2009年7月29日水曜日

岬へ

 何回か書いたけれど、明日から岬に行く。羅臼町では、「岬」と言えば知床岬のことを指す。そしてそこは、多くの人々にとって、簡単には行くことのできない特別の場所であるという響きを含んでいる。

 岬に行くためには船か徒歩しか方法はない。船は海が荒れると航行できない。陸路でも道はなく、海に浸かりながら歩いたり崖を登り降りしたりしなければならない。クマがいて「通せんぼ」していることも少なくない。電気や水道もないし、もちろん携帯電話も通じない。そんな場所で、「自然」と向き合ってあらためて文明とは何かを考えてみたい。

 文明社会にいる僕たちは、その恩恵に十分すぎるほど浸っているが、知らないうちに「恩恵」を「当たり前」と感じる感覚が垢のようにこびりついているのではないだろうか。できるだけそれをそぎ落として、新しいものが見えるようになって帰って来られたら嬉しい。

 羅臼町では「ふるさと少年探検隊」という、町内の小中学生を知床岬またはその手前まで徒歩で連れて行き、約一週間キャンプ生活をさせるという行事を続けてきた。今年はその27回目になる。
 今回は、これに随行しての岬行きである。

 というわけで、明日から一週間メールを下さってもお返事できません。
 また、本ブログもお休みさせて頂きます。

2009年7月28日火曜日

クマの問題

 知床岬行きの準備と子どもたちの訓練で過ぎた一日だった。今年はヒグマの出没が多く、キャンプサイトを高圧電気牧柵で囲むという。探検隊始まって以来のことらしい。あちこちから寄せられる情報も、「人が近づいても逃げない」とか「一般客が食料を奪われた」とかいう物騒なものが多い。
 岬方面へ入り込む人が増加し、クマとヒトとの軋轢が新たな段階に入りつつあるのかも知れない。そんな岬に明後日から入り込む。 

2009年7月27日月曜日

梅雨前線

 今朝も雨である。気温もやや低い。
 週の後半からは天気が回復し夏らしくなる…と言っているのだが、この予報は今までに何度「繰り延べ」になったことだろう。

 知床岬探検隊に随行することが決まった。銃持参で。たった一人で、だ。荷が重すぎる。いや、ほとんど無茶だ。
 まあ、最後の最後の砦として、だとは思うが。

 北海道の太平洋岸に沿って前線が張り付いている。今日も朝から雨。
 過去の日記を見ると、この日は羅臼湖に出かけて花の写真を写したり、船でシャチを探したりしていた。みな、「夏の一日を楽しんだ」という内容になっていた。記録にはないけれど、クラスキャンプなどをやっていたのもこの時期だ。つくづく今年の天候が不順であることを思い知らされる。

2009年7月26日日曜日

庭先で






 



 エゾフウロ
 アラゲハンゴンソウ
 クサフジ
 ヒロハクサフジ
 ホザキシモツケ
 フランスギク 
 セイヨウノコギリソウ

 雨上がり、空は厚い雲に覆われている。少し散歩した。出会った花たち。
 すっかり秋だ。

2009年7月25日土曜日

雨の一日

 未明から「断固とした雨」が降り続いた。「激しい雨」ではないが、相当な量が連続的に降り続いた。10時から11時の一時間、洗面器を出しておいたら深さ6センチのミズが溜まった。これは純粋に一時間に60ミリということだ。
 ちょっとした買い物があったので出かけようかと思っていたが、とり止めてずっと家で過ごした。家の中も片付きお金も使わない、良いことずくめの雨だ。災害が起きなければ、だが。

2009年7月24日金曜日

羅臼湖ガイド 作成中

 羅臼湖までの行程の詳細をまとめてみた。今年は天候に恵まれないこともあってまだ羅臼湖に行っていない。昨年までの記憶を頼りにイメージを思い浮かべて書き進めたが、どうしても思い出せないところが何カ所かあった。どうしようかと思った時にSさんを思い出した。彼は、以前林野庁で働いていたことがあり、毎日のように羅臼湖への道をパトロールしていた。町で会うより羅臼湖で会うことの方が多かった。

さっそく電話した。幸い手が空いていたらしく、彼は、僕の質問に丁寧に答えてくれた。それは期待した以上の詳しさで、自分の部屋の間取りを説明するように正確にルートを解説してくれた。
 羅臼湖へのルート解説はあっさりと完成した。持つべきものは友達である。

