2013年1月31日木曜日

窒息の春

 今日は気温が一気に上がり0℃近くになった。  夜間の冷え込みは相変わらずだが冬のピークは過ぎ去った感じがする。今日は陰暦の師走二十日。新年まであと十日だ。  陰暦がいかに季節感に寄り添ったものであるか、あらためて実感した。  そんな心弾む季節がめぐってきたはずなのだが、なんとなく気分が重い。その原因は一つしかない。  パリに本部のある「国境なき記者団」がこのほど発表した「2013年の世界報道の自由報告」で、日本の順位が22位だったものが一気に53位にまで転落したことが心の底に重く淀んでいるからだ。 http://fr.rsf.org/IMG/pdf/classement_2013_gb-bd.pdf  「報道の自由の無い国」になってからの報道だったので、このニュース自体が大きく報道されなかった。だが、このことは本当に深刻な問題なのだ。  ランクが下がったことが恥ずかしいという受け止め方もあるだろう。それも一つの問題には違いないが、そのような国で暮らすことの息苦しさがこれからのわれわれを苦しめるに違いない。いや、もうすでに苦しんでいるはずだ。  ただ、これは実に巧妙に仕組まれて密かに忍び寄ってきた事態なので、多くの人が「茹でガエル」の状態におかれて気がついていないだけだろう。しかし、最近の事例をほんの少し挙げるだけで理解してもらえよう。  女子柔道の指導者による暴力。  JOCに対して一ヶ月も前に訴えが出されていたことが今まで報道されなかった。  滋賀県大津市のイジメによる生徒の自殺。  学校や教育委員会はイジメの存在をひたすら否定し、情報を隠そうとした。  そして、最大の問題は福島第一原発事故に伴う一連の報道規制。  これらを看過すれば未来に大きなツケが回ってくる。社会の持続可能性などあっという間に蒸発するだろう。 

2013年1月30日水曜日

羅臼町のESDについて。今日は真面目に

 ESD(Education for Sustainable Development=持続可能な成長のための教育)に取り組んでいる。この「Development」の訳し方でニュアンスが変わってくるが、そのことには今は触れないでおこう。日を変えて論じてみたいと考えている。  羅臼町では町を挙げて、幼稚園から高校までのすべての学校がESDに取り組んでいる。いや、取り組もうとしている、かな。  その出発点は「無いものねだりよりも有るもの探し」から始まる。  過疎に悩む地方の町で暮らしていると嫌でも「無いもの」が意識される。特に羅臼町は漁業の不振で町の財政が逼迫していて、文化施設や体育館、中学校の校舎などは老朽化している。実際には「無いもの」によって悩まされることも多いわけだ。 だが、それを嘆いてばかりいても解決しない。それらはスッパリとあきらめて「他の場所にないけれど羅臼にはあるもの」を探してみる。するとこれが続々見つかる。笑いが止まらないほど出てくる。  当然だろう。「最後の秘境」「人跡未踏」「奇跡の海」などなどと形容される世界遺産知床半島のまっただ中の町であるのだから。本当はこれらの形容の中には正確ではなくイメージだけでそう表現されているものもある。だが当たらずと言えども遠からずなのだ。  今、羅臼じゅうの子どもたちは、少しずつ「有るもの」を意識するようになってきた。  その次に「知床」について学ぶようになる。  その学びは「IN」「ABOUT」「FOR」という三つの前置詞を基本に据えている。  つまり「知床という場で学ぶ」これは当然のことである。  「知床について」地質学的な知識、考古学的なことがら、生き物や物質循環について、さらに現在直面している問題点について学ぶ。  そして、学んだことを「知床のために」行動することで生きたものに再構築していく。 これを「知床学」と呼んでいる。  こんな「生きた」勉強をすることで、優れた人材が育ち、町全体や町民ひとりひとりが「持続可能な成長」を遂げることができたらと願っているのである。

2013年1月29日火曜日

流氷の海の物質循環   流氷百話 27/100

羅臼も含めて北根室地方は強風で地吹雪が激しい一日だった。  982hPaの低気圧が千島列島の東海上で停滞してるため根室地方の一部で結構な風が吹いた。遮るものの無い海上を疾走してきた風は、突然現れる知床半島の1500メートルを超える高さの山々にぶつかり、複雑な渦を作って舞い上がる。  風下側にある羅臼の町には、海に向かって口を開けた谷から思いもよらぬ強さで吹き出してくる。このために海面は沸騰したように泡立ち、海水と空気がかき混ぜられる。  山から流れ下る川水や流氷には栄養塩類が豊富に含まれていると言われる。海底からわき上がってくる深層水も栄養塩類が豊富だと言われる。「栄養塩類」というと聞こえは良いが、閉鎖された水系に流れ込む生活排水にも「栄養塩類」が含まれている。  その具体的な内容はリン、カリウム、カルシウム、マグネシウムetc.…etc.  酸素が少なく、温度がある程度以上の条件の時、これらの栄養塩類が多くなるとアオコなどが発生し「汚れた水」となる。  流氷の海では水温が十分に低く攪拌されて酸素が十分供給されているから植物プランクトン→動物プランクトンという順で栄養塩類が利用されてゆきバランスの取れた物質循環が成り立っている。この精緻なメカニズムは、絶妙なバランスの上にある。  羅臼ではウニ漁が始まった。もうすぐ知床の海で育ったコンブを十分に食べたエゾバフンウニが、また食べられる。

2013年1月28日月曜日

平均点の一人歩き

 北海道の小中学生の学力は全国学力検査の平均点よりも下回っている。北海道教育委員会はこの後2年間の計画で平均点を上回らせることを目指すのだそうだ。  子どもたちの基礎学力が不足していることは教育の現場にいた者として僕も痛感している。そして、人間が生きていくうえで基礎学力が低いと様々な不利益に出会う。まず、何と言っても政府や悪質な企業の真実の隠蔽や悪意あるデマゴーグを見抜くことが難しくなる。  あるいは、流言飛語に属する根も葉もない噂に翻弄され不必要に悩んだり心配したり苦しんだりする。  だからより騙されず、真実を見抜くために基礎学力は高い方がいい。  だが、学力は他者と比べて一喜一憂するものだろうか。学力検査における平均点には、どれくらいの意味があるのだろう。全く意味がないとは思わないのだけれど「得点」だけにこだわりそれを自己目的化してしまっては、学力の本来の意味を見失うのではないだろうか。  まして「平均点」にどれほどの意味があるのだろう。一定の目安になることまでは否定しない。しかし、仮に全国の都道府県ですべての小中学生が頑張って平均点を上げていったら、「平均より上回ること」にどんな意味があるだろう。  学習と評価に関して、もっと基本的なところからの検証が必要なのではないだろうか。  平均点を上げようとする政策は、学力を矮小化した数値に置き換え学力論や評価論をあまり真摯に考えない人々にも「わかりやすい」ように迎合しようとする意図が明らかだ。  こんなことでは困る。 

