2012年4月30日月曜日

めぐりくる春の歓びと その憂い

今日は、気温、20℃を越えたのではないかと思う。私的な測定では、21℃あった。
 昨日、エゾエンゴサクが咲いているのを見つけた。
 原野には、キジバト、ベニマシコ、ウグイス、ゴジュウカラ、ハシブトガラ、ヒガラ、シジュウカラ、カワラヒワなどの歌があふれている。オオジシギの鳴き声と急降下する風切り音が響き渡っている。
 毎年、プクサ(キトピロ=ギョウジャニンニク)が群生する場所では、小さな芽が顔をのぞかせていた。
 春は、おずおずと、しかし確実に近づいている。

 時がめぐり、いつもと変わらぬ季節の営みが繰り返されることは、望ましくありがたいことだ。しかし、人間社会の歪んで腐りきった構造が、相も変わらず繰り返されることには辟易する。
 ツイッターで知って東京新聞の今日の社説を読んだ。
 それによると、今から36年前、京大物理学科卒の一物理学者、武谷三男(たけたにみつお)編「原子力発電」(岩波新書)という本が紹介されていた。

 その中で武谷さんは、日本の原子力発電がアメリカ主導で進められていること、高額な研究費に群がる大物の学者たちのこと、地震に関する知見が詳しく明らかになってきているにもかかわらず、地震対策が十分にとられていないこと、などを指摘し、「どうしても原子力か」という問いを発している。
 繰り返すがこれが36年前に書かれたことだ。

 原子力利益共同体(いわゆる原子力ムラ)は今もそのまま。いやもっと大きくなっているのだろう。
 36年前の地質学と言えば、プレートテクトニクス理論がやっと定着し始めた頃だ。地震の発生頻度、規模、影響などは、飛躍的に解明されているが、対策は36年前頃とあまり変わっていない。
 そして、政府のアメリカ追随の姿勢は、目を背けたくなるほどの酷さだ。
 沖縄の米軍基地、TPP、牛肉の輸入規制緩和などなどなど。

 野田総理大臣は、アメリカにおべんちゃらを言いに言っているらしい。米国内で発生したBSEについては、一言も触れない大手マスコミのニュースは、総理大臣と大統領の会談については、詳しすぎるほどしつこく報道している。

 困ったことではないか。

2012年4月29日日曜日

夜の阿寒湖畔、森の片隅で時空を越えた芸術の交感

28日夜、阿寒湖のアイヌシアター「イコロ」へ出かけた人は、シアターの名前の通り大変な宝物に出会ったことになるのではないだろうか。

「イコロ」のグランドオープン前夜祭として上演されたのジョイントコンサートというよりもコラボレーション。
 それぞれの芸術が一体となった。

 ハワイ在住の現代舞踏家、那須シズノ
 アメリカのヴォーカルアーティスト、リアノン
 阿寒湖アイヌコタンの阿寒湖口琴の会
 セネガルのパーカッショニスト、オマール・ガイ
写真家、ジャンネ ワトソン


 新しく建てられた「イコロ」のステージは、低い舞台の前にせり出した空間を半円形にこむように座席が配置されている。木の香りも新しい。
ステージ奥のスクリーンにワトソンさんの写真が大きく映し出されている。それは、蛇紋岩の露頭にも見える写真だった。
 やがてトンコリの演奏に乗って舞踏が始まり、途中から客席にいたリアノンさんが歌い出す。「歌」というより、その前半部は、意味を持たない「音」あるいは「声」である。それは、言葉の壁を越えて伝えられる情念であった。
 「歌から言語が抜き取られると、『言葉による芸術』は成り立たなくなるか?」漠然とそんなことを考え始めたとき、彼女の声の中に英語が混じり始めた。
 それは、霧の中の物の形が少しずつ見えてくるように、言葉が歌の中から浮かび上がってくるような、不思議が現れ方だった。
 そしてムックリの演奏、アフリカのドラムが加わり、徐々に融合していく。
 

 密度の高い演奏会が終わり、外に出ると、月齢9日、上弦前夜の月が木星とともに天頂に近くに浮かんでいた。
 その下には黒々と阿寒の森。その夜、僕らが眠った場所は、森の一隅だった。

 人間は、互いに憎み合い、利己的で、争いや差別や搾取を繰り返し、いつまでも佳い方向を向かないと思い知らされることが多く、失望を味わう日々に疲れた心が、慰められた夜だったと思う。

2012年4月28日土曜日

森と湖での祭・・・「イコロ」グランドオープン前夜祭

三日ぶりに晴れた。  気温はまだ上がらないが、オオジシギが急降下を繰り返し、ウグイスが鳴き、エゾアカガエルの声もする。  すっかり春らしくなった。  今年初めてのキャンプで阿寒湖畔まで来ている。  今夜は、アイヌ民族の伝統文芸の発信拠点になる「阿寒湖温泉アイヌシアター『イコロ』」のグランドオープン前夜祭が開かれる。 「日本とハワイのアーティストの共鳴」と題して「連・蒼き響」というテーマでパフォーマンスが繰り広げられる。  その余韻を阿寒の森のそばでじっくりと味わいたい。

2012年4月27日金曜日

クリルの悲劇 日露に追われた北千島アイヌ

中標津町は、根釧原野の北に位置する町で、北側は知床半島から続く山の稜線で網走管内の清里町と接している。
漁業の盛んな海岸部に比べ、北海道内陸部は開拓が大幅に遅れていて、明治34年に、海岸部にある標津村が、現在の中標津を含む一帯を殖民区画にした。
 しかし、それから10年間、中標津町の区域内に入植する者は現れなかったという。
冷涼で稲作は不可能、泥炭地と火山灰地からなる土地だから、それは無理もないことだった。
 当時、内陸の交通状況は劣悪で開拓者の暮らしは苦しかった。大正末期に大凶作が続き、離農する者もいた。その頃、やっと殖民軌道が敷設され、昭和初期に標津線が敷かれると、標津線の分岐点となった中標津周辺の人口が増え、やっと市街地が形成されるようになった。
また、北海道農業試験場根室支場(現在の根釧農業試験場)の設置や海軍中標津飛行場の建設によっても人口が増加した。

 この中標津町の武佐地区にハリストス正教会が建っている。ロシア正教の教会だ。
北海道にはいくつかロシア正教の教会がある。僕の通っていた幼稚園の隣は、観光ポスターなどで有名な函館ハリストス正教会だ。子どもの頃から見慣れていた、横木が一本多いロシア正教の十字架を中標津町の武佐で見た時は、懐かしい思いを強くもったものだ。
 ところが、この武佐のロシア正教会にまつわって、悲しい民族の物語があることを後になって知ったのである。ことの発端は1884年7月11日に遡る。

【以下引用】
 この日、根室半島の北東沖に浮かぶ色丹島に一隻の船が到着し、100人ばかりの人間を下ろした。
 出迎えた人間は根室県の役人二人。島は、当時、無人に近い状態であった。
 上陸したのは、千島列島最北のシュムシュ島から連れてこられた北千島アイヌ97人のうち、択捉島で下船した4人を除く93人。このほか医者一人、通訳一人、県勧業課員一人の三人が下船した。
 島の人口はかつてはアイヌ民族数百人を数えたこともあったが、江戸時代も末期の1856年(安政3年)ごろにはわずか7~8人に激減。嶋はその後、人間の居住を拒んで明治新時代を迎えていた。
 (1992年北海道新聞社 道新選書 小坂洋右著 「流亡」・・日露に追われた北千島アイヌ まえがき より一部抜粋)

 狩猟や漁労で生計を立てていた人々は、色丹島で農耕や牧畜に従事するよう求められたが、慣れない仕事と環境の激変で病に冒される者が続出し、次々に斃れていった。
 やがて第二次世界大戦の終末、色丹島を含む国後、択捉島などに侵攻してきたソ連軍によってこの人々は、再びこの島から追われることになる。追われて北海道に渡ってきた人々は、ほとんどがロシア正教の信徒で、教会の近くで暮らすようになる。
 この上武佐地区でも、これら北千島から強制移住させられた人々が暮らしていた。

