2012年1月31日火曜日

流氷の気配 流氷の呼吸 流氷百話 8/100

流氷は、オホーツク海を北から南に向かって流れる東樺太海流に乗ってやって来る。そして、まず、紋別や網走などオホーツク海沿岸の土地に接岸する。

 昔、網走市から約50キロメートル離れた北見という町で暮らしたことがある。
 北見の人は、網走の浜に流氷がやって来て接岸したことを感じ取るのだという話をよく耳にした。
 それは、肌で感じる風の気配でわかるのだそうだ。
考えてみれば、表面温度が-1℃程度の海面が広がっているのと、そこが氷に覆われて表面温度-10℃とか-15℃とかになるのとでは風の冷たさが違って当然だろう。
 神秘的なことでもなんでもないのだが、海岸から50キロメートルも離れた土地で海の変化が感じられるということに不思議な気がした。

 北見で暮らすようになって、4~5年経った頃、肌に当たる風に鋭い痛みのような寒さを感じた夜があった。
 その時、「あ、流氷が接岸したな」とふと思った。
 はたせるかな翌朝、網走の海岸に流氷が接岸していることを知って、無性に嬉しく思ったことがあった。
 自然の営みを自分の体内の感覚が共鳴したことが嬉しかったのだ。

 今も、あのときの感覚は偶然ではなかった、と信じたい。

2012年1月30日月曜日

続 富良野への小さな旅

昨日の続き。

環境を汚すことを批判したり反対したりする時、われわれはどのような理由を並べるだろう。
 普通は、健康への心配というのが一般的によくあるのではないだろうか。子どもやお年寄りなど弱者の立場に立って考えてみる。
 それは、もちろん必要なことだし、大切なことだ。今回の原子力発電所事故に際しても子どもへの影響がもっとも心配されている。

 それは、まったく正しいことだ。
 だが、同時にその自然環境で生きるあらゆる生物、生命活動を営んでいる存在のことも考えるべきなのだ。そうしなければ、生態系を保全することにはならず、生物がつながりをもって生きているシステムが保全されなければ意味がない。

 希少種だけを保護して、「種の保全を果たせば、開発行為が許される」という発想は、開発を推進する側の論理として、しばしば派手に振り回されるが、そんな考え方は何十年も前から破綻している。どうして、いまだにそんな綻びた論理がまかり通るのだろう。
 もちろん、それは、何が何でも開発行為を推し進めたいからに他ならない。

 「マロース」はそんな人間の奢りを諫める野生生物たちの無言の訴えを形にして見せてくれたと思う。その真摯な訴えが心を動かしたのだと思った。
 日頃から野生動物に接する機会が多く、浅学であっても彼らの事について学んでいると、野生動物が人間にどんなことを訴えたいのかが伝わって来るように感じていた。
 彼らは決して主張しない。反対運動も起こさない。人間が環境に手を加えれば、黙って立ち去るだけで、後から訴訟を起こしたり恨み言を言ったりはしない。

 だが、その心の内を、僕たちは想像するのだ。
 そして、その想像の通りの台詞を、倉本聰さんは、芝居の中で言わせてくれたのである。

 昔、根室と釧路の間に高規格道路を通し、根室市の温根沼に新たに高い橋をかける計画が持ち上がったことがあった。その時の環境影響評価書に
「ハクチョウの衝突なども予想されるが、ハクチョウは特に重要な種ではない」という記述があった。
 僕はそれを読んで、心の底から怒りがこみ上げてきたのを覚えている。
20歳代の頃から興味を持ち、深い関わりをもっていたハクチョウが侮辱され、悲しくやりきれない気持ちになっていたのだ。
 
おそらくその時の僕と同じ気持ちで(いやそれ以上に深く理解した上で、であろうが)この物語が創られていたこと、そして、富良野の森の中にある劇場で、その物語と出会うことが出来たことが、たまらなく嬉しかった。

 一泊二日間の短い旅だったが、40年間の放浪の末に安住の地を得たような、満たされた思いを味わった。

2012年1月29日日曜日

мороз(マロース)・・・富良野への小さな旅

帰宅は22時30分であった。
 約300キロの道のりを帰って来た。
 富良野から。

 富良野GROUPの公演を観に行ってきたのだ。

 「マロース」は2011年初演、倉本聰が、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』をヒントに、『ニングル』に次いで書き下ろした自然とニンゲンを描く小さな神話とパンフレットで説明されている。

 ホテルの宿泊とセットになった鑑賞券があった。一流の芝居が観られて、宿泊もできる。ちょうど旭川へ行くことを計画していたので、ホイホイとチケットを予約し、気軽な感覚で出かけた。
 演劇も、倉本聰さんの芝居だから、きっと楽しめるだろう、という安直な心構えだった。

 しかし、芝居を観て、圧倒された。痺れた。ココロが固まった。
 どう表現すればよいのだろう。

 帰路、ハンドルを握りながら、昨夜受けた感動の表現をあれこれ考えてみたのだが、まだまとまりきらないでいる。

 これまで続いてきた野生の生き物に対する僕の思いと、この芝居に流れている精神とが強く共鳴するのを感じた、と言って良いだろう。

 今日のところは、まだ、十分にまとまっていないので、後日、この続きを書こうと思う。

 とにかく、とてもいい演劇だった。
 より多くの人に関心をもってもらいたいと思った。

2012年1月28日土曜日

漂流する氷 流氷百話 7/100

前回、さまよえる氷群のことを書いたが、考えてみれば、視界いっぱいの海を覆っていても、流氷は流氷で、全てが「彷徨える氷群」なのである。
 結局は、スケールの違いなのである。
 根室海峡では、流入してくる氷と流出していく氷のバランスが取れていて、海峡内には一定の密度の氷しか入らないので、その「彷徨う様子」がよくわかるのだ。

