2013年5月21日火曜日
少子化バンザイ!
日本の少子化を心配する声が強い。政府は具体的な対策も打ち出している。マスコミでもまるで大災害が来るかのように取り上げられる。
「少子化はあってはならないこと。絶対に回避しなければならないこと」という常識がすでに出来上がっている。
だが僕はこれは胡散臭いプロパガンダではないかと思う。
少子化し、人口が減少したらどんな事態が起きるだろう?
まず、経済的な生産性が落ちる。
それは理解できる。
それから年金や健康保険を支える働き手の負担が増す。
それもわかる。
他に何があるだろう?
まさか、苦しい、汚い、危険な作業の担い手がいなくなる、なんて言わないよな。それらを海外からの労働力に頼って、階級社会を認め奴隷制度を復活させる、なんてことはないだろうな。
人口が減少したら良いこともあるのではないか。
渋滞や過度の混雑、通勤地獄などが解消されゆったりと気持ちの良い暮らしができるのではないかな?
ニュージーランドやノルウェー、シベリアで感じた土地の広大さ、手つかず(手をつける必要のない)自然豊かな地域の広さが日本でも味わえるようになるだろう。野生動物も暮らしやすくなるはずだ。
学校も教室の面積を広げ廊下の幅も広くとれるようになるに違いない。学級定員だって今よりずっと少なくすることが可能になろう。(本当は今でもしようと思えばできるのだけど)
困るのは、モノを売る人(企業)たちだろうか。市場が小さくなって、売り上げが減るだろう。居酒屋とかカラオケ店なども困るだろうか。
しかし、消費の規模が小さくなることは環境への負荷も小さくなることを意味している。GDPなどの数値は下がるかも知れないが、それらはどうも見かけだけの数値のように思う。年金や保険の負担だって、根底から発想を変えれば今と同じ割合で現役世代に頼る必要はなくなるだろう。
こうなると、人口減少は良いことの方が多く、困ることはあまり無いように思われてくる。少なくとも人口減少社会が来ることを怪獣が襲来するかのように恐れる必要は無いのではないか。
以上のようなことを今日、同僚と話し合った。
すると人口の母集団が小さくなると、優れた頭脳の持ち主が生まれる確率も小さくなるのではないか、という危惧が出された。一理あると思った。
だが、実際にはどうなのだろう。例えばノルウェーの人口は約500万、スウェーデンが1千万弱、アイスランド31万、アメリカ合衆国約3億人だ。
これらの国のノーベル賞受賞者数と人口に占める受賞者の割合を概算してみた。
(2013年1月現在 ノーベル賞公式サイトを参照した)
ノルウェー 9 約55万人に1人
スウェーデン 31 約31万人に1人
アイスランド 1 約31万人に1人
アメリカ 326 約95万人に1人
フランス 56 約110万人に1人
イギリス 108 約55万人に1人
ドイツ 81 約98万人に1人
日本 18 約510万人に1人
となる。アメリカなどは帰化した人も多いから単純に比べることはできない。しかし、これらの数字から日本でも、学校、社会、家庭の教育を何とかすることで、人口が減少しても優れた頭脳が誕生する確率が減る、とは言い切れない。
本ブログはまもなく以下のブログに移動します。 http://blog.livedoor.jp/kirinoyura/
2013年5月6日月曜日
「指差し、確認、喚呼」と人間性と安全運行
一昨日、羽田空港への移動は京急線を使った。
先頭車の一番前の座席に腰掛けていると、若い男性の声で何かを叫んでいるのが聞こえてきた。
都会では、相手が目の前にいないのに、独りで何か呟いているような人がたまにいるので、最初のうちは気にならなかった。しかし、断続的に聞こえてくるその声が、いつまでも止まないので、耳をそばだてて言葉を聴き取ろうとしてみた。
すると、
「第一閉塞、進行」とか「大森海岸、場内進行」と言っている。運転室で運転士が信号を確認する声だった。
「なーんだ」と思うと同時に、ふとある疑問が浮かんだ。
多数の人の命を乗せて走る電車の安全を確保するためには、声を出して信号を確認するこの方式は、非常に効果的だとされている。その通りだろうと思う。しかし、自分以外の人間のいない密室で、機械を相手にして信号を指さし、大声で確認している運転士の姿は見ようによっては、人間ではなく「電車」という機械システムの一部に組み込まれた部品のような不気味さを感じさせるものでもある。
