2013年2月28日木曜日

雪降る原野から

 いま、20時20分。  風の無い空中を雪が降っている。  粒の大きな雪が降ってくる。    平らに広がった雪の粒は  途中の空気と戯れ  小さな紙片のように  ヒラヒラと  あとからあとから  降ってくる。  この先止むことが無いように  降り続ける。  ここは北緯43度22分  温量指数46(※注)  最低気温の記録はないが  植物にとっては日本列島の寒極の一つだ。  雪原に独り立つサクラが花を咲かすまで  たっぷり100日はかかる この原野に似合っているのは  一本だけ離れ、独り立つ孤独なサクラだ。  大勢が花を囲んで大騒ぎする花見は似合わない。  100日したら  独りでサクラと向き合いに行こう。  今日の雪のように  止むことなく舞い落ちる花びらを  受け止めに行ってみよう。 ※作者注 「温量指数」:植物の生育に関する指数とも呼ばれる。     その土地の毎月の平均気温から5を引いて、正の数だけを積算した数値。     5を減じるのは、一般に植物は5℃以上で光合成を行い、消費するエネルギーを   上回る生産をして、蓄積できるとされているから。つまり植物は5℃以上の気温で   成長できるということ。 根釧原野の指数は46.1、稚内:55、東京:131.3、那覇 :212.4

2013年2月27日水曜日

シー・シェパードは「疑いもなく海賊だ」 米高裁が認定 連邦地裁の判断を覆す

2013.2.27 18:36配信のmsn産経ニュースから  【ニューヨーク=黒沢潤】米サンフランシスコの連邦高裁は25日、日本の調査捕鯨団に対して妨害行為をしてきた米国の反捕鯨団体「シー・シェパード(SS)」を「海賊」と認定、連邦地裁の判断を覆した。  裁判長は「船を衝突させ、酸入りのガラス容器を投げつけ、プロペラを破壊するため金属で補強したロープを使用するならば、どんな信条を持とうと、疑いもなく海賊だ」と断定。また、SS創設者で国際指名手配中のポール・ワトソン容疑者を「常軌を逸した人物」と批判した。  この件をめぐっては、調査捕鯨を実施している日本鯨類研究所(東京)が2011年12月、SSの妨害行為差し止めと海賊認定を求めて同州の連邦地裁に提訴。しかし、連邦地裁は昨年2月、SSの妨害は海賊行為にはあたらないとの判断を下していた。  日本の異議申し立てを受け同高裁は昨年12月、SSの船が日本の調査捕鯨団から500ヤード(約457メートル)以内に接近するのを禁じるなどの命令を出していた。 (引用ここまで)  自分の意見を持つことは大事だ。それを主張することも良い。たとえ反対意見でも、それは認める。  だが、なりふり構わず自分の主張を押しつけ、それによって誰かが傷つけられたり、極端な場合命を失ったりするようなことがあってはならない。  まして、そんな横車を押すのが権力者だったらどうだろう。  強大な力の前に、反対の意見を持っていても沈黙せざるを得ない人々がたくさん出てくるに違いない。  今の「国歌」もろくな論議を経ぬまま、数の力で押し切られ、一旦決まるとそれを盾に「歌わない自由」に圧力をかけ土足で心に踏み込んでいるのが現状だ。  驚いたことに、天皇でさえそんな状況を心配する発言をしていたではないか。  TPPも瓦礫の処理も、普天間基地の辺野古移転のタクラミも原発の再稼働もみな同様、権力による犯罪だ。横車で。  シーシェパードのやり方と同様。  「疑いもなく海賊」のやり方なんである。 参考(http://sankei.jp.msn.com/world/news/130227/amr13022718370008-n1.htm)   

2013年2月26日火曜日

死を意識して生命と対峙せよ

 高齢になってから病院に入るというのは、一般的に老いを加速することだと知った。無理からぬ面はある。  たった一週間だけだったが昨年、生まれて初めて体験した入院生活は、今思い返してみても快適だった。上げ膳据え膳であらゆる身体のケアをしてくれる。爪切りから耳掃除までしてくれ、身体を動かせなかった時は全身の清拭もしてくれた。僕はただ、温和しく本でも読んでいればよかった。  僕が入院した釧路労災病院がとりわけ優れた病院だったせいもあるだろうが、傷ついた部位がひどく痛むことさえガマンすれば快適な過ぎる生活で、「まるで王侯貴族のようだ」と来る人ごとに語っていた。  高齢者が入院した時、それまで自力で行っていた種々の日常動作の大半を他人に頼るようになれば、自分の身の始末は自分でつけるという意欲が低下することは容易に考えられる。その結果、急速に衰えることも多いのだろう。  高齢者の場合、食事でも着替えでも自分のペースでゆっくりと行う人が多い。介護する人にとってはそれを待つまでの時間が惜しくてしかたないのだろう。だから「できることは自分でさせた方が良い」とわかっていても、つい介護者が手出ししてしまうこともありそうだ。問題はここにあるようだ。  病院で高齢者の介護や看護にあたる人々は、死をどれくらい意識しているだろう。客観的に見て高齢で病気の人は、もっとも身近なところで死と向き合っていると言えるだろう。もし、このことを真剣に考えているなら、高齢者の医療現場はもう少しましになっているのではないだろうか。  少なくとも食事や排泄の介助を「作業」のように見なすことは止められると思うのだが。  父は2か月近い入院生活で、点滴の針が血管から抜け輸液が筋肉中に漏れだし、腕をゴム手袋のように腫らせたことが10回以上あった。専門的なことはわからないが、92歳という年齢からみても血管から留置針が抜けやすい状態になっているのかも知れない。  それに対して病院では、最初から最後まで24ゲージの留置針を使っていた。もし、これをもう一段細い26ゲージに変えていたらどうだったろう、などと細々としたことが気になってしかたがない。  いずれにしても、医療の現場ではもう少し死を意識して生命と向き合って欲しいと希望するのである。

