2008年12月31日水曜日

さようなら

 2008年も残り8時間を切った。
 先ほど、夕陽が沈んだ。
 時間は、連続しているのだから始まりも終わりも無いはずなのだが、「ここから新しい年が始まる」と言われると、やはりひとつの区切りのように思えてくる。
 人の一生に「始まり」と「終わり」があるからだろう。われわれは、本能的に始点と終点のある自然観が身についているのかも知れない。
 だから、2008年と2008年中のいろいろなものごとに別れを告げるのがこの日かもしれない。

 別れの言葉は「さようなら」だ。
 ロシア語では「до  свидания」(ダスビダーニァ)という。「до」というのは、「○○まで」、「свидание」は、「会う、会見、面会」などという意味だから
「(次に)会うまで」という意味だろう。中国語の「再見」も同様だろう。

 日本語の「さようなら」は「左様ならば=そういうことであれば」というのが語源だとされている。次に会うことを期待してない。世の無常観が底流にあるのいあ、平和な島国と、大陸で戦乱に明け暮れた中国やロシアとの違いだろうか。どうなのだろう?

 どちらにしても、もう、二度と会えないまたは会わない、という思いを込めた「さようなら」は、あるものだ。時の流れは決して遡ることが出来ない。今過ぎ去ったばかりの瞬間がこの世でもっとも遠い場である、とも言われる。

 もう一度、言おう。過ぎ去った時にさようなら、と。

 

2008年12月30日火曜日

クジラ汁の日






























クジラ汁
クジラの塩皮というものを買ってくる。
クジラの皮に脂肪が付いたものだ。
それを水に漬けて塩気を抜く。

野菜は、ダイコン、ニンジン、わらび、フキ、ゴボウ。
その他、コンニャク、高野豆腐、など。

鯨をスライスして鍋に加え具材と一緒に煮て醤油で味付けする。

椀によそってからミツバを加えて食べると良い。

クジラ汁は、おそらく東北地方に伝わっているハレの食べ物だろうと思われるのだが、我が家でも年の暮れに決まって作るメニューだった。
生活の中の季節感は薄れる一方なのだが、その中でクジラ汁は、いまだに命脈を保っている料理の一つである。



2008年12月29日月曜日

ウマを飼う













































 ウマの草を出した。普通の人はこう書いても理解できないかも知れない。
 我が家にはウマが4頭いる。サラブレッドとアラブが3頭。それからトロッター用の中間種が一頭(これは友人のもので、預かっているのだ)
  
 ウマに冬の間に食べさせる飼料をウマの放牧地に出した、という意味だ。食べさせる物は草。夏の間に刈り取ってロール状にきつく巻き締め、ビニールでパックしておいた物。
ビニールを巻かれて酸素を遮断しておくと内部で発酵が進み、漬け物のようになる。サイレージと呼ぶのだが、冬の間の保存食だ。
 一つのロールで300kgくらりはある。人の力で動かすのは無理で、トラクターを使う。我が家にはオンボロだがトラクターが一台あるのだ。この頃はバッテリーが消耗してきてエンジンをかける数時間前から充電しておく、というのが儀式のように定着した。
 今日は、日中の気温が少し高くなったので6時間の充電後、一発で始動。ウマたちは無事に食事にありつけた。 


АРКТИКА 遭難→漂流


АРКТИКА 漂流

 АРКТИКАというのは僕のクルマの名前である。ロシア語で北極地方という意味だ。道東地方は日本の北極圏だと思っている。7月はまだ夏じゃなく、8月はもう夏じゃない。200kmや400kimは距離のうちに入らない。
 NHKのラジオ電波も満足に届かない。中央政府から問題にされず、見放されている。 ここで暮らしていると、この国の為政者、あるいはそれを選出する選挙民の精神構造の本質がよく見えるような気がする。

