2012年12月31日月曜日
おおつごもり に
今年も残すところ3時間と少々。
今年は、バイクでシカとの衝突事故を体験し、人生初の入院、点滴、など今までにない経験ができた。
みなさまがた、家族には心配をかけて申し訳なかったと思っているが、自分では教訓も含めて良い経験ができ視野が広まったとも思っている。
さて、
一年間、この拙いブログをお読みいただいた方々には、心から感謝します。
いつまでたっても成長のない内容だが、これからも書けるだけ続けてみたいと考えております。
来年も、相変わらずお付き合い頂けたら幸せに思います。
それでは、どうぞ、新年が皆様にとって佳き年でありますように。
また、来年。
2012年12月30日日曜日
シーシェパード!よっく聞け!
古代、北海道のオホーツク海沿岸に住んでいたオホーツク文化人は、流氷の海にカヤックを駆りアザラシやクジラを捕らえる海洋狩猟民だったと言われている。
彼らは動物を図案化してさまざまな生活用具の模様に用いた。もちろん、それには単なる装飾以上の意味があったことだろう。
その後、北海道においてアイヌ文化がその影響を受け、オホーツク文化人の間に伝わっていたモノ送りの儀式がイオマンテとして受け継がれたり、さまざまな動物を神として敬い畏れながらその恵みに感謝する考え方が生まれた。
僕は、クジラを食べるとき、その圧倒的なスケールとパワーを頂き、その存在に畏敬の念をはらい、感謝しつつ頂くという気持ちになっている。
そして、わが家に昔から伝わる年末年始のハレの食べ物としてのクジラ汁を調理し、堪能している。
この豊富な脂肪を含む巨大な生き物を単なる油を採るための資源としか見なさず、産業革命で急激に需要の増した油だけを採った残りを海に棄てていたのはどこのどんな人たちだったろう。その末裔が今になって捕鯨を敵視し、無法で危険な妨害行為をしている。
食物への考え方は人や文化によって様々であって良い。多様な価値観があり、それらが互いに尊重し合って、穏やかな世界が保たれるのではなかろうか。
「鯨を食べたくない」という考え方は尊重したい。
同時に伝統的に鯨を食べている文化も尊重してもらいたい。
ああ、クジラ汁は美味しい。これで風邪気味だった体調が一気に快復した。
2012年12月29日土曜日
ワシたちの饗宴にて
急激に冷え込む日が続いて、川も湖も慌ただしく凍り始めた。
12月中旬くらいまでは、なかなか本格的な冷え込みが来なくて、今年は暖冬かと思われていたのだが、最後の週に入って急冷という感じで気温が下がった。
ただ、それは数字だけの話で、この冬の寒さに「厚み」が感じられないのは僕だけなのだろうか。
今は、大陸から次々に寒気が流れ込んで来るが、これはあまり長続きしないで、一気に冷え込みのゆるむ日が、早々にやって来るのではないかという気がしてしかたがない。
それでも、今朝は、凍結した川の上でエゾシカが死んでいて、オジロワシ、オオワシ、ワタリガラスなどが「真冬の饗宴」を開いていた。
昼過ぎに同じ場所に行ってみると、僅かな骨と毛だけが残されていて、シカの身体はほとんど跡形もなく消え去っていた。
自然の中で生きてきた者は、自然界が見事に無駄なくその身体を利用してくれる。
ある種の羨ましさを覚えた。
本当は自分の身体も、このように無駄なく利用してもらえたら、生きてきた意味があるのに、と思ったから。
ニンゲンは自然界から自らを切り離し、生や死さえも不自然な形にしてしまった。
もう一度、この辺りで、ニンゲンのあり方を考え直す時期なのではないだろうか。
2012年12月28日金曜日
御用納めの「御用」は誤用だ
今年は29日が土曜日だ。だから、今年の仕事は今日で仕事が終わりとなった。
机の周りを片付け、来年早々に始める仕事の準備をして、今年一年の仕事納めとなった。
いわゆる「」御用納め」だ。
「御用」というのは、いかにも時代がかった言い方だ。こういう表現を使うと自分が「おかみ」の一員であるのだなとあらためて思う。
江戸時代以来、官尊民卑の考えが意識の底流にあり、その裏返しで、何度か公務員バッシングが激しくなる時があった。
今もそうかも知れないが。
実際、地方自治体職員の中には、ごく希有な例だが、住民を見下す尊大な意識が残骸のように残っていることがある。また、住民の側にも公務員を敵視する気分が流れている場合もたまにある。
公務員が住民を蔑視するのは、根拠のないエリート意識が心の底に淀んでいるからだと思う。それこそ「おかみ意識」である。集団の力を笠に着て威圧するチンピラと同じ発想だと思う。
公務員への敵視にはやっかみが含まれていると思う。その証拠に、公務員を減らせとか公務員給与を削れと叫んでいる人が、我が子を公務員にさせることに熱心だったりする例をいくつも見てきた。
地方の自治体をコンパクトなコミュニティと考えるとこれらは不毛な対立だと思うのだが。
住みよい町では、住民と自治体職員との協同意識が高く協力関係が強く築かれているように思う。
2012年12月27日木曜日
サンショウウオと衆院選
一昨年、知床峠の道路縁の雨水枡で捕獲してきたエゾサンショウウオが元気だ。
野生では、とっくに冬眠している季節なのだろうが、室内に置かれているので水温は下がるのだろうが凍ることはない。
元来低温よりも高温に弱い生き物だろうから、すきま風吹き放題で断熱材の貧弱な我が家の寒い部屋でも元気に暮らしている。
いつもはフリーズドライのイトミミズを水で戻して餌として与えているのだが、クリスマスでもあり冷凍赤虫を与えた。
すると乾燥イトミミズの時よりもさらに激しい食欲を見せ、仲間を踏みつけてもつれるように餌に群がってくる。
日頃、敏捷な動きをすることなく、のんびりしているこの両生類たちも、興奮すると素早い動きで餌に襲いかかり、肉食動物として本性をむき出しにする。
サンショウウオは英語では「サラマンダー(salamander)」というらしい。
この名前は、元来は火の中に住むトカゲの形をした精霊(火蜥蜴)を意味する。水辺から離れられないこの生き物にどうして「火蜥蜴」という名が付けられているのか疑問だったが、 倒木などの薪の中に潜りこんだものが火にくべられた時に這い出てくることから、火の中から生まれると考えられていたことに由来するとするという話を読んで納得できた。
森の林床で落ち葉や枯れ枝の下に潜ってひっそりと生きているから、人目に触れることは本当に少ない。どこか神秘的に見えるところがあるのだろう。
そんな「火のトカゲ=サラマンダー」から「ゲリマンダー」という言葉が生まれた。
