2012年11月26日月曜日
ナウシカのジレンマ
今朝の根釧原野は濡れ雪。道路はシャーベット状でハンドルを取られやすくて非常に危険な状況だった。
そして羅臼は雪。
大粒のボタン雪。
午後からは次第に気温が上がり、雨に変わった。
根室海峡を挟んで国後島が間近に見えた。
「国後が近くに見える時は荒れる」と地元の老漁師はよく言う。
いつもなら15時に一斉に出漁するイカ漁の船(僕たちは「イカ付け」と呼んでいる)も、早々と14時に出航していった。荒天が予想されているからだという。
漁師町には、そこはかとない緊張感が漂っている。嵐が近いのだ。
自然と向き合って生活している町だ。あらためてそう感じた。
それより前、「環境保護」の授業では、「ナウシカ」の最終巻について生徒たちと話し合った。
ナウシカたちが腐海を離れては生きられない身体になっているという事実は、現代の人間の状況を例えたのではないか、と生徒が言うのだ。
つまり、「手つかずの大自然」に憧れる人は多く、毎年たくさんの人が知床を訪れるのだが、その人々も(もちろん我々も含めてだが)人間社会から切り離されて知床のような厳しい自然の中で生きていくことはできない。
つまり文明社会の「毒」がなければ生きられない身体だというのだ。
ナウシカたちが「清浄な空気の中では生きていけない身体になっている」という設定は、これを暗喩しているのではないか、と指摘するのである。
なかなかスルドイ。
一理ある。
自然の大切さを訴え、その保全を望んでいる我々といえども、自然から切り離されてしまった存在であるという事実から出発しなければならないのだ。
この矛盾にどう向き合うか。
羅臼高校自然環境科目群の「環境保護」は正念場にさしかかっている。
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