2009年4月30日木曜日

下地 勇さんのこと

  本日バイクによる通勤。
 本年初。

 羅臼高校でウグイス初鳴き
 別海では、27日(月)にオオジシギ初鳴き。

 南に勢力の強い高気圧があって暖かい一日だった。

 昨日、ラジオで下地勇(しもじ いさむ)さんという歌手の歌を聴いた。聴いたのは初めてだった。彼は宮古島の出身で全ての歌を宮古島の方言(宮古口=ミャァクフツ)で書き、歌っている。昨日、聴いたのは「マッチャのおばあ」という歌で、軽快なリズムでロシア民謡を思い出させるようなメロディだった。理屈抜きに僕の感覚に響いてきたが、意味は全くわからなかった。
 偶然なのだが今日、彼のアルバムのCDを貸してもらった。それによると「マッチャ」とは「商店」という意味で、大手スーパーが安売りの攻勢をかけてくる中で、昔からある小売店のおばあちゃんが頑張っているし、周りの者もそれを大切にいなけりゃな…というような意味だった。

 彼はさだ まさしの「関白宣言」をも宮古口にして歌っている。しかし、それは「直訳」ではなく、所々が実に沖縄風(と思われる)に味付けされている。

 彼のアルバムを聴いていると、全く異質なはずだがロシアのヴィソツキーの歌を思い出してしまう.良い出会いがまた一つ。
 トクした。

2009年4月29日水曜日

待ち伏せの楽しみ

 知床岬のエゾシカ密度調整事業というのが行われている。厳冬期から数回行われていたが、今までは仕事があって参加できなかったり、天候条件が悪くて中止になったりしていた。僕が参加したのは、今日が初めてである。
 岬は、知床連山から連なってくる鋭い岩包峰が中心部に屹立しており、それが尽きたところから台地が広がっていて草原となっている。
 シカたちは草原や海岸の崖の縁で草を食べ、危険が近づくと岩峰付近にある林に逃げ込む、という行動を繰り返しているらしい。
 僕たちは岩峰を回り込んで林の中に潜み、勢子の人たちに追い立てられて来るシカを狙うのである。

 傾斜はきつく足下は滑って安定しない。10メートル進むのに大汗をかくような状態だが天気は抜群で風も弱く、気持ちの良い一日だった。
 待ち伏せして、ジッとしているとゴジュウカラがさえずりながらどんどん近づいて来る。エゾリスも姿を見せてくれた。
 シカ猟の時は、じつは、こんな楽しみもあるのだ。

2009年4月28日火曜日

おごるなかれ

 明日、エゾシカ密度調整のため知床岬へ行く。

 一昨日の吹雪と低温で、知床峠にはあらたに50cm雪が積もったらしい。明日、連休の初日だが開通は、また繰り延べられた。
 連休前の開通を待ち望んでいた関係者には気の毒だが、自然が人間の都合に合わせてくれるわけもない。それを嘆く声を聞く度に、その愚かしさを密かに嗤ってしまう。とりわけ、知床峠はそもそもその必要性と環境への負荷について、十分に吟味されて建設されたのかどうか、いまだに強い疑問を感じているので、連休前の悪天候には快哉を叫んでしまう自分自身がいる。

2009年4月27日月曜日

吹雪の夜を走る時

  危険なことは三度あった。
 第一は対向車が突然進路を変え、わがアルクティカの方へ向かってきた。これは本当に驚いた。何も考えず、加速することで進路を空けてやり過ごした。偶然だった。
 第二は前を走っていた軽自動車が不意に右側の対向車線に飛び出して行った。そのドライバーはそのまま進路を戻して、元通り走り始めた。僕は速度を落として、その車が元の進路に戻るまで待つことができた。車間距離を十分にとっていなかったら追突していたかも知れない。
 第三は危険というべきではないかも知れない。すぐ後ろを走っていた軽自動車が、急に後ろ向きになって止まったのがルームミラーで見えた。

