2012年12月31日月曜日

おおつごもり に

 今年も残すところ3時間と少々。  今年は、バイクでシカとの衝突事故を体験し、人生初の入院、点滴、など今までにない経験ができた。  みなさまがた、家族には心配をかけて申し訳なかったと思っているが、自分では教訓も含めて良い経験ができ視野が広まったとも思っている。 さて、 一年間、この拙いブログをお読みいただいた方々には、心から感謝します。 いつまでたっても成長のない内容だが、これからも書けるだけ続けてみたいと考えております。 来年も、相変わらずお付き合い頂けたら幸せに思います。 それでは、どうぞ、新年が皆様にとって佳き年でありますように。 また、来年。

2012年12月30日日曜日

シーシェパード!よっく聞け!

 古代、北海道のオホーツク海沿岸に住んでいたオホーツク文化人は、流氷の海にカヤックを駆りアザラシやクジラを捕らえる海洋狩猟民だったと言われている。  彼らは動物を図案化してさまざまな生活用具の模様に用いた。もちろん、それには単なる装飾以上の意味があったことだろう。  その後、北海道においてアイヌ文化がその影響を受け、オホーツク文化人の間に伝わっていたモノ送りの儀式がイオマンテとして受け継がれたり、さまざまな動物を神として敬い畏れながらその恵みに感謝する考え方が生まれた。  僕は、クジラを食べるとき、その圧倒的なスケールとパワーを頂き、その存在に畏敬の念をはらい、感謝しつつ頂くという気持ちになっている。  そして、わが家に昔から伝わる年末年始のハレの食べ物としてのクジラ汁を調理し、堪能している。  この豊富な脂肪を含む巨大な生き物を単なる油を採るための資源としか見なさず、産業革命で急激に需要の増した油だけを採った残りを海に棄てていたのはどこのどんな人たちだったろう。その末裔が今になって捕鯨を敵視し、無法で危険な妨害行為をしている。  食物への考え方は人や文化によって様々であって良い。多様な価値観があり、それらが互いに尊重し合って、穏やかな世界が保たれるのではなかろうか。  「鯨を食べたくない」という考え方は尊重したい。  同時に伝統的に鯨を食べている文化も尊重してもらいたい。  ああ、クジラ汁は美味しい。これで風邪気味だった体調が一気に快復した。

2012年12月29日土曜日

ワシたちの饗宴にて

 急激に冷え込む日が続いて、川も湖も慌ただしく凍り始めた。  12月中旬くらいまでは、なかなか本格的な冷え込みが来なくて、今年は暖冬かと思われていたのだが、最後の週に入って急冷という感じで気温が下がった。  ただ、それは数字だけの話で、この冬の寒さに「厚み」が感じられないのは僕だけなのだろうか。  今は、大陸から次々に寒気が流れ込んで来るが、これはあまり長続きしないで、一気に冷え込みのゆるむ日が、早々にやって来るのではないかという気がしてしかたがない。  それでも、今朝は、凍結した川の上でエゾシカが死んでいて、オジロワシ、オオワシ、ワタリガラスなどが「真冬の饗宴」を開いていた。  昼過ぎに同じ場所に行ってみると、僅かな骨と毛だけが残されていて、シカの身体はほとんど跡形もなく消え去っていた。  自然の中で生きてきた者は、自然界が見事に無駄なくその身体を利用してくれる。  ある種の羨ましさを覚えた。  本当は自分の身体も、このように無駄なく利用してもらえたら、生きてきた意味があるのに、と思ったから。  ニンゲンは自然界から自らを切り離し、生や死さえも不自然な形にしてしまった。  もう一度、この辺りで、ニンゲンのあり方を考え直す時期なのではないだろうか。

2012年12月28日金曜日

御用納めの「御用」は誤用だ

 今年は29日が土曜日だ。だから、今年の仕事は今日で仕事が終わりとなった。  机の周りを片付け、来年早々に始める仕事の準備をして、今年一年の仕事納めとなった。  いわゆる「」御用納め」だ。  「御用」というのは、いかにも時代がかった言い方だ。こういう表現を使うと自分が「おかみ」の一員であるのだなとあらためて思う。  江戸時代以来、官尊民卑の考えが意識の底流にあり、その裏返しで、何度か公務員バッシングが激しくなる時があった。  今もそうかも知れないが。  実際、地方自治体職員の中には、ごく希有な例だが、住民を見下す尊大な意識が残骸のように残っていることがある。また、住民の側にも公務員を敵視する気分が流れている場合もたまにある。  公務員が住民を蔑視するのは、根拠のないエリート意識が心の底に淀んでいるからだと思う。それこそ「おかみ意識」である。集団の力を笠に着て威圧するチンピラと同じ発想だと思う。 公務員への敵視にはやっかみが含まれていると思う。その証拠に、公務員を減らせとか公務員給与を削れと叫んでいる人が、我が子を公務員にさせることに熱心だったりする例をいくつも見てきた。 地方の自治体をコンパクトなコミュニティと考えるとこれらは不毛な対立だと思うのだが。 住みよい町では、住民と自治体職員との協同意識が高く協力関係が強く築かれているように思う。

2012年12月27日木曜日

サンショウウオと衆院選

 一昨年、知床峠の道路縁の雨水枡で捕獲してきたエゾサンショウウオが元気だ。  野生では、とっくに冬眠している季節なのだろうが、室内に置かれているので水温は下がるのだろうが凍ることはない。  元来低温よりも高温に弱い生き物だろうから、すきま風吹き放題で断熱材の貧弱な我が家の寒い部屋でも元気に暮らしている。  いつもはフリーズドライのイトミミズを水で戻して餌として与えているのだが、クリスマスでもあり冷凍赤虫を与えた。  すると乾燥イトミミズの時よりもさらに激しい食欲を見せ、仲間を踏みつけてもつれるように餌に群がってくる。  日頃、敏捷な動きをすることなく、のんびりしているこの両生類たちも、興奮すると素早い動きで餌に襲いかかり、肉食動物として本性をむき出しにする。  サンショウウオは英語では「サラマンダー(salamander)」というらしい。 この名前は、元来は火の中に住むトカゲの形をした精霊(火蜥蜴)を意味する。水辺から離れられないこの生き物にどうして「火蜥蜴」という名が付けられているのか疑問だったが、 倒木などの薪の中に潜りこんだものが火にくべられた時に這い出てくることから、火の中から生まれると考えられていたことに由来するとするという話を読んで納得できた。  森の林床で落ち葉や枯れ枝の下に潜ってひっそりと生きているから、人目に触れることは本当に少ない。どこか神秘的に見えるところがあるのだろう。  そんな「火のトカゲ=サラマンダー」から「ゲリマンダー」という言葉が生まれた。  1812年、アメリカのマサチューセッツ州の当時の知事エルブリッジ・ゲリーが、自分の所属する政党に有利なように選挙区を区割りした結果、選挙区の形がサラマンダーの形をしていたことから、ゲリーとサラマンダーを合わせて「ゲリマンダー」という言葉が作られた。  ところから特定の政党に有利になるように選挙区の区割りを作為的に行うことを「ゲリマンダー」と言う。  僕は、現在の小選挙区制というのは一種のゲリマンダーではないかと思えてしょうがない。一つの小選挙区内では一人の候補者しか当選しないから他の落選した候補に投票した票はすべて死票となる。  たとえば一つの選挙区に6人が立候補し、それぞれが25%、24%、20%、16%、10%、5%の得票率だったとしても25%の有権者に支持された候補者だけが当選し、他の75%の有権者の意志は生かされることがない。  そして、たった25%の得票でも当選した候補者は「勝ちは勝ちだ」と言わんばかりに「俺を選んだのは民意だ」と威張り散らすのだ。こんな不愉快な横暴をわれわれは今まで嫌というほど見せつけられてきたではないか。  今回の衆議院選挙で自民党は「勝った勝った」とお祭りムードになっている。だが、得票率で比べると前回よりも減っているではないか。決して国民に広く支持されているわけではないのだ。   サンショウウオは、乾燥に弱く動きが遅い。だから、遠くまで移動することは不可能で、地域ごとに細かく分化している。日本だけでも約二十数種もの種に分かれている。  環境の変化に弱く多くの種が絶滅の危機に直面している。サラマンダーを保護し、ゲリマンダーは駆逐しなくてはならない。

2012年12月26日水曜日

保身のために真理をねじ曲げる

先日、職場の忘年会があった。  一次会の会場から二次会の会場まで1キロメートル足らずの道のりを歩いて移動した。雪が降りしきる中をY課長と並んで四方山の話しをしながら歩いた。  それを後ろから見ていた同僚が、「ユーラ(僕のこと)は、まるでマロースのように見えた」と言ってくれた。  「マロース」と言うのは、倉本聰 作の芝居の題名であり、そこに登場する主人公のことでもある。彼は数万のハクチョウを率いてシベリアから渡ってくる「冬の旅団」の旅団長だ。  そこまでおだてられて舞い上がってしまったのは言うまでもない。 だが、この物語は、深刻な内容を扱っている。  記憶を失ったその老人が助けられた森中のコーヒー店「ブナの森」の近くで野鳥が大量死する。その原因をウイルスによるものと断定した行政機関は、野鳥を皆殺しにして焼き払う処置を決める。  しかし、野鳥の大量死の原因は、その場所にかつて大量に投棄された有害物質のためではなかろうかという、全く違った見方が浮上する。  作者の倉本さんは、芝居の中ではこの「原因」について突き詰めてはいないのだが、そうすることでかえって人間の自然に対する思い上がりと身勝手な解釈について告発しているように感じる。  そして、今日、東北電力の東通原発内に活断層がある可能性が高いとする原子力規制委員会の判断が発表された。東北電力は、早速それに反対する「見解」を発表した。  破砕帯が活断層であるかないかは純粋に科学的な問題のはずなのに、利害関係者が必ずそれに反対する。反対するための根拠を集めようとする。  水俣病など過去の公害問題の時とまったく変わっていない対応に失望を覚える。  このような学者がいるから科学への信頼はボロボロに破綻してしまうのだ。  曲学阿世という言葉ある。「世の中に気に入られるように自説を曲げ、信念も気概もなく時流に媚び諂うこと。真理がわかっているのにも関わらず、自分の身の保身に走って真理をねじ曲げること。」という意味だ。  福島の原発で、あれほどの規模の取り返しのつかない事故を起こして間もないのに、あらゆる危険に目をつぶろうとする学者がいて、学者を続けていることが信じられない。  まさに曲学阿世の徒、曲学阿電または曲学阿原、曲学阿資本、曲学阿大企業、曲学阿政のヤカラたちではないか。  一掃されるべきは彼らの方なのである。

2012年12月25日火曜日

陰暦で暮らしてみれば

今年も残りわずかになり、一年間壁に貼っていたカレンダーを更新する時期になった。数年前から毎日の月齢が気になるようになった。生徒を連れて磯で実習する時などは、干満の大きさが気になるので、潮回りを知りたいと思ったことも原因の一つだ。  興味を持ってみると、太陽暦ではわかりにくい月のリズムが身近に感じられて楽しい。  たとえば、月齢によって月の出、月の入りの時刻はほぼ決まっている。  「今日の月齢は8日だから、帰り道には南の方角に月が見えるな」などということを考えられるのが楽しい。  時代小説が好きで、いろいろな作品を手当たり次第に読むのだが、作家の中には、こういうことに無頓着な人がいて、三日月を真夜中に出てきたりする場合もある。 「あらまあ!」とは思うのだが、そんなことにムキになる必要はないと思っている。  結局、それが原因で毎年陰暦の暦も目立つ所に貼って使うようになった。  陰暦は、季節感によく合っていると思う。北海道の場合は、内地の気温変化とは大きな違いがあるので、全てにおいてピッタリと合っているとは言い難いが、昼夜の長さや日差しの強弱などはよく合っていると思う。  だから、地球や月の息づかいが直に伝わってくるような気がしてならないのだ。    非合理主義や非科学主義、あるいは懐古主義に陥るつもりは毛頭ないが、陰暦を通して見えてくる自然の移り変わりのリズムは、大切にしてゆきたいと思っている。  来年の陰暦カレンダーはまだ準備していない。そろそろ探そうと思う。 

2012年12月24日月曜日

自然科学と今年の冬

 朝方、激しく雪が降ったが昼前から晴れ上がり、雪上の散歩が楽しい天候になった。  すでに膝近くまでスッポリ埋まるほど雪が積もっている。いつもの年なら1月末頃の積雪量だ。  こんな時期から雪がたくさん積もることが、この根釧原野で、かつてあっただろうか。古い時代のことはわからないが、少なくとも僕がここで暮らすようになってからの25年間には、こんな年はなかったような気がする。  オホーツク海の温度もかつてないほど高くなっていて、流氷の成長具合は過去最低だというニュースが流れていた。  ヒトが自分たちに都合良いように自然に働きかけると、変化させられた分を取り戻そうとするように自然は「揺り戻し」をして応える。  ヒトの一生はせいぜい80年くらいだが自然が変化するリズムは短くても100年単位。長くなれば1万年単位で動いている。  そのような自然の息づかいを測ろうと試みる人間の挑戦は、時によっては無謀で滑稽にさえ感じられるが、地質学者は嗤われようが軽蔑されようが動じることなく地球の息づかいを読み取り、100万年前でも1億年前の出来事でも、見てきたように解説してみせてくれる。  僕と同じ理科系で、しかも自然を相手に研究するフィールド系の学徒であるが、自分には無い知識と能力、技術を持っている地質系の人を僕は昔から、ある種の憧れをもって尊敬している。  地質系の人々が英雄になった典型的な例が2000年の有珠山噴火を完璧に予想し、住民を避難させて人的な被害を全く出さなかった事例ではないだろうか。   原子力発電の破綻によって科学への風当たりは一段と強まった。それはある種の反権威主義とも結びつき、もはや感情的な反感にさえなっている。  科学は、それ自体に階級的な属性はないから、どちら向きで奉仕するかによって、悪魔にも天使にもなりうる。  今後ますます地球環境と人間との間でさまざまな軋轢が生じ、「環境」が人間を困らせる場面が増えてくるだろう。その問題を乗り切るためには科学の力を借りないわけにはゆかないだろう。  科学が誰に奉仕させられているかを見極めると同時に、研究者にも誰のための科学かを常に意識していく必要がある。

2012年12月23日日曜日

父の生き甲斐

父の容態は、入院によって一定の安定を得た。痛みも少しずつ治まりつつあるようだ。 そこで、当初の予定通り、今日戻ってきた。慌ただしい札幌行きとなったが、また、近々行かねばならないだろう。  今回の入院の原因は腰椎の圧迫骨折である。室内でふらつきが出て、尻餅をついたことが原因らしい。重い病もなく年齢の割には健康なのだが、この半年間あまりの間に、一気に生きる意欲が減退してきたように見える。  しきりに「もう92歳だから」と口にするようになった。  母が亡くなってから15年が過ぎようとしている。この間、痴呆の症状とも無縁で、身の回りのことも全部自分一人でやっていたので、その緊張感に緩みが生じているのかも知れない。  家族思いで、趣味道楽などに見向きもせず、ひたすら家族のために人生を真面目に歩んできた父は、僕とは正反対の人だと思う。しかし、その緊張が途切れ、生きる意欲が減退した時、どのように声をかけたら良いのが少々悩ましいとことである。  「墓に布団は着せられず」と言うから、せいぜい何か力が湧いてくるような働きかけを試みたいとは思うのだが。  父は、昭和19年(1944年)に24歳の時に応召し軍隊に入った。当時の青年らしく戦争のまっただ中にいる日本のために、もう少し早い段階での志願入隊を考えたこともあったらしい。  とにかく、招集されて入った軍隊の実情を見て、その不条理と非合理な現実に失望したのだそうだ。そして、心から志願しなくて良かったと思ったという。  旧制中学校を卒業していた父は、敗色濃厚な時期に入隊したこともあり、士官候補となることを強く勧められたというが頑なに断り続けたらしい。  太平洋戦争を美化して語る人もいる。侵略戦争であったはずの中国などへの戦争が、いつの間にか「祖国を守るための戦い」だったかのように言われることもある。若者の精神を鍛えるためには徴兵制を敷き、若い者に強制的に軍隊生活を体験させるべきだと主張する人もいる。  「戦争」や「軍隊」への見方は今や多様になってきている。 そんな現代であるからこそ、父のように実際に戦争や軍隊生活を体験した人の言葉は重い。  戦争を知らない総理大臣や敗戦の時わずか12歳の小僧だった某政党の代表(その前までは都知事だったかな?)などの頭の中だけで描いた軍隊によって、これから平和憲法を捨て新たに日本が軍隊を持ち、徴兵制を採用して、僕たちの子どもや孫の世代が戦争に狩り出されることなど、絶対にあってはならない。  92歳はまだまだ楽をしていられないのだ。平和な未来のために、今まで以上に発言し軍隊の悲惨さ不合理さ、馬鹿らしさを広く広く訴えていってもらいたい。 生きる意欲は、そんな使命感から湧いてくるはずだ、と生意気で親不孝な不肖の息子はこう言って父を励ましてきた。

2012年12月22日土曜日

いま、札幌

sapporo 父が倒れた、という知らせを受けたのは一昨日。 職場の忘年会の席にいた時だった。 昨日、高速道路を乗り継いで駆けつけた。 「倒れた」と言っても、今までいつもそうだったように、貧血で倒れただけだった。ただ、今回は圧迫骨折が起きたらしい。 しばらく養生して、生活のしかたを根本的に見直し、今後の生活の指針を確率していく必要がありそうだ。 とりあえず、大事に至らなかったことに感謝しつつ、一旦道東に戻ることにした。 札幌は、大雪だった。

2012年12月21日金曜日

冬至の夜の物語

今日は冬至です。  知床の山奥の森も深い雪におおわれています。  雪を被ったクマザサの下には所々すきまができ、そこはエゾアカネズミのすみかになっています。ネズミたちは、夏の間、いっしょうけんめいにたくわえたドングリやクルミを食べて冬を過ごします。夜になると雪の中に掘ったトンネルを通って雪の上に顔を出し、オオウバユリやハンノキの種などを探します。たくわえる食べ物を少しでも増やして、春を待つのです。この季節、ネズミを狙うキタキツネは主に昼間に活動するので、夜の間はキツネに襲われる心配はあまりないからです。  でも、夜はお腹を空かせたフクロウが高い樹の上からネズミをさがしています。時には樹の上から音もなく舞い降りてトンネル中のアカネズミを襲うこともあります。  アカネズミは、用心深くトンネルを登って雪の上で餌を探し始めました。  その時、サクサクサクサクと軽やかな足音が近づいてきました。アカネズミはすぐに向きを変え、巣穴に飛び込みました。そして、深い所にあるあるねぐらに戻ってじっと動かなくなりました。  足音はますます近づいてきて、雪に鼻先を突っ込んで臭いを嗅ぐ息づかいも聞こえます。どうやらキタキツネが近くに来たようです。よほど食べるものがないのか、夜中だというのに、まだ森の中をウロウロしています。臭いを頼りにネズミを探しているようです。  キツネはネズミのいる場所を探し当てると前足で勢いよく雪を掘って、隠れているネズミを捕まえてしまいます。これ以上キツネが近くに来たら急いで逃げなければなりません。  エゾアカネズミは全身を硬くしてキツネの足音に注意を集中させました。足音はますます近づいてきます。  やがて、足音はネズミのねぐらの真上で止まりました。そして、雪に鼻を突っ込むザッという音、臭いを嗅ぐフッ、フッという音がしました。  ネズミはますます身体を硬くし、息も止めてじっとしています。頭の中では、いつ逃げ出すかということだけを考えています。  キツネが雪を掘り始めて、見つけられてしまうのも危ないし、逃げるために雪のトンネルを走り出す音を聞かれるのも危険です。  緊張の時が過ぎていきます。  やがて、キツネはサクサクサクサクという足音を立てて、離れて行きました。  エゾアカネズミは、小さな息をフッと吐いて緊張を解きます。  知床の森、冬至の夜の誰にも知られぬできごとです。 (この物語はフィクションです。実在する生物とはすごく関係があります)