1812年、アメリカのマサチューセッツ州の当時の知事エルブリッジ・ゲリーが、自分の所属する政党に有利なように選挙区を区割りした結果、選挙区の形がサラマンダーの形をしていたことから、ゲリーとサラマンダーを合わせて「ゲリマンダー」という言葉が作られた。
ところから特定の政党に有利になるように選挙区の区割りを作為的に行うことを「ゲリマンダー」と言う。
僕は、現在の小選挙区制というのは一種のゲリマンダーではないかと思えてしょうがない。一つの小選挙区内では一人の候補者しか当選しないから他の落選した候補に投票した票はすべて死票となる。
たとえば一つの選挙区に6人が立候補し、それぞれが25%、24%、20%、16%、10%、5%の得票率だったとしても25%の有権者に支持された候補者だけが当選し、他の75%の有権者の意志は生かされることがない。
そして、たった25%の得票でも当選した候補者は「勝ちは勝ちだ」と言わんばかりに「俺を選んだのは民意だ」と威張り散らすのだ。こんな不愉快な横暴をわれわれは今まで嫌というほど見せつけられてきたではないか。
今回の衆議院選挙で自民党は「勝った勝った」とお祭りムードになっている。だが、得票率で比べると前回よりも減っているではないか。決して国民に広く支持されているわけではないのだ。
サンショウウオは、乾燥に弱く動きが遅い。だから、遠くまで移動することは不可能で、地域ごとに細かく分化している。日本だけでも約二十数種もの種に分かれている。
環境の変化に弱く多くの種が絶滅の危機に直面している。サラマンダーを保護し、ゲリマンダーは駆逐しなくてはならない。
2012年12月26日水曜日
保身のために真理をねじ曲げる
先日、職場の忘年会があった。
一次会の会場から二次会の会場まで1キロメートル足らずの道のりを歩いて移動した。雪が降りしきる中をY課長と並んで四方山の話しをしながら歩いた。
それを後ろから見ていた同僚が、「ユーラ(僕のこと)は、まるでマロースのように見えた」と言ってくれた。
「マロース」と言うのは、倉本聰 作の芝居の題名であり、そこに登場する主人公のことでもある。彼は数万のハクチョウを率いてシベリアから渡ってくる「冬の旅団」の旅団長だ。
そこまでおだてられて舞い上がってしまったのは言うまでもない。
だが、この物語は、深刻な内容を扱っている。
記憶を失ったその老人が助けられた森中のコーヒー店「ブナの森」の近くで野鳥が大量死する。その原因をウイルスによるものと断定した行政機関は、野鳥を皆殺しにして焼き払う処置を決める。
しかし、野鳥の大量死の原因は、その場所にかつて大量に投棄された有害物質のためではなかろうかという、全く違った見方が浮上する。
作者の倉本さんは、芝居の中ではこの「原因」について突き詰めてはいないのだが、そうすることでかえって人間の自然に対する思い上がりと身勝手な解釈について告発しているように感じる。
そして、今日、東北電力の東通原発内に活断層がある可能性が高いとする原子力規制委員会の判断が発表された。東北電力は、早速それに反対する「見解」を発表した。
破砕帯が活断層であるかないかは純粋に科学的な問題のはずなのに、利害関係者が必ずそれに反対する。反対するための根拠を集めようとする。
水俣病など過去の公害問題の時とまったく変わっていない対応に失望を覚える。
このような学者がいるから科学への信頼はボロボロに破綻してしまうのだ。
曲学阿世という言葉ある。「世の中に気に入られるように自説を曲げ、信念も気概もなく時流に媚び諂うこと。真理がわかっているのにも関わらず、自分の身の保身に走って真理をねじ曲げること。」という意味だ。
福島の原発で、あれほどの規模の取り返しのつかない事故を起こして間もないのに、あらゆる危険に目をつぶろうとする学者がいて、学者を続けていることが信じられない。
まさに曲学阿世の徒、曲学阿電または曲学阿原、曲学阿資本、曲学阿大企業、曲学阿政のヤカラたちではないか。
一掃されるべきは彼らの方なのである。
2012年12月25日火曜日
陰暦で暮らしてみれば
今年も残りわずかになり、一年間壁に貼っていたカレンダーを更新する時期になった。数年前から毎日の月齢が気になるようになった。生徒を連れて磯で実習する時などは、干満の大きさが気になるので、潮回りを知りたいと思ったことも原因の一つだ。
興味を持ってみると、太陽暦ではわかりにくい月のリズムが身近に感じられて楽しい。
たとえば、月齢によって月の出、月の入りの時刻はほぼ決まっている。
「今日の月齢は8日だから、帰り道には南の方角に月が見えるな」などということを考えられるのが楽しい。
時代小説が好きで、いろいろな作品を手当たり次第に読むのだが、作家の中には、こういうことに無頓着な人がいて、三日月を真夜中に出てきたりする場合もある。
「あらまあ!」とは思うのだが、そんなことにムキになる必要はないと思っている。
結局、それが原因で毎年陰暦の暦も目立つ所に貼って使うようになった。
陰暦は、季節感によく合っていると思う。北海道の場合は、内地の気温変化とは大きな違いがあるので、全てにおいてピッタリと合っているとは言い難いが、昼夜の長さや日差しの強弱などはよく合っていると思う。
だから、地球や月の息づかいが直に伝わってくるような気がしてならないのだ。
非合理主義や非科学主義、あるいは懐古主義に陥るつもりは毛頭ないが、陰暦を通して見えてくる自然の移り変わりのリズムは、大切にしてゆきたいと思っている。
来年の陰暦カレンダーはまだ準備していない。そろそろ探そうと思う。
2012年12月24日月曜日
自然科学と今年の冬
朝方、激しく雪が降ったが昼前から晴れ上がり、雪上の散歩が楽しい天候になった。
すでに膝近くまでスッポリ埋まるほど雪が積もっている。いつもの年なら1月末頃の積雪量だ。
こんな時期から雪がたくさん積もることが、この根釧原野で、かつてあっただろうか。古い時代のことはわからないが、少なくとも僕がここで暮らすようになってからの25年間には、こんな年はなかったような気がする。
オホーツク海の温度もかつてないほど高くなっていて、流氷の成長具合は過去最低だというニュースが流れていた。
ヒトが自分たちに都合良いように自然に働きかけると、変化させられた分を取り戻そうとするように自然は「揺り戻し」をして応える。
ヒトの一生はせいぜい80年くらいだが自然が変化するリズムは短くても100年単位。長くなれば1万年単位で動いている。
そのような自然の息づかいを測ろうと試みる人間の挑戦は、時によっては無謀で滑稽にさえ感じられるが、地質学者は嗤われようが軽蔑されようが動じることなく地球の息づかいを読み取り、100万年前でも1億年前の出来事でも、見てきたように解説してみせてくれる。