 昨日、友人を送って釧路まで行った。
 気軽に往復するつもりだったが、出発前、家の窓から外を見ると、牧草地を雪のカタマリが飛び回っているではないか。困難な運行を覚悟した。
 それでも路面の温度は気温より高いから、夏タイヤでの走行に問題はないだろう、と予想した。事実、我が家の前の国道は、シャーベット状の雪がやや多めにあるものの走行に問題はなかった。
 「まあ、50km/hくらいで走ればいつもよりちょっと時間がかかる程度だね」などと気楽に話し合っていた。
 ところが、内陸方向に20kmほど走った地点だった。赤信号でブレーキを踏んだ。僕としては丁寧にペダルを踏んだつもりだった。しかし、アルクティカのタイヤは急激グリップを失い、ほんの少しだけ斜めに滑って止まった。わずかなスリップだったが、僕は冷や汗が出た。そして、それまでの走行速度50km/hでは速すぎることを知った。
 釧路に近づくにつれ雪はどんどん激しくなった。路上の積雪も20cm近くありそうで、車高の低い車や軽い車は、みんな苦労している。路外に落ちたり、立ち往生している車があちこちに見られた。大袈裟に言えば「死屍累々」ということになるかな。
 この時点でその日の内に家に帰ることは諦め、ホテルを予約した。

 後でわかったことだが、この雪で死亡事故が一件起き、物損事故は通常の二倍の発生だったとのことだった。

2009年4月26日日曜日

シラカバシロップ




 一昨日から白樺の樹液を集めている。いままではそのまま飲んだりコーヒーを淹れたりしてして利用していた。そのまま飲んだ時、ほのかな甘みを感じていたし、採取してから室温である程度の時間放置しておくとアルコール発酵を起こすこともわかっていた。だから糖分が含まれているに違いない、と考えていた。
 そこで、今年は、鍋で樹液を煮詰めてみることにした。今日は、寒い。わずかだが雪も舞っている。ストーブに載せて、とろ火でゆっくりと煮る。やがて透明だった樹液は淡い飴色に変わり、とろみがついてくる。そして、あっさりとした清々しい甘みのシロップとなる。パンケーキなどに合うのではないだろうか。

2009年4月25日土曜日

蝦夷延胡索(エゾエンゴサク)開花




 春のこの時期にしか会えない花のひとつだ。  ありふれた花だけれど、春、真っ先に顔を見せてくれる。顔を近づけてよく見ると視野いっぱいに花弁の青さが広がって美しい。  柱頭や葯が道化師の顔にも見えてくる。  早春の青いピエロ

2009年4月24日金曜日

ヘンな国

オオジシギ 初鳴き(初ディスプレイ)

 人気タレントが飲酒の上での逸脱行為が異常なほど問題にされている。
 彼の記者会見を見ていて、なんだか彼のファンになった。昨日は総務大臣が彼のことを「最低の人間」と非難していた。彼が最低の人間なら、大学時代の僕の研究室は最低の人間の巣窟だったなあ。
 国際会議で、酩酊(のような)状態で記者会見しておきながら、「酒はほとんど飲んでいない」と言い張る外務副大臣と、自分の行為を認めて記者会見で真摯に謝罪するタレントと、どちらが「最低」なのだろう?
 この国は、おかしい。 

2009年4月23日木曜日

平凡な一日

 曇の一日。
 時々、雪も舞っていた。風は弱まったが波が高かった。荒れる海を見ているのが好きだ。有無を言わさぬ力をそこに見るからだろう。

 午前中、高校へ授業に。「環境保護」の授業三回目。
 この科目の授業を実際に実施してみてあらためておもった。僕が一番やってみたかった授業がこれだったのだ。
 狩猟採集経済から始まって牧畜、遊牧、農耕の発生。
 そして産業革命と近代化。
 資本の自己増殖。
 こうやって歩んできた人類の文明が、いま地球環境を危機に直面させている。

 人類の知恵は、そのことを考え続けてきては、いる。弁証法的唯物論、マルクス主義、実存主義、構造主義etdc.etc.

