2011年8月31日水曜日

今日はクジラの日





 久しぶりに根室海峡に出た。
 海面は、台風の接近に息をひそめているような静かさ。

 マッコウクジラ、ツチクジラなどと遊んだ。

高々と噴気上げつつ海面に マッコウクジラ孤独に憩う
 海面を蹴りて深みに潜りゆく 病みし地球をいたわるごとく
 キッパリした心を決めたかのごとく 深海に潜るクジラの姿

2011年8月30日火曜日

電力会社性悪説

 北海道電力でもやらせがあった。
 泊原子力発電所のプルサーマル計画についてのシンポジウムで、社員を動員したり賛成意見を送らせたりしていた。

 これまで、北電は「ヤラセは無い」と言っていた。
 どこまで道民を馬鹿にしているのだろう。
 
 企業は、利益追求のためなら何をやってもいいのだろうか。そうなると、以前から思っていたように「企業性悪説」が正しいということになる。
 考えてみれば、ほんの一部の例外はあるかも知れないが、企業というのは人間性を踏みにじり、人権を無視し、おのればかりが生き残り、肥え太ろうとする本質を持っている。 この醜い体質を耳障り良く言い換えるまやかしの論理が「競争原理」だったり「市場原理」だったりする。
 多くの人はそれに騙されて、企業の良識とか良心に幻想を持つのだ。

 少なくとも現代の電力会社は、そういう体質だと断定できるだろう。

 そして、そんな電力会社の役員だった人間が後援会長をしていたり政治献金を支払っているような政治家が大きな顔でのさばっているのが北海道だ。

 そんな政治家を平気で選び出しているのが北海道民ということになる。
 ああ、恥ずかしい。

2011年8月29日月曜日

松浦晃一郎さんがやって来る

 前ユネスコ事務局長の松浦晃一郎さんが明日から知床に来る。
 松浦さんは、知床が世界遺産に登録された時の事務局長だった人だ。

 世界遺産になってから実際に知床に来るのは初めてことで、松浦さん自身も知床に来ることを楽しみにしておられるらしい。
 斜里町での講演会と羅臼町の中高生への講演が予定に入っていて、完全にプライベートな訪問というわけにもいかず、ご本人に十分満足していただけるか疑問もあるが、松浦さんのような方は、それもやむを得ないのかも知れない。

 ところで、知床半島は「自然遺産」として遺産条約登録地になったわけだが、実は、知床で営まれてきた先住民の生活や文化も含めた「複合遺産」として登録すべきだとの意見があったと聞いている。
 そして、どうやら松浦さんも「複合遺産」として登録したいという意見を持っておられたらしい。
 そのような経緯のためだろうか。松浦さんはアイヌ民族の踊りや歌を鑑賞してみたいという希望をお持ちだということが伝えられた。

 このような訳で、「KAPIW & APAPPO」という阿寒の姉妹によるデュオに羅臼に来てもらい、松浦さん歓迎交流会でムックリなど伝統楽器の演奏や唄を聴かせてもらうことになった。

 彼女たちは先日、釧路の「ジスイズ」というジャズ喫茶で初ライヴを行い、僕も聴かせてもらったが、アイヌ民族の伝統と格式を守りつつも新しい感覚を採り入れた、美しく親しみやすい演奏で、深い感銘を受け印象深いものだった。
 31日の夜、松浦さんをはじめ、参加者一同に、あの夜と同じ感動を呼び起こす演奏になれば、と願ってやまない。

2011年8月28日日曜日

休日






民主党代表選。
同じような意見が多いと思うから、敢えて書かないつもりだ。
だが、疑問を一つだけ書こう。

一政党の代表選挙だから公職選挙法は適用されないはずだ。だから買収などし放題だろう。少なくとも普通の選挙のような(見せかけだけかも知れないが)公正さ、透明性は期待できない。

