2012年5月31日木曜日

総理大臣の大バクチ

朝、初夏らしい日差しと若々しい草いきれ、ウメやサクラの花びらが舞い散る。林床にはオオバナノエンレイソウ。ノゴマ、コヨシキリ、カッコウ、ツツドリが賑やかにさえずっている。
 こんな日が、北海道では、5月末から6月始めに必ずやって来る。さほど多くないが、必ずある。これに気づいたのは中学か高校ぐらいの頃だった。あまりにも短いが一年を通じてもっとも気持ちの良い日。もっとも好きな期間だ。

 今日は当然、バイク出勤だ。
 最近、とりわけて重く感じるようになった車体を車庫から出し、押しながら、この「特別な日々」をあと何年味わえるか、とふと考えた。
 諸行無常だ。未練はない。確実に減っていく「手持ち」の一年一年を、丹念に慈しんでいこうと、あらためて決意し、ヘルメットを被った。

 昨年の5月末日は、台風2号から変わった低気圧による強風で海が大荒れだった。風が束になって吹き、シュプレヒコールのようだった。海では、見渡す限り白い波が立っていた。それを見て、

幾千の波頭きらめき押し寄せる 不浄なる者を詰る(なじる)ごとくに

 押し寄せるスクラムのごとき白波の 振り上げるこぶし 泡立つ怒り

包囲する千万の波 途切れずに 白き波頭の旗を打ち振り

 などという3首を詠んでいた。
 あの波と風に首相官邸を包囲させたいと思う。

 あの事故以来、一年間、原子力発電のことばかり書き続けた。
 「理科系」の人間の端くれとして原子力とどう向き合うか、自分なりに考え続ける日々だった。

 今日、野田首相が大飯原発の再稼働を「決意」したというニュースが一斉に流れた。野田首相が「私の責任で」と言っているらしい。
 約10万人の人が依然として避難生活をしている。その数倍の人が避難したいと考えているかも知れない。
 子どもに屋外プールを使わせるかどうかで大騒ぎしている。原子力発電や放射能の受け止り方の食い違いで、無用な対立が起き、いがみ合っているケースも多い。家庭の崩壊や自殺も無数にある。
 大飯町がこのような状態になった時、どうやってこれらの責任をとるのだろう?
 野田の皺腹を切って解決するとは、誰も思えないだろう。
 「私の責任で」とは、「とにかく強行してしまう」という意味なのだと思う。

 今回の再稼働は、地震や津波のような災害が無ければ大丈夫、という一種の賭けなのだと思う。そして、確率から言えば、稼働期間中に災害が発生する危険性は、さほど大きくないかも知れない。
 だが、そんな危険な勝負に、大飯原発周辺の住民が自らの意志とは無関係に、巻き込まれているという現実ではないか。賭をしている張本人は、十分離れた安全な場所から、それを眺めているという構造なのだ。
 もちろん大阪の市長も含めてのことだ。そう言えば、彼はカジノ推進論者の一人だったな。

2012年5月30日水曜日

高校生を黙らせる

「野外観察」の授業で峯浜の草原まで出かけた。
 ふだん活動している場所は、谷沿いの傾斜地が多いので草原性の鳥に出会う機会がすくない。
 生徒たちにどうしてもオオジシギを見せてやりたかったので20kmほど離れた峯浜まで出かけることにした。

 約束していたかのように、すぐ姿を見せた。「ジープ ジープ ジープ」という鳴き声に続いてズズズズズゴゴゴゴゴーッと風切り音をたてて急降下してくる。生徒達は唖然としてその急降下に見入り、鳴き声を聴いていた。
 ウグイスがうるさいくらいに鳴いている。ずいぶん近くで鳴くものだと思っているとすぐそばの反対側の樹でも鳴き始めた。僕たちはウグイスのテリトリーの境界に立っていたようだ。双眼鏡で探してみると姿も見えた。
 続いて、ノビタキ、カワラヒワ、ベニマシコも現れる。
 遠くでツツドリが鳴き、カッコウも鳴いている。

 「目をつぶってごらん」と指示して、聞こえる音に集中させ、鳥の声を一つ一つ解説していく。聞いたこともない名前の鳥ばかりが出てきて、最初は戸惑っていたようだが、少しずつ鳴き声と名前が一致していくようだ。

 そんな時の彼らは、一言もおしゃべりをしない。
 高校生といえば、のべつなにがしかの言葉を口から出している生徒も多く、枕詞か呪文のように「ハイ!話をやめて」から授業が始まる場合が多いものだが、この時間に限って、生徒は一言も言葉を発しない。ひたすら耳だけを使っている。
 彼らはきっと、「言葉を発すると自分の耳に入ってくる音が聴き取れない」ということを身をもって学んだことだろう。 
それで良いのだよ。
 無駄な言葉は口から出すものじゃない。
 本当に必要な時に、重々しい一言をパチッと発する人間になるのがいいのさ。
 鳥の声を聴くのは、人生の修行にもなるものだ、と思っているのは教える側ばかりなのだが。

本日の野帳写し
オオジシギ
ウグイス
ノビタキ
カワラヒワ
ベニマシコ
ハシブトガラ
ヤマシギ
オオセグロカモメ
ツツドリs
カッコウs
キジバト
トビ

2012年5月29日火曜日

繁栄の末路

今朝、友人がFacebookに一枚の写真を載せていた。  そこには無残に切り倒されたタラの樹が写っていた。  山菜の中でも珍重されるタラの芽を採るために、切られたのだろう。  タラの樹は棘だらけの細い幹の先端にしか芽を付けない。芽を採る時には、幹をつかんでしならせて採るのだが、ある程度以上の高さに成長したものや棘が痛くてつかめない場合、樹そのものを切り倒して採る人がいる。  天ぷらにすれば、非常に美味しいので、そういう人は食欲に負けたのであろう。  芽を摘み取る時も、そのシーズンの最初の芽を摘み取り、その後から再生していきものは採らないというのが最低限のマナーである。もちろん、切り倒せば、その樹はそれで命を失う。  言語道断という他ない。    無闇な山菜採りには心が痛む。    自然界の物質循環に加わり、自然界にあるものを食べるのであれば、自分の排泄したものや自分の死後の身体は自然界に還すべき、という覚悟くらいほしい。  自然の物質循環の環から外れた生物は、昔から時々現れていたと思う。  だが、そんな種は、結局は絶滅し地球上から姿を消したのだ。  自然の厳しい掟とは、そんなところにも働く。

2012年5月28日月曜日

快晴・濃霧・セイヨウオオマルハナバチ

知床峠を越えてウトロの知床自然センターまで、往復した。
 昨日、訪ねる予定だったが峠の路面が凍結して通行止めになった。
 どうしても行かなければならなかったので、今日は根北峠経由でいく覚悟だったが、幸いなことに午前10時に開通した。

 山頂を越えてウトロ側に下りてみると、青空が出て正しい初夏の気温だった。強い日射しの下、羅臼岳は昨夜降った雪にうっすらと覆われていた。
 初夏の新雪も、景色としては、良い。
 一転して羅臼側は東からの湿った冷たい風が流れ込み、気温3℃で、曇り、峠は濃い霧に包まれていた。

 ところで今日の北海道新聞夕刊にショッキングな記事が載っていた

  外来のセイヨウオオマルハナバチ 知床の高山帯でも確認(05/28 15:00)
 【羅臼、斜里】知床半島の最高峰・羅臼岳(1660メートル)の標高1250メートル付近で、特定外来生物のセイヨウオオマルハナバチが確認されたことが、28日分かった。高山帯で正式に確認されたのは国内2例目。世界自然遺産・知床半島の高山帯で見つかったことで、専門家らは周辺の高山植物など生態系への悪影響が懸念されるとして、危機感を強めている。<北海道新聞5月28日夕刊掲載>

