2010年7月15日木曜日

カモイウンベ=ヒグマの多い所

 「カモイウンベまで帰る」と言っていたおばちゃんは無事に帰ることができただろうか。まあ、何もニュースが無いから無事に帰り着いたのだろうし、彼女にしてみれば、そんなことは日常の何でもないことなのだろう。それでも最近、従来とは行動のパターンの異なるクマの出没が続いているので、心配になってしまう。
それにしても、クマがウヨウヨしている夕方の海岸を一人で歩いて帰るバイタリティには脱帽してしまう。もちろん銃もクマスプレーも持たずに、である。
 そんな、危険と隣り合わせのバイタリティに依拠して、この国の「繁栄」があったはずだし、現在も続いているはずだ。政治家は、本当に真剣にそれを理解しているのだろうか。わかっていないとしか思えないことが多すぎる。少しでもわかっていたら、羅臼町から病院が消えて無くなりそうな状況など生じるわけが無いではないか。
 どの角度から考えても良い国ではないなあ。

2010年7月13日火曜日

待合室にて

 医師がおらず、診療を休止したり再開したりしている病院。「金儲けをしない者はすべて悪だ」と言わんばかりの思想で推し進められてきた政府の医療政策に翻弄され続けてきた、全国どこにでもある僻地の病院のひとつだ。

「今日は、外科の診療はしていただけますか?」
 午前中に立ち寄り、受付に質問した。
「内科の先生しかいませんけど外科も診ますよ。ただ、今日はすごく混でいるので、相当待つことになりますよ。」そして、親切なことにこう付け加えてくれた。
「夕方いらした方があまり待たずに済むと思います。」

 仕事もあったので、夕方もう一度来ることにして、一旦診療所を出た。

 仕事が一段落した午後3時過ぎ、再び病院へ行った。心持ち待っている人は減っていた。しかし、診療の手続きをして診察室前のイスに腰をおろした時、ビックリしたのは、そこにいた人たちは午前中に受け付けを済ませた人々だったという事実だ。その人々は、朝の九時頃からひたすら診察の順番を待ち続けていたのである。

 その人々の会話が自然に耳に入ってくる。
 今年のコンブの出来具合の悪いこと、嫁との仲のこと、天気のこと、これから始まるコンブ漁のこと、新しく折れないマッカ(コンブを巻き取る道具)は重くて年寄りには使いこなせないということetc.etc.
 七〇歳台後半のお爺さんのしみじみとした言葉が印象的だった。
「中標津や標津の病院より、やっぱり羅臼の病院がいいもなあ。(いいんだよなあ)ずいぶんこの病院には世話になった。」

 なぜ、今日がこれほど混雑しているかもわかった。そろそろコンブ漁が始まる。漁が始まると皆、「コンブ場」と呼ばれる漁場の番屋に移って生活する。知床岬近くの、道路の無い所に建つ番屋も少なくない。道路があってもクルマを運転できる若い人々は、漁にかかりきりで老人の送迎をすることはできない。そのため、三ヶ月分もの薬をまとめて出してもらうのだという。そして、それだけの量の薬を処方してもらうためには医師の診察を受けなければならない。そんなわけでたった一人しかいない医師の元へ皆が一度に集まってきたということらしい。
 そんな事情を聞いていると、ネコの咬み傷程度で来院した僕は、病院を忙しくした、はなはだ迷惑な存在に思えてくる。

 夕方、遅くなって、一人のおばさんが腰を上げた。
「これらからカモイウンベまで帰らなきゃならないんだ」と言う。そばにいたおじさんが問いかける。
「どやって帰るのさ?」
「クルマで相泊まで送ってもらって後はあるくべさ」

 僕は耳を疑った。カモイウンベは道路の終点、相泊から岬方向に4キロもある。海岸をずっと歩くのだ。人頭大の石がゴロゴロしている浜は、それほど早くは歩けない。そして、あの辺りは特にクマの多い場所だ。それをこのおばさんは、まるで「ススキノから円山まで帰るんだ」と言っている調子で事も無げに「歩く」と言ってのけたのだ。
 ああ、知床で生きるということはこういうことなんだなあ。あらためて感じられた。 

2010年7月12日月曜日

飼いネコに手を咬まれる

 ネコは悪くない。昨日の夕方、買い物に行こうとして車に乗り込んだとき、外で遊んでいた我が家のネコ=ピョートル大帝が一緒に乗り込んできた。乗り込んだのは良いが、中まで入ってこようとしない。膝に乗ったかと思ったらすぐに開いた窓に乗った。窓の縁に乗っているから大丈夫だと思い、ドアを閉めた途端、これまで聞いたことのないような叫び声。この世のものとは思えない声だった。優美な長い尻尾がドアの上部に挟まったのだ。ドアを開きつつ尻尾で宙づりになるのを防ぐためネコの身体を支えた。その時に、彼は、思わず僕の左手に咬みついたのであろう。
 よほど痛かったらしく、上下四本の牙がすべて掌に食い込んでいた。
ペーチャ(「ピョートル」の愛称)の方は、大騒ぎした割にはほとんど怪我はなかったようである。安心した。

 僕の掌もそれほどの傷ではない。オキシドールで消毒し、抗生物質入りの軟膏を塗っておいた。それでもやはり動物による咬み傷はどうしても炎症を起こしてしまうらしい。腫れて熱を持ってきたので、病院へ行き、抗生物質を出してもらった。

2010年7月10日土曜日

サカマタの記





 いつか遭えるだろうという予感は持ち続けていた。だが、予感の時があまりにも長かった。択捉島で一瞬だけ目にしたあの三角。海面に誇らしく突き出されたシャチの背びれ。

 雨をついて出向した「エバーグリーン」のアッパーデッキで、「今日もダメかな」と弱気になった頃、隣で海面を見張っていたSさんが低い声で、しかしはっきりと船長へ伝えるのが聞こえた。
「シャチ。11時30分。距離0.5マイルくらい」と。
目を凝らしてみる。だが、見えない。
船はそれほど速度を上げることなく近づいていくだが、シャチの群れも同じくらいの速度で遠ざかっているらしく、なかなか姿をとらえることができない。
 結果的に5分ほど追尾してやっとブローが見えるようになった。さらに数分後、ジャンプする姿もとらえられるようになった。
 それからは、船はほとんど停止しているのだがシャチの方から近づいてきたり、船底をくぐり抜けたりし始め、存分に遊んでくれた。
 それにしても、シャチはなぜわれわれを惹きつけるのだろう。レプンカムイと呼ばれる。神秘的な存在として扱われることも多いし、その気持ちもよくわかる。いろいろな思いが一気に吹き出したシャチとの出会いだった。