に海を閉ざす網走側のオホーツク海では、流氷が去り、漁を始められるようになることを「海明け」と言うそうだ。
 「『海明け』っては良い言葉だね」
 ずっと昔、流氷など見たこともない母が、何気なくつぶやいた言葉が、今も耳に残っている。

 今日は、北海道を低気圧が通過中で、湿った雪と冷たい雨が交互に降ってくる。
 生命が躍動する春へ、「ため」を作っている天候だろうか。

2012年3月28日水曜日

浮力の怪 流氷百話 22/100

羅臼には、流氷の海に観光船を出してオジロワシやオオワシを観察するクルーズがある。その船の船長とは、家も近くとても親しくさせてもらっている。

 ある日、ワシを観察するその船に乗せてもらっていた時、船長が流氷について説明してくれていた。
「流氷は、海面の上に出ている部分より海面下の方がずっと厚みがあるんです。特に2月、3月頃の流氷は、海の中の見えない部分が厚く、船は特に注意しなければなりません。」

 この時、僕は耳を疑った。
 なぜなら氷の密度は、温度や圧力でごくわずかの変化はあるとしても、比重が大きく変わるほどの変化はしないはずだと考えたから。どこまで行っても同じ氷と海水だ。

 この船長は、知床の海の隅々まで知り尽くしている超ベテランで、昔から知床の船乗りたちの間で言い伝えられている豊かな知識も持っている。
では、どうして船長は、そういう話をしたのだろう。真相はわからないが、僕は彼の言葉を信じたい。

 とすると物理の法則が間違っているのか?
 まさか、そんなことはあり得ない。

 経験から得られた事実と物理法則の両方を立てて説明できないだろうか。

これを解決するには、まず、3月の流氷の海中部分が本当に厚いかどうかを検証する必要がある。そのような観測事実が明らかになってから考察をするべきだろう。
ただ、現段階でそれは不可能なので、船長の言葉が事実だったと仮定してその原因を考えてみた。

 最初に思いついたのは気泡の含有量が変化しているのではないか、という仮説だ。氷の中には空気が閉じ込められているから、その量が比重に影響を与えるかもしれない。
 流氷が冬の海を漂っている間に雪が降る日もあるだろう。氷の上に雪が降り積もりそれが凍って、最初の氷に付け加わる。それが比重を大きくする働きをしているかも知れない。
 もちろん、これも検証する必要があるが。

 もう一つは、2月から3月にかけて沿岸の海水温も低下するので、海水の凍る温度を下回り、流氷が成長している可能性も考えられる。その成長の過程で、気泡の含有率が下がって比重が大きくなる可能性はどうだろう。

 いずれにしても、僕たちが学校の教室で学ぶ物理は、様々の現実の条件を捨て去り、「本質」の部分でどのような現象が起きているかを問題にする。いわば、頭の中で理想化(あるいは「空想化」)したことがらについて論じている。
 だから、実際に海の上で起きている現象を説明するには、十分とは言えないと思う。

 「自然に対して謙虚になれ」とよく言われる。それは、地震や台風、津波など災害をもたらす自然の「力」に対してはもちろんだが、流氷の比重の変動のようなごく微量の物理現象に対しても当てはまることではないだろうか。

 学問は、どこまでも傲慢であってはならない。
 傲慢でないからこそ明らかになった事実や真理に対しては全幅の信頼を置いて、非科学的なもの、似而非科学的なものと、毅然と対峙できるのだと思う。

 船長の説明を聞いて耳を疑った自分自身を、僕は密かに恥じている。

2012年3月18日日曜日

流氷の中の塩分  流氷百話 21/100

今夜は、神戸の宿にいる。
 神戸は、ずっと昔、あの地震の前に来たことがあった。この街を初めて訪れたとき、不思議な懐かしさを覚えた。到着したのは夜だった。予約した宿を探して坂道を登った時のことである。
 山があり、坂道を下りれば港に行き着くというところが僕の生まれた街と共通していたせいだと思う。
 震災で、その街並みが失われてしまったことが悲しかった。
 今はもう、震災の痕跡は、ほとんど目につかない。だが、肉親を失ったり、大けがを負ったりした、心身の傷を抱えている人々は、今もたくさん暮らしておられることだろう。港で揺れる灯りを見ながら、そんなことを思った。