僕と同じ理科系で、しかも自然を相手に研究するフィールド系の学徒であるが、自分には無い知識と能力、技術を持っている地質系の人を僕は昔から、ある種の憧れをもって尊敬している。
地質系の人々が英雄になった典型的な例が2000年の有珠山噴火を完璧に予想し、住民を避難させて人的な被害を全く出さなかった事例ではないだろうか。
原子力発電の破綻によって科学への風当たりは一段と強まった。それはある種の反権威主義とも結びつき、もはや感情的な反感にさえなっている。
科学は、それ自体に階級的な属性はないから、どちら向きで奉仕するかによって、悪魔にも天使にもなりうる。
今後ますます地球環境と人間との間でさまざまな軋轢が生じ、「環境」が人間を困らせる場面が増えてくるだろう。その問題を乗り切るためには科学の力を借りないわけにはゆかないだろう。
科学が誰に奉仕させられているかを見極めると同時に、研究者にも誰のための科学かを常に意識していく必要がある。
2012年12月23日日曜日
父の生き甲斐
父の容態は、入院によって一定の安定を得た。痛みも少しずつ治まりつつあるようだ。
そこで、当初の予定通り、今日戻ってきた。慌ただしい札幌行きとなったが、また、近々行かねばならないだろう。
今回の入院の原因は腰椎の圧迫骨折である。室内でふらつきが出て、尻餅をついたことが原因らしい。重い病もなく年齢の割には健康なのだが、この半年間あまりの間に、一気に生きる意欲が減退してきたように見える。
しきりに「もう92歳だから」と口にするようになった。
母が亡くなってから15年が過ぎようとしている。この間、痴呆の症状とも無縁で、身の回りのことも全部自分一人でやっていたので、その緊張感に緩みが生じているのかも知れない。
家族思いで、趣味道楽などに見向きもせず、ひたすら家族のために人生を真面目に歩んできた父は、僕とは正反対の人だと思う。しかし、その緊張が途切れ、生きる意欲が減退した時、どのように声をかけたら良いのが少々悩ましいとことである。
「墓に布団は着せられず」と言うから、せいぜい何か力が湧いてくるような働きかけを試みたいとは思うのだが。
父は、昭和19年(1944年)に24歳の時に応召し軍隊に入った。当時の青年らしく戦争のまっただ中にいる日本のために、もう少し早い段階での志願入隊を考えたこともあったらしい。
とにかく、招集されて入った軍隊の実情を見て、その不条理と非合理な現実に失望したのだそうだ。そして、心から志願しなくて良かったと思ったという。
旧制中学校を卒業していた父は、敗色濃厚な時期に入隊したこともあり、士官候補となることを強く勧められたというが頑なに断り続けたらしい。
太平洋戦争を美化して語る人もいる。侵略戦争であったはずの中国などへの戦争が、いつの間にか「祖国を守るための戦い」だったかのように言われることもある。若者の精神を鍛えるためには徴兵制を敷き、若い者に強制的に軍隊生活を体験させるべきだと主張する人もいる。
「戦争」や「軍隊」への見方は今や多様になってきている。
そんな現代であるからこそ、父のように実際に戦争や軍隊生活を体験した人の言葉は重い。
戦争を知らない総理大臣や敗戦の時わずか12歳の小僧だった某政党の代表(その前までは都知事だったかな?)などの頭の中だけで描いた軍隊によって、これから平和憲法を捨て新たに日本が軍隊を持ち、徴兵制を採用して、僕たちの子どもや孫の世代が戦争に狩り出されることなど、絶対にあってはならない。
92歳はまだまだ楽をしていられないのだ。平和な未来のために、今まで以上に発言し軍隊の悲惨さ不合理さ、馬鹿らしさを広く広く訴えていってもらいたい。
生きる意欲は、そんな使命感から湧いてくるはずだ、と生意気で親不孝な不肖の息子はこう言って父を励ましてきた。
2012年12月22日土曜日
いま、札幌
sapporo
父が倒れた、という知らせを受けたのは一昨日。
職場の忘年会の席にいた時だった。
昨日、高速道路を乗り継いで駆けつけた。
「倒れた」と言っても、今までいつもそうだったように、貧血で倒れただけだった。ただ、今回は圧迫骨折が起きたらしい。
しばらく養生して、生活のしかたを根本的に見直し、今後の生活の指針を確率していく必要がありそうだ。
とりあえず、大事に至らなかったことに感謝しつつ、一旦道東に戻ることにした。
札幌は、大雪だった。
2012年12月21日金曜日
冬至の夜の物語
今日は冬至です。
知床の山奥の森も深い雪におおわれています。
雪を被ったクマザサの下には所々すきまができ、そこはエゾアカネズミのすみかになっています。ネズミたちは、夏の間、いっしょうけんめいにたくわえたドングリやクルミを食べて冬を過ごします。夜になると雪の中に掘ったトンネルを通って雪の上に顔を出し、オオウバユリやハンノキの種などを探します。たくわえる食べ物を少しでも増やして、春を待つのです。この季節、ネズミを狙うキタキツネは主に昼間に活動するので、夜の間はキツネに襲われる心配はあまりないからです。
でも、夜はお腹を空かせたフクロウが高い樹の上からネズミをさがしています。時には樹の上から音もなく舞い降りてトンネル中のアカネズミを襲うこともあります。
アカネズミは、用心深くトンネルを登って雪の上で餌を探し始めました。
その時、サクサクサクサクと軽やかな足音が近づいてきました。アカネズミはすぐに向きを変え、巣穴に飛び込みました。そして、深い所にあるあるねぐらに戻ってじっと動かなくなりました。
足音はますます近づいてきて、雪に鼻先を突っ込んで臭いを嗅ぐ息づかいも聞こえます。どうやらキタキツネが近くに来たようです。よほど食べるものがないのか、夜中だというのに、まだ森の中をウロウロしています。臭いを頼りにネズミを探しているようです。
キツネはネズミのいる場所を探し当てると前足で勢いよく雪を掘って、隠れているネズミを捕まえてしまいます。これ以上キツネが近くに来たら急いで逃げなければなりません。
エゾアカネズミは全身を硬くしてキツネの足音に注意を集中させました。足音はますます近づいてきます。
やがて、足音はネズミのねぐらの真上で止まりました。そして、雪に鼻を突っ込むザッという音、臭いを嗅ぐフッ、フッという音がしました。
ネズミはますます身体を硬くし、息も止めてじっとしています。頭の中では、いつ逃げ出すかということだけを考えています。
キツネが雪を掘り始めて、見つけられてしまうのも危ないし、逃げるために雪のトンネルを走り出す音を聞かれるのも危険です。
緊張の時が過ぎていきます。
