2009年6月30日火曜日

クジラと遊んだ日  海での一日




 海の上の一日だった。
 午前中、羅臼海上保安署の巡視船「てしお」に乗せてもらい、体験航海。僚船「かわぎり」が横を疾走して見せてくれた。もう、何度も乗せてもらっているのだが、乗るたびにワクワクする。

 午後は知床ネーチャークルーズの「エヴァーグリーン」。6月12日以来18日ぶりに姿を現したマッコウクジラを何度も観察できた。マッコウクジラも、何回観ても、飽きるということはない。
 あの呼吸のリズム。潜水を始める時、高々と掲げる尾。「観ている」のではなく「見せてもらっている」のではないか、と思ってしまう。

 明日から、クジラのことを少し考えてみることにする。

2009年6月29日月曜日

今日という一日

 午前中、植え別中学校でクマ学習。
午後、根室管内教育委員研修会で講演。分不相応にも「知床の生態系」どちらも耳学問で聞いた知識の受け売りである。面目ない。
 それでも、どうにかこうにか「形」がついているのは、日頃親しく接してくれるそれぞれの分野の専門家、研究者のお陰に他ならない。まさに「他人の褌で相撲をとっている」という状態なのである。
 もう一つ、大きく助けてくれているのは知床の自然の懐深い豊かさであろう。要するに僕は、迫力ある知床の自然とそれに一生を賭けて研究する研究者のナマの言葉を多くの人々にわかりやすいように伝えるインタープリター(翻訳者)なのだなあ。もちろん、そのような立場に満足している。優れたインタプリターたることを目指して、これからも努力していかなければならないだろう。

 明日は、教育委員の一行とともに船で根室海峡に出る。霧が出ないことを祈らずにいられない。 

2009年6月28日日曜日

日曜日

 今日は、一人の人間にも会っていない。
 ずっと家に籠もっていた。
 もちろん原野を歩き回ったり、ニワトリの小屋を直したりしたが。
それと、ヤナギの樹の下にずっと放置していた廃車したワンボックス車を移動して、ニワトリの飼料の保管庫として使うことにした。長い間動かせなかった三菱デリカは、重く、アルクティカでは動かせなかった。昨年夏、登録を抹消したアルカディアで牽引したらアッサリと動いた。アルカディアはまだ、我が家には必要な車である。
 こんな日もたまにあって良い。

2009年6月27日土曜日

映画「劔岳 点の記」

「劔岳(つるぎだけ) 点の記」を観てきた。
新田次郎昨の原作は読んでいた。
明治時代、日本全土の地形図完成させる過程で、最後の空白地域の一つだった立山地方の測量の最後の三角点を当時未踏だった劔岳山頂に設置する時の物語である。
劔岳は氷河に削り取られた氷食尖峰で、北から東に向かって、大窓・小窓・三ノ窓と呼ばれる懸垂氷食谷があり、登頂を阻むような岩壁が立ちはだかっている。さらに、日本海を渡ってくる季節風と太平洋から風が複雑な地形にぶつかる厳しい気象条件が人を拒み続けてきた。
 日本山岳会との初登頂争い、陸軍参謀本部と測量をする現場技術者との軋轢、山岳信仰や民俗文化との葛藤などなど「ドラマ」になる要素はタップリとあるのだが、何よりも「地図を作りたい」という測量官・柴崎芳太郎の堅い意志と地元の案内人である宇治長次郎(うじ ちょうじろう、1872~1945)の人間としての対等な信頼関係など感動的な所が随所にあった。
 また、「八甲田山」など数々の映画でカメラマンを務めた木村大作さんの初監督作品であり、ちょっとエラそうに言わせていただけば、カメラの使い方に感心した。全体に抑制の効いたカメラワークが多く、淡々と展開していくストーリーは、まるで映画全体が山登りの行程であるかのように感じられた。
 ジワリとした映画。もう一度観たい。

海中写真






6月26日(金) 一昨日、授業で海岸に行った。この時期の海は海藻類が豊かだ。 オニコンブ、ガゴメコンブ、ホンダワラ、アオサなどなど。 携帯電話を海中に入れて撮影してみた。 手軽な水中写真が撮れた。 