 流氷の中の塩分  流氷百話 21/100
 ひとつ訂正しなければならないことがある。流氷百話の第四回、「五感で確かめる事の大切さ」の中で、「流氷は凍結するときに、そこに含まれている塩分を氷の外に押し出してしまうからしょっぱくない」と書いた。
 舐めてみて、塩辛く感じないのは事実だが、決して塩分はゼロではない。北海道立オホーツク流氷科学センターのホームページによれば、1kgの氷に10~12gの塩分が含まれているのだそうだ。普通の海水に含まれている塩分は、1kg中31~33gだからおよそその三分の一と言うことになる。
 実際に流氷を舐めてみた結果、塩辛さは感じなかった経験から、「塩分は無い」と勝手に思い込んでいた。僕の誤りである。訂正させて頂きたい。

 この割合は、流氷中の塩分は1%より若干濃いことを示している。この数値は、ヒトなどほ乳類の体液の濃度にほぼ等しい。生理学的食塩水の濃度は0.9%だと習った覚えがあることでしょう。
 1%の塩分濃度を「塩辛い」と感じるか否かは微妙なところだが、おそらく微かな塩辛さは感じ取れるのでは、ないだろうか。

 では、舐めてみた時、どうして味を感じとれなかったのか。いくつかの理由が考えられる。
 第一に、温度が低くて塩辛さを感じる閾値が上がっていた、というのはどうだろう?冷たいものの味は感じにくいということはないだろうか。
 第二の可能性は、流氷の表面に雪が降り積もっており、舐めた部分が流氷本体ではなく陸上の雪が固まった氷と同じものだった可能性はないだろうか。

 厳密に確かめるためには、明らかな流氷を採取する。表面の部分を取り除き、できるだけ中心に近い部分の氷を取り出して、加熱し水分を飛ばして蒸発残留物の質量を正確に計測する、という手順で作業しなければならない。
 たかだか塩の濃度を測るだけでもこれだけの緻密さが必要だ。

 放射性物質の定量は、社会的に大きな影響がある。慎重で正確な定量が求められるだろう。それに加えて、結果をありのままの伝える誠実さが不可欠だ。

2012年3月17日土曜日

羅臼でウニを味わう不幸 流氷百話 20/100


 今年、流氷の羅臼への到着は割に遅かった。だが、その後、長く居座り、海岸を埋めている。
 羅臼の前浜では、2月からウニ漁が始まる。

 この話は、あまり多くの人に知らせたくないのだが、羅臼産のウニを食べた人は不幸になると思う。あまりの美味さで、他の産地のウニの魅力が一気に色褪せてしまうからだ。
 「何を大げさな!」と思うかも知れない。もちろん、ちょっと大げさに表現したのだが、あながち冗談ではない。
 僕自身、羅臼で暮らす以前は、どこで獲れたウニでも、ウニであるだけでありがたく、「ハレ」の日には、奮発してロシア産の折詰めウニを買い、「ウニだ!ウニだ!」と大騒ぎして食べていたものだ。
 しかし、今は、そんなウニをスーパーで見かけても、買う気が起きなくなった。

 ウニは海藻を食べる。羅臼のウニは、前浜のオニコンブをたっぷり食べている。羅臼昆布は、昆布としても羅臼を代表する産物だが、それを食べて育ったウニが、優れた品質にならないはずはない。
 そして、流氷の浮かぶ冷たい海は、バクテリアも少なく身の引き締まった健康なウニが育つというわけだ。

 「羅臼以外のウニは食べられなくなる」という「不幸」を顧みず、流氷を眺めながらひたすらウニを想う日々は、今年も当分は続きそうである。

2012年3月10日土曜日

旅路の果て 流氷百話 19/100





 北緯43度45分の海岸。
 オホーツク海をはるばる南下してきた流氷の、旅路の果てである。
 
潮流と風で次から次と押し寄せる流氷は、押し合って互いに乗り上げ、山脈のように盛り上がる。オホーツク海沿岸には、このような氷の山脈が何キロも連続して出来ることがある。

 今日、海岸に立って、流氷原を見ていて、ふとひらめいた。
 地球の表面を作っているプレートは、流氷の動きと似ているのではないだろうか。潜り込む、乗り上げる、あるいは引き裂かれるという動きは、氷と氷の間にもある。

 流氷の動きで、プレートの動きを説明すれば、海溝や山脈のでき方や地震の起きる仕組みなどがわかりやすくなるのではないだろうか。

 日本列島は、プレートの境目に出来た島弧だ。
 万が一流氷に乗らなければならないとしたら、氷の境目に乗るだろうか。それとも流氷の真ん中に乗るだろうか。
 当然、不安定な境目には乗らないだろう。

 原子力発電所を日本に造るというのは、流氷と流氷の境目に立つようなもので、安定ないつ境目がずれるかどうかわからない。
 原子力保安院(最近は「不安院」と呼ばれているらしいが)も、この流氷の旅路の果てに立ち、日本列島の地質学上の特性を考えてみれば良いのだ。