2012年12月20日木曜日

極寒の朝

 今朝は氷点下二桁になった。  ここまで来てやっと冬が本気になったようだ。  屋外にあるあらゆる突起に氷の華が咲き、朝日を四散させていた。  原野は、無数の光の粒が降り積もったような風景になっていた。  氷点下10℃以下になると空気中に素手を露出させているだけで指先の感覚が麻痺してくる。  手袋は 「冷たいから」という理由ではなく 「素手のままでは危険だから」という理由で装着しなければならない。 場合によっては耳も凍傷の危険にさらされる。  人に媚びず  敵意をむき出してする自然と向き合って生きている。  密かにそれに満足を覚えている。  そして、東の空を美しいバラ色に染める夜明けの光や  原野一面にちりばめられた光の粒の美しさは  危険な凶暴さから身を護って楽しめという  メッセージかも知れない。 共存せよという  自然からのメッセージ

2012年12月19日水曜日

NHKラジオの奇妙な放送内容

 朝起きて、しばらくベッドから出たくない日々が訪れてきた。  そう長い時間ではないが、目が覚めたら少しの間ベッドの中で、ラジオを聞くことが多い。  先日、NHKで不思議なニュースが紹介されていた。「ワールドリポート」という海外の話題を紹介するコーナーだったと思う。  それは、海外で生活する人が増えているという内容の話題で、マレーシアの記者からの報告だった。報告の趣旨は、次のようなものだった。  海外に長期滞在して生活を楽しむ日本人が増えている。物価が安く、気候に恵まれた海外に長期滞在者する人々は、以前から少しずつ増える傾向にあったが、退職した人たちなど比較的高齢の層が主流だった。  ところが最近になって若い人で長期滞在する例が増えている、というのだ。  次に具体的な事例が紹介された。  30代~40代前半の若年層の長期滞在者の例として2例が紹介された。  いずれも関東圏からの人たちで、一例目は「子どもの教育のため」という理由。子どもがインターナショナルスクールに通って生き生きと学んでいると紹介されていた。そのためにご主人は日本国内での仕事を辞め、無職になって渡航し、個人貿易で細々と収入を確保していると伝えていた。  もう一つの例は、やはり子どもの英語教育のためという理由で、ご主人は日本に残り、奥さんと娘さんだけがマレーシアに滞在している、ということだった。  ぼくは、これら「海外生活を続ける理由」にどうしても違和感を感じた。  うがった見方をし過ぎると言われたら、反論のしようがないが、このどちらの家族も昨年からマレーシアで暮らし始めたという点、それまでの仕事を辞めたり、ご主人を単身で置いてきたりしてまで海外で暮らすのには、もっと切実な「本当の理由」が隠されているように思えてならない。  つまり、放射能から子どもを守りたいという理由だ。  これは、憶測に過ぎない。  また、NHKの取材に対して本人たちが真の理由を隠して「表向きの理由」を告げ、記者もそれを知ってか知らずか、そのまま記事にして放送に乗せたのかも知れない。  あるいは、本人たちは本当のことを言ったのに、NHKが「聴取者への影響」を考慮してその理由をねじ曲げて伝えたのかも知れない。  これだけでは真実はわからないのだが、聞いていてどうにもすっきりとしないレポートだった。そう感じた人も少なくないであろう。  聴取者にそのような疑いを持たせる内容のこの小さな報道は、それだけ雑な取材だったと思う。  単に雑な取材だったとは思えない。  報道する側の自主規制が働いているのだとしたら、これは不気味なことだ。  放射能の怖さは、放射線障害が起きる怖さと社会がそれを怖れるあまり、真実が隠蔽され報道管制や自主規制が日常的に行われるようになる「民主主義を破壊する」怖さとがあると指摘されている。  つまり放射線が社会システムを破壊する怖さだ。 いま、じわじわとそれが広がっている。

2012年12月18日火曜日

日本人の精神構造について、宵の語らい

今日、ふと思うところがあって、ツイッターで以下の通りにつぶやいた。  「経済的に豊かになって終わるストーリーが多いのが日本のおとぎ話の特徴。」  自民党の経済政策が多くの有権者の期待を集めて、今回の「圧勝」の原因となったという論調があり、それを補強するような(意識的に世論を誘導するような)インタビューをNHKがいろいろな番組で放送していたので、なんとなくそれに反発する気分が強くなってつぶやいたのである。 すると、すぐに以前、同僚だった友人から次のようなコメントが来た。  貴種流離譚や、英雄不死(生存)伝説が多いのも特徴かと思います。 「貴種流離譚」とは、「貴種漂流譚」ともいい、身分の高い者の子ども、若い神や貴人が、漂泊しながら試練を克服して、尊い地位を得たり偉大な神となったりするもの。  大国主命や日本武尊の伝説などが、その例だと言われいてる。 そこで、次のような返事を書いた。 その通りだと思います。(北海道では)義経伝説などが身近ですよね。  ところで、物質的に豊かになるという幸福のタイプが日本人の精神の根底にあるような気がしてしかたがありません。  今回の自民党圧勝の原因の一つとされている経済政策などをみていて感じるのです。 自然保護運動をしていると、よく「自然も大事だがまず食うことが大事だからナ」という反論に出会います。もう飽き飽きするほど出会ってきました。  もちろん、これら(経済活動と自然保護)を対立させようとは思いませんが、なんでもかんでもお金で価値を表そうとする精神構造の原因を考えてみたわけです。  英雄不死伝説は別として、機種流離譚と経済成功譚(これは僕の造語)との共通の背景がなにか考えられそうですね。  間髪を入れず、彼から返事が来た。  それが集大成として現れたのが20世紀後半の一連の藤子不二雄などの漫画ではないかと思います。『ドラえもん』『キテレツ大百科』などがその象徴で、それが高度経済成長期後の科学技術の追究と相まって流行ったのでしょう。しかし、21世紀に入るとそれは一旦「こころ」の方に大きく針が振れて一見意味深な物語が流行しました。「格差社会」の到来は、またもう一度歴史を繰り返してしまうのではないかと危惧しています。物質的な豊かさで満たされる心は素晴らしいかもしれませんが、「Can't Buy Me Love」なのであります。  う~ん。深い。  僕よりもはるかに若い彼の、ぼくよりもはるかに深い洞察に脱毛いや、脱帽の宵のひとときであった。

2012年12月17日月曜日

根北峠(こんぽくとうげ)

 昨夜は、斜里で会議があり、ウトロに移動して会議のメンバーとの会食をし、そのままウトロのホテルに泊まった。  夏ならば、ウトロから羅臼までは40分弱で来られる。知床峠を越えればすぐだ。だが、知床峠が通行止めになる冬期間は、一旦斜里市街近くまで行き根北峠を越えて標津町を回って羅臼に行かねばならない。およそ2時間は要する。  今朝は、その根北峠で大型トラックが事故を起こし道をふさいでいたために1時間以上足止めされて4時間もかかった。  それでも事故による通行止めならまだ良い。この峠は、天候が変わりやすく、長い距離にわたって人家もない。携帯電話の圏外の区間も長く、恐ろしい峠なのである。 国道244号線が通っていて、斜里町側からは幾品川に沿って山に入る。標津町側へは忠類川に沿って下っていく。  若い頃は網走市で暮らし、別海に住み始めてからは標津高校に通い、いままた羅臼との間を往復する僕は、この国道との深い縁を感じている。  人生の半分はこの国道のそばで暮らした。だから激しい吹雪や大雨や嵐の時、この峠を越えたことが何度もある。大粒のボタン雪が大量に降り、しかも風で飛ばされて来て視界が奪われて往生したこともあった。  それでも、なぜだかこの峠が好きだ。  それは、他の峠に比べて人の居住してない区間が長く、一歩誤れば死に直結するような危険な区間が長く続くからだろうか。  この峠を走っていると、あらためて自分が生きていることの危うさや脆さを自覚させられるからだろう。  我々は本来、そんな緊張感をもって生きなければならない。  そんな原則を忘れ、「経済が良くなることが第一です」などとしたり顔でうそぶいている軽薄な者たちへの軽蔑を確認できるからだろう。 経済を優先させた結果、日本の自然はズタズタにされ、里山は荒れ放題、海も川も汚された。  それでも懲りない者への怒りに共感してくれる深山の霊気に触れられるような気がするから、この峠が好きなのだと思う、

2012年12月16日日曜日

今朝は朝から重たい雪

まず、昨日の問題の正解。 <問題>  映画「地の果てに生きる者」のロケで、俳優森重久弥さんが羅臼町に滞在し、帰る当日に有名な「知床旅情」をスタッフや町の人に披露した話は有名です。  ところでこの時、この歌の題名は今のような「知床旅情」ではありませんでした。  最初の題名はなんだったのでしょう。次の中から選んで下さい。 1.「羅臼の人よさようなら」  2.「羅臼旅情」       3.「さよなら羅臼」 4.「さらば羅臼よ」       5.「今日の日はさようなら」 6.「知床の岬」  正解は、4である。  彼は、出発の朝、見送りの人々や一緒に帰る他の出演者やスタッフの前で、歌詞の書かれた紙を貼りだし、ギターを持って歌って聞かせてくれたのだそうだ。  その時の写真も残っている。  日本を代表するようになった大俳優は、生涯羅臼での思い出を大切にし、折に触れて当時関わった羅臼の人々との交流を続けたのだそうだ。  知床にはそういう力がある。  今日は、検定が終わってから峠を越えてウトロ側まで行かねばならない。  朝から重たい雪が降っている。路面はシャーベット状。  この雪の中を峠越えするのは、少し気が重い。

2012年12月15日土曜日

知床学士検定

 突然ながら、ここで問題。  昔、知床岬に近い番屋には、冬の間たった一人で暮らす番人がいました。映画「地の果てに生きる者」のオホーツク老人は、そのような人がモデルです。  ところで、この人々は、なぜ番屋の留守番をする必要があったのでしょう。 1.番屋にいるネコに餌をやるため。 2.外国が攻めてくるのを見張るため。 3.冬の間も漁を続けるため。  さて、正解はどれでしょう?  正解は「1」である。  昔の漁網は麻のような植物質で、それに魚の匂いが付くとネズミが集まってきて囓る。そのためどこの番屋でもネコを飼っていたのだが、冬の間ネコたちに餌を与えるために、どこの番屋にも番人がいたという。  これは明日、行われる羅臼町の「知床学士検定」の試験問題の例題である。  これは3級の問題で、このような問題が100問出題される。  今日は、その準備に忙殺された休日だった。  では、例題をもう一つ。  映画「地の果てに生きる者」のロケで、俳優森重久弥さんが羅臼町に滞在し、帰る当日に有名な「知床旅情」をスタッフや町の人に披露した話は有名です。  ところでこの時、この歌の題名は今のような「知床旅情」ではありませんでした。  最初の題名はなんだったのでしょう。次の中から選んで下さい。 1.「羅臼の人よさようなら」  2.「羅臼旅情」       3.「さよなら羅臼」 4.「さらば羅臼よ」       5.「今日の日はさようなら」 6.「知床の岬」  正解は、明日、発表。

2012年12月14日金曜日

冬至に

 今年の冬至は12月21日だ。  この時期、いつも冬至が待ち遠しい。  冬らしい冷え込みは2月にやって来る。しかし、日長時間はそれに先駆けて動いている。 北緯44度で暮らす者にとって寒いということはそれほど大変なことではない。暖房もあるし暖かな衣類もたくさん持っている。  自分ではどうにもならないのが昼間の長さだ。  午後4時には薄暗くなり5時を過ぎると真夜中と変わらぬ暗さになる。  朝も6時を過ぎなければ明るくならない。  昼間の短さを思い知らされる。  春が待ち遠しいのは、暖かくなるからでもあるが、それ以上に明るくなるからだと思う。  直接は知らないのだけれど、日本の戦争中は冬のような時代だったのだろう。  マスコミはこぞって「大本営発表」の嘘っぱちばかりだけを大合唱し、言論は厳しく制限され、戦争や政府、資本家を少しでも批判しようものなら容赦なく逮捕され獄につながれただろう。  徴兵制によって、強制的に軍隊にぶち込まれて不条理な戦争に投げ入れられる。故郷へは四角い小さな箱に入った状態でなければ帰られなかった者も多い。  戦争が終わった時、多くの国民は、春の到来を感じたことだろう。  春は、黙って待っていればやってくる。どんな人にもやって来る。  だが、平和は、努力を払わなければ維持できない。歴史を逆転させ、冬の時代を呼び込もうとする者たちが策動しているから。  今までにも戦争への傾斜を滑り落ちそうになった危機は何度かあったろう。日本の国民は、辛くもその動きを阻止してきた。  反動勢力はその都度巻き返しを謀ってきた。  今回も同様のようだ。  はたしてどうなるのだろう。   なんとしも食い止めねばならない。  ついでにヤツラの息の根を止めてやろうではないか。

2012年12月13日木曜日

遠くを見て選べ

 人の考えはさまざまだ。この多様性は必要なだし将来に向けて大事にしていかねばならないと思う。  しかし、今、身に降りかかってくる生活苦や放射能の不安、アメリカ軍の横暴や戦争へと傾斜しかかる風潮に批判的であるにもかかわらず、どう見てもそれらに反対する投票行動に結びついていないと思われる人がいるものだ。  そのような人を観察していると自分の生活上でのつながりでできた情実とか各政党が選挙向けに発表する政策を手がかりに候補や政党を選ぼうとしているようだ。少なくとも普段の国会で政府に対してどのように追求してきたかとかどんな質問をしたかを参考にして選んでもらいたい。本当は、その候補者の日常の主張や折々に発表される政党の見解や行動で選んでもらいたいと思うのだ。  正直に言えば、それはなかなか難しいかも知れない。「時の勢い」のようなもので投票行動を決める人々は多い。そして忸怩たる思いを抱きながらも認めざるを得ないのはそれも民主主義なのだということだ。  アウシュビッツを案内してくれた日本人のガイドがいみじくも言っていた。 「ヒットラーは民主的に選ばれたのです」と。  それは、とても恐ろしい言葉に思えた。  僕らは、民主的な人格を持ち続ける限り、あらゆる「反動的な勢力」や「反民主的な勢力」の存在も認めなければならないし、その時の気分でそれらの勢力を支持する民衆の存在も認めないわけにはいかない。  そのような条件で出来ることは、社会の進歩とはどういうことか、一人残らず皆が幸せになるとはどういうことかを粘り強く説き続けていくことだけだろう。目先にとらわれず、一歩離れて全体の構造を見て下さい、と訴えることだけだろう。  昔、クラス担任だった頃、生徒の進路を考えさせる時に「遠くを見ろ」と教えたことをふと思い出した。  カヌーを漕ぐ時に、遠くを見て進めば真っ直ぐに進める。目の前だけを見ていると進路がぶれるものだ。  遠くを見よう。

2012年12月12日水曜日

ただただ感謝・・・12月11日、羅臼町ユネスコスクール研究発表会 成功

 それほど大がかりな集まりではない。町内の全中高生と二つの小学校の3、4年生が集まっただけだ。  それでも人数は400人に達し、羅臼町の公民館のホールは満員になった。  落語家の立川談志さんが、噺のまくらでよく「文化レベルの低い町ほど立派な文化会館などを持っている」と毒づいていたが、羅臼町の文化レベルは全国でもトップクラスということになろうか。  小学生(一部ではあるが)から高校生までが一堂に会するという行事は、なかなか例が無い。しかも一つの大きなテーマでそれを行うということは、あまりないことだったかも知れない。  このような異校種が共同する行事によって、それぞれの児童生徒が何かを得てくれれば嬉しい。  この会を実行するためにたくさんの人が力を出してくれた。ピストン輸送で子どもたちを運んでくれたバスの運転手さんたち。前日から会場設営に力を出し、当日の照明や音響などの裏方をすべて支えてくれた公民館職員。当日参加できないにもかかわらずロビーで幼稚園児の作品展示をすべて取り仕切ってくれた幼稚園の先生方。町民への広報のために織り込みをし、一軒ずつ配布してくれた町職員の方々。そして何より、この日の発表のために調査し、まとめ、発表練習に励んでくれた子どもたち。この経験は、きっと宝物になるだろう。  あらためて、力を貸して下さった、すべての皆さんにお礼を言いたい。

2012年12月11日火曜日

複雑系との関わり方を考えさせられるここ数日

 きょうも雪である。  正確には霙と霰とボタン雪と雨がめまぐるしく入れ替わって降っている。  だから気温はそれほど下がっていない。コートなしでも10分間くらいなら外を歩ける。  夜になると気温が氷点下になるのでさすがに路面は凍る。凍結路面というものは0℃に近い時の方が滑りやすい。タイヤと氷の間に水が入り込むからだ。  そのため今日の帰路は、非常に危険な状態だった。 ニュースによると中部から西日本の方が冷え込み方が強いらしい。  原因は偏西風の蛇行によって、大陸からやって来る低気圧が大きく南へ回り込んで通過するためだという。低気圧の動きを見ていると確かにそのような動きをしている。  気象現象は、大気の動き、高層の気流、周辺の気団の状態、海水温、さらには地球の自転まで、多くの要素によって生じる。いわば複雑系の代表である。  それでも気象衛星、気象レーダー、スーパーコンピュータによるシミュレーションなど予測の技術は飛躍的に向上したと思う。  そのせいだろうか、数ある複雑系の現象が簡単に予測できるかのような幻想を持つ人が多くなっているような気がする。 「猫が顔を洗ったら雨」のように短絡的な表現で複雑系を把握しようとする。  それは良い。自然現象に皆が関心を持つのは良いことだと思う。  問題は、評価ではないだろうか。複雑系予測の評価は、また難しいことであるのだ。  問題は、複雑系を把握しようとする過程で政治的な、あるは経済的な、さらには感情的な要素が混入する危険が大きいということではないだろうか。 敦賀原子力発電所2号機下にある断層が危険なものか否かの判断が真っ二つに分かれている問題などはその好例だ。  本当に安全のために行っている調査であれば、「疑わしいものは危険だと判断する」というモノサシをひとつ加えるだけであっさりと解決するはずなのだが。  真理を曲げてまで自分たちの利潤を追求しようとする勢力を野放しにしているのは誰なのだろう。それは政治権力でありそれを選び出した選挙民ということになるのか。  いやはや、ここにもひとつの複雑系が存在していた。

