2008年も残り8時間を切った。
先ほど、夕陽が沈んだ。
時間は、連続しているのだから始まりも終わりも無いはずなのだが、「ここから新しい年が始まる」と言われると、やはりひとつの区切りのように思えてくる。
人の一生に「始まり」と「終わり」があるからだろう。われわれは、本能的に始点と終点のある自然観が身についているのかも知れない。
だから、2008年と2008年中のいろいろなものごとに別れを告げるのがこの日かもしれない。
別れの言葉は「さようなら」だ。
ロシア語では「до свидания」(ダスビダーニァ)という。「до」というのは、「○○まで」、「свидание」は、「会う、会見、面会」などという意味だから
「(次に)会うまで」という意味だろう。中国語の「再見」も同様だろう。
日本語の「さようなら」は「左様ならば=そういうことであれば」というのが語源だとされている。次に会うことを期待してない。世の無常観が底流にあるのいあ、平和な島国と、大陸で戦乱に明け暮れた中国やロシアとの違いだろうか。どうなのだろう?
どちらにしても、もう、二度と会えないまたは会わない、という思いを込めた「さようなら」は、あるものだ。時の流れは決して遡ることが出来ない。今過ぎ去ったばかりの瞬間がこの世でもっとも遠い場である、とも言われる。
もう一度、言おう。過ぎ去った時にさようなら、と。