2011年11月30日水曜日

チェルノブイリハート

昨日、「チェルノブイリハート」を観てきた。
 2003年に制作された短編のドキュメンタリー映画で、1984年のチェルノブイリ原子力発電所事故の影響(と思われる)ウクライナで出生した障害を持った子どもたちの記録である。特に「チェルノブイリハート」と呼ばれる心臓の奇形(心房や心室、またはその両方の中隔欠損)を持った子どもとその手術にボランティアで取り組む米国人医師チームの仕事をフィルムに収めている。
 
 観る人の感情に訴える側面ばかりが強すぎるいう批判もありようだが、そこが映画のねらいだったのだろうと思う。
 2004年に国連総会で上映されている。
 
 放射線の人体への影響に関して未知な部分が多すぎるから、専門知識の無いわれわれへの伝わりやすさを追求すると、あのような内容になるのかなとも思う。

 疫学的に、つまり状況証拠として、放射線が催奇形性を持っていて、「子どもの子ども」の世代に影響を与えることは確実なようだが、作用機序は必ずしも十分に明らかにされていない。
 この因果関係の曖昧さをめぐって、「反原発派」と「原発推進派」は対立する。
 「推進派」は、原発から発生する利益に群がっているいるし、権力も、お金も、暴力装置もそろっている。マスコミも味方につけている。
 それに対して「反対派」は、圧倒的に力を持たない。より多くの市民の支持に依拠して闘うしかない。そのため、反原発運動は、あくまでも理論的に進めなければならないだろう。
 だから、因果関係のわかりやすい説明が渇望されるわけである。
 この映画が撮られてから現在までの9年間に、分子生物学の分野などで放射線の影響についての研究も大きく前進していることだろう。今後、この方面からのわかりやすい情報提供が増えることを希望する。
そして、感情的なアプローチも大切なことではないかと思う。
 母親が、生まれてくる子どもが健やかで幸せであるよう願うのは、理屈を超えた感情だと思うし、僕たちが次の世代に、健全な環境を残してやりたいと考えるのも自然な感情だと思うから。

 映画の冒頭で、日本公開に際して寄せられたメッセージとしてナジム・ヒクメットの詩が紹介されていた。
 映画の制作者の思いは、ここに込められていると思う。
 僕も同感。

「生きることについて」
                ナジム・ヒクメット

生きることは笑いごとではない
あなたは大真面目に生きなくてはならない
たとえば
生きること以外に何も求めないリスのように
生きることを自分の職業にしなくてはいけない

生きることは笑いごとではない
あなたはそれを大真面目にとらえなくてはならない

大真面目とは
生きることがいちばんリアルで美しいと分かっているくせに
他人のために死ねるくらいの
顔を見たことのない人のためにさえ死ねるくらいの
深い真面目さのことだ

真面目に生きるということはこういうことだ

たとえば人は七十歳になってもオリーブの苗を植える
しかもそれは子供たちのためでもない

つまりは死を恐れようが信じまいが
生きることの方が重大だからだ

この地球はやがて冷たくなる
星のひとつでしかも最も小さい星 地球
青いビロードの上に光輝く一粒の塵
それがつまり
われらの偉大なる星 地球だ

この地球はいつの日か冷たくなる
氷塊のようにではなく
ましてや死んだ雲のようにでもなく
クルミの殻のようにコロコロと転がるだろう
漆黒の宇宙空間へ

そのことをいま 嘆かなくてはならない
その悲しみをいま 感じなくてはいけない
あなたが「自分は生きた」と言うつもりなら
このくらい世界は愛されなくてはいけない

2011年11月29日火曜日

タラとの格闘

「好きなだけ持って行っていいよ。」という言葉につい欲を出し、スケソ(スケトウダラ)の大きな袋を下げて、帰った。
 昨日は、遠来の友人を迎えての夕食の会があったので、それまでのわずかの時間を利用して捌いた。
 20匹近い量だったのですべて頭を落として捨てることにした。実にもったいない。スケトウダラの頭は煮るといい出汁が取れるし、食べても美味しいからだ。
 卵巣と精巣の生殖腺と肝臓を取り出した。
 今日は、釧路へ行かなければならないので、今夜遅くまで家の冷蔵庫に入れることはできない。こんな時は、冬の寒さはありがたい。車のトランクに入れておけば、そこは冷蔵庫よりも低温だろうから。
 しかし、肝臓や生殖腺は傷みやすいし、イキの下がったものは食べたくない。
 そこで、これらは濃い食塩水に漬けた後、蒸してみることにした。
 身の方も海水よりも少し濃い食塩水に漬けてから荷造りした。

 これで今夜まではなんとか鮮度を保つことができるだろう。

 羅臼の前浜のスケトウダラ漁は、かって大変なものだった。盛漁期にはスケソに携わる人で町の人口の倍くらいになり、漁期の2ヶ月少々の期間に120億円から150億円の水揚げを誇っていた。
 スケソ漁をしている人々と温泉で一緒になったことがあったが、彼らが
「もう1本いったか?」
「うん、いったいった。もうすぐ2本目だ」などと会話しているのを聞いたことがある。
「1本」とは1億円の水揚げのことらしかった。