2013年2月25日月曜日

地震はやっぱり忘れた頃に来るのか

 今日、札幌から一旦帰って来た。  新札幌から特急列車に乗った途端に栃木県北部の震度5強の地震の連絡が入った。  震度5を越す地震が起きるとやはり心配になる。一昨年の3.11では東京が5強だったと思う。人口密集地帯だと震度5強でけっこうな混乱が生じた。  今回の震央は、そんな人口密集地ではないようだ。そのため詳しい報道がない。しかし、この地震が大きな火山活動と関連することはないのだろうか。より大きな地震と連動することがあるかも知れない。  いたずらに不安を煽る必要はないが、もう少し関心をもってこれらのニュースを見る必要があるのではないか。  一昨年3.11の後、気象庁は「日本列島の地殻は活動きに入ったと見てよい。今後、しばらくは大規模な地震や火山活動に注意する必要があるのではないか」という見解を発表していた。それにもかかわらず(原発事故も含めて)皆そろそろ地震への警戒感が薄れ始めているのではないだろうか。  意識して忘れるように仕向けているように感じることもある。  忘れた頃、意外な場所で災害が起きるというのが今までの流れだったように思う。

2013年2月24日日曜日

個人の力に頼るのではなく

 医療においてもっとも大事なものはなにか。  それは愛だと思う。病む者の立場にたってものを考えているか、それが愛だと思う。  痛みを誰の痛みと感じるか。自分や自分の身内の痛みと感じているかまさにそれこそが愛でなかろうか。  北央病院では非常に良心的でまさにプロフェッショナルと言えるスタッフもすなくない。そんな良心的なスタッフもいるのだ。  問題は、それがシステムとして共有されていないということである。  これはこの介護の業界の構造的な問題かも知れない。

2013年2月23日土曜日

なんたる劣悪さ! 日本の高齢者医療と介護・・・・日本の高齢者は国家に殺されている

 昨日、札幌の北央病院のことを書いた。  あまりに非人道的な扱いを腹に据えかね、不本意ながら病院名を明らかにしたのだが、このような扱いが北央病院に限らず広く一般的に行われている様子であることが少しずつ判ってきた。  たとえば、ご飯もおかずも与えられた薬も皆一緒にしてかき混ぜて食べさせるようなことをしている病院や介護施設は数多くあるようだ。もちろん北央病院もそうしているのだが。  今日は、めずらしく父がいつもより長時間、目を覚ましていた。「お、これは良い兆候かな」と思ったが、そうではなく、尻の皮膚が痛くてゆっくり眠られないでいたのだ。 よく見ると肛門周囲の皮膚が激しく爛れていた。   発熱や全身の倦怠感から父は現在入浴が出来ない。ふつう、入浴のできない患者は身体を清拭してくれるものであるが、清拭してもらっているのかどうか見当がつかない。つまり情報の流通が非常に良くないのだ。「インフォームドコンセント」などどこの世界の話かと思うほどだ。清拭の時や排便後にもう少し丁寧に身体を拭いてくれさえすれば、こんな糜爛は生じないはずなのだが。  同室の患者さんに付き添っている一人の奥さんがいる。彼女は実のお母さんの介護の経験もあるとのことで、排便後の清拭や皮膚をできるだけ健全に保つ様々な知恵を教えてくれた。  日本の民間には、このように経験によって生み出された様々の優れた介護の知恵が蓄積されている。だが、一部の病院や介護施設にそのような知恵は、ほとんど反映されていない。これはつまり一施設の問題ではない。介護制度や介護職養成の段階や介護現場でそのような知恵がまったく生かされていないことが問題なのだと思う。つまり構造的なシステム上の問題なのだろう。  世界のトップクラスのGDPの国としては、あまりに恥ずかしくないか。これでは、いつまで経っても国民の生活満足度は上がるわけがない。このままでは「幸福な国」になどなれるわけがない。日本の国家は、国民の命をまったく尊重していない。日本の高齢者の未来は真っ暗なのである。  そして、自分自身もそうだったのだが、このような貧しい現状を知っている人々がまだ少なすぎるのではないだろうか。このことは今後もっともっと広げていかねばならない問題だと思う。是非広げていきたい。

2013年2月22日金曜日

病む札幌北央病院の闇

 父は、昨年12月から札幌市厚別区青葉町にある勇気会札幌北央病院に入院している。入院する直前まで娘の買い物について一緒にスーパーの店内を歩き回っていたのだが、今は自力で歩くこともままならない。たっていることすらおぼつかない。  この2ヶ月あまり、「段ボールを覆い被せていくように」病態が悪化した。そして、ついにMRSA(メチオニン耐性黄色ブドウ球菌)に感染してしまった。院内感染に違いない。  この病院には、入院当初から不信感をもつことが多くあった。看護スタッフが足りないことによるのだろうが、自力で食事を摂れない老人に対して嚥下を急かせたり、子どもを叱るような口調で食べることを強要したり、そばにいても正視できないような態度で接したりしていた。  病室の暖房は不十分で室温は常に20℃前後。病人にとっては厳しい気温だと思う。また、感染症を持つ病人にとっては回復させる環境とはほど遠い。  点滴の針が静脈から抜け、液が皮下に漏出していることもしばしばでこの二ヶ月で5回はあった。高齢者だからある程度やむを得ないところもあるのだろうが、問題は点滴中に看護師が点検に訪れてもそれに気づいていないという点である。  また、こんなこともあった。肺炎で39。2℃にまで体温が上がっていたにもかかわらず看護師は 「今日はなんだか元気がないね」と言っただけで見過ごしていたのだ。 家族の者が昼に訪ねた時に体温を測定し、初めて高熱に気づいたのである。  きわめつけは、MRSAの感染を出来るだけ小さく見せようとして家族への説明で院内感染だとは認めていないこと、MRSA感染だということも検査後2週間ほど経ってから知らせたこと、投与している薬に関する説明が一切されていないことである。  これでは病院を信頼しろという方が無理だ。  病院と患者・家族の間にこれほどの不信感がある状況では効果的な医療は成り立たないことは明白だ。  家族の率直な気持ちは、なぜ元気だった患者が入院したことで衰弱してしまったのか、感染しなくてもよかったMRSAに感染したのは病院に行ったためでないのか、ということだ。  北央病院は、行けば病気が重くなる病院なのだろうか。  ほとんど情報を与えてくれない闇としか感じられない病院であることは確かだ。  また、この問題について、何らかの有効な解決の道を求めて頼った札幌市の保健所も病院を庇うような態度に終始した。  札幌という町は、病んで苦しんでいる市民に冷たい町に思えるのは今が冬だからという理由だけではないだろう。

