2012年8月31日金曜日

月を感じながら暮らす

 今夜は満月だ。  風が止まり、水面が鏡のようになっていたので港を歩いた。  海面に映る月は、微かに揺らぎながら美しく浮かんでいた。  海のそばで暮らしていると、満潮と干潮の時刻が気になる。さらに大潮なのか小潮なのかということにも関心を持たずにはいられない。 何時頃にどのくらい潮が引くか、満ちるかは、少し大げさに言えば、生活に不可欠な情報だと言える。  月の満ち欠けで、人の精神が高揚したり沈んだりするものだという人もいる。  その真偽は別として、30万キロ以上離れた天体が私たちの心を揺さぶることは確かなことだろう。月を題材にした詩や歌は古今東西、に関係なく多い。   月の引力は、潮汐のもっとも大きな原因とされているが、海水ばかりでなく地殻にも影響を与えるので、大潮になる満月や新月の時には大きな地震が起きる危険性が大きくなるとする説もある。 この説も事実と確認されているわけではないのだが、直感的な説得力があるように感じる。  きょうは、陰暦の7月14日。  当たり前のことだが陰暦で暮らしてみると、月の満ち欠けがより身近に感じられる。  前回の満月は、8月2日だった。今日は8月の二回目の満月になる。同じ月に満月が二度あることをBlue moonと呼んで珍しがられるが、これは太陽暦ならではの現象だ。  以上、港の岸壁を歩きながら考えたとりとめのないことどもだが、帰宅してこれを書いていると、フィリピン近海でM7.6の大きな地震が起き、西日本から東北に津波注意報が発表された。  満月の夜には、思いがけないことが起きるというのは本当かも知れない。  要するに自然を侮ってはいけないヨ、という戒めなのだろう。

2012年8月30日木曜日

又三郎も怒っているに違いない

 夜、根室半島に風力発電のための大型風車を建設したいという会社と野鳥の会との話し合いに出席した。  根室半島の発電用風車に関する件で話し合ったのは、これで4社目だろうか。  風力発電の事業者にとって、根室半島はよほど魅力的な条件を備えているらしい。  計画はまだ予備調査の段階だったがその建設予定地点は、すべてシマフクロウやオオワシ、オジロワシ、タンチョウなどの稀少鳥類の行動圏の中に含まれていて、計画を検討する必要もなかった。  誠実に建設の可否を問い合わせてくれた風力発電事業者には気の毒なのだが、全く話し合いの余地がなく、計画の撤回を勧めることしかできなかった。  昨年の福島第一原発事故を受けて、急速に広がった「脱原発」の機運に乗って、風力発電事業者は、にわかに風車の建設計画を活発化させた。もちろんその背景には、政府のエネルギー政策で再生可能エネルギー買い取りを拡大するという方針がある。  発電事業者は、競って風況の良い場所を確保し、風車を建てようとするのは当然の動きである。  だが、それはその土地で暮らす鳥類の生存への大きな脅威となるのは、これまでのバードストライクの事例から明らかだ。  カワウソや九州のツキノワグマの絶滅が「公認」された直後に、こんな話し合いがもたれること自体、人間の側が本当は全然反省していない何よりの証拠だろう。  とは言え、風力発電用風車の立地の問題を除けば、原子力発電への批判や再生可能エネルギーの振興などで事業者側との一致点は多い。「鳥の問題」以外の話題では意気投合する場面も少なくない。  そんな雑談を交わしているとき、風車の形状と性能についての話題が出た。  そこで、直径100メートル近い風車が、垂直に立って、勢いよく回転する現在の風車とは全く別の、環境へのインパクトが少なく効率の良い形状やシステムの風車を使うことができないのかを尋ねてみた。 今夜来ていた風力発電会社の代表は技術畑の出身者のようだったが、即座に返ってきた答えは意外なものだった。  「現状で、電力会社が買い取るのは、三枚羽根の大型の風車によって起こした電気だけなんです」と。 発電用風車の形状は、縦型のものやツインロータと呼ばれる小型のプロペラを二つ横に並べたものなどいくつかの種類がある。それらの中で、もっとも出力を大きくできるのはおなじみの「大型三枚羽根」であることは理解していた。  しかし、電力会社の「買い取り基準」や法律上の補助金の有無までが「大型三枚羽根」の風車のみを国中にはびこらせる後押しをしていたとは。  日本の行政は、自然環境を守っていこうというという真剣さを全く持ち合わせていないことを思い知らされた。  あまたの公害問題はどう反省されているのか。  黙って絶滅していった野生生物に対してどう償おうと考えているのか。  そして、気づいた(本当はわかっていたのだが)自国の自然環境を尊重しようとせぬ政府が自国民の生命を真剣に守ろうとするわけがない。  ははーん。  思い当たることがたくさんある。

2012年8月29日水曜日

「森の美術館」という授業

 昨日、羅臼高校の「野外観察」の授業で「森の美術館」を行った。  透明なプラスチック板をはめ込んだ二枚のスライドのマウントの間に、森にあるものを挟んで思い思いの世界を描くのだ。  「森にあるもの」というのは、たとえば花とか葉、苔や樹の皮、ハチの翅など二枚のプラ板の間に収まるものなら何でも良い。  それらのものを使ってとにかくスライドの小さな画面に自分の世界を描くのだ。  完成した作品は、相互に鑑賞しあい、作者は、簡潔なスピーチでその作品で表現したかったことを皆に解説する。  この授業は、個人的にも僕の好きな授業で、普段あまり目立たない生徒が思いがけない輝きを見せたりする。  誰がどんな才能を持っているか、何かきっかけでその才能が開花するか全くわからない。  このささやかな授業で、偉大な才能が引き出されるわけは無いと思っているが、日常では見ることの出来ない、意外なセンスの良さと出会うことはしばしばある。  母親の血液検査によって胎児の遺伝的な病気を事前に知ることが出来るようになり、それが臨床に適用されるというニュースが流れていた。  もし、妊娠中の子に何らかの障害が見つかったら、その時点で妊娠を中絶するという選択が可能になるらしい。  それが良いことなのか悪いことなのか、軽々しく判断できないが、出産以前に胎児に対してある種の選択圧が働けば、生まれてくる子が画一的になるのではないか、という危惧を覚える。  昨日の授業の時に僕の感じたワクワクした気持ちが、失われるような世の中になるのは、間違っていると思うのだが。

2012年8月28日火曜日

カワウソの挽歌

 われわれは、カワウソの絶滅に立ち会うことになった。  もう、かない以前から絶滅しているのでは、と言われ続け「幻の存在」となっていたがこのほど絶滅が公式に認定された。その中には知床半島でも確認されたことのある北海道亜種カワウソも含まれている。  それにしても、いつの間にか野生動物も国家によって「認定」されなければやすらかに?絶滅もできない世の中になっている。  さらに現在、「絶滅の認定」を待っている種がどれほどいるのだろう。 いつ絶滅するともわからない人類が他種の絶滅を「認定」するというのもある意味でブラックユーモアかも知れない。  カワウソ絶滅の原因は何だろう?    川の水質悪化    餌となる魚類の減少    ダムによる寸断    競合する外来種ミンクの侵入    毛皮のための乱獲    カワウソはかつて、身近な存在であり、河童伝説の原型になったという説もある。  カワウソそのものも伝承に登場する。また、アイヌ語では「エサマン」と呼ばれ、アイヌの伝承にもしばしば登場している。  ニホンカワウソの毛皮は保温力に優れているため、毛皮を目的に大正から昭和初期にかけて多数乱獲された。これが絶滅に追い込んだ原因の一つ。  1928年(昭和3年)捕獲禁止となるが、密猟が絶えなかった。  戦後、香川県から愛媛県にかけての沿岸部、および高知県南西部の沿岸部にわずかに生息域が残っていたが、農薬や排水による水質悪化、高度経済成長期に伴う周辺の開発、河川の護岸工事等による環境の激変が、生息数の減少を大きく進めた。  さらに、刺し網などによる溺死。  養殖魚への食害を防ぐための駆除も、数をへらす要因となった。  最後の個体群は当初猟師だけが知っていた個体群で、細々と密猟されていたという話もある。  1974年7月25日に高知女子大学の調査で、高知県須崎市にある新荘川でメスの成獣1頭が生け捕りにされたのが、最後の捕獲となった。  また、目撃されたのもこの新荘川における記録が最後である。  1993年、新荘川の支流で糞と食べ残しの痕跡の報告があるが、必ずしもカワウソのものと確定されていない。  絶滅はその種との永遠の別れである。 エゾオオカミ。  ニホンオオカミ。  ニホンカワウソ。  われわれは、絶滅種の十字架を永遠に背負っていくことになる。  われわれ自身が絶滅する日まで。

