南よりの風が入ってきて暖かな一日だった。冷涼な気候に慣れている羅臼の子どもたちには、もう一押しで「暑い」と言わせる気温だったのではないか。
沖縄を台風が通過しているようなのだがどういう状態になっているのか、さっぱりわからない。ニュースで取り上げられないのだ。これが、東京に接近している場合には、しつこいほど繰り返し、こちらの生活は無関係の詳細な鉄道路線の運転状況まで聞かされる。
この扱い方の違いは何故だ。
人口の密集度が違うから、ニュースへの需要が違うと言われればそれまでだが。
では、今日、小さく取り上げられていた。千葉県のいすみ市の大原漁港で、大量のイワシ(カタクチイワシ)が漁港内に入り込み、4日朝にほとんど死んだ状態になって発見された、というニュースはどうか?
総量は200トンにのぼるという。
カタクチイワシ一匹は、20cmの体長として20グラムと仮定して1000万匹だ。
僕は、このニュースを帰宅してから知った。
魚の大量死は時々あるから、それほどのニュースバリューはないのだろうか。
直接の原因は、狭い港に大量のイワシが入り込んだことによる酸欠ではないかとも言われているが、確かなことはわからないという。
動物の異常な行動が、しばしば大きな天災の前に起こることもある。千葉県付近では、中小の地震も頻発している。
地震と魚の異常行動を根拠なく結びつけて考えるべきではないかも知れないが、この大量死のニュースをもう少し詳しく知りたいと思った。そして、過去の事例や現在の状況を的確に把握している専門家の意見も聞いてみたい。
だが、このニュースもあまり取り上げられていなかったようだ。
原発事故以来、ニュースを流す側への不信感も強まっている。
マスコミには、健全さを保ち、少数者や過疎地のことをもう少し注意深く扱って欲しいと願うのだが。
2012年6月5日火曜日
2012年6月4日月曜日
牙を磨け、爪を研げ
昨日の小ブログに次のように書いた。(再録します)
「本当は、昨年の福島第一原発の事故が、それをするための絶好の機会だったし、そう することこそ、地震、津波などで失われた多くの生命に報いる方策だったと思う。
しかし、現実は、それとは反対を向いて動き出そうとしている。なんと愚かなことだ ろう。喉元過ぎれば熱さを忘れる野田。」
言うまでもなく末尾の「野田」は野田総理大臣のこと。変換ミスではない。
原発の問題にしても、消費税論議を含む富の偏りにしても、国民の意見・感情と政治が、これほど乖離(かいり)して、対立したことは、それほど無かったのではないか。
60年安保、70年安保などの反対運動の高まりに手を焼いた支配者は、反対運動の牙を巧妙に抜く手法を開発し、国民支配の技術を磨いた。
優秀なエリートを育て、国家機構の要所要所に配置し、国民支配を徹底した成果が顕れているのが今日の状況だ。
今、日本の国民は、日本以外の国なら、とっくに政府を転覆させてもおかしくないほどの状況に置かれていながら、なお家畜のように温和しくしているのではないか。
押しつぶされたバネは、いつか必ず反発する。時間は、かかるかも知れないが。
圧力が強いほど、虐げられた期間が長いほど、その反動は大きな津波となって、すべての悪意を呑み込むに違いない。
牙を失ったように見えるが、失われた牙の下で新たな牙が磨かれ
爪を抜かれてしまったように見えるが、
抜かれた爪の根元で新たな爪が研がれているはずだ。
僕らはそれを忘れてはならない。
「本当は、昨年の福島第一原発の事故が、それをするための絶好の機会だったし、そう することこそ、地震、津波などで失われた多くの生命に報いる方策だったと思う。
しかし、現実は、それとは反対を向いて動き出そうとしている。なんと愚かなことだ ろう。喉元過ぎれば熱さを忘れる野田。」
言うまでもなく末尾の「野田」は野田総理大臣のこと。変換ミスではない。
原発の問題にしても、消費税論議を含む富の偏りにしても、国民の意見・感情と政治が、これほど乖離(かいり)して、対立したことは、それほど無かったのではないか。
60年安保、70年安保などの反対運動の高まりに手を焼いた支配者は、反対運動の牙を巧妙に抜く手法を開発し、国民支配の技術を磨いた。
優秀なエリートを育て、国家機構の要所要所に配置し、国民支配を徹底した成果が顕れているのが今日の状況だ。
今、日本の国民は、日本以外の国なら、とっくに政府を転覆させてもおかしくないほどの状況に置かれていながら、なお家畜のように温和しくしているのではないか。
押しつぶされたバネは、いつか必ず反発する。時間は、かかるかも知れないが。