 知床連山の1250メートル付近でセイヨウオオマルハナバチが確認されたという記事だ。この3年間、身体を張って本種の侵入を防いできたという思いがある。それだけに残念なニュースだ。

いまさらながら、まったくコメントを出さない農薬会社、輸入業者(商社)、農協、農水省、農家の無責任な態度に腹が立つ。
 何とか言ってみろ!
 みなで、彼らを包囲し、責任を追及して、防除対策の矢面に立たせねばならない。

 たとえば、これら「セイヨウオオマルハナバチ村」の全員が応分の資金を拠出し、基金を作って、一頭1000円くらいで買い取るなど具体的な方策を講じなければこのハチは駆除できない。
さし当たり、関係者は、この文を読んだら速やかに名乗り出て、謝罪すべきである。

2012年5月27日日曜日

殺生の日

午前中は、羅臼町内でセイヨウオオマルハナバチの防除作業。気温のせいだろうか、セイヨウは一頭も姿を見せず、エゾオオマルハナバチとエゾアカマルハナバチのみだった。

 そして、夕方からエゾシカの有害駆除に参加した。
こちらの方はそれなりの成果があり、「虫も殺さな顔で」シカを殺してしまったことになる。

 殺生を行う日となったが、セイヨウオオマルハナバチもニンゲンの持ち込んだ種で、環境への影響が大きい生物だし、エゾシカもニンゲンの活動によって増えてしまい、森林や農地への被害が甚大な生物だ。
 結局、ニンゲンの活動の後始末をさせられている、ということなのである。

2012年5月26日土曜日

エンレイソウが教えてくれる 日本のアセスメントのインチキ


昨夜は、知床財団の評議員会でウトロに宿泊した。
知床峠のゲートは、昨日まで朝9時の開門だったが、今日から8時に変わった。お陰で朝の知床峠を気持ち良く越えた。
 昨日に続いて根室海峡は雲海の下になっていたが、今朝はウトロ側も厚い霧が低地に淀んでいた。
 羅臼へ急いでいたが、誘惑に負け、少しの間峠の頂上で窓を開け、エンジンを停めた。
 ノゴマ、ウグイス、アオジ、ツツドリの声に混じって、遠くでエゾムシクイやキビタキの声もした。
 羅臼での会議がなかったら、クルマを乗り捨て、峠を歩いて下りただろう。朝の知床峠は、魅力的だ。

 夕方、別海の自宅に戻った。家に入る道ばたのあちこちにオオバナノエンレイソウが咲いていた。
 エンレイソウ属名は「Trillium」という。「3のユリ」という意味だそうだ。萼片、花弁、葉が3枚ずつ、花糸(「かし」おしべのこと)が6本、花柱の断面は三角形で柱頭は3つに分かれている。律儀なことに花粉さえも三角形をしてる。
 とことん「3」の好きな植物である。

 この花は大きな群落を作るが、花が咲くようになるまで15年くらいかかる。種子から発芽し、毎年少しずつ大きな葉を付けるようになっていき、15年目で、初めて花が咲き、その後、毎年花を付けるようになるそうだ。
 つまり、エンレイソウの花が咲いている場所は、少なくとも15年間は掘り返されたりクルマで痛めつけられたりしていない「手つかず」の状態が続いたと証明されている。
 また、エンレイソウ群落の年齢構成を調べるとその場所の環境変化を知ることができる。
たとえばエンレイソウの花はたくさん咲いているが、若齢のエンレイソウが少ないような土地は、その群落が将来失われる危険性があることを示している。

 だが、世の中の環境アセスメント会社は、「現在の植生」の調査しかしないから、その群落の将来がどうなるかをアセスメントの対象にしない。アセスメントを発注する側もそこまでは求めていない。
 日本のアセスメントは、このような事例ばかりで、抜け穴だらけなのである。
 環境省も、瓦礫の広域処理に固執しているより、失われる身近な自然を保全するためにもっと真剣な姿勢を示してはどうなのだろう。

2012年5月25日金曜日

去年の予感に羅臼岳がささやく

昨年、福島での原発事故が起こってから、ずっと原子力や原子力発電について書き続けていた。自分にとっても、あの衝撃がいかに大きかったか、あらためてわかる。  昨年の今頃、ボンヤリと予感したことがあった。  他の原発の再稼働のことだ。  きっと、賛否両論が派手にぶつかり合い、現場の状況とか現地の実情などを蚊帳の外に放りだしたような論議が続けられるな、と思った。  そして、多くの国民が事故を過去のものとし、報道機関も取り上げなくなった頃、こっそりと原発再稼働が始まるという図式だ。  もちろんそれに反対する人々は、反対の意思表示をし、運動を展開するだろうが、結局は「国家の意思」に押し切られるのではないか、という敗北主義的な予感でもあった。  良識を押しつぶして一部の利権を確保する、「多数」の傲慢がいつも押し通っていたこの国の過去を見ると、暗い感情を伴ってそのような悲観的シナリオを予想をした。  現実は、その通りになっている。この国の利権に群がる人々の執念は、倒しても切っても抜いても焼いてもしぶとく生えてくるアメリカオニアザミのように絶やすことができない。  リゾート開発ブームの時もそうだった。  ダムもそうだった。  鉄道の廃止もそうだった。  基地も干潟の干拓も、あれもこれも何もかも・・・・。  この国の欲の皮の突っ張った、「あの連中」は、反対意見にきちんと向き合うということをしない。最初に建てた結論を強引に押しつけることしか知らない。  そういう態度や行動を「ご理解頂く」と言うらしい。  子どもたちに幸せな未来を残す、きれいな環境を持続させる、というきわめてシンプルな価値観を共有できない人々を一掃しない限り、世の中は良くならないと思った。  今日は、会議があるので峠を越えてウトロまで来た。羅臼岳が黙ってニンゲン界を見下ろしていた。  頂上直下を通る時、山が微かに囁いたようだった。 「なあに、そんなに長いことじゃないさ。700年くらい前の噴火なんて、つい昨日の出来事みたいなものだ。自然を甘く見ている連中が、悔い改める時は近いさ」  ゾクリとした。

2012年5月24日木曜日

クマ住む町で思うこと

羅臼では、街でお酒を飲み、家まで歩いて帰る。
 羅臼の僕の家は、山の上にある。ホンの数百メートルだが、知床の夜の山道を歩かなければならない。ヒグマと遭う可能性は、小さくない。正直なところ怖い。だから飲み歩く時、できれば熊撃退用のスプレーを手放したくない。
 「現代の日本で、熊スプレーを持ってお酒を飲みに来るなんて、われわれくらいのものだろうな」と話して笑い合っている。

 渋谷の地下鉄駅構内で、人が刺される事件があった。今日、生徒とそのことを話題にした。
 電車で隣の席に座った男のバッグにナイフが忍ばされていて、突然それを振りかざして襲いかかって来るというのは、とても怖いことだ。
 「間違いなく知床のヒグマよりも何倍も怖い。」
 「ヒグマの襲撃には理由があるし、こちらが襲う理由を理解し、回避すれば、襲撃はほ  ぼ避けられるが、ヒトがヒトを襲う理由は理解不能で見当がつかない。」
 生徒達は異口同音にこのようなことを言っていた。
 同感である。

 ちょうどその時、不審者情報が伝えられた。
 「今日の昼前に、根室市のコンビニエンスストアに刃物を持った男が押し入り、現在   も刃物を持って逃走中」という内容だった。
 
