2012年11月14日水曜日
高校生イカの燻製づくりに挑戦! その作業中の深い哲学的おしゃべり
羅臼高校の3年生のうち海洋生物を選択している生徒たちとイカの燻製作りをした。
役場職員の専門家に指導してもらい、町の施設を利用しての実習だ。イカは、羅臼漁協から提供をうけている。
町ぐるみで応援してもらって成り立っているこの実習は、もう10年近く続いている。
イカをおろし、味付けして一晩乾燥させる。
この作業は昨日実施した。
今日は、朝から乾燥したイカに煙をかける作業だ。
燻煙を終えたイカは適度な厚さにスライスし、真空パックにする。
一枚ずつ包丁で切るのだから、厚みにバラツキが出るのはご愛敬だ。
大胆豪華な厚切りから顕微鏡標本のような薄切りまで、いろいろだ。
「これが手作りの味わいだよ」などと話していると、指導してくれる専門家が、
「工場では、機械で切るから常に均一な厚さになります。やはり商品ですからね」と付け加えてくれた。
ふーむ、商品にはばらつきがあってはダメなのだ、と改めて思い起こした。
だが、イカだって生きものだ。大きなイカもいれば小さなイカもいる。
生徒も生きもので、彼らが手で切るのだから均一な厚さを保つというわけにはいかない。
そして、それを食べる人々も実は生きものだから口の大きさや噛む力はまちまちだ。
「統一された均一な規格」というものは、「生きもの」とは、相容れないのかも知れないな、と思った。
鉄やコンクリートなど人工的に作られる物には、商品の均一性は大事な要素だ。
だが、生物由来の原料を使い、生物が食べ物とする製品に、統一された規格や均質さを強く求める必要があるだろうか。
われわれは、自然から乖離(かいり)した生活を送るうちに、知らぬ間に食べ物の規格が統一されていることを求め過ぎているのではないだろうか。
燻煙されたイカの胴体の両端は、乾燥が進みすぎ、煙の味が濃くなり過ぎているの切り取って、「製品」にはなることはできない。(生徒たちが喜んで食べ、残りは持ち帰ったが)
工場で大量生産されるとしたら、こんな「規格外」の部分は捨てられる運命になるかも知れない。
われわれはここでも自然から恵みを無駄にしている。
罰当たりなことをしていることになる。
食べ物を「工業製品」として流通させることには、限界のようなものがあるのではないだろうか。いや、あるべきかも知れない。
規格の統一を強く求めすぎるから、電力も大規模発電所でなければ作ることが許されず、「品質」にバラツキのある自然エネルギーは敬遠されてきたのだろう。
「自然界は多様性に富んでいる」という事実を認識の基底に置いて、すべてを見直さなければ、人類に未来は無いと思った。
たかだがイカの燻製作りの最中に交わした与太話だが、なかなか深いテーマにつながったのであった。
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