 そのように辿って来た文明はどこへ行こうとしているのか。その歴史の流れに知床が今後どのように運ばれていくのか。
 答えは見つからないだろう。見つからないことを教えたい。そして、それを考える人間を育てたい。
  そういう人間は、自然環境を読み解く力=自然保護リテラシーを身につけていけるだろうから。

 そんなことを考えながら午後の仕事をした。
 終わってからビジターセンターでクマ学習の打ち合わせ。
 平凡な一日だが、充実していた。
 

2009年4月22日水曜日

知床から鳥のたよりを

 一日中雨。
 かなり強い降りの時もあった。

 昨日、「野外観察」の授業でマジメなバードウォッチングをした。
 確認した鳥は以下の通り。
  ハクセキレイ
  オオセグロカモメ
  ハシブトガラス
  アオジ
  ベニヒワ ♂、♀ 各一羽

  カワラヒワ(S=さえずりのみ)
    シノリガモ
    アビ
    スズメ
    シロカモメ(三年目春と成鳥)
    
    オジロワシ(幼鳥) 

 時間帯は13時30分から14時30分
 天気:曇 東の風やや強い。
 天候が良くなかったせいか種類は少なかった。特に海の上が寂しかった。
 しかし、ベニヒワの記録は価値があるだろう。渡の途中なのだろうか。餌を採ることに熱心だった。

2009年4月21日火曜日

根釧原野心の荒廃


 先日、釧路の帰り道、国道のあちこちに車が止まっている。藪の中から鎌を持った人が現れ出た。どうやらタラの芽を取ることが目的らしい。

 よく見ると周囲には幹の途中からスパッと切られたタラが林立している。タラの芽は早春の山菜だ。柔らかな歯触りと口いっぱいにひろがる芳香は、一度食べたら忘れられない。この時期、皆が夢中になってタラを探したくなる気持ちはよくわかる。

 しかし、鎌で枝ごとスパッと切ってしまうことはどうだろう。芽の部分だけを折り取るのであれば、タラの木は遅れて二番手の芽を付ける。だが、枝ごと切り落とすと芽の直下にある成長点も取り除かれる。山菜採りのルール違反だ。二番目の芽を取ることもルール違反とされている。再生可能性を失わせ、持続可能な利用ができなくなる。

 そんなことに思いを馳せさせる様子は微塵も見せず、「ご意見無用」という幟を背負ってでもいるような態度の野卑な山菜採りの姿は不愉快きわまりないと感じた。

 せっかくの春らしい穏やかな日差しが、悲しいものに変わってしまった。


 今夜は、タラコとトマト、水菜、長命草のスパゲッティ。ありがたく美味しかった。 

2009年4月20日月曜日

夕食は長命草サラダ




 昨日、札幌の地下街の沖縄物産店で「長命草」が売られていたので買ってきた。

  「長命草」とはボタンボウフウとうい和名のセリ科の海浜植物のようだ。
  学名は  Peucedanum japonicum
  沖縄では「サクナ」とか「チョーミーグサ」とも呼ばれていて、海岸で普通に見られる、とのことだった。
 八重山諸島では、御嶽(うたき=お祈りを捧げる神聖な場所)での神様への捧げ物には、長命草を使った料理は欠かせないらしい。つまり、神聖な植物だということだ。
 成分には、カロチン・ビタミンC・ビタミンEが多く含まれ、喘息・肝臓病・腎臓病・高血圧・動脈硬化・リウマチ・神経痛など万病に効く、ということでサプリメントもずいぶん作られているようだ。
  食べられる主な部分は葉で、全体の幅は10センチ前後、深く裂けた三出複葉で,緑色は濃い。
 口に入れて最初に感じるのは苦み、そして微かに独特の芳香。その後、爽やかな後味が残る。
 全体の印象を一言で表せば「美味しい」となる。
 おそらくこの植物は、古くから薬草として用いられてきたのだろう。そして、その旺盛は繁殖力で、沖縄やその他の暖かい地方で自生するようになったのではないだろうか。与那国島など沖縄の各地によく見られるという。
 夕食に長命草を食べながら、古い歴史を思いみる夜。

2009年4月19日日曜日

また、札幌へ

 父が再入院したので見舞いのため札幌に来ている。すぐに帰るけれど。
 父の病状は前回とおなじようなもので、さし迫ったものはない。

 やはり、今の時期、札幌は道東よりも一段と暖かく、ちょっと得した気分だ。先日まで東京に行く機会が多かったのだが、あらためて札幌とと東京を比べてみると、人口密度が低く道や建物が広々している分だけゆったりしている、と感じた。どちらも「都市」としては似たようなものなのであるが。
 当たり前のことのようだが、気づいてみれば新鮮だ。 