 さて、この強制移住はなぜ行われたのか。
 簡単に言えば、日露戦争が始まりそうな時、日本とロシアの国境に住み、両国を自由に往き来し、両国語を解する人々が住んでいることは、戦略上の弱点になるとというのが理由だった。
 そこで、当時の日本政府は、シュムシュ島に居住する北千島アイヌ(クリル族)に日本かロシアかの国籍の選択を迫り、日本国籍を選んだ人々を色丹島に移住させたのである。 この人々の悲劇は、ここから始まった。
 大国同士の対立が、一つの部族、一つの文化を破壊してしまった事実がここにある。

 国家の利益の前に、民族の生活や伝統、文化などは、紙屑のように扱われてきたのだ。

 現代では、過去の暴挙への反省から、先住民の権利や文化は尊重されるようになってきつつある。ニュージーランドなどのように、かなり進んでいる国もある。

 日本は、タテマエの上では、同じように振る舞っている。だが、実際にやっていることは、どうだろう?
 経済活動を第一に考えているために、国民の安全や安心よりも原子力発電所の再稼働を優先させようとしている。国民を守らずに大資本、大企業を守ろうとしている。

 北千島の悲劇は、まだ終わっていないのかも知れない。

2012年4月26日木曜日

霧に包まれる日々

昨日から濃い霧が知床を覆っている。
 霧だけでなく、時々パラパラと雨も降る。
 日光がさえぎられ、気温が上がらない。そのため、雪解けが足踏みしている。なかなか進まなくなった。

 今日は、「野外活動」の授業でダケカンバ(シラカバの近縁な仲間)から樹液を採る授業を行ったが、林の中には、まだ深い雪があり、足を取られて大変だった。
 足腰が弱まっているせいだろうか。それとも、靴の準備を怠り、夏靴で雪の中に入ったからだろうか。真冬の期間よりもずっとおぼつかない足取りの自分が情けなかった。

 人は、足元が定まっていないと、しっかり立てないものだ。だから「上げ足を取られる」と転けてしまう。

 人を失敗させ、失敗する姿を安全な所から眺めるのを、快く感じる人は多いのだろう。批判し、攻撃することは、実は簡単なのだ。
 批判、攻撃することで同調者を増やし、自分への支持を集める手法を採る政治家がいる。まあ、昔からいたのだろうが、マスメディア就中テレビの発達で、そういう人が台頭しやすくなった。

たとえば、一連の公務員バッシングがある。
 歯切れの良い言葉で、派手に一部の公務員の待遇の良さや、不真面目な勤務を攻撃してみせ、意識的に全部の公務員が同様であるかのように批判してみせると人の心の奥に潜む妬みに火が点き、その攻撃者が英雄であるかのような錯覚を起こさせる。
しかし、その反面、大学生の就職希望でもっとも多いのが公務員なのだ。これは、どうにもやりきれない矛盾ではないか。

 政治への関心の薄い「無党派層」の支持を取り込んで票を集めているのだ。政治に無関心だった人が、関心を寄せ始めるのは、悪いことだとは思わない。
 だが、この国の政治が、どのような経過をたどって現在のようになったか、現在の問題の根源はどこにあるのか、社会のあるべき姿をどう思い描いているか、などの深い洞察力に基づいた現状認識や判断を持たないまま、ある種の扇動に乗せられて一方へ流れるのは、危険だ。
 「日本は、法治国家ではなく『情治国家』だ」と言われることがある。
 政治家やリーダーを理性ではなく「情」で選んでいるうちは、日本の民主主義を根付かせ発展させていくのは無理かも知れない。道は遠いのだ。

 しかし、そんな暢気なことを言っているうちに、日本はまた、取り返しの付かない誤りを犯すかも知れない。いや、確実に道を逸れている。
 そして、まだ、そのことに気づいている人々は多数ではない。

2012年4月25日水曜日

電気は何に使われているか

「電力が不足する」というのは、どうしても同意できない。  たとえばパチンコ。  店内は異常に明るい。看板も派手だ。それ以上に玉を輸送したり弾いたりするのにも電力を使っているだろう。もちろん、パチンコ台はコンピュータで制御されているだろうから、それにも電力を使う。  人が集まるから当然冷暖房も必要だろう。  パチンコとは縁の無い僕が言うのもおこがましいかも知れないが、生命の維持や社会に欠くことの出来ない機械部品を作るために使われる電気と、必要性が同列に論じられていいものだろうか。  少なくとも、電力が不足するという「試算」や「予測」の中で、電気の使われ方の中身まで吟味されてはいないだろう。  古い話になるが、ある田舎の高校に勤務していたとき、その町に大規模なパチンコ屋が開店したことがあった。そのため、そこの町民の気持ちが一気に荒廃する様を見たことがある。  パチンコ屋の店内を金融業者が歩き回り、その場でお金を貸したり、貸したお金を取り立てたりしていたこともあったという。  パチンコも公認された娯楽で、健全に楽しんでいる人々も少なくないだろうが、のめり込む人々がいるのも事実なのである。 国民の幸福な生活なんて、選挙の時のお題目程度にしか考えていない今の政府は、電力が何に使われているかなどを気にするそぶりさえ見せず、ただひたすら産業界と(パチンコ業界も含む)と電力会社の幸福のみを追求しているというわけだ。

2012年4月24日火曜日

植民地根性丸出しの北海道経済界、醜い策動

<NHK北海道 から>
 北海道経済連合会、北海道商工会議所連合会など道内経済4団体は、東日本大震災で発生した岩手、宮城両県のがれき受け入れに「積極的に協力する」と国に回答した高橋はるみ知事を支持し、経済界として協力する方針を固め、今日、道庁を訪れ、正式に表明した。

 札幌市は受け入れに難色を示しているし、道民全体でも反対の意見は少なく無い。放射性物質への心配も払拭されていない。
 いわば不安な要素が完全に取り除かれていない状況で、「受け入れ促進」の申し入れをしたのは何故か?
 答えは簡単だ。運輸業、廃棄物処理業者が儲かるから。
 ただそれだけの理由で、北海道の大地を放射性物質で汚す可能性のある物を運び込むよう、わざわざ申し入れをするとは破廉恥だ。
 「蝦夷地」としての少しぐらい矜持を示したらどうなのだ。

 恥も外聞も捨て、札束の前にひれ伏す植民地根性丸出しの生き方を恥じないのか。
 パラシュートで「中央」から天下った、北海道とは縁もゆかりもない官僚出身の何も出来ない知事を担ぎ上げ、自分たちさえ潤えば、未来の世代はどうなっても良いという北海道経済界の姿勢は、子どもの教育上にも百害あって一利無しと言わなければならない。

 こういうヤカラは、ここ人間の住む大地から一掃したいものである。

2012年4月23日月曜日

説明になっていない「丁寧な説明」

牧野経済産業副大臣も、仕事上の立場で、実感と誠意の伴わない説明をしに行ったのかも知れないが、京都府知事の発言とまったくかみ合わないトンチンカンなやりとりをしているようにしか見えない。
民主党の言う「丁寧な説明」とは、こんな粗末なものなのか。
 ニュースで見る限り使いに出された丁稚より、もっと要領を得ないやりとりのように思えた。
 この人の選挙区の有権者は、どうして、こんな情けない政治家を選んでいるのか。
 支持して投票した人の感想を聞いてみたいものだ。


 本日18時24分のNHKニュース

 関西電力大飯原子力発電所の運転再開を巡り、牧野聖修経済産業副大臣は、23日、滋賀県の嘉田知事に続いて京都府の山田知事と会談し、両知事がまとめた原発政策に関する提言を受け、運転再開には緊急性があると伝えました。
 これに対して山田知事は、国の説明はまだ十分ではないという認識を示しました。
【話し合いは、全然かみ合っていない。】

 この中で、牧野経済産業副大臣は、大飯原発の運転を再開する緊急性が本当にあるか証明を求めることなど、京都府の山田知事と滋賀県の嘉田知事がまとめた7つの提言に対して回答し、電力供給の確保のために緊急性があると判断したことなどを説明しました。
【「電力供給の確保のために緊急性があると判断した」という発言のなかのどこに「7つの提言への回答」があるのだろう?】

 これに対して、山田知事は「関西電力に聞いても、まだ需給見通しが分からないから申し上げられないという話をされる。情報の公開と、きちっとした検証が必要だ」と述べ、国の説明はまだ十分ではないという認識を示しました。
【政府の言う「需給見通し」の根拠が全然示されていない。】

 さらに、山田知事が安全性の判断にあたって専門家による評価が不十分だなどと指摘したのに対し、牧野副大臣は「十分に理解をいただいていないところもあるので、一度持ち帰って回答させていただきたい」と述べました。
【このやりとりのどこが、話し合いなのだろう?どこが「丁寧な説明」なのだ?】