 今の羅臼には、その頃の賑わいはない。
 スケソ漁に来る男たち相手に営業していた、酒場の看板が、山を越の風に痛々しく揺れているばかりでだ。

 「資源」としてのスケトウダラの最盛期は過ぎ去ったのだろうが、「生物」としてのスケトウダラは、この海でしっかりと生きている。
 明日は、この魚を楽しめるだろう。

2011年11月28日月曜日

未熟な社会の未熟な人々

朝夕は、冷え込み、霜で道路が凍っている場所もチラホラと見かけるようになったが、例年に比べると冷え込み方が弱いように感じる。
 過ごしやすいので楽なのだが、その一方で物足りなく感じるのは、ニンゲンの我が儘というものだろうか。

 大阪の選挙で当選した人や、われわれの税金から1200万円も払いチャーター機で中国を訪問した外務大臣など国政の中心にいる「エリートっぽい」人々、100億円を超えるお金をギャンブルに注ぎ込んだ大会社の三代目など、どこか共通するニオイを感じる。
 どの人も何かしらの「勝者」であること、人生の辛酸を体験せずに育ってきていること、そのためだろうが競争によって何でも良くなるという「競争至上主義」を信奉している点、競争至上主義の帰結として新自由主義者であろうと思われる点などが共通しているのだろうか。
 誰をとっても同じような目つき・表情・態度で、どうにも胡散臭く鼻持ちならず、不快な存在だ。

 このような体系を下ざさえしているのが「一流有名大学卒業」というラベルである。やはり日本の入試制度は根本から作り直さなければならないのだろうが、「一流大学」が経歴にハクをつけるためにだけ使われている事実は嘆かわしい。
 同じ大学でも地道にコツコツと勉強している学生や教員も多いだろうに。

 先日亡くなった立川談志は、17歳で柳家小さんに弟子入りしたという。たぶん絢爛たる学歴とは縁のない人だったのだろう。
 だが、彼の知識は古典落語以外にも広く深いものだったことは、ここにあらためて書くもでもないだろう。

 人を肩書きや学歴だけで評価することから日本の社会はまだまだ脱することできないでいる。
 ひょっとしたら、永遠に脱出できないかも知れない。

2011年11月27日日曜日

3号機の稼働

昨日設置した3号機が、本日、稼働を開始した。

もちろん原子炉ではない。
 生ゴミを発酵させて堆肥にするコンポストのことです。

 昨年の春、1号機を設置したが秋には一杯になった。そこで2号機を設置してほぼ一年間使ってきたがそれも満杯になったので3号機の設置ということになったのである。

 気温が低いためか発酵が遅く、堆肥化の進み方が緩やかで、ただちに堆肥化するわけではない。
 想定以上に時間がかかった。
 そこで、3号機の建設?ということになったわけだ。

2011年11月26日土曜日

冬晴れのオリオン星雲


 冬晴れの一日。
 遅ればせながら冬支度が少し進んだ。
 それにしても、ゆっくりと冬支度をする時間がない自分が情けない。

 まあ、それはともかく、カラリと晴れ上がった空は気持ち良い。


 夜は当然のように降るような星。
 そしてキリリと冷え込む。

 しかし、昨夜は新月。
 今日も月の無い闇夜だ。
 星の写真を撮るまたとないチャンス。

 重い三脚を担いで草地に出る。
 北極星にレンズを向けて、露光15分。

 レンズが暗いのだろうか?どうも写りがよくない。
 収穫はオリオン座くらいのものかな?

2011年11月25日金曜日

科学と自然災害、そしてシンポジウム

昨日、北海道の浦河沖で震度5弱の地震があったが、その直前に緊急地震速報が流れた。
「道東から道南の太平洋側の地方で、強い揺れが予想されます」というアナウンスは、一瞬で全身を緊張させる。
 北海道東部に住んでいて過去、数度強い地震を経験しているので、放送を聞きながら、
「また、あんな揺れが襲ってくるのかなあ」と身構えたのだ。
 結果的には、ここ道東地方は震度2で、大きな周期の横揺れが、少し長く続いただけだった。

 以前に体験した震度5クラスの大きな地震は、すべて突然襲ってきた。
 揺れている最中はほとんど為す術がない。これは、予想があろうとなかろうとあまり変わらないのではないかという気がするが、揺れが来る前に自分の周囲を見回し、小さな対応ならできそうな気がした。
 わが家では、ガスレンジで湯を沸かしていたが、揺れの前に火を消すことができたのは、緊急地震速報の効果だった。

 福島第一原子力発電所の事故で、科学技術への不信感が高まっているが、直前とは言え、大地震の予測ができるようになったことは、画期的なことではないだろうか。
 2000年3月31日の有珠山噴火も、当時北海道大学大学院教授だった岡田弘(おかだひろむ)先生らによって、完全に予測され、住民が噴火前に避難したことで人的被害は皆無だったというのも科学の快挙だ。
 
研究費も切り詰められ、応援してくれる企業などもそれほどない厳しい条件の中で、ただひたすら地味な研究に打ち込んでいる科学者も少なくない。
 こういう科学者の爪の垢を煎じて、原子力発電を推進する御用学者たちに飲ませてやりたい。(「ただちに健康被害の出る恐れのないセシウム137などもコッソリ混ぜたてネ)