2012年8月27日月曜日

群馬→東京の旅が暗示するもの

 昨日、群馬県から東京に戻って、寄席に出かけようと考えた。
 どこの寄席に行こうか、少し迷ったがホテルから一番近い鈴本演芸場を一番に訪ねることにした。
 これまで鈴本演芸場とは相性が悪く、いつも団体貸し切りとぶつかってばかりだったが、昨日は、そのようなことは無かった。
 開演時刻を少し過ぎた頃だったが、まだ空席が多くゆったりと噺を聞くことが出来た。
当たり前だが、寄席のお客は、笑いを求めて来ているわけだから基本的にギスギスしたところがない。前後左右で起こる笑い声を聞いていると僕も幸せな気持ちになってくる。
 寄席は、噺家など出演者の芸を楽しむのはもちろんだが、周りの観客が醸す楽しい雰囲気も楽しめる場なのだと気づいた。

 昨日は、群馬県の赤城大沼用水に関連する諸施設を見学し、その建設の話を聞くことが出来た。そして、文字通り「我田引水」の欲と欲が衝突する話を聞かされた。
 そこから利益共同体の結束が強まっていき、「ムラの構造」が生まれるのではないか、ということを言いたかったのが昨日の小ブログである。
 この利益共同体によって「ムラ」が作られるという構造が変わらない限り、利益を得るネタは変わっても構造は変わらないだろう。
 ムラに結集する要因が近視眼的な「利益」から、たとえば環境への配慮などのように「将来の世代の多くの人々の利益」へと変わっていけば、救われる道は残っているのかも知れない。
寄席で演じられる落語の世界も、「利益共同体的ムラの世界」の対極にある世界だろう。 
群馬県赤城山から東京の寄席への旅は、何か象徴的な暗示を含んでいるような気がしてならなかった。

2012年8月26日日曜日

赤城山用水にコメへのこだわりと執念を感じた

 昨日に続いて群馬県内の見学をした。  今日は、赤城大沼用水を中心に、赤城山の山麓から外輪山を越えて赤城大沼湖畔まで行き、大沼から少し離れた所にある寄生火山の爆裂火口跡にできた小沼を見て山麓に戻った。  赤城大沼用水というのは、赤城山山麓には、一面に青々とした水田が広がっている。この地域の稲作は江戸時代から続けられているという。だが、赤城山は第四期の火山であるから、この山に降った雨は地下に潜り伏流水となってしまうから山麓での稲作は一帯は常に水不足に悩まされていたらしい。  集落同士で水の奪い合いが絶えず、しばしば激しい争いもおきていたという。  そこで江戸時代末期から明治時代にかけて何人かの志ある人々が赤城山の山頂にある赤城大沼の水を麓まで引くことを考えた。  しかし、大沼を囲む外輪山を越えて水を外側に導くのは大変なことで、最初は不可能と言われたらしい。  しかし、人々の熱意と技術の発達により、トンネルを掘ったり用水路の底をコンクリートで固めたりしてこの用水路は完成した。 この用水は現在も使われている。  今日、見学したのは、用水から水を分岐させる柏木堰と、複数の支流に公平に等量の水が分かれるように工夫された円筒分水槽という施設だ。  いずれからも水を一滴でも多く確保したいという農民の強い執念が伝わってきた。同行していたS先生が「まさに我田引水だね」と言っておられた。  そのS先生は山梨県から来られた方である。  赤城山のような火山ではないが、甲府盆地も赤城山麓と同じように水はけの良すぎる扇状地で、水田を作るのは困難な土地だ。  赤城山と違っているのは、甲府では早くから稲作をあきらめ、果樹栽培に力を入れているところだ。  群馬県、赤城山麓では、なぜ最後まで稲作にこだわったのだろう。稲作への非常に強いこだわりは、なぜ生じたのか。  答えはわからない。  率直に言って、もう少し柔軟であってもよかったのではないか、と思った。   今、赤城大沼は、周囲の山から流れ込んだ放射性物質でワカサギが汚染され食不適の状態が続いている。  その水を用水として引き、稲作に使っていることにも疑問を感じた。  そして、都合の悪いことから目をそらし、無かったことにして皆が口をつぐんで黙認している、という状態は、水争いを繰り広げて自分の田に引く水だけは確保しようとしたココロの構造と非常によく類似しているように思える。  コメは、魅力ある優れた農産物であることは理解できるが、あまりにもそれにこだわり過ぎる姿勢が、様々の問題を生み出す原因になっているのではないだろうか。

2012年8月25日土曜日

伊香保温泉にて

 万葉集にも歌われている伊香保温泉に来た。  古くからの温泉だ。 お湯は鉄分を含んでいて、「黄金の湯」と呼ばれている。  急斜面に作られた石段の両側に温泉宿が建ち並ぶ温泉街も古い歴史のあるもので、独特の雰囲気が漂う。  観光客が絶えない地で、今日も賑わっていた。  しかし、現代の日本の観光地につきものの海外からのお客の姿がほとんど無い。  「やはり、放射能を心配してのことだろうか」  そんな話も出てくる。ここは群馬県。

2012年8月24日金曜日

東京で

 「足下もを見る」というのは、人の弱みにつけ込むという意味だが、江戸時代旅人の歩き方を見て駕籠や馬を勧めて高い料金をふっかけたのが語源なのだそうだ。現代でも優秀なホテルマンなどが客の人品を評価するとき、履き物の汚れ具合や減り方を観察している、と聞いたことがある。 久しぶりに東京に出てきた。  ニュージーランドの教育を研究するグループの私的な集まりに参加するためだ。朝の早い便だったため、なんとなく気ぜわしい気持ちで出発してきたが、着いてしまうと時間には十分な余裕があり、何かに追われるように流れる人の群れから外れて、別の次元から都会を眺めているような気分になれる。  地下鉄の中でもコーヒー店で休んでいるときでも、今日は、どういう訳か人の足下が目に付いた。それもずいぶん草臥れた履き物が目立った。  履き物ばかりでなく歩き方も足を引きずるような重そうな足取りの人が目に付いた。そのまま視線を上げていくと無表情な疲れた顔が例外なくそこにある。  前回来たのはいつだったか。昨年の秋くらいだったろうか。半年と少しの間が開いているだろうか。その間に何があったというわけでもないだろう。  おそらく大きく変わったものは無いに違いない。それなのに感じるこの疲弊感は何なのだろう。そんなことを思いながら、今夜は猛暑の東京に一泊する。

東京にて

 「足下もを見る」というのは、人の弱みにつけ込むという意味だが、江戸時代旅人の歩き方を見て駕籠や馬を勧めて高い料金をふっかけたのが語源なのだそうだ。現代でも優秀なホテルマンなどが客の人品を評価するとき、履き物の汚れ具合や減り方を観察している、と聞いたことがある。 久しぶりに東京に出てきた。  ニュージーランドの教育を研究するグループの私的な集まりに参加するためだ。朝の早い便だったため、なんとなく気ぜわしい気持ちで出発してきたが、着いてしまうと時間には十分な余裕があり、何かに追われるように流れる人の群れから外れて、別の次元から都会を眺めているような気分になれる。  地下鉄の中でもコーヒー店で休んでいるときでも、今日は、どういう訳か人の足下が目に付いた。それもずいぶん草臥れた履き物が目立った。  履き物ばかりでなく歩き方も足を引きずるような重そうな足取りの人が目に付いた。そのまま視線を上げていくと無表情な疲れた顔が例外なくそこにある。  前回来たのはいつだったか。昨年の秋くらいだったろうか。半年と少しの間が開いているだろうか。その間に何があったというわけでもないだろう。  おそらく大きく変わったものは無いに違いない。それなのに感じるこの疲弊感は何なのだろう。そんなことを思いながら、今夜は猛暑の東京に一泊する。

2012年8月23日木曜日

それは違う!断じて違う!

