昨日の小ブログに次のように書いた。(再録します)
「本当は、昨年の福島第一原発の事故が、それをするための絶好の機会だったし、そう することこそ、地震、津波などで失われた多くの生命に報いる方策だったと思う。
しかし、現実は、それとは反対を向いて動き出そうとしている。なんと愚かなことだ ろう。喉元過ぎれば熱さを忘れる野田。」
言うまでもなく末尾の「野田」は野田総理大臣のこと。変換ミスではない。
原発の問題にしても、消費税論議を含む富の偏りにしても、国民の意見・感情と政治が、これほど乖離(かいり)して、対立したことは、それほど無かったのではないか。
60年安保、70年安保などの反対運動の高まりに手を焼いた支配者は、反対運動の牙を巧妙に抜く手法を開発し、国民支配の技術を磨いた。
優秀なエリートを育て、国家機構の要所要所に配置し、国民支配を徹底した成果が顕れているのが今日の状況だ。
今、日本の国民は、日本以外の国なら、とっくに政府を転覆させてもおかしくないほどの状況に置かれていながら、なお家畜のように温和しくしているのではないか。
押しつぶされたバネは、いつか必ず反発する。時間は、かかるかも知れないが。
圧力が強いほど、虐げられた期間が長いほど、その反動は大きな津波となって、すべての悪意を呑み込むに違いない。
牙を失ったように見えるが、失われた牙の下で新たな牙が磨かれ
爪を抜かれてしまったように見えるが、
抜かれた爪の根元で新たな爪が研がれているはずだ。
僕らはそれを忘れてはならない。
0 件のコメント:
コメントを投稿