やがて、キツネはサクサクサクサクという足音を立てて、離れて行きました。
エゾアカネズミは、小さな息をフッと吐いて緊張を解きます。
知床の森、冬至の夜の誰にも知られぬできごとです。
(この物語はフィクションです。実在する生物とはすごく関係があります)
2012年12月20日木曜日
極寒の朝
今朝は氷点下二桁になった。
ここまで来てやっと冬が本気になったようだ。
屋外にあるあらゆる突起に氷の華が咲き、朝日を四散させていた。
原野は、無数の光の粒が降り積もったような風景になっていた。
氷点下10℃以下になると空気中に素手を露出させているだけで指先の感覚が麻痺してくる。
手袋は
「冷たいから」という理由ではなく
「素手のままでは危険だから」という理由で装着しなければならない。
場合によっては耳も凍傷の危険にさらされる。
人に媚びず
敵意をむき出してする自然と向き合って生きている。
密かにそれに満足を覚えている。
そして、東の空を美しいバラ色に染める夜明けの光や
原野一面にちりばめられた光の粒の美しさは
危険な凶暴さから身を護って楽しめという
メッセージかも知れない。
共存せよという
自然からのメッセージ
2012年12月19日水曜日
NHKラジオの奇妙な放送内容
朝起きて、しばらくベッドから出たくない日々が訪れてきた。
そう長い時間ではないが、目が覚めたら少しの間ベッドの中で、ラジオを聞くことが多い。
先日、NHKで不思議なニュースが紹介されていた。「ワールドリポート」という海外の話題を紹介するコーナーだったと思う。
それは、海外で生活する人が増えているという内容の話題で、マレーシアの記者からの報告だった。報告の趣旨は、次のようなものだった。
海外に長期滞在して生活を楽しむ日本人が増えている。物価が安く、気候に恵まれた海外に長期滞在者する人々は、以前から少しずつ増える傾向にあったが、退職した人たちなど比較的高齢の層が主流だった。
ところが最近になって若い人で長期滞在する例が増えている、というのだ。
次に具体的な事例が紹介された。
30代~40代前半の若年層の長期滞在者の例として2例が紹介された。
いずれも関東圏からの人たちで、一例目は「子どもの教育のため」という理由。子どもがインターナショナルスクールに通って生き生きと学んでいると紹介されていた。そのためにご主人は日本国内での仕事を辞め、無職になって渡航し、個人貿易で細々と収入を確保していると伝えていた。
もう一つの例は、やはり子どもの英語教育のためという理由で、ご主人は日本に残り、奥さんと娘さんだけがマレーシアに滞在している、ということだった。
ぼくは、これら「海外生活を続ける理由」にどうしても違和感を感じた。
うがった見方をし過ぎると言われたら、反論のしようがないが、このどちらの家族も昨年からマレーシアで暮らし始めたという点、それまでの仕事を辞めたり、ご主人を単身で置いてきたりしてまで海外で暮らすのには、もっと切実な「本当の理由」が隠されているように思えてならない。
つまり、放射能から子どもを守りたいという理由だ。
これは、憶測に過ぎない。
また、NHKの取材に対して本人たちが真の理由を隠して「表向きの理由」を告げ、記者もそれを知ってか知らずか、そのまま記事にして放送に乗せたのかも知れない。
あるいは、本人たちは本当のことを言ったのに、NHKが「聴取者への影響」を考慮してその理由をねじ曲げて伝えたのかも知れない。
これだけでは真実はわからないのだが、聞いていてどうにもすっきりとしないレポートだった。そう感じた人も少なくないであろう。
聴取者にそのような疑いを持たせる内容のこの小さな報道は、それだけ雑な取材だったと思う。
単に雑な取材だったとは思えない。
報道する側の自主規制が働いているのだとしたら、これは不気味なことだ。
放射能の怖さは、放射線障害が起きる怖さと社会がそれを怖れるあまり、真実が隠蔽され報道管制や自主規制が日常的に行われるようになる「民主主義を破壊する」怖さとがあると指摘されている。
つまり放射線が社会システムを破壊する怖さだ。
いま、じわじわとそれが広がっている。
2012年12月18日火曜日
日本人の精神構造について、宵の語らい
今日、ふと思うところがあって、ツイッターで以下の通りにつぶやいた。
「経済的に豊かになって終わるストーリーが多いのが日本のおとぎ話の特徴。」
自民党の経済政策が多くの有権者の期待を集めて、今回の「圧勝」の原因となったという論調があり、それを補強するような(意識的に世論を誘導するような)インタビューをNHKがいろいろな番組で放送していたので、なんとなくそれに反発する気分が強くなってつぶやいたのである。
すると、すぐに以前、同僚だった友人から次のようなコメントが来た。
貴種流離譚や、英雄不死(生存)伝説が多いのも特徴かと思います。
「貴種流離譚」とは、「貴種漂流譚」ともいい、身分の高い者の子ども、若い神や貴人が、漂泊しながら試練を克服して、尊い地位を得たり偉大な神となったりするもの。
大国主命や日本武尊の伝説などが、その例だと言われいてる。
そこで、次のような返事を書いた。
その通りだと思います。(北海道では)義経伝説などが身近ですよね。
ところで、物質的に豊かになるという幸福のタイプが日本人の精神の根底にあるような気がしてしかたがありません。
今回の自民党圧勝の原因の一つとされている経済政策などをみていて感じるのです。
自然保護運動をしていると、よく「自然も大事だがまず食うことが大事だからナ」という反論に出会います。もう飽き飽きするほど出会ってきました。
もちろん、これら(経済活動と自然保護)を対立させようとは思いませんが、なんでもかんでもお金で価値を表そうとする精神構造の原因を考えてみたわけです。
英雄不死伝説は別として、機種流離譚と経済成功譚(これは僕の造語)との共通の背景がなにか考えられそうですね。
間髪を入れず、彼から返事が来た。
それが集大成として現れたのが20世紀後半の一連の藤子不二雄などの漫画ではないかと思います。『ドラえもん』『キテレツ大百科』などがその象徴で、それが高度経済成長期後の科学技術の追究と相まって流行ったのでしょう。しかし、21世紀に入るとそれは一旦「こころ」の方に大きく針が振れて一見意味深な物語が流行しました。「格差社会」の到来は、またもう一度歴史を繰り返してしまうのではないかと危惧しています。物質的な豊かさで満たされる心は素晴らしいかもしれませんが、「Can't Buy Me Love」なのであります。
う~ん。深い。