  それはさておき、そのАРКТИКАが一昨日故障した。それも、走行中に突然動けなくなるという故障だ。
 今年、8月にも高速道路上で突然エンジンが破損して立ち往生した。その結果エンジンまるごと交換という荒技で復活してきたのだ。ちょうど旧盆前のことだった。それから僅か4ヶ月。今度は正月を前にして今度の故障だ。今回の故障箇所は、どうやらミッション(変速機)らしい。
 ただし、これから自動車工場が休みになる。そのため「入院」はしたが、原因究明は年明けになる。

 このクルマは故障が多い。ふだんから「マイナートラブル標準装備」と言っている。走ることに関わらない小さなトラブルは、自分で解決しながら乗っているし、さほど気にならない。しかし、これほど大きな故障が続くといささか嫌になる。経済的な損失も侮れない。まあ、それが唯一の理由かな。

 クルマを替えるのはのは簡単だ。そうすれば(たぶん)これらのストレスからは解放されることだろう。では、それが出来ない理由は、何だろう。
 1:この夏の修理で、少なからぬ金額を投資した。
 2:さらに、先月、車検を取ったばかりで、2年近く乗れる状態にある。
  しかし、以上の二つの理由は、実は主要ではないように思う。本音は、このクルマと別れたくない、というきわめて非論理的で、情緒的な理由だ。

 基本設計は50年以上も前に完成し、その間に生産された車両のかなりの割合がいまだに現役で走っている、という。たとえばサスペンションについて、クルマに関して素人である僕でも、そのメカニズムがいかにシンプルでかつ有用であるか、よく理解できる。「クルマ」というより「道具」という呼ぶ方がふさわしいのだ。
 だから、手放したくない理由は、「良い道具だから」と言うことになる。

 ああ、それにしても、どんな原因による故障なのか、早く知りたいものだ。
 

2008年12月28日日曜日

低気圧と会議と温泉と

 その会議がウトロで開かれた。
 夕方からの開催で、吹雪の中を羅臼に立ち寄ってから根北(こんぽくとうげ)峠を超えた。オホーツク海には960hPaの低気圧が停滞しているため、羅臼は局地的な吹雪だったし、ウトロ側の海岸には、大きな波が押し寄せていた。
 激しく岸を打つ波を見ていて、自分の内部にどこか共鳴するものを感じた。

 会議はの会場は知床第一ホテル。知床では一流のホテルだが、さすがに宿泊客はそれほど多くない。
 会議が終わってから宴会となり、泊めてもらった。広い広い部屋に一人。

 起きてみつ 寝てみつ 部屋の広さかな・・・・人真似

 久々に温泉にゆっくり浸かることができた。年末の半日が思いがけない息抜きになった。 それにしても、波の激しさがどういうわけか心に響いた。

2008年12月27日土曜日

吹雪の夜が明けて


  風は一晩中吹き荒れていたが、朝になって一段落した。そして気温が低下している。
 06時30分現在 -10℃

  窓には霜の華が咲いた。朝日が氷の華に灯をともす。気分はシベリア。
 今日は峠を越えてウトロまで行く予定だった。昨日通行止めになった峠は、開通するだろうか。開通していなければそれはそれで良い。家でのんびりと過ごせばいい。

 冬の北海道の常識。
 都会の常識から解き放たれた自由がここにはある。 

2008年12月26日金曜日

闇の労働者

 「非正規労働者」という言葉にひっかかりを感じた。
 ニュースなどで、みな自信満々で「非正規労働者」という言葉を使いまくっているが、はたして、本当にそれは正しい表現なのだろうか。
 「正規」を辞書で引くと、「規則などではっきりきまっていること。また、その規定。」とある。 
 非正規労働者とは、「規則などではっきり決まっていない労働者」なのだろうか。

 派遣労働者やパートタイム従業員、アルバイト、嘱託職員、季節雇用etc.etc.なんと多くの種別があるのだろう。だれがこのような多様な雇用形態を作り出しだしたのだろう。同じ職場で、同じ作業をしていても、一人一人の「身分」が違っている。もちろん給料も違っている。それで良いのだろうか。