2009年7月23日木曜日

クマのこと

 羅臼湖トレッキングガイド執筆開始

 今年はクマが多い。「多い」と言ったって「雨が多い」とか「蚊が多い」と言うのは違う。ヒグマの生息数なんてそうそう簡単に変動するわけがないのだから。まあ、理屈っぽく言えば「クマとの遭遇あるいは目撃事例が多い」ということなのだが。今朝も高校のグランドに出たらしい。昼頃、ハンターが出動してついに撃たれたようである。
 なぜ、クマの出没が多いのだろう。理由はよくわからない。このような野生動物に関する話題になると一般の評論家然とした人々が増えてきてそれぞれの「解釈」を一くさり述べることが多いのだが、本当のところはよくわからないのだ。
 ただ、日本最大の野生ほ乳類とニンゲンとが、不必要に接触する機会は可能な限り少ない方が良いに決まっている。クマたちには、どうかあまりニンゲンの領域を出歩かないようにしてほしいと願うしかない。
 クマたちもニンゲンに対して、同じことを願っているのだろうが。

2009年7月22日水曜日

日本食堂

 日食ってなんだ?日本食堂のことかな、と思うほど太陽とは縁のない雨降りであった。雲に隠れて、こちらは毎日が雲による皆既日食だ。

 山口県の水害や岡山県の竜巻(と思われている突風)などを見ていると明らかに温暖化
の影響ではないだろうか。このような現象が現れているにもかかわらず、対策はまだまだ十分とは言えない。今の生活の水準を落とすことなく、問題を解決しようという環境対策の基本が誤っていると思う。生ぬるいのだ。
 やがて、もっと大きな反動による災害が生じるのではないだろうか。

2009年7月21日火曜日

背を向けないでもらいたい

 自然とニンゲンの乖離(かいり)について最近よく考える。
 自然観察会へ行く。必ず「草アレルギー」だとか「日光アレルギー」だとかいう子どもがいる。だから部屋の中、つまり人工的な環境でしか活動できない、と。
 アレルギーによる喘息の発作を見たことがあるアナフラキシーに陥って苦しそうだ。子どもにそのような症状が現れたら親としては、いたたまれない気持ちになるだろう。その心情はよくわかるし、個々の症例には適切に対処しなければならない。

 ただ、同時に僕が希望するのは、何故そのような状態に立ち至ったかも考えてほしいということなのである。つまり、現代のニンゲンがどうしてこのように脆弱になってしまったか、そこから抜け出すためにわれわれはどう行動しなければならないかを考えてほしいのだ。
 もちろん致命的な症状や危険な状態は避けなければならないが、逃げてばかりで問題が解決するとは思えない。アレルギーなど様々な身体的ハンディを抱えている人にこそ自然の中で様々な体験をしてもらいたい。そして、自然環境を守っていくために、生活の形態をどのようにするのがよいか、考えてもらいたい。自然に背を向けた生活を続けるのみでは問題は解決しない。

2009年7月20日月曜日

イラクサ 2

 ロシア人の親友が根室に仕事に来ていた。すぐ近くにいるのになかなか会う時間がとれず、じれったい思いをしていたが今日、やっと会うことができた。細やかな気遣いを忘れない、愛すべき友。短い時間しか会えなかったが、久しぶりで楽しい時間を過ごせた。

 聞いてみたらロシアでは伝統的にイラクサを愛用している人が多いという。ごく普通の食材だということだった。北方で暮らす人々の知恵なのかも知れない。

2009年7月19日日曜日

イラクサ おそるべし

 イラクサは、我が家の庭のあらゆる所に生える代表的な雑草の一つで、触るといつまでもチクチクするし、茎は固くて翌春まで残るし、成長してしまうと普通の草刈り機で茎を刈り取ることは困難だ。だから評判(自分の中でだが)のすこぶる悪い存在だ。

インターネットの情報を得て、昨日、このイラクサでお茶を煎れてみた。正確にはナマの葉を煮出しただけなのだが。コレステロールや血糖値を下げるとかアレルギーを鎮めるとか様々な薬理作用があるという。「薬」だから「味」には期待していなかった。「良薬口に苦し」っていうでしょう。
 ところが、試しに一口飲んでみて驚いた。美味しいのだ。苦みはほとんどなく、番茶に近いかすかな香ばしさがある。「薬草茶」らしい「健康にいいんだからガマンして飲みなさいネ」という押しつけがましさがまるで無い。普通の飲料として十分通用する味なのだ。