僕よりもはるかに若い彼の、ぼくよりもはるかに深い洞察に脱毛いや、脱帽の宵のひとときであった。
2012年12月17日月曜日
根北峠(こんぽくとうげ)
昨夜は、斜里で会議があり、ウトロに移動して会議のメンバーとの会食をし、そのままウトロのホテルに泊まった。
夏ならば、ウトロから羅臼までは40分弱で来られる。知床峠を越えればすぐだ。だが、知床峠が通行止めになる冬期間は、一旦斜里市街近くまで行き根北峠を越えて標津町を回って羅臼に行かねばならない。およそ2時間は要する。
今朝は、その根北峠で大型トラックが事故を起こし道をふさいでいたために1時間以上足止めされて4時間もかかった。
それでも事故による通行止めならまだ良い。この峠は、天候が変わりやすく、長い距離にわたって人家もない。携帯電話の圏外の区間も長く、恐ろしい峠なのである。
国道244号線が通っていて、斜里町側からは幾品川に沿って山に入る。標津町側へは忠類川に沿って下っていく。
若い頃は網走市で暮らし、別海に住み始めてからは標津高校に通い、いままた羅臼との間を往復する僕は、この国道との深い縁を感じている。
人生の半分はこの国道のそばで暮らした。だから激しい吹雪や大雨や嵐の時、この峠を越えたことが何度もある。大粒のボタン雪が大量に降り、しかも風で飛ばされて来て視界が奪われて往生したこともあった。
それでも、なぜだかこの峠が好きだ。
それは、他の峠に比べて人の居住してない区間が長く、一歩誤れば死に直結するような危険な区間が長く続くからだろうか。
この峠を走っていると、あらためて自分が生きていることの危うさや脆さを自覚させられるからだろう。
我々は本来、そんな緊張感をもって生きなければならない。
そんな原則を忘れ、「経済が良くなることが第一です」などとしたり顔でうそぶいている軽薄な者たちへの軽蔑を確認できるからだろう。
経済を優先させた結果、日本の自然はズタズタにされ、里山は荒れ放題、海も川も汚された。
それでも懲りない者への怒りに共感してくれる深山の霊気に触れられるような気がするから、この峠が好きなのだと思う、
2012年12月16日日曜日
今朝は朝から重たい雪
まず、昨日の問題の正解。
<問題>
映画「地の果てに生きる者」のロケで、俳優森重久弥さんが羅臼町に滞在し、帰る当日に有名な「知床旅情」をスタッフや町の人に披露した話は有名です。
ところでこの時、この歌の題名は今のような「知床旅情」ではありませんでした。
最初の題名はなんだったのでしょう。次の中から選んで下さい。
1.「羅臼の人よさようなら」 2.「羅臼旅情」 3.「さよなら羅臼」
4.「さらば羅臼よ」 5.「今日の日はさようなら」 6.「知床の岬」
正解は、4である。
彼は、出発の朝、見送りの人々や一緒に帰る他の出演者やスタッフの前で、歌詞の書かれた紙を貼りだし、ギターを持って歌って聞かせてくれたのだそうだ。
その時の写真も残っている。
日本を代表するようになった大俳優は、生涯羅臼での思い出を大切にし、折に触れて当時関わった羅臼の人々との交流を続けたのだそうだ。
知床にはそういう力がある。
今日は、検定が終わってから峠を越えてウトロ側まで行かねばならない。
朝から重たい雪が降っている。路面はシャーベット状。
この雪の中を峠越えするのは、少し気が重い。
2012年12月15日土曜日
知床学士検定
突然ながら、ここで問題。
昔、知床岬に近い番屋には、冬の間たった一人で暮らす番人がいました。映画「地の果てに生きる者」のオホーツク老人は、そのような人がモデルです。
ところで、この人々は、なぜ番屋の留守番をする必要があったのでしょう。
1.番屋にいるネコに餌をやるため。
2.外国が攻めてくるのを見張るため。
3.冬の間も漁を続けるため。
さて、正解はどれでしょう?
正解は「1」である。
昔の漁網は麻のような植物質で、それに魚の匂いが付くとネズミが集まってきて囓る。そのためどこの番屋でもネコを飼っていたのだが、冬の間ネコたちに餌を与えるために、どこの番屋にも番人がいたという。
これは明日、行われる羅臼町の「知床学士検定」の試験問題の例題である。
これは3級の問題で、このような問題が100問出題される。
今日は、その準備に忙殺された休日だった。
では、例題をもう一つ。
映画「地の果てに生きる者」のロケで、俳優森重久弥さんが羅臼町に滞在し、帰る当日に有名な「知床旅情」をスタッフや町の人に披露した話は有名です。
ところでこの時、この歌の題名は今のような「知床旅情」ではありませんでした。
最初の題名はなんだったのでしょう。次の中から選んで下さい。
1.「羅臼の人よさようなら」 2.「羅臼旅情」 3.「さよなら羅臼」
4.「さらば羅臼よ」 5.「今日の日はさようなら」 6.「知床の岬」
正解は、明日、発表。
2012年12月14日金曜日
冬至に
今年の冬至は12月21日だ。
この時期、いつも冬至が待ち遠しい。
冬らしい冷え込みは2月にやって来る。しかし、日長時間はそれに先駆けて動いている。 北緯44度で暮らす者にとって寒いということはそれほど大変なことではない。暖房もあるし暖かな衣類もたくさん持っている。
自分ではどうにもならないのが昼間の長さだ。
午後4時には薄暗くなり5時を過ぎると真夜中と変わらぬ暗さになる。
朝も6時を過ぎなければ明るくならない。
昼間の短さを思い知らされる。
春が待ち遠しいのは、暖かくなるからでもあるが、それ以上に明るくなるからだと思う。
直接は知らないのだけれど、日本の戦争中は冬のような時代だったのだろう。
マスコミはこぞって「大本営発表」の嘘っぱちばかりだけを大合唱し、言論は厳しく制限され、戦争や政府、資本家を少しでも批判しようものなら容赦なく逮捕され獄につながれただろう。
徴兵制によって、強制的に軍隊にぶち込まれて不条理な戦争に投げ入れられる。故郷へは四角い小さな箱に入った状態でなければ帰られなかった者も多い。
戦争が終わった時、多くの国民は、春の到来を感じたことだろう。
春は、黙って待っていればやってくる。どんな人にもやって来る。
だが、平和は、努力を払わなければ維持できない。歴史を逆転させ、冬の時代を呼び込もうとする者たちが策動しているから。
今までにも戦争への傾斜を滑り落ちそうになった危機は何度かあったろう。日本の国民は、辛くもその動きを阻止してきた。
反動勢力はその都度巻き返しを謀ってきた。
今回も同様のようだ。
はたしてどうなるのだろう。
なんとしも食い止めねばならない。
ついでにヤツラの息の根を止めてやろうではないか。
2012年12月13日木曜日
遠くを見て選べ