 それに対して、稚内から網走・斜里あたりまでの海岸には、大規模な業群が説がして、ちょっと見た目には、「不動の大地」のような氷原を出現させるのだ。
 しかし、この「大氷原」も、南よりの強風がひとたび吹けば、一晩で離岸して視界から消え去ることもある。
 やっぱり彷徨っているのである。 

 だから英語では「drifting ice」(漂流する氷)と呼ばれる。この呼び方カッコイイと思う。 日本語に置き換えると「漂氷」になるだろう。
 「ヒョーヒョー」では、音としてちょっと良くない。
 やはり「流氷」に落ち着くのかも知れない。

2012年1月27日金曜日

マロースの森


 朝、起きて外気温を観るのがずっと以前からの習慣になっている。
 今朝、午前7時過ぎて、-17℃で少し驚いた。

 一月も末だ。冬至から一ヶ月以上経ち、日の出時刻は早まり、日没時刻が遅くなってきたことを実感できる。
 そろそろ春の予感を感じ取ることのできる季節だ。
 シバレも底を打っても良い頃だと思うのだが、毎日の最低気温がどんどん下っている。

 たしかに、冬の低温の底は、数字では二月に記録される。だが、体感的には一月中旬がもっとも寒く感じるものだが、今年はなかなか底から離れられないでいる。
 そんな根釧原野の昨今だ。

 ロシア語では寒さのことを「холод」(ホーラドゥ)というが、さらに厳しい寒さのことを「мороз」(マロース)という。
 「寒さ」の上に「すごい寒さ」があるところがロシアらしい。

 いま、富良野市の演劇工房で「マロース」という芝居をやっている。
 
 今は、まさにマロースの季節なのである。

2012年1月26日木曜日

彷徨う氷群 流氷百話 6/100

流氷と一口に言っても様々な顔があると思う。
 流氷との「初対面」は、網走で見渡す限りの海面を埋め尽くしている氷だったが、根室海峡に面した羅臼の流氷は、海面の全てを覆い尽くすことはほとんどない。海に浮いている氷が風や波で西に東に移動する。風向きの影響で特定の海域に集中することはあるが、根室海峡を氷の塊が行きつ戻りつしていることには変わりがない。
前の日は、羅臼町の海岸に押し寄せ、激しく海岸線を圧迫していた氷が、一夜明けると跡形もなく姿を消し、向かい側の国後島の浜辺にへばりついている、などという現象は、毎年みられることだ。

 この動き回る氷のために、根室海峡の流氷には必ず開氷面があり、羅臼では、厳冬期でも漁船の操業が続けられている。もっとも風向きの急激な変化で、漁船が氷に閉じ込められる事態が、過去にしばしばあったようだ。
今は、天気予報の精度が向上したうえ、流氷の密度も以前より小さくなって、なかなかそのような事は起きなくなった。
 それでも羅臼海上保安書の巡視船「てしお」には砕氷能力を備えている。海上保安庁の巡視船で砕氷能力があるのは、2隻だけなのだそうだ。

 「流氷」とは「流れる氷」と書くのだから風と波のまにまに漂っているのが、僕の昔から描いている流氷のイメージだった。
 西へ東へ南へ北へと彷徨う流氷の群れというのは、意志を持った生き物のようで、神秘的な印象を増幅させる。

 とは言え、海に漂うのも流氷、海を覆い尽くすのも流氷。
 流氷もいろいろなのである。

2012年1月25日水曜日

アララトの聖母

今夜は、少し贅沢な時間の使い方をして「ARARAT(邦題:アララトの聖母)」という映画を観た。
 アトム・エゴヤンという人の監督・脚本作品で、2002年に作られたカナダの映画だ。

 映画の制作をストーリーの中心に据えている映画で、やや入り組んだ展開だが、描かれているのは親子の葛藤と愛情や人と人のつながりと言った、わかりやすい情だと思う。
 そして、何よりも中心を流れる重い重いテーマは、20世紀初頭に起こったトルコによるアルメニア人の大虐殺という出来事だ。
 トルコ政府は、今でもこの虐殺は無かったと主張していて、国際的な議論が起きている、言ってみれば歴史の闇の出来事である。

 この映画の所々に起きた事故や事件に対して、違った立場の者が違った解釈をして対立する場面が描かれている。
 このことはアルメニア人大虐殺に対する「歴史観」(本当は「歴史観」という言葉はオカシイと思うのだが)が、複雑に入り組んでいることを暗喩しているのではないだろうか。

 また、この事実を知らない「加害者側」と「被害者側」の若い世代が、この事件をどう受け止めるか、どう向き合おうとしているか、その心情や両者の微妙な違いなども繊細に描かれていた。

 当然ながら日本も同じような問題を抱えている。
 南京大虐殺を始め、侵略戦争で、朝鮮半島や中国などアジアの国々の人々を苦しめた歴史がある。
 もっと遡れば、蝦夷地でアイヌ民族に対して過酷な支配を行い、解放闘争に立ち上がった
 アイヌ民族を残虐なやり方で処罰した事件も少なくない。

 そして、一般に「加害者側」は、事件を出来るだけ小さく見せようとするか、時には無かったことにしてしまう傾向がある。
 それは、現在の「イジメ」でも見られる構図なのだが。

 時間の経過が事実を歪め、強者に有利な記述がだんだんと強められるのは、ニンゲンの業なのかも知れない。
 政治権力が介在すると、それが加速されるのだろう。
 そうなると福島原発の事故も、そのうち無かったことにされかねない。実際、全然終わっていず、今でも放射性物質をまき散らし続けているのに、「終息した」と強弁しているのだから。