 煮出した後の葉も食べてみた。こちらは、おひたしである。鰹節の味がよく馴染んだ。あのトゲトゲがあるので、茹でた直後よりも冷蔵庫で一晩おいてからの方が食感が良いと思った。立派におかずになった。

 イギリスの田舎では1キログラム1ポンド(約200円かな?)で農家の人が町に売りに来ているそうだ。高いものではない。どこにでも生えていて、簡単に手に入るのだからこんなものだろう。
 それにしても、煎じてよし、食べて良し、おまけに素晴らしい薬効の植物が、これほど身近に、しかも無尽蔵と言っていいほどあったとは!

 今朝、本格的に葉を集めた。よく見ると体長1ミリにも満たないノミハムシの仲間がたくさん葉に付いてる。もし、僕がイラクサの効用を知らなければ彼らはもっと平和な生活を送ることができたはずだ。イラクサは、あの美しいクジャクチョウの食草でもある。イラクサの良さに気づいた順番から言えば僕は、新参者なのだ。これからも彼らとイラクサを分け合っていかねばならない。

2009年7月18日土曜日

ビジターセンターであったこと

 以前、羅臼ビジターセンターの人手が足りなくて、ボランティアとして受付業務を手伝ったことがあった。その日は、雨降りで、屋外での活動を避けてVC(ビジターセンター)を訪れる人は多かった。
 閉館間際の夕方、一大の大型バスが駐車場に入ってきて40人近い観光客がやって来た。ほとんどが中高年で、服装から登山を目的に来た団体であることは一目瞭然だった。どこの山へ登ってきたのか全員疲労困憊していてものを言う気力もないように見えた。バスガイドの中年の女性の声だけが金属的でヤケに目立っていた。彼女はその金属的な擦過音に似た声を張り上げ、
「トイレを済ませたらすぐバスに乗ってさーい」と叫んでいた。乗客は、抜け殻のようになって次々とトイレに入り、出てくるとまっすぐバスに向かっていた。一言も声を発する人はおらず、VC内の展示に目もくれなかった。
 驚いたことにバスガイドさんは、受付にいた僕たちに対して、一言の挨拶もせず礼も言わず、目を合わせようともしなかった。
 総滞在時間五分強。あの集団はたんだったのだ!というザラついた疑問だけが残された。VCは、確かに公共施設だから誰がどのように利用してもいいのだが、知床半島の自然環境やリアルタイムの情報を来訪者に伝えることを目的としている。また、そこで働いている人もたくさんいるのだ。自ずから節度というものがあってしかるべきではないだろうか。その施設で働いている人々への礼儀など、マナー以前の問題だ。僕は、そこに、国立公園を利用している自分たちは「客」であり、様々なサービスを受けるのは当然だ、という傲慢な気持ちを垣間見たように思う。
 また、ツアーのお客たちの疲れ果てた様子から、旅や登山を楽しむこととは無縁の苦行を強いられているようなある種の哀れさを感じ取った。今回のトムラウシの遭難事故もひょっとしたらこのような感じのツアーだったのだろうかとふと思った。

2009年7月17日金曜日

もう 夏じゃない

 秋は、夏の日差しに隠れて忍び寄ってくる。
 
 朝、4時前に目が覚めた。夏至の頃に比べたら心なしか夜明けが遅くなっている。ああ、秋が近づいている。今年の夏も終わりが見えてきた、と感じた瞬間だ。
 秋は、夏の景色のあちこちに密かに息づいている。それは、熱く愛を語る言葉のうちに別れの予感が含まれているように、あるいは、繁栄の絶頂に衰退への前兆が含まれているみたいに、密やかにではあるが確実に夏の風景の中に埋め込まれている。
すでに何日か前からヨツバヒヨドリ、エゾフウロ、オオマツヨイグサが咲きだし、ヒョウモンチョウの新成虫が飛び回り始めている。

