2012年10月16日火曜日
風によせて
桃色の衣に被われていた
マユミの実が
その衣の隙間から
深紅の実をのぞかせ
側溝の所々に佇んでいる
大陸から
たっぷりと冷気を含んだ高気圧が来て
脊梁山脈から風を吹かせる
風は知床の山を下って
谷で速度を上げ
体当たりするように海面にぶつかる
僕たちには
根室海峡へと走り去る
風の足跡が見える
ユーラシア大陸で生まれた冷たい風の
ここは終着点なのだ
シベリアの透明な湖の岸で生まれた風たちが
ずっと旅してたどり着く
ここはそんな海であるのだ
思惑やはかりごとを凍らせ
欲望を震え上がらせる風が
これからやって来ることを
ふれ回るように風が走っていく
根室海峡
風よ
南へ向かえ
南の島に渦巻く
塵芥を吹き飛ばしてしまえ
2012年10月15日月曜日
「ニンゲンはカビだ」という結論が出されるまで
羅臼高校二年生の選択科目「環境保護」。
生徒の間で「難しい」というウワサが流れて、このところ選択者が少ない。今年度は男子ばかり3名で開講中。
前時まで黒澤明作品の「デルス・ウザーラ」を観おわった感想を話し合っていた。
極東・ウスリー地方の先住民と二十世紀文明との出会いを描いた、探検者アルセーニェフの手記「デルスー・ウザラー」を元にした映画で、自然環境に強く依存して生活するタイガ(密林)の先住民の自然観を考えることがテーマだ。
それを受けて、今日は人類の出現から文明の発生、国家の形成などについて1学期に学んだ内容をさらい、「ニンゲンとは何か」というテーマへの導入にした。
この先は、哲学的な内容に入って行く。
「ニンゲンとは何か、あまり深く考えずに、思いつくままに一言で表してごらん」と問いかけた。
さまざまな答が出された。
「ニンゲンとは『欲』だと思う」
「ニンゲンとは、仲間を求めるものだと思う」
「ニンゲンとは、サルだ」
そこで、僕。
「パスカルは『人間は考える葦だ』と言ったよ」
すると生徒の一人が訊いてきた。
「先生ならなんて言う?」
(チクショウ!パスカルを出す前に訊いてほしかった!)
「『考える葦』である人間も、頭を使って文明を発達させたけど、地球規模の環境問題を次々に起こしているね。このままでは地球環境はニンゲンによって食いつくされてしまうかも知れない。地表を蝕むカビみんたいなものだな。オレに言わせれば『ニンゲンは地球のカビである』だね」
Aくん
「じゃ、『ニンゲンは考えるカビである』だね」
Bくん
「考えが足りないから問題をおこすんだよナ。」
Cくん
「じゃあ、『ニンゲンは考えないカビである』か?あれ?『考えないカビ』ならただのカビということになる。『ニンゲンはカビである』ということか!」
ハァ!
2012年10月14日日曜日
恋問の浜でクジラを供養する
昨夜、斜里町ウトロの世界遺産センターで、しれとこ100平方メートル運動35周年行事のひとつとして講演会があった。
講師は、前環境省自然環境局長の渡辺綱男さん。知床の世界遺産登録に尽力した人だ。
講演の中で、渡辺さんが紹介してくれた司馬遼太郎の言葉が、とても印象に残った。
これからの日本を何とかするために
国民の80パーセントが合意できることを
日本人みんなで決めて、それをみんなして
守っていくことにしたらどうだろうか。
(対談の相手:そんな80パーセントで合意できることってありませんよ)
いや、ひとつだけある。
自然をこれ以上壊さないことだ。
これだけは合意しようとすれば、
日本人は合意できるのではないかな。
(司馬遼太郎の対談より)
この通りの政治を政府が行っていれば、日本は今頃、もう少しまともな国になっていたであろう。
未明から天候が回復し、秋晴れの一日となった。釧路へ行く用ができ、出かけた。
時間があったので、久しぶりに恋問の海岸へ、太平洋を見に行った。
幅の広い汀線が、延々と続く景色は久しぶりだ。根室海峡とは違った海を楽しむことが出来た。
海岸のテンキグサの群落を見ると、クジラ類の椎骨がいくつも転がっている。
まだ歳若い個体のもののように思われた。
衰弱して、海岸に打ち上げられて死んだのか、
死んでから波に運ばれてきたのか、
大型の動物は、骨になってからも目立つ。
まだ死ぬことがなければ、今頃はまだ、太平洋のどこかを遊弋していたであろう。
そう思うと哀れだ。
供養の意味で、骨たちを集め、持ち帰ってきた。
漂着の鯨へ 波のレクイエム 風の祈りと砂の装い
2012年10月13日土曜日
反「反科学」論 ②
昨日の小ブログに「反『科学』論」と題して書いたが、内容は授業の実践記録になってしまった。
寝る前の、疲労困憊した頭で書き始めたので、自分の言いたいことが自分でもわからなくなったような文だった。(いつもお粗末だが)
