2013年5月31日金曜日

今日という一日

 今日の5・6校時は、羅臼高校2学年の「野外観察」で、久々の2時間連続の授業だった。昨日の雨が嘘のように天気が良くなったので、羅臼町の「裏山」とも言える「望郷の森」まで登って来た。  片道2キロ足らずの山道だが「立仁臼川(たちにうすがわ)」という沢に沿って登る。終着点の標高は300メートルほどだろうか。美しいダケカンバの林がある。知床山系でそろそろダケカンバ帯が始まる高さでもある。  久しぶりに軽く汗を流して爽快な気分で下りてきた。  事務所に戻ってからは、明日の釧路教育大生向けのプレゼンの準備にかかった。  彼らは羅臼町のクマ学習についての話を聴きに来てくれる。大学生を相手に話すのには慣れていないので、やはり緊張するものだ。  しかし、将来教員になっていく学生たちだろうから、「ビデオを見せて自然体験に代える」などという発想を持たずに、学ぶことの本質を的確に理解した教師になってくれることを希望する。 本ブログは,明日から 次のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2013年5月30日木曜日

名犬 矢間(ヤマ)の物語

 来月の出張の時、一泊は雲仙温泉にしようかと考えている。いま、雲仙の宿を探しているのだが、湯元ホテルという宿のホームページを見ていた。この宿は300年以上の歴史があるとか。その長い歴史の中では当然いろいろな出来事があったろう。HPにあったそれらのエピソードの中で、非常に印象的なものが一つあった。  雲仙湯元の犬、矢間(ヤマ)は、ご主人の加藤小左衛門正時から「矢間。お使いに行ってきておくれ」と言われると、手紙を風呂敷に包んで、首に巻きつけてもらい挨拶代わりに「ワン」と一声吠えて、喜んで三里(およそ十二キロ)の山道を越えて矢櫃にある八木家まで元気に走っていきます  八木家について「ワン」と吠えると「おー、よしよし。矢間、ご苦労だったな」と当主が手紙を受け取ります。  矢間は好きなご馳走を貰い、しばらく八木家の気持ちのよい屋敷の中でゆっくりと昼寝をして、返事の手紙を風呂敷に包んでもらい首に結わえてもらって雲仙にかえるのでした。  急用があれば、雪の日でも雨の日でも矢櫃まで喜んでお使いに行くのでした。ある暑い日。雲仙から矢間は、いつものように手紙を首に結わえてもらって矢櫃まで下って行きました。  もうすぐ八木家に着く山路で、八木家の五つになる上枝(ほずえ)という娘が、真っ蒼になってじっと立っていました。その足元に真っ黒いカラス蛇が、いまにも飛びかからんばかりに鎌首を上げて上枝を睨んでいました。  多分、上枝の毬がカラス蛇の寝ていた草むらの中に落ちたのでしょう。  とたんに矢間は、上枝を助けようと「ワンワン」吠えながらカラス蛇にかかって行きました。びっくりしたカラス蛇は、草むらの中に逃げて行きました。  「矢間!」上枝は泣きながら矢間にしがみつきました。八木家の当主は、上枝が矢間に助けられたことを感謝して手紙に書き添えました。  あるどんよりと曇った日。湯元の小左衛門は、法要の打ち合わせのため手紙を書いて浅黄色の風呂敷に包んで「矢間、ご苦労だが八木家に行ってきておくれ」と、矢間の首に巻きつけようとしましたが、すぐ喜んでお使いをする矢間が、どうしたことかこの日は、小左衛門正時の手をなめて、なかなか風呂敷を結ばせません。  そして、甘えるようにご主人の目をじっと見つめていました。でも、最後には元気に一声吠えると走っていきました。  ところが、矢間は矢櫃の帰り、札の原(昔、湯元掟という木札が立っていたところ)というところで倒れておりました。首には風呂敷はありませんでした。  きっと泥棒が、風呂敷に何か入っていると思ったのでしょう。矢間のお腹と頭にひどく叩かれたあとがありました。矢間は泥棒に風呂敷を取られまいと戦ったのですが、敵わなかったのです。  もうすぐ湯元だったのに、矢間はどんなに悲しかったことでしょう。日ごろ可愛がってもらっているご主人に会えずにここに倒れてしまったことを。  札の原の側に住んでいる人が、矢間を見つけましたが、もう死んでいました。  知らせを聞いて小左衛門正時をはじめ湯元の人々も駆けつけました。皆、口々に「矢間。矢間」と言って哀しみました。  「あんなに元気だった矢間が、こんなに変わり果てた姿になるなんて」皆で札の原に丁寧に葬りました。忠義で利口な犬でしたので小左衛門は、『天明七年十一月二十四日名犬矢間の墓』と石に書き、矢間の姿を石に刻み、札の原に建てました。今もそのまま建っています。  これは二百年余り前の話です。     ※雲仙湯守の宿 湯元ホテル公式HP     →「施設案内」→「湯元のはなし」より転載(一部加筆)  200年以上前の世界でもイヌと人とは互いに愛と信頼の強い絆で結ばれていたということである。この宿に泊まろうか、いま、心がつよく動いている。 本ブログは,来月から 次のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2013年5月29日水曜日