 春が、生命の燃焼と膨張を無邪気に表出していることに比べて、なんと屈折していることであろう。北西からの山越しの風が強く、根室海峡は「秋晴れ」と言って構わない一日であった。
 トムラウシや美瑛岳で遭難した本州からの登山客は、このような季節の息づかいに心を向けていたのだろうか。少し気になる。

2009年7月16日木曜日

小さな学校の自然観察会

 羅臼町内の小さな小学校で自然観察会を行ってきた。生徒数22名。1年生から6年生までいる。「風の又三郎」に出てくるような学校だ。
 学校の裏の山を歩いただけだから特別に珍しい植物を見つけたというわけではないが、普段、何気なく見ている草や木の名前をあらためて知ることは、子どもたちにとって結構新鮮なことだったようで、僕でも少し役に立ったかな、という思いを抱いて帰ってきた。
 案外、一番楽しめたのは、僕自身かも知れない。

2009年7月15日水曜日

小さな学校の閉校を惜しむ

 朝から激しい雨。このところ一日おきに晴天と雨天が繰り返されているが、雨の量が大変なものである。よく空の雨がなくならないものだなあ、などと馬鹿なことを考えてしまう。梅雨前線が北上してくる今頃の季節は、各地で大量な降雨があり、土砂崩れや洪水などの災害がよく起きる時期ではあるが、南から吹き込んでくる風の温度が今までになく高い感じがする。高温に慣れていない羅臼の高校生は、20℃を超えると大脳新皮質が溶け始めるようで、なかなか辛そうだ。
 明日は、今年いっぱいで閉校になってしまう羅臼町内の小学校へ行くことになっている。全校生徒でキャンプをするという。その行事の一環に「自然観察会」が組み込まれているのだ。
 先日、下見のために学校を訪ねたが、生徒たちは初対面の僕にも元気に挨拶してくれた。海岸段丘の崖に身を沿わせるように建っている小さな学校の佇まいとあいまって、訪れる者を温かい気持ちにさせてくれる学校だった。こんな良い学校が閉校になることは残念なことだ。町の財政を考えるとやむを得ない事情も理解できるのだが。
 問題の原因は、数値で計ったり表現したりできないこのような小さな学校の良さに目を向けることなく「効率」だけを振りかざして、財政的な援助をしようとしない、国の教育行政にある。大企業には、無限と言っていいほどの援助をするくせに、住み心地の良い国土や住民を作っていくための投資はトコトンケチっているのだから。

 それは、さておき、明日の訪問を思い切り楽しみたい、と考えている。

2009年7月14日火曜日

シンジャン(新疆)が気になる

 2005年、ウルムチまで行ってきた。一人旅だった。
 北京→西安→ウルムチ と進むとユーラシアの核心に近づいている、ということがよく感じ取れる。どんどん樹木が少なくなる。
 シンジャン(新疆)の中心都市ウルムチは、ユーラシアでもっとも海から遠い町、と言われている。空港から町までバスに乗った。ウルムチに近づくにつれ、だんだん英語が通じにくくなっていくのだが、空港で近くにいた人に
「このバスはウルムチの町まで行くの?このホテルに行きたいんだけど」とたずねてみた。
 その人は、あまり英語が得意ではなさそうだったけれど、近くにいる人にきいてくれた。そして、少し後、
「このバスに乗って運転手の言うバス停で降りてからタクシーに乗れば、すぐ着くから」と教えてくれた。そして運転手に対して
「このお客を、その停留所で降ろすように」と何度も念を押してくれた。
濃い茶色の髪で緑色がかった瞳をし、目鼻立ちのくっきりとしたウイグル族の女性だった。

 ウイグルの人々の多い市場で買い物もした。ウイグル人の被る帽子を買った。店番のおじいさんは、手振りで帽子のたたみ方や格好いい被り方を教えてくれた。
 買い物をする時、高い値段を言う。値切るとまけてくれる。値段の交渉も買い物のプロセスの一部なのだ。一度値段を決めると、きわめて友好的で、釣り銭を誤魔化すなどということはまずないようだ。
 ウイグルの人たちとは、ウルムチのいろいろな場所でお世話になったと思う。仲良くなった人もたくさんいる。

ウルムチで、ウイグル族が苦しんでいる。歴史的にもずいぶん苦労をしてきているらしい。中国という国家を他の民族とともに作り上げていくのいいのか、ウイグル族独自の国家を打ち立てるのが良いのか、政治的な問題もあり、僕にはどちらが良いのかわからない。