人の考えはさまざまだ。この多様性は必要なだし将来に向けて大事にしていかねばならないと思う。
しかし、今、身に降りかかってくる生活苦や放射能の不安、アメリカ軍の横暴や戦争へと傾斜しかかる風潮に批判的であるにもかかわらず、どう見てもそれらに反対する投票行動に結びついていないと思われる人がいるものだ。
そのような人を観察していると自分の生活上でのつながりでできた情実とか各政党が選挙向けに発表する政策を手がかりに候補や政党を選ぼうとしているようだ。少なくとも普段の国会で政府に対してどのように追求してきたかとかどんな質問をしたかを参考にして選んでもらいたい。本当は、その候補者の日常の主張や折々に発表される政党の見解や行動で選んでもらいたいと思うのだ。
正直に言えば、それはなかなか難しいかも知れない。「時の勢い」のようなもので投票行動を決める人々は多い。そして忸怩たる思いを抱きながらも認めざるを得ないのはそれも民主主義なのだということだ。
アウシュビッツを案内してくれた日本人のガイドがいみじくも言っていた。
「ヒットラーは民主的に選ばれたのです」と。
それは、とても恐ろしい言葉に思えた。
僕らは、民主的な人格を持ち続ける限り、あらゆる「反動的な勢力」や「反民主的な勢力」の存在も認めなければならないし、その時の気分でそれらの勢力を支持する民衆の存在も認めないわけにはいかない。
そのような条件で出来ることは、社会の進歩とはどういうことか、一人残らず皆が幸せになるとはどういうことかを粘り強く説き続けていくことだけだろう。目先にとらわれず、一歩離れて全体の構造を見て下さい、と訴えることだけだろう。
昔、クラス担任だった頃、生徒の進路を考えさせる時に「遠くを見ろ」と教えたことをふと思い出した。
カヌーを漕ぐ時に、遠くを見て進めば真っ直ぐに進める。目の前だけを見ていると進路がぶれるものだ。
遠くを見よう。
2012年12月12日水曜日
ただただ感謝・・・12月11日、羅臼町ユネスコスクール研究発表会 成功
それほど大がかりな集まりではない。町内の全中高生と二つの小学校の3、4年生が集まっただけだ。
それでも人数は400人に達し、羅臼町の公民館のホールは満員になった。
落語家の立川談志さんが、噺のまくらでよく「文化レベルの低い町ほど立派な文化会館などを持っている」と毒づいていたが、羅臼町の文化レベルは全国でもトップクラスということになろうか。
小学生(一部ではあるが)から高校生までが一堂に会するという行事は、なかなか例が無い。しかも一つの大きなテーマでそれを行うということは、あまりないことだったかも知れない。
このような異校種が共同する行事によって、それぞれの児童生徒が何かを得てくれれば嬉しい。
この会を実行するためにたくさんの人が力を出してくれた。ピストン輸送で子どもたちを運んでくれたバスの運転手さんたち。前日から会場設営に力を出し、当日の照明や音響などの裏方をすべて支えてくれた公民館職員。当日参加できないにもかかわらずロビーで幼稚園児の作品展示をすべて取り仕切ってくれた幼稚園の先生方。町民への広報のために織り込みをし、一軒ずつ配布してくれた町職員の方々。そして何より、この日の発表のために調査し、まとめ、発表練習に励んでくれた子どもたち。この経験は、きっと宝物になるだろう。
あらためて、力を貸して下さった、すべての皆さんにお礼を言いたい。
2012年12月11日火曜日
複雑系との関わり方を考えさせられるここ数日
きょうも雪である。
正確には霙と霰とボタン雪と雨がめまぐるしく入れ替わって降っている。
だから気温はそれほど下がっていない。コートなしでも10分間くらいなら外を歩ける。
夜になると気温が氷点下になるのでさすがに路面は凍る。凍結路面というものは0℃に近い時の方が滑りやすい。タイヤと氷の間に水が入り込むからだ。
そのため今日の帰路は、非常に危険な状態だった。
ニュースによると中部から西日本の方が冷え込み方が強いらしい。
原因は偏西風の蛇行によって、大陸からやって来る低気圧が大きく南へ回り込んで通過するためだという。低気圧の動きを見ていると確かにそのような動きをしている。
気象現象は、大気の動き、高層の気流、周辺の気団の状態、海水温、さらには地球の自転まで、多くの要素によって生じる。いわば複雑系の代表である。
それでも気象衛星、気象レーダー、スーパーコンピュータによるシミュレーションなど予測の技術は飛躍的に向上したと思う。
そのせいだろうか、数ある複雑系の現象が簡単に予測できるかのような幻想を持つ人が多くなっているような気がする。
「猫が顔を洗ったら雨」のように短絡的な表現で複雑系を把握しようとする。
それは良い。自然現象に皆が関心を持つのは良いことだと思う。
問題は、評価ではないだろうか。複雑系予測の評価は、また難しいことであるのだ。
問題は、複雑系を把握しようとする過程で政治的な、あるは経済的な、さらには感情的な要素が混入する危険が大きいということではないだろうか。
敦賀原子力発電所2号機下にある断層が危険なものか否かの判断が真っ二つに分かれている問題などはその好例だ。
本当に安全のために行っている調査であれば、「疑わしいものは危険だと判断する」というモノサシをひとつ加えるだけであっさりと解決するはずなのだが。
真理を曲げてまで自分たちの利潤を追求しようとする勢力を野放しにしているのは誰なのだろう。それは政治権力でありそれを選び出した選挙民ということになるのか。
いやはや、ここにもひとつの複雑系が存在していた。
2012年12月10日月曜日
こんな日に、動物たちは・・・・
明日、羅臼町で「第二回 羅臼町ユネスコスクール研究発表会」というものが開かれる。
「第二回」とは言っても、町内の全学校がユネスコスクールに認定されてからは初めての発表会だし、幼稚園から高校までが参加するのも初めてだ。
つまり実質的には第一回なのだ。
現在時刻20時過ぎ。どうやらカタチができた。
プログラムの印刷、会場の設営、発表要旨の編集と印刷。生徒輸送のためのバスの手配。バスに乗りきれない生徒を輸送するための車両の手配、マスコミへのリリース、おまけに僕自身が指導する高校生の発表の準備などなどに全力で走り回る日が続いた。
今、すべての準備を終え、ホッとするとともに何か抜け落ちているような不安に駆られる。これは、大きな行事を控えている人なら、普通に感じることなのだろう。
明朝の生徒輸送の段取りを考えながら、これからの事も考えている。
疲労は、不思議に感じない。感じないほど疲れているという事なのかも知れないが。
今日の羅臼は、雪と雨と霙が交互に降っていた。