そんなアヤシイ選挙で、総理大臣が決まるということに、どうしても納得できない。日本の政治が、そんな薄暗い中で決まっていくというのは、恥ずかしいことだ。


別の話。
昨日と今日は、家からほとんど出ることなく、片付けやちょっとした修理などで過ごした。激流のように過ぎるであろう、来週の予定を思いながら。

後は、ムシと戯れていた。
ナナホシテントウは、可愛い姿で、アリマキを貪り食っているところがすごい。

2011年8月27日土曜日

忙中有閑 久しぶりの休日

久しぶりに一日中家で過ごせた休日。

少しだけゆっくり本も読めた。
と言っても肩の凝らない小説だが。

内田幹樹の「拒絶空港」

主脚タイヤをシャルル・ド・ゴール空港離陸時に損傷した成田行きジャンボ機。
整備士たちが対策を練り始めたところに、「何者かが同機に放射性物質を持ち込んだらしい」という衝撃的な情報が飛び込んできた。
航空史上最悪の状況に陥った747-400は、着陸地を求めて日本上空を彷徨う。
                        (同書のあらすじ紹介文より)
 この本は2006年に刊行された。
 原子力発電から出る廃棄物がいかに「厄介者」であるか、ある意味では、今回の福島での事故を予見していたような記述があちこちに見いだされ、やや切ない気持ちで一気に読んでしまった。

新潮文庫 500円。

2011年8月26日金曜日

ボケるのもいい加減にしろヨ!

北海道新聞の記事から
 高橋はるみ知事が北電泊原発3号機の営業運転再開を容認したことを川勝平太静岡県知事が批判したことについて、高橋知事は25日の記者会見で「以前から変わったことを言う方なので、コメントしない」と述べ、不快感を示しながらも、発言への直接の言及は避けた。

 高橋知事は「(川勝知事は)何回か北海道に来たことがあるが、ユニークな、変わった方だという印象がある」と話した。

 川勝知事は22日の記者会見で、高橋知事の泊3号機に対する判断について「ご自身が経済産業省出身ということもあり、独自の判断ができなかったのではないか」などと批判した。
                                                (引用おわり)


 当たり前のことを指摘され、本心でズキッと来たのだろう。
 高橋知事は、本質を突いた鋭い批判に対して、相手を無視することしかできないのだろう。

 その批判が間違っているのなら、正々堂々と反論すべきだ。これは、個人的な喧嘩ではない。
 一県の知事が知事として批判したのだ。北海道の知事はそれには、何も答えられなかったというわけだ。

 「変人」呼ばわりすることしかできないなんて、なんて情けない。
 そして、そんな「変人」を知事に選んでいるということを言ったわけで、この発言は、静岡県民への侮辱にもなるのではなかろうか。

 もっとも、こんな情けない知事を選んでしまった北海道民が、もっとも惨めで情けないわけだが。

 もう、この知事はリコールするしかない。

2011年8月25日木曜日

忍び寄る放射能

 一昨日、サンマを食べた。

 ちょっと高かったが、思い切って大きなものを。
 見るからに美味しそうだった。

 試しに放射線量を測ってみて驚いた。
 なんと!0.22μSv/hもあった。

 今まで、これほど高い値が出たことはなかった。

 試しに先日、この辺りで摘んだ野草から作ったお茶を測定してみた。
 こちらは0.18μSv/hだった。
 これも通常の値よりも高い。

 さしあたり問題になるほどの高い値ではないが、明らかに放射線を感受していることは間違いないだろう。

 サンマは海から、野草は雨からだろうか。

 福島第一原子力発電所事故の影響が、このような数値で表れ始めていると言っていいだろう。

 たとえ微量だったとしても、浴びる必要のない放射線だ。
 放射線の人体への影響について、決定的な基準は確立されていない。

 安全とされる基準を決める時、その背後で必ず別の思惑が働いているからだ。

 したがって、あらゆる安全基準は信頼できないと言って構わないと思う。

 脂ののったサンマを食べる楽しみも東京電力に奪われたことになる。

2011年8月24日水曜日

KA884

 KA884が壊れた。
 突然、ヒーターへの通電が切れ、熱湯の噴出が止まった。

 KA884とは、デロンギジャパンが販売したコーヒーメーカーだ。

「エミーデKA884保温ポッド付きコーヒーメーカー」というのが正式名称のようだ。
 サーバーが魔法瓶になっていて、煎れたコーヒーが熱いまま長時間保てる。もう、買ってから16年は、使った。
 一度、サーバーの魔法瓶が壊れたが、簡単に取り寄せることが出来た。
 もちろん、コーヒーの味にも文句のつけようがない。
 気に入りの道具の一つだった。

 自宅にいるときは、朝、このコーヒーメーカーでコーヒーを落とすのが日課だった。朝の儀式と言ってもいいだろう。
 寝不足気味の朝など、コーヒーが飲みたくて起きてきたものだ。

 コーヒーの味の調整とか、タイマーとか、余分な機能は一つもない。ただ、コーヒーを落とすだけ。スイッチはONとOFFだけ。飾り気のないデザインも良かった。
 故障の原因を探ろうと裏ブタを開けてみて、その構造が美しいほどすっきりしていることにも感激した。

 だが、故障はどうやら致命的らしい。

 すでの廃盤になっているらしいし、これからは、エミーデの無い朝を迎え続けなければならないようだ。

2011年8月23日火曜日

まさか 買ってねえべナ!