2009年4月18日土曜日

休日



 北からの風が一段落し、南よりの風が吹き始めた。気温も昨日あたりから再び上がり始めている。
 きょうは、家の周りの片付けなどしながらゆっくり過ごした。気になっていた庭(と呼べるようなものではないけど)の手入れも少しすることができた。
 風通しを悪くしていたマツの枝を落とし、ウメの剪定を行った。もう、花芽が膨らみ始め薄く赤味がさしている。
 捨てるのは忍びがたく、水の入った容器に挿しておくことにした。

2009年4月17日金曜日

知床峠除雪状況視察

 知床峠の除雪が進んでいる。今日、役場の関係者がバスで視察に行った。僕も行きたかったのだが授業があり断念した。もっと早く知っていたら…。

 行ってきた人の話では、前年より積雪量は多いのだそうだ。一月末あたりまでは雪が少なく、会う人ごとに
「楽な冬ですね」などと挨拶代わりに話していたのだが、二月に入ってから大量の降雪があって、市街地でも結局例年通りの積雪、ということに落ち着いた。

 異常気象だ、と言われていて、確かにそのような面も目立つのだが、山の積雪は、結局毎年の帳尻を合わせてみせるものらしい。

 去年の秋から峠により近い場所に引っ越した。そのためか、今年は峠の開通がいつになく待ち遠しく感じる。 

2009年4月16日木曜日

四文字熟語的生活

 東奔西走と言えば聞こえは良いが、実質は右往左往と言うべきだろう。四月、新年度に入ってからの生活だ。所属と机は羅臼町教育委員会にあるのだが、仕事先は主に羅臼高校。必要に応じて町内の各学校。場合によっては、知床のフィールドである。いわば知床半島全部が勤務先みたいのものだ。これはとても素敵なことなのだが、30年以上にわたって鎖に繋がれて飼われていたイヌが、突然野に放たれたようなもので、戸惑いを覚える。
 戸惑いを覚えるのだが、つくづく幸せなことだと思う。そして、あらためて知床、という土地の持っている底知れない力と懐の深さを実感している。

 今日は、風の強い一日であった。北よりの風が山にぶつかって跳ね返り吹き下ろしてくる。その吹き下ろす風によって、海面が泡立っている様子が実に美しかった。しばらくじっと見ほれていたものだ。

2009年4月15日水曜日

学校設定科目

 退職したが週に9時間の授業を持たせてもらっている。学校設定科目として作った自然環境科目群の科目である。
 羅臼高校の自然環境科目群は「知床概論Ⅰ」、「Ⅱ」、「Ⅲ」  各1単位
  他に2単位ずつ 「野外観察」、「海洋生物」、「環境保護」、「野外活動」、「観光基礎」
 全部で8科目13単位ある。
 「知床概論Ⅰ」と「Ⅱ」、「野外観察」は、すでに実施されている。今年度、新たに5科目がスタートした。
 実は、これらの科目は、僕が作ったのだ。作っておきながらさっさと辞めてしまう、というのはあまりにも無責任で、ある程度軌道にのるまでは僕自身で授業をやってみる責任もあるだろう。
 そんなわけで3年目を迎える「知床概論Ⅰ」、2年目になる「知床概論Ⅱ」、はじめから他の教科(地歴公民科)の先生の力を借りようと思っていた「観光基礎」の3科目を除いた5科目9単位の授業のお手伝いに行くことになっているのだ。
 週9時間の授業というのは常勤の先生と変わらない密度だが、あくまでも「お手伝い」だから気持ちは楽である。
 それにしても、自分の作った科目が他の先生によって授業されている、というのは、何とも落ち着かないものである。
 

2009年4月13日月曜日

草食系なのダ



 朝、別海より出勤。
  足下にクロッカスが咲いていた。いつの間に咲いたのか?日陰にはまだ雪が残っているが、日本の北極圏・根釧原野にも春は近づいている。

 草食系男子が流行っている。
 今日の夕食はトマト、ニンジン、レタス、アボカドのサラダ。
 ニンジンは先日、大量に頂いた。ウマにも食べさせたが、まだまだ残っている。ウマに食べさせるほど残っている。レタスは冷蔵庫整理の過程で発掘した。アボカドとトマトは、まあ、ささやかな贅沢として購入した。
 独りで食事を作って食べていると、つい簡単なものへと偏る。体重もちょっと気になってきたし、ここらで体制(体型か?)の立て直しを、ということで今日の夕食は全面的に草食。
 これで、僕も草食系男子だ。
(「マサカ!そんなわけ無い!草食系からもっとも遠いヤツだ」と陰の声)