 ヒトはクマより怖いと話した直後だっただけに、皆、納得してその話を受け止めた。


 以前、蝗害(こうがい)について調べたことがあった。
 蝗害とは、トノサマバッタなどバッタ類が大量発生することで起きる災害である。
開拓期の北海道で良く起こったそうだ。十勝地方には、それを記録した「蝗塚」があちこちに建てられている。
大量発生し、餌を求めて集団で移動する現象を「飛蝗」(ひこう)と呼び、この群生行動では、水稲や畑作作物などに限らず、全ての草本類を数時間のうちに余すところ無く食べ尽くしてしまうという。そのために昔は、ヒトの食糧が底をつき、餓死者が出るほどの深刻な飢饉に陥ったという。
群生行動をするバッタ(群生相)は、単独行動のバッタ(孤独相)に比べて、次のような違いがみられる。
体色が暗色になる。
翅が長くなる・・・・・飛ぶ力が強まる。
頭幅が大きくなる・・・顎の力が強くなる。
その他、触覚の感覚子の数が減少していたり、胸部の形が変わっているなど、同じ種類の昆虫とは思えないほどの大きな違いを見せる。

これは、バッタの細胞に孤独相用の遺伝子のセットと群生相用の遺伝子のセットの二セットがあらかじめ準備されており、バッタの生育過程で一定以上の個体密度になった時に群生相用セットが働く仕組みがであがっているためだろう。

 ヒトも、自然界から切り離され、かつて経験したことのないほど異常な高密度で生活することを強いられて、働く遺伝子のセットが変化するということはないだろうか。

たしかに、これはヒグマより怖いことかも知れない。

2012年5月23日水曜日

フラッシュバック!原子力空母「エンタープライズ」佐世保寄港反対闘争

雨が降るという予報を信じて、バイクで行くことは諦めた。夕方になってほんの少し、言い訳のような雨が降った。粒の大きな雨で、クルマのフロントガラスに音を立ててぶつかり砕け散っていた。


 雨粒を見つめながらぼんやり考えていた。
 雨は、
 必ず
 降る。
 あの日も、
 雨が
 降った。
 あの日・・・
 佐世保港にアメリカの原子力空母エンタープライズが入港する日だ。
 日本に寄港した、最初の原子力空母。

 激しい反対運動が、その前に何度も何度も繰り広げられた。
 1967年秋から1968年1月にかけてのことだった。

   昭和43(1968)年1月19日、米第7艦隊所属の
      原子力空母エンタープライズが長崎・佐世保港に入港した。
       エンタープライズは、世界最初の原子力空母で、基準排
      水量7万5700トン、原子炉8基を持ち、F4ファント
      ム戦闘機などを70~100機積載できる。
       原子力潜水艦は佐世保や神奈川・横須賀に寄港したこと
      があったが、原子力空母が日本に寄港するのは初めて。当
      時艦載機がベトナム戦争の空爆に参加しており、労働組合
      や学生らが、ベトナム戦争への加担や、核持ち込み疑惑な
      どを問題にして入港を反対するデモを連日展開し、警官隊
      とたびたび激突した。   (この部分「毎日新聞」記事から引用)

エンタープライズの入港を突破口にして、寄港の回数が
      徐々に増え、ついには横須賀が原子力空母の母港になるこ
      とについても、さほどの大きな抵抗は生じなかった。
日米政府は、激しい抵抗が予想される場合、最初は遠慮
      がちに、小出しに実行し、少しずつ「慣れ」を作っていき、
      終いには大胆に開き直るというやり方をいつも用いてきた。
       その手法は、今も全く変わっていない。
       その背景には、「日本の国民の大多数を占める無知で愚
      かな階層は、こうやって馴らして行くのがもっとも有効」
      というエリートたちの強固な思い込みがあることは明らかだ。

 高校生だった僕らは、
 その出来事を見ていた。
 そこに権力の本性を見た。
 権力は、巧妙に「世論」を操作しながら
 反対する勢力が怯みを見せると
 態度を豹変させて襲いかかってくる。
 そんな卑怯で、姑息で、屁ナマずるく、
 それでいながら、侮れない力を持っている、と。

 そんな腐った側に立つ生き方は、絶対にしないと
 あの映像から学んだ。

 40年以上の歳月を経て、
 あの時の思いが、
 突然よみがえってきた、知床の海岸だった。

2012年5月22日火曜日

知床の風に吹かれて

今日は、暖かい一日だった。同時に晴天だが、やや風が強かった。
 バイクで走る僕に風が戯れかかってくる。不規則に車体を左右に揺さぶるのだ。
 コーナーで、車体をどのくらい傾けるか、ちょっと迷っう。だが、そんな風と駆け引きしながら走るのも楽しい。
 空気の壁に一気に切り込んでみるのも良いが、今日のような風に纏わりつかれながら走るのは、見えない相手と会話しているようで飽きることがない。

 昨日の日食などは、計算で、いつどこで起きるか、あるいは起きたか、正確に答を出すことができる。
 太陽と地球と月の位置が宇宙的なスケールなので、一定以上の精度で計算できれば、小さな誤差は捨象できるからだ。いわばシンプルな物理法則で説明可能なのだ。

 自然界の法則は、基本的には、すべて簡単で単純なのだが、要素が増えるにしたがってその複雑さが増す。その増え方は、等比級数的だと思う。バイクを揺さぶる横風の計算などは、非常に難しいだろう。
 昨日の日食の時、日食観測の準備を整えて待っていたのに雨天や曇天で全く見なかった地方だってあるわけで、日食は予測できても、その時の天候は、予測不能だったのだ。(実際には、天気予報が的中していると思うが)

 核分裂反応による原子核崩壊というのは、比較的単純な物理現象で、そのエネルギーや反応時間などを計算で予測することは可能だ。しかし、工業的規模の原子炉で核分裂反応を起こした場合、そこで起きる生成物同士とか、原子炉の素材との反応など副次的な影響まで予測するのは大変だろう。
 そして、そこで壊滅的な事故が起き、放射性物質が環境へ放出された時、もう一つの複雑系である生物体や人体や生態系に対してどのような影響を与えるか、さらには、社会や経済がどういう影響を被るか、全く予測不可能な複雑さとなるだろう。
バイクで走りながら、次にどちら向きの風が来るか、ということ以上に複雑で解明できず、それよりもはるかに深刻で多くの悲劇を含んだ問題なのだと思う。

 これが、今日、知床の風との会話の内容である。

2012年5月21日月曜日

そしてカーソンの予言は実現した

本日部分日食。80%近くまで食が進み、朝、風景は薄暗いものになった。
 日本列島南西部より東北地方南部にかけて一部地域では金環食となった。


 そして今日、少しの間、山を歩いた。
 幸運なことにオオルリと出会った。
 ノゴマも来ていた。ウグイスやセンダイムシクイは、声を張り上げてさえずっている。気温はまだ低めだが、夏鳥が顔をそろえつつある。これから春が闌けていく。じっとしているのがもったいないような期待に満ちた、それでいて落ち着かないようなそわそわした気持ちになるこの時期が、実は一番好きな季節だ。

 しかし、もうしばらく姿を見ていない鳥がいる。
 シマアオジ。ラテン語名Emberiza aureola (黄金のホオジロという意味だろうか)
 姿を見なくなって何年になるか。道東の自然系施設で働く若い職員の中には、この鳥を見たことのない人、全く知らない人も増えているようだ。
 「去る者は日々に疎し」と言うが、シマアオジを忘れる人が増えることは寂しい。そう感じるのは、歳のせいだろうか。

 だが、これは、レイチェル・カーソンの予言した「沈黙の春」(「SCIRENT SPRING」)ではないか。
 今、元気にさえずっているノゴマやセンダイムシクイも、いつかシマアオジと同じ轍をたどらないという保証はない。
 「オホーツクのフルーティスト」と呼ばれ、姿も声も魅力的だったシマアオジ。ハマナスのソングポストがよく似合ったシマアオジ。
 他の鳥たちより一足早く、滅びの運命をたどったのは何故なのだ。
 みんなが忘れ去っても、僕はシマアオジのことを絶対に忘れない。
 毎年、海岸草原にハマナスの咲く頃、僕の心の中に住むシマアオジを歌わせてやりたい。

2012年5月20日日曜日

原子力村のとなり村もやっぱり許さんゾ!