 われわれは、そのような事実を歪める策動に与しないよう、今、起きていることを記憶の深部にしっかりと刻んでいかなければならない。

2012年1月24日火曜日

波のカドが取れるとき 流氷百話 5/100

「波の角が取れる」という表現は、わかってもらえるだろうか。

 流氷が近づくと海岸では波が小さくなる。同時に、普段、海で見られる三角の尖った波が姿を消し、小さなトロリとしたうねりのような波が打ち寄せるようになる。

 流氷が堤防代わりになって、大きな波が出来なくなることも原因の一つだ。
 同時に海水中に細かな氷の粒が生まれて、海の表面がトロリとてくるのだ。このような状態を「氷泥(ひょうでい)」と言う。
その結果、海水表面の波が丸みを帯びたものになり、海が穏やかになる。

 沖合に流氷が見えていない段階でも、波の角が取れてくると、流氷の接近を感じ取ることができる。

2012年1月23日月曜日

どこまでも環境に鈍感な電力会社

先日、根室半島で風力発電事業を始めようとしているある業者と野鳥の会の地元支部との間で話し合いがもたれた。
 風力発電の大型風車は、野鳥との衝突事故が絶えない。北海道では、これまで20羽近いオオワシやオジロワシが衝突事故を起こしている。野鳥の会は、風力発電に反対する立場ではないが、風車の建設に際しては十分な環境調査と慎重な判断をすること、建設後の状況調査(モニタリング)は、情報を公開し的確に行うことを求めている。

 遠目には、ゆっくり回っているように見える風車だが、直径90メートルもあるので、翼の先端付近の早さは時速200キロメートルを超えている。これに衝突した個体は、瞬時に体が数片に引き裂かれ、無残な状態で飛散する。

 大型のワシ類は、羽ばたき飛行もするが、羽ばたきを止めた滑空を利用しながら消費エネルギーを抑える飛び方をするので、小回りがきかない。
 ワシ類の風車への衝突がなぜ多いか、その理由は、必ずしも明らかではないが、この飛行法もその原因の一つだと思われる。

 そこで、風車の建設には、野鳥への配慮が求められるのだが、再生エネルギー絶賛の追い風を受けて、多くの業者が生まれている。中には、なりふり構わず風車を建てまくって、後の事は顧みない質の悪い業者もいる。
 こんな業者はアセスメントもいい加減で、全国あちこちでトラブルを起こしている。
 建設コストの抑制を最優先にすれば、地元住民の合意や自然環境への影響評価などをいい加減にするようになるだろう。
 このような業者は、ワシが衝突事故を起こしても、闇に葬りかねない。他人の目が無ければ何でもやってしまうというモラルの低さを構造的に抱えている。日本の原発と同じような手合いなのである。

 先日、話し合った会社は、野鳥の会と共同でアセスメントを進めたいという意向を伝えてきた。さらに建設予定地の風況は絶好なのだけれども、ワシ類との競合がどうしても避けられない場合は、建設を断念する意向であるという方針も示してくれた。

 当夜の話し合いから環境への配慮や地元との合意に対して、非常に慎重な姿勢を持っているという印象を受けた。

だが、電力を買い上げる側の北海道電力の姿勢に大きな疑問を感じた。
 北電は、新たに20万キロワットの枠で風力発電の電力を買い上げる方針を示して業者を募集している。それに対して、多くの業者が応募していきていると報じられている。

 そこで、北電は買い入れ予定枠に入る業者の選定を「公平を期すために」抽選で行うのだそうだ。
疑問は、ここにある。
 抽選という方法は、本当に「公平」なのだろうか?
 つまり、環境に対して「公平」と言えるのだろうか?
 環境に配慮しようと考えている業者も、環境を顧みようとしない業者も同列に扱うのが「公平」なのだろうか?

 これからの発電の一翼を担う(かも知れない)風力発電の建設が、環境へのインパクトをできるだけ抑えた、良質のものとなるように努力するのは、電力会社の義務では、ないだろうか。

 ここに北海道電力という会社が、環境への配慮をなおざりにしている姿勢が、垣間見られるのではないか。
 何が何でも原発を推進する会社。
 プルサーマル計画を進めてるためにヤラセの意見表明も平気でやる会社に環境への真摯な配慮を期待する方が間違っているのかも知れないが。
 しかし、自社の腹が痛むワケではないのだから、せめて業者の選定は、無責任なくじ引きで行わないで、環境への配慮を審査して決めるべきではないだろうか。
 もちろん審査の基準を明らかにし、過程は公開にすべきだし、外部の意見も取り入れる必要がある。
 それが社会的責任を果たすということではないだろうか。

北電関係者がこれを読んだら、何かコメントを寄せてもらいたいものだ。

2012年1月22日日曜日

五感で確かめることの大切さ

流氷百話 4/100

 流氷で、一番最初に疑問に思ったのは、それが塩辛くないというのは本当だろうか、ということだった。
 人生初の流氷と出会った網走で、早速試してみた。

 本当だった。 
本当に普通の氷の味だった。

 塩分は、氷が出来るときに濃縮され、流氷の外に流れ出ると聞いてはいたけれど、確かめてみたのは初めてだし、本当に塩辛くないということを感じて、なんだかとても感動したことを覚えている。

 それは、流氷そのものへの感激もあっただろうが、他人から聞いた知識を自分の官能で確かめえた、という感激だったように思う。

 人にモノを教えるときに大切なことをこの時、学んだのかも知れないと、今にして思う。

流氷百話 3/1100

初めて流氷を見たのは大学生の時だった。
 函館で生まれ育った僕は、大学に入るまで北は旭川、東は帯広までしか行ったことがなかった。
 「網走」「美幌」「別海」とか「稚内」、「浜頓別」「紋別」などという地名には、本州の人々の感じる「はるかな地」というイメージと同じ印象を持っていたと思う。 
だから、当然流氷など見る機会はなかった。

 大学2年の頃だったか、友人に誘われて2月の網走へ行くことにした。
 急行「大雪」という夜行列車だった。
 ちょうど吹雪の日に当たっていたらしく、その「大雪」は遅れに遅れ、夜が明けてかなり時が経ってから遠軽駅に転がり込むように到着し、そこで運転打ち切りとなった。
 その後、北見までの普通列車に乗り、北見からは代行バスで網走へ向かった。