 だが、とにかく、僕に親切にしてくれた人たちをはじめ、ウイグルの人々全部に禍が及ばないように、祈らずにいられない。

2009年7月13日月曜日

川の勉強



 猛烈な雨が断続的に降り続く一日だったが、その間隙を縫うようにしてルサ川で中高一貫の「生態系学習」というのをやった。対象は町内の中学2年生全員。
 川にはカワゲラの幼虫、トビケラの幼虫、カゲロウの幼虫、ヨコエビ、プラナリア、そしてもちろん魚類や鳥類などが生活し、上流から木の葉や枝、土砂などが流れ下ってくる。川底の石には藻類がビッシリと付いている。
 森と海を結ぶ物質の通り道であると同時に独自の生態系をもった世界なのだ。ふだん、学校では、特に小学校では「川に近づいてはいけない」と教えられてきた子どもたちに、川に入って生きものを探しなさい、という指示は何よりも歓迎されたようだ。雨に濡れ、靴に水が入ってくることも厭わず、川の中ではしゃぎ回る姿を見ていると、自然と子どもを切り離してきてた大人の罪を感じてしまう。

アルクティカ またまた

7月12日(日)
アルクティカ また
 突然パワーが消えた。エンジンの回転は変わりなく続いている。床を何かがゴンゴンゴンと叩いている。
 すぐに原因はわかった。シャフトだ!
 路肩に寄せ、床下をのぞいてみた。案の定だった。
 常時四輪駆動であるアルクティカには、駆動するためのシャフトが2本ある。
 レッカーの手配。現場位置の正確な連絡。代車の要請。路上で故障したときの対応は慣れたものだ。(こんなことに慣れてどうする!)
 現場は釧路市の近くだったが、中標津の修理工場の人が迎えに来てくれた。不幸中の幸いである。
 シャフトが外れた場合、外れたシャフトが振り回されてあちこちの部品を傷めることがあると聞いていた。今回は、幸いなことにそれは避けられたようだ。
 それにしても、またまた、修理だ。ため息。

2009年7月11日土曜日

エスカロップ事件

 昨日、イタリアンレストランで美人と向かい合っていた。モッツァレラインカロッツァのサラダ、スモークサーモンとほうれん草のクリームパスタなどを注文し、豊かな時を過ごしていた。誕生日の前夜祭だ。
 最後に僕はコーヒーを飲むことにした。イタリア風ならやっぱりエスプレッソだべ。この時、ジョークをひとつ思いついたので口にしてみた。
「あのウエートレスさんの所にツカツカと近づいてさ、『スミマセン、エスカロップひとつお願いします』って言ったらビックリするだろうね」
「案外『わかりました』と言って、エスカロップがそのまま出てきたりしてね」
 エスカロップというのは、根室以外に居住しているヒトにはわかりにくいかもしれない。根室独特のメニューで、バターライスの上にトンカツを載せ、デミグラスソースをかけた食べ物のことだ。 

 他愛ない会話をしているとウエートレスさんが食器を片付けに来た。気を取り直して食後のコーヒーを注文しようとして声をかけた。
「あのぉ、エスカロップひとつお願いします」
ウエートレスさん、目をまん丸くして驚き、次の瞬間には僕らも彼女も吹き出した。

 大失敗。

2009年7月10日金曜日

気象通報

 昨日とは正反対の寒い、雨降りの日であった。
 雨は未明に降り始め、午後に入ってもまだ降り止まなかった。

 いま、「野外活動」という科目で天気図を描く実習をさせている。ラジオ(NHK第二放送)の「気象通報」を聴いて、天気図用紙に各地の天気、風向、風力、気温、気圧、低気圧や高気圧の位置、前線や等圧線の通っているポイント、などを記入して天気図を描く。集中力、瞬間的な判断力、推理力など知的な総合力を必要とする。遠い昔、自分も通ってきた道だ。熱心に取り組んでいる高校生の背中を見ていて、ふと過去を懐かしむ気持が湧いてきた。
 ああ、はるかはるかな昔のことだったなあ。 