 今日、サッと読んだWeb版の「Japan Business Press」の記事に、元・陸上自衛隊幹部学校長の樋口 譲次という人物が「戦争の一歩手前、「政治の時代」に陥った日中関係」という記事を書いていた。
 要するに、今までは経済活動を優先させて日中関係もなあなあで上手くやってきたが、尖閣諸島の問題が起きて、もはや平和のままでいることは出来ない。日本は自覚をもって戦争も辞さないという覚悟で中国と向き合うべきだ、という巷間でよく出まわっている論調だ。
以前からこういうことを主張する人々はいたから、全く新しさは感じられない。

 ただし、この人の文で気になったところがいくつかあった。
たとえば、オランダの法学者グロティウスの言葉、「平和とは単に戦争の前ないし後を意味するに過ぎない」を引用し、ニンゲンは戦争をするのが当然だと述べている。

 さらに、「人類の歴史は、おおよそ3400年余であるが、その間、世界が平和であったのは300年足らずだと言われている。10年間に換算すると、そのほとんどの期間(9年11か月)、世界のどこかで戦争が繰り広げられ、わずか1か月間が平和であったことになる」と書いて、人類社会に戦争はつきものだ、と主張している。
 1947年生まれで「戦争を知らない子ども」のはずだが、元・自衛官としては、平和が続くことによって「戦争の専門家」としての自分の存在価値が否定されてしまう危機感から、このような考え方に陥ってしまうのだろう。
 そして、厄介なことにこのような意見にもそれを支持し同意する取り巻きが存在する。フェイスブックやツイッターでこの記事を賛美した人々は、戦争を望み、万が一の場合は自ら進んで前線に立つ覚悟があるだろうか。あるいは自分の子や孫を戦争に行かせる気があるのだろうか。

 この記事にマトモに反論するのもアホらしいが、「(人類史を)10年間に換算すると、わずか1か月間が平和であった」という記述は、歴史の発展を全く無視した独善であることは誰もが気づくだろう。数字の上ではその通り(本当はそれ以上だと思うが)であっても、その歴史の全期間を通して、少しずつ平和な世界を構築しようと努めてきたのが人類である。
 その歩みはきわめて緩やかだったにしろ、基本的人権が尊重されるような方向へ、弱者が守られるような方向へ、平等が実現される方向へ、進み続けてきたのが人類史のだったはずだ。
 それらの人類の努力を塗りつぶすような発言は看過できなかった。

 この人の文への反論として与謝野晶子の詩を載せておこう。
   ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺(さかい)の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたもうことなかれ
旅順(りょじゅん)の城はほろぶとも
ほろびずとても 何事ぞ
君は知らじな あきびとの
家のおきてに無かりけり

君死にたもうことなかれ
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣(けもの)の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されん

ああおとうとよ 戦いに
君死にたもうことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは
なげきの中に いたましく
わが子を召され 家を守(も)り
安しと聞ける大御代(おおみよ)も
母のしら髪(が)はまさりぬる

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にいづま)を
君わするるや 思えるや
十月(とつき)も添(そ)わでわかれたる
少女(おとめ)ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたもうことなかれ

2012年8月22日水曜日

民主主義における対話の真の価値とは・・・・ ・・・・こんな悪政は江戸時代にもなかったかも知れない

 首都圏脱原発連合と野田総理大臣との会談が行われたようだ。
 30分間だけ。
 みみっちい設定だ。
 この時間設定をみても、政府側は、原発に反対する声に耳を傾ける気が全く無いということがわかる。
 真剣に未来のエネルギーの事を考えるなら、はじめから時間を制限することなく十分な時をかけるべきだ。
 他のスケジュールがあってそれが出来ないのなら、次回の会談を検討すべきだ。
 会談後に藤村官房長官は、
「次回以降の会談を開くつもりはない」と答えていた。
 これが政府の姿勢だ。
 今日は、
「あまりうるさいから会ってやった。一回会ったのだからもう、いいだろう」と言うのがホンネだ。
 その後、日本商工会議所の会頭とにこやかに面会している野田総理大臣の映像が報道されていた。この面会も「エネルギー政策についての要望を聞く」という目的だったのだからバカにしている。
 何万人も集まっているデモと同じ意見を持ちながらデモに来られない全国の人々の数も含めたら何百万、いや、何千万人かも知れない人々の意見を代表する人々との面会は、おざなりにして、数で言えば数十か数百ほどのごく少数の大金持ちの意見には真剣に耳を傾ける、利己的で不誠実で民主主義からもっとも遠い人物の姿がそこにあぶり出された。
 僕たちは、こんな政府を選び出して作ってしまったということを、真正面から受け止めなければならない。

 そして、旧態依然とした保守勢力にも辟易している世論に付け入って票をかすめ取ろうとしている勢力への注意も必要だ。
 「第三極」などマスコミの作り出した幻想に他ならない。
 民主党が誕生するずっと以前から「第三極」を国民は待ち望み、今度こそと期待する度にそれが裏切られ続けたではないか。
 第三極などあり得ないのだ。
 あるのは守旧か革新かだ。
 不平等な富の配分や格差の拡大を止めるのか進めるのか。
 戦争へ突き進むのか平和を守るのか。
 未来の世代が健康で幸せに生きる権利を妨害するのか守るのか。
 選択肢はハッキリしている。
 全か無か、なのである。
 「第三極」は、革命のポーズをとる反革命に過ぎない。
 このような歴史への寄生者は、いつの時代にもいたが。

 それはともかく、現政権が、原子力エネルギー政策において、非常に犯罪的存在であるという姿が鮮やかに浮き彫りにされたことに、今日の会談の意義があるだろう。

2012年8月21日火曜日

知床の川でイワナ釣り

 授業が始まる途端にこの暑さだ。
 この地方では、毎年のことだが今日はとりわけ暑かった。
 その暑さの中、「野外活動」の授業があった。
 夏休み明けの手始めは渓流釣りである。

 生徒達は意外に釣りの経験がない。特に渓流での釣りを経験したことのある生徒はかなり少数だ。
 釣りは、仕掛けを作るためには、指先の器用さが必要だし、針を取り付けたりオモリを付けたりするためには忍耐と集中力が求められる。
 水辺で糸を垂らし、掛かった魚を釣り上げる快感を得るためには、それなりの辛抱強い準備をしなければならないわけだ。
 
 この授業で釣りを教える目的は、そのような少々面倒くさい手順を踏んで、自力で釣りを楽しめるようになることだ。だからもちろん、針に餌を付けるのもかかったサカナをはずすのも、他人に頼らず自分でするのが原則だ。

 今日は、最初の授業だったので仕掛けを作るのにずいぶん時間がかかった。それでも遊びの要素の強い「釣り」の授業とあって、仕掛けの作り方の説明を生徒達は、普段の授業よりもかなり熱心に聴いていた。

 残りの時間は、近くの川へでかけて、実習ということになった。
 オショロコマに混じってヤマメも数匹釣れた。
 青空の下で川のせせらぎを聞きながら、流れに糸を垂らすのは、釣果にかかわらず誰にとっても嬉しい時間だったことだろう。

 この授業は、次の時間にもつづける予定だ。というより本格的に釣りを楽しむのは、次の授業の時になる。
 そのため、仕事が終わってから別の川に下調べに出かけた。
 この川では始め、イクラを餌にしてみたところ全く魚が掛かってこない。
 そこで川底の石からトビケラの蛹を採って、餌にしてみたところ、糸を垂らすと同時に魚が食いついてくるようになった。
 サカナ達も現金なものだ。

 次の授業では、餌の探し方、付け方、ひっくり返した川底の石を戻しておくというマナーなども伝えなければならない。
 有効な「教材研究」の成果は、夕食の食卓を賑わしてくれた。


2012年8月20日月曜日

クマ騒動

 今年、羅臼町ではクマの出没(目撃)情報が異常に多い。
 十日くらい前、海岸に打ち寄せられたクジラの死体に13頭ものクマが群がっているという話も聞いた。
 そこは、知床岬に向かう場所で、人の居住している市街地から遠い海岸で、その沖でコンブ漁をしている漁師さんたちから情報だ。