 岡田弘さんも参加するシンポジウムは12月3日(土)札幌クリスチャンセンターで開かれる。

 シンポジウム「東日本大震災:超巨大地震・津波被害、福島原発災害を考える」
とき:2011年12月3日(土) 13時~
場所:札幌クリスチャンセンター・2Fホール(札幌市北区来た7錠西6丁目)
  報告者:岡田弘  (北海道大学名誉教授)
     ◎「東日本大震災から何を学ぶか…直撃回避への道」 
松井英介(岐阜環境医学研究所)
◎「『低線量』内部被曝と健康管理」
大友詔雄((株)NERC(自然エネルギー研究センター)センター長)
◎「転換期を迎えた自然エネルギーの現状と今後の可能性」
主催:東日本大震災問題シンポジウム実行委員会
(原発問題全道連絡会、自由法曹団道支部、全大教北海道、日本科学者会議道支部、北海道民医連)

2011年11月24日木曜日

地球の息づかい

朝、温暖前線が通過し非常に激しい雨が降った。その後、午前中は気温が上昇したが、昼過ぎに寒冷前線が通過して一気に気温が下がった。
 考えてみれば当たり前の話だが、大気循環の息吹と言ったようなものが直接感じ取れた一日だった。

 地殻や大気の息づかいを正しく感じながら暮らすこと。科学技術が進めば進むほどわれわれはこれを肝に銘じていくべきだろう。
 それを忘れた時、足下をすくわれて、取り返しのつかないダメージを受けるのだ。

2011年11月23日水曜日

知床の海から




 火曜日、「野外活動」の授業は釣りだった。
 港に出かけチカを釣った。

 授業で釣りをするのは奇妙に受け取られるかも知れない。
 「野外活動」という科目は、トレッキングやホエールウォッチング、シーカヤックなど知床で可能な各種の野外活動を安全に楽しむための指導者を養成することを目指している。
 だから釣りも立派な学習項目になる。
 単に釣りをして楽しむだけでなく、体験を通してマナーや心構え、安全のための注意点なども学ばせるわけだ。

特に、釣りは指先の器用さや忍耐力、集中力、注意力などを養うのに、案外有効だと思う。

 もちろん教える側も一緒に釣る。
 釣果はまずまずで、大小入り混じったチカ多数とニシンを一匹手に入れることが出来た。

 大きなチカは開いて一夜干しに。
 小さなチカは唐揚げにして南蛮漬けを作った。

 今夜も知床の恵みに感謝だ。

2011年11月22日火曜日

小指の怒り

パソコンの「Enter」のキーがへたっていることに最近気づいた。
「『ただちに・・・・』だと?」
 「『冷温停止』だと?」
 「『除染』だと?」
 入力する度につい小指に力を込めて「Enter」を叩く。あまりの怒りで。

 「どれほど憤っても、オマエの怒りなど小指の先の力くらいにしかないのだよ」という嘲りの声が「トーデン」とか「ケーダンレン」などから聞こえてくるような気がするが。

 東京電力福島第一発電所の3号機で、20日に1600mSv/hの放射線量が記録されたという。
 この値は過去最高だったと言われているが、マスコミに大きく取り上げられた記憶はない。
 その一方で、「年内に冷温停止」をに到達するという政府や東電の意気込みだけは大きく報道された印象がある。
 これによって、多くの人が、
「原発事故はもう終息。あとは除染してヒトが住めるようになるだけ」という根拠のない安心感を持つよう、誘導され、原発事故は過去のものになる。

 事故が直後も「ただちに健康に影響はない」が繰り返され、放射能への真面目な対策よりも世論の沈静化が優先された。

 言葉を弄ぶのはもう止めるべきだ。

 太平洋戦争で形勢が不利になっても「退却」と言わずに「転進」、
 ボロ負けしても「敗戦」ではなく「終戦」と言い張る。
 何か大きな問題が起きても「課題」と言い換える。

 営業終了の後片付けをしているのに「準備中」という表示を出す。
人権を踏みにじるような差別をしても「区別だ」と強弁する。
 
 これほど言葉を軽んじた人々が、今までいただろうか。
 これほど言葉をねじ曲げた国は、今まであっただろうか。

言葉を冒涜した人々は、言葉によって滅びるに違いない。
 あたかも、マクベスが二重の意味を持つ魔女の予言で破滅したように。

2011年11月21日月曜日

亡霊を復活させてはならない!と思うのヨ

一昨日、忠類川でオオワシの成鳥を見た。
 オオハクチョウたちは今月中旬、滞在数が最大値になり、徐々に減り始めた。次々に南へ渡っているのだろう。
 今年は、南へ行く渡り鳥たちを見送るのが辛い。心が痛む。

 オウム事件の裁判が終わった。

 あまりにも衝撃的な事件で、つい昨日の出来事のような感じがしているが、もう16年も経ってしまったのだ。
 事件の原因や背景に対していろいろな立場から様々の意見が述べられているが、裁判を通して解明されたことはそれほど多くなく、被害を受けた人々にとっては釈然としないものが残っているようだと報じられていた。

 物理学や医学など理科系の優秀な学生や研究者が、数多く教団に入信し、続々と凶行に加わった。事件が明らかになってから、理科教育者の間で、科学的なものの見方を徹底的に教えていくことで非合理主義を退けようと話し合ったことがあった。
 「事実をありのままに見、事実から出発する」
 「物事を論理的に説明する」
 「仮説を立て、実験によって検証し、そこから法則を導き出す」等々のごく当たり前のものの見方をしていれば、空中浮揚などという、物理の初歩の法則から外れた子供だましのトリックに目を眩まされるはなかったと、その場の教師たちは考えた。