2009年6月25日木曜日

音の幻覚作用

 覚醒剤や麻薬など向精神薬は化学的にその成分が中枢神経に作用して幻覚を引き起こすことがわかっている。化学反応の作用機序も明らかになっているものが多い。
 奈良裕之さんの演奏を聴いていると、いつも決まって頭の中にいろいろな情景がわき起こり、幻覚と違っていても音が作り出すイマジネーションの世界を経験する。それで、ふと気がついたのであるが、これもある種の幻覚(に似たもの)を作り出す刺激あるいはきっかけとなる、一種の向精神作用をもっているのではないだろうか。 その意味で、音はある種のドラッグと似た働きを示す場合がある、と言えるだろう。
 太古、人々は音の持つ神秘的な力を認めて、さまざまの楽器を作り、祭礼や儀式にも用いてきた。今さら、と嗤われるかも知れないが、昨日、ふとこのことを考えた。

2009年6月24日水曜日

アルビレオの季節

 昨日までと打って変わって快晴。
 こんな青空は夏の羅臼ではない、というような快晴だった。こんな日の夜は星がきれいかも知れない。夜中、知床峠に登って頂上の駐車場で空を眺めるのは贅沢のきわみだと思う。はくちょう座が鮮やかに見える季節だ。

 白鳥のくちばしの所にアルビレオという星がある。358光年の距離にある二重星で、金色の星と青い星がすぐ近くに並んでいるのが見える。宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」でこの二つの星を、輪になって回るサファイアとトパーズにたとえている。

 アルビレオの季節が近づいた。

2009年6月23日火曜日

クマ クマ クマ

 帰りがけ、僕の車の前を知床財団T氏の車が走っていた。帰宅するには早い時間だなと思っていると、途中、羅臼高校へと曲がった。クマだな、と思ったので後をついて行った。 果たして、高校の玄関には、教頭先生はじめほとんどの先生方が居並び、その後ろで生徒たちが固まっている。下校している何人もの生徒が、通学路をヒグマが横断するのを見たのだという。校舎外で部活動中の生徒たちも含め、すべての生徒や職員が校舎の中に避難し、役場と財団に連絡したらしい。
 話を聞いてみるとクマはかなり小さく、こどもだったようだ。それでも、仔熊の近くに母熊がいるかも知れないし、人身事故は絶対に防がなければならない。学校では、保護者に送迎を依頼したようだった。

 昨夜から今日の昼過ぎまで、知床半島の羅臼側は激しい雨が降った。雨があがって、空きっ腹を満たそうとして出てきたのだろう。最近、市街地や市街地近くで頻繁に目撃されている。その中の一頭だったのだろう。長く続いた雨が止み、本格的に部活を始めようかと外に出てきた高校生たちが鉢合わせた、ということなのだろう。

雨上がり、羅臼の高校生とクマの出会いであるが、問題は深刻である。

足袋との出会い

 この頃足袋を履いている。
 本当は素足が一番良いのだが、仕事上、素足でいられない場合も少なくないし、山に入るような場合、素足に長靴を履くわけにはいかない。どうしも靴下を履かざるを得なかった。五本指靴下があるが、あれは履きにくいし、見かけに抵抗を感じていた。

 足袋なら靴下を履いているのと変わりないように見える。そして靴下より通気性が良いように感じる。そして、親指が独立しているので、素足に近い感触で履き続けることができる。今まであまり履いた経験がなかったので、実際に履いてみて、その快適さを実感した。
 コハゼ(鞐)という留め具がなんとも素晴らしい知恵だと思う。ベルクロ(マジックテープ)などというものが出現するずっと以前から、あのような物が考え出されていたというのは驚きである。
 靴下より割高であるが、丈夫さの点では靴下に勝る。だから耐久性という点で優れていると思う。結果的には割安かも知れない。
これから永く愛用することになると思う。