2013年1月27日日曜日

水の不思議 その3 雲はなぜ落ちてこないか  流氷百話26/100

「雲はどうして落ちてこないの?」  子どもに突然こんなことを訊かれたらどう答えたらいいだろう。  「雲が空に浮かんでいるのは当たり前。昔からそうだった。」と、まあ、こういう受け方もあるだろう。     しかし、それは力でねじ伏せているようなものであまりスマートではない。 落下運動は重力による加速度運動だが空気中(流体中)を落下する物体は、空気の(流体の)抵抗で一定の速度(終端速度)以上には加速されない。そして終端速度は表面積が大きいほど大きくなる。  つまり水滴が大きいほど落下速度は大きくなり、上昇気流の速度よりも落下速度が大きくなると(水滴が大きくなると)雨となって降ってくる。  では、元々小さな水滴だった雲の粒がどうして互いにくっ着き合って大きく成長するのだろう。  ここにも水という物質の特異な性質がある。水の分子は、互いに引き合いくっ着き合わずにはいられないのだ。なぜなら水の分子は、電気的な偏りが持っていて、プラスの部分とマイナスの部分がある極性分子と呼ばれる構造になっているからだ。  具体的には中央の酸素原子はマイナスに、両端の水素原子はプラスに電気を帯びている。だから分子同士が電気的な力で引き合ったり反発し合ったりする。  一般に物質は、大きな分子ほど融点が高い傾向がある。分子同士が引き合う力が強いからだ。だが、分子量18の水は、ほぼ0℃で凍る。そして、例えばアンモニアは分子量17だが融点は-77.7℃である。このように水の融点が他の同じくらいの大きさの物質と比べて飛び抜けて高い理由もここにある。  私たちの生活可能な温度の範囲内で水が氷になったり水に戻ったりしているからこそ流氷を楽しむことができる。これも巧まざる自然の恵みと言えるだろう。  僕たちは自然に対してもっと謙虚であるべきだと思う。  自然を守るにしても資源として活用するにしても自然への畏敬の念を忘れてはならないと思う。そして、その畏敬の念を抱く根拠は多面的であるほど良いと思う。  物理学とか化学とかをムズカシイと決めつけて耳目をシャットダウンさせてしまっては自然の精緻な仕組みを理解するチャンスを逸する。  豊かな心で科学を学んでもらいたい。  そして科学を教える教師自身がこのことをより深く理解してなければならないだろう。

2013年1月26日土曜日

シマフクロウをめぐって羅臼町で開かれた歴史的なシンポジウム

 今日、羅臼町で小さなシンポジウムが開かれた。「私たちの町のシマフクロウ」と題されたこのシンポジウムは、全体で2時間ほど、参加者も70~80人程度だったが、歴史的な集まりとなったと言える。  人は、動物のことになると妙にムキになるものである。ある一つの種類の動物を長い間世話し続けたり、観察・研究してきたり、あるいは写真を撮るために追い続けたりすると、その種への思い入れが強まって、「コイツのことはオレが一番知っている」というような心理になっていく傾向があるようだ。顔つきや仕草まで似てくると言う。  シマフクロウをめぐっても同様のことが言える。  シマフクロウが北海道内には140羽ほどしか生息していない希少種だ。日本の野生動物では絶滅危惧種の最右翼と言っていいだろう。  そうなると天然記念物として文化財保護法などでの保護も受けるし、環境省では保護増殖事業に力を入れている。その繁殖場所はいまだに公にできない。大袈裟に言えば国家機密のような扱いを受けている。  そのシマフクロウへの思い入れが強くなりすぎるといろいろと厄介な問題が起きる。  隠されると人はそれを見たがるものだ。あまつさえ写真を撮ることだけに命をかける「自然写真愛好家」の執念はすごい。  環境省という国の機関に隠されていると、その希少性はますます高まる。しかし、相手は野生動物だ。法律で言う所この「無主物」なのだ。  「シマフクロウが見られる」ことを売り物にするホテルなどが現れるのも当然だろう。悪く言えばシマフクロウが客寄せに利用されるというわけだ。  当然「客寄せ」に利用している「観光派」と保護増殖や研究活動に取り組んでいる「保護派」との間に深い溝が生じる。  実際、両者の間には、長い間深い溝があり、「挨拶もしない」とか「口もきかない」などという実態があった。 人は動物がらみの問題では妙に意固地になるのだ。  羅臼町内にも小さい規模ながらシマフクロウが見られる宿がある。そのことがクチコミで広がり、来訪者は増える一方だった。 今日のシンポジウムが歴史的だと述べたのは、その宿の経営者も、保護増殖活動に取り組む人々もパネリストとして参加していたからだ。  さらに観光協会や郷土資料館など様々な立場の人が一堂に会してシマフクロウのことを語り合った。  知床半島は、北海道内に生息するシマフクロウの半数が生息している。僕の職場の同僚などは繁殖期になると、毎晩鳴き声がうるさくてちょっと困るなどと贅沢な苦情を言っていた。  そんな羅臼町にとって、シマフクロウとどう向き合うべきなのか。保護増殖活動を保証し、良好な生息環境を維持拡大しつつバードウォッチャーや正しい写真家に観察の場を提供していくにはどうしたらいいかを話し合うシンポジウムであった。  もちろん問題はそれほど簡単ではない。だから、今日のシンポジウムは、結論を求めることを目的としていなかった。  ただ、画期的だったのはこれまで背を向け合っていた「保護派」と「観光派」が同じテーブルに就いたという点だ。シマフクロウ保全の歴史は羅臼から始まると言って良いかも知れない。 そんな現場に立ち会えたことはたいへん幸せなことだった。  もう一つ、両方の立場の人と日頃から良い人間関係を築き、このシンポジウムの開催へ漕ぎ着けた羅臼の自然保護官Mさんの人柄と努力を惜しみなく称えたい。

2013年1月25日金曜日

吹雪の夜の物語

 その学校はオホーツク海のほとりの小さな小中併置校だった。校長は一見豪放磊落で、思い込んだら誰も止められない勢いのある人だったが実際には細やかな心配りをする繊細な神経も持ち合わせていた。  そんな学校に新任教員として僕は12月に赴任した。その数日後、すさまじい吹雪に見舞われた。除雪体制が現在ほど整っていなかったからか、その頃の吹雪が今よりも激しかったのか、とにかく道路には一晩で家一軒分くらいの吹きだまりがたくさんできる有様だった。  お昼少し前だったと思う。全教員が職員室に集められ緊急会議を開いた。そこで授業打ち切り、保護者に連絡して児童生徒を即座に下校させることが決まった。  だが、問題が一つ残った。小学生は、全員の家が学校から歩いて帰ることのできる範囲にある。上級生が誘導したり保護者が迎えに来たりして円滑に下校可能だった。しかし、中学生の中には、そこから15kmほど山に入った地域から通っている生徒たちがいた。 基本的には彼らも保護者が迎えに来れば良いのだが、吹雪はますます激しさを増すという情報がもたらされていた。また、彼らのほとんどは農家の子どもたちで、道路から住宅までの取り付け道路が埋まっていてクルマを道路に出すのは難しいという連絡も入ってきた。  それを知った校長の決断は早かった。  「よし。送っていくべ」と。  校長自身、屈強な体育教師、そして一番若いという理由で僕の三人がそれぞれのクルマを出すことになった。それぞれのクルマに3~4人の中学生を乗せ、三台は一列になって山へ向かう。クルマのボンネットの高さほどの吹きだまりが所々にできている。先頭の校長のクルマは果敢にそれに体当たりし雪煙を立てて突き進んでいく。彼の性格のものだな、などと思いながら僕も必死で後をついていった。  しかし、吹きだまりがだんだん大型で厚みのあるものになっていき、とうとう集落の手前3~4kmという辺りで、校長のクルマが動けなくなった。スコップを出し必死で雪を掘る。男子生徒を全員降ろし、クルマを押させてやっと一つの吹きだまりを越える。次のクルマがやっぱりスタックする。同じように全員で前に進める。強風で吹き付けられる雪で顔が痛い。生徒も先生たちも融けた雪と汗で身体はビショビショになっている。こんなことを繰り返しながら100m単位でカタツムリのように前進した。 この時、必死で雪を掘りながらこれが教育の現場なんだという思いが胸に焼き付いた。  北海道のオホーツク海の斜辺で、三人の教師と十数人の中学生が汗と雪にまみれ、何が何でも前に進もうとしていることなど、東京や札幌の空調の効いたビルで机に向かっているだけの役人には想像することができないだろうなと思った。そしてつくづく「こちら側」に身を置いた自分は幸せだと感じた。  やがて生徒のお父さんの一人が、大きなフロントローダの着いた四輪駆動のトラクターで現れ、三台のクルマを集落の中心まで先導してくれた。さらに学校までの帰路にも先導してもらったので、無事に帰り着くことができた。  縁あって道東地方で長く暮らしてきた今となっては、さほどのこともない、ありふれた出来事ではあるのだが、道南出身の僕にとっては強烈な吹雪初体験だった。そして、教育という営みの本質に触れることができたような気がする貴重な経験でもあった。  今日のような吹雪の晩、決まって思い出すエピソードである。 