 雪で、列車が遅れたり運休したりすることが日常的にあるということが、当時の僕には考えられなかった。
 今、この地で暮らしていると、そんなことは当たり前で、
 「所詮、ニンゲンは自然の力には勝てないのサ」などとエラソーに言葉にしているが、このことを考えると、ちょっと気恥ずかしい。

 列車代行バスは、夕方、網走に到着した。札幌からほぼ24時間近くかかったことになる。

 着いてみて驚いた。海が無い。
 海岸だと言われている場所に立ってみても、見渡す限り白い平原が続いている。

 氷がプカリプカリと浮かんでいる海を想像していた僕は、ここでまた、自分の印象を修正することを迫られた。
 次の日も、その次の日も、海の風景は変わらなかった。
それは、なんとなく見る者を威圧するかのような風景に感じられた。

 これが、流氷との初めての出会いである。
 その時は、この流氷の来る海のそばで、生涯の大半を過ごすことになるとは、まだ思ってもみなかった。

2012年1月20日金曜日

根室海峡流氷初日


高校の坂から見える根室海峡と国後島



よく見ると水平線に白い帯

 羅臼高校の帰り、坂から海を見ると、水平線に細く白い帯が延びていた。
 注意しないと見逃すくらいの細い帯だが、流氷が来たのだ。

 今年の流氷は、例年になく待ち遠しかったように思う。
 坂の途中にいそいそとクルマを停め、屋根に登って写真に撮ってみた。望遠にして写すと辛うじて白い水平線がわかるのではないだろうか。
 
 昨日、流氷についてついて書いたら、突然、流氷の話を百話書こうと思い立った。

 昔、学級通信に「綿羊百話」という記事を書いたことがあった。毎回完結で、一回ずつは短く簡単にヒツジのことを、短い文にまとめたのだ。

 それなら、流氷についても百の視点から語れるかも知れないという気がしているのだ。

 昨日の分を第一回として、まあ、やってみよう。
 ただし、連続ではない。あくまでもも不連続なのである。

< 「流氷百話」(2/100) >
 知床の流氷の特徴は、何と言っても低緯度だということだろう。羅臼町は北緯43度。実は、この北緯43度の線、どこまでも西へ西へとたどって行けば、イタリア北部を過ぎて、スペインとフランスの国境付近に達するのだ。

 「君たちは南フランスの太陽と同じ太陽を浴びているんだよ。」これが、知床についての僕の授業で、必ず言う言葉である。

 南フランスと同緯度なのに流氷がやって来る。
 流氷が運んでくる植物性プランクトンが南フランスの日差しを浴びて爆発的に増殖するのが根室海峡なのだ。それらは動物性プランクトンを養い、小型の魚を養い、しまいにはクジラまでも養う。

 流氷は、根室海峡で生物が爆発的に増える、一番最初のきっかけを運んで来る。根室海峡が「奇跡の海」と呼ばれるほど、水産資源に恵まれている理由のひとつは、ここにある。

2012年1月19日木曜日

流氷奇譚 その1

流氷が近づいているらしい。
 今年は、いろいろな人から流氷のウワサを聞く。

 網走に住んでいた頃は、台所の窓からオホーツク海が見えたので、毎朝、歯磨きをしながら流氷の様子を見ていた。

 同じ海辺ではあるが、今、暮らしている所は、海の見える窓はない。また、流氷が最初に訪れる海ではないから、少し物足りなく思う。

 流氷が来ているというウワサを聞くと、じっとしていられなくなるのは何故だろう?
 とにかく、近いうちに見て行ってこようと心に決めた、今日である。
 
「流氷の来る浜で暮らした者は、必ず流氷のそばに帰ってくる」と聞いたことがある。
 その話を聞いた時は「まさか」と思って、本気にしなかった。
 しかし、今の自分の心の揺れは、この言葉は、あながち嘘ではなかったのかも知れないと思うようになった。

2012年1月18日水曜日

トドの背に波 たわむれて 光揺れ 根室海峡に立春の気配




 朝、野付半島が空中に浮いていた。
 いや、浮いているように見えた。
 海面と空気中の温度差で、光が屈折するため、この季節には、海の向こう側にあるものが浮き上がって見えるようだ。




 さらに羅臼町に入る直前の峯浜で、海岸から500メートルのあたりで、海面に集まって休んでいるトドの群れがいた。




 久しぶりに寒気が緩み、波も収まった海面で、ひれ(前足)を海面に付きだして、ふざけあっているようなトドの群れを見て、微笑ましく感じ、気持ちが和んだ。
 どうして、ニンゲンはトドのように呑気に生きられないだろう。

 昨日、このブログに書いたことだが、日本は国家が人民を恐れていない国だから、「オカミの決めたことに国民は従うべきだ」と多くの政治家が考えているのだろう。
 そして、都合の良い時だけ、「オカミ」の概念の中に選挙でかき集めた票数を振りかざして「民意だ」などと言う。
 「民意」に隠れて、どれだけ悪事を重ねてきたことか。
 その最たるものが原発政策ではないか。

 このような質の悪い政治家や官僚をのさばらせているのも、結局は「民意」なのだという事実もあるだろう。

 そして、その根には、「人民が権力を恐れる」のと並行して「人々が隣人(の目)を恐れる」という社会構造もあるように思えてならない。
 これは歴史的に、そうとう根深い「相互監視システム」を持っていたからだろう。