それらも止んで、しんしんと冷え込みが強まっていくのがわかる。
こんな日、動物たちはどのように過ごしているのだろう。
クマは、冬眠穴を確保しつつ、まだ、たまに出歩いては餌を探したりしている時期だが、今日のような日は冬眠穴でゴロゴロしつつ、本格的な冬ごもりの予行を決め込んでいるかも知れない。
そうだ。
彼らは、自分に与えられる条件の中で、常に最善を尽くして生きている。疲れていても「疲れた」とは言わず、痛みを感じても「痛い」と言わずに黙って耐えている。
「黙って耐える」という点では、われわれニンゲンよりもずっと優れている。
もっと野生動物に学ばなければ。
疲れたのか疲れていないのかなど、問題にすべきではないのだ。
がんばろう。
2012年12月9日日曜日
教室の時計はなぜ教師から見えない位置に掛けられるのか
きのう、ツイッターにも投稿したのだが、以前から不思議に感じていたことがある。
日本の学校の教室にある時計のことだ。
学校の教室にはたいてい時計がある。
それがほとんど教室の正面に取り付けられている場合が多いのだ。
一番多いのは正面の真ん中。黒板の上だ。その下に教卓があり、授業者は教卓越しに生徒と向かい合うのが基本となる。言わばデフォルトの位置だ。
当然、時計は授業者の後頭部の上方にあり、生徒からはよく見えるが先生には見えない。
この状態は、授業の効率を落とす。生徒は黒板を見るたびに時計が目に入るのだ。授業の残り時間が気になるのは人情というものだろう。
おまけに授業をマネジメントしている教師は、首を回さなければ時間がわからないときている。
どうして教室の後方の壁に時計をかけないのだろう。
ささやかで私的な経験の範囲では、教室の後方に時計を配置している教室を、僕は見たことがない。
まあ、こんなことは小さな問題だと思う。小さなことだからこそずっと長い間にわたって、問題にされることもなく、この状態が今まで続いてきたのだろう。
しかし、この現象が日本の学校や教育が内包する問題のひとつを象徴しているような気がするというのは考え過ぎだろうか。
つまり、非効率、非合理的で「カタチ」ばかりにこだわる。「指導」のあり方も教育を受ける児童生徒の立場に立って考えるよりも先に、「自分の指導とその成果を周囲に見せる」ということを考えてしまう。
つまり、教師は「指導する」のではなく、「指導してみせる」ことばかりを意識する。
そのために、短期間に現れる結果にこだわる。
そして、数値化されたような「目に見える成果」ばかりを求めようとする。
これは内部告発に近いのだが、学校というのは見栄の世界だと言い切っていい。
教育にとってもっとも大切なものは、「愛」と「真理」だと思うのだが。
教育基本法を醜く改悪し、「建前」と「服従」のを学校教育に押しつけようとしている者が、いくつかの政党の党首としてまかり通っている。
彼らにとって、教育は命令通りに行動し温和しく死んでいく兵士を養成するシステムであればいいのだから、この非効率、日合理は当然のことであるに違いない。
2012年12月8日土曜日
帰ってきたサンショウウオ
九月の旅行の時から羅臼ビジターセンターに預けっぱなしにしてたサンショウウオたちが帰ってきた。
昨年の春、知床峠の道路端にある側溝にたまった水の中に産卵されていた卵塊を持ち帰った。
あの側溝の中では、ほとんどエサがないだろうし、もし成体にまで成長してもコンクリートの壁を這い上って外に出ることはできない。
そんな状況だったことも持ち帰った理由だ。
やがて孵化して、徐々に変態が進み、11匹の成体が水槽の中で暮らしている。
サンショウウオは幼生のうちは食欲が旺盛で、飼うのに苦労しないのだが成体になるとちょっと気むずかしくなりエサをたべなくなる。
だから足が出てきて、水から出ている時間が長くなった頃に放流しているやるのが一番良いのだが、仕事の忙しさもあり、ついそのタイミングを逸してしまった。
今では、水槽の上から覗けばエサを求めて全員が一斉に上体を起こして集まって来るようになった。
ビジターセンターでは、来館者から目につきやすいカウンターに置かれていたため、エサを与えられる機会が多かったらしく、ますます「人慣れ」してしまったようだ。
そのまま置かせてもらっても良かったのだが、館内の模様替えをするとかで、結局帰ってきた。
みんな一回り大きくなっていた。
2012年12月7日金曜日
五つの季節と牡牛座の角
いつもの年の12月のように「正しく」しばれてきた。
「根釧原野には五つの季節がある」と郷土について教える時、必ず言うことにしている。
春夏秋冬の「冬」が「雪のない冬」と「雪の冬」に分かれるのだ。11月中旬から12月末くらいまで、気温が氷点下の日が続くが雪はほとんど降らない。降っても積もるほどにはならない。
12月末、年によっては1月に入ってから、一旦しばれが緩み湿った雪がドカッと降って積もり。そこからが「雪の冬」の始まりだ。
北海道の中でもこれほどハッキリとした「5つの季節」を持つ地域はない。
ここで暮らす以上、この特性を楽しむべきだ。
雪が無く、氷点下の日々が続く季節には湿原も固く凍結するから自由に歩き回れる。
夏には入り込めなかった湿原を自由に巡り、ハンノキの洞を覗いたり、枝先に残されたカエデの実をそっとポケットに入れたりして回るのは楽しい。
雪が積もったら積もったで、スキーを履いて雪原をどこへでもいける。
手袋や帽子がなければたちまち凍傷になり、時には生命にもかかわる厳しい寒さだが、この土地でしか味わえない楽しみも多い。
しかし、今年の冬はいったいどうしたのだろう?
湿った雪が早々と降った。
その後に降った雨で、ほぼ消えてくれたが冷え込み方がまだ不十分だ。
やっと少し根釧原野の冬らしくなってきたようだ。「正しい冬」になると毎日晴天が続き、星の見える夜が続く。
今日は、仕事から帰って、星灯りだけをたよりに原野を散歩した。
牡牛座の角の延長線上に木星が来ていて、牡牛の角が二倍近く伸びていた。
なんだか特別な日のように感じられた。
2012年12月6日木曜日
なにか ある
なにか ある
ナニカ アル
「アル」はアラビア語の冠詞だとか
「アル」は存在の動詞だとか
「アル」には命令形がないだとか
「アル」ばかり使うのアル中よ
「ワタシ アル中 あるヨ」
そんな言い方する者いない とか
「トカ」とかとかと蚊とか蜥蜴とか
蜥蜴の形の選挙区があったとか
小さな蜥蜴の小さな選挙区
「ト」は蜥蜴の頭かね?
「カ」は蜥蜴の胸なんだ!
「ゲ」は蜥蜴のお腹だろ?
それじゃあ尻尾は?
ん?切られたよ
2012年12月5日水曜日
真のジャーナリストよ、いでよ!