2009年4月12日日曜日

ウマのお話

 我が家にはウマが3頭いる。エカテリーナ、ウエディングロード、クイックターンという名だ。ウマはウマを呼ぶ。友人が所有してるウマがいたが、預け先が遠く、通うのに不便だ、とういことで3年前から我が家で預かることにした。
 マロンというせん馬だ。「せん馬」とは去勢された馬のことだ。優秀な馬でエンデュランスで好成績を挙げている。
 久しぶりにマロンの持ち主が来て、散歩に連れ出して行った。今年は、昨年よりもっと距離の長いエンデュランスに出場してみたい、と張り切っていた。
 こうして早春の日曜日は過ぎていく。 

2009年4月11日土曜日

ヴァイオリンひとり

 いきなり四本の弦が全て音を発した。同時に全身に電流が走るような衝撃を受けた。昨日、「ヴァイオリン ひとり」という小さなコンサートを聴きに行った時のこと。なぜ衝撃を受けたのだろう。
 まず、予想外の豊かな音量が発せられ、その迫力に打たれたこと。無伴奏ソナタ独特のくっきりとした輪郭のメロディが瞬時に空間に広がったこと。そして、複数の弦を同時に弾く重音が惜しげもなく(当たり前だが)満ちあふれたこと、によるものであろうか。

 スイスのチューリッヒ在住の河村典子さんというヴァイオリニストのコンサートだった。バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第一番ト短調とヴァイオリンパルティータ第二番ニ短調の二曲が演奏された。会場は、釧路市内の「ジスイズ」という喫茶店の二階。それほど広いとは言えないスペースだが客席はほぼ満席だった。幸運なことに最前の席に座ることができた。演奏する河村さんまでは2メートルと離れていない。
 バッハのソナタやパルティータは高校生の頃から、CDなどで何度も聴いてきたが、これほど近い場所で聴くのは初めてだった。無伴奏の曲には重音と呼ばれる複数の弦を同時に弾く技法が多用されているのだが、それを間近で聴き、見たのは初めての経験だった。

 河村さんは数々の賞に輝く世界的に活躍する芸術家なのだが、演奏を終えるとヴァイオリンを構えた時の厳しい表情がスッと消えて、その辺りを歩いている気さくな女性のひとり、といった感じだった。
 そして、音楽の演奏は、演奏者、作曲者、聴衆の三者が出会って成り立つ瞬間の芸術であり、そのために尺八の門付けのような感じのひとりのコンサートを2005年から続けてきて100回を目指しているのだそうだ。そして、バッハの曲は、それにもっともふさわしいと思うとのことで、このことを僕はとても嬉しく感じた。
 昨夜のコンサートは59回目だという。

 良い夜だった。
 

2009年4月10日金曜日

結核

 詳しいことは調べてないからわからないが、数日前のニュースで有名な漫才コンビの一人が結核に罹患していたことがわかり、そのライブを見に来ていた人たちから、保健所に問い合わせが殺到している、ということが伝えられていた。
  結核は、撲滅された伝染病ではない。今でも患者が出た、というニュースは時々報道される。教員や看護師などが罹患していることも話題に上ることがある。患者と接すると感染の危険も無いとは言えない。
 それはわかるのだが、このニュースとその報道のされ方にある種の違和感を感じた。どうしてだろう。
 まず、患った本人のコンビ名と名前や顔写真がテレビの画面に大きく何度も登場したこと。その必要性が本当にあったのか、という疑問を感じた。罹病するというのは個人的なことであり、患者のプライバシーは尊重されるべきではないだろうか。結核菌の感染力がどれほど強く危険なものか判断は、差し控えるが、あのような報道のされ方で、病気の本人やその家族は、どのように感じるだろう。
 結核への感染の危険は、人混みの中に身を置いていれば誰にでもありうることで、個人個人が定期的に検診を受けるなどして防が無ければならないことだと思う。例えは悪いが性感染症に対しても同じことだろう。
 また、情けないのは「問い合わせ」を殺到させた人たちだ。報道ではまるでパニックが起きているかのように表現したと思う。