 会談のあと、牧野副大臣は記者団に対し「正直言って、完全に理解が得られたとは思っていない。引き続き話し合って一日も早く理解をいただけるようにしていきたい」と述べました。
【此奴は、こんな「話し合い」を重ねて本当に「理解をいただ」けると思っているだろうか。まったくオメデタイ頭脳だ。】

 一方、山田知事は「7つの提言に関して、電力の需給予測を中立的に議論する第三者委員会を立ち上げるなど、きちんと回答する姿勢を示したことには感謝したい」と述べて、一定の評価をする認識を示しました。
【こういう低劣の副大臣に、辛抱強く付き合った山田知事は、まったく我慢強い人だと思う。】 

以下略

 ひとつ間違えばいくつもの県を汚染し、多くの人々の生活を奪い、将来にわたって健康への不安を抱えて生きねばならぬ人を大量に生み出す原子力発電所の稼働という問題を、本心から真剣に考えている態度には、まったく見えない「説明」だ。

 こういう政治家に歳費を与えるために納税しているのではないし、こういう政党への助成金に、支払った税金が使われていることが、情けない。耐え難い。許せない。

2012年4月22日日曜日

たまには休日の報告などを

気温が二桁になった。
 水が液体になってきた。

 やっと、春が兆し始めた。
 午前中、犬のAfanとたっぷり散歩した。もう手袋は要らない。
 林の中でエゾリスに出会った。
 シカの死体の所で時間をとられ、散歩時間が長かった割には歩いていないのだが。

 帰ってから詰まっている排水管を点検した。管の詰まりはかなり取り除いたが、まだ完璧ではない。どうしも奥まで届かない。今日のうちの貫通は諦めた。

 ピアノ線のようなものの付いた道具が必要だ。もう一工夫して、どうしてもだめなら業者に相談するしかなさそうだ。

 その後、キャンピングトレーラの「AURORA(アフロラ)」の整備。
水の補給、バッテリー充電、内部の清掃、カーテンの補強などなど。
 牽引する「ARCTICA」に終端部給電装置を取り付けたが、パイロットランプの断線で意外に時間をとられた。
これで、キャンプの準備が整った。

16時には作業を終えたかったが、結局17時30分過ぎまでかかった。日が長くなったので、外での作業がついつい長引いてしまう。
 
 かくして休日をすべて使い果たした。
 明日は、管理職打ち合わせがあるので早めに出勤しなければならない。
 今週は忙しい週になる。

2012年4月21日土曜日

またまた、天候のこと・・・楽観してばかりもいられないかも

太陽の磁極が4重極化して、地球の気候が寒冷化するおそれが出てきたという。
 二酸化炭素など、温室効果ガスの増加で温暖化が心配されているから、互いに打ち消し合って釣り合いがとれてちょうど良いという考え方もあるようだ。確かにその通りかも知れない。  
しかし、地球史上で未経験のことだけに、そう楽観的でもいられないような気もする。

 地球は、全体が一様な温度になれるほど小さくはない。温室効果ガスによって高温になる地域と、寒冷化の影響で気温が低下する地域ができたら、寒暖の差が極端に大きくなることはないだろうか。
 寒暖の差が大きくなれば、その境界地帯でできる低気圧が巨大で強力になり、猛烈な風、風雨または風雪、雷や竜巻の発生が頻繁になることは、考えられないだろうか。

 太陽の活動には周期がある。今回と同じようになったのは、350年くらい前のことだ。それは、産業革命前で、温室効果ガスも現在のようには排出されていなかった。

 とにかく、人類は、これから気象に関して未体験のゾーンに突入することになる。

2012年4月20日金曜日

太陽が地球を冷やす

読売新聞の本日14時26分のニュースでこんな記事を見つけた。

【引用】
   国立天文台などは19日、5月にも太陽の磁場が反転し、北極と南極にN極(プラス磁場)、赤道付近に二つのS極(マイナス磁場)が出現する「4重極構造」に変化するとの予想を発表した。
(中略)
 同天文台の常田佐久教授(太陽物理学)らは、太陽観測衛星「ひので」を使い、磁場データを分析。昨年7月以降、北極の磁場がS極からN極に反転し始めたことを確認した。一方、ほぼ同時に反転するはずの南極はN極のままで変化せず、4重極構造が確実視される状況となった。

 磁場反転の原因は未解明だが、約11年周期の黒点の増減と同期することが知られている。直近の黒点周期は13年近くに延び、北半球の平均気温が0・6度下がった17~18世紀とよく似ている。当時も4重極構造だったと推定されるという。 【引用以上】

ニュースでは、4重極構造になると、過去の例から地球が寒冷化することが、考えられると言っている。
偶然だが昨日書いた17世紀から18世紀にかけての冷涼な気候が続いた時期は、太陽の活動が不活発になっていた時期で、今回の太陽の状態と同じだと考えられているそうだ。

 地球と太陽は1億5千万㎞も離れているのに、太陽の活動と地球気象現象とは、どんな関係があるのだろう。
テーマがあまりのも広大なので、少し整理して考えたい。

 現在の観測結果から、太陽の北極側がS極からN極に変わりつつあり、南極側と同じN極になっていくことは間違いない。だが南極側は、反転せずN極のままであり続けている。
 そうなると今後、赤道付近が反対の極になり4重極構造に向かっていくことは、間違いなさそうだ。

 17~18世紀にかけて、冷涼な気候が続き、北半球では平均気温が0.6℃下がった。

 ちょうどこの時期も太陽活動が不活発で、4重極構造になっていたと推定される。

 太陽活動が不活発になると気候が寒冷化するというは、「定説」としては確立していないが、次のような因果関係で説明されている。

①太陽系外から来る高エネルギー粒子(宇宙線)は、宇宙空間の磁場に沿って地球にやって来る。
 太陽面での爆発現象によって磁場がかく乱されると、宇宙線は進路を曲げられて、地球に到達する線量は減少する。
太陽活動が盛んになると、磁場を伴った太陽風によって宇宙線は散乱され、地球にやって来る宇宙線は減少する。 (これは事実)

 宇宙線は、大気中で霧を発生させる。
(放射線の実証に霧箱を用いて観察する実験をした経験のある人は多いだろう)

②著しく太陽黒点が少ない時期だった17~18世紀に宇宙線が増大していた可能性は大きい。
そのため霧の発生を促し、雲が増え、その結果、地球の平均気温が下がったという推測もできる。
(これは、まだ推測の段階)

 宇宙からやってきた粒子線が大気中でイオンの粒子を盛んに作り出している。これが核となって水は凝結し、小さな水滴や氷の粒になる可能性がある。
 従って宇宙線が増大すれば、理論的には雲量は増大するはず、というのである。
 そして、過去の太陽活動の消長と地球の平均気温の変動は、見事に一致している。
その仕組みや原因は未解明だが、経験的には両者は深い関係を持っているように見てとれる。

 雲の素である水蒸気が凝結するための微粒子は、一般的には空中を漂う塵で、それは人間の活動に伴って出される排気や埃である場合もあるし、火山噴火に伴う火山灰などである場合もある。
 事実18~19世紀末の期間は、アイスランドのラーキ山など世界中で大噴火が連続し、本でも浅間山、岩木山などが噴火している。
 火山噴火が日照量を減らし、冷涼な気候をもたらすことは明白で、この時期に日本では天明の飢饉が起きている。


 地球の気候のような複雑系の解明は、一朝一夕では不可能だろう。まして太陽の活動と気候を関連づけるのは、一見とんでもない飛躍に思える。けれども単なる思い込みや盲信ではなく、観測事実を積み上げた上で推論し、新しい事実をわれわれに教えてもらいたいと思う。

2012年4月19日木曜日

冷たい春に

羅臼では、会う人ごとに
「寒いね。こんな年はないね」という話をするのが最近の挨拶代わりになった。

 今夜、これを書いている時の羅臼町の気温は1℃。
 まあ、氷点下ではないから「暖かく」なった、と言ってよいのだろう。

 湖沼の氷が融けていないため、北上する水鳥の群れが利用する水面が無く、雪原に「不時着」していたとか、ハクチョウが餌場に困ってタンチョウの給餌場に大挙して押しかけてきたとか、長引く寒さによる異常な現象が色々と聞こえてくる。