道東からもサクラの便りが届き始めた。
 同時にセイヨウオオマルハナバチ防除の季節がやって来た。これから各地、各団体で講習会、観察会、捕獲実習などが予定され、休日の半日、あるいは一日をそれらに割かれるシーズンになった。野に花が咲き乱れ、鳥は歌い、チョウの舞うこの季節の休日をこのハチのために費やしてしまうことがかえすがえすも悔しい。
昨年の夏、十勝地方を訪ねたが花畑に来るマルハナバチは本種だけだった。北海道在来のマルハナバチには、アカマルハナバチ、エゾオオマルハナバチ、エゾナガマルハナバチ、エゾトラマルハナバチ、シュレンクマルハナバチなどがいて、風のない日当たりの良いタンポポの群落などでこれら数種のハチが忙しげに飛び回る姿は、眺めていると気持ちを和ませてもらえる。
 大きな虫ではないし、忙しげに飛びまわっているので、じっくりと鑑賞できる対象ではないが、眠気を誘う羽音や吸蜜のために停止した瞬間に見える丸々とした愛らしい体型は、自然の風景に欠かすことの出来ない住民だと思う。
 北海道の十勝では、それらの種が極端に減少したのだ。壊滅的だ。どこにいてもセイヨウオオマルハナバチばかりが目に付く。
種の多様性が失われているという点から言えば、大都市に近づいていると言える。

 十勝から根釧原野へ、網走管内へ、知床へ、とその脅威がジワジワ広がっている。そうさせたくないから、他にするべき課題を山のように抱えている身ではあるが、ハチの駆除に出かけて行く。

 本日の斜里町における捕獲数。女王4頭。

 昨年も同じことを書いたのだが、このハチを輸入し、ハウス栽培の花粉媒介者として利用し利益を上げている農家、農協、農薬会社は、野生化した本種の駆除と防除の活動に対して補償する義務を負っている。
 今まで、一言の反論も、弁明も無い。まして補償する気配すら感じさせない。
これもまた、輸入した生物農薬から生じる利益に群がる共同体=セイヨウオオマルハナバチ村の構造である。

 本当のことを言えば、日本の自然を壊したのは、必ずしも鉱工業だけではないのだ。農業によって失われた自然環境も少ない。たとえばトキの絶滅は、農薬によって餌が減ったり汚染されたりしたことが一つの原因だろう。
 われわれは歴史的な視点からも、この列島の自然環境をとんでもなく貧しくした者たちのことを絶対に忘れてはならない。

2012年5月19日土曜日

節電・・・野鳥の会の見解

今日は、野鳥の会根室支部の総会があった。総会の後は、懇親会になっている。
 趣味を同じくしている者同士が酒を酌み交わすのは、本当に楽しい。その席で、こんな冗談が飛び交った。

 野鳥の会では、発電用大型風車への鳥の衝突が相次いでいる事実から、無原則な風車建設には反対の立場をとっている。再生可能エネルギーも必要だが、まずは、節電から始めるべきで、見直しの必要な電力の使い方は、世の中にまだまだたくさんある、という話になった。
話の流れは、当然のように政府やマスコミが今まさに大声で推進している「電力不足キャンペーン」に及び、「あれはプロパガンダで、本当は電気は足りている」という結論に達した。
 では、なぜあのようなウソが宣伝されているのか?
 一般的には、あの欺瞞キャンペーンは、原発の再稼働と温存である、ということなのだが、今日は別の説が飛び出した。あれは少子化阻止のための対策だという。かつて、ニューヨークで大停電があった時、その280日後に出生数が大幅に跳ね上がったことがあるそうで、その時に生まれた子どもたちを「停電ベビー」と呼ぶそうだ。
 「電力不足」を宣伝しておいて、計画停電を実施すれば、その間テレビも見られず、灯りも乏しい暗がりで、人々は、何もすることがなくなって・・・・出生数が上がる、という図式を狙っているのだそうだ。
 もし、本当にそれが実現したら、その子どもたちは「節電ベビー」ということになるだろう。

 この話が、トキやタンチョウなどの繁殖の話の延長で出てきたところが、野鳥の会の宴会らしい。
 荒唐無稽な空想ではあるが、日本の官僚は優秀で、全てを織り込んだ上の原発事故だったとしたら、それこそ本当に怖い。

2012年5月18日金曜日

チーズと芸術 そして デタラメ内閣

やっと一週間の仕事が終わった。
 今週前半は、日曜日から出始めた熱で苦しんだ。
 後半の木曜日以降は、ほぼ回復した。
 (心配して下さったみなさま、感謝申し上げまする。かたじけない。)
 さて火曜日の夜、熱が高くて、ベッドに入ってもなかなか熟睡できず、退屈紛れにラジオをつけていたら、俳優の勝村政信さんと岡山県の酪農家で農家チーズを作っている吉田全作さんの対談が流れていた。
 吉田さんは、チーズ作りに興味をもったことをきっかけに、ウシを飼い、乳を搾るところから始めた人であるらしい。
 対談は盛り上がっていたが、僕は、半分だけ耳を傾けているような状態だったので詳しい内容は覚えていない。
 だが、おしまいの方で、吉田さんが、自分は、自分が作りたいチーズを作っているだけ。チーズの味は、作る農家によって多様で、「これが正しい」とか「こうあるべき」と言ったものは無い。「消費者も好みのチーズを探せば良い。」という意味のことを言った。
 それに対して、勝村さんが応じた言葉が印象に残った。
 「それは芝居にも通じるところがありますね。芝居も少数の観客を対象にしている時は、好きな演目を好きなように演じられる。だが、観客が増えると、どうしても大勢の観客に受け入れられるためにはどうするか、ということを意識し始め、質が低下すると言うか、元々自分がやりたかった方向から逸れて行くことが多い。」というような意味のことを言ったのである。

 「芸術性」と現実の社会に受け入れられるための「大衆性」とが対立した時にどう止揚すべきかということは、昔からあるジレンマなのかも知れないが、チーズの作り方との共通点を見出したのは、ひとつの卓見だな、と感じた。

 二人は、周りからの評価を完全に無視する独善であることを礼賛したわけではないと思う。謙虚な姿勢を保ちつつ、より良い道を模索しつつも、自分の信じるものについては、一歩も引かず、妥協や迎合を拝していけば、道が開けると言いたかったのだろう。

 当たり前で、簡単そうなことだが、実は非常に難しい生き方だと思う。
 選挙の票を集める時には、消費税は上げないとか、後期高齢者医療制度は廃止するとか沖縄の米軍基地は最低でも県外に移設するなどと国民の切実な要求に応えるかのようなことを言い、政権の座に就いた途端に全てを真反対の方向へと転換させたデタラメな政治家には、出来ない生き方だ。
 そして、また、その同じ政党の政治家が、夏には電力が不足すると大騒ぎを演じている。あんな無責任で、その場その場の出まかせで言い逃れる人々の言葉を、本気で信じる人が何人いるだろう。
  