2012年12月10日月曜日

こんな日に、動物たちは・・・・

明日、羅臼町で「第二回 羅臼町ユネスコスクール研究発表会」というものが開かれる。  「第二回」とは言っても、町内の全学校がユネスコスクールに認定されてからは初めての発表会だし、幼稚園から高校までが参加するのも初めてだ。  つまり実質的には第一回なのだ。  現在時刻20時過ぎ。どうやらカタチができた。  プログラムの印刷、会場の設営、発表要旨の編集と印刷。生徒輸送のためのバスの手配。バスに乗りきれない生徒を輸送するための車両の手配、マスコミへのリリース、おまけに僕自身が指導する高校生の発表の準備などなどに全力で走り回る日が続いた。  今、すべての準備を終え、ホッとするとともに何か抜け落ちているような不安に駆られる。これは、大きな行事を控えている人なら、普通に感じることなのだろう。  明朝の生徒輸送の段取りを考えながら、これからの事も考えている。  疲労は、不思議に感じない。感じないほど疲れているという事なのかも知れないが。    今日の羅臼は、雪と雨と霙が交互に降っていた。  それらも止んで、しんしんと冷え込みが強まっていくのがわかる。  こんな日、動物たちはどのように過ごしているのだろう。  クマは、冬眠穴を確保しつつ、まだ、たまに出歩いては餌を探したりしている時期だが、今日のような日は冬眠穴でゴロゴロしつつ、本格的な冬ごもりの予行を決め込んでいるかも知れない。  そうだ。  彼らは、自分に与えられる条件の中で、常に最善を尽くして生きている。疲れていても「疲れた」とは言わず、痛みを感じても「痛い」と言わずに黙って耐えている。  「黙って耐える」という点では、われわれニンゲンよりもずっと優れている。  もっと野生動物に学ばなければ。  疲れたのか疲れていないのかなど、問題にすべきではないのだ。  がんばろう。

2012年12月9日日曜日

教室の時計はなぜ教師から見えない位置に掛けられるのか

 きのう、ツイッターにも投稿したのだが、以前から不思議に感じていたことがある。  日本の学校の教室にある時計のことだ。  学校の教室にはたいてい時計がある。  それがほとんど教室の正面に取り付けられている場合が多いのだ。  一番多いのは正面の真ん中。黒板の上だ。その下に教卓があり、授業者は教卓越しに生徒と向かい合うのが基本となる。言わばデフォルトの位置だ。  当然、時計は授業者の後頭部の上方にあり、生徒からはよく見えるが先生には見えない。  この状態は、授業の効率を落とす。生徒は黒板を見るたびに時計が目に入るのだ。授業の残り時間が気になるのは人情というものだろう。  おまけに授業をマネジメントしている教師は、首を回さなければ時間がわからないときている。  どうして教室の後方の壁に時計をかけないのだろう。  ささやかで私的な経験の範囲では、教室の後方に時計を配置している教室を、僕は見たことがない。  まあ、こんなことは小さな問題だと思う。小さなことだからこそずっと長い間にわたって、問題にされることもなく、この状態が今まで続いてきたのだろう。  しかし、この現象が日本の学校や教育が内包する問題のひとつを象徴しているような気がするというのは考え過ぎだろうか。  つまり、非効率、非合理的で「カタチ」ばかりにこだわる。「指導」のあり方も教育を受ける児童生徒の立場に立って考えるよりも先に、「自分の指導とその成果を周囲に見せる」ということを考えてしまう。  つまり、教師は「指導する」のではなく、「指導してみせる」ことばかりを意識する。  そのために、短期間に現れる結果にこだわる。  そして、数値化されたような「目に見える成果」ばかりを求めようとする。  これは内部告発に近いのだが、学校というのは見栄の世界だと言い切っていい。  教育にとってもっとも大切なものは、「愛」と「真理」だと思うのだが。  教育基本法を醜く改悪し、「建前」と「服従」のを学校教育に押しつけようとしている者が、いくつかの政党の党首としてまかり通っている。  彼らにとって、教育は命令通りに行動し温和しく死んでいく兵士を養成するシステムであればいいのだから、この非効率、日合理は当然のことであるに違いない。

2012年12月8日土曜日

帰ってきたサンショウウオ

 九月の旅行の時から羅臼ビジターセンターに預けっぱなしにしてたサンショウウオたちが帰ってきた。  昨年の春、知床峠の道路端にある側溝にたまった水の中に産卵されていた卵塊を持ち帰った。  あの側溝の中では、ほとんどエサがないだろうし、もし成体にまで成長してもコンクリートの壁を這い上って外に出ることはできない。  そんな状況だったことも持ち帰った理由だ。  やがて孵化して、徐々に変態が進み、11匹の成体が水槽の中で暮らしている。  サンショウウオは幼生のうちは食欲が旺盛で、飼うのに苦労しないのだが成体になるとちょっと気むずかしくなりエサをたべなくなる。  だから足が出てきて、水から出ている時間が長くなった頃に放流しているやるのが一番良いのだが、仕事の忙しさもあり、ついそのタイミングを逸してしまった。  今では、水槽の上から覗けばエサを求めて全員が一斉に上体を起こして集まって来るようになった。  ビジターセンターでは、来館者から目につきやすいカウンターに置かれていたため、エサを与えられる機会が多かったらしく、ますます「人慣れ」してしまったようだ。  そのまま置かせてもらっても良かったのだが、館内の模様替えをするとかで、結局帰ってきた。  みんな一回り大きくなっていた。

2012年12月7日金曜日

五つの季節と牡牛座の角

 いつもの年の12月のように「正しく」しばれてきた。  「根釧原野には五つの季節がある」と郷土について教える時、必ず言うことにしている。  春夏秋冬の「冬」が「雪のない冬」と「雪の冬」に分かれるのだ。11月中旬から12月末くらいまで、気温が氷点下の日が続くが雪はほとんど降らない。降っても積もるほどにはならない。  12月末、年によっては1月に入ってから、一旦しばれが緩み湿った雪がドカッと降って積もり。そこからが「雪の冬」の始まりだ。  北海道の中でもこれほどハッキリとした「5つの季節」を持つ地域はない。  ここで暮らす以上、この特性を楽しむべきだ。  雪が無く、氷点下の日々が続く季節には湿原も固く凍結するから自由に歩き回れる。  夏には入り込めなかった湿原を自由に巡り、ハンノキの洞を覗いたり、枝先に残されたカエデの実をそっとポケットに入れたりして回るのは楽しい。  雪が積もったら積もったで、スキーを履いて雪原をどこへでもいける。  手袋や帽子がなければたちまち凍傷になり、時には生命にもかかわる厳しい寒さだが、この土地でしか味わえない楽しみも多い。  しかし、今年の冬はいったいどうしたのだろう?  湿った雪が早々と降った。  その後に降った雨で、ほぼ消えてくれたが冷え込み方がまだ不十分だ。  やっと少し根釧原野の冬らしくなってきたようだ。「正しい冬」になると毎日晴天が続き、星の見える夜が続く。  今日は、仕事から帰って、星灯りだけをたよりに原野を散歩した。  牡牛座の角の延長線上に木星が来ていて、牡牛の角が二倍近く伸びていた。 なんだか特別な日のように感じられた。

2012年12月6日木曜日

なにか ある

なにか ある ナニカ アル 「アル」はアラビア語の冠詞だとか 「アル」は存在の動詞だとか 「アル」には命令形がないだとか     「アル」ばかり使うのアル中よ 「ワタシ アル中 あるヨ」     そんな言い方する者いない とか 「トカ」とかとかと蚊とか蜥蜴とか 蜥蜴の形の選挙区があったとか 小さな蜥蜴の小さな選挙区   「ト」は蜥蜴の頭かね?   「カ」は蜥蜴の胸なんだ! 「ゲ」は蜥蜴のお腹だろ?   それじゃあ尻尾は? ん?切られたよ

2012年12月5日水曜日

真のジャーナリストよ、いでよ!

 先日「本当のことを伝えない日本の新聞」という本を買って読んだ。前から気になっていたので、注文して取り寄せたのだ。  放送も含めて、日本の大手メディアの伝えるニュースは、みな横並びで同じような内容であることが前から気になっていた。  そして、沖縄の人たちがオスプレイの配備や本島北部に建設されようとしているヘリコプター訓練施設に命がけで反対している様子や反原発のデモや集会に今までに無いほど人が集まっていてもさっぱり報道されず、どうも胡散臭いと感じていた。  その傾向は、昨年の3月11日の大地震とそれに続く原発のまき散らした大公害事件以来、一層強まってきたように感じられた。  そのようなタイミングで出版されたこの本が以前からきにかかっていたというわけだ。  本は、ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラーさんが書いたもので、「記者クラブ」という日本独特の、欧米では考えられない、あり得ない仕組みによって、新聞や放送のメディアがジャーナリズムではなく単なる発表媒体になっている実態を具体的な例を豊富に挙げて指摘している。  そして、驚くべきことにアメリカ人の彼は、日本のメディアがなぜそのようになってしまったかを明治にまで遡って分析している。  一通り読んでみて、非常に勉強になり、日本の大手メディアの現状がよく理解できた。  日本の侵略戦争のただ中で、大本営発表をそのまま垂れ流し、多くの国民を苦しめ、死に追いやった責任を自覚し、戦後のメディアは再出発を期したと聞いてきた。そう信じてきたのだが、やがて「いつか来た道」に戻りつつあるのだろうか。どうもそうらしい。  全国で同時多発的に気骨のあるジャーナリストが立ち上がる時は来ないのだろうか。  そんな時が待たれてならない。 

2012年12月4日火曜日

北極航路

 今年の12月は大荒れだ。  いま、強い風が吹き時々激しい雨が降っている。  天気も大荒れだが、例年の12月と比べても異常な天候だ。  冬型の気圧配置が安定すれば、ここ道東地方は、快晴の日が続く。  気温は厳しく冷え込むが、スカッと晴れた青空が広がり気分も高揚する。 だが、残念ながら今年はそうではない。  冬型っぽくなったかなと思うと、すぐに北側を勢力の強い高気圧が通り、南方からの温かい空気を吸い込んでしまう。そのため雨が降り気温が上がることを繰り返す。  こんな天候が規則的に巡ってくると、あのパキッと晴れた「道東の冬」が待ち遠しくなる。ニンゲンとは勝手なものだ。  この原因は偏西風の蛇行なのだそうだが、いつになったら治まるのだろう。それとも今後しばらくは、このような乱れが続くのだろうか。  気候変動は、確実に近づいており、平均気温も上昇している。温暖化が忍び寄っている。 北極海の氷が減少している機に乗じて、北欧のLNGを北極回りの航路で運ぶ計画が進んでいる。  今日、その第一便の船が日本にやって来たそうだ。  化石燃料を大量に消費し温室効果ガスによって温暖化を招いておいて、それによって生じた北極海の隙間を利用してさらに大量の化石燃料を利用すると。  全くおかしな話だ。  まずは、その使用量を減らす努力を払うべきだろう。  「今の生活水準を維持して・・・・」と二言目には口にする。だが、その前提が間違っている。  「どんな暮らし方をしたら、今までの地球環境を維持できるか」というのが正しい思考の順ではなかろうか。

2012年12月3日月曜日

初冬の森の贈り物

 羅臼もすっかり雪景色になった。
 今日の午後は3年生の「野外活動」の授業があった。  例年この時期には、学校の周りの森で見つけたきた木の葉や冬芽、ドライフラワーと化したノリウツギの花など自然の素材を使ってリースを作っていた。 今年は思いがけなく雪降りが早かったので、ササが中途半端に寝ていて森の深い所まで入られなくなってしまった。
 そこで、リースに飾る素材だけを集め、皿に盛りつけて作品を作らせてみた。
 すると若い感性は、思いがけない創意を見せ、リースとはひと味違った作品が次々と完成した。  このようなデザインであれば、お皿に飾り付けて壁に掛けてもいいしテーブルなどに置いて楽しむこともできる。
 ところで、このような作品を何と呼んだら良いのだろう?  世の中にこれと似たものがあったら、どなたか一般的な名前を教えて頂きたい。あるいは、ぴったりの呼び方があったらご提案ください。

2012年12月2日日曜日

地方の路線バス

 昨日、帯広から広尾町までバスに乗った。  立っている人はいないが、座席はほぼ埋まっているくらいの混み方で出発した広尾行きの十勝バスだったが、帯広市の郊外で大半の乗客は降り、出発から20分ほどで乗客は十数人にまで減った。 それから、中札内、更別と進むにつれ下車する人ばかりで、広尾町に入った時には、たった3人になってしまった。  午後5時過ぎたばかりだが市街地は、すでに眠りについたかのように見える。国道は、さらに暗闇のかなた延び、やがて襟裳岬に達する。  ここは山間地の限界集落ではない。人口7800人あまり。十勝を代表する港町だ。  それなりの規模を持つ町であるにもかかわらず、帯広市とを結ぶ路線バスがこれほど利用されていないのが現実なのだろう。  所要時間も2時間半かかる。乗用車では1時間半と少々で行ってしまう。  自動車を所有し運転する人々と、公共交通機関に頼らざるを得ない人々との格差が大きすぎないだろうか。  バスには帯広市内の大型店で大量の買い物をしたバッグを二つ、両手で重そうに下げたお年よりたちが目立った。買い物を持ち歩くにしても乗用車とバスでは大な差がある。  こんな現実をなんとかできないだろうか、と思った。  しかし、こんな人口の少ない所では票にならないから政治からも見放されているのだろうな、やはり。 

2012年12月1日土曜日

小さな旅を前にして

 十勝の広尾町へ出張する。  広尾町までは、200kmと少し。  同じ道東にあり、北海道を東西に二分する日高山脈から大雪山系を超える必要もない。札幌や旭川などよりはるかに近いのである。  今日出発して明日帰ってくる。一泊二日の小さな旅だ。 クルマで行けば簡単に行けるのだが、今日は列車とバスを使うことにした。  これはちょっと贅沢なのである。交通費も「贅沢」だが時間的にも「贅沢」だ。  我が家の最寄り駅である厚床(あっとこ)から釧路行きの普通列車に乗る。釧路から特急列車で帯広まで行く。帯広から路線バスで2時間少々を費やしてやっと広尾に着く。  元は帯広から「広尾線」という支線があったのだが、廃止されてしまった。 目先のソロバン勘定で貴重な財産を惜しげもなく捨て去ってきたこの国の愚かな交通政策のお陰で、「小さな旅」の楽しみも半減してしまった。   ところで、旅、とくに公共交通機関を使って旅に出る前は荷物を作りながら、ありあまる時間で「この本を読もう」とか「この書類も作ってしまおう」、「パソコンの中も整理しよう」など、日頃したくてもできない様々なことに手をつけたいと考える。  現実には、それほどの時間はなく、無駄な荷物をただ持ち歩いて帰ってくるだけという結果に終わることが多いのだが。  今朝も懲りずにあれこれ妄想しながら荷造りしている。

2012年11月30日金曜日

「泊原発がなければ冬乗り切れぬ」という記事

 今日の産経web版の記事には驚かされた。  こんなことを堂々と書けるものだとあきれた。 以下、引用する 暗闇の登別「泊原発なければ冬乗り切れぬ」 北海道大規模停電ルポ  暴風雪の影響で北海道登別市などの大規模停電被害は29日も続いた。北海道を代表する観光地、登別の温泉街はひっそりと静まりかえり、夜のとばりが降りると信号も消えた街を暗闇が覆った。衆院選を戦う各党に「脱原発」の動きが目立つ中、ひとたび大規模停電に陥れば市民生活が脅かされる現実を見せつけている。(大竹直樹)  「街は死んだような状態だ。町中真っ暗で電話もタクシー無線も通じない。商売あがったりだ」。JR登別駅前で客待ちをしていたタクシー運転手の加藤昭夫さん(65)が嘆く。  夜、小雪が舞う登別温泉街に着くと、観光客の姿はなく、凍(い)てつく強風が土産物店のシャッターを揺らしていた。  営業休止となった老舗旅館「第一滝本(たきもと)館」の上田俊英総支配人(55)は「電気がなければ暖房も使えず、館内放送さえできない。宿泊客の連絡先もパソコンの中で、連絡を取るのも一苦労だ。山奥でラジオも入らず、情報も不足している」と話す。登別観光協会によると、営業休止による被害総額は4億円を超えるという。  避難所となっている同市の施設では、急遽(きゅうきょ)設置された非常用発電機が轟音(ごうおん)を立てていた。28日夜には氷点下5・7度の厳しい冷え込みの中、242人が不安な一夜を過ごした。寝付かれずロビーにいた漁師の丹後武美さん(62)は「自宅にいたが、寒くて耐えられなかった。電気のある生活に慣れていたが、今回ほど電気の必要性を実感したことはない」。  27日に11月の観測史上最大となる瞬間風速39・7メートルの暴風雪に見舞われた都市部の室蘭市では、停電で思わぬ被害もあった。「坂の多い室蘭では、道路の融雪設備が停電で使えなくなり、道が凍り付いた」と室蘭観光協会の仲嶋憲一事務局長(38)は話す。  北海道では泊原発が定期検査に入り、道内の稼働原発はゼロだ。「布団にくるまって寒さをしのぐしかなかった。北海道の冬は泊原発がなければ乗り切れないのでは」。室蘭市のオール電化住宅に住む和田山忠生さん(72)は電気のありがたみを実感していた。(引用以上)  今日、パソコンのニュースを見ていたら、とんでもない見出しが目についた。  「泊原発なければ冬乗り切れぬ」というのだ。  室蘭市や登別市の送電線トラブルによる長期間停電の「北海道大規模停電ルポ」と称して、「ねっ!だから原発は必要ですよね」と書いているのだ。 新聞という公器を使った悪質な世論誘導であり、意図的に事実をねじ曲げ、論点をすり替えて、ひたすら原発再稼働に持って行こうとする意図が丸見えの記事だ。  ここであらためて述べるまでもないが、今回の停電の原因は、発達した低気圧による強風で送電線の鉄塔が倒壊したためだ。原発を何十基動かして電気を作っても、送電線が切れたら電気は泊まる。  たとえ原発が稼働していたとしても今回の停電は避けられなかったわけだ。  むしろ現在のような少数の大規模な発電所から一方的に送電するシステムだったことが原因の一つで、小規模な発電施設を散在させていたなら停電は避けられたかも知れないのだ。  この記事の筆者は、おそらく、そのようなことは百も承知していて、とにかく大規模停電という事件を原発再稼働のチャンスに利用しようとしたのだろう。そうであれば実に悪質きわまりない。  そうではなく、素朴に真剣にこの通りと信じていたのなら、あまりにも知識不足、勉強不足と誹られてもやむを得ないだろう。まさかね。  詐欺!破廉恥!悪意に満ちた誘導記事、という誹りを甘んじて受けなければならない。

2012年11月29日木曜日

「ダツダツ詐欺」が蔓延しているゾ

 あまり「忙しいから」という言い訳をしたくないのだが、昨年までは12月と3月に分かれていた二つの行事が、12月に相次いで実施されるようになり、とにかく忙しい。  何もしていない時でも追われているような気ぜわしさを感じる。 だから、という訳ではないが以前のように欠かさずニュースを見たり聞いたりして世の中の動きから目を逸らすまいとする気持ちが失せた。  世の動きへの関心が失せたのではない。  放送や新聞のニュースが伝えることがどこまで信頼できるのか、また、大切なことをきちんと伝えているのか、という点への疑惑が強まったのだ。  だから選挙への関心も高くない。  もちろん参政権の行使は最大限に行うつもりでいるが、現状の日本の「多数」が正しい選択をする望みは薄い。残念ではあるが。 そのように考える根拠の一つに以下に述べる現実がある。  多くの政党がエネルギー政策について「脱原発」とか「卒原発」を言っている。  「段階的に減らす」と言っている政党もある。その展望は様々だが。  ところが、現在大飯原発の二基以外全国のすべての原発が停止しているではないか。この状態はかれこれ1年以上続いている。  それでも、何の問題もなくやってこれたではないか?  してみると、このまますべて原発を動かさずにやっていけるわけだ。大飯原発は別問題としても。  このような現状の中で「段階的に減らす」とか「○年後には無くする」と言っている政党の政策は、「とりあえずもう一回動かして、それから考えよう」と言っていることになる。  「即時停止」を言っていない政党は、こぞって「再稼働賛成」と言っているに過ぎない。  国民を欺すことしか考えていない政党の意志がここに透けて見える。  そして、それに欺される国民も多い。  日本はいつからこんな「詐欺の国」になったのか。

2012年11月28日水曜日

「有事」を心配する人々は「有事」に備えているだろうか

今日は満月。  嵐の接近を知らせる雲の向こうで、月が鋭く輝いていた。
 発達した低気圧による強風で室蘭市の送電線の鉄塔が倒壊し、長時間で広範囲の停電が起きていることがニュースになっている。  この場で何度も書いてきたことだが、電気が停まってこれほどの騒ぎになることが信じられない。  どうして多くの人々は、電気はいつでもあるものと思い込むのだろう。  電線を通して外部から送られている事実は、家の軒を見ればわかることではないか。あの電線は、せいぜい直径1ミリメートルの銅線に過ぎない。ペンチ一つで簡単に切断できるシロモノであるのだ。  たとえば立木が倒れかかっても、大型車の積み荷が引っかかっても、即座に切れてしまう。  そんなものに暖房や給湯や場合によっては生命までも丸々全部預けてしまっていいはずがなかろう。  「もしも電気の供給が断たれたら」という想定がなぜできないのか?  暖房なら電気に頼らない暖房器具がたくさんある。照明だってどうにかなる。  どうしても電気の要るものにはバックアップ電源を考えておくべきだろう。  つい数十年前、長くても100年前には、電気など無かったはずだ。それでも、支障なく生活できていたはずだ。  そう言えば、東京電力の福島第一発電所の原子炉は、バックアップの電源がうまく作動しなかったためにあのような事故になったのだった!  「もしも」の停電対策ができていなくて慌てふためいた人々の中に、  「国の有事に備えて防衛力を強化すべきだ」などと主張する人がいたら笑止だ。

2012年11月27日火曜日

やっぱりペットボトルは問題だ!