 これらは、日本社会の恥部または、暗部である。できれば触れられたくない、日本社会の伝統と言っても良かろう。

 権力による外からの攻撃と闘う一方、われわれは、われわれの内なる敵とも対峙しなければならない。

2012年1月17日火曜日

「シッコ」を観て民主主義を考えた

昨日、マイケル・ムーア監督の「SiCKO」(シッコ)という映画を観た。
 内容は、事実上崩壊している米国の医療保険制度とカナダ、イギリス、フランス、それにキューバなどの保険制度を対比したものだ。
 5000万人にも及ぶと言われる米国内の医療保険未加入者の様々な悲劇的な事例を紹介する一方、医療費がほとんどかからない国における医療の実態と対比している。
 アメリカでは、保険会社が保険金の支払いを拒否したり、治療法に制限を設けたりして、とにかく保険会社からカネが出て行かないよう、あの手この手を使っているということがイヤと言うほど紹介されていた。保険会社から政治家への献金なども当然、その中に含まれている。

 なぜ、フランスではこれほど恵まれているのか、という問いに対する、フランス在住のアメリカ人の言葉が印象的だった。
 「フランスでは政府が国民を恐れているけれど、アメリカでは国民が政府を恐れている。この違いヨ」

 なるほど、と膝を打った。
 この言葉は日本でもそのまま当てはまる。
 日本の政府は、日本の国民を全然恐れていない。
 アメリカ政府を恐れているかも知れないが。

 やはり、ガツンと一発、国民の恐ろしさを政府に思い知らせてやらなければならない。

 今が、いいチャンスでは、ないだろうか。

2012年1月16日月曜日

格付け会社の本性

先日、格付け会社のアヤシさについて書いたのだが、今日、ツイッターを見ていたら金子勝慶応大学教授のこんなツイートが載っていた。

「S&PがEUの弱点を突き、欧州9カ国国債の一斉格下げに踏み切る。儲けの機会を狙う格付け会社は、米国の経済指標が少し落ち着くと欧州に仕掛け、それが米国に及ぶと止める。彼らが公正なレフェリー?メディアもサブプライム危機を招いた教訓を忘れてる。」

やっぱりなのだ。

 格付け会社っていうのは、色々なことを言って、結局は自分たちの儲けに繋げようとしている会社だったのだ。
 こんなことを指摘する報道はほとんど無く、まるで神の声であるかのように伝えるマスメディアって、いったい何なのだろう。

2012年1月15日日曜日

出不精の理由

肌を切りつけるような風が吹いていた以外は穏やかな日曜日。

 原野を歩けばノスリがホバリングしていた。
 オジロワシが輪を描いてる。
 オオワシが高い樹の上から周りを見つめている。

 昨日は、倉庫から出た時に、コミミズクとばったり出会った。僕も驚いたがコミミズクもビックリしたらしく、双方しばらく見つめ合ったままだった。
 その間、10秒ほどだったろうか。
 こんな間近でコミミズクを観察したのは初めてだった。

 先週はユキホオジロの群れが草地を飛び回っていた。
 今日の夕方には、ワタリガラスの群れを見た。

 休日、遠くへでかけて鳥を探したりするのも楽しい。
 しかし、遠くへ出かけることなく、いろいろな生きものに出会えるのだから、ついつい出不精のなってしまう。

 休みの日くらい、家でゆっくり自然観察したい、こう思ってしまう。

2012年1月14日土曜日

格付け会社の格付け会社の格付け会社の・・・

550人くらいの入学生がある高校だった。
 その中で17番という順位で入学した。

 僕はそれほどでもなかったが、母は、とても喜んでいた。
 好事魔多し。

 高校二年の二学期。成績はトコトン下降した。
 来る日も来る日も虫採りに明け暮れていたからだろうか。
 まあ、今となっては原因は、よくわからぬ。

 ついに学年250番まで下落した。
 3学期には数学ⅡBが赤点で、追試験を受け、ようよう進級した。

 劣等生になってから、そのエクスキュースも含めて、「順位」というものに根深い不信感を持つようになった。物事を順位だけで評価することへの反発も強く持つようになった。
 それは、今も変わらずに続いている。


 巷では今日、格付け会社がヨーロッパの国債の評価を一斉にランクダウンしたと、と盛んに報じられていた。
 なんのことだかよくわからないが、この「格付け会社」というヤツが大嫌いだ。
 銀行でも、債権でも、なんでも格付けして自分たちの利益を上げているなんて、火事場泥棒みたいなヤツだと思う。

 しかも、いろいろな人々の思惑があって、その格付けも恣意的に行われる場合もあるらしい。

 そんなものの「評価」なんてほとんど価値がないではないか。
 そんなものは、皆で無視すべきだ。

 もし、それが出来ないのなら、格付け会社を格付けする「格付け会社格付け会社」を作ったらどうだろう?

 そして、「格付け会社格付け会社」が増えてきたら、その会社を格付けすればいい。
 そう!「格付け会社格付け会社格付け会社」を作ればいいのだ。

 まあ、そうやってどこまでも好きに遊んでいればいいのだ。

 その間に、僕らは自分の手で食べものを作り、足を大地につけて暮らす方策を考えていくさ。

2012年1月13日金曜日

寒さはいつまで続くのか

千島列島上には948(hPa)という超弩級の低気圧があるのだが、択捉島、国後島などの南千島を含めた北海道にかかる等圧線は1~2本で、風の無い穏やかな日だった。
 上空に雲が少しあったが、知床半島も今日は、日の射す穏やかな一日となった。
 ただし、気温は全然上がらないが。

 そして、この低気圧は、徐々に近づいている。
 明日あたりからまた、荒れるのだろうか。
そして、この低気圧が大陸から吸い込む大陸からの寒気も相当なものかも知れない。

 だが、どんな寒さも季節が移ろえば、やがて緩む。
 大勢の人間を犠牲にして生き延びようとする会社や米国政府の機嫌ばかりを気にして住民を顧みようとしない政府によってもたらされる「冬の時代」は、まだ当分明けそうにない。
 なぜなら、その不条理に気づいていない有権者があまりにも多すぎるから。