「原子力発電所の安全性が担保されるまでは稼働しない」などと言っていたこともあったような気がするが、本気で言っていたなんて、誰も思っちゃいない。

2012年5月17日木曜日

自由のマシンから

朝、起きて天気図を見る。
 雨雲レーダーを見る。
 放送で予報を確かめる。
 「よし、今日は降らない」
そう判断してバイクを引き出した。

 やはり二輪車は、良い。
 どんな四輪車よりも加速が良い。
 燃費が良い。
 全身に当たる風が気持ち良い。
 風は友だち。

 空気を感じる。
 空気の境目、
 温度の変化を肌が感じる。

 町内会限定の
 ゆっくりした車も難なく追い越せる。
 携帯電話で話ならがフラフラ走る車も簡単に追い越せる。
 大型車も安全に追い越せる。
 カラスを追い越し、オジロワシを追い越し、風を追い越し、
 時計の針さえ追い越せる・・・ようだ。
 空間も時間も手に入る・・・ようだ。


 職場から自宅まで80kmの間
 信号は5~6カ所。
 今日は、ライディングスーツの襟を直したかったが、
 結局一度も信号で止まらなかった。
 ここは、道交法も無い自由の大地か。

 昼間、職場の事務所に東京の某全国紙から問い合わせがあった。
「そちらの町では、金環日食の日に、
  学校の始業時間を変更したりする予定がありますか?」と。
 金環日食など、この地では起きない。
 それは東京の話でしょ。
ここで起きるのは部分日食。
東京で起きることが全国で起きるワケじゃない。

 帰り道、
 海とカモメと草原の見える
 下りのコーナーを旋回しながら
 ふとそのことを思い出した。
 ここは、自由の大地。
 いま、この瞬間は。

2012年5月16日水曜日

テンプラの日

日曜日から続いた体調の不良もどうやら治まった。
  昨夜は、その前の夜にも増して寝ている間に多くの汗をかいた。
 おかげで、朝は調子が良い。顔を洗い、固く絞ったタオルで身体を拭いたら、気持ちまでキリリとひきしまった。
 おそらく、病気の峠はもう越えたのだろう。月曜日の夜が最悪のようだった。この後、再び症状が悪化するようなら深刻なことで、きちんとした診察を受ける必要があるだろうが、まずその必要は無いだろう。

 今日は、羅臼高校の「野外活動」の授業で山菜の天ぷらを作った。
「午後からも雨」という予報に反して昼前まで激しく降っていた雨が止み、どうやら屋外での授業が実施可能になった。 
 三つの班に分かれて、フキ、フキノトウ、コゴミ(クサソテツ)、イラクサ、ツクシなどを摘み取ってきて揚げて食べた。

 道ばたに生えているような草が、本当に食べられるのかどうか、怖々口にした生徒達の感想は、異口同音に「美味い」というものだった。
 もちろん食べてはいけない種、食べても美味しくない種も教えておいた。

 この授業は、もう6年目になる。家庭科でもない授業で物を食べるということ自体が、新鮮な体験として受け止められているようだが、自然と触れ合う感覚に使ってはいけない感覚など無い。五感をすべて働かせてこそ「自然体験」なのである。

 ただ、困ったことに、この授業をするとしばらくの間、僕は揚げ物を見ただけで満腹感を感じるようになってしまう。
 これも一種の職業病だろうか。 


2012年5月15日火曜日

野生から切り離されて生きるということ

今回の熱はなかなかひかない。
 朝は比較的熱が低く、調子も良いが昼前くらいから上がってくるようだ。
 単なる風邪ではなく、ダニなどによって感染させられた症状のようにも思える。
 ツツガムシ病のような深刻な病気ではないため、研究されずにいるこの種の発熱を伴う病は、まだきっとたくさんあるに違いない。
 これも原野からヒトへのメッセージに違いない。体力をつけて、治癒するまで待つしかないだろう。

 日本野鳥の会がツバメの減少について報告している。この十年間くらいで都市におけるツバメの営巣数が激減しているのだそうだ。
 困ったことには違いないが、正直なところずっと前から予想されていた結果だと言わざるをえない。ツバメ営巣できる環境がどんどん失われているのだ。何も今に始まったことではない。
 大きな声では言えないが「何を今さら!」というのが多くの人々の感想だろう。野鳥の会は紳士的だから、ハッキリとは言っていないが同じ思いの人は少なくないはずだ。
 日本の都市の「発展」は野生動物を締めだす方向をひた走ってきているのだから。
 
かつては、都市の近郊には田や畑があり、里山が広がっていてツバメをはじめ、サギ、カモ、トキだって普通にいたはずなのである。それらをすべて追い出して、数が減ってから大騒ぎするなど笑止だ。
 まだツバメがたくさんいた頃、糞で汚れるとか不衛生だという苦情が述べられていたではないか。
 いまだに虫をつかめない子どもたちや母親は多くいる。子どもが虫に触ることを好まない大人も多い。
 不潔、くさい、危険、アレルギー・・・いろいろな理由を付けて自然界を遠ざけて来たのは人間の側だ。

 かくして除菌剤や芳香剤が売りまくられ、「衛生的」な環境は保たれる。そこに供給される電力は原子力発電で「効率よく」作られて「便利」で「快適」な都市生活に満足した人々が量産されるのだろうか。

 そういう哲学とは共存できないかも知れないなあ、と寝ていて一瞬考えた。

2012年5月14日月曜日

鬼の霍乱です!

「霍乱」とは日射病のことらしい。
 「鬼の霍乱」普段、健康な人が珍しく病気になること。

 鬼は日射病に強いのだろうか。
 まあ、「鬼のように丈夫な者でも時には病気になる」ということだろう。

 今朝37.2℃だった体温は夜に38.0℃になっていた。
 それでも食欲は、ある。

 野生動物なら、ひたすら寝て回復を待つのだろう。
 私もそうする。

2012年5月13日日曜日

オスプレイの配備にミサゴは怒っているに違いない

北見市の近郊、津別町にチミケップ湖という湖がある。
 土砂崩れで川がせき止められて出来た湖で、周囲は深い森林に覆われている静かな場所だ。
 毎週のようにカヌーを持って湖へ行き、湖上を漕ぎまわっていた。

 あるとき、いつものように湖を周回していた。ちょうど、いつも漕ぎ出すキャンプ場の向かい側にさしかかった時、空から一羽の大きな鳥が急降下してきてカヌーの右舷側十メートルほど離れた場所にダイビングし、大きな魚をつかんで飛び去った。一瞬、何が起こったのか理解出来ず、呆然と見ていた。たぶん口を大きく開けていたかも知れない。
 ミサゴだった。

ミサゴは主として魚を食べるタカで、海岸の高い崖などに生息していることが多い。チミケップには、大きな鯉がたくさんいるようだし、湖の岸に高い樹木も多いから、ミサゴにとっては暮らしやすい場所なのかも知れない。
 それ以来、時々ミサゴと出会うようになったし、間近でダイビングを見せてくることも何度かあった。その場所を勝手に「ミサゴ湾」と名付け、カヌー仲間の友人たちもそう呼ぶようになった。
だからミサゴは、準絶滅危惧種に指定されているが、親しみを感じる鳥の一つだ。

 英名ospray(オスプレイ)という。
 あろうことか米軍は、この名前をV22という垂直離着陸機の愛称に使っている。戦争のための道具に、「ミサゴ」の名前を使われることにまず腹が立つ。
 そして、このV22は開発段階で重大な事故を繰り返した「問題の飛行機」でもある。主翼全体を上に向けてほぼ垂直に離着陸する独自の構造を持つなど、一般的な飛行機には見られない構造が事故を結びついたと言われている。
 もう一つの問題は騒音である。
 垂直に近い角度で離陸する場合、機体の浮上は揚力によらずエンジンとプロペラに依存する割合が大きい。当然、騒音は大きなものになる。
 「オスプレイ」はヘリコプターのような大きなプロペラを備えているから、騒音も大きいのだと思われる。

 海兵隊向けにMV22という形式が量産されているが、これが沖縄の海兵隊に配備されることになるらしい。
 「世界一危険」と言われている普天間に「世界一危険」な飛行機が配備される。
 「沖縄県民の痛みを少しでも分かち合う『きづな』は、いったいどこへ行ったのだろう」
 口を突いて出る言葉と、実際にやっていることが、これほど違う政治が、なぜ許される?