2013年1月24日木曜日

流氷の禁止事項  流氷百話 25/100

 日本の学校では夏休みや冬休みなどの長期休業の時、生活についての注意事項を児童生徒に与えるのが普通である。「早寝早起き」とか「夜は○時には就寝する」とか煩わしいほど細かな注意が並べられている。  オホーツク海沿岸にある学校では「冬休みの生活の注意」の一つに「流氷に乗らない」という項目を入れることが多い。この注意事項を初めて見た時、僕は理由もなく嬉しくなった。当たり前だがこんな注意を掲げている学校は、流氷の来る地方にしかないだろう。  流氷に乗ることは、なぜいけないのか。当然、いくつかの危険が伴うからだ。  まず、海に落ちる危険が考えられる。  海岸線がわからなくなっていることも多い。場合によっては氷の上を数キロメートルも沖まで歩いて行けることもある。流氷原は一面に凍りついているように見える。しかし、基本的に氷盤が集まって出来ている流氷原には、氷盤と氷盤の境目に隙間があり、その部分の海水が凍って一見しただけでは厚い部分と区別できない場所もある。誤ってそんな氷を踏み抜いたらその下は、海なのだからきわめて危険なことだ。  次に、流氷に乗ったまま流されてしまう危険もある。  見渡す限りの氷原で微動だにしないように見える氷も強い風が吹けばあっという間に吹き流される。わずか数百メートル沖まで歩いて出た時、急に風が変わるということも十分にありうることだ。  さらに、天候が急変して視界が失われ陸のある方向がわからなくなるということも考えられる。  とにかく流氷の上は危険がたくさんということで、「流氷に乗らない」という注意事項ができたというわけだ。  だが、禁止されている事こそ楽しみは深い。凍った海の上を歩くのは、たいへん楽しい。なにしろ流氷がなければそこは海なのだ。  船にでも乗らなければ絶対に行かれない場所に自分の足で行ける。こんな楽しいことはない。 前任校での授業で凍った海を渡って砂嘴(さし)から砂嘴へ海上を歩いて渡ったことがあった。もちろん十分な安全確認をしてからのことだ。生徒たちは異様なほど喜んでくれた。禁じられたことを実行できる悪童のような心理も手伝ったからなのだろう。  今でも時々思い出す流氷の思い出だ。

2013年1月23日水曜日

象はやって来るか

 埼玉県の教員が100名以上1月いっぱいで退職する意向を示していることがニュースになっている。  2月1日以降の退職者について退職金を大幅に減額すると決められたことがその背景にあるのは明らかで、現場は混乱を極めているらしい。  僕は、この話を聞いて宮沢賢治先生の「オツベルと象」を思い出した。  やり手の地主のオツベルにうまく言いくるめられた温和しい象が、さんざんこき使われた挙げ句、衰弱してしまう。仲間の象がそれを知って森から大挙して襲来しオツベルの家や工場を壊して救い出す。オツベルもその時に命を落とすという話だ。  教育の現場は、日教組をナショナルセンターとする教員組合と右翼的な教育にノスタルジーを抱く一部勢力が長い間不毛な対立を続けてきた。それぞれに言い分はあるだろうが、もはやそれは本質論からはずれ、メンツや形式的な対立に矮小化されてしまっているように見える。長年そのような現場を見てきた感じるのは、対立が先鋭化するあまり、肝心の子どもへの教育を真剣に論議する場が失われている事実があることだ。  そして、真綿で首を絞めるように教育現場への不当な介入や支配がだんだんと強められてきた。並行して給与面での待遇が劣化の一途をたどった。大多数の現場の教員は、それでも目の前にいる子どもたちのために我慢しつつ懸命に職務に取り組んできた。  教育と医療は素人が安易に口を挟むことの多い分野だから、教育のありかたや教員の待遇を巡っても床屋の待合の与太話のようなヤッカミを含む批判や中傷がまかり通ってきた。  もちろん問題のある教員も少なからずいるのは現実だが、大多数の教員は真面目に職務を遂行してきたと思う。過酷な毎日の仕事の中身を真剣に受け止める人は多くない。その結果、自殺者や精神疾患を持つ者が異常に増え、現場の疲弊はますます進んできた。  今回の埼玉県での問題は、このような背景をもって生じたことのような気がする。重い責任を負わされ、追い詰められ、こき使われても黙って耐えてきた教師たちの心の中で象が動き始めたのだろうか。  はたして、教師たちの心の森から仲間の象が救出にやって来るのだろうか。

2013年1月22日火曜日

流氷の表情・・・・その多面性  流氷百話 24/100

 今日、羅臼高校の坂道から流氷が見えた。羅臼の流氷初日だ。  一昨日の日曜日、網走沖で流氷を見てきたが、知床岬を迂回して根室海峡まで流れてきたわけだ。つい二日前のことなのだが懐かしさのようなものを覚えるのはどうしてだろう。  そう言えば流氷は、当然ながら自分自身で動いているわけではない。風や海流、波に運ばれているのだけれども、その動きの中に「意志」があるように感じるのはどうしてだろう。  地元の人の中には「流氷がいた」とか「帰った」などと表現する人がいる。たしかにそのように表現したくなるのも理解できる。  根室海峡に流れ込んできた流氷は、北西の風に押されて、国後島の海岸沿いに南東に進んでいている。だから近くで見ることはできないが、まばゆいほどに白く輝いて見えたので、分厚い本格的な氷からなる流氷の「本隊」ではないかと思われる。  一方、一昨日、網走で遭遇したのは「蓮の葉氷」という楕円形の氷の板だ。「本隊」の氷に比べて厚みがなく、低い密度で浮いているので氷と氷がぶつかり合いカドが取れて丸くなり、蓮の葉のような形になる。  視界全体にそのような楕円形の氷が広がっている景色は、それはそれで見事なものだ。流氷が昔から身近な存在だった人にとっては、蓮の葉氷など流氷群の前衛に過ぎず、「ホンモノの流氷ではない」という思いが強いかも知れない。  しかし、たとえば台湾からはるばるやって来た人々にとって、海に氷が浮かんでいるという現実だけで十分驚くに値するのだろう。こんな流氷もあって良いと思うのだ。 泥が浮かんでいるような氷泥も、何トンもあるような氷塊も、蓮の葉氷も、すべて海氷である。自然の多様性をそこから学んでもらえればいいと思う。