 だが、世の中は、単純ではないものらしい。
 原子力発電所の事故で、「科学への不信感」は高まるばかりで、「反科学」などというかび臭い言葉すら復活の兆しをみせている。
(「反科学」の旗を振っている本人たちが、科学技術の頂点が生み出した媒体に依拠しているところは可愛らしくもあるが)
 とにかく、科学への風当たりは一般的に強まっていると考えて良いだろう。

だが、頭を冷やしてほしい。
 原子力発電に固執し、建設を強行し、データを改ざんし、ヤラセを演じている側こそ科学的ではないのだから。

 科学の成果は、鉄腕アトムのように常に人間に味方し人間を助けるために活躍するほど甘いものではない。同時に、人間に害をなす魔物でもない。
 入力された事実に対して、淡々と結果を出力しているに過ぎない。そこに「意図」は存在しない。
 重要なのは、科学の成果をどう役立てるか、または、活用しないかを決めるのがニンゲンの側だということである。
 
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という心情は理解できる。しかし、だからと言って科学を蔑視し、非合理主義や神秘主義に走るのは、どうなのだろう?
 科学は、人間に害をなす魔女や悪魔や妖怪や呪いを否定する一方で疫病から多くの命を救い、飢饉を防ぎ、災害による被害を小さくしてきたではないか。
 もちろん戦争の手先となって大量殺戮を行ってきたのも科学である。

われわれは、自然科学の両面性をありのままに受け入れなければならない。
 「反原発」「脱原発」の機運が盛り上がることは大歓迎なのだが、オウムの亡霊が再びよみがえってくるような事態には立ち至ってほしくないのだ。
 それが気がかりなのである。

2011年11月20日日曜日

拡大する汚染被害

拡大する犠牲だと思う。

 福島市大波地区の米が放射性セシウムで汚染されていたこと。
このような事例は、これからもあるだろう。

 福島第一原子力発電所が事故を起こし、放射性物質がばらまかれるという事態になった時、住民や国民の安全を確保することよりも、事故をいかにして小さく見せるかという命題に真剣に取り組んでいたかという証拠がここにもある。
 米の栽培が不可能な地域をどれだけ小さくするかの努力が払われたのだろう。
  
本当に安全を第一に考えたのであれば、最初からもっと広い地域で栽培を制限すべきだったろう。

 「作っていいです」と言われて、収穫した後で、
 「やっぱりダメでした」と言われた農民の気持ちを考えているとは、とても思えない。

 事実よりも規則が先にあって、規則に触れなければいい。
 規則スレスレでも規則に抵触しなければ、何をしてもいい、という日本人の「真面目で小ズルイ」一面が、この間の出来事で次々と裏目に出ている。

2011年11月19日土曜日

獅子座流星群の夜に下弦の月に出会って考えたこと

獅子座流星群を見ようと
一昨日の深夜、空を眺めに外に出た

雲が密度を増し
星空は見づらくなっていたが
オリオン、木星、火星などの明るい星は見えていた

獅子座はまだ昇っていず
流星の気配もなかった

10年前
間断なく降り注ぐ流星雨を見て
この世にこんな現象があるのだと
心が震えた

それに比べ
なんと静かな夜であることか

どれほど長くても
百年足らずしか自然を観ることができない
人生の短さを指摘するかのように
「未曾有の」自然現象が
眼前に次々と展開する

われわれはそれらを
記録することはできるが
記憶することはできない
こうして
この種族の精神は
遅遅として発展せぬ

雪山で
道を見失い
一つ所をめぐり続ける遭難者のように

東の空に目をやると
月が出ていた

明晩は下弦の月

2011年11月18日金曜日

カニムシとの出会い


「カニムシ」って聞いたことありますか?
「蟹蒸し」=カニを丸ごと一匹蒸した料理・・・ではありません。それは「蒸し蟹」。

「セッソクドーブツ門 シュケイ綱 ギケツ目」漢字で書くと「節足動物門クモ形綱擬蠍目」と小難しく分類されている。

 「擬蠍」つまりニセモノのサソリだ。
 主に土壌中で暮らす陸生小動物で世界に23科3300種。日本には9科に約70種が記録されている。

 体長2ミリメートルほど。鋏の付いた腕を思い切り広げていて、凶暴そうに見えるけど、あれは実は腕ではなく、触肢だ。触肢とは、昆虫や蜘蛛などの口の周りにあるひげ。味や食感?などで食べられるかどうか判断するための感覚器感だ。
 人間でいえば舌や唇に近い働きをしている。

 この派手な
「いつでもやってやろうじゃないか。来るなら来てみやがれ!べらぼーメッ!」というポーズは、ほとんどの虫が地味で、ひっそり生きている土壌動物たちの中では、とても目立つ。顕微鏡下の人気者である。
 ただし、本人?は、いたって臆病だ。驚くとこのポーズのまま後ずさりして逃げ回る。見かけと性格がかけ離れているタイプ。

ただし、カニムシは肉食で、自分と同じくらいの大きさのトビムシをその鋏で抑えつけて食べる。そう考えれば、やっぱりミクロの世界の凶暴肉食動物である。

 カニムシは、自然度の高い環境でしか生きられないと言われていて、環境の豊かさを測る指標にも使われている。


 普段注意を払うことの少ない土壌動物の世界では、ひっそりと、しかし、しぶとく生きている生き物がたくさんあ。そこにも食べる・食べられるの関係、助け合う関係、利用しあう関係などがり、サバンナの動物たちと変わらない世界がある。

 放射能をまき散らして土壌を汚染する。
 「ジョセン、ジョセン」と大騒ぎしつつ表土を取り除きあちこちに動かしたり捨てたりする。
 ニンゲンの身勝手な振る舞いに、抗議することもできない小さな生き物たちは、いったいどんな思いで、この間の愚行を見つめているのだろう?