2013年2月21日木曜日

風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

 春分の日までほぼ一ヶ月となった。  もう少しで日の出の時刻も5時台になる。  そんな春への流れを堰き止めようとするみたいにこの数日、冷え込みが厳しい。 季節はいつも行きつ戻りつしながら進んでいく   ヒトの歴史もそのようなものであるらしい。  自民党安倍政権は、原発再稼働に向けて着々とレールを敷いている。この政権のタチの悪い所は、徹底的にホンネを隠してソフトな「ソトヅラ」だけを前面に出していること、甘い言葉で国民を釣りあげ、巧みに地獄の淵に誘導しているところだ。  権力者の危険性にいち早く気づいて、国民に危険を知らせる「坑道のカナリア」とも言うべきマスコミもコロリと騙されて提灯を持たされている。  先週末のロシアに落ちた隕石や2年前の巨大な津波だけではなく、この数十年間にわれわれは人間の力ではどうすることもできない圧倒的な自然の力を見せつけられているはずだ。しかし、それでもまだ科学技術は自然のあらゆる脅威よりも勝っているという幻想にしがみついている人間がいる。少なからずいる。特に政治家に多いのか。   どうしても原発を再稼働させたい、再稼働させなければどうにもならない、再稼働させたくてたまらない,と言う人々は、福島の放射能で汚染された地域に行き、除染でもゴミ拾いでも後片付けでも自分の体で体験してみるといい。  いまだに故郷に帰ることができずにいる人々と一週間くらいじっくり語り合ってみるがいい。  それでもなお原子力発電が必要だと考えるのなら、それから再稼働を提案すべきではないだろうか。  季節は行きつ戻りつしながらも確実に進む。  人類はどのようにエネルギーを得るのが正しいか、行きつ戻りつしながらもいつか良き結論を得る時が来ると信じたい。  宮澤賢治先生が書いている。  「風とゆききし 雲からエネルギーをとれ」 (農民芸術概論綱要より)

2013年2月20日水曜日

流氷の裏側  流氷百話 29/100

 羅臼で流氷の海に潜る人々がいる。  僕自身は、今のところ潜水とは縁が無いが、チャンスがあれば流氷を海中からつまり裏側から見てみたいものだといつも思っている。 海水に浮いている氷の大部分は海中に沈んでいるので、海水中からみるとずいぶん巨大な氷の塊に見えるに違いない。  道東地方で流氷が押し寄せている時期は一般的に氷点下の気温が続いている。だから海上の氷は十分に冷やされ、氷の状態を維持している。それに対して海中の部分は低温とは言っても空中よりは温度の高い海水と接しているので部分的に融かされているから奇怪な形をしている。  映像や画像で見るとそれは宇宙空間を漂う小惑星の表面のようにも見える。青い空間に漂う水色の小惑星。  美しい光景に違いない。 しかし、同時に流氷はダイバーにとって危険な存在でもあるようだ。肺呼吸しかできないわれわれが空気の全く無い場所に入っていくダイビングそのものが生命の危険と隣り合わせの行為だと言える。  それに加え海面が氷に閉ざされてしまえば海中のダイバーは脱出できなくなってしまう。そして流氷は、風や波でいつどのような動きをするかわからない。  尊敬するダイバーの関さんによると、「厚さ5センチの氷は上に乗ると簡単に割れるが水中から割ろうとすればびくともしない」のだそうだ。そして、流氷の隙間の海水が凍ってガラス窓のようになった氷は透明で幾何学的な模様が封じ込められおり、それは美しい。  やはり危険なものは美しいのである。  関さんは、多くのダイバーを流氷の下に案内しているが、安全管理に対して細心の注意を払い、開氷面に氷が張りそうなときは、上から割って脱出口の確保に努めるなどしているとのことだった。  参考:知床ダイビング企画 最新海情報

2013年2月19日火曜日

E pur si muove (それでも地球は動く・・・ガリレオ・ガリレイ)

 コペルニクスの誕生日だ。  昨年、ポーランドのクラクフで彼の学んだ大学を見学させてもらった。コペルニクスにゆかりの実験道具や観測器具も見ることができた。  今年は生誕540年だという1573年生まれ。種子島に鉄砲が伝来した年だと言われる。そして徳川家康の生まれた年だ。  なんとコペルニクスと徳川家康は同い年なのである。  天動説が「神の定めた決まり」だった当時、コペルニクスと同じように地動説を主張したガリレオは教会から激しい弾圧を受けたのにコペルニクスについてはそういう話を聞かない。以前からこの点を不思議に思っていた。  コペルニクスは天文学者だっただけでなく占星術師であり、法学者であり、教会の要職に就いてもいた。つまり政治家でもあった。コペルニクスと並び称されるガリレオ・ガリレイの方は、天文学者であり物理学者でもある純粋に「理科系」のヒトで、コペルニクスに比べて世渡りが下手だったようだと言われている。彼の地動説をめぐる裁判は、純粋な「学術論争」というより、権力争いの確執に巻き込まれた結果であるとも言われているが、ガリレオの書いた『天文対話』は禁書目録に載せられ19世紀まで撤回されなかったのは事実である。  それに対してコペルニクスの『天球の回転について』は、発行されたのがコペルニクスの死後であり、一時閲覧禁止の措置がとられたが、「数学的な仮説である」という解釈でその措置はすぐに解かれた。  コペルニクスはガリレオより9歳年下である。ほぼ同時代に生き、地球の自転に気づいていた点など共通している所が多いのだが、この二人の対照的な生き方が面白い。  現代の科学者にも、純粋な科学論では共通のものを多く持ちながら、対照的な生き方を見せる人たちがいそうだ。  なお、ガリレオの誕生日は2月15日である。