 わが家では、玄米を食べている。

 玄米は、白米に比べるとちょっと入手しにくいので、インターネットで熊本の農家直売の有機栽培米を購入する。
 今年、3月に購入した米が、そろそろ底をつきかけてきたので、今月になって新たに注文することにした。

 ところがなのだ。
 どこを探しても、「販売終了しました」という表示ばかり。
 品切れなのだ。もちろん白米も含めて、どの農家でも完売している。
 特に九州地方や中国地方など西日本では、軒並み売り切れだ。
 このようなことは、今まで無かった。

 おそらく、原子力発電所の事故で飛散した放射能の影響を心配して、多くの人々が昨年産の米を求めた結果だろう。その気持ちは理解できる。
 誰れでも、より安心な米が欲しい。その気持ちは、責められない。

 ただし、そんなに放射能を心配している人は、原子力発電に反対なのだろうナと、確かめてみたくなってくる。
 自分は、被曝したくない。だけど原子力発電は必要だから反対はしない、などというようなヤカラはいないだろうな。まさか。

 世論調査の結果を見ても、原発容認という人が少なくない。
 たとえばデモ行進などの脱原発の行動への参加者数を見ても、あまりにも少ないと感じる。
 その一方で米の備蓄に走る人々がこんなにいるという現実がある。

 ツイッター上の情報だが、枝野官房長官は自分の家族をシンガポールに避難させておきながら、涼しい顔で
「ただちに健康に問題はない」と記者会見の席上で述べていたとか。


「原発に反対ではないけど自分は被曝したない」と言う人が、お米の買いだめに走っているとしたら、僕はちょっと許せないと思うんだ。
 どうしても、こう言ってみたい。

「お前達(オメダジ)まさか、買ってねえべナ!」

2011年8月22日月曜日

最近、地震が多いよなあ。

 この頃、あまり大きくない地震が北海道の周りで増えているような気がする。

 日本列島全体で、地震の発生数は、3月11日の地震が起きる前の10倍以上になっているというから、増えていても不思議はないのだろうが、やはり気になるし、つい「最悪のケース」を想像してしまう。

 この期に及んで、まだ原子力発電を推進しようという考えている人々は、どこまで楽観的なのだろうと呆れてしまう。
 それとも、その場さえ良ければあとはドーデモイイという、とんでもなく無責任なのだろうか。

2011年8月21日日曜日

ピョートル!ピョートル!ピョートル!


意外にダメージを受けた様子で、昨日は一日中眠っていた。

脱水と衰弱が心配だったから、今日、調子が悪ければ獣医さんに診てもらおうと考えた。

それでも、朝、床のネコネコベッドに移してみたら知らぬ間に1.5メートル高い衣類棚の中で眠っていた。つまり自力で飛び上がったということで、イザとなったらそれくらいの力を温存しつつ、不要な運動をしないでじっと回復を待っているのだろう。

食欲は無いだろうな、と思いつつネコ缶を開けてやると結構勢いよく食べ始めた。

明らかに昨日よりは回復している。

やはり、
「自分のことは自分が一番よくわかっているのさ」ということなのだろう。

これじゃ、獣医さんに診せても、まだ、やることはないかも知れない。

雨模様の日曜日、ゆっくり休養に充てている。

2011年8月20日土曜日

ピョートル!ピョートル!



 愛称は「ペーチャ」だ。
 ロシア人の名前で、あのピョートル大帝と同じ名である。

 2008年生まれの真っ黒な猫だ。元牡猫。
 真っ黒な猫としては二代目になる。

 ネコと暮らして、つくづく思うのがだ、ネコほど個性豊かな生きものはいないかも知れない。
 ネコとしての共通の属性は持っているが、その範囲で、本当に一頭一頭ちがう。

 ペーチャは、ネコでありながらとてもヒトに頼って、ヒトが好きで、ヒトのそばにいることで落ち着くらしい。
外で遊んでいても、呼べば遠くから走って帰ってくる。まるでイヌのようだ。