 こんな気風がハンセン病患者への長期間にわたる差別を作り出したのではないだろうか。

2009年4月9日木曜日

タイムカード

  去る3月31日をもって退職した。浪人生活を送れる、と思っていたら教育委員会から声がかかり、すくい上げてもらった。今は、教育委員会に立派な机があり、環境教育に関する仕事に専念できる。まことにありがたいことである。
 
 生まれて初めて、タイムカードというものを使うことになった。ずっと「学校」というちょっと浮世離れした場所で働いてきた。タイムカードを使っている職場の映像を見て、その仕組みや使う目的などは理解していたのだが、触ってみるのも初めてだった。
 そのため、「出勤」と「退勤」を自分で切り替えて押す、ということを知らず、退勤時なのにスイッチが「出勤」になったままカードを入れてしまい、出勤時刻がとんでもない時間になってしまうというような失敗もあった。
  お昼休みを一時間きちんととれる、というのも新鮮で、外食にでかけてみたくなる気持ちを抑えるのに骨が折れる。

 今、デスクワークが多いのはやむを得ないが、そのうちにフィールドに出ることの方が多くなると思われる。それも楽しみだ。
 ワクワクするような毎日である。

2009年4月8日水曜日

朝の根室海峡



 このところ好天が続く。
 朝、根室海峡と右に見ながら知床半島に入る。眼前に知床連山が横たわっている。
 ああ、ここに居られて良かった、と思う。

2009年4月7日火曜日

針が立つ



 「針が立つ」というらしい。天候が荒れることをだ。羅臼の女性たちがごく普通の会話で使っている表現だ。初めて聞いたとき、天気が悪いと裁縫の針が、自然に一斉に上を向く様子を想像した。アホだ。
 「針」とは、アネロイド気圧計の指針のことだった!
 そう言われてみると、アネロイド気圧計の文字盤で、最も上は1000hPaだ。通常の気圧は大体1010とか1020とかだから1000hPaを指し示すということは、かなり気圧が低下していることを意味する。歴史的に、漁師町では、気圧計の針が上を向いたら嵐が近づいているんだ、というような教え方をしていたのではないだろうか。
 なんだか、とても貴重な、温かみのある表現に出会ったような気になった。
 今度、使ってみようかな。

2009年4月6日月曜日

霧の森と月光





  月光に照らされた森に行った。
 満月までは、まだ何日かあるが、全く光のない森を照らすのに月の光は十分に明るく、青い光の中で、樹木たちは、黒い影となって静かに立っていた。静かに佇んでいるように見えた。しかし、そこでは、昼間とは別のはげしい生命活動が行われていたように感じられた。

 いま、樹木たちは、凍った地面から、わずかに解けだした水分を、かき集めるようにして吸い上げ、はるか高みにある樹冠部まで押し上げる活動の真っ最中なのだろう。競い合って水を吸い上げているのだろう。まだ眠っているように見える森の樹木たちは、生命力の全てをかけて、その仕事に打ち込んでいるに違いない。
 水を押し送る根端の細胞の活動が、数値では感知できない律動となって、晩冬の夜の森をふるわせていたのかも知れない。