 今朝、職場の同僚が話してくれたが、昨日、自宅付近で見た個体はガリガリに痩せていたのだそうだ。
 「山に食べ物がないのかねえ」と気遣わしげに言っていた。

 この季節、知床のクマたちは川に遡上する餌の多くをカラフトマスに依存している。マスの遡上は始まったばかりだからこの先がどう変わるかわからないが、現時点では「あまり回帰していない」と言われている。
 川に遡って産卵するマスが少なくなると、クマたちの食糧事情も悪化するに違いない。
 それに加えて、クマを見つけると近づいて写真を撮ろうとする観光客が増えている。
 一定の距離を超えてクマに接近する人間が増えるとクマの側にも人慣れを生じさせる。人慣れしたクマは、食べ物を獲得する場を人の活動範囲へ簡単に広げてしまう。
 こうして「問題行動グマ」が産み出される。

 世界一の高密度生息域である知床半島で暮らす人々の多くは、クマとの安全で適切な関係を保ちたいと望んでいる。クマの住まなくなった知床は、もはや知床とは呼べないとさえ言う人もいる。

 知床半島のクマを守るためにも、この地を訪れる人々が自然への自制の効いた理性的な行動をとってもらいたいと願う。

2012年8月19日日曜日

たまには昆虫を見習ってみようか

 夏休み最終盤のここに至って、暑い日射しが戻ってきた。
 昨日と今日、二日連続の「夏らしい日」が続いた。
 本州の猛暑と比べたら「玩具」みたいなものであろうが。

 野に出ると秋の虫が賑やかに飛び回るようになってきた。クジャクチョウやコヒオドシ、サカハチチョウ。それにオオウラギンスジヒョウモン、ミドリヒョウモン、ギンボシヒョウモンなどヒョウモン類が目立つ。
 彼らは、この後、秋の野を思い思いに飛び回り、成虫のまま越冬して来年の春、産卵する。この先半年以上の長い間、成虫の姿で生き抜かねばならない。
 チョウやハチ、アブ、それに甲虫類などの完全変態の昆虫は、幼虫時代と成虫時代とで、ほとんど別の細胞群で身体ができていると言われる。幼虫と成虫で人格(いや虫格か!)が全く別になっているかどうか、幼虫期の記憶を成虫になっても受け継ぐのかどうかの研究結果は知らないが、われわれ脊椎動物の理解を超えた感覚の世界で生きていることは間違いなかろう。
 少なくとも機能の面では幼虫時代と成虫時代は全く別になっている。
 ひたすら食べて消化し、身体に栄養分を蓄えまくる幼虫時代と交尾の相手を探して広い範囲を飛び回り生殖し子孫を拡散させることに専念する成虫時代、というわけだ。
 では、「記憶」とか「癖」のようなものがあるとすれば、それは幼虫から成虫へと受け継がれるのだろうか。
 昆虫の場合、「意識」というものがあるのかどうか、「癖」のような個性が存在するのかどうかがまだ曖昧だから、確かめるのは難しそうである。

 最近の昆虫学では、昆虫の脳についての研究も進んでいるので、いずれ明らかにされる時が来ると思っているが、なんとなく幼虫期と成虫期とでは、まったく別の意識があって、さなぎの時代にそれが入れ替わるのではないかな、という気がする。
 いや、そう考えた方が面白いではないか。

 ニンゲンだって、
「ええっ?そんなこと言ったっけ?昨夜のことはさっぱり覚えちゃいねえなぁ」なんていう「記憶の入れ替わり」は時々ありますよね?

 領土問題とか戦争犯罪とか、忘れちゃいけないのだろうけれど、いつまでも根に持っていても仕方のないことをこうやってきれいさっぱりリセットできたら、世の中がもう少し平和になるような気がしたのである。

2012年8月18日土曜日

ひとつの出会い

 子どもの頃、いろいろな物に人や動物の顔を見つけて、想像を膨らませた経験は、誰にでもあるのではないだろうか。
 成長し、世間の波にもまれているうちに、少しずつその感性を失っていくものだろう。 ごく稀に子どもの頃の鋭い感性を失わず、失わないばかりか一層それに磨きをかけて一つの才能へと昇華させるような人がいるものだ。今日、そんな人と出会った。
 非常に有名な人で、特に道東では、すでにたくさんの人が知っているのであろうが、その人は大西重成さんという。津別町に住んでいる方だ。
 津別町相生に自分の作品を展示する場を作り、「シゲチャンランド」と名付けて公開している。
 流木や使われなくなった機械の部品など様々な物を加工し、現代アートのオブジェを作っている。さらに、一部はイスとかテーブルなどの家具に仕立てている。
 元の形を利用して、いろいろな動物や立派な家具が大西さんの手で生き返らされている。 そのセンスと丁寧な加工からは、彼の才能が匂い立つ。
 今日、幸運にもしばらくの間、大西さんとお話させて頂く機会を得た。

 流木や貝殻、針金やファンベルトなど様々な物を使ったアートが置かれている場所で、僕は失礼を顧みず、
「ここにある物は、一つボタンを掛け違えれば単なるガラクタですよね。」と切り出した。
 大西さんは、にこやかに微笑みながら、 
「ええ、そうなんです。ガラクタを少しでも減らそうとして一生懸命作るんですよ。」とおっしゃった。
「でも、減るそばから新しく拾ってくるのでしょう?」と言うと
嬉しそうに
「はい!そうなんです」と言った後、こういう意味のことを付け加えた。
「ガラクタの山を眺めていると、そこにある物同士が、まるで愛し合うカップルのように『早く一緒にしてくれ』とせき立てるんです」
 それを聞いて、この人は、本当の芸術家なんだなあとつくづく感じた。

 その作品を見ても
「どうだ!オレの作品は、こんなにスゴイんだぞ」というような自己主張が全く無い。子どもの遊びの延長のように、作る本人がもっとも楽しんで作っている、ということがよく伝わってくるのだ。

 何か、大きな新しいものと、ここでも出会ったような一日だった。


2012年8月17日金曜日

統一幻想と崩壊過程

 「北海道と沖縄には弥生時代の遺跡が無い」という事実をどれくらいの人々が知っているだろう。沖縄の様子はわからないが、北海道の小中学生、高校生でも、このことをきちんと認識している子は少数だろうと思う。これは経験的に思うのだ。
 どの教科書を見ても旧石器時代→縄文時代→弥生時代、となっている。
 無意識にか意識的にかは知らないが、本州の歴史イコール日本の歴史ということになっているからだろう。

 同じようなことは生態学にも当てはまる。
 植物群系の垂直分布を示す例として、照葉樹林にシイやカシ、落葉広葉樹林にブナやクリ、亜高山帯にはシラビソやコメツガ、等の種が列挙されている。北海道の生徒は見たこともない植物の名前を「テストに出題されるから」という理由で、ひたすら頭に詰め込まねばならない。

 日本という国の中枢には、どうやら多様性を毛嫌いする人々が何人か巣くっているのではないだろうか。横並びと制服の大好きな人たちが権力を握っているらしい。

 日本人の起源についての論議など、未だに公然と論じることが憚られる雰囲気があるようだ。日本列島は細長いので、お隣の陸地と接近している場所がいくつかある。また太平洋を大きく巡っている海流に直に顕れている海岸線もある。
 だから他国から日本に文化が入ってくる「窓」のような場所は何カ所かあり、その時代ごとにそれらの窓は開閉を繰り返してきたはずだ。
 したがって日本の文化の土台は、いくつかの異なる文化の重層構造であるはずだ。(そして、それは案外優れたものである)

 裏付はたくさん見つかっているのに、どうしても「単一民族国家」にこだわりたい人も多いのだろう。見果てぬ夢から醒めようしない。


 そして、最近の世相から思うのだが、もはやこの国を「国」としてまとめていくのは不可能かも知れないということだ。
 まとめていくためには、国民の間の違いを認め合うところからスタートしなければならない。それが出来ていないのだから、まとまるどころか反対にバラバラになっていくしかないだろう。

 一度バラバラになって、ゼロから再構築していけば、「日本再建」の道も見えてくるかも知れないが、このまま歴史の舞台からフェードアウトということもあるのかも知れない。 もう、手遅れかな?   