 ピレニーズのアファンが昨年から同居するようになったのだが、アファンの方は、ピレニーズの特徴として、割合に猫っぽいところがある。とても面白い組み合わせだ。

 この二匹は、緊張関係を持ちながらも、まあ、仲良くやっている。

 そのペーチャが昨夜は遅く帰って来た。
 戸締まりをするときに大声で呼んだのだが、その時は帰って来ず、その後一時間くらい経ってから帰って来た。
 その時、身体はずぶ濡れになっており右の目を痛そうにつぶっていた。昼間の雨で草むらは濡れていたかも知れないが、夜は晴れていた。

 おそらく、どこかで喧嘩をしたのだろう。
 組み討ちをやって身体を濡らして来たに違いない。
 身体を拭いてやったらおとなしく拭かせて、気持ちよさそうにしていた。

 そして、今日は一日中ベッドで寝ていた。よほど激しく争ったのだろうか。

 3歳のオスとしては細く華奢な体つきをしている。それでもシャムの血が混じっているようで、敏捷で身軽であり気も強い。
 牡猫としての矜持を精いっぱい保っているだろう。

 オイ!
 疲れている時は、思う存分休むがいいさ。
 それでも、あまり無理をして、心配させるんじゃないよ。

2011年8月19日金曜日

外来生物を助ける外来生物

「ガイライシュクジョ」を漢字に変換しようとしたら、「外来淑女」になっちゃった。
 アホなワープロだ。(怒)
 まあ、持ち主に似たのか!・・・ナットク。

 羅臼高校「野外活動」の授業として、ルサフィールドハウス前で外来種駆除作業をした。

 アメリカオニアザミ(ほんとうはヨーロッパ原産で、「セイヨウオニアザミ」と呼ぶのが正しいらしい)がこれ以上ないというくらい繁茂している。
 生徒それぞれがカッターを手にして地上部の刈り取りを実施した。鋭いトゲが軍手やズボンを貫通して刺さり、非常に痛い作業なのだが、彼らは熱心に取り組んだ。

 アザミはちょうど花の盛り。
 多くの昆虫が集まっていた。





 その中に、なんとセイヨウオオマルハナバチも含まれていた。



 外来種が外来種の蜜源になっている。しかも国立公園内で。

 こんな事実が放置されていていいワケはない。

2011年8月18日木曜日

生きているって奇跡的なことだと思う

 「海洋生物」を履修している生徒たちの授業で、ダイビングの実技が始まった。

 乗馬とかカヌーとか、生徒たちがこれまで経験したことのないことを体験させる時、指導者は、安全を最優先させて細かなことまで丁寧に教えるものだが、ダイビングの実技指導は、ずば抜けて丁寧だと感じた。
 どのインストラクターも同様なのか、知床ダイビング企画の関さんが特別なのかは、わからないが、重要な動作は必ず反復させ、なぜそうしなければならないかという理由も丁寧に説明していた。

 考えてみれば、水の中の世界は、われわれ肺呼吸の動物にとっては絶対に生きていけない世界で、自分が背負ったボンベに入っている空気だけに、生命を預けているわけだ。

 われわれの生命は、実は非常に脆く、多くの危険にさらされているのではないだろうか。 「生きている」という状態は、ほんとうは奇跡に近いことだと思う。

いろいろな装置やシステムや道具や技術で守られていると、いつの間にかそれを感じなくなり、生きていることが当たり前に思うようになってしまう。
 その上で、さらに便利で快適であることを追求し続けるのではないだろうか。

 そして、その結果、自分たちが作り出した危険な要因によって自分たちの命を縮める結果に陥る。
 福島県のいわき市や川俣町などの子どもたちの45%が甲状腺被曝をしているという記事を読んだ。

 われわれは、もう一度、生命とは脆いものだということを思い起こすべきだろう。 

2011年8月17日水曜日

なぜ、恐れるのか?

 昨日のブログに貼り付けた写真がちょっと物議を醸している。
 突然、あのような画像を見せられて、ショックが大きかった。
 あの画像を貼る蓋然性を説明してほしかった、というものだ。

 一理あるかも知れない.不愉快を感じた方がおられたらお詫びする。

 だが、わかってほしいことがあったのだ。

 今日、北海道の知事は北海道電力泊原子力発電所3号機の営業運転を認めた。恥知らず!
 まったく大義はない。
 というわけで、昨夜は、相当怒っていたのだ。
 
 経緯は、こうだ。

 泊の3号機は定期点検の最終段階の調整運転を行っている最中に震災が起き、福島の事故が起きた。
 そこで、通常であれば一ヶ月程度で終わる調整運転を続け、営業運転の許可は保留の状態が続いていたが、今回、正式な営業運転が認められるに至ったということだ。

 しかし、この間、定期検査の後にはストレステストを実施することが義務づけられた。
 それならば、北電のこの原子炉は、どうしてストレステスト抜きで営業運転に移行できるのか?
 絶対におかしいだろう!