 このように細かく分類されることで、労働者は分断されて団結することを巧妙に妨害されている、と思わないか。
 この状態は、江戸時代の身分制度によく似ているかもしれない。あるいはインドのカーストか。われわれは、自分より下の階層の苦しみを眺めて、
「ああ、われわれはまだマシなほうだ」と、小さな幸せにしがみついているのではないか。
 そんな姑息な、あるいは卑劣な存在からの脱却をめざして、人類は、奴隷制度を廃止し、植民地支配を廃し、民主主義を推し進めてきたのではなかったか。それが社会の発展の方向だ、と多くの人が示したのではなかったか。
 しかし、知らず知らずのうちに、われわれは、歴史の歯車を逆転させて、元の暗くジメジメした社会構造に戻りつつあるのではないだろうか。
 「歴史は似たような相を繰り返しながら、螺旋状に発展していく」と、弁証法では教えていたような気がする。そうなのかもしれないが、現実を見ていると、螺旋のネジ山が潰れて、同じ所で空回りしているようにも見えるのだが。
 
 こんなイラダチを覚えるのも低気圧の凶暴なチカラに感応したからでありましょうかね。 

低気圧なココロ

 大低気圧が根室沖に進んできた。970hPaクラスだ。
 別海に来ているが午前9時現在の気圧は981.5hPa。気圧の低下は、まだ進んでいる。
 しかし、外はまだ静かだ。風は無い(ように見える)。もっとも、我が家は北西からの風当たりが弱いので屋内にいると、風の様子がわかりにくいのだ。


強大な低気圧が近くに停滞していると
ココロのどこかが共鳴するのか
凶暴な気分になってくる

シホテアリーニの山脈を越えて
シベリアにたっぷりと蓄えられた寒気を
千島列島沖の低気圧が吸い込むように

他人の稼ぎを搾り取っている者
ヒトの心をもてあそぶ者
心を傷つけて平然としている者
上手にウソをつく者への

そんなニンゲンたちへの怒りと恨みが
ココロの暗部から湧き出し
意識に流れ込んでくる

こんな気分で手紙を書くと
ついつい毒のある言葉を投げつけ
他人を傷つけてみたくなる

そういう僕を
姉が何気なく
「風の弟」と呼んだ
ドキリとした一瞬
投函されない手紙が一通生まれた

2008年12月25日木曜日

クジラ汁

 セミクジラ(北大西洋産)というものを買ったのダ。
 羅臼の生鮮食料品店。
 東北地方の文化だろうと思うのだが、年の暮れからお正月にかけて鯨汁を食べる習慣がある。ダイコンやニンジン、コンニャクワラビ、ゴボウ、シミ豆腐などを入れた醤油仕立ての汁。主役はもちろんクジラの脂身だ。
 暮れになると塩漬けされたものが店頭に並ぶ。

 子供の頃、我が家でも必ず作っていた。僕の家系(というほどものでもないが)が東北地方出身であることを示す証しの一つであることは間違いない。
  昔は、それほど美味しいとは思わなかったが、大人になり嗜好が変わったということもあるだろう。この美味しさがわかるようになった。毎年、これを食べなければ新年を迎える気分が出ない。捕鯨が規制され、肉の希少価値が高まったということもあるだろう。
  とにかく、今は、毎年の楽しみになっている。

 クジラを食べることには、様々な意見がある。鯨類の個体数をどのように評価するか、つまり増えているのか減っているのか、という論議も決着していない。そのような中で反捕鯨団体の感情的で過激な反対行動がしばしば話題になる。捕鯨の現場で妨害行動を行うような船まで現れた。
 捕鯨問題を論ずると、どうしても感情的になるようだ。感情的になると言うことは、論議をするための客観的なデータが足りない、ということだろう。