2012年1月12日木曜日

わだつみ・01 レプンカムイに


 わだつみ・01
      -レプンカムイに

あれは
海の意志に違いない

海上に鋭く突き出た 高いマスト
それは 信号旗
海底からわれわれに呼びかける

海面を遊弋する彼らを
誰も止めることはできない
どのような兵器も
彼らを滅ぼすことはできない

海底からの使者は
信号機を掲げ
海の意志を
われわれに 伝える

 「コレ以上
  汚スナ
  殺スナ
  壊スナ
  降伏 セヨ
  ワレラニ 従エ」と
  
それは
警告に従わぬ者を威嚇する刃
いつかは
海を汚そうとする者たちを
海を侮辱する者たちを
滅ぼす

海中で
襲いかかる
時を計る
彼らの気配が
波に透ける

それは
海の意志を伝える者たち

           (写真は、尊敬する故倉沢栄一さんのものを借りています)

2012年1月11日水曜日

薪ストーブと原子炉と古本屋

何気なくニュースをチェックしていたら、2009年10月、札幌市の古書店内で本棚が倒れ、12歳と16歳の姉妹が下敷きになる事故があり、お姉さんが軽傷、妹さんが意識不明の重体になるという事故で、経営者が書類送検されたという記事が目に付いた。
 妹さんの方は、いまだに意識が戻らないのだそうだ。
 気の毒な事故だし、店の管理責任を問われてもやむを得ない。店の責任者も誠実にそれを認めているようだ。
 これで、ちょっと考えた。

 ドストエフスキーの「罪と罰」に、
「一人の人間を殺せば殺人犯になるが、(戦争などで)多数の人間を殺せば英雄になる」とラスコーリニコフが考える場面があったような気がする。
 こんな構造と似ているな、と。

最近、ツイッターで、ホリエモンは、粉飾決算で罪に問われたのに、オリンパスの経営者は、あれほど巨額の損失隠しを長期にわたって行っているのに罪に問われないのか、というような投稿があった。

このような構造は、本当に多い。
 その最たるものが東京電力や、原子力政策を推進した人々だろう。もちろん国(自民党政権)も含まれる。
 第一原発の事故は、やはりどう考えても犯罪だと思う。
 環境への犯罪。

 先日の羅臼町環境審議会で、一人のオトーサンがこんな質問をした。

 オトーサン:
 「自宅でゴミを燃やしたら法律違反になるのが?」
 環境省職員の答:
 「はい。なります。ダイオキシンなどの問題がありますから野焼きは禁止されています」
 オトーサン:
 「そしたらヨ、ストンブ’(ストーブのことです)で、薪を燃やすのも違反が?」
 環境省職員:
 「いえ、薪ストーブは暖房が目的ですから違反ではないのです」
 オトーサン:
 「したらば、薪ストンブでゴミ、燃やしたら良がべやナ」
 環境省職員:
 「いいえ、薪ストーブでもゴミの焼却に使えば、それは違法ということになります」
 オトーサン:
 「へー!そだがぁ。
  ストンブの前でヨ、タバコ吸ってて、吸い殻ばストンブにくべたら違反が?」
 環境省職員:
 「はい。厳密には違法ということになりますねぇ」

 廃棄物の処理に関して、こんなガチガチのおかしな法律で僕らは縛られている。

 いつの時代も、権力にすり寄って、権力と癒着した者が得をする。
 今もそういう時代なのである。

2012年1月10日火曜日

雪の降る日に

上空の寒気が流れ込む直前の穏やかな一日、というのが全国一般的な天候のようだったが、知床や道東地方ではそういうわけにもいかず、雪の降る時間の多い一日だった。
 ただ、風は無く、雪の量もそう多くなかったので、これでも「穏やか」と言える日なのだろう。

 ただし、車の運転には少し苦労させられる一日だった。
 一日を通して、-5℃前後の気温だったので、雪の粉が舞い上がって、ちょっとしとことで視界が失われ、ホワイトアウトになってしまう。

 まあ、ゆっくり走ればいいだけだが、何かの事情で先を急ぐ人もいるだろう。
 そこには、クルマ同士の駆け引きがあり、譲ったり、譲られたりする機会が増えるとただでさえ悪い視界がますます悪化していくことになる。
 運転には神経を使う一日だった。

 粉になって舞い上がる雪を見ながら、放射性物質のことを考えていた。
 原子炉から吐き出された放射能を持つ微粒子たとえばセシウムは、カリウムやナトリウムと同じアルカリ金属だから一価の陽イオンの形をしているそうだ。
 だから雨や霧の水滴に溶け込んで存在しているのだろう。

 粒子の細かな水滴は、あまり目に付くことはない。
 しかし、クルマが走った時に巻き上げる雪を見ていると、それらが簡単に空中を漂うものであることをあらためて、実感した。
 「漂う」と言うよりも空気の一部のようになっていると考えた方が良いかも知れない。

 福島第一発電所からは、そんな物質が大量にばらまかれているのだ。

2012年1月9日月曜日

環境影響評価書に足りていないものについて




 「琉球新報」の社説がフェイスブックで紹介されていたので読んでみた。
 読んでみて、驚き、少し嗤った。

     http://t.co/ebEMKMj7

アセスメント会社の行うアセスメント(環境影響評価)は、いつも胡散臭いと感じていた。
 80年代、「リゾート開発」が盛んだった頃から、これらの会社は「相手にするに値しない奴ら」という印象を強く持っていた。
 なぜか?