 17世紀に小氷期があったという説がある。
 この当時に絵画に描かれている雲を6000点以上分析した気象学者がいて、この時期には、現在より曇りの日が多かったと主張している。したがって寒い日が多かったと推定している。
 寒い日が多かったと推定するもう一つの根拠に、絵画に描かれている人物の服装を分析している。

 僕ら凡人にとっては、名画は鑑賞するものでしかないが、世の中には思いがけない使い方を考える人がいるものだ。

 寒さの原因は火山活動の活発化だとも言われている。16世紀から17世紀にかけて世界中のあちこちで、巨大な火山噴火が続いた。そのために日光が遮られ、地上の気温に影響したのだという。

 あちこちで地震が続き、火山活動も活発化する傾向をみせていると言われる。
 これからの地球は、どうなっていくのだろう。
 「戦争だ、ミサイルだ」などと言っている時じゃないように思うのだが・・・・。

2012年4月18日水曜日

腐った言葉

この頃「腐った言葉」が多すぎる。

 いわく「丁寧に説明する」
 いわく「ご理解いただく」

ちょっと調子が異なっているが、昨年の原発事故の時から、
「ただちに健康に影響のある(放射線の)量ではない」と言う言い回しは、有名になった。 先日は、
「現時点では安全を確保している」というのもあった。

 これを聞いて、シェークスピアの「マクベス」に出てくる魔女の予言を思い出した。

将軍マクベスは、夫人にせき立てられ、王を殺して自分が王位に就く。また、王の地位を守るために殺人を繰り返し、勇猛果敢だが小心であるため、自らの将来へ、ますます不安を膨らませる。
不安を鎮めるため、魔女たちのもとを訪れたマクベスに、魔女たちはこんな予言を授けるのだ。
「女から生まれたものはマクベスを倒せない」
「バーナムの森が進撃して来ないかぎり安泰だ」
 女から生まれない人間はいない。
 森の木が進軍してくる事はありえない。
 マクベスは安堵する。

 しかし、マクベスに暗殺された者の子どもたちやマクベスの暴政を憎む者が立ち上がり
マクベスの城へイングランド軍が攻めかかる。
味方も次々に寝返り、情勢はマクベスに不利になるが、彼は理性をなくし、「バーナムの森が動かない限り安泰だ」、「女が生んだものには自分を倒せない」という予言にすがって、自分は無敵だと信じて籠城する。
 そこへ、バーナムの森が向かってくるという報告が入る。実はイングランド軍が木の枝を隠れ蓑にして進軍していたのだが、森が動いているように見えたのである。
 マクベスは自暴自棄となって、戦場に出て行き、敵の将軍マクダフと対決する。
 マクダフに対して、マクベスは「女から生まれた者には殺されない」と告げると、マクダフは「私は母の腹を破って(帝王切開)出てきた」と明かす。
 最後の望みに見放されたマクベスは、破滅する。

魔女の予言には、あらかじめ二重の意味が織り込まれていて、最終的にはマクベスの解釈が誤っていた、というわけだ。
このような言葉のトリックは、昔からあるものなのだそうだ。
 日本政府は、魔女が用いた言葉のトリックで国民を破滅に導こうとしている。

 「丁寧に説明する」とは、「とにかく、しつこく言い続ける」という意味だし、
 「ご理解頂く」とは、「どんなに反対しても強行する」という意味にほかならない。
 言葉としての品格が地に落ちている。
 腐っている。

 言葉には魂が宿っている。
 言葉を貶める政治は、魂を貶める政治だ。

2012年4月17日火曜日

大飯原発再稼働を話し合っても議事録が無いんだそうだ

昨年度、環境省の委託を受けて、知床国立公園に侵入したセイヨウオオマルハナバチの防除事業をした。その報告書を作るのが大変だった。慣れていなかったこともあるが、細かな用語はもとより、表現、語順、実施者の名称など細部に気を遣った。
 何度も書き直し、担当の公演管理官(レンジャー)にもずいぶん大変な思いをさせてしまった。

 請負事業であり、国民の税金からその費用が支払われるのだから、いい加減な報告が許されるわけはない。誤りを指摘されたら、素直に直すのは当然なのだが、訂正に継ぐ訂正で、辟易したものだ。
 血税を使って何かをするということは、このように大変なものである。

 だが、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を判断する関係閣僚会合では、担当の官僚から技術的な説明を受けた後、政治家だけで話し合いをもって、その議事録は残さなかったのだそうだ。(毎日新聞 2012年04月17日 20時30分)
 公文書管理法は、政府が重要な意思決定を行った過程を後日検証できるよう、文書に残すことを義務づけているが、いったいどうなっているのだ?大飯原発の再稼働の策謀では、さかんに「政治判断」という言葉が使われ出している。また、電力が不足する場合には稼働するとして、再稼働の判断材料が「安全か否か」から「電力需給の見込み」にいつの間にかすり替えられている。

「もう、フクシマのほとぼりが冷めつつあるから、動かしても大丈夫だろう。国民もあまり注目しなくなったベ」という判断なのだろう。

 ほんのわずかな金額の請負事業には、詳細な報告書の提出を求めておきながら、国民の生命と安全に関わる重大な決定を話し合うプロセスは、記録に留めない。今の日本の堕落しきった政治を象徴する事例がここにもある。

 いや、おそらく記録に残したらエライことになるのだろう。
 閣僚会議で話し合われた内容のレベルがいかに低次元であるか、自覚があるから、とても公表できるようなシロモノではない、と考えたのだろう。
 そのくらいの「政治判断力」は、持っておるのだろうな。きっと。

2012年4月16日月曜日

創造すること 力となること

友人がfacebookに「3.11を越える作家たちへ」という文を紹介してくれた。
 彫刻家の安藤栄作さんという方の文だ。
昼休み、高校の職員室で、携帯電話の小さな画面に老眼を凝らしながら一気に読んだ。 暴走する資本主義社会の中で「ものを作る人々」が生きるている厳しい現実。そこを地震と津波と原子力発電事故に襲われた経験から見えてきたものが何だったかが、よく伝わってくる。
 ヒトが本当に必要なものは何か、が理解できた。

facebookから原文を転載させて頂くことにする。

3・11を超える作家たちへ

 大自然の中で彫刻を作って生きていきたいと福島県いわき市に移住したのが20年前。15年間を山で暮らし、5年前からは海沿いの小さな町に住んでいた。
我が家は夫婦そろって彫刻家のため、ご多分に漏れずもう長い間経済的に大変な生活を送ってきた。自分たちの存在のしかたと今の社会システムが噛み合わず、その歪みをたくさん受けてきた。精一杯仕事をしても見返りはほんのごくわずか、使ったエネルギーのほとんどは宇宙の何処かへこぼれ落ちているのではないかと思っていた。2010年には差押えも受けて、その生活に限界が近付いていた。

大地震の起こる10日ほど前、お茶を飲みながら夫婦でこんな話をいていた。「もし、全てが無くなるとして、1つだけ残したいものって何かある?」「1つだけか・・・浩子は?」「そうね、家族のアルバムかな」「俺はアルバムもいらないな」その頃私は家にある彫刻をみんな海岸に持って行って焼いて大地に還すプロジェクトを考えていた。社会システムとの歪みで溜め込んだ歴史を一度リセットしたいと思っていた。

 3月11日、その日久しぶりに高校生の娘も連れ立って家族で街に繰り出した。友人の個展を観た後、近くのショッピングセンターの2階で店を冷やかしながら歩いていた。私達の2時46分はその時だった。
その日の夕方、海岸から15mの所にあった自宅は家財や道具、たくさんの作品達もろとも津波と火災で無くなってしまった。空き地に止めた車の中で積んであった搬入用の毛布にくるまって一夜を明かした。翌日、食料やガソリンの調達をしながら避難所の情報を得るためにカーナビのテレビを見ていると、突然原発が爆発した。直後、私達はその場に一緒にいたごく少数の友人達と「必ずまた生きて会おう」と約束をし、かみさんの実家がある新潟に向けて出発した。