クールビズヘアとインポッシブルドリーム   ~決められない国の決められない人たちへの子守歌~

 今日、ラジオを聴いていたらニュースで「今年の男性向けクールビズヘアが発表された」ということを伝えていた。クールビズヘアは、何年か前から続けているという。初耳だった。軽く驚いた。  政府が薦めるクールビズに合わせて、全国のおよそ7万店の理容店が加盟する全国理容連合会が発表したものだという。もちろん全く強制力は無いだろうし、善良に解釈すれば、床屋さんたちが「こうすれば涼しく、かつカッコ良く過ごせますよ」と助言してくれているわけで、とりたてて問題はないかも知れない。  だが、僕は、どうしてもこのような政府のかけ声に呼応する形で提案される髪型に定向を感じる。  昔、僕の育った町の理容店のほとんどに、中高生に相応しい髪型というポスターが貼られていた。刈り上げて耳と首筋を出し、前髪は眉までかからないように、とか何とか書かれていた。おそらく日本中の少なからぬ町の床屋さんに、この種のポスターが存在したのではないだろうか。たしか、生徒指導連絡協議会とかの「お墨付き」だったと思う。ビートルズが全盛だった頃のことだ。  髪の毛は個人の身体の一部分で、それをどうデザインするかは、その人の自己表現に属する問題だ。決して「このような髪型にしなさい」と強制されるものではない。この原則が第一番目になければならない。  学校は生徒を育てる場である。だから、生徒の髪型や服装を生徒の自己表現としてまず受け止めなければならない。そのうえで、生徒がその自己表現を通して帰属しようとしている文化や価値観に問題があると判断される場合は、正面から堂々とその問題点を指摘し対等な立場で論議するべきだ。  つまり、髪型や服装に関する指導は、すぐれて鮮やかに一つに思想闘争になる。 「規則だから」とか 「中学生(高校生)らしくないから」などと安直な理由にしがみつくべきではない。力をもって強制しようとした瞬間に教育は敗北する。  ニュースを聴いて、こんなことをふっと思い出したのだ。  教師になった僕が、こんな主張をしたとき、ある先生は言った。 「キミ、それは理想論だよ。現実をみなさい」 現実を見よ、という決め台詞にもずっと長い間辟易していた。 ミュージカル「ラ・マンチャの男」の作中でドン・キホーテを演じるセルバンテスが言った言葉。 「事実は真実の敵だ。」 「狂気とはなにか。 現実のみを追って夢を持たぬのも 狂気かも知れぬ。 夢におぼれて現実を見ないのも 狂気かも知れぬ。 しかし、最も憎むべきは、 ありのままの人生に折り合いをつけて、 あるべき姿のために戦わぬことだ。」 そして、彼はドン・キホーテに扮して、この歌を歌う。 「THE IMPOSSIBLE DREAM」 To dream the impossible dream To fight the unbeatable foe To bear with unbearable sorrow To run where the brave dare not go To right the unrightable wrong To love pure and chaste from a far To try when your arms are too weary To reach the unreachable star This is my quest to follow that star No matter how hopeless, no matter how far To fight for the right Without question or pause To be willing to march Into hell for a heavenly cause And I know if I’ll only be true To this glorious quest That my heart will lie peaceful and calm When I’m laid to my rest And the world will be better for this That one man, scorned and covered with scars Still strove with his last ounce of courage To reach the unreachable star The fight the unbeatable foe To dream the impossible dream 特に若い世代に問いたい。  もし、「クールビズヘア」にまったく違和感を感じなかったら、もう一度ドン・キホーテの言葉を噛みしめてみてほしい。  日本が政略戦争に転げ落ちていった頃、男性の長髪や女性のパーマや長い髪も憎しみの対象だったという事実もあることを付け加えておきたい。  本ブログは,来月から 次のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2013年5月28日火曜日