2009年7月9日木曜日

暑い一日

 暑い一日だった。
 バイクで出勤。

 一人暮らしになってイヌもネコも置き去りにされることが多くなった。最低限散歩や餌、トイレの清掃などはやっているが、ヒトとの接触が減っていて、かれらを見ていると、なんとなく不満そうだ。
 ヒトは、彼らから精神的に慰められたり勇気づけられたりしているわけだが、彼らだってヒトとのふれ合いから何かの力を得ているのだろう。

 明日から週末。じっくりと遊んでやろうと思う。

2009年7月8日水曜日

探鯨譚(クジラをさがす話) その9


 クブイリチーを作った。
 コンニャクや蒲鉾、肉などを炒め、コンブを加えて煮込んだ沖縄の家庭料理だ。知床概論Ⅲで昆布の勉強に入った。羅臼で採れたコンブが、どのように消費されたかを考えることが目標で、大きな消費地の一つの沖縄でコンブがどのように利用されているかを教えたかった。
 黒板に「クブイリチー」を書くだけなら簡単だ。こんな料理でこんな味なんだ、と実物を突きつけてやるのもたまにはいいだろう。
 生徒たち、美味しそうに食べていた。心底美味しそうに食べている様子を見て、僕の方がビックリした。
 まあ、隣の教室で
「サインシータが…」とやっている隣で、何か食べるというのは、実際よりも美味しく感じることだろう。


探鯨譚(クジラをさがす話)  その9
 今朝も羅臼でもっとも生きの良いホエールウォッチング船「E号」は出港して行った。今にも雨が降り出しそうな空もようだ。今日の航海には、東京から来たお客さんが乗っている。北海道、中でも道東に強い憧れを持ち、何度も訪れてきたが、羅臼に来るのは初めてということだった。もちろんクジラを観に行くのも初めてとのことだ。初めて訪れた者に対しても根室海峡は不機嫌で、濃い霧が海面を覆っていた。
 昼過ぎ、港に帰ってきた彼女に聞いたところ、霧であまり見えなかったが船の間近でマッコウクジラを一頭だけ観ることができたということだった。船長も諦めかけていた時に好条件で一頭観られたということがかなり嬉しかったらしい。興奮気味に話していた。
 クジラも海も気まぐれな自然で、ニンゲンは、自分の都合をいかに主張しても受け付けてもらえない。自然の状況をただ受け入れるしかない。クジラを探して海に出ても、いつでも会えるというわけではない。
 仏教用語だと思うが「寸善尺魔」という言葉ある。「善なるものはわずかで魔なるものの方がずっつ多い」という意味だ。根室海峡のクジラは、「寸鯨尺霧」とでも呼んでいいのではないだろうか。

探鯨譚(クジラをさがす話) その8

7月7日(火)

 七夕であり、満月であり、小暑である。
小暑であるが非常に暑い。(羅臼にしては)

 晴れと凪が二日続いた。こんな日は海に出たいものだ。油を流したような水面に憩うマッコウクジラの背中を見て、噴気のリズムに身をゆだねていたい。
舷側にあたる波の音、海鳥の鳴き声を運ぶ風が、幻想のような眠りに誘ってくれるだろう。
 昨日、アルクティカをガス欠させてしまった。ぬかっていた。どこかに精神の緩みがあるに違いない。
 自戒自戒。
 
 探鯨譚(クジラをさがす話)   その8
 食物連鎖や生態系ピラミッドは、今では多くの人々に知られた知識である。小中学生もいろいろな場面で登場するこの概念はよく理解している。(ように見える)
 しかし、これくらい観念が先行している概念は他にないかも知れない。子どもに限らず大人である教師も同様だ。ホエールウォッチングを単なる物見遊山と同一視している人も少なくない。そんな人たちにクジラを見せても、ブタに真珠かも知れない。
 クジラと同じ空間に身を置くこと自体に意義があるし、全ての学習はそこから始まるはずなのだが。
 環境教育におけるホエールウォッチングの意義がもう少しだけでも広く理解される日はいつ来るのだろう。