 生徒たちの手でゴミの海岸のゴミの調査をしている。2学年の「野外観察」という授業だ。  屋外での調査を終え、今はデータの整理を中心に行っている。  一言で「ゴミ」と言っても、人工物と自然物、漂着物と投棄物、不燃物と可燃物など多様な分類が可能で、いかに定量化して発表まで漕ぎつけるか、なかなか難しい。かなりの時間を割いて、生徒と論議を重ねてきた。  一定の方向性が出たところで、今週から実際の統計処理作業に入った。  調査地点ごとに不燃物と可燃物の割合を出し、そこから漂着物と投棄物を類推してみることになった。生徒のアイディアが主導しているので、文句の付けようがないほど科学的だとは言えないかも知れないが。  3つの調査地点を選んでいるのだがどの調査点でも飲料のペットボトルが目立った。  非常に目につくので試みにペットボトルだけの重さを求め、全体に占める割合を重量で出してみることにした。 すると、ペットボトルがゴミの全体量に占める割合は、3地点で8パーセントから10パーセントに達していた。  このことは、ペットボトルをゴミとして投棄しなければゴミの量を10パーセント近く減らせることを意味している。10パーセントというのは相当な量だと思う。  そもそもペットボトルは、石油製品である。膨大な量のペットボトル消費され、資源として再生されないままムダに消費されている事実を突きつけられたわけだ。  しかも、その処理には費用がかかっているのだ。  現代日本社会は、様々の問題を抱え、病んでいるとさえ言われているが、ペットボトルの問題も将来の持続可能な社会を築くために解決しなければならない深刻な問題である。

2012年11月26日月曜日

ナウシカのジレンマ

 今朝の根釧原野は濡れ雪。道路はシャーベット状でハンドルを取られやすくて非常に危険な状況だった。  そして羅臼は雪。  大粒のボタン雪。  午後からは次第に気温が上がり、雨に変わった。  根室海峡を挟んで国後島が間近に見えた。  「国後が近くに見える時は荒れる」と地元の老漁師はよく言う。  いつもなら15時に一斉に出漁するイカ漁の船(僕たちは「イカ付け」と呼んでいる)も、早々と14時に出航していった。荒天が予想されているからだという。  漁師町には、そこはかとない緊張感が漂っている。嵐が近いのだ。  自然と向き合って生活している町だ。あらためてそう感じた。  それより前、「環境保護」の授業では、「ナウシカ」の最終巻について生徒たちと話し合った。  ナウシカたちが腐海を離れては生きられない身体になっているという事実は、現代の人間の状況を例えたのではないか、と生徒が言うのだ。  つまり、「手つかずの大自然」に憧れる人は多く、毎年たくさんの人が知床を訪れるのだが、その人々も(もちろん我々も含めてだが)人間社会から切り離されて知床のような厳しい自然の中で生きていくことはできない。  つまり文明社会の「毒」がなければ生きられない身体だというのだ。  ナウシカたちが「清浄な空気の中では生きていけない身体になっている」という設定は、これを暗喩しているのではないか、と指摘するのである。  なかなかスルドイ。  一理ある。  自然の大切さを訴え、その保全を望んでいる我々といえども、自然から切り離されてしまった存在であるという事実から出発しなければならないのだ。  この矛盾にどう向き合うか。  羅臼高校自然環境科目群の「環境保護」は正念場にさしかかっている。

2012年11月25日日曜日

マッカウストンネル

 昨日のことだがトンネルを掘っている現場へ見学に行った。  羅臼町の道道「羅臼・相泊線」のマッカウス洞窟の裏側に掘られているトンネルだ。  マッカウス洞窟という名前はなじみがないかも知れないが、ヒカリゴケのある洞窟のことだ。海岸線沿いに作られている現在の道は、もろく不安定な崖のすぐ下を通っているうえに海が時化ると波をかぶる難所でもある。  この部分の通行が不可能になると羅臼町から知床岬方面への陸路の連絡が完全に途絶してしまう。  そこでトンネルを掘る構想が以前からあったようだが、ヒカリゴケのある洞窟の裏側に当たるので、地下水脈に影響を与え、ヒカリゴケの生育が困難になるおそれがあるとされていた。  今回は、洞窟へ通じる水脈の部分を通るトンネルを完全に防水構造にして地下水の流れを断ち切らない工法が取られているのだそうだ。  そのような工法の宣伝もあるのか、工事を実施している会社の好意で小学生とその保護者を対象にした見学会が催された。 工事は貫通まであと100メートルを切っていて、その先端部まで行けるというので参加してみることにした。  トンネル工事現場には、トンネル内専用のダンプや重機があり、他の場所では見ることのできない珍しい機械があった。中でも最先端で掘削するヘッダーという掘削機は、まるで巨大ロボットのような形をしており、そのようなものが好きな人には魅力的に見えるのだろうな、と思った。  掘削面のコンクリート吹きつけも専用の巨大な吹きつけ機で行われてる。そのため穴をあけた直後からどんどん吹きつけをしているようで、最先端の切り羽まで、壁は隙間無くコンクリートで固められていた。  知床の「地底」に入り込み、そこにある岩石を直に見たり触ったりできるか、と期待していた僕にとって、この点は少々物足りなかった。  しかし、休日を返上し、トンネル建設の工程をわかりやすく説明してれた現場の親切な人々の気持ちに接することができ、収穫の多い見学会だった。

2012年11月24日土曜日

「遺伝子組み換え」は昔からあったというお話

 先日、高校の「生物Ⅰ」の授業を見せてもらう機会があった。 遺伝の単元でも最後の仕上げともいうべき「連鎖と組み換え」という節だった。  授業をする先生の口から 「ここで言う『組み換え』とは、遺伝子組み換え食品の『組み換え』とは全く違う意味だからちゅういするように」という注釈を聞くまで自分で全然気づかなかったが、確かにその通りだ。  「生物Ⅰ」で出てくる「遺伝子の組み換え」とは、減数分裂の時に二本の相同染色体が捻れて分裂することによって、それまで同一の染色体上にあった遺伝子が他の染色体に乗り換えることを言う。  たとえば雌方の1番染色体にAとBという遺伝子があり、雄方の1番にはaとbがあったとすると、「A」と「B」は常に一緒に移動し、「a」と「b」も同様に振る舞うのが普通で「Aとb」または「aとB」という組み合わせは生じない。  しかし、一定の割合で染色体が捻れたまま分裂し「Ab」または「aB」の組み合わせた生じることがある。これを「組み換え」と言うのだ。  他に「乗り換え」とか「交鎖」と呼ぶこともあるが、この授業で使われている教科書では「組み換え」という言葉が使われていた。  これに対して遺伝子組み換え食品の「組み換え」は、人工的に遺伝子を操作して、細胞の中の遺伝子の組成を換える操作のことである。  この両者は全然関係が無い。 関係のない二つの現象(あるいは操作)に同じ言葉を用いる無神経さに呆れた。  もちろん前者(ややこしい説明を加えた方)の「組み換え」の方が古くから使われていた用語だ。  最近になって出現した技術の名前は、もう少し配慮して、「組み換え」という用語を使うことは遠慮すべきだった。  生物を教えていていつも感じていたが、日本の生物学用語は難しすぎる。日常生活では絶対に使わない語を多用している。  たとえば、「採餌」は英語では「Feeding」という。なぜ簡単に「食う」と言えないのか。 遺伝学用語では、「検定交雑」を「Test cross」と言う。 よく、「簡単なことを難しく教える日本の生物学」と授業中によく揶揄したものである。  ちなみに「遺伝子組み換え」については、前者の「組み換え」を「Chromosomal crossover」後者の「組み換え」は「Genetic recombination」と区別されている。  文科省は、日本の子どもの学力について「言語活動能力の低下」を指摘している。  だが、教科指導に用いられる言語そのものが貧弱ではないか。

2012年11月23日金曜日

「結果が全て」という精神の貧困

 選挙が近いということで、どの政党とどの政党が手を結んだとか合流を呼びかけたとか喧しい。  主張を捨て、基本政策を捨て、ただただ当選者数を増やすための方法を探っている。  もはやそこにあるのは政治ではない。  興味もないので、これらに関するニュースは一切無視することにしている。  綱領があり、それに賛同しそれを実現するための政治思想をもった国民が支持し、そこから選ばれるの政治家と、それを支える党員からなるのが政党ではないのか。 その政党を支持する国民が投票し、政治活動のための資金も寄付するのが本来あるべき政党の財政ではないのか。  大企業からの寄付とタップリ集め、その上われわれの税金から政党交付金までもらって、離合集散にうつつを抜かしている数多の「政党」の姿を見ていると辟易する。  おまけに選挙がおわり、政権を取ったら取ったでロクなことをしない。アメリカに尻尾を振って、お腹を出してゴロニャンするばかりで国民が苦しんでいても知らぬ顔だ。  それも当然だろう。  政党の活動資金を国民から直接もらっていないのだから。  税として強制的に取り上げた中から当然のような顔をして掴み取っているのだから。  どうしても言いたいことがある。  昨日や今日になってにわかに生まれ、離合集散を繰り返す「政党」には投票しないで欲しい。  政党交付金としてわれわれの血税からゴッソリ資金を受け取っているような「寄生政党」にも投票しないで欲しい。  そして、なにより必ず投票に行って欲しい。  当選するために手段を選ばないような選挙運動で当選しても、そんなものは本当に選ばれたことにはならない。結果が全てではない。 

2012年11月22日木曜日

ある日

今日は、低気圧の狭間の穏やかな晴れた一日だった。  朝、通勤のために運転する車をずっとどこまでも走らせたい衝動に駆られた。  遠くの山がかぶる雪は、このところの冷え込みで一段と厚みを増したように感じられ、その稜線を見ていると、どういうわけか故人となった友のことが思い出された。 写真家のK  詩人のC  サラリーマンだったU  三人の名前が呪文のように繰り返し繰り返し心に浮かんできた。  今は、「時」によって遠く隔たった彼らに、突然近づいたのは何故だろう。  時空の歪みのようなものがあって、僕らには感じられない第五次元の方角で、彼らのいる世界とすれ違ったのだろうか。  夜、月の周りを真円の「笠」が取り巻いていた。  次の低気圧が近づいている。  彼らの世界が、再び遠ざかるのが、少し心残りだ。

2012年11月21日水曜日

僕が青年だった頃の選挙の思い出

 「今度の選挙は、誰にいれればいいの?」向かい側の席に座った年配の農家の婦人らしい人が、隣に座っていたその人の息子らしいサラリーマン風の男性に何気なく訊いた。  昔、僕が浪人して頃のことだった。  列車内で出会った光景だ。  しかし、次の瞬間、男性の答を聞いて、僕はびっくりした。  「ウン。まだ、組合からはっきり聞いてないんだ。明日あたり、わかると思う」  いつまで経っても忘れずに覚えているのは、この時の驚きのせいだと思う。 高校時代、「政治経済」という科目があった。  その中に「労働組合の政治活動」という単元があり、労働組合は特定の政党を支持するべきではない、と教えられた。  その時の試験問題だった「労働組合と政党の正しい関係について述べなさい」という問題に次のように解答して満点をもらったことを覚えている。  「労働組合は、労働者の生活と権利を守るための組織である。そのため、政治的な活動を積極的に行う必要がある。しかし、選挙で投票する対象や支持政党を決めるのは、あくまでも個々の労働者個人であり、個人の政党支持の自由は、基本的人権の一つとして最大限に尊重されるべきである。したがって労働組合は、各政党の政策や候補者に関する情報を組合員に積極的に提供すべきではあるが、決して特定の政党への支持や候補者への投票を組合員に求めるべきではない。」  そのような経験をした僕の目の前で、平然と「組合の指示で投票する候補者を決める」と言い切る男性。  さらに、(おそらく)自分が投票する候補者を息子の意のままに決める母親の実在は、少なからず衝撃的だった。  日本の民主主義とは、この程度だったのかと暗い気持ちになった。もう40年以上も前のことだ。  そして今、国民の投票行動は、少しは変わったのだろうか。日本の民主主義は僅かでも成長しただろうか。 率直に言って、あまり変わっていないように思う。 また、それが試されようとしているのだけれども。

2012年11月20日火曜日

「風の谷のナウシカ」で授業する

 羅臼高校3年生、「環境保護」の授業で、今年度から「風の谷のナウシカ」を教材に取り入れた。  今年度取り入れたばかりだから、展開のし方や授業の形態に関して改善や工夫が必要だが、授業にマンガが入り込んだだけでも生徒たちは新鮮に感じるのだろう。真面目に熱心に取り組んでくれる。  つまりは「食いつきの良い」教材であるらしい。  しかし、その内容の深さと情報量の多さは、ちょっとした小説をはるかに凌ぐものがあり、マンガを読み進むうちに生徒たちは四苦八苦し始めた。  そこで、その内容について話し合う中で解りやすく解説してやったり、感想を聞き出したりしながら読み進めている。  授業は、いよいよ最終巻の第7巻に入った。  そこには、たとえばこんなくだりがある。 (以下漫画の台詞を引用する) 墓所の主:そなたたち人間はあきることなく、同じ道を歩み続ける。何度も繰り返された     道を。      みな自分だけは過ちをしないと信じながら、      拳(こぶし)が拳(こぶし)を生み、悲しみが悲しみを作る輪から抜け出せな     い。  ほんの断片の台詞だが、ここで昨日から今日にかけて報道されたハマスとイスラエル軍の戦闘の記事のコピーを配って、ガザで行われている戦闘によって市民が100人以上も犠牲になっている事実を教える。  この漫画が1980年代に書かれたものであることは、最初から伝えてあるが、あらためて再確認し、人間の「業」について考えさせ、感想を述べてもらうのである。  もちろん、「風の谷のナウシカ」の一部を切り取って、そこだけを取り上げるのではない。全体の流れの中から重要と思われる部分を取り上げ、そこを検討したうえで再度全体の流れに戻っていく作業を繰り返す。  この授業は、春からの地球環境に対してヒトがどのように関わり働きかけてきたかという環境史を学び続けてきた末に、「人間とはなにか」という最終単元の中に位置づけられている。  数学や物理のようにたった一つの正解に到達するという性格のものではないところがこのような展開を可能にしている。  正直に白状すれば、僕自身も生徒とともに学んでいる。学ぶところが大きいのだ。  「ナウシカの時代」はまだまだ続くように思う。

2012年11月19日月曜日

一本の映画との出会い

 偶然の出会いというものがある。  札幌でつくづくそういう経験をした。  日曜日午後、ちょっとした行き違いで、4~6時間ほどの時間が空いた。  場所は札幌の中心街狸小路でのことだ。  時間の使い道に不自由はしない。そこで選択したのは映画を観ることだった。  6丁目にシアターキノという大手配給会社の系列に属さない映画館がある。  そこで邦題「あの日 あの時 愛の記憶」(英題「Remembrance」)というポーランドを舞台にしたドイツの映画に出会った。 タイトルから受ける印象は、なんだか照れくさいラブストーリーのように感じた。  ところが、この映画は1944年のポーランドと1976年のニューヨークおよびポーランドを舞台にした硬派な映画だった。  1944年、アウシュビッツ収容所で、囚人となっているポーランド人男性トマシュとドイツから連行されてきたユダヤ人女性ハンナとが愛し合うようになったところから物語が始まる。  トマシュはナチスに抵抗する収容所内の地下組織に属していて、ナチスの残虐行為を密かに撮影したフィルムを外に持ち出し、抵抗組織に届ける任務を引き受ける。  そして、その機会に乗じてハンナをも連れ出して兄の恋人が暮らしている家に匿い、自分はフィルムを届けるためワルシャワへと向かう。  二人はそこで別れ別れになるが、ナチスドイツの崩壊やソ連のドイツ侵攻に伴うポーランド占領などの混乱で、再会を果たせず、互いに死んだものと思い込んで戦後を生きていく。  やがてニューヨークで暮らすようになったハンナが、偶然にトマシュが生存していることを知り、ポーランドへと向かう。  そこに至るまで、現代(といっても1976年だが)と1944年を行きつ戻りつしながら映画が展開する。  最初から最後まで非常に緊張感のある映画で、息をつく暇もない展開だった。ただし、その緊張感は、登場人物が日常を普通に行動する中での心理的緊張であり、決して派手なアクションや破壊シーンを伴うようなものではない。映画自体はまるでドキュメンタリーのように、淡々と「日常」を描いているだけなのだが。  言語もポーランド語、ドイツ語、英語が次々に出てくる。ドイツ語やポーランド語は、ほとんど理解できないのだが、9月に旅をした場所でもあり、少しだけ耳に馴染んでいて親しみが感じられた。  この映画は実話を元にして作られたのだそうだが、たしかに僕らが訪ねたアウシュビッツには、収容者が命がけで撮影し、外に持ち出されたフィルムからプリントした写真が何枚か展示されていた。  映画館のポスターを見るまで、その存在すらしらない映画だったが、観ることが出来てほんとうに良かった、得をしたと思える映画だった。  一本の映画とこういう出会い方をする場合もあるのだ。  2011年 ドイツの映画 監督 アンナ・ジャスティス  原題 「DIE VERLORENE ZEIT」=「失われた時代」 英題「Remembrance」