2012年3月1日木曜日

流氷が連れてきた動物たち②・・トド  流氷百話 17/100



トドは流氷が来る前にやって来る。
 まるで、流氷に追われるように来る。
 オスは体重1000 kgを超し、メスでも300~400 kgあると言われる。上陸している映像を見ると、その肥満した体をもて余しているように感じるが、水中では、俊敏に泳ぎ、水圧のためかその体型も引き締まって見える。

 北海道に回遊してくるトドは、千島列島からカムチャツカ半島にかけて繁殖しているようだ。
知床国立公園羅臼ビジターセンターには、ダイナミックはポーズで海中を泳いでいる様子を再現したトドの剥製が展示されている。その個体は、羅臼の海で捕獲されたもので、体の側面にロシア文字の「Б(ベー)」という文字と数字の焼き印を押されている。これは、生態調査のためのもので、ブラッドチルポエフ島という千島列島中部の岩礁で標識されたと言うことだ。
トドにとっては、迷惑なことだろうが、そのお陰で移動の様子を探る貴重なデータが得られる。

 羅臼に回遊してくるトドは、ほとんどが妊娠しているメスなのだそうだ。お腹の子どものために、豊かな根室海峡を目指して、やって来るのだろう。しかし、漁業者にとっては、大量の魚を食べるこの海獣たちは、迷惑な存在だ。単に魚を食べるばかりではない。網の中の魚を食べる時は、網を破ってしまう。
 だから「トド撃ち」によって有害駆除の対象になっている。

 しかし、世界的に見て、トドは減少していて、環境省のレッドリストでも絶滅危惧Ⅱ類に分類されている。世界遺産登録地知床としては、トドの問題は、頭痛の種である。
 今は、有害駆除の頭数を制限して、トドと漁民の共存の道を探っている。

ロシアやアメリカでは、トドの繁殖地の周辺での漁業活動を厳しく規制して個体群の保護に努めている。漁業に依存する人の数や漁業が産業に占める重さ、食文化などさまざまな条件が異なるから一概に同様の対応をすればいい、というものではない。これから解決しなければならない課題のひとつだろう。

トドなどの海獣類の消化管には、おびただしい数のアニサキスという寄生虫が寄生している。寄生虫たちは、大量の卵を産み、卵は糞便に混じって海中に拡散する。小さな卵は、オキアミなどの甲殻類を経て魚に食べられ、魚の体内で第三期幼虫となる。
 その魚が再びトドに食べられれば、寄生虫の生活環は完結するわけだが、人間がその魚を食べると、幼虫は胃壁に食いついて激烈な痛みを引き起こす。これがアニサキス症だ。
 魚を加熱して食べれば全く問題ないが、生食するとこれに罹る時がある。当然、羅臼ではアニサキス症を経験した人は多い。ある時、高校生に訊いてみたら、アニサキス症の経験者が親戚の中に何人かいると答えた生徒が多かった。

 トドが減れば、アニサキス症も減るだろうか?
 いや、アニサキスはアザラシやイルカにも寄生するから、トドだけが減っても関係ないかな?

 海面に鰭(前足)や頭を出しながら、呑気にひなたぼっこをしているトドの群れを見ていると、そんなことはどうでもいい、という穏やかな気持ちになってくるから不思議だ。

2012年2月29日水曜日

流氷が連れてきた動物たち 流氷百話 16/100



 今日、羅臼沖の流氷の密度が高まったように感じる。
 昨夜から今朝にかけて、弱い南風が吹いた。
 そのため標津町の海岸にあった流氷が離岸した。その分だけ羅臼の沖の密度が高まったのかも知れない。

 流氷が岸に迫ってくると、いつもは沖の方にいる動物たちを海岸近くで見られることがある。アラナミキンクロなどのカモの仲間、ウミスズメの仲間など。流氷の上で出産するゴマフアザラシの仔が見られることもある。
 オオワシは氷を食卓として利用している。流氷に追われるようにトドも来る。

 流氷とともにやって来るこれらの生き物は、「流氷が連れてきた動物たち」と呼ばれる。
 羅臼で暮らしているとこれらの動物は身近な存在だが、彼らに会うために、わざわざ遠方から道東を訪れる人たちもいる。
 オオワシは、地球上でオホーツク海沿岸にしか生息していないから、ヨーロッパのバードウォッチャーたちの憧れである。