 なにはともあれ、今年もクジラ汁を食べられる事実に感謝したい。

帰ってからの出来事②

24日 
冬休み前の全校集会。
 欠席して北見工大の羅臼川サンプリングに協力。
 終わってからビジターセンターで信州土産の「亀まん」を皆で食べた。
 来客のいないVCはいい感じ。

帰ってからの出来事①

23日
 別海から羅臼に戻る。

 夜、忘年会。
 実に虚しい時間だ。
 出席しなければ良いのだが、いろいろなシガラミで仕方なく出席。
 宴席は楽しくありたいものだ。

2008年12月22日月曜日

虚構への加速

 ANA837便は寒冷前線を飛び越えてほぼ定時に到着し、この旅も終わってしまった。一つの旅の終わりは、次の旅への想いを温め始めとなる。また、旅に出よう、と考えつつ空港前に駐めていた車に乗り込んだ。

  旅の話題から離れ、何か楽しいことを書こう、と考えたのだが、一年前のこの日の日記にこんなことを書いていた自分を発見し、そのときの怒りがいまだにくすぶっている自分の心を覗いてしまったので、それを載せることにした。


<昨年同日の日記から>
    いつから、この国の若者は人生を見せることばかりを意識するようになったのだろう。
 
    新しい制服を決める職員会議は異常な盛り上がりを見せ、今年から新しく始まる中 高一貫連携  型入試の実施要領に関わる議題を軽くはじき飛ばしてしまった。誰が考え  ても制服のネクタイを   結ぶ方式が良いか、襟元に掛ける方式が良いかを論議するより、  来年入学してくる中学生に課   す試験をどのようにしてあげることで負担が減るか、と  か緊張をほぐすか、といった議論が優先す  るのではないのかなあ。

   この、異常な集団に属していること自体が恥ずかしい。忘年会を欠席して本当によかった。

   この教師たちの異常な反応は、そのまま現代の若い世代の価値観を反映しているのかもしれない。  つまり、いつも「見られている」ということを意識して自分を演じている。

 
 そして、それから一年。
 「教員評価制度」が導入された。学校の現場は、教師も生徒も「見た目」ばかりを気にして中身を考えようとしない、虚像への傾斜をますます強めている。

2008年12月21日日曜日

旅のおわり




 小さな放浪の旅最後は東京に戻った。
 JR大森駅そばにある小さなホテル。少し古いようだが徹底的に(バスルーム以外は)ヨーロッパ風のホテルである。旅の終わりにはふさわしいような気がする。まるで、ロンドンのホテルにいるような気がしてくる。
 自分自身の日本人としてのアイデンティティを疑っているこの頃であるが、ここにいるとそういう自分に火がつけられるような気がしてくる。




 などと言いながら、夕方から浅草演芸場の夜席に行ってきた。
 上野にしようか浅草にしようか迷った末に、結局あまり熟慮することなく浅草にした。師走の日曜の夜ということもあり、客席はゆったりしていて、芸を堪能できた。必ずしもテレビなどに登場する有名な芸人さんばかりではないが、みなそれぞれに持ち味があり、プロとして技術を磨き、気概にあふれている。日頃から「教師は芸人であるべきだ」と考えている僕には、大いに刺激的だった。
 明日は、北へ帰ることになる。少し早すぎる。

2008年12月20日土曜日

流星への旅















 列車を降りて駅頭に立った。

 ほどなく彼女は現れた。以前と同じグレーの軽乗用車を運転している。
 一緒に昼食をとった後、二時間くらいかけて松本市へ向かう。松本城は見学者の数も多くなく、冬空とアルプスを背景に落ち着いた佇まいを見せいてた。







 同級生の消息や思い出話をしながら城の掘り割りを巡り、天守閣に登ってみた。楽しそうに語らいながら観光地を巡る僕ら二人は、周りからどのように見られただろう。
 親子か、不倫のカップルか?
 彼女は、そんなことを意に介そうともせず、嬉々として、日常のあれこれの話を聞かせてくれた。
 信州の精密機械工場で派遣社員として働いている彼女。地元の大きな事業所に就職したけれど、小さなきっかけで順調な路線を踏み外し、辛くも踏みとどまって今、一生懸命働いている。
 派遣労働者の置かれている厳しい現状が心配で、信濃路まで来た。現在の状況と彼女自身が考えている今後の見通しを聴いて、一応の安心感は持った。それだけでも来た甲斐ががあった。