2009年6月21日日曜日

 父は、今年誕生日が来れば89歳になる。大正の人だ。徴兵制度のまっただ中で青春を過ごし、帝国陸軍軍人だったこともある。一兵士だったのだが。

 幸いなことに年齢の割には健康で、しっかりとしている。たまに、携帯電話でメールをよこしたりもする。国語の教師だったから言葉や文字にはうるさく、今でも僕の言葉遣いや漢字の誤りを注意されることがある。学生時代に実家に送った仕送りを要請する手紙(その頃は手書きだった)の誤字をすべて赤ペンで指摘されたのには参った。 
まあ、そのお陰で漢字は人並みに正しく覚えている方かも知れない。だから今は感謝しているが。

 そんな父にパソコンを持たせようと画策しているのだがなかなか踏み出せない様子だ。いわく、
「いったいどういう仕組みでこのように正確に作動するのだろう。それがわからないと使う気になれない」と。
 一事が万事こうなのである。携帯電話がどこにいても相手につながることを不思議がる。テレビが映像を映し出すことも不思議がる。ただ、不思議がるだけでこちらが必死で説明してもちっとも納得してくれない。あれはただ、不思議がっているポーズをとっているのかも知れず、端から理解しようという気は無いらしい。

 先日、硬膜下血腫の手術を受けた。術後は順調に回復している。まだまだ長生きしてほしいものだ。この先、もっともっと不思議なモノや道具が現れることだろう。そして日本の政治や社会ももっと奇妙奇天烈な現象が起きるに違いない。その時は、できれば、ポーズではなく、本気で不思議がったり怒ったりしてもらいたい。

2009年6月20日土曜日

続 エコ生活の怪

 昨日、「エコ生活の怪」で、何も買わない人たちへの補助はないのか?というようなことを書いたら早速いくつかの反響が寄せられた。
 すべて、僕の論旨に賛成してくれるもであったのはありがたいことだ。例えば、中学生の息子に自転車を買ったらそれが7万円を超えるものだった。これに補助は無いのか?などという意見だった。

 その通りなのである。まあ、現実的に「何も買わない人」への補助などはできないにしても、エコカー購入補助金のようなものを出さずに、ガソリン税を高くし、高速道路料金を高くし、その分、鉄道やバスなど公共交通機関の運賃を引き下げることの回してはどうだろう。そのために、鉄道会社やバス会社に手厚く援助する。そうやって公共交通機関の料金を引き下げる方がよほど二酸化炭素減少になると思うのだが。

 結局、今の政策は大企業中でも自動車産業を補助する、という目先の対応でしかないのだ。 

2009年6月19日金曜日

「エコ生活」の怪

 きょう、ある人と話してふと気づいた。
 「環境に優しい」エコカーを買えば十万円の補助金。
 低消費電力の家電製品を購入すればエコポイント。

 これらは、ある意味で偽善エコの最たるもののように思う。百歩譲って、それはそれでいいとする。では、自動車を買わない人・持たない人には、補助金は無いのか?これぞ究極のエコではないのかなあ?
 不要不急な家電製品を買わない人を讃える制度は無いのか?

 そんな制度が無い、っていうのはオカシイよなあ。
 いったいどうなっておるんじゃ?
 

2009年6月18日木曜日

高校生のクマ学習

 羅臼高校で二学年対象にクマ学習。
 彼らは中学3年の時に一度クマ学習を経験していて、今回で二回目となる。中高で経験する最後のクマ学習である。今回は便宜的に、クマ駆除推進派と保護派とに分かれて模擬討論を行ってみたが、さすが高校生だな、と思えるよく考えられた意見が聞かれて面白かった。
 中学生に対するクマ学習もだが、知床のクマ学習は確実に前進しつつある、と感じられた。

2009年6月17日水曜日

生命あふれる季節と学校現場とは両立できない




 このところ市街地または、市街地のすぐそばでヒグマの目撃情報が相次いでいる。授業で生徒を連れて行くのは、どうかと思ったが、日頃からヒグマ対応についてよく教えているし、今日の段階では目撃されたという情報もなかったので、温泉街にある遊歩道で授業を行った。
 ミズナラ、ハンノキ、ダケカンバ、ホオノキ、イタヤカエデ、キハダ、ハリギリ、ミヤマナナカマドいろいろな樹が新緑を広げている。花たち、虫たち、鳥たち、いま、生命がもっとも活発に活動しているときだ。生命を感じるならいまの季節が一番なのである。
 ただし、学校の現場では、運動会、運動部の大会、○○会議、と自然に背を向ける行事が目白押しだ。
 学校現場がこんな状態だから、口先だけで「エコだ、エコだ」と呪文のように唱えても日本の自然環境教育が発展するワケがない。
 愚かなことだ。

