雨が降るという予報を信じて、バイクで行くことは諦めた。夕方になってほんの少し、言い訳のような雨が降った。粒の大きな雨で、クルマのフロントガラスに音を立ててぶつかり砕け散っていた。
雨粒を見つめながらぼんやり考えていた。
雨は、
必ず
降る。
あの日も、
雨が
降った。
あの日・・・
佐世保港にアメリカの原子力空母エンタープライズが入港する日だ。
日本に寄港した、最初の原子力空母。
激しい反対運動が、その前に何度も何度も繰り広げられた。
1967年秋から1968年1月にかけてのことだった。
昭和43(1968)年1月19日、米第7艦隊所属の
原子力空母エンタープライズが長崎・佐世保港に入港した。
エンタープライズは、世界最初の原子力空母で、基準排
水量7万5700トン、原子炉8基を持ち、F4ファント
ム戦闘機などを70~100機積載できる。
原子力潜水艦は佐世保や神奈川・横須賀に寄港したこと
があったが、原子力空母が日本に寄港するのは初めて。当
時艦載機がベトナム戦争の空爆に参加しており、労働組合
や学生らが、ベトナム戦争への加担や、核持ち込み疑惑な
どを問題にして入港を反対するデモを連日展開し、警官隊
とたびたび激突した。 (この部分「毎日新聞」記事から引用)
エンタープライズの入港を突破口にして、寄港の回数が
徐々に増え、ついには横須賀が原子力空母の母港になるこ
とについても、さほどの大きな抵抗は生じなかった。
日米政府は、激しい抵抗が予想される場合、最初は遠慮
がちに、小出しに実行し、少しずつ「慣れ」を作っていき、
終いには大胆に開き直るというやり方をいつも用いてきた。
その手法は、今も全く変わっていない。
その背景には、「日本の国民の大多数を占める無知で愚
かな階層は、こうやって馴らして行くのがもっとも有効」
というエリートたちの強固な思い込みがあることは明らかだ。
高校生だった僕らは、
その出来事を見ていた。
そこに権力の本性を見た。
権力は、巧妙に「世論」を操作しながら
反対する勢力が怯みを見せると
態度を豹変させて襲いかかってくる。
そんな卑怯で、姑息で、屁ナマずるく、
それでいながら、侮れない力を持っている、と。
そんな腐った側に立つ生き方は、絶対にしないと
あの映像から学んだ。
40年以上の歳月を経て、
あの時の思いが、
突然よみがえってきた、知床の海岸だった。
2012年5月23日水曜日
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