 しかし、本当に励まされ、元気づけられたのは僕自身であったと思う。屈折した感情を持て余し、鬱々とした日を過ごしていた僕が、彼女の顔を見て、とりとめのない話をするうちに、心が洗われたようにすがすがしい気持ちになっていくのが、自分ではっきりと意識できた。
 僕は、自分で自分のバランスを保つために、はるばる信濃の国まで彼女を訪ねてきたのだ。
 ひとは、それを馬鹿げた行動と評するに違いない。だが、そのように行動した自分を、もう一人の自分が肯定している。そのような存在、追い詰められた時に自分を救ってくれる存在がいること。そして、そのことを自分でわかっている、ということは、どんなにすばらしいことか。

 何か、一回り強くなって、明日に向かうことができそうな気がしてきた。


 今回の旅は、とてもスッキリとした、佳き旅になった。

2008年12月19日金曜日

東京で





 












久しぶりの東京。

ANA840便は、定刻に快晴の空に飛び上がった。
27000フィート上空から襟裳岬や日高山脈が見える。

小さなことにこだわっている自分がバカらしく思える。

 明日、中央本線の特急に乗るために新宿に宿をとった。
 この辺りに泊まるのは初めてだ。どこに宿を取っても、同じ顔をしているのが東京だけど。
 安いホテルを探したから、あの猥雑な新宿駅周辺とは少し離れていて、静かだ。だが、交通の便も悪ないし、この場所は穴場かも知れない。

 それにしても、この町の人々はどうして皆、死んだ貝のような表情をしているのだろう。浜松町からずっと地下鉄に乗ってきたが、乗客の表情を見ていて、失礼ながらそう感じた。ここが日本の首都で、僕たちの生活の重要なことを決め、文化の発信源になっている、ということを考えると、やはり病んでいる、と感じてしまう。とても便利で、欲望はなんでも叶うように思うのだが、それでも大切な何かが失われている、と感じてしまう。
 この文を東京の人々も読むかも知れないし、それで気を悪くされるかも知れないが、知床から出てきたニンゲンの率直な感想なのだ。
 どうして、そう感じさせるのか、考えてみてほしいなあ。


2008年12月18日木曜日

雨とイラブーカレー

  屋根を打つ雨の音で目が覚めた。
 雨の朝だ。
 今年は、12月に入ってからも雨の日が多い。3~4回は降ったのではないか。
 その度にせっかく積もった雪が消えていく。気温も11月中旬くらいの水準だとか。

 「冬は冬らしく。夏は夏らしく。すべてがあるべき姿であってほしい。」
 マルシャーク昨品「森は生きている」の宮廷付き博士の台詞だ。
 強欲で意地悪な継母が原因で、森の季節変化を早め、真冬に春の花を咲かせたことへの感想として述べたものだ。
 今まで、単なるおとぎ話の中の台詞だと思っていたが、よく考えると深い含蓄があるように感じる。マルシャーク自身が、そこまで考えていたかどうかは別として、だけれど。

 昨夜は、めずらしく、夕方から夜にかけてゆっくりと過ごすことができた。家の中の整理とイラブーカレーを作った。イラブーはあれほど長時間煮られてダシを取られているにもかかわらず、まだ「うま味」が残っている。神秘的だと言われるが、確かにその通りだ。不思議な力強さを感じる。
 しかし、それは、科学的に原因を突き止められるだろうことで、そこからいきなり宗教的な、あるいは信仰的な世界へ飛躍するのは、乱暴なことだ。そして、それを他人に押しつけるような態度は、あまり好感を持てない。
 信仰や精神的な拠り所を尊重する気持ちは強く持っているつもりだけれどね。
 とある、「信仰の島」へ行った時、怪しげな「お祈り」で人の心をもてあそぶようなアヤカシを見てしまったので、ちょと嫌悪感を持っていて、余計にそいうことを考えるのかも知れない。
 まあ、そんな嫌な思い出も、イラブーと一緒にカレーに煮込んで全部食ってやるんだ。
 どーだ!まいったか!