2013年2月18日月曜日

沖縄防衛局よ間隙動物を知っているか? もっと自然を畏れよ

突然だが間隙動物をご存じだろうか。  「カンゲキ動物」と読む。すぐ感動して涙を流す動物ではない。 間隙動物とは、「軟体動物」とか「キョク皮動物」というような動物分類学上の単位ではない。簡単に言えば砂浜の砂粒と砂粒の間にできる隙間(間隙)で生活している小動物のことだ。  砂浜砂を掘れば海水がしみ出してくる。その海水を「間隙水」と呼ぶのだが、そのような場所を生活空間として利用しているのが間隙動物だ。  きわめて微小な動物しか生息できないことは自明であり、本来非常に小型の動物もあれば大型の動物の幼生もある。  分類上の所属はさまざまで、緩歩動物(クマムシ類)や外肛動物(コケムシ類)などのように一般にほとんど知られていない「少数派」の生物から、刺胞動物(クラゲやイソギンチャクなど)、軟体動物(貝類)さらにホヤなどの脊索動物も含まれ、20以上の門(分類上でもっとも上位の単位)が記録されている。 その他、繊毛虫類(原生生物)、渦虫類(扁形動物)、 顎口動物、 線虫類(線形動物)、 多毛類(環形動物)、貝形虫類(節足動物)など多様な動物たちがここで生活している。  「一寸」にも満たないこれらの動物たちは、海岸の波打ち際の砂の中で、ひっそりと生まれ、ひっそりと生きている。  海岸を埋め立てたり掘り返したりすれば、そこを生活の場としているこれらおびただしい数の動物たちが黙って殺されてていく。  天然記念物に指定されることもなく、絶滅危惧種のリストに挙げられることもない。  たとえばプラカードに「ナメクジウオを守れ」などとは金輪際書かれることはないだろう。それどころか多くの場合は、「種」としての名前さえ与えられぬまま、だまって地球上から消える。  それはいい。  だが、砂浜が破壊されるとき、これらの動物たちも黙って姿を消すのだということをより多くの人に知ってもらいたい。  沖縄の砂は北海道や内地と異なりサンゴからできている。そのような場所には、また違った独特の間隙動物が生息している。  ある調査では、沖縄の間隙動物の大半が未記載(つまり新種ということ)だったとある。  沖縄防衛局はオスプレイのヘリパッド建設の強行にあたって免罪符的に希少植物の移植を試み、ほとんどを枯死させてしまうという大失態を演じたが、むやみに海岸をほじくり返したり、上陸用舟艇が砂浜を走り回ったりして、間隙動物の大量虐殺をしている事実を何も知るまい。  自然の仕組みを謙虚に読み解き、自然に配慮することのできない者が、いくらポーズだけを作っても足元から崩れていくのである。

2013年2月17日日曜日

ヤンバルからのメッセージを聞け・・・・・琉球新報社説より

 今日の琉球新報の社説に以下のような文があった。 (以下「琉球新報」社説)  まるで巻き戻した映像を見せつけられたかのようだ。米海兵隊の第1海兵航空団が山口県の岩国基地から普天間基地へ移駐して37年が過ぎた。当時の県議会や県内政党は一斉に反発したが、お構いなしの移駐だった。今回の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備もまた、岩国からの飛来であり、問答無用でなされた。  昔も今も、沖縄の民意は露骨に無視されるという点で変わりはない。われわれも差別的取り扱いの現実を正面から見据え、理不尽をはね返す取り組みに腰を据えて取り組まなければなるまい。  それにしても、岩国からの移駐だったという事実が象徴的である。昨年2月、在沖米海兵隊の岩国基地への一部移駐を米国が検討していると報じられるや否や、玄葉光一郎外相(当時)はすぐさま岩国市長に「(一部移転を)お願いすることはないので安心してほしい」と述べた。  沖縄側が一致して普天間飛行場の県外・国外移設を求めても受け付けないが、米国が県外を検討し始めるといち早く火消しに回る。この歴然とした違いは何なのか。  まだある。昨年12月の総選挙直後、自民党の安倍晋三総裁は普天間飛行場について「名護市辺野古に移設する方向で地元の理解を得たい」と述べた。沖縄の当選者全員が県内移設反対を主張していたのに、である。  その記者会見が安倍氏の地元・山口県庁だったのが象徴的だ。岩国から航空団が移駐していなければ、今ごろ沖縄はこれほど苦しんでいない。過去に痛みを沖縄に押し付けておいて、痛みを取り除いてほしいという沖縄の望みは聞こうとしない。これを差別と呼ばなくて何と呼べばいいのだろう。  安倍首相は1日の参院本会議でオスプレイの沖縄配備について、「沖縄に対する差別とは考えていない」と答弁した。だが野村浩也・広島修道大教授が指摘する通り、差別の客観的証拠があるにもかかわらず、その自覚がないこと自体が、差別そのものなのである。  過去に岩国にあった事実一点をもってしても、海兵航空団、すなわちヘリ部隊、ヘリ基地を沖縄にしか置けないという論理は破綻(はたん)している。安倍首相も、沖縄への差別でないと主張するなら、普天間問題の解は県外・国外移設以外にない事実を直視すべきだ。(「琉球新報」社説ここまで)  そして、今日の夕方共同通信の配信によるとヤンバルの森を伐り開いてオスプレイのための離着陸帯建設予定地の希少植物を沖縄防衛局が移植して保全し(のポーズを見せ)ようとしたが、半数以上の植物が枯れたりして事実上失敗していたことが判明した。その中にはモクセイ科の絶滅危惧種も含まれている。  本来、他者の命を奪い最大の環境破壊を平然とすすめる軍隊に希少植物を守れる技術も知識も資格もあるはずが無い。   沖縄北部地域は、ヤンバルクイナがすむ生きものが豊かな森林地帯を蹂躙して4地区6カ所で森を切り開き、直径75メートルの円形の離着陸帯を建設する計画でいる。  これらの計画は直ちに中止し、オスプレイは沖縄を去らなければならない。  普天間基地の県内移転などもってのほかで、直ちに無条件で返還しなければならない。 これは沖縄の自然からのメッセージとして受け取るべきだ。

2013年2月16日土曜日

重層的下請け構造と重層的労働構造

 1869年、明治2年、明治政府は 農工商を廃止してすべて平民とした。これを「四民平等」というスローガンで宣伝した。しかし、被差別部落民は残され、華族・士族・平民の新たな呼称によって身分秩序が再編成されたに過ぎない。 それでも、150年近く前から「平等かもしれない」という思想は、すでに存在した。  最近になって逆行が甚だしい。  まず、非正規社員と正規社員との別。  思い立ったかのように「同一労働、同一賃金」などと言われて久しいが、実際にはこんな言葉は絵に描いた餅に過ぎなく、改善の兆しも見えない。  人に対して差別が残っているくらいだから会社と会社の間にはもっと生々しい格差と差別がまかり通っている。  例えば福島第一原発の事故現場がそうだ。  東電は「下請け」という言葉を使うのは避けている。後ろめたさを隠蔽するために違いない。「協力会社」と呼ぶ。姑息きわまりない。呼び方を変えても実態は変わっていないのだから。このことからして欺瞞だ。  下請けの下位へ行くほど危険が増すという構造になっている。そして、利益の配分も下位ほど少ない。  「下請けを使うのはコストを抑制するためだ」と元請けは胸を張る。 翻訳すれば「実際の作業は孫請け、ひ孫請けに行わせ、われわれは手を汚さないでカネだけを得るためだ」となるのだろう。  なんのことはない、それは寄生の構造だ。それは本当は恥ずべきことで、(本当はやってはいけないことなのだが)こっそりと人目を忍んでやることであるはずだ。にもかかわらず堂々と発言してはばからないほど重層的下請け構造および労働構造よる搾取と収奪が現代社会では「悪」とされずに「善」であるかのような社会通念が作られているからだろう。  われわれはまず、こんな社会構造を変えなければならない。