 北海道の知事は、始めから原子力発電を推進する気持ちを持っているから、そんなことを問題にすることなく、すんなり認めてしまったのだ。
 つまり、道民の安全よりも原発の推進を優先したのだ。なんたるハレンチ。

 ま、それも無理ない。
 なぜなら、彼女は北海道の出身者ではなく、通産省の官僚だったのだから。

 そんな知事をありがたがって頭に頂いている北海道民もオメデタイよね。

 だから、知事は非常に周辺を恐れている。
 彼女が怖がっているのは、自分はマトモなことをしていないと自覚しているからなのだろう。

2011年8月16日火曜日

どうしても 許せないこと

 江戸時代、木綿が多用されるようになるとワタの栽培が盛んになる。
 また、都市生活で灯火が多く使われるようになり、灯油として菜種油の需要が増える。 ワタもナタネもその栽培には多量の肥料が必要で、魚粕が高値で取引された。
 有力な魚粕の産地は、北海道であった。
 北海道の沿岸各地に産卵のためにニシンが群来していたので、本州からの渡来者たちは競ってニシンを獲った。その場で煮て油を絞り、絞りかすを干して魚粕にした。
 魚油は貧困層の灯油として使われた。

 アイヌ民族に過酷な労働をさせたり、不当な取引を行って巨利を得る者が多くいたという。ニシンを煮るためには、大量の薪を必要とし、広範な森林伐採も行われた。


 明治以後、政府に不満を持つ旧武士階級を屯田兵として北海道に入植させた。大森林に覆われていた人間の大地(アイヌモシリ)は、無残にもズタズタに切り裂かれ、オオカミは絶滅させられた。
 大規模な石炭が眠っていることがわかると石狩や空知では炭鉱の開発が進み、戦争遂行のために多量の石炭が本州に送られた。

 戦後もエネルギーが石油に取って代わられるまで、石炭の生産は続けられた。洗炭によって川は真っ黒にされ、奇怪なボタ山が並び立つ光景が北海道中央部に現出した。


 そして今。
 内地は北海道に対して、さらにエネルギーを差し出せと言う。
いつ大地震を起こすかわからない活断層の上に建つ原子炉を稼働させ、どんどんエネルギーを作れと言う。
 風の強い場所があるのだから巨大な風車を建てて、風力発電をしろという。

 エネルギーの有限性を洞察し貴重なものを大切に使うという精神を失い、無神経に浪費する生活を「スマートで快適な都市生活だ」と盲信する者たちは、際限なく北海道にエネルギー生産を要求している。

 地震が起きた時、ヒューマンエラーがあった時、原子炉が事故を起こして、いま住んでいるたくさんの人々やこれから生まれてくるたくさんの人々を傷つけくるしめるであろう原子力発電を続けろという。
 公式に確認されているだけで16羽におよぶオジロワシやオオワシをバッサリと切り裂いた巨大風車をもっと建てろという。

 そして、それらの要求に、阿るように応える知事や北海道庁。
 いったいどちらの立場に立っているのだ?

 さらに、そんな議員や知事を選挙で選んだ北海道民。
 恥ずかしくないのか?

 内地の植民地であることを今一度自覚せよ。

 北電の泊原子力発電所三号機の営業運転を、本州から連れてこられた北海道知事は、いま、認めようとしている。  


2011年8月15日月曜日

今日という日に

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司)

 ポツダム宣言の受諾、それは敗戦ではないのか?
 負けを認めたことではないのか?
 
 「大東亜戦争」、「太平洋戦争」何と呼ぼうとそれは侵略戦争だったのではないのか?

 自虐史観だと言われようと、ファシズムに与して敗れた事実に変わりはない。

 今日を「終戦」と呼ぶ修辞の魔術によって、侵略の責任を曖昧にし、その後すぐに勃発した朝鮮戦争や冷戦におけるアメリカの都合で、民主化を流産させられて今日があるのではないのか。

 原子力発電でさえ、アメリカの原子力潜水艦用として、安全性を二の次にして開発された軽水炉を商業用に転用したものを押しつけられたではないか。
 今回、福島で事故を起こした原子炉がそれである。

 誤魔化しは、もう止めたらどうだ?
 過ちは素直に認め、何もない地平から出直すべきではないか?