言うまでもなく大量輸送機関の使命の第一は、「安全」である。そのために運転士に声を出して確認するよう求めること、そう教育することは有効であろう。だが客室にまで聞こえるほどの大声を出す必要があるのだろうか。なんとなく、「当社の運転士は、このように声を出して信号を確認しておりますヨ。どうです?いかに安全な電車であるか、わかるでショ」と、会社から過剰にアピールされているように感じてしまうのだ。
つまり、本当に安全のためではなく、会社のイメージ演出の手段として無理強いされているように感じたのである。
おそらく社内の規定などによって、半ば強制的に声を出して確認することを迫られているのだろう。声の質が無機的で、人間らしさが伝わってこない。
それでも、鉄道という交通機関に、人間らしい温かさと柔軟さが欲しいと思うのだ。それは僕のノスタルジーに過ぎないのかも知れないけれど。
考えてみれば、現代の僕たちは、知らず知らずのうちに特定のシステムに組み込まれ、部品のように扱われて、自らの人間性を圧殺しながら毎日の仕事をこなしていないだろうか。
「指差、喚呼、確認」は、きわめて有効な安全のための動作だということは、理解している。ベテランの運転士は、皆実行していることだろう。それでもなお、この場合には、何とも言えない違和感を感じた。
その違和感は、人間性を失わせる方向でしか働かない「現代社会のシステム」の匂いをかぎ取ったために感じたに違いない。
いろいろなことを考えた、朝のひとときだった。
2013年4月14日日曜日
そろってまとまり整列していると腐朽が進む
退職して時間ができたらゆっくりカヌー作りでもしようと考えて材料をこつこつと集めていた。
僕が作るのはカナディアンカヌーで、幅15ミリ、厚さ5ミリくらいの細い木材を貼り合わせて船体を作る。そんなサイズの材料は市販されていないので、製材所に注文して作ってもらう。以前勤めていた学校の授業で作っていたので、その材料を注文するとき、製材所に頼んで自分の分も作ってもらっていた。
そんな木材を束にして縛ったものを10把ほど、車庫として使っている農業用のD型ハウスの天井から吊して保管していた。
ところが見込みが外れ、退職してもまだ、自由な時間を思うように持てない状態が続いていた。
今日、車庫の中を整理したときにそこに木材の腐りが出ているのを見つけた。驚いてよく調べてみるとほぼ2把の木材が駄目になっていた。実にもったいないことをしてしまった。
農業用D型ハウスと言っても要するに鉄板一枚を貼り合わせたもので、永年の風雪ですっかり錆び、ところどころ穴が開いている。車庫に使っているハウスは特に傷みがひどい。そんなボロいハウスで保管していたために雨漏りがして材料の一部が濡れ、なかなか乾かない箇所があったらしい。
森で育ち、切り出され、町に運ばれ、製材されて、新たな人生に向かおうとしていた木材たちを何も使わぬまま腐らせてしまった自分のふがいなさが情けなかった。せめて冬の暖房に役立ってもらおうと木片を拾い集めた。
それにしても、切り口を揃え、しっかりと束ねていたものが腐ってしまった。考えてみれば同じ形、同じ長さのものをきちんと重ねて縛っていたので一旦水を含むとなかかな乾き難かったのだろう。そこにカビが生え腐朽が進むのは当然のことだ。
ひょっとしたら人間社会も同じかも知れない。
同じ規格、同じタイプのニンゲンを大量生産し、同じ格好で同じ生活をさせ批判を許さず、基準から少しでもはみ出した者は排除する社会は、風通しが悪くすぐに腐敗していくのだろう。
日本では、本当は少し前にそういう時代があった。
今、歴史そのものを書き換え、そういう時代を無かったことにして批判を許さないというヒトが増えているようだ。
それによって、社会の腐朽菌が再び活発になりボロボロに腐らせてしまうことになるだろう。
2013年4月4日木曜日
アニマルからモンスターへのDevelopment
年度始めだから「今年度の方針」なるものを書き起こす作業が増えている。
今日は、朝から「今年度のESDと環境教育の方針」などを書き続けていた。書き続けながら、実は大きな壁に行く手を阻まれていた。いや、正直に言えば今日に始まったことではない。ずっと以前からくすぶり続けていたある疑問だ。それはESDの「D」をどう解釈するか、という問題である。