2013年2月15日金曜日

盲亀の浮木 優曇華の花の出来事

 「盲亀浮木」とは、100年に一度海面に顔を出す盲目の亀が、たまたまそこに浮いている木と出会って、そこに隠れ場所を見出すといういみで、非常に稀な出来事のたとえに使われる。  僕がこの言葉にもっとも頻繁に出会うのはやっぱり落語の台詞だろう。  「ここで会ったが盲亀浮木、優曇華の花待ち得たる今日ただいま、いざ尋常の勝負に及べ・・・・」と続く。長年探し求めてきた敵に出会った時の決め台詞だ。  ①盲目の亀が海にいる確率・・・・・とても低い。  ②海面に顔を出す確率は100年に一度。・・・・ずいぶん低い。  ③そこに流木が浮いている確率・・・・・・きわめて低い。  ④都合良くその流木にカメが隠れるほどの穴のある確率・・・・・・恐ろしく低い。  このような事態がおこる確率は①×②×③×④だから (とても低い)×(ずいぶん低い)×(きわめて低い)×(恐ろしく低い)となり起こりうる場合の数は、「目が眩むほど低い」ということだ。  宇宙空間を走る地球に他の小さな天体が衝突する確率といいうのは、どの程度の小ささなのだろう。  ロシアのチェラビンスクに隕石が落ちたようだが、確率は、どちらが大きいだろう。  一昨年われわれは「1000年に一度」という大津波を経験した。  地球上の人類は、宇宙や地殻変動という自然に無防備にさらされている弱々しい脆い存在だということを再認識させられた出来事だ。  些細なことで互いに目をつり上げ泡を飛ばして相手を罵っている場合ではなかろう。  まして、玩具に毛の生えたような兵器で互いに威嚇し合ってなんの意味があるというのだろう。  ばかばかしい。

2013年2月14日木曜日

300高地を目指して・・・本日の授業

 羅臼高校の裏に標高300メートルほどの山がある。「山」というほどではない。名前もないのだから。もちろん登山道もない。学校から1~2キロの道のりだから簡単に往復できそうに思えるがそうは行かない。人の背丈よりも高いササに覆われていて、ササをかき分けなければ前進できない。その速度、毎分1メートル。10メートルも進めばヘトヘトになる。100メートル進めばぶっ倒れる。  それは世間で「ヤブコギ」と言われる登山法で、自虐嗜愛者の好む行為とされる。  冬の積雪期間になると事情が変わる。  背丈以上あったササ薮を雪が埋め尽くしてくれるのだ。スキーは雪の上の舟のように行きたい場所に僕らを運んでくれる。  高校2年生の「野外観察」という授業は、本来はフィールドにおける各種調査やサンプリングなどを学ぶアカデミックな科目だが、知床のフィールドで実践的に学ぶ以上、野外で安全に行動するための注意やコツを体験的に学ぶことも必要だ。  特に積雪期の体験は今の時期を置いてはできない。そこで今日は特別講師を招いての実習を計画した。  講師は羅臼山岳会会長のSさん。知床の山の隅から隅までを知り尽くしている超ベテランの山男だ。もちろん山スキーの技術も一流だ。  5時間目、生徒玄関前から出発。野球場を左手に見ながら小さな山を越え、いよいよ目的地の300メートル高地に続く斜面に取り付く。Sさんは、初対面の生徒達でも楽について来られるようにペースを調整している。見事なものだ。それは隊列を見れば一目瞭然である。  やがて眼下に前浜が広がる。  流氷が来ているのだが、高度を上げるとその粗密の様子が一目でわかるようになる。南側の尾根に出て、緩い斜面を探るように登り、一気に頂上に達した。それまでほぼ45分。  この山を、この生徒達は毎日のように仰ぎ見て来たことだろう。羅臼高校の過去の卒業生も全員この山を見て高校生活を送っていたと思う。だが、この頂上に立った経験を持つ者はその中に何人いるだろう。  この科目が始まってからここまで登り切った学年もあったが全員そろって頂上に立ったのは初めてのことではないだろうか。  今日の経験は、時間が経ってからじわじわとその意味を噛みしめられる種類のものだと思う。  快晴無風。気温プラス1℃。  天候にも恵まれていた。

2013年2月13日水曜日

暮れゆく根室海峡を見ながら・・・今日の「日常」

 午後、明日の羅臼幼稚園VC見学の打ち合わせ。  その後、天狗岩までアファンと二人で流氷を見に行った。流氷は、知床岬の方向に進むにつれて海岸に近づいており、天狗岩付近ではほぼ海岸まで達し、狭い開水面が所々に残っているだけになっていた。その海面を3~4羽のシノリガモが泳ぎ回っている。  夕闇せまる根室海峡の向こうには国後島がいつも通り長々と横たわっており、ねぐらと目指して沖から帰って来るオオワシが二羽、三羽と通り過ぎる。  海辺に数十分たたずんでいてもヒトやヒトの痕跡らしいものは一つも通らない。  氷と雪と海と岩だけの世界。  無駄なものを削ぎ落とし、基本的な構成要素だけで再構築すれば、こんな景色ができあがるだろう。  「地の果て」とは、こんな単純な組成の場を指す。  他の要素は何も加わることのできない場のことだ。  こんな単純な組成の世界で、複雑なあれこれを考える意味が、いったいどこにあるのか。 どんな価値があるのか。  見上げると純白の知床岳がそびえている。  今は巨大な雪の塊にしか見えない知床岳。  地の果ての山だ。

