オホーツク海側のあちこちから雪の便りがあった。
平地でもかなり積もっていて、真冬のような景色の所もある。
先週、旅した時、オホーツク海沿いの地方は暖かく、サクラも咲いていた。こんな年もあり、五月の雪もそれほど珍しいものではないとわかっていても、ちょっと信じられない気持ちである。
根釧原野は、北寄りの強い風が吹き荒れていて、手袋無しでは手がかじかむ温度ではあるが、雪が積もるまではいかない。今日は、歩いていてヒメイチゲに出会った。
フキノトウ(フキ)とエゾエンゴサクばかり見てきたので、三番手のヒメイチゲとの出会いは、とても嬉しく感じた。
「既存の理論に過度に依存した『思い込み』があった」
「学会内における議論は必ずしも盛んでない」
「学会の内外におけるコミュニケーションを深める」
「研究成果が教育やメディアの現場にどう伝わり、使われているか無自覚であった」
これらは、原子力学会の話ではない。
日本地震学会が東日本大震災を想定できなかった反省から、従来の研究の問題点などを洗い出そうとする臨時委員会論文と提言を盛り込んだ意見集にある言葉だ。
「地震学の今を問う」をテーマに会員から募った30本の論文が、これを踏まえた提言とともに、約170ページにわたる「意見集」にまとめられた。日本地震学会のホームページ http://www.zisin.jp/ で見ることが出来る。
地震の予知は、社会生活と直結しているから非常に難しいと思う。
昔の地質学しか習っていなかった僕には、現代社会に「緊急地震速報」があるだけでもすごいことだと感じる。
マグニチュード9クラスの昨年の地震を予想できなかったことに、それほどの「反省」が必要とは、なかなか思えない。だが、時代はそれを求めているということなのだろう。
大勢の人が亡くなり、甚大な被害が生じたのだから、地震発生の時期と規模をある程度でも予想しておくことが出来たら、という思いは研究者や被害者の間に強くあることは理解出来る。
荒ぶる自然と向き合い、自然の猛々しい振る舞いから人々を守るのが科学の役割だ。
多くの科学者就中自然系の科学者は、そういう自覚をもって研究に取り組んでいることだろう。
同時にわれわれも科学に限界があることを知っておくべきだと思う。
予想はあくまでも予想なのだ。結果だけを見て安易に評価するべきではないだろう。
それにしても地震学会のこのような姿勢を、原子力発電や放射線の人体への影響を研究している学者は、どう見ているのだろう。
爪の垢を煎じて飲ませてやりたい、と思った人はたくさんいると思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