2011年2月28日月曜日

寒の戻り


 冬が戻ってきたような日。
 羅臼の流氷も少し前よりも元気になったように感じられた。
 「寒の戻り」という言葉があるが、まさに今がその時期だろうか。
 人類の進歩にも「戻り」があるだろうか。あるに違いない。

 人類は、文明を発展させ、食料等の生産量が増えるにしたがって社会構造を変化させてきた。そして資本主義社会に到達したわけであるが、ここに来てその生み出される価値の分配と、企業の活動の方向をめぐって、いくつかの思想や価値観が対立するようになってきた。
 その中で、ひたすら純粋に資本主義の原則に忠実に利益を追求する一群が際立つようになっている。

 「寒の戻り」の冷え切った海岸を歩きながら、そんなことを考えていた。

2011年2月27日日曜日

羊感謝祭が開かれた

 釧路でよく行っている中国料理店で「羊感謝祭」という催しがあった。
 そこは、地元産の羊を使って月替わりで羊を使った中国料理を食べさせてくれる。それがとても美味しく、ついつい毎月かよってしまうのである。
 真面目で研究熱心なマスターの店で、他にもいろいろと珍しい料理を味わえる。

 今日は、その店で使われている羊の生産者であるM氏も来ていた。昔からのの羊飼い仲間なのだが、久しぶりに羊談義が出来て楽しい一夜だった。

 舌もお腹もココロも満ち足りて帰って来た。 
 釧路でよく行っている中国料理店で「羊感謝祭」という催しがあった。
 そこは、地元産の羊を使って月替わりで羊を使った中国料理を食べさせてくれる。それがとても美味しく、ついつい毎月かよってしまうのである。
 真面目で研究熱心なマスターの店で、他にもいろいろと珍しい料理を味わえる。

 今日は、その店で使われている羊の生産者であるM氏も来ていた。昔からのの羊飼い仲間なのだが、久しぶりに羊談義が出来て楽しい一夜だった。

 舌もお腹もココロも満ち足りて帰って来た。 

2011年2月26日土曜日

根室バードランドフェスティバルでの一コマ

 いま、根室市では「根室バードランドフェスティバル」が開かれている。
 今年は少しお手伝いすることができた。 

 夜はミステリーツアーと称してシマフクロウの声を聞く催しを手伝った。

 17時50分頃から、国道に近い所で、ひっきりなしに通る車の音の間を縫うように、鳴き交わす声が聞こえてきた。

 参加費は3000円。
 決して安い金額ではない。それでも定員の30名はすぐに満員になったらしい。

 一部の民宿や旅館では、そこの庭に餌付けされたシマフクロウがやって来る所がある。そんな宿では、暖かい部屋でビールでも飲みながら間近でフクロウを見ることが出来る。

 しかし、今回参加した30名は、冷え込みの増す夕方から宵にかけての戸外で、じっと立ったままひたすら遠くで鳴き交わすシマフクロウの声に耳を澄ましていた。

 その情熱と真面目な態度に敬服した。

 そして、やはりこれこそが本当に現在のシマフクロウの生息状況に合った観察のしかたなのだろうと納得できた。

 自然を力尽くで自分の方へ引き寄せるのではなく、あるがままの状態に自分の行動や姿勢を合わせていってこそ、自然を大切にする真のナチュラリストと言えるのではないだろうか。 

2011年2月25日金曜日

地震のこと

 友人のブログを読んで知ったのだが、mixiの自分の日記に以下のように書いた人物がいるらしい。

「タイトル 地震後の清掃

 どうせ死んでるんだから早く死体を片付けろよ、時間がたったらくせえだろ?マイミクん
 や大切な人じゃ無かったら俺の知った事じゃ無い。」

 直接自分で確かめたわけでなく、伝聞なので強い言葉で非難することは控えたい。
 だが、それにしてもなんと心ない書きようだと考えざるを得ない。人間性のカケラも感じられない。

 新聞には麻生前首相が
 「民主党の小沢氏への処分は生き埋めにしたようなものだ」と述べたと報じられていた。

 麻生さんは、もちろん悪意で言ったわけではないだろうが、やはり軽率な表現ではないだろうか。

 静かに、祈りをこめて見守る態度もあって良いのではないだろうか。

 

2011年2月24日木曜日

今年の流氷

 今年は珍しく流氷が羅臼に長居した。
 一昨年は「一泊二日」、昨年は「二泊三日」くらいだったことに比べれば、もう十日間くらい接岸している。
 しかし、全体的に密度が低く、高い場所から見下ろせば所々に「開氷面」と呼ばれる氷のない部分がある。
 接岸期間が長かったのも二月後半に、南寄りの風の吹く日が多かったためだろう。