2013年2月12日火曜日

心にしみた「カラス」(作詞・作曲者不詳)という歌

 昨日、石橋幸さんたちのコンサートで聴いた中に印象的な歌がたくさんあったが中でも「カラス」という歌に胸を打たれた。 これは反戦歌と言って良いだろうか。  石橋さん自身が歌の前におよそのあらすじを解説してくれたが、あらためてロシア語の歌詞と日本語訳を読んでみてあらためて心が動いた。 (1) Чёрный ворон, чёрный ворон, Что ты вьёшься надо мной? Ты добычи не дождёшься, Чёрный ворон, я не твой! Ты добычи не дождёшься, Чёрный ворон, я не твой! (2) Что ты когти распускаешь Над моею головой? Иль добычу себе чаешь, Черный ворон, я не твой! Иль добычу себе чаешь, Чёрный ворон, я не твой! (3) Завяжу смертельну рану Подаренным мне платком, А потом с тобой я стану Говорить всё об одном А потом с тобой я стану Говорить всё об одном. (4) Полети в мою сторонку, Скажи маменьке моей, Ты скажи моей любезной, Что за Родину я пал Ты скажи моей любезной, Что за Родину я пал. (5) Отнеси платок кровавый Милой любушке моей. Ты скажи - она свободна, Я женился на другой. Ты скажи - она свободна, Я женился на другой. (6) Взял невесту тиху-скромну В чистом поле под кустом, Обвенчальна была сваха - Сабля вострая моя Обвенчальна была сваха - Сабля вострая моя. (7) Калена стрела венчала Среди битвы роковой. Вижу смерть моя приходит - Чёрный ворон, весь я твой! Вижу смерть моя приходит - Чёрный ворон, весь я твой! <1> 黒いワタリガラスよ、黒いワタリガラスよ どうしてお前は私の上を飛び回るのだ? お前は獲物を待っているのではない 黒いワタリガラスよ、私はお前のものではない! お前は獲物を待っているのではない 黒いワタリガラスよ、私はお前のものではない!  <2> どうしてお前は爪を開いているのだ、 私の頭の上空で? もし獲物を期待しているのなら、 黒いワタリガラスよ、私はお前のものではない! もし獲物を期待しているのなら、 黒いワタリガラスよ、私はお前のものではない! <3> 私は命に障りかねない怪我を包帯する 贈ってもらったハンカチで そしてそれからお前に向かって ある事についてすべてを話し始める そしてそれからお前に向かって ある事についてすべてを話し始める <4> 私の郷里へ飛んで行って 私の母さんに言ってくれ 私の恋人にも告げるのだ 祖国のために私が死んだと 私の恋人にも告げるのだ 祖国のために私が死んだと <5> 血まみれのハンカチを届けてくれ 私のいとしいあの娘に 告げるのだよ――彼女が自由であることを 私が別の女性と結婚したことを 告げるのだよ――彼女が自由であることを 私が別の女性と結婚したことを <6> もの静かでおとなしい花嫁と結ばれたのだ 開けた草原の、潅木の下で 結婚式には仲人もいた―― 私の研がれたサーベルだ 結婚式には仲人もいた―― 私の研がれたサーベルだ <7> 真っ赤に焼けた矢が身を飾ったのだ 命を懸けた戦いのさなかに... 我が死がやって来るのが見える 黒いワタリガラスよ、私はすっかりお前のものだ! 我が死がやって来るのが見える 黒いワタリガラスよ、私はすっかりお前のものだ!  邦題は「カラス」とされているが、これに登場するカラスはワタリガラスを指すらしい。たしかに、落ち着き払って堂々と振る舞うワタリガラスの方が、この場面には相応しいと思う。  また、ロシア語の「死(смерть)」が女性名詞であることから、歌詞の5番に現れる「別の女性」や、6番に現れる「花嫁」とは、「死」のことであると解釈できるという。  今日の日本は、戦争や戦争による死が日常から遠い所にしかないと思わされているうちに、密やかに忍び寄ってきている。  そのような中で昔から歌い継がれてきた反戦、厭戦の歌を広げていくことは大きな意味をもっていると思う。

2013年2月11日月曜日

氷の流れ着く浜で 氷の国の歌を聴いた帰路 熱い心も凍りつく薄ら寒さを覚える

 ロシアの歌謡曲、と言っても虐げられた人々、「社会」からはじき出された人々の間で歌い継がれてきた歌をロシア語で歌う歌手石橋幸(いしばしみゆき)さんと魔法のようにアコーディオンを弾く後藤ミホコさんによる「私の庭」と題したコンサートが今夜羅臼町で開かれた。  昨年11月にも羅臼で公演して下さったお二人だが思いがけない早い再会となった。  小柄な身体のどこからあれほどの声が出るのかという声量と生き生きとした表情や仕草で言葉の壁を跳び越えて伝わる情感には聴くたびに感心する。  東京でロシア歌謡のライヴが聴ける酒場を経営しているという石橋さんだが、半年も経ずに羅臼に来てくれたのは、親しいお友達がいるかららしい。  東京まで行かなければ聴けない貴重な歌を安価に聴くことができて、ありがたい限りだ。 約2時間にわたって16曲も演奏してくれて、中には「カチューシャ」や「黒い瞳」「百万本のバラ」など日本でもおなじみの曲もあった。しかし、「マダムバンジョー」とか「カラス」「行かないで・・・秋」などというあまり知られていないけれど深い意味を持った歌、深刻な背景を持っている歌、そしてユーモラスで笑ってしまうような歌など多彩なプログラムであった。  ロシアといえば流氷の生まれる国だ。  演奏会が終わって外に出ると東よりの強風で流氷が押し寄せている気配がした。  熱い気持ちで帰路に就いたが、ラジオから流れる関東地方の交通情報を聴いて心が凍りついてしまった。  「常磐自動車道は震災のため○○インターと××インターの間で通行止めです」と言っているのだ。  いつの震災だろう?もう二年も前の震災だ。 思わず「ウソつきやがれ!」と口をついて出た。  なぜ「原発事故のため」と言えない?  都合の悪いことはとにかく隠そう隠そうとする体質が、こんな所にもしみ出している。  何度でも言ってやろう。  常磐自動車道は、放射能汚染地域を通っているから今でも復旧工事ができなくて通行止めなのだ。

2013年2月10日日曜日

一夜の発熱

 発熱のピークは昨夜。39℃まで上昇した。  いつものことで、朝には37℃台まで下がり、夕方には完全に平熱に戻った。  インフルエンザ(たぶん)にかこつけてゴロゴロと寝たり起きたりしながら過ごすのも悪くない。まとまった休みを与えてもらったような得した気分だ。  それにしても、昨日の昼間になんとなく熱っぽいと感じて体温を測ると36.5℃だった。しかし、体感的にはそうとうに熱が出ているように感じた。  ピークの39℃を経て、今朝の37.4℃の時は、もう熱は引いているような感じだった。  ヒトの感覚というものは相対的なものだとつくづく思った。  これは、環境の汚染にも当てはまるだろう。  一旦著しい汚染を経ると若干の改善が大幅な改良のように錯覚する。  腹黒い企業や政治家は国民のそんな「感覚」につけ込んでくるのだ。  環境だけではない。基地もオスプレイも原発も。  大切なことは、だから基準の状態を見失わないこと。  基準をぶらさないことだ。