要するに、統計の解釈によって、受け取る側の印象を狙い通り操作できるということを知っている高校生がいるという事実を伝えたかったのだ。
その上で、彼が、どうやってそのことを知り得たのかに興味を感じた。
ひょっとしたら昨年の原発事故以来発表される胡散臭い数値や「科学的」とされる資料に対して、疑心暗鬼になっている大人社会の気分が感受性豊かな若者にも反映しているのではないか、と考えた。
もう一点、かなり以前から「理科離れ」が心配され非合理主義にはしる若者の増加が指摘されていたが、昨年の原発事故以来、その質が変化しているように思うということも伝えたかった。
どう変化しているのかというと、先に述べたように統計の数値や測定値そのものへの不信感が増したように感じるのだ。
その背景には、「数値は、操作出来るのではないか」という不信感の広がりあると思う。
いずれにしても、人類にとって幸福なことではないような気がする。
2012年10月12日金曜日
反「反科学」論
「△は、どうしよう?」
「野外観察」の授業で、僕は問題をこう投げかけた。
先日、海岸で観察してきた漂着物の分析をしていた。
海岸で集めたゴミのうち、漂着物と非漂着物を分け、漂着物の占める割合を推定するのが今日の目標でだ。ゴミのリストを作り、漂着物には○、非漂着物には×をつけて区別した。非漂着物とは、つまりは誰かが海岸に捨てたゴミのことだ。
ところが圧倒的に多くのゴミがどちらとも言い難い△になってしまった。
たとえばペットボトル。
ロシア製のものや韓国製のものは、漂着したと推定できるが、日本製のものであれば、漂着したものもあるし、誰かが海岸に捨てたと考えることもできる。
△が少量であれば、一つの項目としてそのまま記載しても良いし、統計上無視することもできる。しかし、全体の量の半分以上を△が占めているのだ。
そこで「△はどうする?」と問うたのだ。
二年生7名が受講している。彼らは、真面目だが、口の重く、なかなか自分の意見を発表してくれない。そこでまず、この問題について仲間同士で話し合って頭と心のウォーミングアップをさせようと思ったのだ。
期待通り、話し合いは徐々に盛り上がりを見せた。
最初に、
①「ゴミを集めたときに、現場でよく観察、話し合って、できるだけ○か×に分類する。」
という案が出された。もちろん正論である。皆が賛成した。
次に
②「△は、独立して扱うべきだ」という意見と
③「△は、非漂着物に入れてしまおう」という意見が出た。
②と③は対立した意見だから話し合いを深める必要がある。
(狙い通りだゼ!)
②の意見は、事実をそのまま統計に反映させるのだから、その意図はわかる。
どうして③のような意見が出るのか興味を感じたので提案者に質問した。すると、
「△を×と一緒にすることで、非漂着物の数値が上がり、町民が自分たちの海岸を汚し ているという事実が強調されて、海岸美化の意識を高める効果が上がると思うのです」
提案者のMくんが堂々と述べてくれた。
内心、僕は舌を巻いた。高校生にもなると、こういう発想もできるのだ。
つまり、統計の目的まで先読みして、その目的に沿った形で統計をまとめようというわけだ。彼の説明には説得力があった。7人の生徒のうち6人が彼の案を支持した。②の案を提案したTくんも支持にまわった。
ただ一人、Uさんは疑問を投げかけた。
「統計は、できるだけ事実に近い方がいいのではないか」と。
(たとえ一人きりでも自分の意見を曲げない彼女の態度には感心した。日頃、みんな無口だけど、いい生徒達じゃないか、と思った。)
これは生徒の提案だから、力で退けるわけにはいかない。
結局、この問題は、次の授業時間まで持ち越して、議論を深めることにした。つまり結論は先送りとなった。
「野外観察」という科目は羅臼高校の自然環境科目群の一つの学校設置科目であり、学習指導要領にその内容が決められているものではない。
「科学的な自然観を身につけるために、野外において実践的な自然観察を体験する」というような目的で設置されている。だから歴とした「理科系」の授業だ。
だから統計も、できるだけ観察事実に基づいて、事実が反映されるように行わせたい、と僕は、個人的には願っている。
だが、一方で生徒たちの考えも尊重せねばならない。この授業の行方も気がかりなのだが、同時に僕は別のことを思っていた。
いま、少なくとも日本において「科学」が力を失っているのではないだろうか。
十年か二十年前からそのような傾向が見られると感じていたが、昨年の福島第一原発の事故によって、その風潮が決定的に広がって、科学への不信から反感にまで達しているように思う。
反「感」であるからそれは科学的根拠など無いのが当然である。
様々な分野で科学的なものを否定する考え方、行動、解釈が広がっている。