2012年8月16日木曜日

操縦ミスとは言うけれど

 今年4月、モロッコで起きた米軍のオスプレイ墜落事故は、人為的なミスが原因だとする最終的な調査結果を訪米した日本側に伝えた。
 事故機は離陸後、地上50メートルに上昇して方向転換した際に追い風を受けた。パイロットが可動式エンジンと回転翼を、制限を超えて水平方向に傾けたため、機体がバランスを崩し、前のめりになって墜落した。
              (2012年8月16日 10時23分 中日新聞記事より)

 こんなことは前から言われていたことであり、予想されたことだ。何ら新しい事実は出てこない。何のための「調査」なのだろう。時間とお金も無駄づかいだ。
日本側の訪米調査団の神風(じんぷう)英男防衛政務官は「米側は制限に違反する操縦が原因だと説明した。機体に異常があったとは言っていなかった」と述べている。

 素人の考えだが、「機体に欠陥はない」と言っても、追い風で十分な速度が出ていない時にロータを水平に向けたら墜落するというのは、構造の本質に関わる欠陥ではないだろうか。
 少なくとも無関係な人々が暮らしている住宅地や学校の上を飛ばしてよい機構ではないように思う。
 100年前ならいざ知らず、現代でパイロットの操縦技術に頼って安全を維持するなどというシステムは危険すぎるだろう。

操縦ミスとは言うけれど

 今年4月、モロッコで起きた米軍のオスプレイ墜落事故は、人為的なミスが原因だとする最終的な調査結果を訪米した日本側に伝えた。
 事故機は離陸後、地上50メートルに上昇して方向転換した際に追い風を受けた。パイロットが可動式エンジンと回転翼を、制限を超えて水平方向に傾けたため、機体がバランスを崩し、前のめりになって墜落した。
              (2012年8月16日 10時23分 中日新聞記事より)

 こんなことは前から言われていたことであり、予想されたことだ。何ら新しい事実は出てこない。何のための「調査」なのだろう。時間とお金も無駄づかいだ。
日本側の訪米調査団の神風(じんぷう)英男防衛政務官は「米側は制限に違反する操縦が原因だと説明した。機体に異常があったとは言っていなかった」と述べている。

 素人の考えだが、「機体に欠陥はない」と言っても、追い風で十分な速度が出ていない時にロータを水平に向けたら墜落するというのは、構造の本質に関わる欠陥ではないだろうか。
 少なくとも無関係な人々が暮らしている住宅地や学校の上を飛ばしてよい機構ではないように思う。
 100年前ならいざ知らず、現代でパイロットの操縦技術に頼って安全を維持するなどというシステムは危険すぎるだろう。

8月15日に思うこと(8月15日分)

 昨年も書いたのだが、どうして今日は「終戦の日」なのだろう。  戦争の犠牲になった人を「祖国を守るために尊い命を捧げた」と賛美する。  犠牲になった方々は心底からお気の毒だと思う。遺族の痛みも重々理解できる。  だが、「祖国を守るため」という言葉の欺瞞性に辟易する。  中国へ、東南アジアへの侵略を進めたあげくの戦争ではなかったのだろうか。  国家が、侵略戦争とファシズムの徹底的な清算を行わないで、真に戦死者を悼むことなどできるはずがない。  戦没者追悼の式典でも、空しい言葉が飛び交っているだけだ。  いつから?  いつからこの国は虚無の支配する国になってしまったのだろう。

2012年8月14日火曜日

風の止まるとき

 8月に入って、毎日毎日雨の降らない日はなかったのではないかと感じるほど雨が続いた。
今日、やっと午後から雨が上がった。
 急速に、あっという間に青空が広がった。
 それは見事な自然の変容だった。

 夕暮れどき、風が止まり、水面も穏やかさを取り戻していた。
 帰路、春別川の河口に立ち寄った。水面が鏡のようになっていたから。
 岸の立木が映り、不思議な光景があった。

さらに西別川の河口まで来た時、太陽が低い位置まで降りてきていた。夕陽に照らされる水面に、遡上するカラフトマスであろうか、時々同心円状の波紋が広がっていた。
 カラフトマスは、怒りを表すために飛び跳ねているように思われた。
 それは、何への怒りか。
 おそらく・・・・と、言い募るのは簡単だ。

 だが、本当のところはわからないだろう。
 わかっているのは、今、マスが跳ねたということだけ。

 われわれは、この段階で、もう一度「わかっていること」と「推定されること」を厳密に区別する作業に取り組まなければならないだろう。
 その過程で重要なのは、「わかっていないこと」を「わからない」という理由だけで塗りつぶさないことだ。

 夜、この分では星が美しいだろうと思われた。しかし、夜更けてから霧が発生し、空を覆ってしまった。
 天頂の天の川をバックにしてこと座のベガ、わし座のアルタイル、白鳥座のデネブが見えただけだった。
 夏の大三角である。




2012年8月13日月曜日

「パンとサーカス」=「電気とオリンピック」

 オリンピックが終わった。
 正直なところホッとしている。
 新聞も、TVもオリンピックのニュース一色に塗りつぶされた観があり、その陰に隠れて、金持ちや大企業を優遇し社会保障を切り捨てる、消費税の引き上げが一段と進んだ。 野田内閣は、迷走しちぐはぐなことをしているのだが、子どもにでもわかるはずのことにまだ多くの人が気づいていない。
 オリンピック惚けだ。
たとえば、前総理大臣の時に民主党は「脱原発依存」を決めた。
 そう決めたはずの民主党政府が、いまさら、2030年代のエネルギー政策をどうするかパブリックコメントを募集し、それを精査するというのは、どういうつもりだろう?
 あわよくば「脱・脱原発依存」を目指し始めたということではないだろうか。
 8月6日の「原発ゼロになった場合のエネルギー需給状況の精査」を首相が指示したというのも同様だ。
一部原発推進論者の中から「エネルギー政策を今決めるべきでない」という発言もある。
「今は福島の事故直後で国民が感情的になっているから、冷静さを取り戻してから決めるのが良かろう」という趣旨の発言だ。
 「冷静さを取り戻して」というのは、つまるところ「反対論の熱が冷めてから」という意味に他ならず、なんとしても原発を推進しようという執念から出た意見以外の何物でもない。
 「ニッポン!ニッポン!」と絶叫している間に、この種の悪意の包囲網が着実に用意されていくのだ。

 スポーツは、悪いものとは思わない。重要な文化の一つだ。
 だが、極論すれば勝つか負けるかというのは、最終的にはその競技に向けて努力してきた当事者の問題だということになる。
 観る側に贔屓の選手やチームがあっても良いが、それはあくまでも観る側の個人的な判断と選択によるもので、周りか強制されるものではない。日本人だから誰もが日本を応援するとは限らないだろう。
 マスメディアが社会の公器として、日本への応援を強調するのは、自重すべきだ。
 勝敗に固執し、スポーツへの興味をその一点に矮小化することで、娯楽性を増幅し、市民を政治的盲目の状態に陥れ、その陰で悪意に満ちた策動をする、というのはローマ帝国の時代から行われていた世論操作の手法だ。
 ローマ時代の詩人ユウェナリスは、古代ローマ帝国の世相を「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを詩篇の中で揶揄した。
これは、今の日本にも当てはまるのではないか。
 現代風に言い直せば「電気とオリンピック」かも知れない。

 これだけ「進歩」した社会の住民たる現代人は、もう少し頭を冷やすことはできないのだろうか。

2012年8月12日日曜日

霧のかなたの流星群

今日は、いつもはあまり利用しない、旭川→層雲峡→北見→美幌峠→別海というコースで帰って来た。
 別に用事があったからではなく、あくまでも気分がそういう選択をさせたのだが。
 美幌峠は非常に濃い霧に覆われており、速度を40~50km/hに制限して走った。
 根釧原野に入っても、霧はすっきりと晴れることなく、空を見上げても星は見えない。 今、ペルセウス座流星群の時期だというのに、どうにも焦れったい。

 流れ星は、どうして人を惹きつけるのだろう。
 天空に張り付けられたようにその位置を変えない星たちの間をツーッと音もなく流れて消える様子がダイナミックだし、「静」であるはずの星が突然「動」に変じるようで、その対比が面白いからだろうか。さらに、普段はなかなか見る機会が少ないので、珍しさも加わって魅力的に感じるのだろうか。
 そのせいか、流れ星に関する言い伝えは多い。
願い事を唱えれば叶うというのは、誰でも知っている。
 源流は、神が下界の様子を眺めるために時々、天界の扉を開ける。その時に扉から漏れた光が流れ星だというキリスト教の言い伝えから、流れ星が流れている間に願い事を唱えれば神に声が届いて、願い事がかなうと言われるようになった、という話を何かで読んだことがある。
 また、人の死の予兆という見方も広くあるようで、一晩に三度流れ星を見ると身内に不幸が訪れるという言い伝えもあるらしい。人の死と結びつける考えは、世界中のあちこちにあるようだ。
 どこの国のどんな民族でも、似たような感想を持つところが面白い。