圧力が強いほど、虐げられた期間が長いほど、その反動は大きな津波となって、すべての悪意を呑み込むに違いない。
牙を失ったように見えるが、失われた牙の下で新たな牙が磨かれ
爪を抜かれてしまったように見えるが、
抜かれた爪の根元で新たな爪が研がれているはずだ。
僕らはそれを忘れてはならない。
2012年5月2日水曜日
末期の青函連絡船に公共交通機関の原点を見た
青函トンネルが開通し、連絡船が廃止される直前、自動車航送を利用したことがある。
深夜の便で、船は石狩丸だった。
客船の主役たちは津軽丸、八甲田丸、松前丸、羊蹄丸、大雪丸、摩周丸、十和田丸の7隻で、貨物船を改造した石狩丸には、売店も食堂も無く、旅に出る高揚感とは無縁のうら寂しい雰囲気が漂っていた。
それは、青函連絡船との別れにふさわしいようにも思った。
石狩丸、1982年に自動車航送用に改造されたもので、貨物の他に自動車航送の専用便に使われていた。
桟橋から鉄製の急な斜路を登って船内に入ると角ごとに係の人がいて、駐車位置まで誘導してくれる。やがて、所定の位置に車を停めると、船が揺れた時、動き出すのを防ぐためにワイヤーで固定する。
1954年の洞爺丸台風の時は、貨車甲板で貨車を固定していたワイヤーが切れ、船の中を貨車が走り回ったということを聞いた。そのため、この作業は非常に重要なものだ。
それは、民間のフェリーも同じだ。驚いたのは、固定するワイヤーを4本もかけたことだ。津軽海峡の波は荒いとは言え、わずか4時間足らずの航海だ。
30時間以上もかかって小樽から舞鶴まで日本海を航行するフェリーでも前後に二本のワイヤーをかけて固定するだけだった。
「なんと大袈裟なことをするものだ」と思った。しかし、その考えは、一瞬の後には感心に変わった。
青函連絡船には80年の歴史がある。その間には、たくさんの事故や事故寸前の事態があり、様々な気象現象に遭遇して経験が蓄積されているのだ。
船は、いったん港を出ると、荒々しい自然の凶暴さと自分の力だけで向き合わねばならない。そのためには、十二分の安全策が必要なのである。
極端に効率や経済性を追求し過ぎると、4本のワイヤーを2本にし、作業員の数を減らし、結果的には安全性が限りなく失われていく。普段の海上ならそれで間に合うかも知れない。しかし、ひとたび時化るとそんな些細な弱点から、取り返しのつかない事故が起きないとも限らない。安全のためには「必要な無駄」というものは、あるのだ。
これが当時の国鉄のやり方だったし、それは決して間違っていなかったと思う。
公共交通機関は、経営を採算だけで考えるべきでないと思うから。よく言われることだが消防や警察に「採算」を求めるだろうか。
公共交通機関は、高い安全性のもとに、国民が等しく適正な価格で、恩恵を享受できるものであるべきだと思う。
鉄道の恩恵などどこを探しても皆無の知床半島に住んでいて、強くそう思うのだ。そして、高速道路での深夜バス事故のニュースに接するたびに、あの夜の石狩丸のことが思い出されてならない。
深夜の便で、船は石狩丸だった。
客船の主役たちは津軽丸、八甲田丸、松前丸、羊蹄丸、大雪丸、摩周丸、十和田丸の7隻で、貨物船を改造した石狩丸には、売店も食堂も無く、旅に出る高揚感とは無縁のうら寂しい雰囲気が漂っていた。
それは、青函連絡船との別れにふさわしいようにも思った。
石狩丸、1982年に自動車航送用に改造されたもので、貨物の他に自動車航送の専用便に使われていた。
桟橋から鉄製の急な斜路を登って船内に入ると角ごとに係の人がいて、駐車位置まで誘導してくれる。やがて、所定の位置に車を停めると、船が揺れた時、動き出すのを防ぐためにワイヤーで固定する。
1954年の洞爺丸台風の時は、貨車甲板で貨車を固定していたワイヤーが切れ、船の中を貨車が走り回ったということを聞いた。そのため、この作業は非常に重要なものだ。
それは、民間のフェリーも同じだ。驚いたのは、固定するワイヤーを4本もかけたことだ。津軽海峡の波は荒いとは言え、わずか4時間足らずの航海だ。
30時間以上もかかって小樽から舞鶴まで日本海を航行するフェリーでも前後に二本のワイヤーをかけて固定するだけだった。
「なんと大袈裟なことをするものだ」と思った。しかし、その考えは、一瞬の後には感心に変わった。
青函連絡船には80年の歴史がある。その間には、たくさんの事故や事故寸前の事態があり、様々な気象現象に遭遇して経験が蓄積されているのだ。
船は、いったん港を出ると、荒々しい自然の凶暴さと自分の力だけで向き合わねばならない。そのためには、十二分の安全策が必要なのである。