 チミケップのミサゴが口をきいたら、
 「こちらの『オスプレイ』を先に絶滅させろ」と言うに違いない。

2012年5月12日土曜日

地震学会の「反省文」

オホーツク海側のあちこちから雪の便りがあった。
 平地でもかなり積もっていて、真冬のような景色の所もある。
 先週、旅した時、オホーツク海沿いの地方は暖かく、サクラも咲いていた。こんな年もあり、五月の雪もそれほど珍しいものではないとわかっていても、ちょっと信じられない気持ちである。

 根釧原野は、北寄りの強い風が吹き荒れていて、手袋無しでは手がかじかむ温度ではあるが、雪が積もるまではいかない。今日は、歩いていてヒメイチゲに出会った。
 フキノトウ(フキ)とエゾエンゴサクばかり見てきたので、三番手のヒメイチゲとの出会いは、とても嬉しく感じた。 


「既存の理論に過度に依存した『思い込み』があった」
「学会内における議論は必ずしも盛んでない」
「学会の内外におけるコミュニケーションを深める」
「研究成果が教育やメディアの現場にどう伝わり、使われているか無自覚であった」
これらは、原子力学会の話ではない。
 日本地震学会が東日本大震災を想定できなかった反省から、従来の研究の問題点などを洗い出そうとする臨時委員会論文と提言を盛り込んだ意見集にある言葉だ。

 「地震学の今を問う」をテーマに会員から募った30本の論文が、これを踏まえた提言とともに、約170ページにわたる「意見集」にまとめられた。日本地震学会のホームページ http://www.zisin.jp/ で見ることが出来る。

 地震の予知は、社会生活と直結しているから非常に難しいと思う。
 昔の地質学しか習っていなかった僕には、現代社会に「緊急地震速報」があるだけでもすごいことだと感じる。
 マグニチュード9クラスの昨年の地震を予想できなかったことに、それほどの「反省」が必要とは、なかなか思えない。だが、時代はそれを求めているということなのだろう。
 大勢の人が亡くなり、甚大な被害が生じたのだから、地震発生の時期と規模をある程度でも予想しておくことが出来たら、という思いは研究者や被害者の間に強くあることは理解出来る。
荒ぶる自然と向き合い、自然の猛々しい振る舞いから人々を守るのが科学の役割だ。
 多くの科学者就中自然系の科学者は、そういう自覚をもって研究に取り組んでいることだろう。
 同時にわれわれも科学に限界があることを知っておくべきだと思う。
 予想はあくまでも予想なのだ。結果だけを見て安易に評価するべきではないだろう。

 それにしても地震学会のこのような姿勢を、原子力発電や放射線の人体への影響を研究している学者は、どう見ているのだろう。
 爪の垢を煎じて飲ませてやりたい、と思った人はたくさんいると思う。

2012年5月11日金曜日

足りないと言えば足りないし余っていると言えば余っているのダ

電気がね。  この夏の。  「足りない」ってどういうこと?  必要で、不可欠で、どうしても使いたいのに間に合わないとき、  「足りない」って言うんじゃないの?   本当か?  湯水のように使っているじゃないか?  自動販売機、パチンコ屋、自動ドア、短い距離のエスカレーターやエレベーター、  動く歩道、ムダな冷房 まだあるだろう?  「足りない」なんて原発を再開させたい奴らのデマゴーグ  作られたストーリーなんだ  まるで、霊感商法だ  「あなたは不幸だ」と言い  「自分は不幸」と思わせといて壺なんかを買わせる、あれだよ。あれ。  あんなものに騙されるのはマッピラだよね。  そんなに愚かじゃないよね。  電気が足りないというウソに騙されるのも  マッピラさ。

2012年5月10日木曜日

自然体験を深める教員研修

地上は、五月の太陽に照らされて気温が上がり、上空には寒気が流れ込んで来て、今日も大気の状態が不安定だったという。
 ただ、道東地方は、連日の霧で日照が遮られていたので、地表の気温もそれほど上昇していない。今日は5℃前後で推移する肌寒い一日だった。

 羅臼町内の中学校と高校の理科教員の研修があった。
 学校教育は、学習指導要領に基づいて行われるから、教員としての仕事は指導要領にある知識や技術の範囲に精通してれば一応はこなせることになる。
 だが、もちろんそれだけでは十分ではなく、教師個人の学術上の経験や自然体験などによって培われた自然観、生命観などを土台に、教育者としての知識や技術が形作られていなければならない。特に、羅臼町のような環境で理科教育就中自然史系の理科教育を行う場合、地元の自然を正しく認識し、今後どうあるべきかということなどにまで明確な展望をもった自然観を身につけておく必要がある。
 まして、地元の自然や歴史を直接教える内容に採り入れるとしたら、このことは欠かすことの出来ない条件となる。

 理科教員と言っても、専門や経歴は様々で、研究室から一歩も外に出ることなくひたすら室内での研究に明け暮れていた人もいる。そのような人は、フィールドのナマの自然環境と生徒の感性を結びつける以前に、自分自身の自然体験を再構築しなければならない。

 今日、行った研修は、そのために羅臼町内の理科の先生方に自然に向ける目差しを揃えてもらうための第一歩となった。だから、その場に中学校と高校の双方の先生方が集まったということに意義がある。幼稚園と小学校の先生方も来てくれれば、もっと良かったのであるが。

2012年5月9日水曜日

なにやら懐かしい「反科学」と時々出会うのだが

インターネットを見ていたら「森林は二酸化炭素を吸収しない」という記事が目に付いた。林野庁が出した「地球温暖化防止に向けて Q&A」への反論のようだ。  内容を要約してみる。  植物(主に樹木)は、光合成によって二酸化炭素を吸収し酸素を排出する。同時に呼吸も行うので、吸収される二酸化炭素の量は呼吸によって排出される二酸化炭素の量との差の分だけである。  同時に樹木が枯死するとそれは最終的には微生物によって分解される。その微生物も呼吸をおこなっているので二酸化炭素を生産する。  したがって総合的な収支は、二酸化炭素の吸収でも排出でもなく、森林は二酸化炭素を吸収も排出もしない。  以上のようなものだ。  この筆者がここで表明したかったことは、「樹木は光合成によって二酸化炭素を吸収するのだから地球温暖化防止に役立っている」という点だけを強調すると森林に対する見方が偏ってしまい、様々な生物が生息している複雑系として森林を見ることが出来なくなり、一部を「切り取った知識を詰め込むだけの教育は、現実の役に立たないどころか、誤った方向へと行きかねない危険性をも孕んでい」るという危惧だろう。 この考え方は正しいと思う。森林や海洋などの生態系はたらきを捉える時は、できるだけ遠い視点から全体の構造や動きを、個別の生物群集の関わり合いを観ることは必要だ。同時に、生態系を構成する種ひとつひとつの特徴、さらには一個体の体内や細胞内の生命活動に伴う化学反応まで把握しておく必要もあるだろう。  正しい認識のためには両方が必要で、決して一方を否定したり拒否したりすべきではない。物事を正しく認識するためには知識も必要で、今まで積み上げられてきた教育の体系を全否定するべきものではないだろう。  最近、国家的な隠蔽工作や放射線の影響に対して楽観的な見方を、恣意的に押しつけようとする動きがあったりして、「権威」に対する忌避感を抱く人が増えているように感じる。忌避の感情を強く持つあまり、過去に検証され定着してきた客観的な事実をも否定しようとする傾向も見受けられる。  一本の樹木生涯を追跡すると二酸化炭素は吸収も排出もされることはないが、森林全体としては、二酸化炭素をセルロースその他の物質の形で蓄積していることは事実だ。そして、樹木の寿命を考えるとその蓄積の時間は、数千年単位のものも普通にある。  だから、二酸化炭素の固定量にとって、地球上の森林面積がどれほど維持されているかは重要な要素だし、森林面積が年々減少していることは深刻な問題なのである。  森林の二酸化炭素吸収能力を過度に強調するのも問題があると思うが、それを過小に評価するのもやはり誤りではないだろうか。  いずれにしても、研究機関や教育機関が、言葉の正しい意味における権威をもって、われわれを導いてくれていれば、このような混乱は生じなかっただろうと、僕は思う。