 気になるし、心細いことだ。 

2011年2月23日水曜日

ニュージーランドの地震 2

地震発生から24時間以上経った。

入ってくるニュースは、良くないものが多く、亡くなった人の数も増えるばかりだ。

これは、偶然の一致だから仕方がないのだが、そんな時にパンダ到着のニュースもあった。
確かにパンダは愛らしい動物だとは思うが、ちょっと考えさせられた。

年間8000万円も「レンタル料」を支払うのだという。
それはパンダの保護増殖の資金になるということだが、本当だろうか。

その通りだったとしても、日本にはパンダよりもっと深刻な状態にある野生生物がたくさんいるのではないだろうか。
 トキ、コウノトリ、シマフクロウ、ヤンバルクイナ。
 ほ乳類では、イリオモテヤマネコ、、ツシマヤマネコ。
 そして、ジュゴンなどは、生息海域が埋め立てられ米軍基地の滑走路が作られようとしている。
 これらの生物はパンダよりもずっと生息数が少ないはずだ。

 もうちょっと頭を冷やしてお金の使い道を考えられないだろうか。

2011年2月22日火曜日

ニュージーランドの地震





 ニュージーランドのクライストチャーチで地震があった。市の中心部が大きな被害を受けた。
 10月~11月にクライストチャーチを訪ねたから他人事には思えない。ブラブラ歩いた公園。買い物した商店街。美しい建物が瓦礫になっている映像を見るのは悲しい。なんともやりきれない気持ちだ。
 大きく崩れたあの大聖堂の前を市内を環状に走るトラム(路面電車)が走っていて、その運転士さんは朗らかな人だった。運転しながら町の案内をしてくれた。楽しい思い出だ。
 しかし、あのトラムも大きな被害を受けているのだろう。
 できるものなら、飛んで行って何でもお手伝いしたい。
もっとも、まあ、僕が行っても邪魔なだけだろうけれども。

 月並みだけれど、一日も早く復興してくれるように祈るだけである。

2011年2月21日月曜日

G N H

GNHという指標があることを始めて知った。
国民総幸福量だそうである。ちなみに日本は178カ国中95位だとか・・・

 GDP世界3位の経済「大国」であることを思うと意外に順位が低い、とはマスコミなどが盛んに書きたてている。
 原因はいろいろあるのだろう。そしてそれは複数なのだろう。面白そうだから僕も考えてみた。そして、こんなことに気がついた。
 「今さら」かもしれないが……。
それは、
 日本人は人を羨む気持ちが強いからではないか、ということである。
昔話に「花咲か爺さん」、「瘤取り爺さん」、「舌切り雀」、まだまだありそうだ。
 落語にもこのパターンの噺は多いが、昔話は大部分が幸福になった他人を羨み、その真似をして失敗する、というないようだ。このような型の話は外国にもあるに違いないが、日本には特に多いような気がする。そして、「笑えない」話が多い。

現実社会を見てみると、日本人は真似が上手い。
 例えばある町がワインで売り出すとあちこちでワインを始める。
 ある村がスキー場で有名になれば、皆がスキー場を作ろうとする。
 テーマパークが売れれば、そこらじゅうにテーマパークが出来る。
 猿真似だと揶揄されても一向に止まない。

 皆が周りを気を配り、周りを観察することに神経を使っているということだろう。そして、成功者がいればそれを真似る。失敗すればやっかむ。嫉妬深いのだと思う。

 人間の心理には、普遍的にあるのかも知れないが、日本人は皆少しばかり嫉妬心が強すぎるのではないか。
 受験競争が創造的な頭脳を疲弊させ、日本の大学生の質を落とす原因となっていることが指摘されて久しい。
 「受験競争は良くない」とわかっていながら、我が子だけは受験に勝ち残らせたがる。
 公務員は給料が高いのにちっとも仕事をしない、と多くの人が悪口をいう。その割には自分の子どもを公務員にしたがる親や公務員と結婚させたがる親が非常に多い。
 そして、公務員バッシングの激しさ。中には正しい指摘もあるが、霞ヶ関の高級官僚も村役場の職員もゴチャゴチャにした批判も多い。親の敵のように責め立てる。
 自分の不幸(主観的かも知れないが)を紛らすために、幸福な(様子に見える)他者を引きずり倒そうとする心理がそこに無いのか。
 多くの無責任なマスコミもそれを煽り立てる。