 自宅を確認しに戻れたのはそれから3週間後のことだった。東京で大学生活を送る長男をいわき駅で拾い、家族4人で現場に向かった。大好きだった海沿いの町はまるで爆撃の後のようだった。焼けた臭いと吹き抜ける放射能混じりの北風に町から命のときめきが消えていた。
流失した自宅の前で呆然としていると、娘が小さな箱を見つけて持ってきた。開けてみると中から小さなお人形と着せ替え用の洋服が出てきた。それは娘が幼かった時、かみさんが彼女に作ってあげた木彫りのお人形だった。泥ひとつ付いていないそのお人形は何事もなかったかのように微笑んでいた。
人々の心が繋がり織りあがった海沿いの小さな町。今は瓦礫の平原となったその町を以前の記憶を頼りに家族4人で歩いた。一通り町を回り、そろそろ帰ろうかという時、瓦礫の上に見覚えのあるものを見つけた。なんとそれは息子が小さかった頃、私が彼に作ってあげた木彫りの車の玩具だった。その頃家族で乗っていた小さなワンボックスカーがモデルで、ミニカーでは売っていなかったものを手作りしたのだった。小さな車の玩具は私たちが帰る前に「そろそろ帰るのかい」と、ひょっこり挨拶しに出てきたように見えた。
不思議な感覚だった。仕事でがつがつ作った大小数百体はあったであろう彫刻達が破壊され無くなり、子供たちに作ってあげた小さくか弱いお人形や玩具が目の前に残っていた。振り返ると瓦礫の平原の中に地元の人が大切にしてきた小さなお社がなぜか無傷で立っていた。
存在する本当の力とは何なのだろう。それはこの先の世界をどういう心で、どういう波動に身を置き生きていけばいいのかというメッセージのように思えた。結局私達は何も拾わず、全てそのままに大地にお花とお線香をたむけて帰路に着くことにした。

 その後2か月近く、本当にたくさんの方の愛とご支援の中、避難先を転々としながら制作や発表をこなし5月の末に奈良県の明日香村になんとか着地することになる。この間の事を話し始めると、それだけで原稿用紙数十枚の報告書になってしまうので、ここでは触れないでおくが、私のこれまでの人生でこれほど「ありがとう」という言葉をたくさん口に出した日々はなかった。そしてその言葉のおかげで自分の魂が次第にきれいになっていくのも感じていた。

 明日香に避難移住し、ほんの少し日常が回り始めた頃、かみさんがつぶやいた。「子供達に幼かった頃の写真くらい残してあげたかったな」それから間もなくして小さな小包が届くことになる。いわき市にボランティアで入っている東京の方からで、久之浜でアルバムを見つけ、無断で持ち帰りクリーニングをしたのだという。写真の中に私の名前を見つけ、友人とネットで調べまくり送ってきたのだ。
包みを開けると、そこには津波でボロボロになった写真たちがクリーニングされ丁寧にビニールに入れられ入っていた。どの写真も子供たちが幼かった頃のものばかり。いったい天はどこで聞き耳を立てているのだろう。
震災前、勝ち負けの生き残りの世界で分断されていた人々の心が、あの日を境に何かを想い出したように繋がり始めている。メッセージはそれぞれの立ち位置の人々の手をバトンのように渡り、宇宙を回って必要としているところへ必要としている時に届けられている。

 さて、私達アーティストには今何ができるのだろう。あらゆるものが経済というプールに浸かり、生きることが勝ち負けのゲームのように扱われてきた近年。アートの世界も素直にその影響を受け振舞ってきた。一部のアーティストはそのプールで水を得た魚のように泳ぎ回り、また一部のアーティストはその水が合わず、生気を失い居場所を求めて喘いできた。
3・11というウエイクアップコール。想像を絶する破壊と感情の揺さぶりの中、私たちは何に気付き何を想い出そうとしているのだろう。もはやアートゲームの波動では時代や人々の魂を支えることはできないだろう。すでにプールにはひびが入り、その外に広がる大海から海水が流れ込んできている。
あの日以来多くの人が遠くから想いを寄せ、また直接被災地に入り活動を続けている。それはヒラヒラと変化する社会の流れにあって、せめて自分の人生の中で1つでも確かなものに触れたいという自分自身へのアクションだ。
彫刻家の佐藤忠良先生からシベリア抑留の話をお聞きしたことがある。食べ物がない中、生き残った人に共通のことがあったという。それは屈強な体ではなく、詩や文章を書いたり、絵や工作をしたり、歌を唄ったり、何か自分でできることを持っていた人たちだった。アウシュビッツの記述にも似たようなものがある。出所の日を指折り数えていた人はその日が来て出所できないと翌日から次々と亡くなっていった。そんな中、創造的な行為を持っていた人はしぶとく生き残ったという。人間という存在を支えている最も中心にあるエネルギーとは結局内なる魂の光なのかもしれない。

 変化は始まったばかりだ。まだまだ大きな災害も続くかもしれない。また、私たちが知らなかった歴史や科学の真相が明かされ、戸惑いと混乱の社会に身を置くこともあるかもしれない。そんな時アーティスト達はその直観力とイメージ力、そして強じんなデッサン力で歴史や空間の全体像を見極め、人の存在の骨格となるメッセージをこれでもかというくらい世界に送り出してほしい。
安藤栄作 彫刻家

2012年4月15日日曜日

マガンの迷惑 高速道路

昨日の夕方、道央自動車道を旭川から札幌に向かっていた。
 道央自動車道は石狩平野を南北に縦断している。
 美唄を過ぎ、岩見沢に近づいた時、マガンの群れが高速道路を横切るのが見えた。
 渡りの飛行ではなく、一つの餌場から別の餌場への移動らしく、あまり高く飛んでいなかった。路面から十数メートルくらいの高さだろうか。

 マガンはとても律儀で、餌場を替えるようなちょっとした移動の時も、一文字形かV字形のきちんとした編隊を組んで飛ぶ。
ところが、マガンの編隊が高速道路上にさしかかった時、その隊列が乱れてバラバラになったのだ。

 想像だが、高速道路を走る車が作る空気の渦が道路の上空の気流を乱しているのではないだろうか。

 その後、マガンたちは、何も無かったかのように編隊を組み直して飛び続けて行った。「飛行術のプロ」として、「あんなものは気にしてないよ」という表情をしていたように感じたが、僕は心の中でマガンたちに詫びた。

 人間は自然に対して、なんと身勝手な振る舞いをしているのだろう。少しでも早く目的地に着きたいという欲望のために、何万年も前から石狩平野を往き来していたマガンたちに余分なストレスを加えているのだ。そして、それに気づくこともなく平気な顔で暮らしている。

 マガンは、その整然とした編隊飛行をするところや規則正しい渡りをすることが、昔から人々に知られ、絵画や文学に描かれてきた。興味深い言い伝えも多くあり、タンチョウと並んで日本人好みの野鳥である。
 そのように「自然を愛して」いながら、なんという惨い仕打ちをしているのだろうと悲しくなった。

高速道路がマガンの生命を脅かすほどの危険な存在になっているわけではない。実際には、われわれはもっと危険で過酷な仕打ちを野生動物に対して行っている。
 だが、「自然に優しい」などという曖昧でイメージだけが先走るような言葉を弄ぶなら、ガンの往来する平野に高速道を作って、後は知らんぷりというような態度が許されるわけはないだろう。

2012年4月14日土曜日

成長はいつか止まるものではないでしょうか

いつの間にか、大飯原発の再稼働の理由の中に、「電力の不足への対応」という項目が入っていた。
 人目を盗むようにコッソリと入れられたように感じる。

 だが、電力の需給は、もっとも論議が必要なことだと思う。本当に無駄に使っていないか、送電の効率は、これ以上上がらないのか。水でも電気でもお金でも、豊富にあればつい景気よく使ってしまうのが人間のサガだと思う。
 本当に必要なものから、順に再検討しているだろうか。
 皆、エネルギーを無限に生み出すことが出来るという幻想から、覚めなければならない。
 経済成長という幻想からも。

 いま、そんなことが問われている。

 経済成長を否定すると、「石器時代にも戻ってもいいのか?」という恫喝に近い反論が飛んでくる。それは、感情的な反論で、反発あるいは恐怖から発せられているようだ。
 もちろん極論だが、「戻ってもいいのか」ではなく、「戻らざるを得なくなるかも知れない」ではないだろうか。