ESDとは、Education for Sustainable Developmentの頭文字だ。「Education」は教育。「for」は~のための。「Sustainable」持続可能な。そして、問題は「Development」である。この言葉に該当する日本語はたくさんある。「①成長 ②発達 ③開発」などなど。
日本では、外務省は「持続可能な開発」という訳を採用している。環境省と文科省は「持続可能な発展」と訳している。その訳し方からして意図が透けて見える。「Development」は、その誕生から多義性を持たされて採用された言葉だったのだろう。
なぜなら、1970年代、様々の地球環境問題が起こったとき、いわゆる先進国の国家機関や企業が開発途上国で資源を開発し収奪することで環境問題が悪化するという構図があることが指摘された。しかし、途上国の側は、地球環境問題を理由に開発途上国の「発展」を遅らせることで、地球上の貧富の格差を広げることは許されないと主張した。これは「南北問題」と呼ばれた。
「南北対立」の典型を地球温暖化防止のための京都議定書に見ることができる。
このような情勢の下で、より多くの国の合意を得るためには「Development」という言葉は使い易く便利だったに違いない。
以上のことは、かなり以前からわかっていた。今回、さらに気になったのは、「Development」をどう訳すかというような技術上の問題ではない。「開発」にせよ「発展」にせよ、一つの国や地域、社会をdevelopさせようと決める主体はだれなのか、ということだ。当然のことながら、developさせるのは、そこの住民を幸福にさせたいという理由からだろう。もちろんそれが飽くまでも表向きの口実である場合も少なくないが。
とにかく多くの開発援助は、そういう理由を高く掲げて行われる。だが、一つの国や社会の幸福度を第三者が勝手に規定していいだろうか。その国や地域の住民の幸福は、すべて経済学でお金の価値に換算して比べられるのだろうか。
ESDで教えるところの「多文化共生」とか「異質平等」という概念で考えても、地球上にこれほどの民族や宗教がり、多種多様な環境があるのだから、幸福のあり方ももっと多様であっても良いのではないか。
昔、列強と呼ばれた国々が競って植民地を拡大したのは、そこにある天然資源などが欲しかったからだ。いま、開発途上国を援助し、その社会を「発展」させようとするのは、資源が欲しいというところもあるだろうが、それ以上にそこの住民に小金を持たせ、購買力を上げて、いろいろな物を買わせようという、市場拡大への思惑があるからだ。
それほど注意しなくても、ニュースでは、頻繁に「中国は巨大な市場だ」とか、「ミャンマーは、今後大きな市場となる」というようなことを大威張りで言っているではないか。これらの思惑は、欲望ムキ出しの恥ずかしい発想で、そのように正々堂々と大声で言えることではないと思うのだが。
もう、死語になったようだが「エコノミック アニマル」という言葉があった。現代では、「エコノミック モンスター」と呼ぶべきだろう。
2012年12月19日水曜日
NHKラジオの奇妙な放送内容
朝起きて、しばらくベッドから出たくない日々が訪れてきた。
そう長い時間ではないが、目が覚めたら少しの間ベッドの中で、ラジオを聞くことが多い。
先日、NHKで不思議なニュースが紹介されていた。「ワールドリポート」という海外の話題を紹介するコーナーだったと思う。
それは、海外で生活する人が増えているという内容の話題で、マレーシアの記者からの報告だった。報告の趣旨は、次のようなものだった。
海外に長期滞在して生活を楽しむ日本人が増えている。物価が安く、気候に恵まれた海外に長期滞在者する人々は、以前から少しずつ増える傾向にあったが、退職した人たちなど比較的高齢の層が主流だった。
ところが最近になって若い人で長期滞在する例が増えている、というのだ。
次に具体的な事例が紹介された。
30代~40代前半の若年層の長期滞在者の例として2例が紹介された。
いずれも関東圏からの人たちで、一例目は「子どもの教育のため」という理由。子どもがインターナショナルスクールに通って生き生きと学んでいると紹介されていた。そのためにご主人は日本国内での仕事を辞め、無職になって渡航し、個人貿易で細々と収入を確保していると伝えていた。