2012年11月18日日曜日

甲状腺の危機

 前線が通り過ぎて、じわじわと気温が下がってきた。  気圧配置が冬型になってきた。  札幌に来ているのだが帰路の峠は雪になりそうだ。  福島県の子どもに甲状腺癌の疑いのある患者が見つかったと今朝の北海道新聞が報じていた。  原子力発電所から出た放射性物質の中にヨウ素の放射性同位体が多量に含まれていたこと。ヨウ素はチロキシンの材料としてヨウ素は甲状腺に取り込まれる。放射性ヨウ素が甲状腺に集まり、そこで放射線を発するからその近くの細胞が被ばくし、癌化が起きる危険性が高まること。  ここまでは、誰もが知っている事実だ。  それゆえ、福島県に住む子どもたちに甲状腺の検査が行われていることは、よく知られていることだ。 だが、その検査の結果がどうなっているのかあまり知らさていない。  少しだけ発表されてもその内容への信頼性が揺らいでいた。  なぜなら過去の公害事件の例と同様に、支配者は、常に被害を小さく見せようとするから。  大手メディアには、常にそのバイアスが働いていた。今回の原子力発電所の事故も同様だった。今さら具体例を挙げるまでもない。  低線量による内部被曝の影響は、すぐに把握できないことだからこそもっとも隠したい事柄であり、隠しやすいやすい事でもある。  当然、マスコミもなかなか取り上げない。  「癌患者の発生」という隠し通せない事実が浮上して、しぶしぶ報道したという感がある。  チェルノブイリにおける例では、若い人に甲状腺癌の多発が確認されるまで4年かかっているという話もあるから、今回の患者と原子力公害との因果関係は不明だとされている。       その通りかも知れない。  なによりも重要なことは、福島県に住む若い人々の甲状腺の状態への関心をもっと高めることだろう。 さらに報道機関がこの問題をどれほど正確に伝えているかも監視していくことだろう。

2012年11月17日土曜日

冬のタイヤに

 タイヤを交換した。  積雪の遅い根釧原野では、路面が雪に被われる季節はもう少し先なのだが、羅臼へ通うことも多いので、このところ早めに履き替えることにしている。  それにしても今年の雪は、降り始めが遅く、「まだ間に合う、まだ間に合う」と一日延ばしにしてきた。  しかし、今日は、これから峠を越えて行かねばならない。  背に腹は替えられないというわけで、出発前の慌ただしさの中で作業した。  コンプレッサの配管に漏れがあって、作業が手間取ったがなんとか午前中に作業を終えた。  これから出発する。  なんだか冬に向かって出発するというような気分である。

2012年11月16日金曜日

キーンという寒さがやって来た日、政治は全然良くならない

 激しく雨の降る日が続いた。  3日ぶりに雨の上がった今朝、知床の山々が真っ白になっていた。  降ったばかりの雪だ。はるかに離れた所から見ていても、心なしか白さが一層きわだっているように感じた。  家の外においたタライの水も凍っていた。  今日、衆議院が解散になり、選挙が近づいて騒がしい。  選挙になれば、どの政党もどの候補者も耳障りの良いことばかりを言う。  多くの世論の反対を押し切って、大飯原発を再稼働させた野田総理大臣でさえ、  「原発は、なくしていく」と言う。  自分の寿命が尽きた先のこととして「公約」しているのだから笑止だ。  そして、それに騙される有権者も少なくないのだからやりきれない。  「新党だ」とか「第三極」だというのも流行っている。  自民党の政治に辟易して民主党を選び、民主党に失望したからといって自民党に戻るわけにもいかぬという有権者の票を取り込むための「受け皿」作りなのだろう。  「受け皿」にしか目のいかない有権者も有権者だ。  中身はパチンコ屋の「新装開店」と同じことなのに。  そう言えば、「新党」の面々のセリフにも抱腹絶倒した。  「国民は、既成政党に不満を募らせている」とよく言っているが、それを言う議員たちは、もともと「既成政党」の議員なのだ。  「既成政党」を否定するなら、「既成政党」所属の議員は、スッパリと辞めなければならないだろう。  政党助成金に群がる寄生虫たち。  党の看板を掛け替えるだけでは意味がない。  国民の血税に寄生する「寄生政党」が、いくら名前を変えても、絶対にこの国の政治は良くならない。

2012年11月15日木曜日

ああ、早すぎるその死よ

 あまりにも早すぎる死だ。  羅臼高校に転勤する前の高校を卒業した若者が一昨日、死んだ。  交通事故による死亡だった。  年下の者の死は、いつも切ない。  特に、生徒だった者の死は悲しい。  一つ屋根の下で共に三年間を共有していた生徒の場合には、さらに辛い。  お通夜の席に座りながら、「どうして?」という思いが幾度も去来した。  集まった友人たちの悲しみ、残された家族の嘆き。  ひとつの命がどれほど数多くの命と関わり合っていたか、あらためて気づかされる。  われわれは「生きている」という状態を当たり前のことのように思い、  「明日もまた同じように続くだろう」と心のどこかで考えている。  死神は、気まぐれにその大鎌で、魂の緒をばっさりと断ち切ってみせることがある。  この事実を知らずに生活しているのか、知っていても敢えて見ようとせぬのか。  衆議院選挙の日程が明らかになったことで、なりふり構わず、ただヤミクモに当選することだけを目指して血眼になっている政治家たちに、今一度「生きている」ということの不確実性を突きつけてやりたい。  「命の大切さ」などという手垢にまみれた言葉ではなく、心底からの実感させてやりたい。  彼らが、生命の不安定性と、不安定であるがゆえの尊厳を認識できたならば、今よりはもう少し「生命と暮らしを大切にする政治」が実現するのでなかろうか。  それとも、欲で濁った目を持ち平然と戦争を始めようとする思考回路からは、もはやそのような感性は失われているのだろうか。

2012年11月14日水曜日

高校生イカの燻製づくりに挑戦! その作業中の深い哲学的おしゃべり

 羅臼高校の3年生のうち海洋生物を選択している生徒たちとイカの燻製作りをした。  役場職員の専門家に指導してもらい、町の施設を利用しての実習だ。イカは、羅臼漁協から提供をうけている。  町ぐるみで応援してもらって成り立っているこの実習は、もう10年近く続いている。  イカをおろし、味付けして一晩乾燥させる。  この作業は昨日実施した。  今日は、朝から乾燥したイカに煙をかける作業だ。  燻煙を終えたイカは適度な厚さにスライスし、真空パックにする。  一枚ずつ包丁で切るのだから、厚みにバラツキが出るのはご愛敬だ。  大胆豪華な厚切りから顕微鏡標本のような薄切りまで、いろいろだ。  「これが手作りの味わいだよ」などと話していると、指導してくれる専門家が、  「工場では、機械で切るから常に均一な厚さになります。やはり商品ですからね」と付け加えてくれた。  ふーむ、商品にはばらつきがあってはダメなのだ、と改めて思い起こした。   だが、イカだって生きものだ。大きなイカもいれば小さなイカもいる。  生徒も生きもので、彼らが手で切るのだから均一な厚さを保つというわけにはいかない。  そして、それを食べる人々も実は生きものだから口の大きさや噛む力はまちまちだ。  「統一された均一な規格」というものは、「生きもの」とは、相容れないのかも知れないな、と思った。  鉄やコンクリートなど人工的に作られる物には、商品の均一性は大事な要素だ。  だが、生物由来の原料を使い、生物が食べ物とする製品に、統一された規格や均質さを強く求める必要があるだろうか。  われわれは、自然から乖離(かいり)した生活を送るうちに、知らぬ間に食べ物の規格が統一されていることを求め過ぎているのではないだろうか。  燻煙されたイカの胴体の両端は、乾燥が進みすぎ、煙の味が濃くなり過ぎているの切り取って、「製品」にはなることはできない。(生徒たちが喜んで食べ、残りは持ち帰ったが)  工場で大量生産されるとしたら、こんな「規格外」の部分は捨てられる運命になるかも知れない。  われわれはここでも自然から恵みを無駄にしている。  罰当たりなことをしていることになる。  食べ物を「工業製品」として流通させることには、限界のようなものがあるのではないだろうか。いや、あるべきかも知れない。  規格の統一を強く求めすぎるから、電力も大規模発電所でなければ作ることが許されず、「品質」にバラツキのある自然エネルギーは敬遠されてきたのだろう。  「自然界は多様性に富んでいる」という事実を認識の基底に置いて、すべてを見直さなければ、人類に未来は無いと思った。  たかだがイカの燻製作りの最中に交わした与太話だが、なかなか深いテーマにつながったのであった。

2012年11月13日火曜日

獅子の星座に火の雨が降る

 宮澤賢治先生の「原体剣舞連」の最終連 太刀は稲妻 萱穂〔かやほ〕のさやぎ 獅子の星座に散る火の雨の 消えてあとない天〔あま〕のがはら 打つも果てるもひとつのいのち   dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah  ここに出てくる「獅子の星座に散る火の雨」とは、言うまでもなく獅子座流星群のことだ。  もう、11年前。2001年のことだった。  この年は「大出現があるかも知れない」と言われていて、宵に少し仮眠をとっただけで一晩中起きていた。  未明を過ぎ、夜明けが近づいて来たと思う頃、それは突然始まった。  照明弾のように明るく輝く流星が、連続して落ちてくる。  数個の流星が同時にあちこちの方角に落ち、どこを見ればよいかさえわからなくなる。 本当にそれは照明弾のように煙のような尾を曳きながら(「永続痕」というらしい)落ちてくる。次の流星が永続痕を照らし、天空一面におびただしい不規則な線が描かれた。 流星というより火球と呼ぶべきだったのだろう。  後になって調べてみたら、マイナス8等級くらいの明るさのものも少なく無かったという。  あのような流星の嵐は、もちろん生まれて初めて見た。正直に言えば、これが何らかの実害をもたらすのではないかという恐怖さえ覚えた。  その流星群の季節がまた来る。  17日が極大なのだそうだ。

2012年11月12日月曜日

地より湧き出でるカエルたち

 カエル、ヘビ、カタツムリ、ナメクジ、トカゲ。  蠢く者たち  のたうつ者たち  這い回る者たち  あらゆる地中の者たちが  ゆらりと立つ    ゆらりと立って  指さす  地を汚す者  水を濁す者  空を覆う者  毒をまき散らす者を  その弾劾に耐えられるか  誠意を裏切った者が。  昨日、「釧路市立美術館 マチナカ ギャラリー」という催しの「旧五十嵐邸+竹中真亀」という切り絵展を観てきた。  昭和30年代頃に建てられたと思われる邸宅の内部をまるごとギャラリーにして、カエルやヘビ、カメなど主に地上を這い回る動物たちをモチーフにした切り絵が、家中に展示されていた。  そこは、幻想と現実の接点のような不思議な空間で、背中を花模様などで飾った動物たちが、優しいまなざしのままで、静かにわれわれの所行を告発しているかのような感じを受けた。 

2012年11月11日日曜日

「天声人語」に異議あり

昨日の朝日新聞「天声人語」  中国指導部の腐敗が進んでいる、と。  指導者の人事が密室で決められ、決定の過程が不透明である、と。 (以下部分引用)  庶民の間に、「幹部の四態」なる戯れ歌があるそうだ。  「午前は車でアチコチ   昼はお皿がぐるぐる   午後はサイコロがころころ   夜はスカートがひらひら」 <中略> 共産党独裁にして資本主義を疾走する大国が、この党大会でどう舵を切るのか注視したい。 (以上が引用。改行は筆者)  これに異議はない。同感できる。  だが、中国のこの体制との比較として「国民総参加だった大統領選と、大きな落差を感じる人もおられよう。」という一文が、その前段に挿入されている。ここに違和感を覚える。  直接投票ではなく、選挙人を選出し、勝った方がその州の選挙人を総取りする、やり方。選挙人の定数配分も人口比によっているから、アラスカなどは、あれほどの面積がありながらたった4人しか配分されていない。  物理学で有効理論という考え方がある。  マクロな情報だけを読み取り細部を無視することだ。普通に誰もがすることである。  例えば、鉛筆で直線を引く。誰がみても一本の整った線に見える。だが、実態顕微鏡のようなもので拡大して見ると、そこにはある程度の幅で(細かなバラツキはある)紙の表面に黒いカーボンの粉が散らばって見える。  決して直線ではないが、そのような細部を無視して受け止める習慣あるいは性能、または約束が暗黙の内にわれわれの中にある。  もちろん、こう考えなければ現実世界は前に進まない。  アメリカの選挙制度は、「細部を無視する」有効理論に基づけば、効率的で現実的な民主主義なのかも知れない。しかし、ベストな方法とは言えない。  誰が考えても「死に票」が多すぎるだろう。  おそらく、あの広い国土に非常に少ない人口で、しかも先住民や国境を越えて入り込んでくる人々、奴隷として連れてこられた人々など、さまざまな立場の人がいる中で、「可能な限りの民主的な方法」として生み出されたのではないだろうか。 (中国の国家体制も、また違った歴史的過程の結果として成立していると思うが)  時の流れと共に条件は変化する。  その意味で、中国もアメリカもそれほど違わないような気がする。  国のリーダーの決め方について、「今のやりかたがベストである」と断定したとき、すでに綻びが始まっているのではないだろうか。  もちろん日本も。

2012年11月10日土曜日

フユシャクの夜に

激しい雨降りが治まったと思ったら、約束していたかのように寒波が来た。  今朝、外気温は10℃あったが、どんどん下がり続け、昼には5℃を切った。  今、夜の10時半。外気温は4℃である。  阿寒からは初雪が降ったと知らせがあった。    そんな冷え込みの中をフラフラと飛ぶ小型の蛾がいる。  フユシャクたちだ。  鮮やかな色をしているでもない。奇怪な姿をしているでもない。  鱗翅目という大きく派手なグループの片隅にひっそりと属している。  学者たちでさえその存在に気づかない種も含まれる。  ひそやかな、ひそやかな生命。    消化器も持たない。  口もない。 何も食べず、何も飲まず、  ただ生殖のためだけに羽化した虫たち。  動かぬ雌から発せられる  かすかな匂い  匂いとも言えぬ分子の震動を頼りに  フユシャクたちが飛び回っている夜。  しずかにしずかに更けていく

2012年11月9日金曜日

自然を商品にするということ

 「アミューズトラベル」という会社の名前に記憶があった。  あの、トムラウシ遭難事故を起こした会社だ。  数年前、斜里岳に登ったことがあった。  頂上に着いて一休みし、下山にとりかかった。  山頂から尾根伝いに下り、鞍部に至り、そこからいよいよ沢に入ろうとした時、下から登ってくる大きなパーティーがあることに気づいた。30人以上いたと思う。  皆が、沢筋から尾根に出るための最後の急坂に取り付いていた。 僕らは、その集団が登り切るまで、沢へ下るのを待っていた。 やがて尾根に登り着いた一行の顔を見て驚いた。全員顔が青ざめ、おぼつかない足取りで宙を踏むようにして歩いているではないか。 「幽鬼の群れ」という言葉が頭に浮かんだ。  山では、だれにでも挨拶するのが当たり前だから「こんにちは」と声をかけた。  「こんにちは」と応えてくれた人は、5~6人に一人だった。  他の人々は、挨拶も出来ないほど疲労困憊していたのだ。大部分がけっこうな高齢の方だった。 ああ、これがよく耳にした「弾丸登山ツアー」というものか、と思った。  中国河北省張家口市郊外の「万里の長城」近くで日本人観光客らが遭難し、北九州市の男性を含む60~70代の日本人男女3人が亡くなった。  このツアーを企画した会社が、2009年に北海道・トムラウシ山遭難事故で8人が死亡したツアーも企画していた。  夏のことだったが天気の急変による雨で体温が急激に低下し「ハイポサーミア(低体温症)」による犠牲者が出たのだ。  ずっと以前から疑問に思っていた。登山を商品にすることは、正しいことなのだろうか。  山に登るということは、山と向き合うことを通して自分自身と向き合うことだと思っている。  ただ、それをする舞台が「山岳」という自然条件のきわめて厳しい場であるので、何よりも安全であることが求められ、そのためには自然への深い理解と知識、経験、技術などを要する。  これらは、登山者一人一人の努力によって学ばれ、身に付けられていくもので、周りから与えられる、あるいはお金で買い取れるものでは断じてない。  ところが、登山をディズニーランドや名刹巡りと同列の旅行商品としてパッケージにして安易に売り出す旅行業者が増え、中には安全面への配慮を欠く事例が時々問題にされる。  斜里岳で遭遇したツアーも、聞くところによると1日目は羅臼岳に登り、2日目に斜里岳、3日目は雌阿寒岳または雄阿寒岳に登るのだという。  あの「幽鬼の群れ」も翌日は阿寒に向かったことだろう。 登山ツアー全部が悪いとは思っていない。  的確なリーダーに率いられて、簡単にいくことの出来ない遠くの山に登り、自分の普段のフィールドとの違いを楽しんで自然の奥深さと多様さを堪能するような、ツアーも少ないだろう。  だが、「登山ツアーは儲かる」ということで他社との競争心から、安直な企画をしている旅行業者は、いないだろうか?  いるからこのような事故が起こるのではないか。  さらに山小屋での場所取り、料理人の同行と食材をアルバイトにボッカ(運搬)させるツアーも少ないと聞く。 そして、なにより儲けを最優先させるような業者は、山の環境を保全していくことなど考えもしないのだ。  自然を畏れ敬う人々なら注意深く自制的な行動を保つだろう。  「儲かればいい」という旅行業者が、そこまで良心的に行動するなど絶対に信じられない。なにしろ客の生命さえ危険にさらすのだから。 これも会社間の競争を煽る新自由主義の招いた現象の一つである。

2012年11月8日木曜日

狂った大臣を任命する狂った首相を選ぶ狂った組織・・・・

田中真紀子文部科学大臣は、不認可と判断していた札幌保健医療大など3大学の新設を認可した。これにより3大学の来春開学が正式に決まった。 わずか6日間で「不認可」から「認可」へ180度変わったわけである。  「不認可」の理由はもっともらしく付けられていたが、大学設置審議会などで設立の基準を審議し、「問題はなく、設置を認可すべき」とされていたものをひっくり返してのものだった。  「乱暴な決定だ」という批判が相次いだことで、取り下げざるを得なくなったのであろう。  先日、札幌保健医療大学への進学を希望している生徒を抱えている、ある高校の先生と出会って話をしたばかりだったこともあり、田中大臣の「不認可」の判断を批判的に見ていた。  欲と利権が絡み合ったダム建設や道路の建設などとは全く違った質の問題で、将来ある若者の進路に関わる決定である。  教師は「魂の技術者」とか「聖職」などと呼ばれることがあるのは、これから来る時代を生きていく人々を育てる職業であるからだろう。  文部科学大臣は、もちろん教育者ではないが、少なくとも教育政策に責任を持つ最上位の立場にある。  前任の大臣の在任期間とはいえ、長い時間と膨大なエネルギーを注ぎ込んで準備を重ねてきた大学の開学を思いつきのような(としか思えないが)唐突さで、ひっくり返すというやり方は、あきらかに権力の濫用、権力の私物化と言うしかない。  権力者は、一旦その座に就くと、なんでも好き放題に出来る、と錯覚してしまうものなのだろうか。  人間の本性とは、大体がそのように浅ましいものなのだろうか。  今回、最も迷惑を被ったのは大学進学を控えた若者たちである。彼らは、多感なこの時期に、文相の気まぐれで自分の運命が二転三転したことを一生忘れないだろう。  これは、決して教育的な事ではない。  こんな大臣を文相に選ぶ民主党もおかしな政党だが、そんな政党を支持している日教組も全く理解できない。正気の沙汰ではない。 文相は、たとえ詫びたとしても、許されるものではない。  責任をとるのなら辞めるしかあるまい。

2012年11月7日水曜日

アメリカの大統領選挙結果なんて、急いで知る必要なんか無いべっ!