2012年5月8日火曜日

雷を眺めながら






 一日中、どこかに霧が漂っている一日だったが、山の上は晴れて美しい青空を見ることが出来た。
 「今日はチャンスだ」と思い、予定を変更して知床峠に登った。
 羅臼高校3年生の「野外活動」の授業でのことだ。地元の羅臼に住んでいても、空気が透き通って青空が広がっている羅臼岳を間近に眺める機会はなかなか無い。
 峠の頂上に着くと、羅臼岳は手の届きそう近さに見える。いつも見上げている山ではあるが、生徒たちはみな、それぞれの言葉で感動を表現していた。

 これほどまで空気がきれいなのは、激しい雨が降ったためだ。日曜日の夕方から夜にかけて降った雨は、雷も伴っていて、非常に激しいものだった。
 その雨が降った時、僕は釧路市のはずれにいた。

 雷は海にも落ちると聞いたことがあった。
 一昨日、旅の終わり頃、国道38号線を通って釧路市に入った。釧路市の入り口、旧音別町に馬主来沼(パシクル沼)という沼があり、そこで休憩をとった。
 停車している間に雨脚が激しくなり雷も鳴り出した。つくば市などに竜巻をもたらした大気の状態と同じようになったわけだ。

 しばらくは、雲の中でくぐもったような光り方が繰り返されていたが、やがてガマンの限界を超えたみたいに稲妻が雲から海面に走るようになった。それは、確かに空中放電による光なのだが、太さと長さは、それまで見たこともないスケールだった。

 この世には、70年や100年生きていても経験できない自然現象が無数にあると、しみじみ思った。
 災害には結びつかない現象で、新聞などで取り上げられることもない「ありふれた」落雷ですら見ている者をこれほどに驚かせ高揚させる。大地震や大津波、強い竜巻など予測をはるかに上回る自然現象は、いくらでもあるのだろう。

 あらためて自然の力の偉大さを認識したひと時であった。

2012年5月7日月曜日

都市で暮らす山菜愛好者に問う

昨日、伊達市大滝地区(旧胆振管内大滝村)から美笛峠、支笏湖畔を通り千歳市へ向かう道を走った。
 千歳川沿いのその道は、気持ちの良い雑木林の中を延びている。
 その林の始まりからおしまいまで、途切れることなく山菜採りの人々の車が駐められていた。山菜採りとおぼしき人々の車は支笏湖畔から始まっていたが、総数にして百台や二百台ではきかないだろう。  

厳しい冬から解放され、野山にでかけ、春の光を浴びつつ自然のご馳走を探す楽しさは、僕自身もしていることだから強く共感できる。皆、顔をほころばせてビニールの袋に山菜を詰め込んでいた。圧倒的に高齢者が多いようだ。

 しかし、正直なところ同時に少々心配にもなった。
 あれほど大勢の人々が山林に入り、特定の植物を採ったら、その地域でその種は、絶えてしまうのではないだろうか、ということだ。資源は有限なのである。

 あれほど大勢の人々が自然の資源を利用する場合、将来にわたっても持続的に利用可能であるような、科学的な管理が必要になるのではないだろうか。
山菜採りの人々は、周囲で大勢が山菜採りをしていると、どうしても競争心が強まるだろう。
(そして、世には「競争は良いこと」という偏った価値観が奨励されている風潮もある。) その結果、収穫量は、「必要とする量」ではなく、「隣人より少しでも多く」という基準で決められは、しないだろうか。
 かくして、いくつかの特定の種が、山野から姿を消すなら悲しい。
 実は、この現象は既に始まっているのかも知れない。というのは、道東のこの地方にさえ、札幌ナンバーの車が道ばたに駐められ、山菜を採っている人の姿をよく見かけるのだ。

 山菜採りに来ている人々は、健全な精神の持ち主が多いと思う。(思いたい。)自然を愛するからこそ、野山に分け入って来るのだろうから。そして、子どもや孫のいる世代が多いと思う。皆、子や孫を可愛がっている人々だと思う。その子どもや孫たちの時代やさらにその先の世代にも、今と同じように山菜を採り、味わう楽しみを残しておいてやろうというのが愛情なのではないだろうか。

 現在の採り方は異常だ。法的な規制は無い。無いからこそ自らの内なる自制心で「自分が食べる分量だけいただく」という気持ちになれないのだろうか。

 「そうは言うが、自分だけ自主規制しても自分が取り残した分を他人が採ってしまえば 同じことじゃないか」という反論が聞こえてきそうだ。
 さが、待て。待ってもらいたい。

 資源も環境も未来のことを考えず、現在使用可能なものはすべて使い尽くす、という構図は、どこかにないか?そう。原子力発電がまさにそれに当たる。

 原子力発電を推進し、いまだにそれにしがみつき、利権に群がっている人々。
 (作為的なデマかも知れないが)電力供給不足に陥るという脅しに乗せられて、「便利で快適な」生活を捨てられない人々と、取り憑かれたように自分が食べる量の何倍、何十倍もの山菜を採りまくる人々と、精神の構造はよく似ているのではないだろうか。

2012年5月6日日曜日

風の旅 第四日 最終日 旅の原点

3泊4日の旅が終わった。
 昨晩、駐泊した伊達市大滝の道の駅を朝7時40分に出発し、途中は千歳東インターから清水インターまで高速道路を利用した。
 北海道の背骨のような日高山脈や大雪山地を効率よく安全に越えるためには、高速道路はありがたい存在であることも事実だ。
 夕方、18時50分、激しい雷雨にせき立てられるように帰着した。とにかく無事であった。

 終わってみれば、別海町を出発し、宗谷岬、積丹岬を経由し、羊蹄山の裾野を横切って内陸を真東に横断して帰って来た。北海道を半周したことになる。
前旅程のうち最初の3日間は、一日およそ200キロメートル程度走っていた。あちこちに立ち寄りながらのんびりと進んだことになる。

 普段は、出発地と目的地を出来るだけ短時間で移動するという旅しかできないものだ。それもやむを得ないとは思うのだが、本当の旅の醍醐味は、その移動距離に見合った経験や体験、出会いなどを含む収穫を期待すべきものではないだろうか。
 その意味で、今回は、本来の旅ができたように思う。
日頃、したいと思っていてもなかなか出来ないことができた達成感がある。