 知床で暮らす人々とも、これら流氷の周辺にいる生き物たちに対して、もっと興味をもって見てくれるようになればいい、と願っている。

2012年2月20日月曜日

水の不思議 その2 流氷百話 15/100

今年は、例年にない冷え込みが続く。羅臼町でも、連日マイナス二桁の気温が続き、水道の凍結が後を絶たない。凍った水道管が破裂するケースもよくある。

 凍結した水道管が破裂するのは、水が凍って膨張するためだ。
 水は凍ると体積が増える。常識だ。体積が増えると言うことは密度が小さくなるということで、氷が水に浮かぶ原因もこれによる。
 氷が水に浮かぶとも、身の回りの現象だ。僕も毎晩ウイスキーを入れたグラスに氷を浮かべ、実験で確認しているが。
 流氷も海に浮かんでいるからこそ潮流や風で動き回ることができる。

 ところで、他の物質も水と同じように液体より固体の方が密度が小さく、固体が液体に浮かぶだろうか。ちょっと実験すればわかるが、蝋燭のロウは、固体は、液体のロウに沈む。また、低温で一部が固まった食用油を見ると、液体の方が上にあることがわかるだろう。
 アルコールを液体窒素で凍らせ、液体のアルコールに固体になってアルコールを入れると固体の方が沈む。ほとんどの金属も液体の方が密度が小さいから固体が沈む。
 
実は、水の方が例外的なのだ。
ほとんどの物質は、温度が高くなると体積が増え、低くなると収縮する。だから低温での密度が大きくなる。
 水は例外的で、4℃の時に密度が最大となり、温度がそれより高くても、低くても体積が増える。水は、物質の中で、非常に変わった性質を備えている。

 流氷がオホーツク海北部のアムール川河口から知床半島まで、はるばる旅してくるためには、水のこのような変わった特性があればこそである。

2012年2月18日土曜日

水の不思議 その1 流氷百話 14/100


 「化学物質」という言葉があり、それは人工的に合成された物質をさすのようだ。だが、この言葉の意味するところは曖昧だと思う。なぜなら、人工的に合成された物質なら、「人工合成物質」などと呼べばいい。原子が(厳密には単一の元素から成っている「単体」が)化学反応によって結合して出来た物質はすべて「化学物質」と呼んでいいと思うからだ。
 もっとも、このような物質を学校では「化合物」と教えているはずだが。

 それは、ともかく、水が化合物であることは、皆に知られていることだ。それは水素と酸素の二種類の元素からできており、身近な、ありふれた物質だ。ありふれ過ぎている。珍しくもないし、危険性もない。毒性もない。値段も安い。

 ところが、実はこの世で水ほど奇妙な物質は無い。少なくとも多くの科学者は、そう考えていると思う。

 水は、他の物質と同様、三態を示す。水の三態とは、言うまでもなく氷・水(湯)・水蒸気つまり固体・液体・気体のことだ。そして、普通は、温度変化に伴って氷から水へ、水から水蒸気へ、またはそれらの逆方向へと状態が変わる。つまり液体を真ん中にして、低温では固体、高温では気体になる。

 ところが、液体を通ることなく固体から気体へ、または気体から固体へ直接変わることがある。これを昇華と呼ぶが、水でも頻繁に昇華がみられる。

 今朝、原野を散歩していると雪の割れ目に昇華によってできた結晶を見つけた。雪の結晶も同じなのだが、水は結晶になると羽毛状の繊細な結晶を見せてくれる。

 実は、水がこのような結晶を作ることと、アムール川河口で誕生した氷が、はるばるオホーツク海を渡って道東地方沿岸までやって来ることは、深い関係がある。
 流氷について語るとき、このことを知っておかなければならない。

 今日は、ありふれて平凡な物質である水のもつ非凡さの一つ、水の結晶について書いておきたかった。

2012年2月13日月曜日

流氷の紋所 流氷百話 13/100

海岸から流氷のかけらを取ってきて、冷蔵庫で作られた氷と並べてみる。
 見かけ上、ほとんど違いはわからない。
 以前にも書いたように、舐めてみてもわからない。

 北海道大学の低温研出身の友人から聞いたのだが、これらの氷を薄く切り取って顕微鏡で見れば、両者の違いはすぐにわかるのだそうだ。

 その理由は、流氷に切片には「ブラインチャンネル」と呼ばれる縦方向の細かな筋が無数に入っているからだという。
 流氷は、表層の海水が凍って生まれる。「海水が凍る」と言っても海水のうちの純粋な水だけが凍る。凍りつつある流氷の中で、水に溶けている塩分は濃縮されていく。(この濃縮された海水を「ブライン」と呼んでいる)塩分濃度の高くなった海水は次第に比重も大きくなるからやがて下に向かって流れ出で行く。
 この最後に濃い海水が流れ落ちた跡がブラインチャンネルとして残るのだそうだ。