極端に効率や経済性を追求し過ぎると、4本のワイヤーを2本にし、作業員の数を減らし、結果的には安全性が限りなく失われていく。普段の海上ならそれで間に合うかも知れない。しかし、ひとたび時化るとそんな些細な弱点から、取り返しのつかない事故が起きないとも限らない。安全のためには「必要な無駄」というものは、あるのだ。
これが当時の国鉄のやり方だったし、それは決して間違っていなかったと思う。
公共交通機関は、経営を採算だけで考えるべきでないと思うから。よく言われることだが消防や警察に「採算」を求めるだろうか。
公共交通機関は、高い安全性のもとに、国民が等しく適正な価格で、恩恵を享受できるものであるべきだと思う。
鉄道の恩恵などどこを探しても皆無の知床半島に住んでいて、強くそう思うのだ。そして、高速道路での深夜バス事故のニュースに接するたびに、あの夜の石狩丸のことが思い出されてならない。
2012年4月18日水曜日
腐った言葉
この頃「腐った言葉」が多すぎる。
いわく「丁寧に説明する」
いわく「ご理解いただく」
ちょっと調子が異なっているが、昨年の原発事故の時から、
「ただちに健康に影響のある(放射線の)量ではない」と言う言い回しは、有名になった。 先日は、
「現時点では安全を確保している」というのもあった。
これを聞いて、シェークスピアの「マクベス」に出てくる魔女の予言を思い出した。
将軍マクベスは、夫人にせき立てられ、王を殺して自分が王位に就く。また、王の地位を守るために殺人を繰り返し、勇猛果敢だが小心であるため、自らの将来へ、ますます不安を膨らませる。
不安を鎮めるため、魔女たちのもとを訪れたマクベスに、魔女たちはこんな予言を授けるのだ。
「女から生まれたものはマクベスを倒せない」
「バーナムの森が進撃して来ないかぎり安泰だ」
女から生まれない人間はいない。
森の木が進軍してくる事はありえない。
マクベスは安堵する。
しかし、マクベスに暗殺された者の子どもたちやマクベスの暴政を憎む者が立ち上がり
マクベスの城へイングランド軍が攻めかかる。
味方も次々に寝返り、情勢はマクベスに不利になるが、彼は理性をなくし、「バーナムの森が動かない限り安泰だ」、「女が生んだものには自分を倒せない」という予言にすがって、自分は無敵だと信じて籠城する。
そこへ、バーナムの森が向かってくるという報告が入る。実はイングランド軍が木の枝を隠れ蓑にして進軍していたのだが、森が動いているように見えたのである。
マクベスは自暴自棄となって、戦場に出て行き、敵の将軍マクダフと対決する。
マクダフに対して、マクベスは「女から生まれた者には殺されない」と告げると、マクダフは「私は母の腹を破って(帝王切開)出てきた」と明かす。
最後の望みに見放されたマクベスは、破滅する。
魔女の予言には、あらかじめ二重の意味が織り込まれていて、最終的にはマクベスの解釈が誤っていた、というわけだ。
このような言葉のトリックは、昔からあるものなのだそうだ。
日本政府は、魔女が用いた言葉のトリックで国民を破滅に導こうとしている。
「丁寧に説明する」とは、「とにかく、しつこく言い続ける」という意味だし、
「ご理解頂く」とは、「どんなに反対しても強行する」という意味にほかならない。
言葉としての品格が地に落ちている。
腐っている。
言葉には魂が宿っている。
言葉を貶める政治は、魂を貶める政治だ。
いわく「丁寧に説明する」
いわく「ご理解いただく」
ちょっと調子が異なっているが、昨年の原発事故の時から、
「ただちに健康に影響のある(放射線の)量ではない」と言う言い回しは、有名になった。 先日は、
「現時点では安全を確保している」というのもあった。
これを聞いて、シェークスピアの「マクベス」に出てくる魔女の予言を思い出した。
将軍マクベスは、夫人にせき立てられ、王を殺して自分が王位に就く。また、王の地位を守るために殺人を繰り返し、勇猛果敢だが小心であるため、自らの将来へ、ますます不安を膨らませる。
不安を鎮めるため、魔女たちのもとを訪れたマクベスに、魔女たちはこんな予言を授けるのだ。
「女から生まれたものはマクベスを倒せない」
「バーナムの森が進撃して来ないかぎり安泰だ」
女から生まれない人間はいない。
森の木が進軍してくる事はありえない。
マクベスは安堵する。
しかし、マクベスに暗殺された者の子どもたちやマクベスの暴政を憎む者が立ち上がり
マクベスの城へイングランド軍が攻めかかる。
味方も次々に寝返り、情勢はマクベスに不利になるが、彼は理性をなくし、「バーナムの森が動かない限り安泰だ」、「女が生んだものには自分を倒せない」という予言にすがって、自分は無敵だと信じて籠城する。