2011年11月17日木曜日

なにも今さら驚くことではないが

北海道電力と北海道庁が醜く癒着して、泊発電所のプルサーマル計画の説明会で「ヤラセ」を画策していた疑いが濃くなった。

 福島県では、検査して「安全」だったはずの※から600ベクレル/kgを越える放射能が検出された。

 前々から、政府の発表や商業マスコミの報道やらには、どうしようもない胡散臭さが付きまとっていた。だから、今回の事態を知っても「やっぱりナ」としか思わなかった。


 だが、考えてみれば、国の機関や当の電力会社が発表することが、まったく信用できない状態というのは、悲しいことだし大変な不幸だ。
 「勝った、勝った」と伝えられ続けいるうちに、大敗北に至った侵略戦争の時代と変わっていないではないか。

 もう一つ、この一連の事態のお陰で、本当に人間にとって必要で、人間を幸福にするための科学技術にまで、人々が不信感を抱くようになっていることも悲しいことに違いない。

 原子力発電を強行した勢力を断じて許すことは出来ない。

2011年11月16日水曜日

初雪


初雪が来た。
 昨夜から急速に冷え込み、朝、うっすらと雪が積もっていた。
 昼間の日差しと気温の上昇で、雪はあっという間に消えたが、
 「もうじき、ちゃんと来るからね」と言い残して、去って行ったような感じがした。

 初雪の書き置き一筆、草の上。「やがて地上を覆い尽くさん」

2011年11月15日火曜日

「いま、気になること」の原因について

昨日の記事に、次のようなコメントを頂戴した。
再録させて頂く。

親も一因かもしれません。

親にとって都合のいいように、こうしなさい、それはだめと叱り親が思う通りにやらせてきた結果、自分で考えない人間ができるのではないでしょうか。今まで親がいけないこともやることも決めてきたのですから、自分で考えるチャンスがなかったのかもしれません。また、叱られないためには親の顔色を伺うのがベストと防衛手段でもあったんでしょう。
かわいそうに、話を聞いてくれる人がいなかったんですね。

ふと思ったのですが、みんなでディスカッションする授業ってどうでしょう。ブレインストーミングみたいに一人3回は必ず発言するとか。そういう授業が日本には欠けているせいか、外国人との打ち合わせで黙りこむ日本人をよく見かけます。


まったくその通りだと思う。
日本の社会では、いつの間にか真理や正義よりも、誰かの決めた「正解」が優先されるようになってしまった。

多くのおとなも、その子どもも、そこにある「正解」を手探りしながらものを考える習慣が染みついてしまったようだ。

これは、怖ろしいことなのである。
もし、その「正解」を決めるのが「将軍さま」だったら、あの国と同じではないか。

フクシマ第一原子力発電所の事故以来、その色彩が一段と濃くなっているように思う。
あれら4つの原子炉がまき散らした放射能は、その前に固められた「自立的判断力」「建設的批判力」を失った精神構造からなる社会の上に降り積もった。

放射能はもちろん怖ろしいが、その下にあるココロの地層には、もっと怖ろしいものが埋まっている。

そして、そんな精神を形成するのに、少なからず荷担しているのがゲーム会社かもしれない。

2011年11月14日月曜日

いま気になること

ごく個人的な思いを書きたい。

 顔色を窺う生徒が増えていないだろうか?

 つまりこういうことだ。

 生徒を飽きさせないよう、配慮しながら授業を進めていくのは今や高校でも常識だ。
 一方的な「講義型」の授業では、通用しずらくなって久しい。

 そこで、授業中に様々な工夫を凝らした(それほどでもないが)発問(これは「業界用語」かな?ようするにこちらから生徒への質問です)をしながら授業を進める。
 できるだけ生徒に考えさせたいので、考えさせるように考えた発問をする。(クドイ!)

 ねらいとしては、教師からの質問への答えを考える作業をさせたいのである。

 僕が最近感じる不満は、生徒たちが答える時に、あまり考えずに答えることだ。
 質問に対して、とりあえず何か答えを言ってみる。そしてこちらの顔色を窺うのだ。
 「答えが違っていそうだ」と判断すれば、すぐに別の答えを言う。そしてまた、顔色を窺う。
 時によってはそれが正反対の答えだったりするワケね。

 「バカヤロオ!結局オマエの考えはどっちなんだ?」と詰め寄りたくなる。
 (詰め寄る時もある。)

 正解を出すことより考える過程を大切にしたいのに、いつから、こんな卑屈なニンゲンが増えたんだろう?
 