2012年5月5日土曜日

2012年5月5日 神話の崩れる時

今日、北電泊原子力発電所 三号機が停止し、日本の原子力発電は、すべて停止した。 それは、「技術」に絶大なる自信を持っていた日本の原子力産業の敗北が始まる日かもしれない。 その記念として泊村にある「北電の原子力PRセンターとまりん館」を見学してきた。巨大な建物にエスカレーターもエレベーターもある。展示物にも莫大な電力を消費している。泊原発が停止したら、これらを動かす電力は、すべて原子力以外から供給されることになる。  放射線の危険性について具体的な説明が一切ないことが印象深いこの施設は、原発と同時に停止させるべきだと思った。 とまりん館に行く途中に、原子力発電所へと向かう道の分岐点があり、ものものしい雰囲気で警備員が大勢立哨していた。  原子力施設を守るために、これほどの警備が必要なのは、何を怖れているためだろう?警備のあり方そのものが、原発の存在の怪しさを雄弁に語っていた。  これからの科学技術は、自主的で、民主的で、公開されたものであるべきで、決して一握りの「有能」な技術者集団とそれを囲い込んだ利益共同体とが、ブラックボックス化して独占するようなものであってはならない。

2012年5月4日金曜日

風の旅 第二日 ルルモッペ黄金海岸駐泊

 雄武町を朝7時半に出発。  近づく低気圧から逃げるように宗谷岬を目指す。それでもこの大きな低気圧は、全道くまなく雨を降らせているらしく、出発の時はすでに強い雨となっていた。  変化のないオホーツク海沿いの道も、枝幸町を過ぎると柱状節理の崖が現れ、火山活動の名残りを見せてくれる。鋭く切り立った神威岬のトンネルを抜けると浜頓別の町だ。  どの町もそうなのだが、休日には休業している商店が目立つ。  消費者は、クルマで、遠い都会(と言っても知れているが)へと出かけ、買い物に来る客も、売る側の店員も町から出て行く構図が透けて見える。  それは、稚内でも同様だった。  稚内からは日本海岸を南へ南へと進む。  道ばたでエゾエンゴサクの大きな群生地を見つけた。ここは、サロベツ原野のはずれにあたる場所だ。  手塩、羽幌、初山別と進んで18時少し前に留萌市に入った。  「ルルモッペ」という名の橋があったが、これ「留萌(るもい)」の語源なのだろうか。  明日は、もう少し南下を続けたい。

2012年5月3日木曜日

風の旅 第一日 オホーツク斜面を駆けのぼる

旅に出た。  トレーラーを曳いて。 行き先のあては無い。  五月五日に泊の原子炉が停止する。その日に泊村に行ってみようか、という漠然とした目的のようなものをもっている。しかし、ダイレクトに日本海側に向かわず、オホーツク海岸をひたすら走り、雄武町まで来た。  せっかくここまで来たのだから、宗谷岬を回って日本海に入ってみようかと、これも漠然と考えている。  日没頃には駐泊し、日の出とともに起き出して走り始める。  そう、長い間ではないけれど、しばらくは、思いつきという風に身をまかせてみようかと考えている。

2012年5月2日水曜日

末期の青函連絡船に公共交通機関の原点を見た

青函トンネルが開通し、連絡船が廃止される直前、自動車航送を利用したことがある。
 深夜の便で、船は石狩丸だった。

 客船の主役たちは津軽丸、八甲田丸、松前丸、羊蹄丸、大雪丸、摩周丸、十和田丸の7隻で、貨物船を改造した石狩丸には、売店も食堂も無く、旅に出る高揚感とは無縁のうら寂しい雰囲気が漂っていた。
 それは、青函連絡船との別れにふさわしいようにも思った。

 石狩丸、1982年に自動車航送用に改造されたもので、貨物の他に自動車航送の専用便に使われていた。

 桟橋から鉄製の急な斜路を登って船内に入ると角ごとに係の人がいて、駐車位置まで誘導してくれる。やがて、所定の位置に車を停めると、船が揺れた時、動き出すのを防ぐためにワイヤーで固定する。
 1954年の洞爺丸台風の時は、貨車甲板で貨車を固定していたワイヤーが切れ、船の中を貨車が走り回ったということを聞いた。そのため、この作業は非常に重要なものだ。
 それは、民間のフェリーも同じだ。驚いたのは、固定するワイヤーを4本もかけたことだ。津軽海峡の波は荒いとは言え、わずか4時間足らずの航海だ。
 30時間以上もかかって小樽から舞鶴まで日本海を航行するフェリーでも前後に二本のワイヤーをかけて固定するだけだった。
「なんと大袈裟なことをするものだ」と思った。しかし、その考えは、一瞬の後には感心に変わった。
 青函連絡船には80年の歴史がある。その間には、たくさんの事故や事故寸前の事態があり、様々な気象現象に遭遇して経験が蓄積されているのだ。
 船は、いったん港を出ると、荒々しい自然の凶暴さと自分の力だけで向き合わねばならない。そのためには、十二分の安全策が必要なのである。

 極端に効率や経済性を追求し過ぎると、4本のワイヤーを2本にし、作業員の数を減らし、結果的には安全性が限りなく失われていく。普段の海上ならそれで間に合うかも知れない。しかし、ひとたび時化るとそんな些細な弱点から、取り返しのつかない事故が起きないとも限らない。安全のためには「必要な無駄」というものは、あるのだ。

 これが当時の国鉄のやり方だったし、それは決して間違っていなかったと思う。
 公共交通機関は、経営を採算だけで考えるべきでないと思うから。よく言われることだが消防や警察に「採算」を求めるだろうか。
 公共交通機関は、高い安全性のもとに、国民が等しく適正な価格で、恩恵を享受できるものであるべきだと思う。

 鉄道の恩恵などどこを探しても皆無の知床半島に住んでいて、強くそう思うのだ。そして、高速道路での深夜バス事故のニュースに接するたびに、あの夜の石狩丸のことが思い出されてならない。

2012年5月1日火曜日

ヤナギの花が満開

今日は、南から強い風が吹いて気温が上がった。
 山を越えた網走側では、フェーン現象によってさらに高温だったらしいがこちら根室側でも虫が飛び回っていた。
 今日、出会った虫たち。
 クジャクチョウ
 コヒオドシ
 ハエの仲間。
 エゾオオマルハナバチの女王
 エゾアカマルハナバチの女王

 まだ開花している花が少ないので、咲き始めたエゾノバッコヤナギの花に群がっていた。
 ヤナギの仲間は種類が多く、種類を区別するのは僕にとっては難しい。普段の観察会でも、
「あ、これはヤナギの仲間ですね」でごまかすことが多い。
 しかし、バッコヤナギは、道央、道東、道北のどこにでもある樹木で、樹高が高くよく目立つので、種名まで覚えている数少ないヤナギの仲間なのだ。冬芽が無毛で、春早くに花をつける。雌雄異株だが、雄花も雌花も比較的わかりやすい。

 ハンノキやヤチダモ、ホウノキなどはまだ冬芽を固く閉じたままでいる。朝寝坊を楽しんでいるかのようだ。
 しかし、ヤナギの仲間は、芽を吹き始めている者が多い。バッコヤナギもその一つだ。

 「バッコヤナギ」とは変わった名前だが漢字で書くと「跋扈」と書くようだ。どうしてそんな文字が当てられたのか、どうもわからない。
 ただ、「バッコ」は「婆っこ」のことで、花の咲いた後に出てくる白い繊毛をおばあさんの白髪に見立てたとか、樹形が腰の曲がった老人のように見えるからだという説をよく聞く。別名「ヤマネコヤナギ」とも言う。

 ヤナギの仲間にはネコヤナギ、イヌコリヤナギ、キツネヤナギなど動物の名前の付いたヤナギも多い。
 「タライカヤナギ」という種類もあるが、これは、鱈ともイカとも無関係のようだ。