そこへ、バーナムの森が向かってくるという報告が入る。実はイングランド軍が木の枝を隠れ蓑にして進軍していたのだが、森が動いているように見えたのである。
マクベスは自暴自棄となって、戦場に出て行き、敵の将軍マクダフと対決する。
マクダフに対して、マクベスは「女から生まれた者には殺されない」と告げると、マクダフは「私は母の腹を破って(帝王切開)出てきた」と明かす。
最後の望みに見放されたマクベスは、破滅する。
魔女の予言には、あらかじめ二重の意味が織り込まれていて、最終的にはマクベスの解釈が誤っていた、というわけだ。
このような言葉のトリックは、昔からあるものなのだそうだ。
日本政府は、魔女が用いた言葉のトリックで国民を破滅に導こうとしている。
「丁寧に説明する」とは、「とにかく、しつこく言い続ける」という意味だし、
「ご理解頂く」とは、「どんなに反対しても強行する」という意味にほかならない。
言葉としての品格が地に落ちている。
腐っている。
言葉には魂が宿っている。
言葉を貶める政治は、魂を貶める政治だ。
2012年4月5日木曜日
動物の生き方
日曜日など、家で一人きりになることがある。
朝から夜まで、一人のニンゲンにも会わずに数日過ごすこともある。このような状況は、都会で生活している人には想像し難いかも知れない。ある意味で、貴重な体験なのかも知れない。
ただ、まるっきりの孤独ではない。ネコがいる。イヌがいる。サンショウウオがいる。外に出るとウマがいる。そして、原野や森を歩くと小鳥たち、カラス、オジロワシ、無数のシカなどに出会う。
夏ならば、野生の花々が咲き競い、チョウやハチが飛び回っている。
だから孤独ではないし、寂しいこともない。
動物たちを見ていて考える。彼らはどこまでも真面目だ。感情の表し方もごく控えめだ。ひたすら黙々と生きている。運命に逆らわず、黙って状況を受け入れている。
ニンゲンは、こんな野生の動物たちに甘え過ぎてきたのではないか。
土地が必要な時は、海岸を埋め立てる。木材が必要な時は、迷うことなく森林を伐採する。畑を作りたいから、と原野を開墾する。砂が必要なら海岸や河原から大量の砂を運ぶ。ゴルフがしたいと言って、里山の森を切り開く。
何もするな、と言うのではない。
様々な事情で、やむなく開発行為をしなければならないことはあるだろう。ニンゲンは自然環境に手を加えなければ生きて行かれなくなった動物だから。
だが、目の前にある環境に手を加える時、たとえそれが小さな穴を一つ掘るだけでも、そこで暮らしている無数の命のことを考えてみてはどうだろう。
野生の生き物たちは、ニンゲンが必要とすれば、黙ってその場所を明け渡してくれる。それに対して、黙ったままでよいから心の中で感謝すべきではないのか。
そんな心の持ち方が枯渇しきってしまっているところに、現代社会の悲劇の根源があるように思える。
朝から夜まで、一人のニンゲンにも会わずに数日過ごすこともある。このような状況は、都会で生活している人には想像し難いかも知れない。ある意味で、貴重な体験なのかも知れない。
ただ、まるっきりの孤独ではない。ネコがいる。イヌがいる。サンショウウオがいる。外に出るとウマがいる。そして、原野や森を歩くと小鳥たち、カラス、オジロワシ、無数のシカなどに出会う。
夏ならば、野生の花々が咲き競い、チョウやハチが飛び回っている。
だから孤独ではないし、寂しいこともない。
動物たちを見ていて考える。彼らはどこまでも真面目だ。感情の表し方もごく控えめだ。ひたすら黙々と生きている。運命に逆らわず、黙って状況を受け入れている。
ニンゲンは、こんな野生の動物たちに甘え過ぎてきたのではないか。
土地が必要な時は、海岸を埋め立てる。木材が必要な時は、迷うことなく森林を伐採する。畑を作りたいから、と原野を開墾する。砂が必要なら海岸や河原から大量の砂を運ぶ。ゴルフがしたいと言って、里山の森を切り開く。
何もするな、と言うのではない。
様々な事情で、やむなく開発行為をしなければならないことはあるだろう。ニンゲンは自然環境に手を加えなければ生きて行かれなくなった動物だから。
だが、目の前にある環境に手を加える時、たとえそれが小さな穴を一つ掘るだけでも、そこで暮らしている無数の命のことを考えてみてはどうだろう。
野生の生き物たちは、ニンゲンが必要とすれば、黙ってその場所を明け渡してくれる。それに対して、黙ったままでよいから心の中で感謝すべきではないのか。
そんな心の持ち方が枯渇しきってしまっているところに、現代社会の悲劇の根源があるように思える。
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