2013年1月21日月曜日

銃口の彼方のエゾシカたちに

 今年の狩猟シーズンが間もなく終わる。それにもかかわらず、僕はまだ獲物を得ていない。気持ちは焦るのだが有効射程距離の短い僕の銃では、見通しの良い根釧原野で獲物に気づかれないように近づくのはなかなか難しいのが現状だ。  一見すると無防備に人里に出てきて餌を探しているように見えるエゾシカだが、彼らの生き残り戦術は実に巧みで、昼間は安全な禁猟区で過ごし、夜になると可猟区に入ってきて餌を食べて朝になると帰って行くということを繰り返している。夜間の発砲が禁じられていることを知っているかのようだ。いや、おそらく狩猟者の行動を知り尽くしているのだろう。そうでなければ野生動物としてはとっくに絶滅させられている。  そんな彼らを見ていると尊敬の念が湧いてくる。とんでもなく偉大な存在を狩猟対象としているのだ。遊び半分、おもしろ半分で猟をすることはできないとあらためて感じることが多いシーズンだった。    昨日、網走市を訪ねたとき、北方民族博物館にも立ち寄って見学した。たまたま、そこで 山口未花子さんという方の写真展が開催されていた。それは「カスカ~カナダ・ユーコンの森の狩猟民」と題されたものだった。  山口さんは、東北大学東北アジア研究センターに所属する若手の研究者でカスカと自然の関係について調査をしているそうだ。 「カスカ」とは民族の名称で、広大なカナダの自然の中で暮らし、ビーバー・ヘラジカ・ウサギなどを主食とし、その毛皮も利用する狩猟民のことだ。  人口約2,100人。ユーコン準州で生活している。そんなカスカの人びとの暮らしぶりを写真で紹介しくれていた。 (教育庁生涯学習推進局文化財・博物館課 かわむらさんのブログより一部借用)  その中で森の木の枝にヘラジカの気管が無造作に引っかけられている写真があった。その解説文には、以下のように書かれていた。
ひとり、わが意を得たりという気持ちになった。

2013年1月20日日曜日

流氷への旅 その2

 今年の流氷に会ってきた。 網走沖で観光船の今シーズン第一便に乗ることができた。  南西の風で起きの方へ吹き戻された流氷群は、その前衛とも言える氷泥と蓮の葉氷が帯状に展開しているだけで、「本隊」の分厚くボリュームのある本格的な流氷には会えなかった。
 しかし、台湾や本州から来た観光客はそれらの氷で十分満足している様子だった。 考えようによっては、板状の氷が海水面に漂っている様子は、流氷を見たことのない人々が抱くイメージによく一致していて、受け入れられやすいのかも知れない。  視界のことごとくが一面に氷で覆われ、まるで陸地の平原のように見える景色は退屈な物に見えなくもない。
 今日は、はるばる流れ着いた流氷たちを間近で出迎えることができたことを感謝したいという気持ちで船を降りた。

2013年1月19日土曜日

流氷への旅

 水平線が氷泥で真っ白に見えるようになった。氷泥は水温の低下した海水面に浮く小さな氷のかけらでできる。海水温が低いので融けずにいつまでも浮かんでいるものが、風や波で集められ海一面が真っ白に見える状態だ。氷の細粒を浮かべた海面は、トロリとした粥状になり波も穏やかになる。流氷接近の前ぶれでもある。  流氷の本隊も知床岬を回り込んできたらしい。  「流氷の来る浜で暮らした者は、必ず流氷のそばに帰ってくる」と聞いたことがある。  「流氷」と聞くと心がそわそわとなる感覚は、流氷を知らない人にはなかなか理解してもらえないかも知れない。  気候変動で流氷の総量は減る傾向を見せている。心が穏やかでないのは、これも理由なのかも知れない。

2013年1月18日金曜日

恐ろしい方へ走っているとは思いませんか

 今日から羅高の授業が始まった。最初は二年生の野外観察。ワシ類を観ようということで海岸線を歩いた。ウミウ、シノリガモ、オオセグロカモメ、オオワシ、オジロワシ、トドなどを観ることができた。  切りつけるような冷たい風が吹き、気温も-8℃くらいだったが、日なたの氷が融けてアスファルトに水がにじみ出していた。日射しの強さが戻ってきたということだろう。  冬の外遊びが楽しい季節になってきた。    立春が近づく心弾む思いを噛みしめているとき、不安をかき立てるような様々の出来事が起きている。  アルジェリアでのテロ事件。そして領土問題をめぐって高まる緊張。その陰に隠れるように「除染」のインチキと放射性物質による汚染が当初の予想よりも確実に広い範囲に広がっている事実が次々に明るみにでてきていること。  外交がらみの問題は、放射能汚染の広がりから世間の耳目を外らす格好の材料だろう。「福島の問題はもう片付いた」という印象を先行させ、外交問題を持ち出すことで「今はそれどころではない」と訴える。マスコミもそれに手を貸している。  内側をまとめるとき、外に敵を作る手法など手垢にまみれて黴が生えたやり方なのだが、いまだにそれが通用しているところがバカバカしくもあり、恐ろしくもある。  どうしようもない状況になり果てている。

2013年1月17日木曜日

オオハクチョウが渡っている

 一年前の小ブログに「フランスでは政府が国民を恐れているけれど、アメリカでは国民が政府を恐れている。」というフランス在住のアメリカ人の言葉を引用していた。  そして、日本の政府は国民を恐れておらず、アメリカを恐れていると付け足してあった。  アメリカの医療費と医療保険制度の問題点について厚かったドキュメンタリーを観た感想として書いたものだが、多くのことに当てはまる。 そのフランスもなんだかきな臭いことをやり始めた。フランス国内でのテロという事態も心配される。ヒトは本当に進歩のない愚かな生き物だ。  今朝、通勤途中、知床半島基部の海岸段丘の上を北北西の方向へ飛ぶオオハクチョウの小さな群れを見た。あの場所、あの方角への飛行はオホーツク海へ向かう渡りのコースだ。渡りの時期には早すぎる。なにしろこれから流氷が接岸しようという時だから。  少なくとも一ヶ月は早い。ハクチョウだけにフライングなのか、などとクダラナイことを思い浮かべてしまった。冗談はともかく、あの群れはおそらく網走の濤沸湖あたりを目指していたのだと思う。これから2月いっぱいを濤沸湖で過ごし、3月末から4月にかけて大勢のハクチョウたちが飛来する前に、さらに北を目指して飛ぶのであろう。  ハクチョウの行動は血縁のグループが基本だと言われている。渡りにコースや時期は、一族の中で受け継がれている。今朝、出会った群れは、他の群れに先んじて渡りの行動をするようにプログラムされた遺伝子を受け継いでいる一族だったに違いない。  気ぜわしく渡って行くグループ、大勢が一斉に行動するグループ、のんびりと全体の後ろから渡るグループ。同じ種の渡りという行動でも多様な行動様式がある。この多様な行動様式は、気候の極端な変動など環境の激変に対してしなやかに対応し、種の絶滅を防いできた。巧まざる自然の知恵と言えよう。  野生生物が同種内で殺し合うことがあったとしても、それには必ず何かの種の保存上の意味がある。ヒトという生き物の場合、どう考えてもそのような意味は見いだせないのではないと思うのだが。  それにしても極端に早い渡りに、なんとなく不吉なものを感じるのだが、そんな「予感」は外れてもらいたい。