もう一つの例は、やはり子どもの英語教育のためという理由で、ご主人は日本に残り、奥さんと娘さんだけがマレーシアに滞在している、ということだった。
ぼくは、これら「海外生活を続ける理由」にどうしても違和感を感じた。
うがった見方をし過ぎると言われたら、反論のしようがないが、このどちらの家族も昨年からマレーシアで暮らし始めたという点、それまでの仕事を辞めたり、ご主人を単身で置いてきたりしてまで海外で暮らすのには、もっと切実な「本当の理由」が隠されているように思えてならない。
つまり、放射能から子どもを守りたいという理由だ。
これは、憶測に過ぎない。
また、NHKの取材に対して本人たちが真の理由を隠して「表向きの理由」を告げ、記者もそれを知ってか知らずか、そのまま記事にして放送に乗せたのかも知れない。
あるいは、本人たちは本当のことを言ったのに、NHKが「聴取者への影響」を考慮してその理由をねじ曲げて伝えたのかも知れない。
これだけでは真実はわからないのだが、聞いていてどうにもすっきりとしないレポートだった。そう感じた人も少なくないであろう。
聴取者にそのような疑いを持たせる内容のこの小さな報道は、それだけ雑な取材だったと思う。
単に雑な取材だったとは思えない。
報道する側の自主規制が働いているのだとしたら、これは不気味なことだ。
放射能の怖さは、放射線障害が起きる怖さと社会がそれを怖れるあまり、真実が隠蔽され報道管制や自主規制が日常的に行われるようになる「民主主義を破壊する」怖さとがあると指摘されている。
つまり放射線が社会システムを破壊する怖さだ。
いま、じわじわとそれが広がっている。
2012年7月15日日曜日
映画「ホテルルワンダ」を観た
映画「ホテルルワンダ」を観た。
1994年のルワンダ内戦で、フツ族過激派が同族の穏健派やツチ族を120万人以上虐殺した。その中で、1200名以上の難民を自分が働いていたホテルに匿ったホテルマン、ポール・ルセサバギナの実話を基にした物語である。
ルワンダは第一次世界大戦まではドイツ、第一次世界大戦以降はベルギーの植民地であった。植民地時代、少数派のツチ族を君主及び首長等の支配層とする間接支配体制が築かれ、多数派のフツ族は差別的な扱いを受けていた。
1962年の独立の前にツチ族とベルギーとの関係が悪化し、ベルギーは国連からの関係改善の勧告を無視して社会革命としてフツによる体制転覆を支援した。この結果、ツチは報復を恐れて近隣諸国、特にウガンダに脱出した。
1973年に、フツのジュベナール・ハビャリマナがクーデターを起こした。彼は当初、ツチに対する和解策をとったが、やがて反ツチの傾向を強め、ウガンダに逃れたツチ系難民がルワンダ愛国戦線 (英:RPF、仏:FPR) を組織して、ウガンダを拠点に、フツのハビャリマナ政権に対する反政府運動を活発化させた。
RPFは、1990年10月には、ルワンダ北部に侵攻し、内戦が勃発した。
1993年8月、ルワンダ愛国戦線の猛攻と国際世論の高まりにより、アルーシャ協定が結ばれ、和平合意に至ったものの、1994年4月、フツのジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領とを乗せた飛行機が、何者かに撃墜されたことに端を発して、フツによるツチの大量虐殺が始まった。
1994年7月に、ルワンダ愛国戦線がツチ系の保護を名目に全土を完全制圧し、フツのパステール・ビジムングを大統領、ツチのポール・カガメを副大統領(のち大統領)とする新政権が発足し、紛争は終結した。
フランス政府が、虐殺側に立ったフツの援助を組織的に行っていたなど、冷戦時代からの名残を引きずった西欧諸国の思惑が、事態を悪化させたという面もある
なお、ルワンダ政府は、後にフランスがカガメを戦争犯罪者として告発したことなどを理由に同国と国交断絶したが、2010年にニコラ・サルコジ大統領がルワンダを訪問し、(ハビャリマナ政権に対して)外交的・軍事的な後押しをしたことについて「大きな判断の誤りがあった」と、虐殺に関する責任の一端があることを認めている。