 詩人の草野心平さんが、既に亡くなった文学関係の人々について書いた文を一冊の本にまとめ、「私の中の流星群-死者への言葉」という本を出した。1975年 
宮澤賢治、八木重吉、山村暮鳥、高村光太郎、北原白秋、中原中也など40人以上の文学者との間で交わされた書簡や交流の思い出などが書かれている。
 また、草野と同様詩人だった兄の天平さんや弟の民平さんの思い出も書かれている。
 この本の出版後1988年には、心平さん自身も亡くなった。
 自分という意識の持続している間に出会って交流し、自分より先に生を全うした人々を「流星群」と呼んだその感性は、さすがだなあと思った。
 そして、草野さん自身も多くの人の心に明るく輝く流れ星としての光跡を刻んだというわけだ。

 明るく輝くか、暗くひっそり流れるかの別はあっても、人はみな、互いの心のスクリーンに「流れ星」として映るのだろう。
 自分のスクリーンができるだけたくさんの流れ星が通り過ぎる一生であれば良いと願う。

 草野心平さんは福島県の出身だ。旧上小川村、現在のいわき市小川町で生まれた。
 いわき市内は、生家が保存・公開されていて、草野心平記念文学館もある。
 福島第一原発の事故で、いわき市小川町はかなりの被害を受けている。
 草野心平さんという偉大な詩人も少なからずその被害を受けているだろう。
 原子力発電所の事故によって、文学までもが影響を受けているとすれば、許されることではない。

2012年8月11日土曜日

イヌと歩けば

突然、札幌に来た。  夜、イヌを散歩させて夜の住宅街を歩いた。  根釧原野の肌寒さに比べ、札幌の夜は暖かい。まるで亜熱帯の夜のようだ。 昔、ヴェトナムへ行ったとき、ホーチミン市の夜もこんな空気だったかもしれない。  少し肌にまとわりつく湿気があり、夜の町を歩くとアクアリウムの底を歩いているように感じる。  平和で、多くの人々が寄り添って生きる場としての都市が、これからも長続きして欲しいし、政治はそのために営んでいかなければならないだろう。  そんなことを考えながら、夜の町をイヌと散歩していた。

2012年8月10日金曜日

その名は粗毛反魂草(アラゲハンゴンソウ)

台風が崩れた低気圧が根室半島の沖を通過した。
 そのため根釧原野は、所々で強い雨となった。
 雨の晴れ間に散歩に出た。
 アラゲハンゴウソウの黄色が、雨に洗われて鮮やかさを増したように輝いていた。夏の終わりに咲く印象的な花だ。
 学名の Rudbeckia hirta var. pulcherrima

 は、
「粗い毛のある ルドベック(命名者リンネの後援者)さんの  最も美しい変種」という意味だろうか。
 黄色の舌状花と濃紫色の筒状花のコントラストは、派手で日本の野では、ひときわ目立つ、いかにも遠い国から来たという風情だ。
 外来種でるためか、昔は図鑑に載っておらず、高校生の頃には、種名を調べるのにずいぶん苦労した記憶がある。
 そんな思い出に満ちたアラゲハンゴウソウが、今年も美しい。
 

 消費税引き上げ法案が成立。
 みせかけの借金を理由に、福祉目的に使うと言いつつ、国土の防災を強化するためという口実で、土建業者が甘い汁を吸う機会を失わないようにも配慮し、国民を絞るだけ絞ろうという悪法。これは、生類憐れみの令にも匹敵する。
総理大臣の記者会見での発言が、また神経を逆撫でした。
 曰く
 「政治家は、減税のときは胸を張って言えるかも知れません。しかし、増税はこころ苦しい、申し訳ない気持ちを持ちながらお願いせざるを得ない」
 大嘘だ。
 ホンネは、
「増税のときは胸を張って歓び、減税は心苦しい、申し訳ない気持ちを持ちながらやらざるを得ない」だろ?

 よく平然とこんな発言ができるものだ。聞いていて呆れた。

 このような政治家を誕生させた有権者、政党、その政党を支持した労働組合それから連合、そして、その裏でこれらを操る米国。
 これらの勢力とどこまでも対決していかねばなるまい。
 これらは、原子力発電の継続を画策している勢力でもある。

2012年8月9日木曜日

やくざカルチャー

昔、予備校に行っていたことがあるが、その時の英語の先生で面白い人がいた。
 日本の社会はすべて論理ではなく義理と人情で動いていると言い切る方だった。
例えば、政治家の派閥の構造は親分と子分の関係に似ている点。
 代議士と後援会、選挙民の関係。
 企業の経営者と従業員の関係。
 役所の幹部と末端の役人。中央官庁と出先機関や地方自治体。
 体育系サークル。
 非論理的で「情」によって結合し、「身内」と「外」の区別がある。
 原子力ムラもそれが当てはまるだろう。
 日本は法治国家ではなく「情治国家」であるとよく言われるのも、その点を指摘したものだろう。
 だから憲法解釈など180°反対の解釈が違和感なく成り立ってしまう。
 彼は、その構造を「やくざカルチャー」と呼んで、折に触れてその具体的な例を面白く指摘して語ってくれた。
 今も時々、その頃の話を思い出し、「ナルホド」と思うことがある。その全てが正しいかどうかは別として、多くの指摘が的を射ているなと思う。

 それにしても、今回、自民党、公明党の野党が民主党野田内閣への不信任案を否決する側に回ったことは、この「やくざの論理」にも反するものではないだろうか。
 自民党や公明党の民主党批判は、今に至るまで強烈だった。これらの党が野田内閣を支持することなどあり得ないと感じさせるのに十分なものだった。
 野党だから当然と言えば当然だが。
 それが、さしたる大きな理由もなく与党支持に回ったのだ。
 驚きを通り越して、その無節操ぶりに呆れてしまう。
 自民党に至っては数日前まで、「不信任案を出す」とまで言っていたはずだ。

 消費税の増税は本当に必要なのか、この大増税を行うことに国民は納得しているのかどうか、などということはお構いなしで、とにかくなりふり構わず国民から一円でも多く搾り取ってやろうという点で、この三つの政党は一致していたのだ。
 同床異夢を見ながらも、生ぬるい寝床にはしがみついていたかったわけだ。

 いま、この矛盾に気づいている人は多いはずだ。
 なんとかして、その温々とし爛れた寝床からこの人たちを引きずり出す必要がある。
 それには、全く新しい視点で選択を行わねばならない。一人一人の候補の日常をよく見ておくこと、民主党に失望し自民党政治には戻りたくない、という気分だけで選択する人の票を掻っさらおうとしている新たな勢力にも騙されないように気をつけるべきだ。

 民主主義は手間とコストのかかるシステムで、問題が一気に解決することは期待できないかも知れないが、選ぶ側が少しずつ賢くなっていくという王道しか、社会を変革する方法はないだろうと思うから。

2012年8月8日水曜日

骨を眺めて思うこと

折れて離れた骨と骨の間に
 白いぼんやりした霧のようなものが写っていた
 6月6日に折れた僕の鎖骨
 少しずつだが、確実に修復が始められている

60年以上も生きながらえてなお
 体細胞分裂を行い
 新しい組織を作ろうとしている
 自分の細胞を
 今日、たまらなく愛しく感じた

 生きている人の身体では、
 老若男女、貴賎貧富の別なく
 このような生命の営みが続いていることだろう
 生きるとは
 なんと奇跡的なことであろう

 生命への
 感動を畏敬を持つことを忘れ去っている
 政治家や官僚、大企業経営者は
 今一度このことを思い返すべきだ


 まあ、「もう手遅れ」という人々が続出することになることは間違いないだろうが。

2012年8月7日火曜日

封印すべき技術 その2

核エネルギー(原子力)を(現在の)人類が利用するには、技術的にもモラルの上からも(まだ)難しいということをよく聞く。昨日の小ブログにもそのような趣旨のことを書いた。
 今日は、昨日書き足りなかった分を補足したい。

 もう30年も前に亡くなった人の子を宿すなどということは考えられないだろう。だが、技術的には可能だ。技術的には。
 ウシやブタなど家畜の世界では、1965年頃から-196℃の液体窒素で瞬間的に精液を凍結して保存する技術が確立していて、数十年前の精液を使って受胎させることが可能になっている。
 ヒトに対してそれが行われないのは、純粋に倫理上の理由からだけだ。
 これは、「実行可能だが、実行しない」という例の一つだろう。
 原子力技術も今は、そういう段階ではないかと思う。