 今日のNHKは、朝から嬉しそうにアメリカ大統領選挙の開票日であることを報じていた。  正確には数日前から、たびたび報道していた。テレビは全く見ていない。車に乗った時、ラジオでニュースを聞くくらいなのだが、何度もこのニュースが耳に入ってくるということは、かなりの頻度で報じているのだろう。  いよいよ開票日当日になって、通常の番組を中止し、編成を変えてまで報じていた。ほとんどリアルタイムで「開票速報」と言って差し支えなかろう。  これだけ集中的に選挙結果を報じられたら冗談では無しに、ここはアメリカの一部なのだ、という気がしてくる。  本当にそう思わせることを狙っていると思わざるを得ない。 少なくとも日米関係は、何よりも重要であるという考えに国民を誘導するうえで絶大な効果があるだろう。  オスプレイの問題も、米兵による暴行事件も、アメリカ軍の駐留を止めればあっさり解決する。  日本の権力者は、国民がそれに気づくことを極度に恐れているのだろう。「米軍撤退」の選択肢を必死に隠そうとしているに違いない。  実際、多くの人々に、この「アメリカ大事」という考えは確実に浸透している。  (このような表現は問題があるかも知れないが)政治の問題など日頃あまり考えていないような人々でさえ、「日米関係は大切」という幻想に取り憑かれている。 アメリカの大統領選挙をまるで我が国の出来事であるかのように伝える、NHKのこのような姿勢は、確実に世論形成に影響しているのだ。  それが意図的なものであったなら、由々しき問題と言わなければならない。売国的とも言えよう。  夕方のニュースで、大統領選結果に関するインタビューに、ごく普通っぽい若い男性が  「日本の安全のためには、沖縄の米軍の役割は重要だと思う」と答えていた。  聞きながら思わず  「それなら東京に駐留させればいいべっ!」と叫んでしまった。  クルマの中で、たったひとりだったが。  とにかく、大統領選の報道に接するたびにむかっ腹の立つ一日だった。

2012年11月6日火曜日

今夜、羅臼で「歌は風。沙漠も海も国境も軽々と越えていく」

 その歌手は、コンサートの終わりにこう呟いて、最後の曲を歌った。 彼女の歌は、羅臼町内にある小さな店いっぱいに、時には切々と、時には情熱的に力強く、また、時には底抜けに陽気に響きわたる。  伴奏のアコーディオンがヴァイオリンのように、あるいはラッパのように、またあるいは、打楽器のように歌に寄り添っていた。 昨日、突然、友人からこんなメールが届いた。 「ご無沙汰しています、突然ですが、明日なんと羅臼でロシアの囚人が作ったバラード というか、ブルース、ってジャンルがあるんですが、これを歌っている石橋幸さん、っ ていう人のコンサートがあるそうです!   この人新宿のゴールデン街でガルガンチュアっていうロシア業界じゃ有名な小さな店 をやっていて、ロシアに招かれてコンサートもやる有名な人です。(以下略)」  生きる苦しみと悲しみ、愛する歓び、人生のあらゆるシーンが歌になっていく。  それも当然。ほとんどすべてがロシアの歌でロシア語で歌われているのだ。  ロシア革命前、ツァーリ(皇帝)の支配するロシアで過酷な暮らしを強いられる人々。  ロシア革命によって、解放されたと思うのもつかの間、スターリンの独裁体制による監視と密告、厳しい文化統制で窒息を強いられる生活。  第二次世界大戦でのナチスドイツの侵略。2000万人もの犠牲者を出したと言われている。  そんな厳しい条件の中でも、時には官憲の目をかい潜り、時には国外から、人々を励ます歌が、風のようにロシアの大地に吹き続けていたのだ。 多くの日本人に親しまれているロシア民謡ではなく、ロシアの普通に人々の間で歌い継がれてきた歌を中心に、18曲の歌が歌われた。 昨日の夜に、このコンサートのことを初めて知ったのだが、即座に行くことに決めた。そして、しみじみと行って良かったと感じている。  帰りにクルマの中で、僕の頭の中では、うろ覚えのロシア語の歌詞がグルグルと回転していた。  このコンサートを企画してくれた羅臼のKさん。  そして、通訳仲間の友人からの情報をわざわざ僕に伝えてくれた親友のFさん。  もちろん、歌手の石橋幸さんとアコーディオン奏者の後藤ミホコさんに深い尊敬と感謝を捧げたい。

2012年11月5日月曜日

札幌の銘菓

 毎年、この時期に札幌で買うお菓子がある。  円山に近い古い市街地にある老舗の和菓子店がある。  その店で作っている菓子で、果物のブドウを砂糖の衣で包んだだけのごくシンプルなものだ。  口に入れると程よく溶ける砂糖の甘みとブドウの香り、わずかな酸味が上品に広がる。 「どうだ!甘いだろう!参ったか!エイ!エイ!」という押しつけがましさが全く無い。 「菓子」の「菓」は、元々「お茶うけなどの食用にされる果実」だからこれこそが和菓子の原点であるようにも思える。  もうずいぶん有名になり、人気も高まり、最近はやや品薄気味になってきているのが気がかりなほどだ。  だから、知っている人も増えているだろう。  もう30年以上も昔、学生時代に円山地区で暮らしたことがあった。その当時は、十月下旬頃から作られ始めるのを楽しみに待っていて、買いに行ったものだった。  菓子の構造上大量生産は、不可能なようで、円山にあるその店以外では絶対に買えない。 商業主義真っ盛りの昨今で、インターネットやアンテナショップ、一流デパート・ホテルなどで、全国の名物が買える時代だ。  そんな風潮に背を向けるかのように、創業した店(おそらく)のみでしか販売しないという方針を貫いているこの菓子店とその看板の銘菓に拍手を送りたい。

2012年11月4日日曜日

合同教研から

精神病棟での会話  男A「俺はナポレオンだ」  医師「ああ、そうですか。証拠は?誰が決めたんですか?」  男A「神が決めたのだ」  男C「俺がいつ、そんなことを決めたんだ」  いま、国会や政治家を見ていると、このジョークを思い出す。  いっそのことみんな揃って治療を受けたらどうだろう。  今回の滞在は、合同教育研究集会に参加するためだった。  いつも「環境・公害と教育」という分科会だった。  その中で、とりわけ強く感じたこと。  化学物質過敏症とか、低周波振動による健康障害などの問題も多く提起されていた。  水俣病やイタイイタイ病などの公害病も初めのうちは原因がわからず、原因が分からないことを隠れ蓑に企業の都合だけが優先されてしばらくの間、公害物質との因果関係が明らかにされないままに放置された経緯がある。  だから、化学物質過敏症や低周波振動障害、電磁波過敏症などもこれから、その因果関係が明らかになっていくかも知れない。その可能性を保留したままで、なおかつ感じたことである。  それは、発電用大型風車や携帯電話の中継局などを建設する時に、建設を進める側がその立地に隣接する住民と間で、十分なコミュニケーションをとったうえで合意を形成しているようなケースはほとんど無い、という事実だ。  今日、ふと思ったのは、低周波振動や電磁波の障害を訴えている人の何パーセントかは、これらの公共事業が、十分な説明や話し合いをせず、「すでに決まったこと」としてトップダウンで強引に進められた結果、受け止める側の心理的なストレスの昂進によって、より激しい症状が出ているのではないか、ということだ。  つまり、不安定な体調変化で悩まされている人々の幾人かは、日本社会の公共事業の進め方の拙劣さの犠牲になっている人々ではないだろうか、と考えたのである。  もっと厳密な検証が必要だ、とは思うが、いずれにしても「権力」を持つ側の傲慢さ、強引さが引き起こす日本的な歪みの一側面ではないだろうか。

ディベロプメントということ

札幌にいる。 強い風が時雨をもたらし、ビルの陰で落ち葉をくるくると巻き上げている。  冬の足音の聞こえる札幌だ。  午前中、合同教育研究集会のテーマ討論「アイヌ副読本書き換え問題を考える」に出席。討論に聴き入った。  副読本の書き換えに圧力を加えた勢力が、どのような背景を持ち、どのような狙いをもって教育現場に介入しようとしているか、この「副読本問題」を通して、よく見えてきたように思う。  同時に今後の「さらに厳しい闘い」も予感させられた。  だが、その反面、闘志が湧いてくる自分の内面も感じた。  午後から、北海道ユネスコスクール研修会に出席。  印象的だったのは、北海道ユネスコ連絡協議会会長 大津先生の挨拶だ。  ESD(Education for Sustainable Development)の邦訳が  外務省は「持続可能な開発のための教育」と言い、  文科省は「持続可能な成長のための教育」として、「対立」がつづいていて、現場の先生や生徒は混乱するばかりだ。  しかし、「develop」という単語は「Envelop」であること。  それは何かが(封筒などに)しまわれ、隠されているところから、その包み(封筒など)を開いて取り出すことが「develop」という本来の意味であること。  成長というのは、隠された能力や可能性をそれを包んでいる封筒から取り出し、花開かせることことだ、という意味である。  だから、どちらの訳が正しいかなどという議論は意味のないことで、私たち教育に関わる者は、子どもたちの隠されている能力を花開かせるために努力しなければならない。  おおむね、このような内容だった。  久しぶりに、学ぶところの多い集まりであった。

2012年11月2日金曜日

帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!

 もう、何度もニュースで流れているだろうが、沖縄で、アメリカ兵が一般の住宅に入り込み、そこにいた中学生を殴るという事件が起きた。  つい先日。女性を暴行する事件が起きたばかりで、米軍の「反省と自粛」の態度を示すため、夜間外出が禁止されていた中で起きた事件だ。  外出禁止が形骸化していることは以前から指摘されていたが、アメリカ軍の方にも、少しは「はばかる」態度があるのかと思っていた。  戦闘の場に臨めば、生命のやりとりをするのが軍隊だ。軍隊として行動する場面では、規律に絶対的に従う行動が必要となる。たとえ戦場に行っていなくても、日常的にそのような訓練をしている。  それによって起きるストレスは想像できないほど大きなものだろう。兵士の心は、荒れる宿命から逃れられないのだ。それが「戦争をする人間」の当たり前の姿だ。  だから、休暇を与え、リラックスさせる時、羽目をはずす行動を黙認せざるをえない。  命がけの戦争をし、あるいはいつ戦場に飛ばされるかわからない状況下におかれ、緊張を強いられている兵士が、休暇の時も羽を伸ばすことができず、「日米関係の良好を保つため」に模範的な行動をとることなど初めから無理なことである。  その意味で、今回の事件は起こるべきして起きたという面があろう。  だから事件の再発防止を本気で願うなら、米軍に帰ってもらうしかないのだ。  アメリカ軍が駐留している以上、これからも事件は起き続ける。  こんな簡単な理屈がなぜわからないか。  いや、戦後長期間政権の座についていた自民党も、それに代わった民主党も、政治家はそのことをよくわかっているはずだ。  わかっていて自国の国民を生け贄のように差し出すことは許されない。   もう一度言う。  アメリカ軍には出て行ってもらうしかない。  物心ついてからずっとそう思ってきたが、このような歳になっても、やっぱり思う。  今は、確信している。  帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!

2012年11月1日木曜日

朝の原野でトビムシと出会った

 3日間、気圧の谷の中にいて、雨が降っていたが、今朝になって青空が戻って来た。  外気温5℃。ストーブが頼もしい。  今日から11月だ。   朝、犬と共に草地を散歩した。 日陰の草にうっすらと霜が残っていた。  出勤前のほんの30分程度だが、雨が降らない限りなるべく散歩につれだすことにした。  いや、正直に言えば、朝食時から家の中で僕につきまとって離れないから根負けして散歩に連れ出す。  遠くでシカの鳴き声が聞こえてくる。 哀愁を帯びてもの悲しい声なのだが、犬にとっても僕にとっても、その前にシカの居場所が気になる。  獲りやすい場所にいたら獲ってやろうという気持ちの方が強い。  なんと野暮な主従であろうか。    ふと一本のヤナギの幹を見ると小さな小さな白い虫が一匹だけ、ボンヤリと佇んでいた。  粘管目の昆虫 トビムシであろう。1ミリにも満たない小さな体で、腐植質を食べている。  小さな虫だが森林の土壌の生物多様性には欠かすことのできない生物群集だ。 一瞬の出会いがあり、次の瞬間にはもう二度と出会うことのない別れがやって来た。  とるに足らないような虫だが、放射性物質で汚染された地域では、この虫のような微小な土壌動物が、その影響を直接受けている。そして、上位の階層にいる生物ほど汚染物質を数十から数百倍ずつ多く蓄積しているのだろう。  まったく罪のない野生の生物たちの体に。 久しぶりに青空は戻ったけれど,遠い山の上や水平線上には不穏な意志を隠しているような雲が浮かんでいた。 青空が出ているけれど、いつ激しい雨が降ってくるかわからない、油断のならない空模様である。警戒を怠ることはできない。 トビムシの運命とわれわれ国民の運命が重なる。  一人一人の個人に比べて、はるかに大きな力を持っている国家権力は、はたして国民の幸福を守ろうとしているだろうか。  守ろうとしているはずはない。

2012年10月31日水曜日

ハロウィンって何だ?

 朝から「ハロウィン、ハロウィン」とラジオが五月蝿い。  この騒ぎは、最近になって急に大きくなってきたようだ。僕の子どもの頃、青年の頃、あるいは、子育てをしていた頃には、まったく聞くことはなかった。  この俄な盛り上がりはなんなのだろう、とずっと気にかかっていた。  たかが民間行事のことだから、ムキになるのも大人げないと思いながら、正直なところあまり好意的な印象は持てないでいる。 そこで、由来を知りたくなり、ウィキペディアで調べてみた。 <以下ウィキペディアから引用> ハロウィン、あるいはハロウィーン(Halloween, Hallowe'en)は、ヨーロッパを起源とする民俗行事で、毎年10月31日の晩に行われる。西ヨーロッパ古代のペイガニズムにもとづく死者の祭りおよび収穫祭、とりわけケルト人の行うサウィン祭(英語版)に由来するとされている。由来と歴史的経緯からアングロ・サクソン系諸国で盛大に行われ、今日イメージするハロウィンの習俗は19世紀後半以降、アメリカの非宗教的大衆文化として広まったものである。<ここまで>  ははーん、日本には、やはりアメリカ経由で入ってきたのであるな。  個人的な趣味を告白すれば、アメリカが嫌いな僕は、ハロウィンに興じることはアメリカの物真似のように感じて、どうしても反発してしまう。アメリカにもバーボンとかジャズとか良いものはたくさんあるとわかっているし、アメリカ人は明るくて冗談が好きで誰とでも気軽に話をするフレンドリーな人が多いこともわかっている。  だが、アメリカという「国」やその背後にある「資本」には、少年の頃から反発していた。ベトナム戦争、原爆、沖縄、安保条約etc.  第二次世界大戦後朝鮮戦争によってアメリカの対日政策が変わり、以来アメリカの傘の下で再軍備と軍国主義教育を進めようとしてきた保守勢力に辟易しながら過ごした中高生時代の記憶が、今も尾を引いているからだろう。  アメリカの強引で強力な文化攻勢の一つがハロウィンであり、それに無節操な商業主義が悪のりして今の状態が作り出されているように思えてならない。  という具合に無粋なことを声高に叫ぶつもりはないけれど、今夜の僕は、根釧原野の空に昇った17日の月が、雲の影を銀色に浮き立たせるのを静かに眺めて、少しワインでも飲もうかな、と考えている。

2012年10月30日火曜日

台湾のタンチョウ

 尾籠(びろう)な表現で恐縮だが、毎日一回、排泄行為のように文章をはき出している。書き散らかしている。「文章を書く」などという域にも達していないかも知れないが。  しかし、毎日のように書いていると一年前のことが嫌でも目に入る。  昨年の10月30日にこんな事を書いていた。(抜粋して再掲する)  タンチョウを台湾に贈り、動物園で飼育するそうだ。  温暖な土地での繁殖の可能性を探るという口実を付けているが本当は違う。  「暖地での繁殖の可能性」を探る前にやるべき事があるはずだ。  北海道における繁殖可能な土地の拡大や確保をもっと真剣に取り組むべきだ。  国後島や択捉島などタンチョウが自力で移動可能な土地で、繁殖地となりうる場所がまだまだ残されている。サハリンやシベリアにもまだ余裕があるはずだ。  台湾へ贈る本当の理由は何か?  動物園で公開し、観光客の誘致に一役買わせようということだ。  関係者や知事が、はっきりとそう述べている。  知事は、台湾へ飛んで行って、セレモニーで挨拶までしている。  タンチョウは、生残個体の再発見以来、善意の人々が自腹を切って保護増殖活動に取り組み、全国の心ある人々が募金にも支えられてきた。  はじめのうち、行政からの手助けは、ほとんど無いに等しかったはずだ。  やっと1000羽を越える個体数にまで回復させた今、「タンチョウ」という種のためではなく、北海道の観光振興のために利用しようという恥知らずな思いつきで、この蛮行が生まれた。  破廉恥、厚顔無恥、無知蒙昧、カネのためなら何でもしちゃうお調子者の知事のやりそうなことである。  それにしても、暑い土地に連れて行かれ、さらし者にされるタンチョウが哀れでならない。  釧路市民は、このことに何も感じていないのか?  環境省は、釧路に事務所がありながら、この問題を看過するのか?  タンチョウの写真を写している「写真愛好家」の皆様がたは、何も感じないのか?  日本の自然保護行政にまた一つ汚点が加わった。 と、まあこのように悲憤慷慨し悪罵、痛罵、非難囂々で、ブログを書いたのが一年前だ。それから一年。いったいツルはどうしているのだろう。  鳴り物入りで宣伝し、台湾に送られ、その結果がよくわからないままに、皆が忘れているという現状は情けなさ過ぎないか。 嬉しそうに報じていたマスコミも、もうすっかり忘れ去っている。  再び問いたい。  環境省は台湾に送られたツルの現況を具体的に把握しているのか。  釧路市民は、どれほど関心を持続しているのか。  「ツルの写真『愛好家』」の皆様は、台湾にその後の様子を見に行かれたか。  欲と功名心で薄汚れたニンゲンにもてあそばれるツルが哀れすぎる。

2012年10月29日月曜日

石原慎太郎氏への個人的な感情

 東京都知事だった石原慎太郎氏がその職責を途中で投げ出して、国政に復帰すると言い出したことに注目が集まっている。  いろいろな立場の人が色々なことを言っている。  批判的な意見が多いように見受けられる。  これまでの言動から、彼が右翼的で偏見に満ちあふれているレイシスト(人種差別主義者)であることは明白で、そのことへの批判も多い。  それとはまた別の理由で、僕は、彼のことが大嫌いだ。  それは、彼の中にある鼻持ちならぬ過度な東京中心主義と言うより、東京ナショナリズムに対する嫌悪である。  皆が自分の生まれ育った土地に愛着を持ち、自分の住む地域を誇ることは良いことだ。その土地ごとに積み重ねられた歴史があるし、気候的なあるいは、地形的な特徴を備えている。  それは、それぞれが輝いているし価値のあることだ。 だから「善き地域ナショナリズム」を持つことは望ましいと思う。  だが、石原氏のそれにはどうしても違和感を覚える。  「東京が日本の中心で、東京がすべての標準で、東京が何でも一番で、東京の基準で全てが決まる」と心の底で思っているに違いない、と感じる言動が目立つのだ。 この、彼の言葉に口臭のように含まれている意識に反発を覚えるのだ。  断じて違うはずである。  繰り返すが、土地ごとに積み重ねられた異なる歴史があるし、異なる気候的、異なる地形的な特徴を備えていて、そのどれもが、等しく価値のあるもののはずだ。  地域間の関係は水平的であり、上下の関係にはないはずだ。  僕の通っていた小学校の保健室に、空飛ぶ円盤のような直径7~8メートルほどの鉄でできた機械があった。部屋と言っても良い。  それは「太陽灯」という装置で、その中に虚弱な児童を入れて太陽光線に近い光を浴びさせるものであると説明されたのを覚えている。  虚弱とは縁遠かった僕は、その中に入った事はなかったし、かなり時代がかっていたその古めかしい装置が稼働しているのを見たこともない。  考えるに、戦前の遺物だったのではないだろうか。 そして、その太陽灯はいつの間にか保健室から姿を消していた。  石原さんの作る新党の名前がどんなものになるか、野次馬的な話題を集めているが、彼の(唯一の)代表作「太陽の季節」にちなんで「太陽党」が良いのではないか、という意見がツイッターに書かれていた。  僕も賛成する。  戦前の遺物太陽灯とイメージが重なるから。

