2012年8月19日日曜日

たまには昆虫を見習ってみようか

 夏休み最終盤のここに至って、暑い日射しが戻ってきた。
 昨日と今日、二日連続の「夏らしい日」が続いた。
 本州の猛暑と比べたら「玩具」みたいなものであろうが。

 野に出ると秋の虫が賑やかに飛び回るようになってきた。クジャクチョウやコヒオドシ、サカハチチョウ。それにオオウラギンスジヒョウモン、ミドリヒョウモン、ギンボシヒョウモンなどヒョウモン類が目立つ。
 彼らは、この後、秋の野を思い思いに飛び回り、成虫のまま越冬して来年の春、産卵する。この先半年以上の長い間、成虫の姿で生き抜かねばならない。
 チョウやハチ、アブ、それに甲虫類などの完全変態の昆虫は、幼虫時代と成虫時代とで、ほとんど別の細胞群で身体ができていると言われる。幼虫と成虫で人格(いや虫格か!)が全く別になっているかどうか、幼虫期の記憶を成虫になっても受け継ぐのかどうかの研究結果は知らないが、われわれ脊椎動物の理解を超えた感覚の世界で生きていることは間違いなかろう。
 少なくとも機能の面では幼虫時代と成虫時代は全く別になっている。
 ひたすら食べて消化し、身体に栄養分を蓄えまくる幼虫時代と交尾の相手を探して広い範囲を飛び回り生殖し子孫を拡散させることに専念する成虫時代、というわけだ。
 では、「記憶」とか「癖」のようなものがあるとすれば、それは幼虫から成虫へと受け継がれるのだろうか。
 昆虫の場合、「意識」というものがあるのかどうか、「癖」のような個性が存在するのかどうかがまだ曖昧だから、確かめるのは難しそうである。

 最近の昆虫学では、昆虫の脳についての研究も進んでいるので、いずれ明らかにされる時が来ると思っているが、なんとなく幼虫期と成虫期とでは、まったく別の意識があって、さなぎの時代にそれが入れ替わるのではないかな、という気がする。
 いや、そう考えた方が面白いではないか。

 ニンゲンだって、
「ええっ?そんなこと言ったっけ?昨夜のことはさっぱり覚えちゃいねえなぁ」なんていう「記憶の入れ替わり」は時々ありますよね?

 領土問題とか戦争犯罪とか、忘れちゃいけないのだろうけれど、いつまでも根に持っていても仕方のないことをこうやってきれいさっぱりリセットできたら、世の中がもう少し平和になるような気がしたのである。

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