2013年1月16日水曜日

「氷雪の首都圏」について考えた

 14日、関東地方の大雪は、首都圏に大混乱を引き起こし15日になってもその影響が残ったようだ。鉄道、空港、高速道路などの交通機関だけでなく氷った道で転倒して救急搬送された人も多かったようで、けが人が1000人を越えていたはずだ。気の毒なことだと思う。  「雪に慣れていない」と言ってしまえばそれまでだが、この現象の根本には何か構造的な問題があるような気がしてならない。  たとえば、鉄道の混乱の原因は、除雪体制の貧弱さ、以外にポイントが凍結して切り換わらないとか、電車のパンタグラフが雪の重みで架線から離れてしまうことが原因だという。関東地方とは比べものにならない豪雪地帯や寒冷地でも鉄道は問題なく運行されいる。この程度の雪に対応できないほど技術水準が低いわけはない。要するにめったに降ることのない雪への対策は、コストの無駄だと判断された結果として雪への弱さが露呈したのである。  コストのために雪への対策を削るなら降雪時には全ての運行を縮小すればよい。会社や住民もそれに合わせて活動を自粛すればいい。雪だから仕方がない、と諦めるべきではないだろうか。所詮自然の力には逆らえないのだ。嵐が止むまで待つしかない。  このことは個人のレベルでも言える。皆さんの靴箱の中に長靴は入っているだろうか。雪道で滑るのが不安な人はスパイク付きの長靴を持っているだろうか。雪用の手袋や防寒のための帽子、フード付きで防水性の高い上着はあるだろうか。おそらく収納する場所が無いなどの理由で持っていない人も多いのではないだろうか。  それなのにどうしても普段通りの活動をしたいと考えるのだろう。スニーカーや雪駄を履き、コンビニで売っているよな傘をさしてシャーベット状の雪が積もっている中を歩いている姿は、失礼ながら気の毒を通り越して滑稽に見える。どんな状況でも普段と同じ活動を維持したいのなら、それなりの備えを整えるべきだ。応分のコストをかけてきちんと対策を講じておくべきだ。「日常生活の質を維持したい。しかし、コストはできるだけ抑えたい」というのは、虫が良すぎる。しかし、無意識にそう考えている人は案外多いのではないだろうか。  だからこそ多くの人が、原発への漠然とした不安を感じながらも膨大な電力に依存し続けるという「原発離れの出来ない気分」を醸成しているのではないか。  今回の雪は7年ぶりだという。  7年に一度の降雪と寒波に、かなりのコストをかけて日頃から備えをしておくのか、そのコストを削って、雪の日は活動を縮小するのか、どちらかを選択するべきだろう。中途半端な対応の結果として今回の混乱が生じたのではないだろうか。  そして、7年に一度の事態への備えを軽視する風潮は、1000年に一度の災害が未曾有の大公害を招いたということを銘記する必要がある。

2013年1月15日火曜日

ドジョウからウナギが生まれる時代が来るだろうか

東京海洋大学大学院の吉崎悟朗教授が、凍結保存したヤマメの精巣を解凍してニジマスの稚魚に移植したところ、オスとメスの体内でそれぞれ精子と卵が作られ、このオスとメスを交配させた結果、ヤマメの子を生ませることに成功したというニュースが取り上げられていた。  伝えられたことだけでは詳しくはわからないが、増やしたい魚の精巣さえ手に入れば、その近縁種を使って、目的の魚種を増殖させることができる技術の基礎が確立したということなのだろう。今まで誰も実現できなかったことが可能になったという点では素晴らしいことだ。 しかし、気になる点がいくつかある。  第一にこの操作を野生の魚に対して実施することで遺伝的多様性が失われる心配はないのかということだ。  そもそも、この操作によって生まれる稚魚は、遺伝的多様性をもっているのだろうか。  第二に魚類は野生動物であると同時に「水産資源」として産業活動の対象にされている。シロザケの人工ふ化技術によって、野生のサケ科魚類の分布が攪乱された歴史が再び新たな形で繰り返される恐れはないのか。  産学協同の研究の突出で、この技術が拙速に産業に応用される危惧はないか。   報道では、この技術によって絶滅のおそれがある魚種の遺伝子が保存できる点が盛んに強調されている。  日本では、現在河川環境の悪化、外来魚放流、乱獲などによって多くの魚種が絶滅に瀕しているのは事実だ。この方法によれば、オスの精巣を凍結保存しておけばその魚種を復活させることが比較的簡単に可能になる。だから、緊急避難的にこの方法を用いることは有効だし有意義なことだと思われる。 しかし、絶滅に瀕した魚種を救う方法があることで、一つの種の絶滅や一つの水系で特定の種が絶滅することを安直に許容するようになるなら本末転倒であり、論外だ。  さらに、どのような予想外の問題が生じるかわからない部分も多いだろう。生態学的な評価を徹底的に行い、慎重に実用化して欲しいものである。

2013年1月14日月曜日

成人の日・・・新成人は成人たり得るか。そして日本社会は・・・・。

 成人の日だ。成人式の話題があふれた。  今朝、ラジオを聴いていたら「成人の日の思い出」というテーマで様々なエピソードが聴取から寄せられていた。  その中に「成人式には出席しなかった」と書いていた人が意外に多かった。そして、その理由は晴れ着やスーツを準備できなかったからというものが目立った。中には、成人代表で決意の言葉を読むことになっていたのだが、スーツが無くて結局欠席してしまった、というものさえあった。  これを聞いているうちに、僕は無性に悲しくなってきた。一人前の人間に成長したことを祝福されるべき「成人の日」に、なぜ背負う必要のない悲しみを背負わなければならないのか。  晴れ着姿で街を歩き回る「新成人」たち。そのうちのどれだけの若者が自分のお金でその装いをしているのだろう。  外見や形ではなく、その中身で自分を飾ることはできないのだろうか。そして、それを是とする社会になれないのだろうか。日本の「豊かさ」とは、こんな皮相で表すことしかできないのだろうか。  成人式に晴れ着を着、就職試験ではリクルートスーツを着る。異常な横並びの現象だ。「皆と同じなら安心する」というを価値観がよく育っている。その原点は高校生の頃、制服を強要されてきた体験かも知れない。  「一生に一度のことだから」と反論されるかも知れない。我が子を着飾らせたいという親のエゴがそうさせているかも知れない。  だが待て。  僕たちにとって、毎日毎日、一瞬一瞬がすべて「一生に一度のこと」だ。そして、親の庇護から離れ自立への決意を固めるのが成人の日なかったか。  自治体の行う成人式も出席案内に断り書きを入れるべきだ。「普段着で来て下さい」と。