 開発を進めるアリバイ作りに手を貸す奴らだから、というのは当然の理由。
 カネを貰って自然環境を売る汚い奴らという軽蔑。

 だが、それ以外に彼らを嫌う、何かもっと大きな決定的な理由があるように感じていた。

 今日、ふと気づいた。

 彼らには感性がないのだ。

 自然の記述は科学だからどこまでも科学的であるべきだ。今回の「辺野古アセス」にはその科学的態度が決定的に欠落しているから、これだけで致命的な欠陥と言える。
その問題は別として、その目的がアセスメントであろうと、研究であろうと、単なる観察であろうと、人間が自然と関わりを持った時、己の内なる感情と共鳴する何者かがそこに無ければならない。
 もちろん、研究者や調査者は、そのような感情を抑制して、調査・観察した事実からデータを蓄積する作業を粛々と進めなければならないのだが、心の内に生じた感情は、それが感情であるが故に、打ち消すことはできない。

 僕の知る多くの研究者は、皆この快い感情を共有しつつ、自然と関わる仕事を楽しみながら成果をあげている。また、苦しい作業にも耐えられるのだと思う。

 しかるに、アセスメントを行う当事者には、このような情動が無いように思う。

 自然を愛でる感情など、調査結果のデータとは無縁のもの、思われるかも知れない。
 しかし、僕はそうは考えない。

 人が自然を見つめる時、そこに展開する現象への驚きや感動、畏敬の念などの感情があるのと無いのとでは、観察や評価の結果に大きな違いが生じるのではないだろうか。

 今まで、あまり考えたことが無かったのだが、辺野古の評価書を見て、ふと思いついた。


 今朝はマイナス10℃以下に冷え込み、原野の枯れ草は霜の華で純白に装っていた。
 ユラリと揺れて大きな月が昇ってきた。

 今夜は満月。寒さも月もみな 美しい

2012年1月8日日曜日

満月のオホーツク海

温泉に入って来た。
 近くの尾岱沼にある、「浜の湯」。
 ややアルカリ性で塩分が濃い。
 湯量が豊富だからお湯はすべて掛け流しだ。
 浴槽や浴室が少々古くてもお湯が常に新鮮であるところがいい。
 反対に建物や風呂場はピカピカで真新しいが、お湯は濾過循環加熱しているという温泉も最近は少なくない。
 この「浜の湯」は、堂々たる「ホンモノ」の温泉なのだ。

 小一時間、露天風呂に浸かり、温泉のように止めどなく湧いてくる汗を拭き拭き外に出る。
 夕映えがぐるりと回り込んで、薄紫に染められた東の空に、丸い大きな月が浮かんでいた。

今日の月齢は15日。

昨日、日本海を見てきた。
 情緒的な日本海も悪くないのだが、やはり月光を照り返しているオホーツク海は、僕がもっとも長期間、その畔で暮らしてきただけに、自分の落ち着く場所、という気がする。

2012年1月7日土曜日

日本海が見たくなって

日本海が見たくなって、札幌から小樽まで鉄道に乗った。




 今日の日本海は、冬にしては穏やかな方だったが、暗い青さはやはり冬の表情だった。 寄せいる波も、その内側に凶暴さを秘めているように感じられた。

 辺野古新基地建設の環境影響評価書提出がいかに愚劣で拙速なものだったか、少しずつ明らかになってきている。
 この評価書の「提出」がいかに茶番じみたもので、この国の政府が、国民よりも米国の意向をいかに重視しているかが、この一連の動きでわかりやすく示された。
昨年の暮れから新年にかけ、評価書の提出を監視するために頑張った市民たちの様子は、ツイッターやフェースブックによって、刻々と伝えられたが、大手マスコミはこの歴史的な事件を黙殺し続けた。
 このように報道の「質」も明らかになったが、ここに至り、マスコミも無視できなくなってきたようだ。



 こんな権力者が居座るずっと以前から、日本海は、ここにあった。
 荒ぶる冬。
 優しい夏。
 同じ海とは思えぬほど表情に振幅のある海をほかには知らない。


自分の中の「怒り」をさらに勢いよく燃え上がらせ、
 日本海の波を眺めて、明日からまた頑張ろうという気持ちになって、帰りの汽車に乗った。

2012年1月6日金曜日

札幌で

札幌で開催された「学校教育におけるアイヌ文化に関する講習会」というものに出席した。
 アイヌ文化に関して、初めて知るようなこと、授業に活用するアイディアなどが豊富に提供され、充実した講習会だった。

 ただ、少し物足りなく感じられたこともある。

 伝統文化の継承については充実していたが、アイヌ民族の歴史に関して、特に江戸中期以降に和人から受けた激しい収奪、明治以降の同化政策や差別、現在の所得や就学の格差などには、意識的に口をつぐんでいるとしか受け取れなかった。

 無理もなかろう。
 北海道の先住民であるアイヌ民族を差別し収奪した当事者が今の日本の政府であるわけで、差別と収奪の歴史を教えることは、政府が自分の誤りを認めなければならないのだから。
 この国の政府に脈々と流れる無謬主義(オカミは絶対に間違ったことはしないという思想)は、非常に根強いものがあり、そのために中国や韓国など近隣諸国との摩擦がずっと絶えない。

 このような指摘をすると「自虐史観だ」などと意味不明の抵抗さえ受ける。抵抗者は、本当は「非国民」という懐かしい表現を使いたいのだろうが。
 琉球への差別も同様で、その延長線上に今回の防衛省や沖縄防衛局による沖縄県民の意志を完全に黙殺した、異常な環境影響評価書の「提出」騒ぎが起きているのだと思う。

 どうして、この国の権力者は、このように「単一民族国家」であろうとするだろう。
犯してきた誤りをちゃんと総括し、誤りは誤りとして認めないうちは、
 「ひとつになろう日本」などという標語に違和感を感じて、「絶対ひとつになんかなるもんか」と思ってしまう。