クジラのご縁

6月16日 

夕方、ビジターセンターにいると、しれとこクジラの会事務局長のSさんから突然電話があった。
「北大水産学部でクジラの研究をしているM先生が来ていて、彼を囲んで焼き肉を食べるんだけど一緒にどうですか。」
という誘いだった。
この後の予定は何も決めていなかった。
[クジラ][焼き肉][ビール]という二つのキーワードと一つの想像に僕のココロは一瞬で決まった。
「行きます行きます行きます」と、ややうわずった声で応え、早速でかけた。

 M先生は、まだ若い人だったが北海道のあちこちか座礁したクジラのサンプルを集め、全国の研究機関にそれらを分配するようなこともやっているらしい。ご本人はクジラの生息数の推計などを専門に研究されているようだった。
 話を交わすうちに、彼が元来数学者で統計学などが専門である、ということがわかってきた。

 クジラという動物はつくづく不思議な力を持っている。クジラを中心に生物学者はもちろんだが、生態学者、化学者その他さまざまの分野専門家が、まるで群がるように研究している。そして数学者までもとりこにしてしまうのだ。
 学者に限らず、多くの芸術家がクジラをモチーフとして取り上げている。

 あの巨大さはダテじゃあないな、と思い至った夕方だった。 

2009年6月14日日曜日

アルクティカ復活

 一昨日、連絡があった。
本当は来週の月曜日と聞いていたのだが、わがアルクティカだ。
 「修理が完了しすでに届けてあります」と。

 なんという素早さ。うれしい予想外であった。
 もとよりエンジンその他、走行に必要な部分にはまったくダメージが無く、単に車体だけの問題だったのだけれど、久しぶりに帰ってきたからには試運転が必要だ。
というわけで、今日は少々まとまった距離を走ってみた。当然ながら快調。

 ああ、よかったよかった。

2009年6月13日土曜日

今年も…




庭のライラックとフジが咲き始めた。
ライラックは今週の月曜日頃からチラホラ開花し始めていたが、フジは昨日あたりから花を開き始めた。
昨日も今日もけっこう強い雨が降っていたのに、けなげだ。

こうやって、今年も春の宴は締めくくられる。

2009年6月12日金曜日

霧の道


 霧の日が続いている。
朝、羅臼への道の両側にハルザキヤマガラシが咲き誇っている。霧の中に花に縁取られた道が続く風景は美しい。
 だが、この花、新参の外来種なんだがなあ。

知床の漢(おとこ)

 昼、弁当を持って行かなかったのでパンを買いに行った。このパン屋のご主人、実は昨日マッコウクジラを観た時、一緒にいた「エヴァーグリーン」の船長なのだ。店に入っていくなり声をかけられた。
「昨日、よかったショ。やっと観られたね。久しぶりだったでしょう。」まるで自分のことのようにうれしそうな様子だった。
 昨年、僕が企画したホエールウォッチングはことごく時化は濃霧で中止になったり、出向してもクジラに出会えずじまいだったりした。この船長から、「霧男」と呼ばれ、自分でもいささかヤケになって「霧野悠羅」というすばらしい名前を名乗ることになったのだ。 もちろん自然が相手のことだし、僕は、まったくゲンを担がないので、さして気にならなかった。けれども彼は、僕の「不運」をずっと気にしてくれたのだということに、昨日、初めて気づかされた。
気が荒く、言葉遣いも厳しい海の男の優しい一面を見せられた瞬間だった。
 これが知床の漢(おとこ)なんだなあ。思い返すたびにジーンとなる。

2009年6月10日水曜日

クジラ




 港は濃い霧に包まれていた。
 やはり、と思った。根室海峡は、どうしても僕を霧で迎えたいらしい。この霧が、僕とクジラを隔てる意志のようにも思えて、少々意気が下がるなあ、と感じつつタラップを踏む。今日乗せてもらう船は「民宿まるみ」さんの「アルランⅢ世」だ。
 