  突然に霧が出てきた晩の出来事である。

2009年4月5日日曜日

シマフクロウと写真愛好者たちと

 先日、シマフクロウの保護・増殖活動をしているNPOの理事会が開かれた。

  シマフクロウは、魚食性の大型のフクロウで、かつては北海道のほぼ全域に生息してた。森林の伐採で繁殖に必要な大木が減り、河川の改修やサケ・マスの河口部での捕獲、などによって、生息数が激減し、一時は道内に数十つがいしか残っていないのではないか、と言われた。現在でも百羽余りが生息してるに過ぎず、絶滅に瀕していることに変わりはない。簡単に言うとタンチョウよりももっと少ない個体数しか生息していないのだ。
 シマフクロウの保護・増殖活動は、環境省が直接行っている事業ではなく、特別に高い志を持つ一般の市民の活動に依拠している。
 僕の友人も十数年前に勤めを辞め、道東に移り住んでシマフクロウの保護と増殖に取り組み始めた。やはり、全くのボランティアである。しかし、個人の活動にはいくつかの限界がある。
 第一は資金の問題。保護/増殖活動には、餌となる生きた魚の購入、巣箱の設置など莫大なお金がかかる。しかし、個人で集めることのできる寄付には限界がある。
  第二は時間の問題。絶滅しかかっている種を復活させるためには数十年、時には数百年にも及ぶ時を必要とする。一人の人間の寿命をはるかに超えたスケールの時間が必要なのだ。
 とても個人で対応できるものではない。

 そこで、彼は、昨年NPO法人を立ち上げて大口の寄付を集めることと後継者となる人材の育成に取り組み始めた。これは、画期的なことだった。僕も積極的に協力していくことにした。
 このNPOの活動は、多くの寄付によって支えられているのだが、いくつかの困難な問題にも直面している。その最大のものは、保護・増殖活動を行っている場所を明らかにできない、ということである。原則的にはその市町村名さえ明らかにすることがはばかられるのだ。
 その理由はカメラマンである。絶滅に瀕している鳥の写真を撮りたい、という写真愛好家が多すぎるのだ。もし、その生息場所を明らかにしたならば、おそらく数十、数百のヒトが大型レンズを抱えて集まり、シマフクロウが現れるとフラッシュの連射を浴びせることになるだろう。タンチョウを狙って冬の阿寒町や鶴居村に集まる写真愛好者の群れを見ると、このような結果は簡単に予想できる。
 もちろん中には、謙虚な気持ちを持ち、真摯な態度で自然と向き合うカメラマンもいると思うのだが、つい目についてしまうのは、自分の望む写真さえ撮ってしまえば後のことはお構いなし、というモラルを持たない写真愛好者たちである。

 このことによって、NPOの活動に必要な資金を集めることにも若干の支障が出るのだ。つまり、「自分の寄付したお金の使い道が明らかにされないような団体には寄付できない」という声が上がるのだ。この考えにも一理ある。
 だから、結果的にはシマフクロウの現状とそれを取り巻く世間の現状を十分理解し、寄付金の使途がそれほどハッキリと知らされなくても構わない、という個人や企業にしか頼ることができないのだ。
 もちろんNPOの側も全てを秘密主義にするのではなく、可能な限り情報を公開するよう努める必要がある。だが、それには限界があるということも理解して欲しい。

 上から目線で「金を出す以上、何でも知る権利がある」と居直るような態度(最近、この手の権利主張がやたら目につくのだが)には、何となく近寄りがたい、または与しがたい距離を感じる。

2009年4月4日土曜日

うれしい知らせ

 一昨日、嬉しい電話があった。8年前に卒業させた生徒から結婚式に出席してほしい、と言ってきたのだ。しかも、結婚相手は、高校の時から交際していた同期生。彼も1年生の時に僕が担任していた。
 彼女は、真面目な生徒だった。北海道新聞のコラムに彼女についてこんなエピソードを紹介したことがあった。

 その時、A子、E子と私の三人は、フライドポテトの材料を探して、町に出てきた。学校祭のHR企画で喫茶店をやることになっていたのだ。スーパーの冷凍食品の並んだ棚を見て、E子とA子は動かなくなってしまった。フライドポテトは、予想していた値段よりはるかに高かったからだ。もう、模擬店の売値を変更はできない。赤字覚悟で売るか、一人分の量を極端に減らすか。皆、見通しの甘さを後悔した。
 「私、ちょっと店長に聞いてくる。」その時、E子が言い出した。
 E子はそのスーパーに隣接するMバーガーでアルバイトをしていた。そこには、当然のことながらフライドポテトがある。その材料を分けてもらおう、と考たらしい。
「調理した製品ならいくらでも売ってくれるだろうけど、材料を分けてくれるとは思えないなあ。」と私。
「とにかく行って、聞いてくる。」と彼女。
後姿を見送るしかなかった。