2013年2月9日土曜日

A/H3N2亜型?とのたたかい

 ついに捕まった。  インフルエンザのウイルスに。  朝から重かった呼吸が、夕方から夜にかけてぐっと苦しくなった。  こんな時は何もせずにひたすら寝ている。ほどなく回復するだろう。

2013年2月8日金曜日

東電は腐海を作るつもりか

 東京電力福島第一原発で、放射性物質を含んだ汚染水が増え続けているという。  東電は先日、処理装置で放射性物質を除去した後、海に放出する方針を明らかにした。しかし、海への放出は漁業に今まで以上の打撃を与え、国際的な信用を落とすことは間違いないだろう。 東電は事故直後の一昨年4月、汚染水約1万トンを海に放出、世界中から批判された。 水俣病の例でも工場排水を希釈して有害物質を基準以下にしてから棄てるという姑息な方法を考えた者がいた。環境へ排出される総量を規制すべきだとは誰が考えても明らかなのだが、文字化して「法」にしてしまうと、法さえ守っていれば問題ないと考える人が増える。本当は愚かしいことではないのか。  どのような利害関係がからみ、どのような力関係によってその法が作られたかを見ようともしない。  有害な物質がどのような作用機序でヒトの健康を害するか、どの程度の濃度までが無害と言えるかが規制のための法の原点であろうが、実際には政治的な力関係でそれが決められる。  科学者も企業や政治家の利害対立に巻き込まれる。つまり残念なことだが科学は人々を守る道具にも傷つける凶器にもなりうる二面性を持っていることを意識すべきだ。  したがって「科学的に判断された基準だから安全」などという言葉を盲信すべきではないのだ。  東電はこれ以上汚染水を一滴たりとも海に棄てるべきではない。何億円かかろうと、また何万年かかろうと、管理していく責任があるだろう。  このままでは、宮崎駿が「ナウシカ」の中で描いた腐海と似たものが出現するかも知れない。

2013年2月7日木曜日

やっぱり失われた余裕なのだ

 朝、事務室前の駐車場にあるイチイの大木で二羽のハシブトガラスが戯れていた。  そのうち、一羽がミカンの皮を拾ってきて中段の枝で食べ始めた。しかし、手元(いや、クチバシ元か?)が狂ったらしくポトリと落としてしまった。  すると、それまでミカンの皮を食べる様子を羨ましそうに見ていたもう一羽がサッと舞い降りてすかさずそれを自分のものにした。 窓からその様子を観ていた同僚と僕は爆笑した。 それからこんな会話を交わした。 「昔の人は動物たちのいろいろな行動をよく観察していたんだね。こういう話がたくさん残っていたり、そこからその動物の性格を描写したりしてますよね。」 「だから、寓話や伝説を作ったのでしょうね。」  昔の人の観察力は非常に鋭かったのだろう。  それは、日常生活に自然観察以外の刺激がなかったせいもあるだろう。  テレビもない、本もない、インターネットもない。仕事も・・・たぶん今ほどの密度はなかっただろう。 そして、衣食住に関して自然から学ぶべきことは山ほどあっただろう。  それにしても現代人には、駐車場でのカラスの振る舞いをじっくり観察する余裕が亡くなりすぎているのだなとあらためて思った。 

2013年2月6日水曜日

森のひととき・・・・冬

 高校の裏の山でスキーの授業をした。
 滑走面にナイロンのシールを貼り付けてあるスキーは斜面を楽々と登ることができる。先日の荒天の日に室内でシール用ワックスを塗ったので滑る時も快適だ。  今日の授業は一時間だけで、2~3本滑ったらすぐに戻る頃合いになった。生徒はみな慣れない「長靴スキー」に苦戦していたのでちょうど良かったようだ。
 斜面を滑り降り、上から降りてくる生徒たちを待っている間、何気なく周りの樹木に目をやると冬芽が膨らみかけていた。ケヤマハンノキ、ダケカンバ、イタヤカエデ。それぞれの樹木がそれぞれの伝統の格式に従った冬芽を膨らませている。
 ああ、春が近い。  密度の高いトドマツの林と隣り合ったダケカンバやハンノキの周りに小枝がたくさん散らかっている。よく見ると小枝の先にあるはずの冬芽がことごとく食べられている。切り口は鋭い小刀で削り取られてようになっている。おそらくモモンガの食事の跡だろう。  上空ではオジロワシが旋回している。  冬の森は、決して休んでなどいない。

2013年2月5日火曜日

華やかなJRの陰で・・・・東の果てへの旅

札幌からの帰路である。やや吹雪気味でほとんどの列車が定刻よりおくれて到着していた。  定時発車した「スーパーおおぞら7号」もすぐに遅れ始めた。  いつも感じることだが、ヒトであふれた札幌駅を発った特急列車が帯広に着くと車内の半分くらいの乗客は降りる。代わって乗ってくる人は、ほんのわずか。  すっかりガランとなった特急から残りの人々が降りるのは終点の釧路駅だ。  そこから先には花咲線と釧網線という二本のローカル線が伸びている。釧路駅ではそれぞれに接続する普通列車が待っていてくれる。 だが、特急から乗り換える人は極端に少ない。そしてこの先では、降車する人ばかりになる。「引き算の乗客数」が続く。  小柄な車体にディーゼルエンジンを2基搭載したキハ54。  暗い車内照明、スプリングがへたったシート、と素朴な雰囲気がいかにも設備投資を節約したローカル線の車両という雰囲気だ。  走り出すとその感はさらに強まる。  容赦なく車内に伝わってくるエンジン音や走行音。そして軟弱な路盤の上に細いレールが敷かれているための大きな揺れ。まるで時化の海を走る漁船のようだ。  かつての国鉄が多額の赤字で苦しんでいた頃、鉄道運賃の値上げに対して首都圏のサラリーマンが大まじめな顔でTVのインタビューに応えていた。 「ローカル線の赤字の分までわれわれが払う運賃に上乗せされるのではたまりません」と。  はるか昔の話だが、この言葉は今でも僕の耳に鮮やかに残っている。  それは一つの正「しい考え方」で、その「正しい考え」に基づいて国鉄を5つに分割したうえでローカル線の大半をバッサリ切り捨て黒字に転換させたと胸を張っている。  そのために老人は病院通いの足を奪われ、高校生は高校への通学の足を失った。過疎化に拍車がかかり、都会と地方の格差は広がった。住む人がまったくいなくなった集落さえある。  競争原理で競い合って敗れたのだから仕方がないのか。敗者はいつでも不便で垢抜けない劣悪な環境で耐えなければならないのか。  そんな格差を広げる地方公共交通の切り捨てに、地方を守る立場に立つべき知事までが手を貸す。これが北海道の現実だ。新幹線を札幌まで引っ張ってくることに血眼になっている知事や「財界」人に高額な運賃と不便なダイヤ、快適とは言いかねるローカル線で呻吟する者の声など届くわけもない。  その一方で、「一つになろうニッポン」などと空虚な標語を叫んでみせることだけは忘れない。  「一つになる」のなら、せめてローカル線の路盤整備くらいもっとしっかりやってみせてほしい。いつ暗闇から飛び出してくるか知れないエゾシカに神経をすり減らして前方に目を懲らす運転士の苦労も軽くしてみせるべきではないか。  「苦労を分かち合っている」と大威張りで叫ぶのであれば。 