 少々沈んだ僕の気持ちにお構いなしで船は港を出た。しばらく走っても霧は晴れない。波も少し高い。風も出てきた。今日もダメかな、と思った時、船の進行方向の霧が薄くなり、青空が見えだした。風も弱くなっている。もう国後島との中間ライン近くだが、ハシボソミズナギドリの群れも集まっている。ひょっとしたら、と期待がわき始める。

 やがて、先にその海域に来ていた知床ネーチャークルーズの「エヴァーグリーン」が北東方向に走り出した。よく見ると左舷前方に噴気が見える。マッコウクジラだ。「アルランⅢ」のエンジンが唸り出す。あっという間に「エヴァーグリーン」と並んだ頃、海面で行こうマッコウクジラのそばまで来ていた。
 久々に見るあのゆったりとした呼吸。人間をまったく無視しているようにゆうゆうと体を休めている。数分間、断続的に噴気を繰り返した後、一瞬腰を高く持ち上げた。
「潜る」と思ったと同時に尾を高く上げてそのクジラは海底に向かって行った。
 5月末、ガリンコ号でミンククジラには会ってきたが、根室海峡のクジラは実に実に久しぶりであった。
 ああ、良かったなあ。

2009年6月9日火曜日

根室海峡に十六夜の月

 上空を通過する寒気のせいかこのところ曇りの日が続いている。南東の風が入り込み霧の出る日も多い。
 「初夏」というこの時期のもつイメージとは裏腹に、冷たくじめじめした毎日が続く。これが道東の初夏なのだとあらためて思い知らされる。もっとも、このような気候を日本のアイルランドと呼んでみると気分が変わってくるような気がする。
 羅臼に昔からある民宿で、海の見える浴室から国後島の上の十六夜の月を眺めながら今夜はそんなことを考えた。

2009年6月8日月曜日

電気自動車のこと


電気自動車のことが話題になっていたが、ニュースを見ていて僕の考えと少し違うな、と感じて、「環境保護」の教科通信にこんな記事を書いた。

 電気自動車が発達してきた
温暖化対策として電気自動車の普及が急がれている、とニュースで紹介されていました。
二酸化炭素の排出を減らす有力な選択肢の一つとして注目されていることは、今や誰でも理解していることでしょう。沖縄を中心にレンタカーを電気自動車に置き換える試みなども検討されているといいます。

 電気自動車で満足できるか 
 このこと自体は悪いことだとは思わないのですが、一つ大事なことに注意しておかなければならないのではないかと考えながらこのニュースを見ていました。それは、電気自動車が普及し、化石燃料(ガソリンなどのことネ)を燃やして走る自動車が減ったとしても二酸化炭素の排出量が根本的に激減するのかどうか、厳密な検証をしなければならない、ということです。
 それにはいくつかの根拠があります。
① 自動車が使う電気は発電所で作られているので、発電量が増え、火力発電への依存  が増えると二酸化炭素排出量はそれほど減ることにはならない。
② 新たに電気自動車に置き換えるために、自動車の部品の製造や生産のための運搬が活 発になるとその分の二酸化炭素排出量が増加する。
③ 沖縄の場合、観光客が増加すると観光客を沖縄めで輸送のための二酸化炭素排出量が 増加する。

環境問題は見かけだけでは全然ダメ
 要するに何を言いたいかというと、ガソリンエンジン車を電気自動車に置き換えると目に見えている部分では二酸化炭素排出量が減る。しかし、社会全体の構造としてどれほど二酸化炭素を削減できるのかは、冷静な検証が必要で、ムードだけが先行することはかえって問題の本質を覆い隠すことになってしまう、ということです。

 「環境問題」は、このような複雑な背景をもっていることが多くあり、意識的にそれをカクレミノにして一儲けをたくらむ企業などがあり、僕たちはこれに振り回されないような注意が必要だと思います。

 沖縄のレンタカーの問題にしても、観光客が移動する交通手段を「現在と同じ個別のクルマによる」という前提から根本的に変えていく発想が必要なのではないでしょうか。たとえばトロリーバスを走らせるとか鉄道を走らせる、さらに観光のあり方そのもの(つまり文化のあり方ですね)を変えていくような検討が必要ではないでしょうか。