2008年12月16日火曜日

さいごの鳥

 「ねえ、結局どの鳥が一番好きなの?」
 一人の美人と鳥についてあれこれ会話していた時、突然きかれた。それまで、「オオワシよりオジロワシが好き」とか、「カモではシマアジが好き」とか、ちょっとツウぶって鼻を膨らませて話していたのだ。ツウったって「夕鶴」のヒロインじゃないですよ。
 まるで虚を突かれたように感じた。考えてみると、ワシではオジロワシがカッコイイとか、小鳥ではノビタキのメスがかわいらしい、というように、二者の比較、あるいはいくつかの選択肢の中で何が一番好きかという話ばかりをしていたのだ。
 「で、つまるところ、どの鳥が一番好き?」と問われて答えに窮してしまったのだ。
 正直に言えばあまり考えたことはなかった。鳥類といっても種類が多いし、生活のしかた、生息環境は多様で、したがって形態も変化に富んでいる。
 「あなたの受け持つ学級で、どの生徒が一番好きですか?」と、きかれたようなものかもしれない。(当然、答えは見つからない。答えは無いのだ。)
 そこで、よく考えてみた。
 「好き」と言っても条件は様々だろう。色彩、姿形、飛び方、行動、表情、味?
 よく、「無人島に持っていきたい一冊の本は?」などという質問があるでしょう。
 「無人島に連れて行きたい鳥」なんているかな?
 うん!いるとしたら一番食べ応えのあるシチメンチョウかダチョウだ。でもなあ・・・。
 やっぱり普段から鳥を見ている者としては、「無人島で見たい鳥」だよな。でも無人島にいる鳥なんて限られてるよなあ。シマフクロウなんていないだろうし、似合わないよなあ。無人島という設定自体に難がある。
 やはり、ここは「自分の死ぬ直前、最期に見たい鳥」とするべきだろう。すると答えはアッサリみつかった。僕の場合はハクチョウだ。
 なんであんな鳥が!
 バタバタ歩き、やかましくて重いばかりの鳥が、と思われるかも知れない。北海道開発局からは「特に保護する必要のない鳥」とのお墨付きももらっているしねえ。しかし、理屈ぬきで好きなんだからしかたがない。
 飾り気のないガサツな日常の姿と、渡りのため断固として北へ去る後ろ姿の落差がいいんだなあ。
 最期に見たいのは、当然後者のほうであるね。

2008年12月14日日曜日

ラフロイグ

海の街で生まれた。
船の汽笛を聞きながら育った。
高校を卒業し、内陸の街へ出た。
今、思えば
無意識に海を失ったことを感じていた。

喪失感を抱えたまま彷徨し、
結局、就職して海のそばで暮らすことになった。
流氷の来る所だった。

やがて転勤になったが、転勤先も漁船のエンジン音の絶えない町だった。

それ以来、住む場所は変わっても
ほぼ、海のそばで暮らしてきた。
海の近くに家も手に入れた。

そして、今、
「地の果て」と呼ばれる
海に突き出た半島で暮らしている。
実は、ほとんど意識することはなかったが、ここまで海と深くつながっていたのである。

無意識に海を求めるのか。
まさか、海が僕を求めるなんてことはないだろうが。

夜、眠る前にシングルモルトを飲む。
口に含むと、鼻腔に海の香りが広がるように感じる、このウイスキーを飲み始めて、もう永い。

このウイスキーとの出会いが、人生最大のヨロコビかもしれないなあ。