 われわれは、すべて自分たちの意志で作り出した環境で生きているように錯覚しているが、本当は与えられた環境条件の中で最大限に適応して生きているに過ぎない。

 謙虚な世界観を持たない文化はいずれ滅びるだろう。

2012年4月13日金曜日

海明け 流氷百話 22/100

流氷の季節も終わる。
 海岸には、もう流氷の「本隊」はない。
 南風の日が増え、北へ吹き流されてしまった。
 海岸には、座礁して動けなくなった氷が、ポツンと取り残され、日ごとに小さくなって消える時を静かに待っている。
 無生物の氷塊だが、そこに寂寥感や無常感を覚えるのは、ひとつの「終末」の姿であり、滅びる姿が見えるからだろうか。
氷が滅びる海は、春の明るさに満ちている。。

 流氷原が完全に海を閉ざす網走側のオホーツク海では、流氷が去り、漁を始められるようになることを「海明け」と言うそうだ。
 「『海明け』っては良い言葉だね」
 ずっと昔、流氷など見たこともない母が、何気なくつぶやいた言葉が、今も耳に残っている。

 今日は、北海道を低気圧が通過中で、湿った雪と冷たい雨が交互に降ってくる。
 生命が躍動する春へ、「ため」を作っている天候だろうか。

2012年4月12日木曜日

インチキなルールで原発を再稼働させようという策動を許さない

一年前の今日、福島第一原子力発電所の事故がレベル4からレベル7に引き上げられた。みな、覚えているだろうか。
 事故発生から一ヶ月経ってから。


 一羽のオジロワシの成鳥が、海岸の枯れ草の上を飛んでいた。道東では、珍しい風景ではない。
 しばらくの間、車と並行に飛んでいた。毎時80キロメートルほどの速さ。
 ノンビリと飛んでいるように見えるが意外に早い。
 それも道理で、その体重はおよそ6~8kgあるから、それだけの重さの物体を空中に浮かばせるためには、そのくらいの速度が必要なのだろう。

 越冬のためにカムチャツカ半島や沿海地方から来ていたオジロワシやオオワシたちは、もうすでに大部分が飛び去っているから、今いるおとなのオジロワシは、この付近で繁殖している鳥たちだろう。
 つがいで、巣の補強をし、繁殖の準備をしている時期だろうか。
 もう、すでに産卵し、抱卵に入っているかも知れない。

 ワシが巣に就いている姿を、モラルのないカメラマンたちは写真に撮そうとする。その結果、巣を放棄して繁殖を止めてしまうことが多い。
 これを防ぐために、オジロワシなどの希少鳥類の巣の場所は、第一級の秘密情報だ。

 悪質なカメラマンがいなければ、そんな必要は無いのだが、現状は「写真愛好家」が増え、性能の良いカメラがたくさん出まわることによって、モラルの低い人々が増えつつあるようだ。

 そして、僕らが、こんなにも神経質に、繁殖場所の保護に努めているにもかかわらず、日本人は大量の放射性物質を環境にばらまき、海に垂れ流して、彼らの餌となる魚類への汚染を徐々に広げている。

 世界中で6000羽くらいしか残っていないというオジロワシ。
 渋い薄茶色の身体に純白の尾羽を輝かせて飛ぶ姿をアイヌの人々は「カパッチリカムイ=ワシの神」と呼んだという。
 経済成長に執着するあまり、環境をどんどん悪化させる行いは、神に弓引くふるまいと言えるだろう。

2012年4月11日水曜日

「ヒジキはエライんだ」という話

お昼の弁当容器を洗っていたらヒジキが一本だけ洗い流された。思わず、「もったいない」と思ってしまった。

 ヒジキというのは、海藻で、たとえばいなり寿司のご飯に混ざっていたり、油揚げやコンニャクと一緒に煮物にされたりするけど、なんとなく主役を張ることの出来ない食材だという印象を持つ人が多いのではないだろうか。
 僕も同様だった。主役を張れないどころか、あってもなくてもいいような存在で、脇役とまでも言えないような存在に感じていた。
 コンブとおなじ褐藻類だというていどの認識で、フノリほどの味も香りもないように思っていた。

 ところが、ちょっと前のことになるが、原子力発電所の建設が計画されていている山口県の祝島(いわいしま)のヒジキが我が家に届いた。このヒジキを食べて、ヒジキへの認識が一変した。

 確かな歯ごたえがあり、噛むとほのかな磯の香りが立ち上る。サラダにして食べると美味しい。天ぷらもいける。もちろん従来の煮物や炒め物にしても美味しい。海藻だから栄養的にも優れているのだろう。

 同梱されていた説明書によると、おおざっぱに分けても10以上の工程を経て、大変な手間をかけて作られているらしい。

 ヒジキへの評価を一変させてくれた祝島。
 ここに原子力発電所を作るなんて、とんでもない暴挙だ。

2012年4月10日火曜日

「ツノゼミ」の写真を見て一人ウハウハ

ツイッターで僕が尊敬する虫屋さんが「ツノゼミ」という本を紹介していた。興味深かったので早速取り寄せてみた。
 これが、期待していた以上に面白い。

 ツノゼミと呼ばれる昆虫のグループがいることは知っていた。北海道にも何種か分布している。一部を除けば珍しい虫ではない。
 だが、小さい。捕まえようとするとピシッと跳ね飛んで逃げる。したがって形をじっくり確認することが難しい。
 ゆえにあまり皆に知られていない。

ツノゼミには、非常に変わった形のものが多いということも聞いていた。だが、自分で観察した経験はなかった。
 要するにこれまであまり付き合ったことのない昆虫だった。
この本は、世界のツノゼミをじっくり写真に撮ったものだ。サブタイトルに「ありえない虫」とある。ナットク。
 大きなものでも20ミリと少し。ほとんどが5ミリ内外のムシだから極小の世界だ。そのようなムシの全身を鮮明に撮影できたということも素晴らしい。
 その意味でも貴重な本だと思う。

 世界には、実に奇抜な格好をしたツノゼミがいるのだ。「本当にこれがムシなのか」というものが次々に載っている。
 見ているだけで楽しくなる。

 ツノゼミは完全に食植性の昆虫だから、植物の種類が多様になれば種も多様になり、形態も多様になるのだろう。
生物は、このように多様なのだ。多様であるからいいのだ。

したがって暖かい地方へ行くと種類も増えるようた。
 今年は、ツノゼミを探して楽しんでみよう。寒冷地の北海道では、それほど多数の種類が暮らしているとは考えられないが、ツノゼミと近縁のハゴロモなどというムシの仲間もいる。
 これまであまりなじみの無かったムシのグループだから、新たな出会いが楽しみになる。

2012年4月9日月曜日

標本作りをしながら教育のあり方を考えた

セイヨウオオマルハナバチの標本を整理した。
 乾燥した標本の一つ一つにメモ書きだった採集年月日や場所、採集者名を書き込んだ小さなラベルを付けていく。ラベルは「平均台」という道具で同じ高さになるように揃える。「虫屋」にとってはごく日常的な作業だ。
 「虫屋」の端くれとしてそんな作業には慣れているはずなのだが100頭近い標本にラベルを付けていく細かな作業は、老眼になった身には少々こたえ、肩がガチガチに凝った。
 そして、正直なところ途中で飽きてきて投げ出したくなった。なにしろ同じ作業の繰り返しなのだ。しかも標本は、セイヨウオオマルハナバチ一種類のみなのだ。

 作業しながら考えた。
 今、問題になっている発達障害の子どもたちの中に、このように細々としていて、しかも同じ作業を同じ順番で繰り返すのを得意としてる子どもたちがいる。そんな子たちは、倦むことなく正確に、同じ手順の作業を繰り返していく。
 僕たちは、そんな子たちを「発達障害」と呼び、「支援の必要な子どもたち」として学校教育の中に位置づけている。
 まあ、教育現場の実情も理解できるのだけれど、本当にそれでいいのか、と考えてしまった。
 少なくとも、今日、僕のやった、ハチの標本にラベルを付けるという作業では、僕よりも彼らの方がはるかに高い能力を備えているという事実は、疑いようがない。人間の能力なんて、人それぞれでもっと多様で良いのではなかろうか。

 科学の研究なんて、地味で目立たない計測の積み重ねや観察記録の継続などを基礎に成り立っているものが多い。科学史上で忍耐強く研究を行った人々の中に、ひょっとしたら現代では「発達障害」と括られてしまう人が少なからず含まれているのではないだろうか。

 そうだとすれば、一つだけの物差しで「能力」を計り、「正常」の範囲をどんどん狭めて、目盛りから外れた子どもたちを「発達障害」とか「要支援」と断じてしまう現代の教育界にある常識は、根底から問い直されなければならない。
 「効率」を過度に追求した結果として今の姿があるのではないかという考えが、ふと頭をよぎった。