フツ族とツチ族は、元々は同じ言語を使い、農耕民族であるか遊牧民族であるかという違いでしかなく、貧富の差がそれぞれの民族を形成するなど両者の境界は曖昧であった。 遊牧業が主な生業であったツチは、牛を多数所有するなど比較的豊かであった。しかし、ベルギー人をはじめとする白人による植民地支配がはじまると、鼻の大きさや肌の色などを基準に境界が作られた。ツチは「高貴(ハム系あるいはナイル系)」であり、対するフツなどは「野蛮」であるという神話・人種概念を流布(ハム仮説)し、ツチとフツは大きく対立し始めた。
元々、穏やかに共生していた民族が、植民地政策によってお互いを憎みあうように仕向けられた結果、起こった紛争の一つの典型例である。歴史、伝統を破壊されたことによって生まれる争いもある。2001年、この紛争は鎮静化に向かいつつある・・・しかし内戦で徹底的に破壊された経済は、再建の見通しは、なかなか立たない。
ホテルの支配人だったルセサバギナの自伝が2006年4月に出版された。舞台となったホテル「オテル・デ・ミル・コリン」は、現在では営業を再開している。撮影のほとんどは南アフリカで行われた。
(以上、映画解説等から一部引用)
このような事件は、あちこちでしばしば起きている。遠い別世界の出来事ではない。オウムによる無差別殺人もあったし、間近では大津市の中学生へのいじめ事件がある。関東大震災の時のデマに基づく朝鮮人虐殺もあるし、南京大虐殺もある。ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦もあった。
カンボジアのポルポト一派による大量虐殺、ヴェトナム戦争におけるあまたの虐殺事件、そして、ナチスによるユダヤ人虐殺。広島や長崎への原爆投下も同じ行為だろう。
人間は、なぜ、ここまで残虐で冷酷になれるのだろう。
心の中に憎しみの対象を作ることで、人は特定の行動に駆り立てられやすくなる。これがしばしば世論操作や扇動に利用されている。
先日、タレントの母親が生活保護を受給していた問題をマスコミや国会で取り上げ、一斉に袋だたきにした事例なども、このような心理を利用したのではないだろうか。
自分を省みても、誰かを憎む時、真剣になっている自分がいる。
それは、やむを得ない場合もあるかも知れないが、それと同じくらいに真剣に人を愛することができたら、皆がそうできたら、人間はもう少しマシに変わることができるかも知れない。
1994年のルワンダ内戦で、フツ族過激派が同族の穏健派やツチ族を120万人以上虐殺した。その中で、1200名以上の難民を自分が働いていたホテルに匿ったホテルマン、ポール・ルセサバギナの実話を基にした物語である。
ルワンダは第一次世界大戦まではドイツ、第一次世界大戦以降はベルギーの植民地であった。植民地時代、少数派のツチ族を君主及び首長等の支配層とする間接支配体制が築かれ、多数派のフツ族は差別的な扱いを受けていた。
1962年の独立の前にツチ族とベルギーとの関係が悪化し、ベルギーは国連からの関係改善の勧告を無視して社会革命としてフツによる体制転覆を支援した。この結果、ツチは報復を恐れて近隣諸国、特にウガンダに脱出した。
1973年に、フツのジュベナール・ハビャリマナがクーデターを起こした。彼は当初、ツチに対する和解策をとったが、やがて反ツチの傾向を強め、ウガンダに逃れたツチ系難民がルワンダ愛国戦線 (英:RPF、仏:FPR) を組織して、ウガンダを拠点に、フツのハビャリマナ政権に対する反政府運動を活発化させた。
RPFは、1990年10月には、ルワンダ北部に侵攻し、内戦が勃発した。
1993年8月、ルワンダ愛国戦線の猛攻と国際世論の高まりにより、アルーシャ協定が結ばれ、和平合意に至ったものの、1994年4月、フツのジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領とを乗せた飛行機が、何者かに撃墜されたことに端を発して、フツによるツチの大量虐殺が始まった。
1994年7月に、ルワンダ愛国戦線がツチ系の保護を名目に全土を完全制圧し、フツのパステール・ビジムングを大統領、ツチのポール・カガメを副大統領(のち大統領)とする新政権が発足し、紛争は終結した。
フランス政府が、虐殺側に立ったフツの援助を組織的に行っていたなど、冷戦時代からの名残を引きずった西欧諸国の思惑が、事態を悪化させたという面もある