2013年2月4日月曜日

暗イウチハ、マダ滅亡セヌ

 今日は父の医療費に関する手続きのために札幌市中央区まででかけた。札幌駅から駅前通の地下歩行空間を北1条まで歩いた。  地下歩道は、まだ完成してそれほど経っていないから近代的、都会的で洗練された内装だ。全体的になんとなく垢抜けている感じがする。ヨーロッパの地下鉄のコンコースを歩いているのかと勘違いしそうだ。日本国内でそう感じられることはめったにない。どうしてだろうと考えているうちに入り口に答えが貼ってあった。 「節電中」と。  思わず苦笑した。「この明るさで節電なのか?」  それからため息が出た。  やっぱりこの場所は、「節電中」でない普通の時には、もっと明るくきらびやかで、必ずどこかでキャーキャーピーピーと大騒ぎしているべき空間なのか。  なぜ、暴力的なほど明るくしなければならないのだろう。 「節電中」でもまったく不都合がない明るさではないか。  本気で節電したいのならもっと暗くても良いようにさえ思った。  どこまでも限りなく明るくするようにエネルギーを大量に消費することが「質の高い生活」だと言うのだろうか。道に迷うほど出入り口を無闇に出入り口を作り、そこに照明を付けあまつさえエスカレーターまで設置する。  挙げ句の果てには電力が足りない足りないと大騒ぎする。  そういう文化って、どこか子供じみた様相だと思われてならない。  他の場所より照度を落とした灯りに照らされた地下歩道は、歩いている人々までが大人びて見えたのだが、あれはやっぱり錯覚だったのか。

2013年2月3日日曜日

アイヌ文化普及啓発セミナー

 千歳市でアイヌ文化普及啓発セミナーがあった。  二つの講座からなっていた。一つは、国立科学博物館教授の篠田謙一さんによる「DNAから見た日本人の起源とアイヌ民族の成立」もう一つは伊達市噴火湾文化研究所所長の大島直行さんの「縄文とアイヌの精神世界を考える」という講座だった。  「縄文とアイヌの精神世界・・・」では、これまで考えてもみなかったほど斬新な縄文人の精神世界についての解釈に接して新鮮な驚きを感じるとともにたいへん勉強になった。

2013年2月2日土曜日

札幌にて

 札幌に来ている。  父の病状は一進一退ではかばかしくない。  何より食欲がなく、ほとんど食事を摂らないことが気になる。  先日介護認定となった。  青年期、軍隊に行き身をすり減らすように兵役に就いた。  それからも、教員としてひたすら誠実に職務をこなした。私生活では、自分の道楽など一切絶ち家族のために過ごしてきた。  そんな父が衰弱していく様を見るのは辛い。  せめて、そのように社会貢献した老人を優しく親切に見守る気持ちのこもった介護をしてもらいたいと希望する。  いずれ、われわれが皆、たどる道なのだから。

2013年2月1日金曜日

複雑系としての流氷  流氷百話 28/100

「 流氷は、知床半島から国後島付近に散在し、国後島に接岸しています。また、流氷の  一部が根室海峡南部に流入しています。   これから1日にかけて、流氷の動きに大きな変化はありませんが、2日は北東へ進む  見込みです。」  これが今日、第一管区海上保安本部から発表された流氷情報と今後の予想だ。  何度も書いたが今年は流氷に厚みが感じられない。「国後島付近に散在」と書かれているが羅臼からは見えていない。過去の記録を調べると流氷の量は大きく変動するようだ。非常にたくさんの流氷が来た年もあったし、まったく来ない年もあったようだ。  ただ、1970年頃からの記録を見ると全体として減少する傾向を見せているという。  流氷も一種の気象現象だから温度、気圧、湿度、風や海流によって影響を受ける。つまり冷厳な物理法則に支配されている。ただし関係する要素が多くあり過ぎて単純に解析することはできない。複雑系なのだ。  人は複雑系に直面してもそれを単純に考えようとする傾向があるみたいだ。天候の予想では「雨」か「晴れ」かをわかりたいのだ。地震はいつどこで起きるのかを知りたくなるし、火山噴火は的確に予知したい。確かにそれが人情だから気持ちはわかる。  単純化を望むあまり主観を先行させ、どこかで論理を飛躍させてしまうこともある。そして、無意識にまたま意識的に、都合よい結論を導き出す誤りも冒す。  意識的な事例は原子力発電を推進したかった原発利益共同体、いわゆる原子力ムラでたくさん見られた。これらは誤りというより曲学阿世であって、犯罪と言っていいだろう。  流氷は大量に押し寄せたり、まったく来なかったり、大きく変動してきた。その震幅はこれから続いていくことだろう。自然という複雑系が人間に示してくれる一種の予測不可能性の教材のように思える。 そして、予測不可能性に飽くことなく挑戦するのも人間の知の技だろう。複雑系が読み解けないからと言って読み解く作業を投げ出してしまったら知の成長は無い。  科学は間違いなく人間を不幸にするものを生みだしてきた側面もある。だが少なからぬ恩恵を与えて来た側面も否定できまい。  科学の依って立つところは、自然から出題される問にいかに答えるかということではないだろうか。そんな自然を読み解く科学を僕は信頼したい。 来たり来なかったり、西かと思えば東に動く流氷を眺めて、そんなことを考えている。