2012年4月8日日曜日

メカニズムは単純な方がいいのダという今日の経験

わが家に一台の古い小型車がある。
 知り合いが不要になったとのことで、無料で譲ってもらったものだ。
 「無料で譲ってもらった」というと、オンボロのスクラップのようなものを想像するだろうが、さにあらず。元気に走る。エアコンやCDも付いている。何度も札幌まで往復しているし高速道路もスイスイ走る。普通に使える。

 今日は休日。
 タイヤを夏タイヤに換え、各部の点検をした。冬中酷使したのでエンジンオイルの交換もすることにした。
 さっそく車の下に潜り込んで、ドレンプラグを探した。四輪駆動車のオイル交換は、もう永年自分でやっているのだが乗用車の整備は、あまりしたことがなかった。そのため、オイルを抜き取るドレンプラグがなかなか見つからない。
 それらしいプラグをやっと見つけて、外してみた。すぐに液体が流れ出す。
 ところが、まず、匂いが違う。エンジンオイルの匂いとは違う。そして、色が違う。長期間酷使したエンジンオイルと違って赤ワインのようなきれいな色だ。
 あれええ?
 エンジンオイルのレベルゲージを調べたら全く減っていない。
 もう一つ何かのレベルゲージがあったのでそれを引き抜いてみると、そのオイルがゼロになっていた。それは、オートマチック・トランスミッションのオイルだ。
 やれやれ。
 オートマチックの車なんか乗っていなかったし、整備した経験もなかった。
 だから、この時点でも、まだ事態を軽く見ていた。抜き取ったATF(オートマチックフルード)は、新しいものを買ってきて入れれば済むだろう、と。

 ところが、詳しい人にきいてみて初めて知ったのだが、オートマチックトランスミッションは、油圧のかかる部分だから非常に精密な構造の部品で、ちょっとしたゴミや不純物が入り込んだだけで故障するのだそうだ。
 だから素人が液の交換をすることは、まず考えられず、整備工場で専用の機械で行わなければならないとのことだった。おまけに、内部に液体の細い通路が張り巡らされており、ちょっとした機械の屑などが詰まっただけで車が動けなくなるのだそうだ。

 そんなわけで、快調に動いていたその車(「White Raven」日本名で「白いワタリガラス号」という)は、一応の復活はしたけれど、この状態で整備工場まで走り、最終チェックを受けなければ安心して走ることができない状態になってしまった。

 知らないというのは怖ろしい。
 同時に、メカニズムはやっぱり単純な方がよい、と思った。マニュアルトランスミッションで十分なのだ。
 人間というものは、ちょっとの快適さを求めるために、大がかりで大袈裟で脆弱なシステムを作り上げるのだろうかとため息が出た。

 車の変速装置でもこの騒ぎなのだ。原子力発電なんて不要に決まっている。

2012年4月7日土曜日

ザマナイ~時代よ!

今日、一つの歌と出会った。
 歌の名は「ZAMAN-AI」(ザマナイ)
 カザフ語で「ああ、時代!」

 セミパラチンスクは、今ではカザフスタンの一地域だが、ソビエト連邦の時代、核実験場が作られていたことは、よく知られている。
 四国ほどのもあるその核実験場で、1949年から40年間にわたって467回の核実験が行われたという。
 もちろん大気中、地上、地下とあらゆる条件の核実験が行われた。核実験に伴って生じた、放射性降下物が風で近隣に飛散し、住民は被曝した。

 また核実験でできた「Atomic Lake」という直径数十メートルの「湖」などもあり、その湖面からも強い放射線が出ているという。

 ここでは、近隣住民の被曝以外にも、一部の成人男子を放射能汚染地域に滞在させる「実験」なども行われ、人体実験であるとして非難されている。
 また、ベトナムの枯れ葉剤のようにここでも奇形児が生まれ、ホルマリン漬けで保存されているという話もある。

 その後、放射能汚染による住民の健康被害が次第に広がり、地元の研究者たちによる調査が行われたが、ソ連当局に黙殺され続けた。ソ連末期のグラスノスチ(情報公開)により実験の実態が明らかになると、住民の鼻帯運動と国際的な非難の高まりによって閉鎖された。
 だが、閉鎖から20年以上経った今でも、実験場では自然界の10倍程度の線量率が測定されているそうだ。

 ザマナイ、「ZAMAN-AI」はカザフ語で「ああ、時代」という意味なのだそうで、
「なんという酷い時代!」という意味がこめられているのだそうだ。
(この部分 TOMOKOさんのブログ「永遠の歌を求めて」より転載 )

日本語訳の歌はYou Tube で聴くことが出来る。


2012年4月6日金曜日

ハクチョウたちへの思い

・・・・昨年の4月6日のブログから抜粋。

 ハクチョウがシベリアへ渡る季節になった。
 君が代になんか全く敬意をはらっていない僕だが、渡りをするハクチョウの群れを見かけた時には、いつも直立不動で見送る。
 自力で3000キロを旅する者を敬う気持ちと、渡りの途中で命を落とす個体が必ずいるわけで、生命をかけて旅する者を見送る厳粛な気持ちから、尊敬と祈りを込めて。
出勤の朝、北へ帰る群れと並んで走ることもある。そのような時は、運転席から敬礼する。

 例年なら心中で、
 「来年もみんなそろって戻って来いよ~」と念じる。

 今春は、違っていた。
 「気をつけて帰れよ~。
 日本の水域は、放射能で汚染されるぞ~。
 来年は戻って来ない方がいいよ~」

 何の情報も無く保障など皆無の野生動物たち。
 何一つ苦情も言わない者たちに代わって、言ってやろう。
 原子力発電所や風力発電の巨大風車は、いますぐなくせ。
 作ったヤツは謝れ
 
・・・・ここまでが昨年のブログの抜粋である。

 どうだろう?
昨年、予想した通りになっている。いや、放射性物質を含んだ瓦礫を全国にばらまくことにした政府。早々と受け入れに手を挙げ、政府に「よい子ぶり」をアピールした北海道。だいたい北海道の知事は、北海道出身ではなく、北海道とは縁もゆかりもない人物だ。そんな者が、このアイヌモシリを放射能で汚す権利があるのか。
 迷惑だ。迷惑だ。迷惑だ。


 先日、釧路の鶴居村にあるタンチョウのための給餌場に、渡り途中のハクチョウの群れが立ち寄って、ツルのための餌を食べているところが紹介されていた。その時、給餌場の関係者が、ハクチョウたちがツルへインフルエンザを感染させないかと心配していた。
だが、ツルだって一応は野鳥なのだから、ウイルスへの耐性は持っていると思った。本当はハクチョウたちが放射性物質で汚染されることの方がもっと現実的な心配なのに、と考えながらそのニュースを見ていたものだ。

2012年4月5日木曜日

動物の生き方

日曜日など、家で一人きりになることがある。
 朝から夜まで、一人のニンゲンにも会わずに数日過ごすこともある。このような状況は、都会で生活している人には想像し難いかも知れない。ある意味で、貴重な体験なのかも知れない。

 ただ、まるっきりの孤独ではない。ネコがいる。イヌがいる。サンショウウオがいる。外に出るとウマがいる。そして、原野や森を歩くと小鳥たち、カラス、オジロワシ、無数のシカなどに出会う。
 夏ならば、野生の花々が咲き競い、チョウやハチが飛び回っている。
 だから孤独ではないし、寂しいこともない。

 動物たちを見ていて考える。彼らはどこまでも真面目だ。感情の表し方もごく控えめだ。ひたすら黙々と生きている。運命に逆らわず、黙って状況を受け入れている。

 ニンゲンは、こんな野生の動物たちに甘え過ぎてきたのではないか。
 土地が必要な時は、海岸を埋め立てる。木材が必要な時は、迷うことなく森林を伐採する。畑を作りたいから、と原野を開墾する。砂が必要なら海岸や河原から大量の砂を運ぶ。ゴルフがしたいと言って、里山の森を切り開く。

 何もするな、と言うのではない。   
様々な事情で、やむなく開発行為をしなければならないことはあるだろう。ニンゲンは自然環境に手を加えなければ生きて行かれなくなった動物だから。