 素直な目で歴史を見、誤りは誤りとして認め、他民族・多文化共存の社会を築く、という立場で社会のあり方を考えて行かなければ、この国に未来は無い。

2012年1月5日木曜日

怒っているんだ

怒りで、全身が震える。
 とにかく腹立たしい。
 これほどの腹立たしさを覚えたのは、久しぶりだ。

 昨年12月28日早朝の4時頃、沖縄県庁の守衛室に、防衛省沖縄防衛局の職員とみられるアヤシゲな者たちによって、密かに運び込まれた名護市辺野古に滑走路を作るための環境影響評価書の一部。
 途中で見つかり、全部を搬入しきれずに逃げ去ったのだ。
 この事実一つとっても、防衛省が正々堂々と提出したものでないことは明白だ。

 今日、沖縄県はこれを「正式に受理したもの」と判断した。
 こんなばかげた話はない。

 日米の政府は、何が何でも辺野古に海兵隊の基地を建設したいという「意志」から出発し、年内に評価書を提出することを至上命題として、スケジュールを立て、市民や有識者からの批判や反対をすべて無視した上で、「提出」を強行したのだ。

 前防衛局長の田中某は、この計画を破廉恥にも強姦に例えて更迭された。
 しかし、その後任の真部某は、田中の比喩を「夜這い」に変えて実行して見せた。
 いずれにしても許されることではない。

 この振る舞いは、日本の民主政治の歴史上、大きな汚点になるだろう。
 こんな経緯で、沖縄県北部の美しい自然や豊かな生物相が、破壊されるとしたら、それは、地球の大きな財産が永遠に失われることを意味する。

 日本中の、いや世界中の自然保護団体で、この暴挙に抗議しない団体があるとしたら、それらは「ニセ自然保護団体」と誹られても仕方ない。
 自然保護に多くの資金を提供している企業も、この乱暴で野蛮な行為に抗議しないのであれば、「あなたの自然保護はポーズだけだった」と言われても申し開き出来ないだろう。


 シーシェパードよ!
 ジュゴンをはじめ、キミらの愛する海獣類た多く生息している海域なのだよ。
 南氷洋で、日本の捕鯨船の邪魔をしているヒマがあるのなら、辺野古に来て米軍の妨害でもしてみてはどうだろう?
 そうしたら、僕も、これからクジラ汁を食べる習慣を考え直してもいい。

 この問題に関して、尊敬する目取真俊さんが冷静、かつ詳細にブログに書いているので参照して頂ければ幸いである。

http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/168fdb6020c1c5485503ecac2170d915

2012年1月4日水曜日

薪 あつめ

薪が足りなくなってきた
少し集めてくることにした






原野の片隅に小さな森がある

 倒れている樹たち
 枯れた枝
 薪になって暖めてくれる


「倒れた樹や枝、少しもらってもいい?」と心の中でつぶやく
「おお!持ってってくれ。少し多すぎて困っていたから」
そういう答えが返ってくる

 「もっと持ってっていいのに」
 「うん。また、来るさ」

 「じゃね。あがとう」


ストーブに入る大きさに切って出来上がり 


 森のくれた薪は暖かい
 暖かさは
 森のめぐみ
 夏の日の太陽を
 森がとっていてくれたから

 ただ ただ 感謝

2012年1月3日火曜日

揺れる黒猫


 空中を黒猫が漂う

 ブラブラと
 揺れる黒猫
 
 ふじ棚に
 爪一本でぶら下がり
 ゆらゆらと
 揺れる黒猫
その単振動

 振動のエネルギーは脂身
 ふじ棚から吊られた金網に
 鳥のための入れられている脂身

 黒猫は跳躍し
 爪一本でぶらさがり
 振り子のように動き始めた

僅かな脂身のために
 強い北西の風に吹かれて
揺れる黒猫

 それは
 案外
 黒猫の揶揄だったのか
 世の中にあふれる
 プレカリアートを
 演じてみせたのだ

 なぜなら
黒猫は
 それから
簡単に脂身をせしめ
 黙って立ち去ったから

 ふじ棚には
しばらくの間
 金網の揺れと
 数本の黒い毛が
 残されていた

 そして
 振動は大きく広がり始める

2012年1月2日月曜日

正月二日目

正月二日目。
 イヌとの散歩、薪集め。
 そんな単純な時間で一日がゆく。

 沖縄では、辺野古新基地からヤンバルの自然を護ろうと
 必死で闘う人々がいる。
 原発の危険性を
 訴え続ける人々がいる。
 
 申し訳ない、ゆったりとした今日の暮らし。
 だが、
 絶対に忘れない。
 不当で、邪悪で、どこまでも利己的な奴らと
 相容れぬ闘いをしている人たちと
 自分の心も共にある、ということを。

2012年1月1日日曜日

氷上に斃れしシカはワシとなり カムチャツカの空へ旅立ちて行く



 朝寝坊をし、お雑煮を頂いてからノンビリ散歩。
 昼過ぎからちびりちびりとお酒を飲んでいる。
 お酒を飲んでいるということは、クルマを運転しないということで、クルマに乗らないということは、どこへも出かけないということだ。

ゆったりと 時がながれる お正月

 朝、外に出て、真っ先に気がついた。
 凍った裏の池シカが死んでいた。
 大勢のカラスたちと十数羽のオオワシが氷上のシカに集まっていた。

 狩猟者の弾が急所を外れ、半矢(手負い)になってどこからか逃げてきたのか。
 それとも交通事故だったのか。
 どちらにしてもだだっ広い氷の上で息を引き取ったものらしい。
命を落としたエゾシカは気の毒だが、
 鳥たちにとっては、思いがけないお正月のゴチソウということになる。

シカの身体を形作っていたタンパク質や脂質などは、オオワシに食べられて、オオワシの身体をつくることになる。
 春になると、彼らは繁殖地であるカムチャツカ半島などへと渡って行く。
 エゾシカの身体を作っていた物質が、これからはるばるとシベリアまで旅するかも知れない。

 こう考えると、「些細な日常」から「壮大な飛躍」を想像することができる。

 2012年、最初の大きな出来事であった。