 しばらくして、
「あのね、先生!必要なだけ売ってくれるって。コッソリだけどね。それに、店長の好意で一袋寄付してくれるんだって。」と、うれしそうに戻ってきた。大手の有名なチェーン店である。私は耳を疑った。

  E子は牧場の娘だ。働き者で家業を手伝ってトラクターも運転する。体を動かすことをいとわない明るい性格。入学してまもなく、この店でアルバイトを始め、ずっと続けてきた。今も続けている。
 仕事が長続きせず、アルバイト先でさえ次々に変えていく飽きっぽい者も少なくない。そんな中で、よくがんばってるな、という印象を持っていた。しかし、ここまで店から信頼されているとは。彼女の人柄をあらためて見直した。
 そして、この経験は彼女に、誠実に働き続ければ、社会が自分を評価してくれる、ということを実感させたことだろう。もちろん、クラスの他の生徒にも。生きた教訓になっただろうことは間違いない。
 学校祭当日、わがクラスのフライドポテトの味は全校の評判を呼んだ。会う人ごとに、皆が私に訊いたのだ。
「どうして3Aのフライドポテトだけがあんなに美味しいの?」と。
 嬉しさをかみ殺し、本当の事を言いたい気持ちをグッとガマンして、とぼけた。
「なんでかねぇ?生徒たちがココロを込めて作ったからかもしれないねぇ」

2009年4月3日金曜日

進化と性格

 昨日に引き続き、好天。北側に高気圧があって風が冷たいが日差しは春に違いない。だが、風も弱く穏やかな一日である。
 年度始めの週末ということで、新任者の挨拶回りなどが錯綜して、落ち着かない一日であった。このまま週末に突入し、小中学校は来週から新学期がスタートするわけだ。
 この時期にいつも思うことだが、年度を終えてから新たな年度が始まるまでがあまりにも慌ただしい。もう少しゆとりがあれば、新年度の計画をジックリと練ることができるだろうと思うのだが。

 昨日、友人と話していて、人間の性(しょう)の話になった。血液型で性格を分類することを信奉しているヒトも多いが、それは、あまりに単純すぎるのではないか、というのである。血液型では、たった四つのタイプにしか分類できないわけで、無理矢理それに当てはめるのは乱暴すぎるように思う、というところから話が始まった。
  そこで、海と空と陸の三つの要素をどのような割合で持っているか、で性格を表せないだろうか、ということになったのだ。そもそもの発端はそれぞれの環境が生物をどう進化させるか、ということだった。
 つまり、海という環境は、重力の影響を浮力で相殺してしまうので生物を大型化させていく。反対に空は、重力に逆らって飛ぶために、極端な軽量化と簡素化を生物の形態に求めてくる。陸上は、一定の軽量化を求めると同時に大型化と小型化の相反する進化の方向を生物に要求する。
 このような事実から、人間の性格にも「海的な面」「空的な面」「陸的な面」という三つの側面があり、それぞれの割合でその人の性格や相性が表現できるのではないか、ということになったのだ。
 まあ、戯れ言に過ぎないのだけれど、ちょっと興味深い話になったので、記憶にとどめておこう、と考えたわけであります。

2009年4月2日木曜日

早春の海岸で




 久しぶりに青空の一日となった。
 夕方、相泊まで行ってみた。オッカバケ漁港のカーブで知床岳が夕空にくっきりとそびえていた。美しい知床半島で生活していることが実感できるひと時だ。こんなにも美しい場で、僕は暮らしていたのだ。
 濃い蒼色に変容する直前の海も、バラ色に照り返す雪も、ピンクに染まった空も全てが知床なのだ、と感じた。(ワケわからんネ)
 とにかく、久しぶりの良い夕方でした。

2009年4月1日水曜日

シャチ





 ビジターセンターにシャチの骨格標本が設置された。
 2004年2月、羅臼町相泊の海岸に一つの群れが集団で座礁したことがあった。その時の一頭の雄の骨格がこのほど展示されたのだ。体重6.6トンだという。それまで空きスペースがあったことがウソのようた。高い天井からの空間がすべて埋まっている。すごい存在感である。近くにあったヒグマやオオワシの剥製が小さく見える。

 こんな大きな動物が泳ぎ回っているのが海なのだ。
 まさに「レプン(海)カムイ(神)」だ。