2012年11月28日水曜日
「有事」を心配する人々は「有事」に備えているだろうか
今日は満月。
嵐の接近を知らせる雲の向こうで、月が鋭く輝いていた。
発達した低気圧による強風で室蘭市の送電線の鉄塔が倒壊し、長時間で広範囲の停電が起きていることがニュースになっている。
この場で何度も書いてきたことだが、電気が停まってこれほどの騒ぎになることが信じられない。
どうして多くの人々は、電気はいつでもあるものと思い込むのだろう。
電線を通して外部から送られている事実は、家の軒を見ればわかることではないか。あの電線は、せいぜい直径1ミリメートルの銅線に過ぎない。ペンチ一つで簡単に切断できるシロモノであるのだ。
たとえば立木が倒れかかっても、大型車の積み荷が引っかかっても、即座に切れてしまう。
そんなものに暖房や給湯や場合によっては生命までも丸々全部預けてしまっていいはずがなかろう。
「もしも電気の供給が断たれたら」という想定がなぜできないのか?
暖房なら電気に頼らない暖房器具がたくさんある。照明だってどうにかなる。
どうしても電気の要るものにはバックアップ電源を考えておくべきだろう。
つい数十年前、長くても100年前には、電気など無かったはずだ。それでも、支障なく生活できていたはずだ。
そう言えば、東京電力の福島第一発電所の原子炉は、バックアップの電源がうまく作動しなかったためにあのような事故になったのだった!
「もしも」の停電対策ができていなくて慌てふためいた人々の中に、
「国の有事に備えて防衛力を強化すべきだ」などと主張する人がいたら笑止だ。
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