 一昨日から急速に気温が上がった。  連日、昼間の気温が25℃に迫る。4日前は6℃とか7℃だったから大変な飛躍だ。もう少し中間の「ちょうど良い」くらいの気温にならないものだろうか。  元々高温に弱い羅臼の人々は、まだ身体が馴れないうちに一気に真夏に近い高温に襲われて「暑いねえ」という会話が言葉が飛び交っていた。  以前の日記を見るとちょうどこの時期にエゾヤマザクラが満開になっていた。今年は、まだ、葉も伸びきっていない.エゾヤマザクラは花よりも葉の方が先に出てくるのだ。  昔、父から聞いた思いで話だが、彼が中学生(旧制中学校)の時、「山桜」というあだ名の先生がいたという。その理由は「鼻より歯が先に出ているから」という理由だったという。  「昔の中学生は、なかなか気の利いたあだ名を付けていただろう?」と自慢そうに話してくれた。  父が死んで、まもなく4週間が経つ。  正直なところ、あまり喪失感のようなものはなく、淡々と父の死を受け入れることができているように思うのだが、最近になってふとした拍子にこのようなことを思い出すことが増えた。  亡くなった人は、このような形で、生きている者に別れを告げるものかも知れない。 本ブログは,来月から 次のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2013年5月27日月曜日

春の不安

 今日は27日だ。  毎年、この時期はせき立てられるような心の泡立ちと取り残されるような寂しさの混ざった感じを覚える。  あと一ヶ月後には、夏至を過ぎ、日が短くなり始めているという事実を考えるからだ。  気温の上昇する夏は、まだこれから始まるのだが光は、もう既に秋の気配を含み始める。「春が終わる」という寂寥感なのであろうか。  今日の、今のところの最大のニュースは大阪市長をやっている橋下氏の外交人記者クラブにおける記者会見での発言のようだ。  本来なら取るに足らぬ、まともに相手にするような人物ではないだろうが、どういう訳か彼が口を開くとマスコミが注目し、彼の言葉を垂れ流す。なぜだろう。  皆が心をときめかすほどの美しい言葉か。力強い言葉か。勇気わく言葉か。  すべてはその反対ではないか。  薄汚れた自己顕示欲にまみれた醜い単語、心を傷つける言い回し、忍び寄って背後から刺すような卑怯な表現。これが彼の言葉のすべてだ。  彼の目つきを見ている人は多いだろう。あの目は、自由と労働を軽んじ、真理と正義を憎む目だと思う。  おそらく彼は、その生育過程で、よほど酷い経験をしてきたに違いない。人の愛や善意を全く知らずに育ったのだろう。同情を禁じ得ない。しかし、多くの人に影響を与える政治家や首長のポストに就くべきではない。この種の人物が政治家になった場合、政治の方向を必ず誤らせてきたことは歴史が示しているのではないだろうか。  そのために、有権者の賢さが求められるのではないだろうか。 本ブログは,来月から 次のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