先日「本当のことを伝えない日本の新聞」という本を買って読んだ。前から気になっていたので、注文して取り寄せたのだ。
放送も含めて、日本の大手メディアの伝えるニュースは、みな横並びで同じような内容であることが前から気になっていた。
そして、沖縄の人たちがオスプレイの配備や本島北部に建設されようとしているヘリコプター訓練施設に命がけで反対している様子や反原発のデモや集会に今までに無いほど人が集まっていてもさっぱり報道されず、どうも胡散臭いと感じていた。
その傾向は、昨年の3月11日の大地震とそれに続く原発のまき散らした大公害事件以来、一層強まってきたように感じられた。
そのようなタイミングで出版されたこの本が以前からきにかかっていたというわけだ。
本は、ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラーさんが書いたもので、「記者クラブ」という日本独特の、欧米では考えられない、あり得ない仕組みによって、新聞や放送のメディアがジャーナリズムではなく単なる発表媒体になっている実態を具体的な例を豊富に挙げて指摘している。
そして、驚くべきことにアメリカ人の彼は、日本のメディアがなぜそのようになってしまったかを明治にまで遡って分析している。
一通り読んでみて、非常に勉強になり、日本の大手メディアの現状がよく理解できた。
日本の侵略戦争のただ中で、大本営発表をそのまま垂れ流し、多くの国民を苦しめ、死に追いやった責任を自覚し、戦後のメディアは再出発を期したと聞いてきた。そう信じてきたのだが、やがて「いつか来た道」に戻りつつあるのだろうか。どうもそうらしい。
全国で同時多発的に気骨のあるジャーナリストが立ち上がる時は来ないのだろうか。
そんな時が待たれてならない。
2012年12月4日火曜日
北極航路
今年の12月は大荒れだ。
いま、強い風が吹き時々激しい雨が降っている。
天気も大荒れだが、例年の12月と比べても異常な天候だ。
冬型の気圧配置が安定すれば、ここ道東地方は、快晴の日が続く。
気温は厳しく冷え込むが、スカッと晴れた青空が広がり気分も高揚する。
だが、残念ながら今年はそうではない。
冬型っぽくなったかなと思うと、すぐに北側を勢力の強い高気圧が通り、南方からの温かい空気を吸い込んでしまう。そのため雨が降り気温が上がることを繰り返す。
こんな天候が規則的に巡ってくると、あのパキッと晴れた「道東の冬」が待ち遠しくなる。ニンゲンとは勝手なものだ。
この原因は偏西風の蛇行なのだそうだが、いつになったら治まるのだろう。それとも今後しばらくは、このような乱れが続くのだろうか。
気候変動は、確実に近づいており、平均気温も上昇している。温暖化が忍び寄っている。
北極海の氷が減少している機に乗じて、北欧のLNGを北極回りの航路で運ぶ計画が進んでいる。
今日、その第一便の船が日本にやって来たそうだ。
化石燃料を大量に消費し温室効果ガスによって温暖化を招いておいて、それによって生じた北極海の隙間を利用してさらに大量の化石燃料を利用すると。
全くおかしな話だ。
まずは、その使用量を減らす努力を払うべきだろう。
「今の生活水準を維持して・・・・」と二言目には口にする。だが、その前提が間違っている。
「どんな暮らし方をしたら、今までの地球環境を維持できるか」というのが正しい思考の順ではなかろうか。
2012年12月3日月曜日
初冬の森の贈り物
羅臼もすっかり雪景色になった。
今日の午後は3年生の「野外活動」の授業があった。
例年この時期には、学校の周りの森で見つけたきた木の葉や冬芽、ドライフラワーと化したノリウツギの花など自然の素材を使ってリースを作っていた。
今年は思いがけなく雪降りが早かったので、ササが中途半端に寝ていて森の深い所まで入られなくなってしまった。
そこで、リースに飾る素材だけを集め、皿に盛りつけて作品を作らせてみた。
すると若い感性は、思いがけない創意を見せ、リースとはひと味違った作品が次々と完成した。
このようなデザインであれば、お皿に飾り付けて壁に掛けてもいいしテーブルなどに置いて楽しむこともできる。
ところで、このような作品を何と呼んだら良いのだろう?
世の中にこれと似たものがあったら、どなたか一般的な名前を教えて頂きたい。あるいは、ぴったりの呼び方があったらご提案ください。
2012年12月2日日曜日
地方の路線バス
昨日、帯広から広尾町までバスに乗った。
立っている人はいないが、座席はほぼ埋まっているくらいの混み方で出発した広尾行きの十勝バスだったが、帯広市の郊外で大半の乗客は降り、出発から20分ほどで乗客は十数人にまで減った。
それから、中札内、更別と進むにつれ下車する人ばかりで、広尾町に入った時には、たった3人になってしまった。
午後5時過ぎたばかりだが市街地は、すでに眠りについたかのように見える。国道は、さらに暗闇のかなた延び、やがて襟裳岬に達する。
ここは山間地の限界集落ではない。人口7800人あまり。十勝を代表する港町だ。
それなりの規模を持つ町であるにもかかわらず、帯広市とを結ぶ路線バスがこれほど利用されていないのが現実なのだろう。
所要時間も2時間半かかる。乗用車では1時間半と少々で行ってしまう。
自動車を所有し運転する人々と、公共交通機関に頼らざるを得ない人々との格差が大きすぎないだろうか。
バスには帯広市内の大型店で大量の買い物をしたバッグを二つ、両手で重そうに下げたお年よりたちが目立った。買い物を持ち歩くにしても乗用車とバスでは大な差がある。
こんな現実をなんとかできないだろうか、と思った。
しかし、こんな人口の少ない所では票にならないから政治からも見放されているのだろうな、やはり。
2012年12月1日土曜日
小さな旅を前にして
十勝の広尾町へ出張する。
広尾町までは、200kmと少し。
同じ道東にあり、北海道を東西に二分する日高山脈から大雪山系を超える必要もない。札幌や旭川などよりはるかに近いのである。
今日出発して明日帰ってくる。一泊二日の小さな旅だ。
クルマで行けば簡単に行けるのだが、今日は列車とバスを使うことにした。
これはちょっと贅沢なのである。交通費も「贅沢」だが時間的にも「贅沢」だ。
我が家の最寄り駅である厚床(あっとこ)から釧路行きの普通列車に乗る。釧路から特急列車で帯広まで行く。帯広から路線バスで2時間少々を費やしてやっと広尾に着く。
元は帯広から「広尾線」という支線があったのだが、廃止されてしまった。
目先のソロバン勘定で貴重な財産を惜しげもなく捨て去ってきたこの国の愚かな交通政策のお陰で、「小さな旅」の楽しみも半減してしまった。
ところで、旅、とくに公共交通機関を使って旅に出る前は荷物を作りながら、ありあまる時間で「この本を読もう」とか「この書類も作ってしまおう」、「パソコンの中も整理しよう」など、日頃したくてもできない様々なことに手をつけたいと考える。
現実には、それほどの時間はなく、無駄な荷物をただ持ち歩いて帰ってくるだけという結果に終わることが多いのだが。
今朝も懲りずにあれこれ妄想しながら荷造りしている。
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