 原爆の被害者は誰の犠牲になったのか。
 特攻を命じられた若者たちは誰にどう騙されて「国のため」と信じ込まされたのか。
 甘い誘いに乗り満州「開拓」に狩り出され、終いには命からがら引き揚げなければならなかった人たちは、誰のどんな言葉に騙されたのか。

 そして、マスコミは、どのようにして戦争を煽り立てていったのか。

 日本国憲法に歌い上げられた平和主義と主権在民は、どのように変質させられ、途中から力を失ったのか。
日本国憲法の精神を受け継いで制定された教育基本法の崇高な精神は、どこの誰によって骨抜きにされ穢されたのか。
 そして、それを許した選挙制度は、誰がどのようにして仕組んだものか。

 この66年間の暗黒は、100年後、200年後に歴史の汚点となって残るに違いない。
 もし、その時まで、今の歴史から連続していたとすれば、だが。

2011年8月14日日曜日

佐々木秀明展+アート5

 釧路市芸術館。
 佐々木秀明展+アート5見てくる。
 「アート5」の中に知人の写真家の作品が含まれていたという理由もあるが、暗がりに並べられたモノクロ写真と光のオブジェは美しいと思った。

 氷から滴る水滴で透明な水盤に入った水の表面を揺らし、底から当てた照明がつくる揺らぎが見えるように意図されたオブジェが展示されていた。

 そのアイディアと発想に感心した。

 同時に、ここで表現しようとしているものは、例えば知床半島の海食洞窟の中に入ればあちこちで普通に見られるものであり、現代の都市生活を送る人々は、ここまで大がかりな仕掛けをしなければ、洞窟の天井から滴る水を展示のための空間に再現し、原始性をもった自然への回帰あるいはノスタルジーを追求できないのかという事実をあらためて認識した。

 佐々木さんの作品は、素晴らしいと感じたが、それよりもっと源流に近い所で、手軽にそれを味わうことのできる自分は、つくづく幸福だと思った。

2011年8月13日土曜日

蝶の日







 朝、草地をあるいてみるとエゾノキツネアザミの花にたくさんのチョウが集まっていた。

 オオウラギンスジヒョウモン、コチャバネセセリ、ジャノメチョウ、クジャクチョウ、モンキチョウ、コキマダラセセリなど。

 沖縄では、先祖の魂がチョウの姿で訪ねてくると言われていると聞いた。

 この土地で暮らして、もう長くなった。

 今まで多くの動物たちと共に暮らし、また、別れてきた。

 動物たちとの出会いと別れに、ふと思い至った晩夏の朝だった。

2011年8月12日金曜日

忍び寄る秋に

 気温は相変わらず高い毎日だが、最近、空が高くなったように感じる。
 少しずつ秋が広がってきた。

 今朝、イブキヒメギスとも出会った。キリギリスも鳴き始めた。

 アラゲハンゴンソウ、エゾカワラナデシコ、ホザキシモツケ、エゾノサワアザミ、ナガボノシロワレモコウ、ヒロハクサフジ、セイヨウノコギリソウ、フランスギク。植物の世界では、もうずいぶん前から秋の花が目立つようになっている。

 自然の移り変わりは、ニンゲンの思惑や都合とは関わりなく、断固として進む。

 3700年前、山体の大崩壊を起こした知床硫黄山も起こるべき時に起こるべくして起こった出来事である。

 縄文時代後期にあたるその時期に、知床半島に近い斜里町内で、住居を焼き払って立ち退いたらしい跡が見つかっている。
 大規模な火山活動に恐れをなして、その地を去った人々がいたのだろうか。

 噴火や地震など自然の災害を恐れる気持ちは、現在も昔も大きな違いはないだろう。

 だが、ニンゲンの作った物が引き起こした災害を恐れて、右往左往するニンゲンがいたことを、4000年先の人々には、(人類がまだ生き残っていれば、だが)どう映ることだろう。

2011年8月11日木曜日

もっと自然のテンポを感じて暮らしたい

 大脳が沸騰するような暑さだ。
 羅臼にしては。

 公式には29.8℃
 手元の測定値は30.2℃であった。

 八月後半、オホーツク海高気圧が衰退して、低気圧が発生し、南から暑い空気を吸い込んで気温が上がるのが例年のパターンだが、今年は、早くもそのような気圧配置になっているらしい。