奇妙なのは、その種の反科学情報や反科学的感情が、科学技術の最先端の成果が投入されているインターネットの世界を伝わっているという事実だ。
これらの傾向は、感情的な動きであろうからいずれは沈静化していくと思う。沈静化させるためには、「科学は、事実だけに基づくものである」ということを徹底させるしかないだろう。
ただし、「事実」を見誤らせるために、統計が意図的に操作されることはありうるし、歴史の重要な局面では、その手段がよく用いられた事実を知っておく必要がある。
来週の「野外観察」
口の重い生徒達が、この問題にどう結論を出すか、楽しみでもある。
2012年10月11日木曜日
イカの季節
イカが獲れはじめた。
秋になると根室海峡でイカ漁が始まるのは毎年のことだが、今年は少し遅れ気味のようだった。
昨日あたりから急にイカ釣り船が増え、夜の海が漁り火で真昼のように明るくなりはじめた。イカ釣り船の集魚灯がまぶしくてよく眠られない、と職場の同僚がぼやいていた。
ぼやきながらも町に活気が生まれることに、どこか嬉しさがまじっているようだったが。
今朝、さっそく獲れたてのイカを持ってきてくれた人がいて、数匹のイカを持ち帰った。
1匹はすぐに刺身に、2匹はマリネに、他は解体後皮を剝いて冷凍した。新鮮なゴロ(肝臓)と足や耳は塩辛にした。
塩辛は、イカの身とゴロと食塩だけで作る。
新鮮なゴロにはタンパク質分解酵素が含まれていて、筋肉のタンパク質を分解してアミノ酸を生産する。それが塩辛の旨味となる。それには、何よりも新鮮なイカが必要で、僕は、秋のこの時期、前浜でのイカ漁を心待ちにしている。
ところで、大量の塩辛を作っても塩辛ばかりをおかずにするわけにもいかないだろう、と言われる。そんなことはない。少量ずつ分けて冷凍しておき、少しずつ食べる。そして、何より茹でたジャガイモに塩辛を載せて食べるのが最高なのだ。人生のヨロコビと言っても過言ではない。
今日は夜半から雨になった。寒冷前線が上空を通過している。雨が上がると気温も一段と冷え込むに違いない。冷え込んだ海上で、イカ漁はこれから最盛期を迎える。漁師たちの厳しい労働にも感謝して、塩辛を味わわなければ。
2012年10月10日水曜日
建築はアートでなければ
ウィーンの街に「Hundertwasser Kunstbauwerke」という看板があり、写真のような建物が建っている。看板の意味は「フンデルトヴァッサーのアートビルディング」とでも訳すのだろうか。
オーストリアの画家で建築家のフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーがウィーンに建築した公共住宅である。
オーストリアの人気テレビ番組「願いをかなえて」(1972年)にフンデルトヴァッサーが出演した際、彼は自分の夢を「植物と共に生きる家を作ること」と語った。家の模型を作り、人々に「植物と共に生きてこそ人間は、よりよい生活を送ることができる」と訴えた。
それを受けて当時のウィーン市長が、1977年、フンデルトヴァッサーに自然と共生する公共住宅の建設を依頼した。
しかし、フンデルトヴァッサーはイメージした建物は、従来の建築理論と相容れない常識外れのものであったが理解を示す建築家が現れ、1983年に建設が始まり、1986年に完成した。
専門家の中には悪趣味だという意見もあったが、入居希望者が殺到し、大評判となったという。
完成から現在まで、訪れた人を楽しませるカラフルでリズミカルな外観、至る所に植えられた植物は成長を続けている。フンデルトヴァッサーの思いが詰まった独創的な住宅である。
当時、一緒に作業した建築家のペーター・ペリカンは「確かに彼は建築家ではなかったが、哲学者だった。自分の造りたい家のビジョンをしっかり持っていた。例えば家を建てると地面がなくなる。その代わりに屋上に地面を作り、植物を植える。これが重要だ」と語っているという。
このようなリズミカルで有機的な曲面からなる建造物は、スペインのガウディの建物が有名だが、フンデルトヴァッサーさんのこの建物も、同じ系列に属するものだろうか。
日本だったならば、建築基準法がどうだとか、景観上の問題が・・・などと言い出す人がいて、絶対に建てられないかも知れない。
あるいは、奇をてらって周辺の景観を無視して独善的な「変わった建物」になるかも知れない。
今回訪れたウィーンの「Hundertwasser Kunstbauwerke」は、派手な色使いで奇妙な外観でありながら不思議に周囲の街並みに溶け込んでいた。
さすがは「芸術の都ウィーン」だけのことはあるなあ、と感心したものである。
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