遺伝子組み換え技術もよく考えなければならない技術だと思う。
 今、やろうと思えば高等学校の理科室程度の設備と器具で、簡単な遺伝子組み換えは実験できる。数年前に現役を引退した僕でさえ、この実験で「光る大腸菌」を作った経験がある。
 もちろん、これをやるためには厳しいガイドラインがあり、遺伝子を組み換えた生物は絶対に実験室の外には出さない、実験終了後は念入りに滅菌することになっている。

なぜなら、このような遺伝子操作によって、抗生物質への強い耐久性を備えたバクテリアができあがったりする危険性が否定できないからである。
 その一方で、農業生産の分野に遺伝子組み換えの技術が積極的に用いられるようになった。
 たとえば、ダイズの遺伝子を組み換えて、ある種の除草剤への耐久性を高めた品種を作り出し、その畑に大量の除草剤を散布することで農作業の省力化を図り、コストを削減する。そして、低価格で国外の市場を席巻しようという戦略だ。アメリカがこれの最先端を走っている。
 また、ある種の昆虫の腸内で毒物として働く物質で、土壌細菌が作り出すものがある。この細菌の遺伝子をトウモロコシなどに組み込んで、トウモロコシ自身がこの物質を生産するように改良することで、昆虫の食害を減らし、殺虫剤の使用量をへらしてコスト削減に役立てるというものも実用化されている。
今のところ、この細菌の作り出す毒素は昆虫には有害だがほ乳類には無毒であると言われている。
 しかし、遺伝子の塩基配列のわずかな変化で、作られる物質がどのように変化するか、わからない。
 農薬(殺虫剤)の使用量が減るのは、一見良いことに思われるが、何のことはない、植物自身が殺虫剤を合成してしまうのだから怖い感じがする。

 ヒトは、何十万年もかかって作物を改良し、改善した点をわずかずつ蓄積し、優れた品種を生み出し、利用してきた。
 その改良のために費やす時間を一気に(桁違いに一息に)縮めようというのが遺伝子操作なのである。

 僕は、食物は生命活動の基本となる物質なのだから、工業的な生産や加工には馴染まないと思っている。極論かも知れないが、食物の生産や加工、流通を営利の手段とするべきではないと考えている。

 残念ながら世の中の流れは、それとは全く反対の方向を向いてしまっているけれど。

2012年8月6日月曜日

封印すべき技術があってもいいのじゃないかな

広島への原爆投下の日。
 1989年のこの日、旧ソ連時代のシベリアにいた。
 当時の「プラウダ」には、広島でひたすら祈りを捧げるおばあさんの写真とともに「ヒロシマを繰り返してはならない」という意味の記事が掲載されていた。
 多分に政治的な意図があって載せられた記事かも知れないが、その時、一緒にいたロシア人の何人かに、「ヒロシマは本当に気の毒だった」という言葉をかけられたのを覚えている。

 今日、読んだツイッターの記事で、台湾のホテルにいた人が、8時15分に朝食を摂っていたレストランから自室に戻って黙祷しようとしたら、ホテルの従業員に呼び止められ、「ここで黙祷して下さい」と言われた。投下時刻になるとレストランに居合わせた客全員に放送で呼びかけてヒロシマのために黙祷した、と書いていた。

 これらの人々の真心に比べて、野田総理大臣のスピーチの空しさは、どうだろう。
 言葉と心のこれほどまでに見事な乖離(かいり)は、他に例を見ないような気がした。

 「乖離」と言えば、人間は自然からどこまで乖離しようというのだろう。
 今日の広島市の松井市長も平和宣言で「『核と人類は共存できない』という訴えのほか様々な声を反映した国民的議論が進められています。日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください。」として、人類と核エネルギーが共存できないという考えを強く滲ませている。

 ヒトは、地球上に誕生して以来、道具をつくり、火を使い、化学エネルギーを自在に操る術を身につけた。
 次に電気エネルギーを様々に使いこなし、ついに核エネルギーにまで手を伸ばした。
 核エネルギーが絶対的にタブーだとは思わないが、これは、使い方や管理のしかたを少し間違えば、取り返しのつかない禍をもたらす。
 この技術の発達に人類の哲学やモラルは、まだ追いついていないことは自明だろう。

 同様に危険な技術は、他にもある。
 たとえば遺伝子操作だ。DNAを解読し操作する術を身につけたことで、人類は自然界の生物を思いのままに操ることできるかのように思い上がった。
 この影響が、今後どのような形で現れるか、十分に吟味されないままで、主に農業の分野でこの技術が濫用されている。
 その結果、生産性を上げ、収量を増やし、コストを削減するという工業生産と同じ原理が農業に持ち込まれている。
 だが、農業とは、ヒトの食べ物を作る営みではなかったろうか。そして食べ物は、それ自体がヒトの身体になる、きわめて重要な物質ではないだろうか。
 食べる物について、真剣に考えない態度は、自分たちの命を真剣に考えないことである。

 賢しげに「命の大切さを教え・・・」などと言葉に出す人は、自分の食べる物がどのように生産され、どのように加工または調理されて、食卓にのぼるか、真剣に考えているのだろうか。
 このことは、もう少し考えてみなければならない。

2012年8月5日日曜日

低気圧とハモ丼と温泉と

気圧の谷が北海道の上を通過し、未明から雨。時々、雨脚が強まる。
 「ふるさと少年探検隊」のスタッフとして参加していた同僚の犬2頭を羅臼まで送る、という口実で「ハモ丼を食べ、温泉に入ってくるツアー」を敢行した。
 ハモ丼というは、羅臼町の「たべ処・いわみ」という食堂のメニューで、一部の知床通の間では有名だ。正式に「知床はも丼」と言う。店のHPによると「脂ののった知床ハモ(クロハモ)を遠火でじっくりパリッと皮まで。焼きたてにタレをかけてお召しいただきます。」とある。
 まったくこの通り。偽り無し。
 毎日のお昼に頂くという価格ではないが、わが家では、年に数回「何かお祝い事があった時」つまりはハレの食物として、美味しく頂いている。
 今日は・・・・今日は、シカとの交通事故以後、初めて温泉に入る日の祝い、ということで「知床はも丼」にあいなった。

 その後、羅臼第一ホテルの温泉に入ってきた。
 あまり知られていないが、羅臼の温泉は源泉掛け流しだ。泉温が高く、湯量が多い割には、規模の大きなホテルが無いので、圧倒的な供給過多なのだ。だから濾過して循環させたりする必要がない。
 肩の凝らない本(安い文庫本がよい)をビニール袋に入れて浴室に持ち込み、露天風呂に腰まで浸かってゆっくり読む。本の世界に没入でき、ココロから人生の幸福を感じるひとときだ。
 僕は、腰痛持ちだったが、羅臼高校に転勤し、毎日温泉に通うようになり、一度も腰痛が出なかった。

 今回の事故で鎖骨・肋骨の骨折の他に左足の関節や筋肉をかなり傷めていた。早く温泉で療養したいと考えていたが、鎖骨の治療のためにイヌのハーネスのようなベルトを着けていたので、思うように入浴できないでいた。
 そんな理由で、実に二ヶ月ぶりの温泉となった。

2012年8月4日土曜日

根釧原野 秋の一日

気まぐれから別海町の「ふるさとの森」に遊びに行ってきた。
 その入り口にはヤギやブタやポニーを展示している不思議な「どうぶつ館」という施設がある。
 相棒の「アファン(AFAN)」と一緒に行ったが、彼女は早速ブタ・ヤギチームとにらみ合っていた。
 人工的に手を加えられ過ぎて、いろいろと不満な所もあるが、手軽に散歩を楽しむには良い場所だろう。
 湿原を横切る短い木道を歩くと、タチギボウシが満開になっていた。
 もう秋だ。