 こんな人々が日本社会を構成している限り、日本の幸福度は上がらないと思う。

2011年2月20日日曜日

「生活水準」と環境維持

 「持続可能な開発のための教育=ESD」という事に関わるようになってかなり経つ。 「環境教育」の延長線上にある概念だ。

 「現在の地球上の資源や環境を持続可能な形で利用しつつ未来へ向かう」と言う理想を語れば、多くの人が、こういう疑問をぶつけてくる。
 「環境をこれ以上悪化させないと言っても、今の生活水準を落とすことは不可能ではないかしら?」と。

 この疑問に、正面から答えている人は少ない。皆、逃げ腰になる。そして、ウヤムヤにしてしまうように思う。
 先日、東京で暮らしているある人と話したときにも同じ疑問をぶつけられたが、僕は、ハッキリと答えてしまった。
 「今の生活水準を落とす覚悟も必要でしょうね」と。

 実は、この論議はあまり生産的ではない。
 まず、「今の生活水準」が何を指しているかが曖昧なままだ。毎日食べる物に不自由せず、こざっぱりした衣類と、雨露寒さをしのぐ住居があるという「生活水準」なら現在の環境諸問題を解決して、人類社会を持続可能な状態に保てるのではないだろうか。
 だが、これに南米で獲れたエビやインド洋のマグロ、オーストラリアのビーフステーキを食べフランスのワインを飲むような食生活。ブランド品を身にまとって強力な冷暖房付きの豪邸で暮らしガソリンを多量に使うクルマを乗り回すといった「生活水準」なら果たしてどうだろう?
 世の中には様々な「生活水準」があり、それへの評価は、主観的になりがちだろう。 だから、同じ「生活水準」でも、幸福に感じる人と不満だらけの人とがいるだろう。
 要はココロの持ち方なのかも知れない。何を幸福と感じるか。何を満足と思うか。
 現代の資本主義は、人々の欲望を暴走させることで太っているところがある。その「成長路線」に皆が乗っていると地球は破滅する。

2011年2月19日土曜日

シマフクロウ

 シマフクロウの繁殖期が始まった。
 知床のあちこちの沢で、つがいの鳴き交わしが聞かれる。

 地の底から響いてくるような低く太い声は、いつ聞いてもそのたびにハッとさせられる。

 「子どもの頃は、あの声が怖くてしかたなかった」と言っている人がたくさんいる。もっともな感想だと思う。あの声から感じられる恐怖感は、底知れぬ自然の力への畏敬を育てるのだと思う。

 この人こそ子どもの頃にシマフクロウの声を聞いておけばよかったのにと感じる人々が多くいる。そいう人物がますます増えている。そして、シマフクロウは減っている。

2011年2月18日金曜日

エゾシカ問題


 エゾシカが増え過ぎて困っている。農業被害は50億円を超えていると言われている。列車事故や自動車事故も頻発している。
 この問題への対策として「個体数調整」ということが行われている。その内容は狩猟と罠による捕獲だ。少なくない予算が投入されている。

 野生動物の生息数は、出生数(率)と死亡個体数によって変動するが、特定の地域に限って見ると周囲からの移動個体の流入数もこれに影響する。また、死亡原因は食糧不足や厳寒、積雪による。天敵による捕食圧は、現在のシカでは期待できない。
 エゾヤチネズミなどの研究で、一定面積に生息する個体をすべて取り除いても、その空白地へ周囲からすぐに侵入が始まり、短期間で生息数が回復することが知られている。
 要するにその土地で養うことの出来る個体数=土地収容力は食物現存量の多寡によって決まるのである。「個体数調整」で一時的に個体数の減った地域ができると、その地域の餌植物の生育が回復し、結果的には周辺地域からの流入によって、健全で若い個体群が増えてしまう。
 非常に制約の多い狩猟法に基づいて駆除を行っても、個体群の自由な移動を許している限り、あまり「個体数調整」の効果は期待できないのではないだろうか。

2011年2月17日木曜日

氷下待網漁に依存するワシ類調査

夜は冷え込みが厳しかったが、朝は快晴。風も弱く気持ちの良い日だった。

「ワシ類の漁業依存状況に関する調査」を行った。
 今の時期、氷の下に網を張って魚を捕まえる氷下待網漁(こおりしたまちあみりょう)という漁が行われている。コマイとかワカサギなんかを獲るのだが、売り物にならない他の魚も一緒に網にかかっていて、それらが氷の上に捨てられる。

 氷上に放置されたそれらの雑魚にオジロワシやオオワシが群がって来る。どの程度のワシ類がそれらに依存しているかの基礎データを集めてワシ類の保護に役立てることが目的だ。

 風蓮湖に出かけ、氷上や樹上のワシを種類別、年齢別にカウントした。