 今、知床半島の地質のことを学び直している。半島を形成した過去の火山活動についてだ。
 羅臼岳の噴火活動2300年前、1700年前、700年前。

 天頂山の水蒸気爆発1900年前。それで羅臼湖誕生。

 硫黄山の山体崩壊3700年前。
 3700年前まで、現在の知床硫黄山を中心に南岳、知円別岳、東岳などを含む範囲に1700メートルの高さの成層火山があった。そして羅臼岳はまだ誕生していなかった。
 縄文時代後期の人々は海上にそそり立つ美しい山容を朝夕ながめていたことだろう。

 わずか4000年足らずの間に、知床の景色は大きく変わったことになる。

 自然のテンポとリズムをわれわれは、日頃からもっと意識するべきではないだろうか。

2011年8月10日水曜日

ウシアブ



 アブが元気に飛び回る季節だ。

 この地方に多い吸血生のアブはウシアブとメクラアブだ。
 ウシアブは体が大きく、大きな羽音をたてて高速で飛ぶ。その体の色からスズメバチと間違われて、怖がって逃げ回る人もいる。

 注意深く見ると飛び方や羽音はスズメバチとは全く違っているので、無闇に恐れない方がいい。
 実際には、攻撃力の全然ないアブを恐れるのはなんだか悔しいではないか。

 吸血するために近づいて来るし、刺されるとチクリと痛い。だが、スズメバチのように針で刺すわけではないし、毒も持っていない。
 ただうるさいだけである。

 今日はセイヨウオオマルハナバチの捕獲のかたわら、ウシアブを捕まえて写真に撮ってみた。

 あのスピード感あふれる飛行を支えるためだろうか、非常に大きな複眼を持っている。

 この顔を見ていると、昆虫にケンカを売るのがいかに無謀なことかと、つくづく思えてくる。

2011年8月9日火曜日

「保護と利用」と「繁栄とツケ」と

 知床半島の原生的な自然環境を未来の世代に残すために、世界遺産地域の保護と利用のあり方が論議され始めて久しい。
 利用者ひとりひとりの認識が深まり、意識が高まることが望ましいのだが現実には入り込む人間の数が増えるほど利用の質は低下し、環境を悪化させる結果になる。

 保護のためには人が入り込まないのが最良なのである。

 知床半島の自然が、原生的な状態に保たれてきたのは、人が行動しにくい「厳しい」環境条件や険しい地形や海の状態がそこにあり、人が入り込み難かったからに他ならない。

 知床を保護してきたのは知床自身なのである。

 このことを考えずして「保護と利用」の論議など成り立つワケがない。

 現実を無視して、机上で考えた空論で「持続可能な利用」などと言っても抽象論の枠から出ることは出来ず、それを知った上でなお、唱え続けるなら、それは自己欺瞞であり、詐欺であると言わなければならない。

 ところで、これと同じ構図をどこかで見たような気がすると思った。

 そう!原子力発電だ。

 「今の繁栄」のツケを将来の世代に払わせる。それが原子力発電だろう。
 廃棄物の処理、廃炉の処理、そして事故による汚染のまき散らし。

 今の世代は、未来の世代にどう申し開きするのだろう?

 どちらも「愚かしさ」だけでは済まされない。

2011年8月8日月曜日

仕掛けられている 秋


森の林床に
林縁の藪に
ハイマツの下に
急な崖の上に

誰も気づかぬうちに
秋の仕掛けが
そっと置かれている

それはキツリフネのはじける果実
それは、飛び回るヒョウモンチョウの新成虫
それはクロウスゴの実
それはヨツバヒヨドリの花

空では
イワツバメの一家がさかんに飛行訓練をしている
南への長旅に備えているのだろう

そして海にも
カラフトマスが帰って来た

昨日は大きな雄のカラフトマスをおろし
マスのカレーを煮た

今日は
友人に送った

今日は立秋


2011年8月7日日曜日

「へつり」で進む海岸線

 午前中、エコツーリズム協議会に関連する科学委員会との懇談会に参加した。

世界遺産地域の保護と利用の両立を図るためのエコツーリズム戦略について、掘り下げた話し合いができた。
 しかし、やっぱり単純に考えれば考えるほど、利用すればするほど保護が疎かになっていくことに違いない。
 利用の総量規制を行わないならあまり意味がないし、観光を業とする人たちは、できるだけ緩い規制で済ませることを望んでいるだろう。