本質に切り込む環境学習
 環境問題はもはやムードとか気分では解決できない深刻な段階に達しています。羅臼高校の「環境保護」では、このような本質に切り込む環境学習を常に心がけていきたいものです。

 環境問題の本質的な解決は、「今の生活を見直す」ところから始まるのではないでしょうか。今の、「便利すぎる」「快適すぎる」「カッコ良すぎる」生活を検討して、本当に大切なもの、本当に必要なものだけを残し、それ以外の部分は思い切って削り取っていくことが必要です。
 個人の生活でも企業の営利活動でも同様だと思います。特に、スケールを考えると企業の「金儲け」の活動は大きく見直す必要が出てくると思います。
 社会的な合意の中で「金儲けは善」という価値観を見直すことは急務であるように思います。
 個人の生活でも「ちょっと不便に」「ちょっとカッコ悪く」ということも必要になってくると思います。

写真は本日の夕食
ひとりウニ丼

2009年6月7日日曜日

結婚式

 ひとりの卒業生が結婚式を挙げた。家業の酪農を継ぐために、高校時代の同級生(厳密には同じクラスになったことはなかったはずだが)の男子と結婚した。彼はたしか、普通のサラリーマンの家庭に育ったはずだ。
 彼ら二人が付き合い始めた、と聞いた時、このような結果までは予想できなかった。反面、矛盾しているようだが、高校時代の彼女の人柄や性格から、このようなゴールインは、やはり約束されたものだったのだなあ、との感慨も浮かぶ。そうは言っても今日の日を迎えるまでに、僕などにはわからない幾多の困難な問題があったのではないか、と想像される。
 しかし、そんなことは表情に出さず、幸せそうなスタートをきった二人を祝福したい。

2009年6月6日土曜日

セイヨウオオマルハナバチ講習会

 午後、根室でのセイヨウオオマルハナバチの講習会に講師として参加。13時30分からの開始だったが、事前打ち合わせのため、10時に家を出て11時に会場の日本野鳥の会春国岱(しんくにたい)ネーチャーセンターに着いた。
 昼食の後、ネーチャーセンターのある海岸段丘上の森を散歩した。もうオオバナノエンレイソウ、マイヅルソウ、エゾオオサクラソウなどが咲いていてこちらの方が一段と温暖であることがわかった。
 根室半島のセイヨウオオマルハナバチは羅臼よりは少ないようだったがそれでも相当数の捕獲があるらしい。根室にいて羅臼にもいる、ということは国後島への分布拡大の危険性は非常に大きいということになる。
 本当に困ったことである。

2009年6月5日金曜日

自然と日本人

 明日、根室市の日本野鳥の会春国岱(しゅんくにたい)ネーチャーセンターでセイヨウオオマルハナバチに関する講演をすることになっている。今年になってから「セイヨウ」がやたら目につくようになった。直感的にはかなり増えている、と感じる。あくまでも「感じる」だけだが。
 これだけ増えてしまうと「バスターズ」を養成しているだけでは間に合わないように思ってしまう。「バスターズ」養成の講師をする立場で、このようなことを述べるべきではないのかも知れないが。昆虫が人間にとっていかに手強い相手か、政策立案をしている連中は、本当にわかっているのか?と思ってしまうのだ。

 聞くところによるとコモチカワツボというカワニナによく似た巻き貝がホタルの餌としてニュージーランドから移入され、ホタルの発光に悪影響を与え、その結果繁殖障害が起こってホタルが急激に減少しているのだそうだ。

 日本人特に内地人(ナイチャー)は、水田や畑を作るようになってから長い歴史を持っているために「里山」とか「盆栽」などにみられるように「自然は人手を加えて思い通りにすることができる」という自然に対する思い上がりが強すぎるように思う。
 だから今でも大いばりで外来魚を川に放流したり、遠隔地からホタルを移入したり、好き勝手に自然に手を加えることを繰り返している。もう、いい加減にしてほしいのだが、なかなか意識が変わらない。
 「セイヨウ」に対しても、「バスターズ」でコントロールできる、とお気楽に考えること態度こそ思い上がりではないのか、と思ってしまう。もちろん、何もせずにいるのが良いワケはないから、明日、講師として話をしてくるのだけれどもネ。