2013年1月13日日曜日

寒冷地で暮らす・・・水は固体だ

 今年の寒さには「厚み」が無いと感じていた。多くの人も同感だと言っていた。ただし、気温の数値は例年になく低い。記録的だ。その影響で水道管の凍結が多いのも事実だ。  わが家でも台所の流しの排水管が凍った。これまでに無かったことだ。  上水道が凍って水が出なくなるのも辛いことだが排水出来なくなるというのも苦しいものだ。  凍結したのは先週の火曜日。三連休に入った昨日から修理に取りかかった。  排水管をむき出しにしてみると流し台から下りてくる管と下水に流し出す管の接続部が凍結していた。驚いたのことに、その接続部は床下を通った外気が直接かかるようになっていた。  なぜ、このような構造になっていたのか信じられない。  これは、設計施工の段階からの問題だ。寒冷地に建てる住宅であれば、水回りの凍結防止を最優先に考えるのが当然であろう。北海道の建物ならそれが常識だ。  ところが、住宅だけでなく自動車もプラスチック製の雪かきもカメラも、多くの物が「内地標準」で設計されている。  クルマのワイパーがフロントガラスに凍りついて作動しなくなることがある。最近のクルマではワイパーの収納位置にヒーターが取り付けられるようになってきたが、まだ少数派だ。-20℃以下ではエンジンオイルの粘度が上がり始動しずらくなる。ヨーロッパの寒冷地のクルマにはオイルパンヒーターが装備されていて、油温の低下を防いでいるが、僕の知る限り国産車ではそのオプションさえない。  プラスチック製雪かきは-10℃以下では非常に脆くなりすぐに割れる。  カメラの多くは極低温になるとレンズカバーが凍結して作動しなくなる。  これらは、設計者が一工夫すれば解決できる問題だが人口が少なく、したがって需要が少ない地方のことなど商品開発者の眼中に無いのだろう。  われわれは、それぞれに個人が工夫して温帯文化で作り出された製品に寒冷地対策を講じていくしかない。     こうして極寒地の生活で問題点に突き当たる度に、自分たちは「中央」とは異なるマイノリティだという自覚が高まっていく。「生きる力」が鍛え上げられているのだから、実はそれほど気になっていないのだが。

2013年1月12日土曜日

森を歩けば

 このところよく森を歩き回る。  わが家の草地(「原野」と呼んでいるが)の周辺はちょっとした樹林に囲まれていて、その中の西別川沿いの林は永年にわたり人手が入っていない。「森」と呼ぶのはちょっとおこがましいのだが、市街地や道路からかなり離れていること、そこへ至る道が無いことなどから勝手に「森」にしている。  確かに雪の上には動物たちの足跡以外は見つからず、人が入ってきている形跡は見当たらない。こんな場所が自宅から歩いて数分のところにある環境は嬉しい。  いつも森を歩くようになると樹木の一本一本の特徴がわかるようになる。今までは、どれも同じような木で区別がつかなかったが、それぞれの個性が見えてくる。もちろん、すぐ「なじみ」になる木もあるし、あまり目立たない木もある。  特に、最近足繁く通っている河畔の森は小径木が密生しているので目立たない木が多い。そのため、これまで一本一本をじっくりと見る機会がなかったのだろう。「森を見て木を見ない」状態だったかも知れない。  一本ずつの特徴がわかってくると、それらがむやみに愛おしく感じるものだ。まるで昔からの知り合いででもあるように。  今日は一本のキハダに寄りかかって30分くらい動かずにじっとしていた。ゴジュウカラ、ハシブトガラ、エナガ、コゲラなどがすぐ近くまで寄ってきた。その後にアカゲラとカケスが寄ってきてワタリガラスが頭上を通り過ぎた。  歩き回っていると、これらの小鳥たちは、一定の距離以内に近づいてくることはない。動かずにいると近寄ってきてくれる。双眼鏡など不要な距離にまで来る。  考えてみると当たり前なのだが、久しくこのような体験から遠ざかっていた。忙しかったからだ、と言い訳したくなるが止めておこう。  「自然環境教育について」などと普段エラそうなことを振りかざしているが、自然の懐の深さを自分はまだまだ実感してないのだなと反省した一日だった。  夕方、犬を連れて原野を歩いていたら一羽のコミミズクが、ちらりとこちらを見て通り過ぎた。  「やっと気づいたのか?お疲れさん」と言うように。

2013年1月11日金曜日

経済のことはサッパリわからないが

 政権が交代してから突然円の為替レートが安くなり、株価が上がった。  安倍政権は今後、日本経済を「成長」させるための政策を次々に打ち出している。それに応じるかのように、いろいろな経済指標が上昇し、一見景気が回復の兆しを見せたかのように見える。  しかし、どうしてもそれがホンモノに感じられないのは偏見なのだろうか。  経済学者や評論家からは日銀の金融緩和推進や2%の物価上昇を目指す政策を進める事への危惧が指摘されている。  デフレのように経済活動が停滞したまま物価だけが上昇する現象をスタグフレーションと言うそうだ。  大企業各社が過去最大の内部留保をもったまま、労働者の賃金を限りなく圧縮し、国民同士が羨む相手の給料を下げさせようとする足の引っ張り合いをしている現状をさらに強めるのであれば、物価は上がり収入は伸びないという状況は簡単に生まれるだろう。  現に円が安くなった影響で、石油製品は値上がりする傾向にある。  輸入品は高くなるのだ。  あっ!そうなると輸入ウイスキーも値上がりすることになるナ。わっわっわっわっ!大変だ。

2013年1月10日木曜日

「スーパーおおぞら」で

 札幌の父を見舞い、帰路についた。列車の発車時刻より若干早めく父の病室を出て、少々買い物をしてから14時20分発の「おおぞら7号」に乗った。  この編成は、先日走行中にドアが開くトラブルを起こした編成らしく、普段は2両ある自由席車両が1両のみに切り詰められていた。その影響で僕の乗った5号車はキハ282の2000番台で、シートがちょっと安っぽい自由席用の車両だった。  乗り心地は五十歩百歩だから、珍しい運用を体験できたという点で、マニア的には喜ぶべきなのだろう。 以前も書いたことがあったが、釧路と札幌の間を往復する「スーパーおおぞら」に使われている車両は、キハ283系というディーゼルカーだ。「スーパーおおぞら」は一日7往復14本あり、約4時間で走っている。  釧路・札幌間は自動車で高速道路を使っても6時間くらいはかかるし、高速料金も安くない。400キロ以上の道のりがあるので燃料代もかなりかかる。だから鉄道に乗れば居眠りをしたり本を読んだりしながら快適に旅できる。おまけに経済的だ。  そんな理由で、鉄道を利用する人は多く、この特急列車は人気のある方だと思う。  ただし、そのような「稼ぎ頭」の特急として、非常に過酷な運用を強いられているように思われてならない。「スーパーおおぞら」が釧路と札幌の両終着駅で折り返すための停車時間は、概ね40分くらい。その間に座席の向きを変え、車内の清掃を終えて慌ただしく引き返していく。  カーブで車体を傾ける振り子式だからカーブを曲がる時でも速度を落とさず、最高速度130km/hで飛ぶように走っている。機械だから文句は言わないだろう。だが、それにしてももう少しいたわって使ってやれないものかと、お節介なことを言いたくなってしまう。  まあ、経済最優先の社会にあって、「休むこといたわることは悪」とされ、人間でさえ酷使され使い捨てられていく世の中だから、「たかが機械」である鉄道車両に同情は無用と言われそうだ。しかし、昔の国鉄時代と比べて現代の鉄道車両はみな疲れていると感じている人も少なくないのではないだろうか。   そして、恐ろしいのは、機械を酷使し続けることで、予測不能の大事故がおきるのではないかということだ。  「スーパーおおぞら」は、昨年あたりから大小のトラブルを起こしてきた。つい先日、中央自動車道の笹子トンネルでの天井板崩落もあった。  効率と経済性だけを極端に追求する基本構造を変えなければ、日本は本当は非常に危険な水域に突入しているのではないだろうか。