 「エコツーリズム戦略」が収奪的な利用の免罪符として使われることだけは、止めなければならないだろう。


 知床岬行の話をひとつ。

 「へつり」という進み方をする場所も多い。
 崖が直接海に落ちているような場所で、岩に張り付きながら横に移動することを言う。 それほど長い区間ではないが、数十メートルくらい連続している場所が何カ所かある。足下は海。それも明らかに人間の背の立たない深さの海で、登山靴を履き、思い荷物を背負っている自分が、その深みに落ちた時のことを想像すると恐怖感を覚える。
 そんな場所は、ベースキャンプのあるモイルス湾から知床岬に行くまでの間に数カ所ある。
 そして、そればかりではなく、相泊とモイルスの間にもあって「デバリ」と呼ばれている。そこは初めて探検隊に参加した小学校4年生の子どもたちでも通るのだ。

 知床半島の海岸の崖は、海中で急冷されたマグマによってできており、手や足をかけることの出来る(ホールドの利く)手がかりは無数にある。したがって見た目ほど「へつり」は、難しくない。
 それでも手がかりとなる岩石はハイアロクラスタイトと呼ばれるガラス質むき出しのスルドイ角を持っていて、新品の革製ロッククライミング用グローブが、あっという間にボロボロになったほどだった。

 このような場所を、三点確保を基本に、アメーバのように這い進むのが「へつり」である。

 以上、全然「落ち」の無い文章になってしまったけれど、「へつり」の話だから落ちは無い方がよいだろう。

2011年8月6日土曜日


 岬までの行程で、最後の難所は兜岩だ。
海面から120メートルの高さにせり上がっている瘦せ尾根で、羅臼側からは、樹林帯となっている急な斜面を一気に登る。まあ、普通の登山コース急坂と言える。
 問題は、岬側への下りで、垂直に近い岩の割れ目を一息に下るのだが、足下が脆く崩れやすくて、滑り落ちそうになる。

 恐怖感に足をすくませる子どもたちを励ましながら下りるわけだ。

 そして、ここを下ってしまうと、目的地の知床岬までは、ずっと砂浜が続く。
 それまでゴロゴロとした歩き難い石の浜で苦しんだ足には、ありがたい砂浜だが、その距離が長すぎる。
 だが、この先は、岬まで緊張を強いられるような場所はない。
 そのことを実感しつつ、最後の頑張りへの意志をかためるのがこの赤岩川の休憩地点かも知れない。

 ここまで到達するために越えてきた、いくつかの難所のことを思い、岬への旅の終わりを噛みしめるひと時である。

2011年8月5日金曜日

情報の価値と文明について、少し考えようとした


「娑婆」に戻った。
 今日の朝日新聞を眺めてみた。
 「政府・日銀・円売り介入」
「iPS細胞の精子で出産」
 「経産次官ら3首脳更迭」
 「復興債総額12.5兆円」
 「大震災・・汚染の泥はどこへ行く」
         エトセトラエトセトラエトセトラ
 こんな見出しが並んでいる。
 それぞれが重要なニュースであることは確かなのだろう。

 しかし、どの見出しを見てもあまり興味が湧かないというのが正直な感想だ。
 知床岬にいた時、もっとも重要なニュースはなんだったろう?
 「明日の天気はどうか」
 「明日の満潮と干潮は何時何分か」
 「ヒグマの動静は?」
 「今日は、持参した食料の中から、何を食べる予定だったか?」
 などということだった。

 生きていくために不可欠な具体的な情報が最優先されていたと思う。それで良いのだと思った。

 新聞に載るニュースは、重要であることには違いないが、どこか空々しいし、騒々しい。

 文明というものは、まるで生きもののように、自己保存・自己増殖を図ろうとするかのようだ。そして、そのためのエネルギーを生み出すかのように、自分たちのことをニュースとして扱うのかも知れない。
 そして、その結果として生きるのに不可欠な具体的な情報が急速に価値を失うに違いない。

 「文明の側」に帰ってきてから、文明を考え始めた今回の知床岬行であった。

2011年8月4日木曜日

無事帰還


 今日、岬から帰ってきた。
 羅臼に着いたのは夕方16時。
 セレモニーが終わったのは17時近くであった。

 羅臼から知床岬までの海岸トレッキングは、なかなか厳しい道のりだ。
 一部分の高巻きはあるものの、すべて海岸線のルートだから、なんとなく
 「海岸を歩くだけではないか」という印象を抱いてくる人もいるようだが、これが普通の海岸歩きとは全く違う。

 今回は29人の子どもたちが参加し、そのうち8人は岬まで行って来た。残りはモイレウシ川河口にあるモイルス湾までの往復を歩き通した。
皆、逞しくなって帰ってきた。そして、知床の深さがよくわかったことだろう。