2012年10月28日日曜日

原野のシカ

 今朝、5時半に起き、原野に出かけた。  猟期に入ってから、シカたちは、人間の気配に敏感になっている。今朝も500メートル離れた所にいた群れが、こちらに気づいて全速力で逃げ去った。  猟期でない時には10メートルの距離でも悠然としているし、逃げる時もモソモソという感じでゆっくり距離をとる。まったく小憎らしい奴らではあるが、野生で生き残っていくには、そのくらいの敏感さと図々しさが必要なのだろう。  20年以上も昔、バイカル湖畔の小さな集落で過ごした時のことを思い出した。  「明日の朝、シカを見に行きましょう」と言われた。  翌朝、まだ暗いうちに起こされた。  徒歩で、30分くらい山道を登って尾根筋に出た時、案内してくれたアレクセイというロシア人に姿勢を低くして、絶対に話しをするなと言われた。  こちらも緊張して息を殺してじっと待っていた。  やがてアレクセイが黙って向かい側の斜面を指さしたので、よく目を凝らしてみると小さな小さな赤い点が生い茂る樹木の間に微かに見えた。シベリアで見た初めてのアカシカであった。狩猟圧のある地域のシカは、警戒心が強く単に見るだけでもこれほど注意深く行動しなければならないのだなあと感心したものである。  その頃、エゾシカの個体数は現在よりはるかに少なく、山を歩いていてもめったに出会えるものではなかった。  あれから二十数年、これほどまでに個体数が増え、それが農業被害や環境問題になろうとは、想像だにできないことだった。 そのシカたちも、猟期になるとさすがに人間の動きに敏感に反応する。  自らが生き残るためだから当たり前なのだが。  ヒトとシカのあるべき距離というのは、人と自然のあるべき距離そのものだ。

2012年10月27日土曜日

野生を敵に回すべきではないとわかっているのだが

北緯43度22分41秒52  東経145度16分55秒56 の地点における本日の日の出 5時47分。同じく、日没 16時16分。  悔しいことに、16時16分を過ぎるとエゾシカがどこからともなく集まってくる。  他の地域より遅れ、わが家のある別海地区では、今日からエゾシカ猟が解禁となった。 今日は、久しぶりに一日中家にいたし天気も良かった。  こんな日に、1頭くらいの猟果があれば、冬場の食料をしっかり確保できると思い、時々原野に出て見回っていた。  予想していたことだが、日中、彼らはまったく姿を見せない。虚しく原野ウォークを積み重ねただけだった。  そして、日没直後、複数の群れが滲み出るように現れて草を食べ始めた。  時は既に日没を過ぎていて、発砲できない時間になっていた。  一昨年には、庭のフジ棚やリンゴ、ブルーベリーやサクラなどを食べ尽くされて甚大な被害を受けた。ウマのための牧草も手ひどくやられた。  シカと闘う日々はまだ終わりそうにない。

2012年10月26日金曜日

オーストリアの美術館で買った塗り絵のこと

 先月、ウィーンの美術館で世界的な定番の絵本「はらぺこあおむし」の塗り絵を買ってきた。  孫たちのおみやげにするためだった。  離れた所に住んでいるので、なかなか手渡す機会がなく、郵送することにした。  荷造りをするために、今日、それをあらためてじっくりと見たのだが、実によくできていると思った。  ほぼ絵本のストーリーの通りに、塗り絵が続いている。青虫が次々にいろいろな食べ物を食べていく、核心部分は、子どもが青虫になりきってごちそうに色を塗る様子が容易に想像できて、白紙に描かれた黒い線のみの絵を眺めているだけでワクワクしてくる。  このような幼児向けの教材が、日本ではどうして開発されないのか、残念に感じられた。 日本では、子ども向けの「文化」は一大複合産業で、テレビ番組・菓子・玩具などが一体となり、強力な宣伝によって普及している。  毎年、秋に新番組がスタートし、新しいヒーロー(どれも似たようなものだが)と新しい「武器」が登場する。そして、暮れのクリスマス(クリスマスが日本にあること自体が奇妙なのだが)に向けて、それらを模した玩具が発売される、という循環が繰り返されているのだ。  はっきり言えば、おもちゃ産業が子どもを食い物にして成長しているのだ。  そこには、玩具産業の成長はあっても、子どもたちの健全な成長は無い。 子どもを「これから発達し、未来を担う人格」とみなすなら、子どもをダシにしてお金儲けをしようなどという企業に、この国のより多くの人々が批判的であるべきだ。  それによって、企業の側も、より質の高い子どもの文化の創造を担っているという自覚が生まれてくるだろう。  これから、どうしていくのが一番良いのかを考えなければならない。

2012年10月25日木曜日

山を見に行く

 本州を覆う高気圧の勢力圏に入っていて朝から晴天だった。  日陰に霜が残ってはいたが、気温はそれほど下がっていないようで、日なたでは、暖かく感じられるほどだった。  朝、出勤前にアファン(犬)を連れて、散歩した。  草地からササの原野を通り湿地を通って林を抜け、馬の放牧地に出て家に戻ってきた。  道などあるはずがないのだが、細く踏み痕がついていて、多くの動物が利用しているのがわかる。  アファン自身に行きたい方向を選ばせながら歩いた。彼女には獣道がよく見えるようで、湿地でも薮でも、最も歩きやすいルートをとって先導してくれた。 「蛇の道はヘビ」という言葉があるが、「獣道はケモノ」ということだろうか。  生き物の能力は、それぞれでニンゲンが何でもかんでも優れているという訳ではない。わかっていたことだがあらためて思い知らされ嬉しくなった。  昼間、「野外活動」の授業だった。  抜けるような青空に雪をまぶされたような羅臼岳が美しかったので、予定を変更して知床峠まで行ってきた。  気持ちがくさくさした時は山を見に行くに限る。登ればもっと良いのだが。  羅臼岳の山頂は一度雪に覆われたが、先日の暖気で一旦融け、二度目の冠雪である。  目測で海抜900メートル付近まで、雪が来ている様子だった。  9月末、バイカル湖の上空を飛行機で飛んだ時、バルグジン山脈の頂が雪に覆われているのが見えた。    冬は、高い空からやって来るのだなあ、などと考えながら峠を下った。  「高き空よりわれは来たれり」というバッハのコラールがあった。 原題は「Vom Himmel hoch, da kommich her」バッハ作曲 オルガンコラール BWV 701 であった。  高い空から冬とともに、人類のおごりと勝手な振る舞いを正す、強い力が来ないかしら、とちらりと思った。   小さなことで気分が揺れる自分が恥ずかしく思われた。

2012年10月24日水曜日

多文化共生の時代に

 先週末の休日、散歩中にヤナギタケを見つけた。  笠の裏のひだが濃い茶色で、ちょっと見たところ食べられるかどうかアヤシイのだが、バター焼きにすれば美味しい。  カヌーで川を下りながら、川の上にせり出したヤナギの枝や幹に生えているものをよく食べていたので、他の種と間違えることはない。  数少ない「自信を持って食べられるキノコ」の一つである。  標準和名はヌメリスギタケという。  キノコや魚など身近で食材などに利用されている生物は、名前をたくさん持っている。一種類の生物に名前がたくさんあれば、混乱が生じ研究活動を進める時に障害になる。そのために統一した名前が必要で、それにはラテン語またはラテン語化した言葉で学名として記述される。そして、名前の付け方は「国際生物命名規約」で厳密に決められていて、研究者はそれを使っている。 日本国内では「標準和名」というものが決められていて、図鑑や論文に用いる時に一定のガイドラインとして各学会で決められた名前が使われている。  標準和名を「正しい名前」、それ以外の伝統的に使われてきた呼称を「俗名」とか「間違った呼び方」などと表現する傾向が一部にある。  研究者が学術的な場面で用いるためには、共通の標準的な呼称は必要だと思うが、その生物と永い関わりをもっていた人々の間で使われている名前も、それなりに「正しい」名前ではないか、とふと考えた。  そう言えば昔、共通語(断じて標準語ではない。日本語に「標準語」は存在しない)を「正しいきれいな言葉」とし、方言を「間違った汚い言葉」と蔑んだ時代があった。今でも少し残っているかも知れない。  われわれは、もう少ししなやかな感性を身につけて、互いの違いを認め合う文化を育てた方が良のではないだろうか。  これから多文化共生の時代だと思うのだ。  僕にとっては、これからも「ヌメリスギタケ」は、「ヤナギタケ」なのである。

2012年10月23日火曜日

ソーシャルメディアとモーゼ

あなたは自分のために刻んだ像を造ってはいけない。天にあるもの、地にあるもの、水のなかにあるものの、どんな形あるものも造ってはいけない。それにひれ伏してはいけない。それに仕えてはいけない。(出エジプト記 20:4、「モーセの十戒」)  前線を伴った低気圧が通過し、夜半から激しい雨が降った。朝がたから昼頃までは低気圧に吹き込む南風のために気温があがり、生温かいほどだったが、低気圧が太平洋上に抜けた夜からは急速に冷え込みつつある。  ただ、之を書いている午後9時で外気温はまだ14℃ある。  季節の変わり目である。次々と低気圧が通り過ぎていく。  いま、知床の森の樹木は、日ごとに葉の色を変えていく。  気温の変化によって起きる現象だとはわかっていても、全体が一斉に変化していく有様は、そこに何らかの意志が介在しているかのように思わせるものだ。  昨日、久しぶりにTVをつけてNHKのニュースを見たが、それに続く番組で「ソーシャルメディア依存症」のことを取り上げていたので、そのまま見続け、最後まで見てしまった。  フェイスブックやツイッターなどインターネット上のソーシャルメディアにはまり込んで、目覚めてから寝るまでPCやスマートフォンを手放せず、家事や育児にも支障が出ている人のことを紹介していた。そこから切り離されると不安になってしまうのだそうだ。  それを研究している医師もいて、なぜ依存症に陥るのかを解説してくれていた。  FBやツイッターなどをしていて、1時間~2時間があっという間に過ぎてしまった覚えのある人は少なくないことだろう。さらに激しく、これらの世界にのめり込む人々もいることだろうから、このような依存症が生じることは理解できる。  そして、TV番組でそれを報じ、「ソーシャルメディア依存症」という名前まで付けてしまうと、この症状はもう立派な?病気として公認されることになる。 (精神科医は、このような依存症や発達障害の諸症状に名前を付けてメシのタネを増やし ているのではないか?などとひねくれた解釈をしたくなるが、それはさておき)     モーゼが神から示された十戒の一つに「偶像崇拝をしてはならない」というのがある。 ソーシャルメディアに限らず、さまざまな「依存症」は、その依存する対象を偶像として崇拝している状態にたとえることができると思った。  新しい技術には、必ず負の面も伴っている。それは一枚の画の表裏のようなもので、ソーシャルメディアの中に作られる仮想の社会に浸りきってしまう人々も生み出してしまうのだろう。「偶像を崇拝するな」という啓示は、それだけにとらわれないようにしなさい、という警告だと思うのだ。  逆に言うとモーゼの時代から、その種の人々は存在していたことになる。   あらゆるモノは、特により便利で有用なモノほど人の生活に役立てられるために考え出されたはずだし、実際に多くの人がその恩恵に浴している。  ソーシャルメディアも歴史の古いマスメディアに代わる新たなツールとして登場し、その力によって国家の古い体質を変えたり独裁政権を倒すほどの力を発揮している。 (NHKが「ソーシャルメディア依存症」を取り上げたのは、日本国内でこれ以上ソーシャルメディアを普及させないためのキャンペーンではないか、という解釈も成り立つ)  ソーシャルメディアに限らず、あらゆる「形あるもの」を崇拝し、それにひれ伏してはいけないのだ。  ものごとを注意深く考えることが大切であろう。

2012年10月22日月曜日

ARCTICA号 ただいま故障中

 羅臼岳に冠雪が見られた。  今シーズン初めて見た。  「雪をまぶした」などというヤワな状況ではなく、海抜700~800メートルより上は、完全に冬山の景色になっている。知床の冬はいつもこうなのだが。  先月からアルクティカ号の調子が良くない。  具体的には、左右の前照灯、尾灯、車幅灯、そしてインパネの照明灯など夜間に走るための灯火類がまったく点灯しなくなっていた。  おそらくヒューズであろう、とヒューズボックスのヒューズを手当たり次第に点検したのが、異状は見つからなかった。  困り果てて、昨日、ボンネットを開け、目についた黒い箱を開けてみると、中に3センチくらいある巨大なヒューズが4本おさまっていた。 「オッ!」と思い早速一本ずつ抜いてみたところ最後の一本が見事に切れている。  まず、間違いなくこれが原因だと思われる。30アンペアのメインのヒューズというようなものが設けられていたのだ。  故障の原因は突き止めたが、肝心のヒューズがなかなか手に入らない。ダメ元でホームセンター、自動車用品店などを探したが、予想通り売られていなかった。  今日、職場の帰りに立ち寄った中標津町の自動車部品専門店にも無かった。だが、そこで、町内のFという自動車電装品専門店を紹介してもらった。  そこでそのF電装に立ち寄ってみた。工場はもうシャッターを下ろしていたが、事務所にはまだ、灯りが点っていて、社長さんとおぼしき人が応対に出てくれた。  サンプルに持参した切れたヒューズを一目見て、彼の口から 「ああ、それならあるよ」という言葉が返ってきた時は、ほとんど諦めていただけにとても嬉しかった。  その超巨大ヒューズは、大きさの二乗に比例するくらい高額で、社長さんが申し訳なさそうに値段を言った。そして、切れたヒューズを子細に観察して、電気回路のどこかに異状があるかも知れないので、先にそれを点検してから交換することを勧めてくれた。  このような商売上の売り上げとは別に、初対面の僕に対しても故障の原因を取り除き、安心してクルマに乗れるようにしてあげようという職人気質が、なんとも嬉しかった。  新しいヒューズを入手できたヨロコビもあるが、こういう温かい人に出会った嬉しさの方が、ずっと大きい。

2012年10月21日日曜日

ハクチョウとタコブネと

今日は「ハクチョウの日」である。  「ハクチョウの日」とは、僕が勝手に呼んでいるハクチョウの群れが多数渡りをする日のことだ。  11月上旬のよく晴れた日などに最大羽数の渡りが記録されるが、今日はそれよりも早く渡る個体群の集中移動日だったようだ。  一般的なハクチョウの渡りでは、まずシーズン最初に数羽のハクチョウがやって来る。  そんな群れは、道東には数日しか滞在しないで、そそくさと南下することが多い。  いかにも「先兵斥候」という感じの素早く機動的な群れだ。  その後を追うようにやや大きな群れが飛来する。数十羽の単位でその年生まれた幼鳥も含まれている。「斥候」を送り込んできた「先遣隊の本隊」だろうか。  今年は、今月の10日過ぎ頃に「斥候」が到着し、15日過ぎてから「先遣隊」が到着しだした。  今日は、その「先遣隊」の本隊の移動日だったのだろう。20羽~40羽の大きな編隊が、いくつも通り過ぎた。  おそらく今日で、日本にやって来たハクチョウは千を越えたことだろう。  この後、11月上旬に最大の部隊が移動してくることだろう。   ハクチョウが飛び交う風蓮湖の上空を眺めながら、海岸に出て貝殻を拾っていた。家の前のぬかるみに敷きつめようと思って、少しずつ貝殻を拾ってきては撒いているのだ。  波の音を聞きながら拾っていると、芸術的なあるいは幾何学的な構造を持った美しい貝殻があった。調べてみるとアオイガイ(Argonauta argo) という名の軟体動物の殻であるらしい。  通称タコブネ。南の温かい海に生息している。  北からのハクチョウを風が運び、南からのタコブネは海流が運んで来て、ここで出会った、というわけだ。

2012年10月20日土曜日

停電がやって来た来た

朝、6時前、「ピーッ ピーッ」と1秒おきくらいに鳴る電子音が聞こえてきた。まだモヤのかかっている頭でぼんやりと考える。 「ああ、これはパソコンのバックアップ電源の警報音だなぁ・・・・むにゃむにゃ」 「えっ!あれ? 停電かな?それともブレーカーかなぁ?」 「ったく!」などと毒づきながら 外気温0℃にまで冷え込んでいる中を起き出して厳寒の配電盤を確認に行く。  以前、漏電ブレーカーが作動してわが家だけが「停電」になったことがあったのだ。その原因は、排水口がつまっていたために溜まった水を汲み出すために設置した水中ポンプだったので心配は要らないのだが、電気が停まるとわが家だけなのかこの地域全体なのかを確認しなければならない。  配電盤を見ると異状は無く、「立派な停電」であることがわかった。  昨日、北電のウソを暴き、「停電なんか怖くない」とここに書いたからだろうか。効果テキメン。北電さんも小ブログの読者だった、などということはあり得ないか!  こうして土曜日の一日がスタートした。  真っ先に考えたのはコーヒーの淹れ方だった。  「コーヒーメーカーは使えないから久しぶりにドリップで淹れよう、よぉーしっ」などと張り切った。  それにしても寒いのでもう一眠りしようかとベッドに潜り込んでウトウトして、目が覚めた時には、電気が復旧していた。  別に怖いことなんかない。不便なことなどもない。  ごく日常的な休日の朝の出来事である。

2012年10月19日金曜日

北海道における電力会社のウソ  そして暖房自立のすすめ

 いま、北海道では北海道電力による「電力不足デマゴギー」が盛んに広げられている。 泊町にある原子力発電所が稼働していない状態で初めての冬を迎えるということで、原発再稼働を画策する勢力が張り切って展開している。  北電の予測するピーク時の需要が563万kWで、供給能力が596万kWだから、供給余力は33万kWしかないので、火力発電所などがトラブルに見舞われたら需要が供給を上回ってしまうというのがその言い分だ。  だが、それは小学生でもわかるほどのウソだ。  まず、火力発電が原子力発電よりも故障を起こしやすいという根拠が全く示されていない。「火力発電でトラブルがあったら」といいう仮定を成り立たせるためには、火発の脆弱性(そんなものがあればの話だが)を具体的に示さなければならない。  大幅に譲歩して火力発電がトラブルを起こしやすいものだと仮定しよう。  原発の出力に比べて火力発電の出力ははるかに小さい。そのために火力発電所はあちこちに建設させれ、数で勝負している。たとえトラブルが起きても影響は小さく抑えられる。リスク分散されていることになるからだ。  さらに、トラブルからの復旧時間を比べててもいい。原発が深刻なトラブルを起こせば何ヶ月にも、時には一年以上も運転できないだろう。     次に、電気の使い途はどうだろう。  現段階で町の広告や「ホワイトイルミネーション」などという飾り立てることに浪費される電力は相当な量に及ぶのではないだろうか。  使い途を吟味しないで、いきなり 「冬の北海道で電気が停まれば生命に関わる」と断定するのは乱暴すぎる。 さらに、暖房に電気を用いることそのものへの疑問を拭いきれない。 暖房は、可能な限りペチカや薪ストーブにすればいい。これらの暖房器具を設置する人に補助金を出すなどして普及を図ればよい。  わが家でも、薪ストーブと芯で燃焼させる石油ストーブを用意していて、停電が何時間続いても、暖房については何の心配もない。  暖房のために原発を稼働させるのではなく、道民一人一人が暖房についての停電対策をたてればそれで済むことなのである。  だいたい、僕の住んでいる地域は吹雪のために停電することは、普通にあることなのだ。 停電なんて怖くない。  いや、ほとんどの人にとって、停電よりも放射能の方がはるかに怖いではないか。

2012年10月18日木曜日

全快しました!