2013年1月9日水曜日

オリンピックなんてトンデモナイ

 2020年のオリンピックを東京に招致するためのキャンペーンが突然、異常に展開され始めた。  競争相手となる他の2都市よりも有利な条件が揃っているが、国民の支持だけが足りないのだという。そこで、大手のマスコミを総動員して一大キャンペーンを企んだのだ。日本の世論誘導を得意とするマスメディアたちは、あの福島の原発事故隠しで実績を積んだことで「二匹目のドジョウ」を狙ってこのキャンペーンに加担した。  もっとよく考えてみるが良い。  今の日本は、本当にオリンピックなどを開催して浮かれていられる状況だろうか。原発事故以来町全体が避難して30年は帰られないと言っている自治体もある。そして、この事態にどう対応するか、国としての方針がいまだに示されていない。  沖縄では米軍基地に駐留する兵隊による犯罪が後を絶たないのに、解決の道筋が全く示されていない、というより解決する気がないのだろうけれど。  辺野古に新しい基地を作るという方針は、掲げられたままだ。 ゲリマンダーの小選挙区制度によって、支持率3分の1程度の勢力が3分の2の議席を占め、政治を好き勝手に動かそうとしている。     日本には、「臭い物に蓋をする」という言葉がある。 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とも言う。  オリンピック開催のムードを煽り、バカ騒ぎを盛り上げ、意味の分からない「感動をありがとう」などとわめき散らし、肝心なことから目を逸らさせる。  そう言えば、第二次世界大戦前、ナチスもベルリンでオリンピックを開催した。東京での開催も画策された。その頃のマスコミも政府考えだけを伝える発表ジャーナリズムに転落していた。 これは、いつか歩んだ墜落への道に違いない。 オリンピックなんかより、米軍基地と原子力発電所を東京に招致してはどうだろう。そうすれば、マスコミの作り出す大嘘に踊らされる人々も目を覚ますのではないだろうか。

2013年1月8日火曜日

「死」への断章・・・そこはかとない思い

 とても衝撃的なニュースが昨日の僕を待っていた。  お世話になり、信頼している友人の愛犬が、突然亡くなってしまったという。  まだ、それほどの年齢でもないのに、不慮の事故で亡くなってしまった。我が家の犬とも仲の良かったその犬、「サクラ」の元気だった時の姿が偲ばれる。  そんなサクラとサクラの主人に捧げる詩  引き裂かれた二人の間に  時はゆっくりと流れ込み  その生傷を癒してゆくだろう  心ならずも訪れた別れの悲しみは  すぐに癒えるものではないが  やがて、やがて、  温かな気持ちで語れる季節は  必ずやって来る  焦ることはない  急ぐことはない  「時」への信頼を失わずに  ゆっくり歩めばいい  もう少しで立春もやって来る

2013年1月7日月曜日

貝殻に隠れた飯を小さじにて探る パエリア 僕の七草

 今日は七草ということで何かと話題になっていたが、僕の朝食は昨夜の残りのパエリアを温め直して食べた。  パエリアというのはスペインの地中海に面した地方の食べ物で、要するに「欧風海鮮炊き込みご飯」とでも言うのだろうか。固めに炊いたご飯の芯までアサリやイカの旨みが染みこんでいて、噛むとその海の香りが口中に広がって美味しい。  アサリは貝付きのままで炊き込んでいるので、貝殻の間に詰まったご飯を丁寧に取り出して食べるのがまた楽しい。「今日は七草」とかしましく繰り返すラジオに耳を傾けながら貝殻の間に隠れたご飯を楽しみながら、ふと現代の七草が太陽暦で行われていることに違和感を覚えた。  七草がゆに入れるセリ、ナズナ、ハコベなど草の新芽は北海道においては絶望的に手に入らないが、おそらく内地でも同様なのではないだろうか。  陰暦の元旦は、今年は2月10日だ。したがって2月16日が七草にあたり、この頃であれば、地域によっては自然に生息する春の七草が手に入るのではないだろうか。  何もかも「商品」にして換金して考えなければ気が済まない現代の日本で、太陽暦の七草などほとんど意味を持たないだろう。  パエリアの奥深い味を堪能する方がずっと良いと思った。

2013年1月6日日曜日

病院という場について、少々・・・・

 年末年始休暇の最終日。  風は冷たいが穏やかな一日だった。  午前中、イヌたちと草地をゆっくり回った。  だいぶ雪が深くなり足を取られて歩きにくくなっているので、スキーを使った。  友人から預かっている紀州犬もいるので、わが家のピレニーズと紀州犬と二度に分けて二周した。  どちらのイヌも特別に人を曳く訓練をしていないが、散歩に出かけられる嬉しさから、僕を軽々と曳いて走ってくれる。それぞれに曳き方に個性があって、楽しいひとときだった。
 どちらにしても雪の原野を疾走するのは、例えようもなく爽快だ。イヌの息づかい、スキーが雪を踏みしめる音、イヌの足が巻き上げる雪、どこまでも走って行きたいところだが、そのように訓練されていない悲しさで、寄り道や途中停止も多いのだが、一度経験したらやみつきになる。  午後、札幌の父の様子を知らせる電話が入った。  腰椎の圧迫骨折という第一報は誤りで転倒してどこかにぶつかったことによるたんなる打撲のようだとのことだった。  このこと自体は一安心なのだが、高齢であるため相変わらず自力で起立することはできないことには変わりはない。  もう一つ、今、感じている問題は病院の看護の質である。  これは、実際に僕の眼前で繰り広げられた事実なのだが、父のベッドサイドに来た看護師が父に血液型を訊いた。 「○○さん、血液型は何ですか」と尋ねたのだ。  父は、耳が遠いのではなく、聴き取りの力が落ちている。ゆっくりと問えば普通に会話が可能な状態なのである。  しかし、その看護師は、耳が遠いものと思い込んでいるらしく、父の耳元で大声によって問いを繰り返した。  もちろん僕らは、「ゆっくり話せばわかりますから」と、父の聴力に関する実情を説明した。だが、残念なことに彼女はそれをわかってくれなかったようで、その後も大声でしかし早口で話しかけることを止めることはなかった。  その病院は高齢の入院患者が多く、スタッフは、高齢者を扱い慣れているように見える。だが、それはしばしば一人一人の人格を尊重した上で扱っているようには見えないことがある。  世の中にはいろいろな人がいる。性格も違えばそれまで携わってきた仕事も違う。老い方だって人によって全く異なっているだろう。一人一人の状況を把握したうえで、その人にもっとも適した方針をもって看護に当たるのが理想的な形ではないだろうか。  その時に、絶対に忘れてほしくないのは、どの患者にも、その人を大切に思っている家族がいるということだ。これは教育の場にも共通して言えることだ。  父の入院に関して、感じている心配が、一看護師の問題であれば、まだよい思う。  しかし、これがその病院の勤務体制など組織的な原因によるものであれば、人の生命を扱う現場としてどうなのだろう。  そして、その病院だけの問題であるのならまだよい。  日本の医療政策がその背景にあって、このような病院が存在しているのだとすれば、どうにも情けないことだと思うのだ。