 以前、流氷の切片を偏光顕微鏡で見せてもらった時、ブラインチャンネルが明瞭に見えた。
 ブラインチャンネル。
 それは、その氷が由緒正しい流氷であることを示す紋章なのである。

2012年2月10日金曜日

流氷のゆりかご、オホーツク海 流氷百話 12/100

羅臼は、北緯44度にある。
 地球的に見ると中緯度地域に属している。この緯度は、スペインとフランスの国境地域、つまり南フランスと同緯度になる。
 この緯度で、流氷が来るのは、特異な地域で、知床半島が世界遺産地域に登録された理由の一つだ。

 では、なぜ中緯度地域であるにもかかわらず、流氷が来るのか?

 オホーツク海の二層構造が原因だとされる。
 オホーツク海は、ユーラシア大陸と千島列島、カムチャツカ半島に囲まれた「閉じた海」である。そこへアムール河が大量の淡水を流し込む。淡水と海水はすぐに混じり合うことはなく、比重の大きな海水の上に淡水(厳密には薄められた海水だが)が溜まり二層構造となる。
 冬になるとそこへ、シベリア寒気団からの冷たい空気が吹き込み、濃度の低い上層の海水が凍り、流氷が誕生すると考えられている。
 だから、オホーツク海は「流氷のゆりかご」なのだ。

 オホーツク海の畔で、一生の大半を過ごしてきた僕は、この海のそのような特異な性格を、今、とりわけ愛おしく感じている。

2012年2月8日水曜日

龍のねむる海峡


 根室海峡からは、たまに龍が飛び上がる日がある。
 そう見えるだけなのだが。

 複雑な知床山系の沢筋を駆け下りててきた風は、海面に激突する。
 その時、水面は泡立ち、時には白い飛沫が空高く巻き上げられる。

 もう、だいぶ見慣れてしまったが、最初に見た時は驚いた。
海のこんな表情を見たことがなかったから。
恐ろしい光景だが、そこに潜む大きな力が感じられる。
 龍が空へ駆け上っていくみたいで、震えるような興奮を覚える。

 この泡立ちで海水と空気が混ざり合い、海中に酸素が供給される。そして、海の中の生き物が増える。
 根室海峡の生物相が豊な理由は、こんなところにもある。
根室海峡を守る龍たちだ。

今日も、午前中は風が強かったので、あちらこちらで龍が飛び上がっていた。
 夕方、強風は収まってきたが、水面を走る風の軌跡がくっきりと描かれていた。
根室海峡の底には龍が眠っている。

 帰り道、海を見ながら龍たちに、辺野古への新基地や不完全で危険な原子力発電にしがみついている者たちに、襲いかかり、奴らを噛み砕き、引き裂き、徹底的に駆逐してほしいと頼んでおいた。

2012年2月7日火曜日

流氷の民 流氷百話 11/100

網走市にモヨロ貝塚という大きな遺跡がある。
 そこはオホーツク文化期の代表的な遺跡として有名な所だ。

 オホーツク文化とは北海道のオホーツク海沿岸地方で、3世紀から13世紀頃まで海獣狩猟や漁労を中心とする生活を送っていた人々、オホーツク文化人(またはオホーツク人)たちの文化で、その頃の北海道には続縄文文化とそれに続く擦文文化が併存していた。

 オホーツク文化人は、3世紀頃、サハリンから宗谷海峡を渡ってやって来た人々であったと考えられている。 オホーツク文化人の遺跡は、13世紀以後、忽然と姿を消している。
 謎の多いオホーツク文化人だが、その遺跡は流氷がやって来る地域にしかない。おそらく彼らの行う海獣猟は、流氷が押し寄せ、波が静まった海にカヤックを漕ぎ出して行われたのだろう。もちろん、その獲物であるアザラシやトドも流氷が連れて来る。
 つまり、オホーツク文化人は流氷に依存して暮らした「流氷の民」なのである。
  
 彼らの使った道具に描かれた精密な動物模様や独自の土器の装飾などが、北海道で昔から暮らしていた擦文文化の人々と間で融合して新しい文化(トビニタイ文化)を生み出したとされている。
やがてそれはアイヌ文化に受け継がれていくと言われている。

 海岸に立ち、流氷の軋む音に耳を傾ける。オホーツク文化人も同じ音を聞いて暮らしていたに違いない。
 文明は自然を改変し、様々なモノを作り出したが、流氷が作る海の景色、流氷を渡ってくる風は、その時代と同じなのである。