2012年8月24日金曜日

東京にて

 「足下もを見る」というのは、人の弱みにつけ込むという意味だが、江戸時代旅人の歩き方を見て駕籠や馬を勧めて高い料金をふっかけたのが語源なのだそうだ。現代でも優秀なホテルマンなどが客の人品を評価するとき、履き物の汚れ具合や減り方を観察している、と聞いたことがある。 久しぶりに東京に出てきた。  ニュージーランドの教育を研究するグループの私的な集まりに参加するためだ。朝の早い便だったため、なんとなく気ぜわしい気持ちで出発してきたが、着いてしまうと時間には十分な余裕があり、何かに追われるように流れる人の群れから外れて、別の次元から都会を眺めているような気分になれる。  地下鉄の中でもコーヒー店で休んでいるときでも、今日は、どういう訳か人の足下が目に付いた。それもずいぶん草臥れた履き物が目立った。  履き物ばかりでなく歩き方も足を引きずるような重そうな足取りの人が目に付いた。そのまま視線を上げていくと無表情な疲れた顔が例外なくそこにある。  前回来たのはいつだったか。昨年の秋くらいだったろうか。半年と少しの間が開いているだろうか。その間に何があったというわけでもないだろう。  おそらく大きく変わったものは無いに違いない。それなのに感じるこの疲弊感は何なのだろう。そんなことを思いながら、今夜は猛暑の東京に一泊する。

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