 森本防衛大臣がアメリカに行き、オスプレイに試乗したとニュースが伝えていた。
 この国の政府は、どこまで国民を馬鹿にしているのだろう。
 一時間くらい試乗して、安全であることが証明できると考えているのだろうか。
 本気で安全性を信じているのであれば、「未亡人製造機」とまで言われた機体が日常的に頭の上を飛び回る状況を共有すべきだ。そういう場所で自分や家族を10年間でも生活させてみるなら、納得できるかも知れない。
 それよりも、今、問われていることは、国民の安全を守るということではないのか。
 だとすれば、そんなパフォーマンスよりも、もっとするべきことがある。今の態度は、アメリカの立場を代弁して、必死で安全性をアピールしているセールスマンのようではないか。

 原発の事故隠しや情報統制、オリンピック開会式と時の日本選手団の排除への説明が全くなされないことなど、政府やマスメディアへの不信感は今まで経験したことがないほど高まっている。
 正直なところ、このままでは、この国で暮らしていくことはできないと感じ始めている。

2012年8月3日金曜日

朝陽に輝く飴色 羅臼昆布は こう作られる

羅臼の昆布漁は7月から始まった。今は、その真っ盛りの時である。
 朝、出勤の時、思い思いの方向を向いた小舟が浜近くにたくさん浮かび、「マッカ」とか「サオ」と呼ばれる10メートル以上もある長い棒を使って、海底のコンブを巻き付けて採る風景を見ることが出来る。
 コンブ採りは、岸のすぐ近くで行われる。しかし、岸のすぐ近くでさえ10メートルを超える長さの器具を使わなければならないほど知床半島の海は急に深くなっている。
青く澄んだ海底から飴色のコンブが引き上げられ、朝の光が半透明なコンブを通って輝く様子は美しい。

 知床の森から流れ出た中小の川は、みな急流で、森の栄養成分を海に直送する。森が豊かであれば海も豊かになる。羅臼の前浜のコンブはそのような自然環境が育てる。

 羅臼昆布は、高級なダシ昆布として有名だが、こうして海底から引き上げられた後、洗い(表面の汚れや貝などの小生物を取り除く)→乾燥(天日または乾燥室で水分を飛ばす)→しめり(乾いた昆布を夜露や霧などに晒して再び湿らせる)→日入れ(再び天日で乾燥させる)→耳刈り(両端の薄い部分を切り取って整形する)などの複雑な工程を経て仕上げられる。
 この作業工程は羅臼昆布特有のもので、これによって身が厚く、深いダシが出て、しかも昆布自体も軟らかい羅臼昆布ができあがる。

 今朝は、無風に近く海面は鏡のようになっていた。
 小舟でコンブを採る父、それを浜で家族が待ち受け、一斉に作業にかかる。家中が協力して生きる姿がここにある。
 最近では、多くの地域で失われたものが、確かに息づいている。知床で息づいているのは、野生生物ばかりではない。


2012年8月2日木曜日

開会式の怪 その2

「開会式の怪」というタイトルを見て、「ああ、アレだな」と思った方は多いのではないだろうか。
 ロンドンオリンピック開会式で、日本選手団だけが、セレモニーに参加することなく入場行進後、そのまま会場外へ誘導されてしまったという件である。

 昨日は、それをはぐらかそうとした訳ではない。
 その問題も意識の中にはあったのだが、自分の中でも考え(見解)がまとまらず、曖昧なままで取り上げることが躊躇われたのだ。
 それで、タイトルには挙げてみたものの、この問題に触れずに終わってしまったのである。
 この、「場外への誘導」は、YOUTUBEにも上がっているので、一部の人々の間では広く知られている事実だ。
 異様な感じする風景だった。
 さらに、異様だったのは、この事実を日本のマスコミがほとんど取り上げなかったことだ。僕の知る限り、TBSが今日(2日)の朝の報道番組でほんの少し取り上げた。
 その中で報じられた「原因」は「誘導係のミスだった」という一言だけだった。

 また、日本選手団の意向で、試合を控えた選手を深夜にまでおよぶ開会式に出席させないで体調管理に徹した、という「説明」も2ch情報として流れていた。

 さらに、IOCの中に、放射能によって汚染されている日本選手を他の選手と同席させることへの抵抗がある委員がいて、この措置がとられた、という「解釈」もツイッターなどを中心に流れている。

 要するに今のところ真実はわからないが、今のところ三つの異なる解釈が流れている。
 いずれにしても国を代表する選手団が、入場行進をして開会式の式場に入る。開催国のメッセージや 聖火の点火などさまざまの式次第に参加することなく、さっさと出口から退場し宿舎に 戻ってしまうという異様さについて、納得のいく説明をしてもらいたいと思う。

① この原因が誘導ミスだとしたら、それに気づいた時点で再入場させるなどの措置をと ることが出来たのではないだろうか。
なぜ、それができなかったのか。
② 「選手団の意向」というのは、もっとも説得力がありそうに思うが、今朝のTBSの 報道とは異なっている。
  また、「そこまでして勝ちにこだわるのか」という批判的な意見も寄せられている。③ 周囲から放射能汚染を危惧されて、というはあまり考えられないようにも感じた。  日本から行っているのは選手だけではないし、汚染されているのはヒトではなく、日本 の国土なのだから、それを混同した受け止め方が一般に通用しているとは思えないのだ。

 昨日から、このことが気になって、考えていたのだが、今日になって、ツイッター上に以下のような書き込みを見つけた。一部を( )で補足し原文のまま転載しよう。 

「野田(首相)が出発前に選手たちにお守りとして福島の瓦礫製のバッジを。ヒースロー空港を通過したが、IOCが問題視。開会式の入場で英BBCらはこの事実を生放送。NHKは急遽その場で無言で放送。300人の日本選手は一周した後に誘導されて会場外へ。JOCはこの事実を認めず『選手らが間違って外へ』(と強弁した)」

 どうだろう?

 所詮インターネット上で交わされる噂、と言ってしまえばそれまでだ。
 だが、何らかの理由で、日本選手団が開会式に出席しないで、入場行進からそのまま退場したことは事実だ。
 そして、それについて、何の説明もされず、マスメディアも黙殺しているのも事実だ。

 去年、原発の大事故を起こし、それについて情報の開示を渋り、いまだに放射能の危険性を小さく見せようとする政府やそれに協力する大手マスメディアへの信頼がすっかり失われている。それが原因で、様々の憶測やウワサが飛び交っているのが、現在の日本の状況なのである。
 嘆かわしいことだし、大変不安なことでもある。
 日本社会の機能は、このようにして次々に失われつつあるのだろうか。

2012年8月1日水曜日

開会式の怪

ロンドンオリンピックの開会式が開かれていた時、札幌の父のマンションにいた。いつもの習慣でその日の天気やニュースなどを知りたいと思い、午前6時30分頃テレビのスイッチを入れた。すると偶然にも開会式の中継が放送されていた、というわけだ。

 競技の特に日本の勝ち負けには、全く無関心な僕だが、開会式を見るのは嫌いではない。世界にはこんな国もあったんだとか、この国の旗はこういうデザインだったんだ、などと興味は尽きない。
 少数の代表団しか送ることができないほど貧しい国、今も紛争のただ中にある国などを見ていると胸が塞がる思いがする。そんな国の選手たちの目に、きらびやかで電気や花火などをふんだんに使った、オリンピックのセレモニーは、どのように映っているのだろう。母国では、一日一度の食事さえままならない人々がたくさん暮らしている、という選手もいることだろう。
 もう少し、ほんの少しで良いから、世界中の貧困や飢餓や病気が改善されるまで、オリンピックのセレモニーや競技を質素にできないものだろうか。そして、浮いたお金を苦しむ人々の救済に回すことを考えられないのだろうか。ほんの少しで良いから。
 オリンピックのために消費される電力は、衛星中継や取材、さらには視聴に使われる分も含めて、膨大なものになっているだろうと思う。
 その分を、今、苦しんでいるいる人々に回すことは出来ないのだろうか。

 こう考えてくると、現在人類が手にしていて、まずまず無難に利用しているエネルギーである物が燃えるときのエネルギーや電気のエネルギーでさえ、まだまだ本当にマネージメントできているとは言えない現実があることに気づく。
 断るまでもないだろうが、ここで言う「マネージメント」とは、安全に使いこなすだけに止まらず、その恩恵を皆が分け合っているということも含めて言っている。
 電気や火でさえ、満足にマネージメントできていないなら、原子力(核エネルギー)のように桁違いに巨大なエネルギーなど、今の人類が使いこなせているとは、言い難い。
 まして事故を起こして、大変な汚染を引き起こした事実があるのだから。

 人類は、もう一度、「身の程」を知るべきだろう。