なお、ルワンダ政府は、後にフランスがカガメを戦争犯罪者として告発したことなどを理由に同国と国交断絶したが、2010年にニコラ・サルコジ大統領がルワンダを訪問し、(ハビャリマナ政権に対して)外交的・軍事的な後押しをしたことについて「大きな判断の誤りがあった」と、虐殺に関する責任の一端があることを認めている。
フツ族とツチ族は、元々は同じ言語を使い、農耕民族であるか遊牧民族であるかという違いでしかなく、貧富の差がそれぞれの民族を形成するなど両者の境界は曖昧であった。 遊牧業が主な生業であったツチは、牛を多数所有するなど比較的豊かであった。しかし、ベルギー人をはじめとする白人による植民地支配がはじまると、鼻の大きさや肌の色などを基準に境界が作られた。ツチは「高貴(ハム系あるいはナイル系)」であり、対するフツなどは「野蛮」であるという神話・人種概念を流布(ハム仮説)し、ツチとフツは大きく対立し始めた。
元々、穏やかに共生していた民族が、植民地政策によってお互いを憎みあうように仕向けられた結果、起こった紛争の一つの典型例である。歴史、伝統を破壊されたことによって生まれる争いもある。2001年、この紛争は鎮静化に向かいつつある・・・しかし内戦で徹底的に破壊された経済は、再建の見通しは、なかなか立たない。
ホテルの支配人だったルセサバギナの自伝が2006年4月に出版された。舞台となったホテル「オテル・デ・ミル・コリン」は、現在では営業を再開している。撮影のほとんどは南アフリカで行われた。
(以上、映画解説等から一部引用)
このような事件は、あちこちでしばしば起きている。遠い別世界の出来事ではない。オウムによる無差別殺人もあったし、間近では大津市の中学生へのいじめ事件がある。関東大震災の時のデマに基づく朝鮮人虐殺もあるし、南京大虐殺もある。ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦もあった。
カンボジアのポルポト一派による大量虐殺、ヴェトナム戦争におけるあまたの虐殺事件、そして、ナチスによるユダヤ人虐殺。広島や長崎への原爆投下も同じ行為だろう。
人間は、なぜ、ここまで残虐で冷酷になれるのだろう。
心の中に憎しみの対象を作ることで、人は特定の行動に駆り立てられやすくなる。これがしばしば世論操作や扇動に利用されている。
先日、タレントの母親が生活保護を受給していた問題をマスコミや国会で取り上げ、一斉に袋だたきにした事例なども、このような心理を利用したのではないだろうか。
自分を省みても、誰かを憎む時、真剣になっている自分がいる。
それは、やむを得ない場合もあるかも知れないが、それと同じくらいに真剣に人を愛することができたら、皆がそうできたら、人間はもう少しマシに変わることができるかも知れない。
2012年5月23日水曜日
フラッシュバック!原子力空母「エンタープライズ」佐世保寄港反対闘争
雨が降るという予報を信じて、バイクで行くことは諦めた。夕方になってほんの少し、言い訳のような雨が降った。粒の大きな雨で、クルマのフロントガラスに音を立ててぶつかり砕け散っていた。
雨粒を見つめながらぼんやり考えていた。
雨は、
必ず
降る。
あの日も、
雨が
降った。
あの日・・・
佐世保港にアメリカの原子力空母エンタープライズが入港する日だ。
日本に寄港した、最初の原子力空母。
激しい反対運動が、その前に何度も何度も繰り広げられた。
1967年秋から1968年1月にかけてのことだった。
昭和43(1968)年1月19日、米第7艦隊所属の
原子力空母エンタープライズが長崎・佐世保港に入港した。
エンタープライズは、世界最初の原子力空母で、基準排
水量7万5700トン、原子炉8基を持ち、F4ファント
ム戦闘機などを70~100機積載できる。
原子力潜水艦は佐世保や神奈川・横須賀に寄港したこと
があったが、原子力空母が日本に寄港するのは初めて。当
時艦載機がベトナム戦争の空爆に参加しており、労働組合
や学生らが、ベトナム戦争への加担や、核持ち込み疑惑な
どを問題にして入港を反対するデモを連日展開し、警官隊
とたびたび激突した。 (この部分「毎日新聞」記事から引用)
エンタープライズの入港を突破口にして、寄港の回数が
徐々に増え、ついには横須賀が原子力空母の母港になるこ
とについても、さほどの大きな抵抗は生じなかった。
日米政府は、激しい抵抗が予想される場合、最初は遠慮