 こんなクソ面白くない精神を持った子どもたちを生み出した、現代の日本社会を僕は憎む。

2011年11月13日日曜日

サヨナラ東京


 昼過ぎに羽田空港を飛び立った。
 いつになくホッとした感覚を覚えた。
 東京の方々には申し訳無いが、やはり放射線の影響から少しでも遠い地へ帰ることのできる安心感を感じる。
 そして、出来るなら、自分の身内中でも年若い身内は、なるべくこの地に来させたくないという思いを強くした。

 座席は左舷の窓側だった。
 ふと外を見ると富士山が雲の上に堂々と頭を出している。コニーデの美しい斜線が目を捉えて離さない。まだ、東京湾の真上にいる。東京から富士はこれほど近くにあるのだとあらためて感じた。

 そして、ふと考えた。
 こんな美しい山。美しいということは、この山が若い活火山であることの何よりの証拠だ。日本という国は、列島全体が火山で出来ていると言っても過言ではない。
 これだけ火山があること。富士のような若い火山があるということは、地質的にもきわめて不安定であるということだ。

 そんな不安定な土地に原子力発電所を建てまくるなんて!
 どう考えても暴挙だ。狂気の沙汰である。

 原子力発電の技術は、アメリカやヨーロッパなど地震も少なく安定した地盤を持っている国で開発された。それをそのまま日本に導入するとは。
 明治維新以来、日本は欧米の技術を導入し、改良して今日の「繁栄」を築き、「技術大国」を標榜してきた。
 たしかにそれはそれで素晴らしいことだと思う。

 だが、欧米に追いついて、まだたかだか百年ほどなのだ。少し、急ぎすぎていないだろうか。
 科学技術ばかりでなく、欧米の植民地主義も真似た。そして手痛い失敗をしたのではなかったか?

 あまり知られていないようだが、風力発電用の大規模風車も同じような失敗例だと聞いたことがある。デンマークで生まれ、風量や風向が安定しているヨーロッパの風に合わせて設計された風車は、平野が少なく山が海に迫っている地形の日本のような不安定な風で回されると軸の部分がいつも大きな力を受けて、故障しやすいのだそうだ。

 日本人は「猿まねが上手い」と揶揄される。
 「真似」がすべて悪いとは思わないが、設計思想や歴史的な背景まで視野に入れた真似ではなく、上辺だけを模倣したのでは、手痛い失敗を繰り返し、世界の笑い者になってしまうのではないだろうか。

 そういう愚行に気づく人が、もっと増えて欲しいと願う。

2011年11月12日土曜日

東京海洋大学で


 その標本は、ミニバン3~4が入ればいっぱいになるほどの小さな建物の中に押し込められるように展示されていた。二頭分だった。
 
扱いが粗末なのではない。入れきらないほど大きいのだ。セミクジラの骨格だから。やむを得ないだろう。

 痕跡的な骨盤まで付いている。
 会議が東京海洋大学で開かれていたので、しばらくの間、鯨たちをゆっくり対面することが出来た。

 必要時上に鯨を神格化したり美化したりする考え方とは距離を置きたいと思うが、こんな巨大なほ乳類が海で暮らしているという事実は素直に受け止めたい。

 海や地球は、ニンゲンだけのものではない。
 骨格は、静かにそう思っているようだった。

2011年11月11日金曜日

東京の放射線量

出張で東京にやって来た。
 以前から気になっていたので、放射線量計を持参した。

 正直なところ、北海道の我が家の周辺とどのくらい違うかが知りたいという野次馬的な気持ちもある。
 しかし、購入した線量計が、正しく動作しているのかどうかを確認したいというマジメな理由もあった。

 千代田区のホテルの部屋で、0.14~0.21(μSv/h)だ。
 50メートル離れたコンビニからホテルまでの歩道を測ってみたが、0.15~0.24を示した。
 街路樹の周りや側溝の上がやはり高い。はっきりと有意な差が表れた。

 北海道の自宅では、線量が低い時は0.08を示す。
 どれほど精密なものかわからないので、数値そのものは完全に信用できない。けれども相対的に東京の放射線量が高いことは明らかだろう。
 東京では「0.08」は示されない。

 この放射線量は、もちろん「ただちに健康への影響が出る」値ではない。しかし、福島原発の事故によって、東京の人々は、本来浴びる必要のない放射線を浴び続けているということは事実だろう。

2011年11月10日木曜日

授業の一コマ




 今日から根室の日の入りが15時台になった。
 光の冬である。

 弱まる日差しを追いかけ、「野外活動」の授業は牧草地へ出かけた。

 狭苦しい校舎から解放された子どもたちにとって、この場所に立つこと自体が、もう既に十分な学びになっているのではないだろうか。

 ここも知床なのである。

2011年11月9日水曜日

立冬の知床から



 羅臼岳が雪を被った。
 羅臼岳のみではなく、標高800メートルより高いところは雪になったようだ。
この雪は、もう春まで融けないのではないかという予感がしている。
 いよいよ、知床にも冬が来る。

 家でも、たまに薪ストーブを焚く。
 薪ストーブは強力で、部屋の片隅で燃えているにもかかわらず、間仕切りのない部分全体が、短パン半袖で過ごせるほどに暖まる。

石油ストーブで、これほどまでに室温を上げると、
 「もったいない!」という思いが強くなり、心がチクリとする。
 だが、薪ストーブの温もりは、思い切り手足を伸ばして浸りきることができそうに感じるからおもしろい。

 もちろん、燃やされる樹木に感謝しているのだが。

2011年11月8日火曜日

突然の断水

 羅臼に一軒住宅をお借りしている。
 由緒ある商家だった方の住宅で、大変古い。
 一週間ほど水道を使わずにいた。先週、蛇口を開けたら水の出が悪くなっていた。
「出が悪い」などというものではない。一分間に200ミリリットルくらいしか出ない。
「ほとんど出ない」と言ってもよいだろう。

 屋内の配管も相当に古そうだったからすぐに修理業者に連絡した。

 今日、工事が始まったが念のためということで、まず外の配管を調べた。
 すると、外からの水の供給がすでの悪くなっていることが判った。
外の配管となるとそれは役場の管轄で、役場の水道課の人がすぐに来てくれた。
 来てくれた時点で暗くなって、今日の作業は終了時刻を迎えた。
 その時、役場の方から意外な申し出を受けた。
「お隣の家へ入っている水道管から分岐させて、臨時の配管を引きましょう」と。
 おおっ、なんという親切。
 しかし、即座に辞退した。一日や二日、たとえ一週間水道が出ないからといって、何が問題だろう?

