2012年8月23日木曜日

それは違う!断じて違う!

 今日、サッと読んだWeb版の「Japan Business Press」の記事に、元・陸上自衛隊幹部学校長の樋口 譲次という人物が「戦争の一歩手前、「政治の時代」に陥った日中関係」という記事を書いていた。
 要するに、今までは経済活動を優先させて日中関係もなあなあで上手くやってきたが、尖閣諸島の問題が起きて、もはや平和のままでいることは出来ない。日本は自覚をもって戦争も辞さないという覚悟で中国と向き合うべきだ、という巷間でよく出まわっている論調だ。
以前からこういうことを主張する人々はいたから、全く新しさは感じられない。

 ただし、この人の文で気になったところがいくつかあった。
たとえば、オランダの法学者グロティウスの言葉、「平和とは単に戦争の前ないし後を意味するに過ぎない」を引用し、ニンゲンは戦争をするのが当然だと述べている。

 さらに、「人類の歴史は、おおよそ3400年余であるが、その間、世界が平和であったのは300年足らずだと言われている。10年間に換算すると、そのほとんどの期間(9年11か月)、世界のどこかで戦争が繰り広げられ、わずか1か月間が平和であったことになる」と書いて、人類社会に戦争はつきものだ、と主張している。
 1947年生まれで「戦争を知らない子ども」のはずだが、元・自衛官としては、平和が続くことによって「戦争の専門家」としての自分の存在価値が否定されてしまう危機感から、このような考え方に陥ってしまうのだろう。
 そして、厄介なことにこのような意見にもそれを支持し同意する取り巻きが存在する。フェイスブックやツイッターでこの記事を賛美した人々は、戦争を望み、万が一の場合は自ら進んで前線に立つ覚悟があるだろうか。あるいは自分の子や孫を戦争に行かせる気があるのだろうか。

 この記事にマトモに反論するのもアホらしいが、「(人類史を)10年間に換算すると、わずか1か月間が平和であった」という記述は、歴史の発展を全く無視した独善であることは誰もが気づくだろう。数字の上ではその通り(本当はそれ以上だと思うが)であっても、その歴史の全期間を通して、少しずつ平和な世界を構築しようと努めてきたのが人類である。
 その歩みはきわめて緩やかだったにしろ、基本的人権が尊重されるような方向へ、弱者が守られるような方向へ、平等が実現される方向へ、進み続けてきたのが人類史のだったはずだ。
 それらの人類の努力を塗りつぶすような発言は看過できなかった。

 この人の文への反論として与謝野晶子の詩を載せておこう。
   ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺(さかい)の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたもうことなかれ
旅順(りょじゅん)の城はほろぶとも
ほろびずとても 何事ぞ
君は知らじな あきびとの
家のおきてに無かりけり

君死にたもうことなかれ
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣(けもの)の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されん

ああおとうとよ 戦いに
君死にたもうことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは
なげきの中に いたましく
わが子を召され 家を守(も)り
安しと聞ける大御代(おおみよ)も
母のしら髪(が)はまさりぬる

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にいづま)を
君わするるや 思えるや
十月(とつき)も添(そ)わでわかれたる
少女(おとめ)ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたもうことなかれ

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