がちに、小出しに実行し、少しずつ「慣れ」を作っていき、
終いには大胆に開き直るというやり方をいつも用いてきた。
その手法は、今も全く変わっていない。
その背景には、「日本の国民の大多数を占める無知で愚
かな階層は、こうやって馴らして行くのがもっとも有効」
というエリートたちの強固な思い込みがあることは明らかだ。
高校生だった僕らは、
その出来事を見ていた。
そこに権力の本性を見た。
権力は、巧妙に「世論」を操作しながら
反対する勢力が怯みを見せると
態度を豹変させて襲いかかってくる。
そんな卑怯で、姑息で、屁ナマずるく、
それでいながら、侮れない力を持っている、と。
そんな腐った側に立つ生き方は、絶対にしないと
あの映像から学んだ。
40年以上の歳月を経て、
あの時の思いが、
突然よみがえってきた、知床の海岸だった。
雨粒を見つめながらぼんやり考えていた。
雨は、
必ず
降る。
あの日も、
雨が
降った。
あの日・・・
佐世保港にアメリカの原子力空母エンタープライズが入港する日だ。
日本に寄港した、最初の原子力空母。
激しい反対運動が、その前に何度も何度も繰り広げられた。
1967年秋から1968年1月にかけてのことだった。
昭和43(1968)年1月19日、米第7艦隊所属の
原子力空母エンタープライズが長崎・佐世保港に入港した。
エンタープライズは、世界最初の原子力空母で、基準排
水量7万5700トン、原子炉8基を持ち、F4ファント
ム戦闘機などを70~100機積載できる。
原子力潜水艦は佐世保や神奈川・横須賀に寄港したこと
があったが、原子力空母が日本に寄港するのは初めて。当
時艦載機がベトナム戦争の空爆に参加しており、労働組合
や学生らが、ベトナム戦争への加担や、核持ち込み疑惑な
どを問題にして入港を反対するデモを連日展開し、警官隊
とたびたび激突した。 (この部分「毎日新聞」記事から引用)
エンタープライズの入港を突破口にして、寄港の回数が
徐々に増え、ついには横須賀が原子力空母の母港になるこ
とについても、さほどの大きな抵抗は生じなかった。
日米政府は、激しい抵抗が予想される場合、最初は遠慮
がちに、小出しに実行し、少しずつ「慣れ」を作っていき、
終いには大胆に開き直るというやり方をいつも用いてきた。
その手法は、今も全く変わっていない。
その背景には、「日本の国民の大多数を占める無知で愚
かな階層は、こうやって馴らして行くのがもっとも有効」
というエリートたちの強固な思い込みがあることは明らかだ。
高校生だった僕らは、
その出来事を見ていた。
そこに権力の本性を見た。
権力は、巧妙に「世論」を操作しながら
反対する勢力が怯みを見せると
態度を豹変させて襲いかかってくる。
そんな卑怯で、姑息で、屁ナマずるく、
それでいながら、侮れない力を持っている、と。
そんな腐った側に立つ生き方は、絶対にしないと
あの映像から学んだ。
40年以上の歳月を経て、
あの時の思いが、
突然よみがえってきた、知床の海岸だった。
2012年4月3日火曜日
電話線切断でインターネットが使えない!
昨日から職場のインターネットが繋がらなくなった。
メールが来ない。出せない。
屋根から滑り落ちた雪と氷の塊が電話線を切断したのが原因だ。
年度始めでとても忙しい時期だから大変だ。職員は皆、イライラして一刻も早い復旧を待ち望んでいるはずだ。
ところが、職場の雰囲気はいつにも増して和気藹々。
ちょっと不便だけど、ダメなものはダメ。吹雪もあれば大風もよくある。自然の懐に抱かれて暮らすこの土地では、システムが壊れた時は、カリカリしてもしかたがない。笑い飛ばすしかない、ということを誰もが知っている。
世の中、あれば便利だけど無ければ無いで、しょうがないモノやコトってたくさんある。 いつかは復旧するのだから、それまで待っていればいいのだ。
反対に、あるだけで大迷惑なモノやコトの方が多い。原子力発電所とか基地とか。
そう言えば去年の今日も、ここに書いていた。
「人生は、もっと単純で良い
愛する家族、犬、猫、馬がいる。
日々の食物があり、安心して住む場がある。
寒さや雨、露をしのぐ衣類がある。
他に何が必要だろう?」と。
メールが来ない。出せない。
屋根から滑り落ちた雪と氷の塊が電話線を切断したのが原因だ。
年度始めでとても忙しい時期だから大変だ。職員は皆、イライラして一刻も早い復旧を待ち望んでいるはずだ。