2009年7月6日月曜日

探鯨譚(クジラをさがす話) その7

昔、日本近海郵船で釧路・東京間のフェリーに乗客も乗せいていた時代があった。30時間以上かかった。午前中に釧路港を出港して東京の晴海に着くのは翌日の宵だった。おそらく日本国内最長の船旅の一つだったろう。
 何度かこの航路に乗った。中で、もっとも印象に残っているのは8月中旬、お盆の頃のことだった。三陸沖を航行する船は、これ以上ないような凪の海を進んでいた。暑い日で乗客はほとんどデッキに出て夏の船旅を楽しんでいた。時々イシイルカが併走して目を楽しませてくれる。イルカに飽きると舷側に目を転じる。タチウオが銀色に光って泳いでいるのが見える。そのうちにウミガメが見えてきた。なんとマンボウもいた。信じられないくらい次々と海の生き物が姿を見せる。僕は、海面から目を離すことができなくなって、ずっと見続けていた。
 そして、ついに、船から2~300メートル離れた海面が盛り上がって、大きなクジラが全身を現し、次の瞬間大きな音とともに派手な水しぶきを上げて着水したのだ。ブリーチングと呼ばれている行動である。
 あのクジラは何の種類だったのか。果たして本当に起こった事実なのか、夏の太陽に狂った頭が描いた幻だったのか。今となっては確かめようもない。 

2009年7月5日日曜日

探鯨譚(クジラをさがす話) その6

 根室に泊まった。日本野鳥の会北海道ブロック協議会総会のためだ。
 今の季節、根室市は日本でもっとも夜明けが早く訪れる。朝、4時半に起きて探鳥会に出かける参加者を見送る。上空の厚い雲の上に日本一早い太陽があると思われる。
 僕の仕事はこの後、市内の保護区視察を案内することだ。
 
 今朝は、午前5時から探鳥会。

探偵譚(クジラをさがす話)  その6
 クジラとの付き合いは、結構古い。標津高校にいた頃、標津から出るホエールウォッチング船に毎年乗せてもらった。体調を崩して、今ではもうやめてしまった船会社の社長や船長さんは、「地元の子どもたちに是非見せたい」と熱心に運行していた。今、考えると先見性があったなあ、と思う。そのお陰で標津高校の生徒たちもずいぶんお世話になった。僕自身も「ホエールウォッチングを取り入れた授業」の意義をそこで実感できた。
 標津沖で見られるクジラはミンククジラだ。ミンククジラは、髭クジラ類としては小型の種であり、ダイビングする時も派手に尾を挙げたりしない、観察対象としては地味な種である。しかし、観察船の近くにブローを吹きながら浮上する様子は迫力があるし、ハシボソミズナギドリの群れの中で採餌する姿は、海の物質循環をわかりやすく示していると思う。
 今年五月、紋別市沖でガリンコ号から海鳥の調査をしていたとき、久しぶりにミンククジラに出会った。6~7年ぶりの再会だったと思う。無性に懐かしかった。

2009年7月4日土曜日

探鯨譚(クジラをさがす話) その5


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 あくまでもひとつのファンタジーである。
 クジラは、本当はニンゲンよりはるかに賢く、世界と世界の仕組みを理解し超然といきているのではないだろうか。クジラに限らずすべての動物がそうなのかも知れない、という仮定が成り立つような気がする。

 ホエールウォッチングの船が近づくとサッと海中に姿を消す。次に浮上する点は日ロの中間ラインを超えてロシア側に少し入った点であることが、少なからずあった。本当に彼らは日本のウォッチング船がこのラインを超えられない、というニンゲン側の事情に精通しているかのようだった。
 だから我々がクジラの姿をジックリ見られるのは、偶然ではなくクジラの側に「まあ、見せてやってもいいか」という意志のある時だけなのかも知れない。何百キロも離れたクジラ同士が連絡を取り合って、
「今度はキミの番だから少し姿をみせてやれよ」
「わかったヨ。でも、あの船の船長はスピーカーでよくしゃべってうるさいからナア」
「まあまあ、そう言わずに。明日は僕が出て行くから」
などとやりとりしているのかも知れない。

 もちろん彼らはこのような言葉を持っていないかも知れない。それは、「言葉を持たないから遅れている」のではなく、「言葉を必要としないほど進化している」のかも知れないではないか!