2009年6月4日木曜日

クマ学習3年目

 羅臼町内の中学生を対象に今年もクマ学習が始まった。今日はその第一回目。
 クマ学習が始まって3年目になる。この学習は中学生と高校生に対して一年おきに実施することになっているから、今年の中学三年生は、クマ学習の第二ステージということになる。そのため、昨年まで実施していた「入門編」より一歩進んだ内容となった。
 具体的には、知床半島で実際に行われている電波発信器を使ったクマの行動調査=テレメトリ-を体験するものだ。あらかじめ藪の中に発信器を装着したぬいぐるみを隠しておき、受信機でその場所を捜していくものだが、生徒たちにはそれがぬいぐるみだ、とは伝えていない。受信機から響いてくる電子音が、本物のクマから発せられる電波だと信じ込んで、皆、かなり緊張して捜索に臨んでいた。
 緊張はしたことだろうが、自分たちの住んでいる地域の野生のクマが、どのようにして研究されているかを理解するには最適の効果があったのではないだろうか。このようにして、野生のヒグマと共存できる住民が育っていってほしい、と思う。

2009年6月3日水曜日

リンゴの花ほころび……かなあ?


 リンゴの花は、ほころび始めただろうか?
  我が家の庭にある小さなリンゴの実る樹。ろくな手入れもしていないのに、毎年小さいながら実を実らせてくれる。
 リンゴの実は、渋みが強く直接食べてもあまり美味しいとは言えないけれど、安いブランデーに漬ければ、高級アップルブランデーに変わる。
 今年も花が咲こうとしている。咲こうとしている時に気温が低下して、花たちはしばし逡巡している。開花が待ち望まれる。
 今日、カッコウも鳴いた。もうすぐ、ということだろう。

2009年6月2日火曜日

自然観察会

 羅臼町内の幼稚園教諭を中心にしたサークルの研修会で自然観察会を行った。
 二時間足らずの時間だが、エゾタチツボスミレ、ヒメイチゲ、ハルザキヤバガラシなどの花、ミミコウモリ、オオハンゴンソウ、ヨブスマソウなどの葉、ケヤマハンノキ、ダケカンバ、イタヤカエデなど植物を中心に、エゾオオマルハナバチやアカマルハナバチ、エゾスジグロなどの昆虫、さらにはクマの糞などのフィールドサインを観察した。
 最後に川向かいの遠くの斜面にヒグマの姿も見られ、充実した観察会となった。

2009年6月1日月曜日

羅臼の魚市場にて

 羅臼漁協の市場で競りの様子を見学してきた。
  「∞♂¥£*@&○◎#&♂±〒∋⊇∩」
 なんと言っても競り人の言葉がすごい。
 「ここは日本なのか?」と感じる。何を言っているのかさっぱりわからない。しかし、買い受け人の人々と競り人との間には、ちゃんとコミュニケーションが成立しているのだからすごい。競り人に付き添っている漁協のスタッフが、落札した買い受け人の名前(または、番号かな?)と値段を落ち着いて書類に書き込んでいく。

 終わってから当の競り人だったTさんとお話しする機会を持てたのは幸いだった。
 「うちの競りは『下げ競り』と言って、始めに提示した値段からだんだん下げていき、買い受け人が買っても良い、と判断したときに合図して成立するものなんです。だから競りの時は、単に1キロあたりの単価となる数字を言っているだけなんです」と教えてくれた。たしかに、よく聞いていると、だんだん耳が慣れてきて、数字を言っているんだな、というのはわかるような気がしていた。あくまでも気がしただけなんだけど。
 Tさんは、さらに、複数の買い受け人が同時に応札した時は、少しも早く手を挙げた方に競り落とさせること、それを判断するのは競り人の権限であること、などを説明してくれた。
 「それだけ権限と権威のある役職なのです」と。
 そういえば、なんとなく野球の主審とかボクシングのレフェリーのような重々しい雰囲気を身にまとっておられる。

 今日は、前々からずっと不思議に思っていた市場の競りのことを知ることができた。ありがたい一日であった。