2013年5月5日日曜日

父との別れ

 米国からの帰国を待っていたかのように、3日午後8時に父が死んだ。  成田空港に到着し、全ての手続きを終えて出てきたのが午後2時過ぎ。その後、接続の飛行機が無く、その日は東京に宿泊することになっていた。予約してあったホテルにチェックインして一息ついていた夜の7時半過ぎに容態が危険な状態になったという連絡が入った。その後すぐに死亡したという連絡が来た。拍子抜けするようなあっけなさだった。  成田に着いてすぐに連絡があったなら、宿泊をキャンセルして駆けつけることができたかも知れないなどというのは結果論というものだろう。むしろ、僕の帰国する日まで待っていてくれたと考えるべきだと思った。  癌に冒され、最後は何も食べられなくなりながら、よく頑張ってくれたと思う。その結果、極端に軽くなった身体は、最終的には一抱えにも満たない骨に姿を変えた。  火葬直後の骨を入れた骨壺から胸に伝わってくる余熱が、父の体温であるかのような錯覚にとらわれつつ、92年間の人生が偲ばれた。もちろん子として理解できる範囲ではあるが。

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