よって立つウトロと羅臼

5月26日(日)  昨日からウトロと斜里を放浪している。  知床財団の評議員会と知床大学院大学設立財団の理事会とが連続したためだ。  AFANと一緒の「旅」だ。  昨夜は、懇親会の酔いもあって、自分の部屋に戻らず車の中でAFANと一緒に眠った。  昨日から気になっていることだが、ウトロ市街地に全然にぎわいが見られない。観光客はチラホラとは見かけるが、毎年の風景である団体客を乗せた大型バスが少ない。  マスツアーの団体がゾロゾロと集団で歩いている図は、個人的にはあまり好きではない。こんな落ち着いた雰囲気ならウトロの夏は最高だ、などと思ったが、観光に頼って生活している人々にとっては、大きな傷手であろう。多くの土産物店、食堂など閉店している店も少なくない。町に活気がないと感じるのはそのせいもあるだろう。  原因は明らかだ。知床峠の冬季閉鎖がまだ続いているからだ。  例年なら5月上旬には開く。早い時には大型連休前に開通することもある。今年も最初は、その予定だった。予定が狂ったのは連休中に大雪が降ったためだ。平地でも数十センチ積もったというから山の積雪はもっと多かったのだろう。おまけに雪崩があったという話も聞いている。  開通に向けて着々と進められていた除雪作業も振り出しに戻ってしまったというわけだ。  斜里町ウトロ地区と羅臼町は、知床半島を挟んでほぼ同じ位置にある。二十数キロの峠を越えれば片道30分程度で行き来できる。そこが通れないとなると半島の基部を迂回して120キロくらいの道のりになる。2時間と少々かかる。 この二つの地域は、何かというと比較され、反目し合うというほどではなくても対抗意識から対立するような事もあった。  知床峠が利用できると、団体客のツアーは、ウトロを観光し、峠を越えて羅臼側で海産物などを買い求め、釧路湿原や阿寒へ向かうというのが「黄金のルート」のようだ。  峠が閉鎖されていると、ウトロを訪れても同じ道を戻らなければならない。そのためキャンセルやコースの変更で団体客が激減しているのだろう。  今回の事態は、特に観光業にとって、「羅臼あってのウトロ、ウトロあっての羅臼」であることを実感させてくれた。  知床は一つなのである。 本ブログは,来月から 次のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/

2013年5月25日土曜日

会議とハチ・・・・なんだか忙しい春の週末

 この季節になると数年前から超多忙になる。  セイヨウオオマルハナバチの講習会をあちこちで開くからだ。  遠いヨーロッパから運ばれ、住み慣れない日本のビニールハウスに放されたまではよかったのだろうが、生きものの常として生息域を拡大しようとする衝動に動かされ、ハウスを脱出し、北海道の大地に広がった。  すると法律で「特定外来生物」というレッテルを貼られて、見つかり次第追い回される。捕獲されると管瓶に閉じ込められて命を奪われる。  ただでさえ屋外では外敵も多いのに、法律までもが自分たちを追い詰める。 「トキの雛がカラスに襲われて死んだ」と大きく新聞に載り、人々はそれを読んで「ああ、残念」と嘆く。その陰で、仇のように追い回される虫もいる。  どちらも生命に違いはない。   一方、「講習会」を開く側もけっこう大変なのだ。やっと巡ってきた週末。家の周りも片付けたい。犬たちの遊び場のフェンスも作りたい。クルマの整備もしたい。  山のように溜まっている課題を尻目に、今日も家を出る。  講習会が終わったら知床財団の評議員会。明日は、知床自然大学院大学設立財団の理事会。斜里とウトロを行ったり来たりすることになる。  おまけに今年は、知床峠がまだ未開通だ。  「互いにけっこう辛いね、ハチよ。」と声をかけたかったが、外気温は9℃。ハチは1頭も姿を見せなかった。 本ブログはまもなく以下のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/