2013年1月5日土曜日

厳冬期のメッセージ

 冬至から半月近くが過ぎた。  日差しがわずかに強まってきたように思えるのは、気のせいだろうか。  冷え込むこと寒いことは、全く気にならないのだが、最近は、冬季間の日の短さ、光の弱さがとても気になるようになった。  冬至から少しずつ日が経ち、日長が少しずつ延びてくることに、大きな喜びを覚える。  そして、次第に日脚が延びて来るにしたがってオホーツク海沿岸には流氷が近づいて来る。近づいて来るはずなである。  気象台の発表では昨日の段階でサハリンの東海岸に接岸し、南下の機会をうかがっている様子だ。  昨年の同時期もほぼ同様な位置にあったので今月末くらいには接岸することになるだろうか。  しかし、気になることがある。  今年の流氷の密度が小さいと言われていること、流氷を南下させる北西から風の吹く日が例年より少ないような気がすることだ。  なんとなくいつもと違うように感じる冬。  流氷にも何か異変が起きるだろうか。  地球上の生物としては、全くどうしようもなく新参者の人類が、地球環境をここまで狂わせてしまった事実を今、われわれは突きつけられている。  この事態にどう対応するか。  地球からのメッセージにどう応えるか。  今、まさに問われている。

2013年1月4日金曜日

「除染」のカラクリと誤魔化し

 北西からの風の強い寒い一日だった。  先ほど読んだ毎日新聞web版に次のようなニュースがあった。  国が直轄で行っている除染で、除去土壌や枝葉が川に捨てられるなど不適正に処理されているとの指摘があり、環境省は4日、実態調査に乗り出した。事実ならば、放射性物質汚染対処特別措置法に抵触する可能性がある。  指摘があったのは、福島県田村市、楢葉町、飯舘村の3市町村の除染現場。環境省の除染ガイドラインでは、除染で発生した放射性廃棄物は飛散防止のため、袋詰めなどの措置を取るよう求め、特措法で不法投棄を禁じている。  しかし、一部の請負業者が、落ち葉などを川や崖下に捨てた疑いがあるとの指摘があり、環境省は来週中にも元請けゼネコンの現場責任者を環境省福島環境再生事務所(福島市)に呼び、事実関係を確認することにした。  国は、旧警戒区域と旧計画的避難区域(11市町村)を除染特別地域に指定し、直轄で除染を行うことになっている。これまで、指摘のあった3市町村のほかに、川内村を加えた4市町村の除染作業をゼネコンの共同企業体(JV)に発注。本格的な除染作業が始まっている。  除染方法について、環境省は元請けゼネコンとの契約時に、特措法や除染ガイドラインなどの規定に沿って実施するよう文書で求めている。また、環境省は、再生事務所の職員に現場を巡回させ、適正に行われているかをチェックしてきたとしている。  原子力発電の危険性の中に人間の犯すミスによる危険が消し去れないという論議があった。どんなに安全策を講じても不確定なヒューマンファクターが働いて事故が発生する危険を消し去ることはできないというものだ。  今回、福島での事故が起きた直後から「除染」という言葉が盛んに使われ始めた。  「除染」という語はATOKの辞書でも変換できない。このことは、つまり広域で大規模な放射能汚染が起きてしまってから急造された言葉だということを意味する。  言葉が先に出来あがったのだ。だからその方法や手順は不完全なままだったのだろうが、人々は急造された言葉がマスコミも政府も一体となって使われることで、明らかに過度な信頼を寄せてしまった。  日本の優秀な官僚のねらいは見事に的中し、除染で事故前のような環境を取り戻せると信じる人が増えつつある。  「除染」自体、どれほどの効果が期待できるのか定かではない。  そして、それ以前の人為的なミスやこの記事にあるような悪意による手抜きによって、実はあまり信頼できないものであることが明らかになってきた。   「除染が済んだ」ということで人々をそこで生活させようとしている地域があるが、本当に安全になったと言い切れるのだろうか。  どうしても納得できない。特に、子どもたちに対して、もっと慎重な判断をしなければ10年後20年後に禍根を残すことになりはしないだろうか。

2013年1月3日木曜日

冬型の気圧配置が強まった。  晴天で気温も-5℃程度なのだが風が強く、ときどき地吹雪になる。  こんな日は、積極的に外へ行く気になれず、朝から家に籠もっていた。    昼近くなり、風が弱まってきたので外を歩いてみることにした。
風は、すべてのものに陰影を与える。
太陽に向かって一羽の若いオジロワシが舞っている。
時折、思い出したような突風が雪の煙を舞い上がらせる。
いつ通ったのだろう?キツネの足跡は一直線だ。
原野を歩くときの目当てになっているサクラの古木。
トドマツが新しい雪をまとっている。薄手の揃いのコートといったところか。
こんな日も、原野で暮らす動物たちは、引きこもってなどいなかった。 さあ、午後から知床へでかけようか。

2013年1月2日水曜日

ワタリガラスの季節

 ワタリガラスの目立つ年だ。  全道的な(つまり世界的な)傾向かどうかはわからない。  ただ、わが家の周りでは例年になくワタリガラスが目立つ。    ワタリガラスは北極地方から冬に渡ってくるカラスで、日本で普通に見られるハシブトガラスよりも一回り大きい。  全身が黒いカラスだから一見しただけでは見分けがつかないが、慣れてくると横顔のシルエットが少し違っている。  だが、決定的な識別ポイントは鳴き声だ。普通のカラスよりも高い声で鳴く。代表的な聞きなしは「カポン、カポン」だが、鳴き方には多くのバリエーションがあって 「ウーウー」とか「ワンワン」と鳴くこともある。一定していないが少なくとも「カー、カー」とは鳴かない。  このワタリガラスは北方先住民の神話に必ず登場し、神話の中で様々な役割を負っている。内容は様々だが共通しているのは、ワタリガラスが知恵者であるということだろう。 それによって、火の使い方とか、航海すること、獲物を分け合うことなどを教えたとされている。  要するに聖なる存在と見なされているのだ。  今冬、ワタリガラスが大挙して日本に渡ってきているとすれば、われわれに何を伝えようとしているのか、ちょっと気になる。

2013年1月1日火曜日

紅の 動かぬ灯し 高々と 一輪で立つ かがり火草は

 昨年2月に買ったシクラメンが一夏を乗り越え、また花を付けた。  12月中頃からずっと咲き続けているただ一輪。  だが、根元には蕾がたくさん形成され、最近になってずいぶん大きくなってきた。  シクラメンは「カガリビソウ(篝火草)」という和名も持っている。花を横から見るとたしかに炎が燃えているように見える。  この篝火は、自然とのあるべき距離感を見失って迷走する現代の闇を照らす灯となりうるか。    こんな篝火が、そこにもここにも無数に点り始めれば、人類は進むべき道をまだ知ることができるかも知れない。