 部屋の中にいて、寝ぼけ眼にボロパジャマで、蛇口をひねれば新鮮な水がどんどん出てくる状況は、贅沢の極みではないだろうか。日常の、そのような便利さに対して、僕たちは、感謝すべきであり、それが当たり前と思ってはいけないのだ。

 生活用水を手に入れるのに、近くの井戸まで水くみに行くというは江戸時代の普通の生活だった。それだって、遠い川まで行き、重い水を担いで帰ってくる時代の生活から見れば便利だったに違いない。

 僕が子供の頃、函館市に住んでいたが、地域によっては、町内に一カ所しかない共同の水道栓まで、家庭で使う水を汲みに行っていた。

 そう。
 水を手に入れるということは、大変な努力と労働を伴うことだったのだ。栓をひねるとドドドッと水が出てくる暮らしなんて、われわれが手に入れて100年にも満たないのではないだろうか。

まして、未来永劫水道が出ないわけではない。ほんの一週間か十日の間のことだ。臨時の配管をして今夜からまた水道を復活させる必要なんか、全然ない。

 便利であることは良いことかもしれないが、便利さに慣れてしまっては自分の中から逞しいココロ失われると思う。


 それにしてもナァ。
 今では、キャンプ場にまで水道がある。
 キャンプというものは文明のありがたさを知ることが目的だ、と昔習ったような気がするのだが、今は、キャンプに行っても、便利な暮らしを手放せない時代なんだナァ。

 こんな些細な日常の出来事からも、病む社会が見えてくるような出来事だった。

2011年11月7日月曜日

放射能を食う話

 原発事故以来、放射能が飛散し、各地の放射線量が高まって、国民の不安が増している。
 日本の半分近くが以上が放射能で汚染されてしまったことは紛れもない事実だし、事故以来、しばしば僕もこのことに言及してきた。

 そして、政府・電力会社・研究機関など原発に関連する巨利に群がる産・学・官が癒着した「原発利益共同体」によって情報が操作され、客観的で正確な情報が提供されないことで、不安感はますます高まっている。

 そのためもあって、一部の人々の間であろうが、放射線あるは放射能に対する恐怖心が必要以上に増幅されているような現象も見られる。そんな人々の多くは不安に駆られ、何を信じてよいのかわからず、しかし、何かせずにはおられない気持ちになっているのだろう。
 一種のパニック状態で「右往左往している」と表現してもよいのかも知れない。
 特に子どもを持つ、またはこれから持とうとするお母さんたちの不安は、どれほどのものだろうと同情する。

 そんな状況であちこちで原子力や放射能に関する「講演会」や「学習会」が盛んに行われている。
 有名な学者や著名人を招聘して行われるもの、知名度はそれほど高くない専門家によるもの、互いに語り合うものなど形は様々だが、日本中でこの半年間に開かれたこの種の集まりが、いったいいくつになるだろう。

 出版物も原発や放射能に関連した書籍が、この半年間にいったい何種類発行されただろう。

 先日、書店の店頭を眺めてふと思った。
 人々が、知りたい学びたいと思い立つことは良いことで、できるだけ放射能や放射線、原子力への理解を深めて、その正しい姿をつかんだ末に判断してもらいたいと願う。
主体的にものを考える人が増えることは良いことだ。

 だが、出版されている本はまさに玉石混淆だと思った。原発は安全で問題ないと力説するものは問題外だとしても、原発に反対し脱原発を訴えるものの中にも、データの表現を都合良く変えて、(「ねつ造して」ではないが)危険性を必要以上に強調しているものがあったりする。
 「脱原発」を望む人々の中には、このような本を購入し意を強くする人もいるだろう。放射能の危険性を誇大に感じて不安にさいなまれる人も出てくるかも知れない。
 講演を行う講師についても同様だと思う。

 もしも、これらの著作者や講演者の中に「脱原発」の波に乗って一財産作ろうなどと考えている人が混じっていたら、ちょっと困ったことだナァと思ったのである。

 僕たちは、どこまで行っても事実から出発しなければならない。
 事実はどうなのかを共有するのが科学であるだ。

 「原発推進派」の測定する放射線量と「脱原発」を主張する学者の測定する放射線量が違っていてはならいのだ。
 もし、その「土俵」が違っていたら、同じ土俵に乗るように努めなければならない。
「原発利益共同体」によって、そのような科学が歪められ、貶められてきたわけだが、原子力に頼らず、自分たちの子孫の世代にも幸福な環境を遺したいと考える人々の側までもが、それと同じ手法で「反原発」の主張をしてよいわけがない。
 まして、「脱原発」を食い物にしてはならないだろう。