ところが、職場の雰囲気はいつにも増して和気藹々。
ちょっと不便だけど、ダメなものはダメ。吹雪もあれば大風もよくある。自然の懐に抱かれて暮らすこの土地では、システムが壊れた時は、カリカリしてもしかたがない。笑い飛ばすしかない、ということを誰もが知っている。
世の中、あれば便利だけど無ければ無いで、しょうがないモノやコトってたくさんある。 いつかは復旧するのだから、それまで待っていればいいのだ。
反対に、あるだけで大迷惑なモノやコトの方が多い。原子力発電所とか基地とか。
そう言えば去年の今日も、ここに書いていた。
「人生は、もっと単純で良い
愛する家族、犬、猫、馬がいる。
日々の食物があり、安心して住む場がある。
寒さや雨、露をしのぐ衣類がある。
他に何が必要だろう?」と。
2012年1月14日土曜日
格付け会社の格付け会社の格付け会社の・・・
550人くらいの入学生がある高校だった。
その中で17番という順位で入学した。
僕はそれほどでもなかったが、母は、とても喜んでいた。
好事魔多し。
高校二年の二学期。成績はトコトン下降した。
来る日も来る日も虫採りに明け暮れていたからだろうか。
まあ、今となっては原因は、よくわからぬ。
ついに学年250番まで下落した。
3学期には数学ⅡBが赤点で、追試験を受け、ようよう進級した。
劣等生になってから、そのエクスキュースも含めて、「順位」というものに根深い不信感を持つようになった。物事を順位だけで評価することへの反発も強く持つようになった。
それは、今も変わらずに続いている。
巷では今日、格付け会社がヨーロッパの国債の評価を一斉にランクダウンしたと、と盛んに報じられていた。
なんのことだかよくわからないが、この「格付け会社」というヤツが大嫌いだ。
銀行でも、債権でも、なんでも格付けして自分たちの利益を上げているなんて、火事場泥棒みたいなヤツだと思う。
しかも、いろいろな人々の思惑があって、その格付けも恣意的に行われる場合もあるらしい。
そんなものの「評価」なんてほとんど価値がないではないか。
そんなものは、皆で無視すべきだ。
もし、それが出来ないのなら、格付け会社を格付けする「格付け会社格付け会社」を作ったらどうだろう?
そして、「格付け会社格付け会社」が増えてきたら、その会社を格付けすればいい。
そう!「格付け会社格付け会社格付け会社」を作ればいいのだ。
まあ、そうやってどこまでも好きに遊んでいればいいのだ。
その間に、僕らは自分の手で食べものを作り、足を大地につけて暮らす方策を考えていくさ。
その中で17番という順位で入学した。
僕はそれほどでもなかったが、母は、とても喜んでいた。
好事魔多し。
高校二年の二学期。成績はトコトン下降した。
来る日も来る日も虫採りに明け暮れていたからだろうか。
まあ、今となっては原因は、よくわからぬ。
ついに学年250番まで下落した。
3学期には数学ⅡBが赤点で、追試験を受け、ようよう進級した。
劣等生になってから、そのエクスキュースも含めて、「順位」というものに根深い不信感を持つようになった。物事を順位だけで評価することへの反発も強く持つようになった。
それは、今も変わらずに続いている。
巷では今日、格付け会社がヨーロッパの国債の評価を一斉にランクダウンしたと、と盛んに報じられていた。
なんのことだかよくわからないが、この「格付け会社」というヤツが大嫌いだ。
銀行でも、債権でも、なんでも格付けして自分たちの利益を上げているなんて、火事場泥棒みたいなヤツだと思う。
しかも、いろいろな人々の思惑があって、その格付けも恣意的に行われる場合もあるらしい。
そんなものの「評価」なんてほとんど価値がないではないか。
そんなものは、皆で無視すべきだ。
もし、それが出来ないのなら、格付け会社を格付けする「格付け会社格付け会社」を作ったらどうだろう?
そして、「格付け会社格付け会社」が増えてきたら、その会社を格付けすればいい。
そう!「格付け会社格付け会社格付け会社」を作ればいいのだ。
まあ、そうやってどこまでも好きに遊んでいればいいのだ。
その間に、僕らは自分の手で食べものを作り、足を大地につけて暮らす方策を考えていくさ。
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