2011年11月28日月曜日

未熟な社会の未熟な人々

朝夕は、冷え込み、霜で道路が凍っている場所もチラホラと見かけるようになったが、例年に比べると冷え込み方が弱いように感じる。
 過ごしやすいので楽なのだが、その一方で物足りなく感じるのは、ニンゲンの我が儘というものだろうか。

 大阪の選挙で当選した人や、われわれの税金から1200万円も払いチャーター機で中国を訪問した外務大臣など国政の中心にいる「エリートっぽい」人々、100億円を超えるお金をギャンブルに注ぎ込んだ大会社の三代目など、どこか共通するニオイを感じる。
 どの人も何かしらの「勝者」であること、人生の辛酸を体験せずに育ってきていること、そのためだろうが競争によって何でも良くなるという「競争至上主義」を信奉している点、競争至上主義の帰結として新自由主義者であろうと思われる点などが共通しているのだろうか。
 誰をとっても同じような目つき・表情・態度で、どうにも胡散臭く鼻持ちならず、不快な存在だ。

 このような体系を下ざさえしているのが「一流有名大学卒業」というラベルである。やはり日本の入試制度は根本から作り直さなければならないのだろうが、「一流大学」が経歴にハクをつけるためにだけ使われている事実は嘆かわしい。
 同じ大学でも地道にコツコツと勉強している学生や教員も多いだろうに。

 先日亡くなった立川談志は、17歳で柳家小さんに弟子入りしたという。たぶん絢爛たる学歴とは縁のない人だったのだろう。
 だが、彼の知識は古典落語以外にも広く深いものだったことは、ここにあらためて書くもでもないだろう。

 人を肩書きや学歴だけで評価することから日本の社会はまだまだ脱することできないでいる。
 ひょっとしたら、永遠に脱出できないかも知れない。

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