 以上、何の根拠もない幻想であるが、彼らの行動や彼らのリズムに接するとき、なかなか頭から離れないのも事実である。 

2009年7月3日金曜日

探鯨譚(クジラをさがす話) その4


その日のクジラの行動は初めて経験するものだった。 これまで、何度かマッコウクジラを観た経験はあった。初めて経験したのは、ノルウェー北部ロフォーテン諸島アンデネス沖合だ。マッコウクジラは深海に潜って採餌する。潜行時間は20分から40分と言われている。潜行と潜行の間、海面に漂いながら休憩している(ように見える)。ウォッチング船は、休憩中のクジラを探し出して近づいていく。規則的にゆっくりと呼吸(「ブロー」というようだが)しているクジラに近寄り、静かに見守る。休憩を終えたクジラは、おもむろに潜水に移り、別れを告げるように尾を高々と挙げて海中に姿を消す。それまで息を潜めてじっと見守っていた人々は、この時、一斉に「ダイビーング」と叫んで異様な興奮に包まれる。クジラが沈んでいった海面は、沸騰しているように水の塊が湧き上がってくる。それを見て、人々はあらためてクジラの力強さを感じ取るのだ。アンデネスのホエールウォッチング(アンデネスでは「ホエールサファリ」と呼んでいた)は、およそこのような点順の繰り返しで行われていた。北極圏にある町だから夏の間は太陽が沈まない。「午後8時出航」などということも珍しくない様子だった。 根室海峡のマッコウクジラもほぼ同じような順序で観察できていた。ところが、先日、6月30日の遭遇は、かなり違っていた。全体では10回くらいの観察機会があったのだが、その大部分がブローを発見し、船が近づいていく途中で鯨が潜水してしまう、というものだった。したがってこの日は、10回もの観察機会があったにも関わらず、少しだけ物足りなさの残るホエールウォッチングになったように感じた。 原因は、わからない。たまたまそのようなタイミングが続いただけかも知れない。 あるいは、18日ぶりに現れたマッコウクジラだったのでウォッチング船に慣れていなかったために警戒心が強かった。 ムシの居所が悪かった。 ウォッチング船を鬱陶しく感じるようになった。 お腹が空いていたので、海面での休憩時間を長くとらずに精力的に潜水した。などなど。
 クジラの気持はわからないが、根室海峡のクジラたちが、ウォッチング船をうるさく感じるような事態に立ち至らないことを切に願うものである。
http://www.whalesafari.no/a/?id=66&vn=738 アンデネスのホエールサファリHP

写真は上記HPより借用

2009年7月2日木曜日

探鯨譚(クジラをさがす話) その3


 根室管内初任者教員研修会「郷土学習」の講師として羅臼湖へ案内する予定だったが、昨日から休み無く続く降雨のために羅臼湖行きは中止となり、ビジターセンターの展示やルサ川での水生昆虫採集実習などを行った。

 ビジターセンターの展示、バスの中、ルサ川とほぼ連続的にしゃべりっぱなしだった。「羅臼湖へ案内した方がらくだったなあ」と思わずホンネの愚痴が飛び出した。
 それでも、若い教員の熱心な姿勢に、話をする僕の方もつい引き込まれて、多くしゃべってしまう。どちらかと言えば快い疲れである。

   探鯨譚(クジラをさがす話) その3
クジラは不思議な動物だ。まず、圧倒的に大きい。その大きさは、地球や自然界のサイズを象徴しているようだ。人間は、自分をはるかに超えた存在に対して直感的に畏れるものではないだろうか。
 それは、クジラのみならず自然の営み全体に対する畏敬の念へと拡大していくのだろう。クジラはその象徴なのである。クジラを「観る」ことだけで、大きな教育効果があるだろう。知識は後からそれを裏付ければよい。

探鯨譚(クジラをさがす話) その2


7月1日(火)の分
 初めてクジラを見たのは、やはり根室海峡だった。羅臼ではなく、標津沖のミンククジラ。羅臼に転勤する前の学校にいた頃だった。その大きさとリズムに圧倒されるように感じた。船のすぐそばに浮上してきたところを見たことがあった。浮上直後の噴気(ブローという)の音が耳のそばで聞こえた。大音響というわけではない。もちろん囁くような音でもないが。圧倒的に量感のある音。だが、ずっと聞き続けたいような温かみのある音。その音を文字に直すことは、(僕の能力では)不可能だなあ、としみじみ思った。
あまりに深い感動に下手くそな歌を詠んだ。

  バシューという音、突然に後ろよりふりむけばクジラ姿現わす

  突然の噴気水面(みなも)を突き破る。人の奢りをいさめるごとく

  滑るごと巨体波間に沈みゆく汚されし地球かばうごとくに