 今日、ちょっと思ったことだが。

2011年11月6日日曜日

今年の合同教研

 合同教研が終わった。
 今年の合同教研の公害・環境と教育の分科会では、ここ数年原子力発電に関する話題は出されていなかったが、東日本大震災と福島原発事故の影響で、直接か間接的にこれに触れているレポートが数本あった。

 風力発電の低周波空気振動に関する話題も提供されていた。
 
 原子力発電と風力発電の両者に共通しているのは、建設の巨利に群がる利益共同体の産・学・官の癒着だ。

 それを許している社会の意識構造にも、基本的な問題がありそうに思う。

 どちらにしても、これからのキーワードは「持続可能性」ではないだろうか。

2011年11月5日土曜日

「持続可能性」の一日

 合同教育研究集会が始まった。
環境・公害と教育の分科会では、やはり福島の原子力発電所事故の問題に議論が集中した。
 核エネルギーは、現在の人類には制御できないエネルギーであるという認識は一致していた。
 そして、個人的には「持続可能性」という問題を突き詰めて考える一日となった。

 「持続可能」などと安易に使うべき言葉ではない。だがしかし、持続可能に一歩でも近づけるために、われわれは今、努力を惜しむべきでない、ということ。
 しごく当たり前のことだが、この当たり前のことを何度も何度も確認しながら進むしか、今後の道はないのだろうと思い至った。

 ああ、それにしても、なお愚かな、と嘆きたくなる現実がある。

2011年11月4日金曜日

「タイガからのメッセージ」試写会

 合同教研のために札幌に来たが、偶然にも北大で「タイガからのメッセージ」というドキュメンタリー映画の試写会を観る機会を得た。ロシア、沿海州=ウスリー地方の先住民であるウデヘの人々のタイガで生きてきた歴史と日常を取材し、森林を切り開くことを続けてきた文明の行き詰まりを打開する希望を、タイガでの暮らしに見いだした映画だ。
 優れた作品であるし、現在の日本をはじめ「先進国」の文明に対して鋭く問題点を突きつけていると感じた。

 ウスリーのタイガと言えばデルス・ウザーラの生きていた地である。
 産業革命以後の科学技術と文明は、世界中の様々な土地で暮らす先住民の生活と文化を奪い、追い詰めることをしてきたが今こそわれわれは、謙虚にかれらの世界観、価値観から学び直さねばならないだろう。

 合同教研のレポートも偶然ながらそのような内容のものを書いたので、タイムリーだった。

 このような機会が与えられたことに心から感謝したい。

2011年11月3日木曜日

阿寒の森のカツラの樹


 阿寒の森へ行ってきた。
 久しぶりに、会議とか打ち合わせなどとは無関係に、ノンビリと森を歩きくという目的ででかけた。
その森にはカツラの巨樹があるというの会いに行ってみた。
 
 暖かな一日だった。林床にフッキソウが疎らに茂っており、小さな流れが毛細血管のように森のあちこちを走っていた。この水気の多さと適度な密度に立つエゾマツの影がササの繁殖を良い具合にコントロールし、明るい開放的な林床を作っているのだろうか。

 その巨樹は、林道から少し入った所に立っていた。カツラだった。
 地上から5メートルくらいのところで6本ほどの太い幹に分かれて、天の奥に向かって枝を伸ばしているように見える。
 根元近くでは、それらの幹が一本にまとまり、大人が抱えても5~6人は必要と思われるほどの太さの幹になっている。

 巨樹の下では、時間的にも、空間的にも、自分の小ささを思い知らせてくれる。そして、ちっぽけで取るに足りない存在であることに、ある種の安息を覚える。

 ただ、ただ、ありがたいと思った。

2011年11月2日水曜日

アメリカは大嫌いだ

 アメリカが大嫌いだった。
 アメリカ人の友人は何人かいて、みないい人たちだし、アメリカ人の気質は、どちらかと言えば好きな方だ。

 だけれどアメリカは嫌いだ。

 今度、また一段と嫌いになった。
 ユネスコへの分担金の拠出を凍結したからだ。
 何様のつもりだ!と言ってやりたい。

 UNESCOは、教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さないといいう理念で設立のされた。その意義を定めたユネスコ憲章の前文には、
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」とある。

 パレスチナが加盟するのは、UNESCO憲章の趣旨に則ったものであり、ごく当然のことだろう。
 アメリカは、イスラエルのシオニストを支援し、トコトン世界の平和を妨害しているわけだ。

 そのアメリカの提灯を持ち、アメリカに尻尾を振り続ける日本の政府も同様で、UNESCOの精神など単なるお飾りくらいにしか考えていないことがよくわかる。
 同じように沖縄県民をはじめ、日本の国民の生命や財産も全然重要視していないのがこの国の政府だろう。

2011年11月1日火曜日

周到に計画された春を見つけに




 「ミョウガだ!」
 「いや、タケノコ?」
 生徒たちは、思い思いの印象を口にした。
 春刈古丹川の林道を奥へ入った場所。
 普通の人は、めったに行くことはない知床の内懐での授業だ。


 「みな、違う。答えは、フキノトウだよ」
 「エ~~~ッ!」異口同音に叫ぶ。

 これから冬に向かおうという11月の今、早春のシンボルであるフキノトウがあることは、大人でもにわかに信じられないかも知れない。

 だが、異常気象による現象ではない。
 ごく普通の当たり前のことなのだ。

 自然は、怠ることなく来春の準備を進めているのだ。
 やがて、この山懐も雪におおわれる。
 そして、また、春がやってくるのだ。