 朝8時、釧路の病院へ行くために家を出た。  6月にバイクでエゾシカと衝突した怪我の治療のためだ。  肋骨の骨折の方は、知らぬ間に治っていて、痛みを感じなくなってからかなり経っている。鎖骨もほぼ完治に近く、医師から海外に出かけても差し支えない、と言われてはいたが、治療に責任を持つ立場から最後の見極めをする必要があったのだろう。今日の通院が指示されていた。  家を出て間もなく、頭上を3羽のオオハクチョウが飛び過ぎた。今年初めて見るハクチョウだ。北西の方向から飛来したということは、昨夜くらいにサハリンを飛び立って、今、風蓮湖に到着したのだろう。 「よく来た。お疲れ様」と心で呼びかける。  病院は思いの他の混雑で、けっこう長時間待たされた。やっと呼ばれて診察室に入ると担当の医師は、レントゲン写真を満足そうに眺めながら 「もう、骨の痛みはありませんよね」と念を押した。 「全くありません。肩の周りの筋肉がまだ元に戻っていないだけです」 「ああ、それは、長期間バンドで固定していたからやむを得ないですね。リハビリテーションの指導を受けていってください。通院は、今日でおしまいにしましょう。何か問題が出たら、また、いつでも来て下さい」  こうして、6月6日の深夜に運び込まれたこの病院との縁が切れた。  自分でも状況が信じられないほどだった。  自分の身体が、自分のものではないような不思議な感覚だった。  病院で目覚めた朝、ベッドから立ち上がろうとして立てなかった時のショックも忘れられない。  衝突直前のシカの顔。救急車のサイレンや振動。入院、点滴、誰かに介助してもらわなければ全ての日常生活が成り立たないという状況。全てが生まれて初めての経験だった。  気を失って路上に横たわっている僕を見つけて救急車を呼んでくれた人。  救急隊員。怪我の程度を的確に判断してくれた最初に運び込まれた病院の医師や看護師。そして搬送先で受け入れてくれた病院のすべての職員。中でも病棟の看護師や医師、見えない所で食事を調理してくれていた人々や駐車場で交通整理をしているおじさんたちまで、僕がここまで回復するために、いったいどれだけの人々の努力やはたらきが注がれただろう。  もちろん職場の仲間や友人たち、肉親や家族の心労は言うまでもない。  あらためて、みな様に感謝したい。  本当にありがとうございました。これからは、取り戻すことの出来た健全な身体と健康を大切にしていきたいと思います。  帰り道、振り返ると美しい夕焼けの雲が浮かんでいた。

2012年10月17日水曜日

羅臼高校 第7番教室

 怪我をしていたということもあるが、今年の夏のヒグマの出没状況が異常に多かったため、裏の山に入ることができなかった。  9月18日にこの付近を徘徊していた一頭が捕獲されたのを最後に、この一ヶ月間は目撃例がないということだったので、今日、生徒を連れて山に入ってみた。  笹原の急斜面についたシカ道に沿って登ると海抜200メートルほどの台地に出る。ホウノキ、カツラ、ミズナラ、トドマツ、エゾマツ、キハダなどなど、他種多様な樹木が思い思いに林立する林の中は、しんと静まりかえり、適度な湿度と暖かさで心地よい空間とである。  地面を見れば赤や白、黄色や茶色、オレンジのキノコが顔を出している。足跡、ニオイ、糞などから動物の気配を探る。シカ以外は目立っていないが、遠くの樹の幹でアカゲラが食事中だった。少し歩くとエゾリスが枝から枝へと渡っていた。樹木の間をカケスが器用に飛び回っている。  それ以外、特に大型の野生ほ乳類の気配はない。それでも周囲を警戒しながら生徒たちに「解散」を指示した。  彼らは、三々五々散っていく。藪の中に分け入る者、樹木の皮をめくってみる者、ドングリを探す者、最初のうちは一箇所にかたまっていた集団が徐々に離れて行った。  この場所を僕らは「7番教室」と呼んでいる。校舎内には普通教室が6室あるので、7番目の教室という意味だ。最初は、僕が冗談で口にしたのだが、意外に生徒の気に入り、今ではその呼び名が定着したようだ。  同じように、積雪期に山スキー実習をする場所が「8番教室」となっている。  林の中につけられた獣道を歩くうちに倒木更新が行われている場所を通りかかった。主にトドマツやエゾマツなどの種子は、直接地面からは発芽しずらい。古い倒木が腐り始めた頃にそれを苗床代わりにして稚樹が育つのだ。天然の森林はそうやって世代が更新されていく。  いつでもこの場所では倒木更新の話をすることにしている。  巧まざる自然の仕組みのひとつなのだが、老木が倒れた後で若い世代を育てるというところが、人間社会にも比喩的に当てはまるから皆、感心して聴いてくれる。  だが、説明しながらふと考えた。果たして、今の人間社会の「倒木」は若い世代を伸びやかに育てる環境を作っているだろうか。地球の資源を自分たちの世代だけで使い尽くす、放射能をはじめ様々な長寿命の有害物質を環境に垂れ流して、平気でいる。  北海道の山ならどこにでもあるありふれたトドマツの倒木にさえ及ばない下卑た社会に成り下がってしまったのではないだろうか、と。

2012年10月16日火曜日

風によせて

桃色の衣に被われていた マユミの実が その衣の隙間から 深紅の実をのぞかせ 側溝の所々に佇んでいる 大陸から たっぷりと冷気を含んだ高気圧が来て 脊梁山脈から風を吹かせる 風は知床の山を下って 谷で速度を上げ 体当たりするように海面にぶつかる 僕たちには 根室海峡へと走り去る 風の足跡が見える ユーラシア大陸で生まれた冷たい風の ここは終着点なのだ シベリアの透明な湖の岸で生まれた風たちが ずっと旅してたどり着く ここはそんな海であるのだ 思惑やはかりごとを凍らせ 欲望を震え上がらせる風が これからやって来ることを ふれ回るように風が走っていく 根室海峡 風よ 南へ向かえ 南の島に渦巻く 塵芥を吹き飛ばしてしまえ

2012年10月15日月曜日

「ニンゲンはカビだ」という結論が出されるまで

 羅臼高校二年生の選択科目「環境保護」。 生徒の間で「難しい」というウワサが流れて、このところ選択者が少ない。今年度は男子ばかり3名で開講中。  前時まで黒澤明作品の「デルス・ウザーラ」を観おわった感想を話し合っていた。  極東・ウスリー地方の先住民と二十世紀文明との出会いを描いた、探検者アルセーニェフの手記「デルスー・ウザラー」を元にした映画で、自然環境に強く依存して生活するタイガ(密林)の先住民の自然観を考えることがテーマだ。  それを受けて、今日は人類の出現から文明の発生、国家の形成などについて1学期に学んだ内容をさらい、「ニンゲンとは何か」というテーマへの導入にした。  この先は、哲学的な内容に入って行く。 「ニンゲンとは何か、あまり深く考えずに、思いつくままに一言で表してごらん」と問いかけた。  さまざまな答が出された。 「ニンゲンとは『欲』だと思う」 「ニンゲンとは、仲間を求めるものだと思う」 「ニンゲンとは、サルだ」  そこで、僕。 「パスカルは『人間は考える葦だ』と言ったよ」  すると生徒の一人が訊いてきた。 「先生ならなんて言う?」 (チクショウ!パスカルを出す前に訊いてほしかった!) 「『考える葦』である人間も、頭を使って文明を発達させたけど、地球規模の環境問題を次々に起こしているね。このままでは地球環境はニンゲンによって食いつくされてしまうかも知れない。地表を蝕むカビみんたいなものだな。オレに言わせれば『ニンゲンは地球のカビである』だね」 Aくん 「じゃ、『ニンゲンは考えるカビである』だね」 Bくん 「考えが足りないから問題をおこすんだよナ。」 Cくん 「じゃあ、『ニンゲンは考えないカビである』か?あれ?『考えないカビ』ならただのカビということになる。『ニンゲンはカビである』ということか!」 ハァ!

2012年10月14日日曜日

恋問の浜でクジラを供養する

昨夜、斜里町ウトロの世界遺産センターで、しれとこ100平方メートル運動35周年行事のひとつとして講演会があった。 講師は、前環境省自然環境局長の渡辺綱男さん。知床の世界遺産登録に尽力した人だ。 講演の中で、渡辺さんが紹介してくれた司馬遼太郎の言葉が、とても印象に残った。 これからの日本を何とかするために 国民の80パーセントが合意できることを 日本人みんなで決めて、それをみんなして 守っていくことにしたらどうだろうか。 (対談の相手:そんな80パーセントで合意できることってありませんよ) いや、ひとつだけある。 自然をこれ以上壊さないことだ。 これだけは合意しようとすれば、 日本人は合意できるのではないかな。                   (司馬遼太郎の対談より) この通りの政治を政府が行っていれば、日本は今頃、もう少しまともな国になっていたであろう。 未明から天候が回復し、秋晴れの一日となった。釧路へ行く用ができ、出かけた。  時間があったので、久しぶりに恋問の海岸へ、太平洋を見に行った。  幅の広い汀線が、延々と続く景色は久しぶりだ。根室海峡とは違った海を楽しむことが出来た。  海岸のテンキグサの群落を見ると、クジラ類の椎骨がいくつも転がっている。  まだ歳若い個体のもののように思われた。  衰弱して、海岸に打ち上げられて死んだのか、  死んでから波に運ばれてきたのか、  大型の動物は、骨になってからも目立つ。   まだ死ぬことがなければ、今頃はまだ、太平洋のどこかを遊弋していたであろう。  そう思うと哀れだ。  供養の意味で、骨たちを集め、持ち帰ってきた。
漂着の鯨へ 波のレクイエム 風の祈りと砂の装い

2012年10月13日土曜日

反「反科学」論 ②

 昨日の小ブログに「反『科学』論」と題して書いたが、内容は授業の実践記録になってしまった。  寝る前の、疲労困憊した頭で書き始めたので、自分の言いたいことが自分でもわからなくなったような文だった。(いつもお粗末だが)  要するに、統計の解釈によって、受け取る側の印象を狙い通り操作できるということを知っている高校生がいるという事実を伝えたかったのだ。  その上で、彼が、どうやってそのことを知り得たのかに興味を感じた。  ひょっとしたら昨年の原発事故以来発表される胡散臭い数値や「科学的」とされる資料に対して、疑心暗鬼になっている大人社会の気分が感受性豊かな若者にも反映しているのではないか、と考えた。  もう一点、かなり以前から「理科離れ」が心配され非合理主義にはしる若者の増加が指摘されていたが、昨年の原発事故以来、その質が変化しているように思うということも伝えたかった。  どう変化しているのかというと、先に述べたように統計の数値や測定値そのものへの不信感が増したように感じるのだ。  その背景には、「数値は、操作出来るのではないか」という不信感の広がりあると思う。  いずれにしても、人類にとって幸福なことではないような気がする。

2012年10月12日金曜日

反「反科学」論

 「△は、どうしよう?」  「野外観察」の授業で、僕は問題をこう投げかけた。  先日、海岸で観察してきた漂着物の分析をしていた。  海岸で集めたゴミのうち、漂着物と非漂着物を分け、漂着物の占める割合を推定するのが今日の目標でだ。ゴミのリストを作り、漂着物には○、非漂着物には×をつけて区別した。非漂着物とは、つまりは誰かが海岸に捨てたゴミのことだ。  ところが圧倒的に多くのゴミがどちらとも言い難い△になってしまった。  たとえばペットボトル。  ロシア製のものや韓国製のものは、漂着したと推定できるが、日本製のものであれば、漂着したものもあるし、誰かが海岸に捨てたと考えることもできる。  △が少量であれば、一つの項目としてそのまま記載しても良いし、統計上無視することもできる。しかし、全体の量の半分以上を△が占めているのだ。 そこで「△はどうする?」と問うたのだ。  二年生7名が受講している。彼らは、真面目だが、口の重く、なかなか自分の意見を発表してくれない。そこでまず、この問題について仲間同士で話し合って頭と心のウォーミングアップをさせようと思ったのだ。  期待通り、話し合いは徐々に盛り上がりを見せた。  最初に、 ①「ゴミを集めたときに、現場でよく観察、話し合って、できるだけ○か×に分類する。」 という案が出された。もちろん正論である。皆が賛成した。  次に ②「△は、独立して扱うべきだ」という意見と ③「△は、非漂着物に入れてしまおう」という意見が出た。 ②と③は対立した意見だから話し合いを深める必要がある。                         (狙い通りだゼ!) ②の意見は、事実をそのまま統計に反映させるのだから、その意図はわかる。  どうして③のような意見が出るのか興味を感じたので提案者に質問した。すると、  「△を×と一緒にすることで、非漂着物の数値が上がり、町民が自分たちの海岸を汚し ているという事実が強調されて、海岸美化の意識を高める効果が上がると思うのです」 提案者のMくんが堂々と述べてくれた。  内心、僕は舌を巻いた。高校生にもなると、こういう発想もできるのだ。  つまり、統計の目的まで先読みして、その目的に沿った形で統計をまとめようというわけだ。彼の説明には説得力があった。7人の生徒のうち6人が彼の案を支持した。②の案を提案したTくんも支持にまわった。  ただ一人、Uさんは疑問を投げかけた。  「統計は、できるだけ事実に近い方がいいのではないか」と。 (たとえ一人きりでも自分の意見を曲げない彼女の態度には感心した。日頃、みんな無口だけど、いい生徒達じゃないか、と思った。)  これは生徒の提案だから、力で退けるわけにはいかない。  結局、この問題は、次の授業時間まで持ち越して、議論を深めることにした。つまり結論は先送りとなった。  「野外観察」という科目は羅臼高校の自然環境科目群の一つの学校設置科目であり、学習指導要領にその内容が決められているものではない。 「科学的な自然観を身につけるために、野外において実践的な自然観察を体験する」というような目的で設置されている。だから歴とした「理科系」の授業だ。 だから統計も、できるだけ観察事実に基づいて、事実が反映されるように行わせたい、と僕は、個人的には願っている。  だが、一方で生徒たちの考えも尊重せねばならない。この授業の行方も気がかりなのだが、同時に僕は別のことを思っていた。  いま、少なくとも日本において「科学」が力を失っているのではないだろうか。  十年か二十年前からそのような傾向が見られると感じていたが、昨年の福島第一原発の事故によって、その風潮が決定的に広がって、科学への不信から反感にまで達しているように思う。  反「感」であるからそれは科学的根拠など無いのが当然である。  様々な分野で科学的なものを否定する考え方、行動、解釈が広がっている。  奇妙なのは、その種の反科学情報や反科学的感情が、科学技術の最先端の成果が投入されているインターネットの世界を伝わっているという事実だ。  これらの傾向は、感情的な動きであろうからいずれは沈静化していくと思う。沈静化させるためには、「科学は、事実だけに基づくものである」ということを徹底させるしかないだろう。  ただし、「事実」を見誤らせるために、統計が意図的に操作されることはありうるし、歴史の重要な局面では、その手段がよく用いられた事実を知っておく必要がある。  来週の「野外観察」  口の重い生徒達が、この問題にどう結論を出すか、楽しみでもある。

2012年10月11日木曜日

イカの季節

 イカが獲れはじめた。  秋になると根室海峡でイカ漁が始まるのは毎年のことだが、今年は少し遅れ気味のようだった。  昨日あたりから急にイカ釣り船が増え、夜の海が漁り火で真昼のように明るくなりはじめた。イカ釣り船の集魚灯がまぶしくてよく眠られない、と職場の同僚がぼやいていた。  ぼやきながらも町に活気が生まれることに、どこか嬉しさがまじっているようだったが。  今朝、さっそく獲れたてのイカを持ってきてくれた人がいて、数匹のイカを持ち帰った。 1匹はすぐに刺身に、2匹はマリネに、他は解体後皮を剝いて冷凍した。新鮮なゴロ(肝臓)と足や耳は塩辛にした。  塩辛は、イカの身とゴロと食塩だけで作る。  新鮮なゴロにはタンパク質分解酵素が含まれていて、筋肉のタンパク質を分解してアミノ酸を生産する。それが塩辛の旨味となる。それには、何よりも新鮮なイカが必要で、僕は、秋のこの時期、前浜でのイカ漁を心待ちにしている。  ところで、大量の塩辛を作っても塩辛ばかりをおかずにするわけにもいかないだろう、と言われる。そんなことはない。少量ずつ分けて冷凍しておき、少しずつ食べる。そして、何より茹でたジャガイモに塩辛を載せて食べるのが最高なのだ。人生のヨロコビと言っても過言ではない。  今日は夜半から雨になった。寒冷前線が上空を通過している。雨が上がると気温も一段と冷え込むに違いない。冷え込んだ海上で、イカ漁はこれから最盛期を迎える。漁師たちの厳しい労働にも感謝して、塩辛を味わわなければ。

2012年10月10日水曜日

建築はアートでなければ

 ウィーンの街に「Hundertwasser Kunstbauwerke」という看板があり、写真のような建物が建っている。看板の意味は「フンデルトヴァッサーのアートビルディング」とでも訳すのだろうか。  オーストリアの画家で建築家のフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーがウィーンに建築した公共住宅である。  オーストリアの人気テレビ番組「願いをかなえて」(1972年)にフンデルトヴァッサーが出演した際、彼は自分の夢を「植物と共に生きる家を作ること」と語った。家の模型を作り、人々に「植物と共に生きてこそ人間は、よりよい生活を送ることができる」と訴えた。  それを受けて当時のウィーン市長が、1977年、フンデルトヴァッサーに自然と共生する公共住宅の建設を依頼した。  しかし、フンデルトヴァッサーはイメージした建物は、従来の建築理論と相容れない常識外れのものであったが理解を示す建築家が現れ、1983年に建設が始まり、1986年に完成した。  専門家の中には悪趣味だという意見もあったが、入居希望者が殺到し、大評判となったという。 完成から現在まで、訪れた人を楽しませるカラフルでリズミカルな外観、至る所に植えられた植物は成長を続けている。フンデルトヴァッサーの思いが詰まった独創的な住宅である。  当時、一緒に作業した建築家のペーター・ペリカンは「確かに彼は建築家ではなかったが、哲学者だった。自分の造りたい家のビジョンをしっかり持っていた。例えば家を建てると地面がなくなる。その代わりに屋上に地面を作り、植物を植える。これが重要だ」と語っているという。  このようなリズミカルで有機的な曲面からなる建造物は、スペインのガウディの建物が有名だが、フンデルトヴァッサーさんのこの建物も、同じ系列に属するものだろうか。  日本だったならば、建築基準法がどうだとか、景観上の問題が・・・などと言い出す人がいて、絶対に建てられないかも知れない。  あるいは、奇をてらって周辺の景観を無視して独善的な「変わった建物」になるかも知れない。  今回訪れたウィーンの「Hundertwasser Kunstbauwerke」は、派手な色使いで奇妙な外観でありながら不思議に周囲の街並みに溶け込んでいた。  さすがは「芸術の都ウィーン」だけのことはあるなあ、と感心したものである。