 だが、目の前にある環境に手を加える時、たとえそれが小さな穴を一つ掘るだけでも、そこで暮らしている無数の命のことを考えてみてはどうだろう。

 野生の生き物たちは、ニンゲンが必要とすれば、黙ってその場所を明け渡してくれる。それに対して、黙ったままでよいから心の中で感謝すべきではないのか。

 そんな心の持ち方が枯渇しきってしまっているところに、現代社会の悲劇の根源があるように思える。

2012年4月4日水曜日

もう「公共放送」とは言えない

今日の読売新聞のweb版14時03分によると、「4日、東北電力の東通原発1号機(青森県)と女川原発1号機(宮城県)の使用済み核燃料貯蔵プールの冷却機能が約20~40分間停止したと発表した。」とある。
 「プールの冷却水を循環させるポンプの電圧が、暴風の影響で低下したのが原因とみられる。
 東通原発は、同日午前6時44分頃、2系統あるポンプのうち一つが電圧低下のため自動停止した。別のポンプを午前7時23分に起動させて冷却機能は復旧した。プールには約600体の使用済み燃料があったが、冷却機能喪失でプールの水の温度上昇はなかった。」(以上 2012年4月4日14時03分 読売新聞より引用)

 NHKの夜7時のニュースを見たが、このことには全く触れていなかった。予想通りと言えば予想通りだが、あまりにもひどい。

 今回の急速に発達した低気圧の被害については、まとまった時間を充てていたが、その中身は、都内の会社は、それぞれ従業員の退勤を早めたり分散したりして、動いている交通機関への集中を避けたことや、風速40メートルを超えた地域で建物が壊れたこと、電柱が倒れたことなどの報道に終始した。
 20本を越える電柱がなぎ倒されている映像などは何度も出てきた。

 あれほどの時間を低気圧の被害報道に割くなら、原子力発電所におけるこのニュースも入れられたはずだ。
 使用済み核燃料の冷却が止まるということが、どんな大変な事故につながるか、今や多くの人が知っているし、それこそが原発の本質的な危険の一つであるのだから、このようなヒヤリとする事故が日常的にあちこちの核施設で起こっている事実を、広く知らせることこそ「丁寧な説明」であり、「国民の理解を深める」ことにつながるのではないか。

 「不安を煽らないように」報道に対して「配慮」し始めることがマスコミの堕落だと知らなければならない。
 戦争中の翼賛報道をみればそれは明らかなはずなのに、その反省のカケラもないのだろうか。NHKでは、ジャーナリストの良心は、死滅してしまったのだろうか。
 もう「公共放送」とは言えない。

2012年4月3日火曜日

電話線切断でインターネットが使えない!

昨日から職場のインターネットが繋がらなくなった。
メールが来ない。出せない。
 屋根から滑り落ちた雪と氷の塊が電話線を切断したのが原因だ。

 年度始めでとても忙しい時期だから大変だ。職員は皆、イライラして一刻も早い復旧を待ち望んでいるはずだ。
 ところが、職場の雰囲気はいつにも増して和気藹々。
 ちょっと不便だけど、ダメなものはダメ。吹雪もあれば大風もよくある。自然の懐に抱かれて暮らすこの土地では、システムが壊れた時は、カリカリしてもしかたがない。笑い飛ばすしかない、ということを誰もが知っている。
 世の中、あれば便利だけど無ければ無いで、しょうがないモノやコトってたくさんある。 いつかは復旧するのだから、それまで待っていればいいのだ。

反対に、あるだけで大迷惑なモノやコトの方が多い。原子力発電所とか基地とか。
そう言えば去年の今日も、ここに書いていた。
 「人生は、もっと単純で良い
 愛する家族、犬、猫、馬がいる。
 日々の食物があり、安心して住む場がある。
 寒さや雨、露をしのぐ衣類がある。
 他に何が必要だろう?」と。

2012年4月2日月曜日

腐敗アミン説ふたたび

ブログを書き始めて一年を過ぎている。

 今日、昨年の3月30日に書いた文へのコメントが寄せられた。
 会ったこともない人からのコメントだが、ブログの文を正面から受け止め、丁寧に新聞記事などを調べ、知らせてくれたものだ。行間から誠実な人柄が伝わって来るようなコメントだ。

 僕の文は、以下のような内容だった。
 東工大の清浦教授が、水俣病の原因について、熊本大の調査結果を否定し、腐敗した魚介類から生じるアミンだと主張した。そのため、有機水銀が原因物質だと突き止められるのが遅れ、被害が広がった。
 「腐敗アミン説」を主張した学者は、チッソや国を庇ったことになる。原発事故をめぐる一連の「原子力専門家」の発言も、これと軌を一にしている、とした。
 一年前、こういう趣旨の文を書いた。

 それに対して、今日、以下のようなコメントが寄せられたというわけだ。


 東工大清浦教授について、当時の新聞記事を公開しているサイトなどで調べてみました。
細かい経緯を見ると単純に有毒アミン説を唱えただけでは無いですね。

 まず、熊本大が有機水銀説を発表します。これは症例や解剖学的所見、チッソが製造工程に水銀を使用していることなどが根拠だったようです。
それに対しチッソが「科学的に見て」根拠薄弱だと反論しています。

 清浦教授は周辺海水を調査し、水銀の濃度が魚類の致死量の千分の一から十万分の一でしか無いとして「熊大の水銀説は根拠のないことではないが、慎重に取扱うべき問題で推論は世論をまどわすのでいけないと思う。水俣病の原因は現在の段階ではまだわからないが何の罪も無い漁民こそ気の毒だ。」と述べます。

 一見科学的根拠があるかのように見えること。「世論をまどわす」というセリフ。被害者を慮るかの様なブラフ。確かに最近もどこかで見たような・・・と思わせるものがありますね。
この海水調査がチッソの招聘によるものだったかどうか知りたいところですが、まだ資料を見つけることが出来ていません。              (コメントここまで)


 一年以上経過しているにもかかわらず、拙い文を丁寧に読んで下さったことに感謝したい。
 同時に、文末の清浦教授の調査がどのような経緯で、どこからの資金が出されてなされたか、が重要なポイントであるとわかる。新聞記事などでは、なかなかわからないことだろう。清浦教授の調査はわずか5日間で、報告は通産省(当時)へ提出されているという。このことから、何らかの公費による資金提供であったことは明らかだろう。
 清浦氏自身の意図がどこにあったかは別として、結果的にこの調査が水俣病の広がりを拡大し、多くの人の病態を悪化させることに手を貸し、チッソや国への責任追及を遅らせたことは明らかだ。

 60年以上も前の出来事だ。次第に事実の輪郭がぼやけるのは仕方がないかもしれないが、今でも病に苦しんでいる人々が大勢いのだから、責任は明確にしておかなければならない。
 「南京大虐殺はなかった」などと、意図的に歴史をねじ曲げる策動を得意技にしているニンゲンがうようよしているこの国にあっては、特にそう思う。

2012年4月1日日曜日

泉佐野市の馬鹿げたたくらみ

大阪の泉佐野市が市の命名権を売りに出すことを検討しているという。
地名は歴史を背負っているのだから、祖先への尊敬の気持ちがあるなら、安易に過去から続く名称を変えるべきではないと思うのだが。
 歌詞の意味不明で、訳のわからぬ歌を、力ずくで「国歌」だとして、無理矢理押しつけるより、その土地がどのような歴史をたどり、どういう意味でそう呼ばれてきたかを考え、尊重する方がずっと大事だと思う。

 地名は文化だと思う。

 まあ、こう言ってはみたけれど、市町村の合併で、なんだか意味不明で没個性的な名前の自治体がやたらに生み出されたし、住居表示では「自由が丘」とか「光が丘」、「緑町」とかが全国的に急増しているから、もう々でも良いのかも知れない。
 日本人は、「伝統」とか「武士道」とか都合の良い時に口にする割には、古いものを大事にしない。使い捨ての伝統を持っているようだ。
 割り箸とか伊勢神宮の建て替えとか。そもそも、使い捨てが「日本」の「伝統」なのかも知れない。
 その延長線上で、「どうせ一時の名前なんだからカネになるなら売っちまおう」ということなのだろう。

 だが、そういう思想の人だけが暮らしているわけではない。日本列島には、その種の文化に与しない民族もいる。
 自然を敬い、モノを大切に使い、土地と土地の背負っている歴史を敬い、そこで暮らす生き物を大切にしてきた人々もいる。

 もうこれ以上、人の気持ちを踏みにじる政治、政策はやめろ。