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2013年3月8日金曜日

メタンハイドレードの夢に騙されないために

 「キャラメル一粒と同じくらいの大きさの燃料で地球を10周できる」  子どもの頃に聞いた原子力船の夢のような性能だ。実際に建造された原子力船「むつ」は、実用化を見ないまままさに儚い夢に終わってしまった。  科学の歴史にはこんな失敗や行き詰まりが山ほどある。  最近のメタンハイドレードを採掘する技術に対しても同様の危惧を感じている。メタンハイドレードは深海底の土中に含まれるメタンの分子を氷のようになった水の分子が包んでいる物で、大雑把に言って、重さの約8割が水、2割がメタンという割合になっているという。これがにわかに注目されるようになったのは原発に代わるエネルギー源の一つとしてだ。日本の近海にはとりわけ多量のメタンハイドレードが埋蔵されているとのことで、エネルギーの安定自給を目指す日本にとっては、天の助けというものだろう。  政府は、愛知県と三重県の沖合で、ことし1月から試験採取の準備を進めてきたが、今日、海底より数百メートルの深さの地層から天然ガスを取り出すためのパイプを装着する準備などがほぼ完了し、週明けにもガスを採取できる見通しになった、と発表した。  このニュースは全般的に歓迎されている。衆議院の予算委員会でも通産大臣がはしゃぎ気味にこのことを報告していた。  実は、それを聞いて僕は、原子力船のことを思い出したのである。  メタンハイドレードの採取がもたらす環境問題に関してはいくつかの危惧が発表されている。よく指摘されるのは、回収しきれないメタンが大気中に放出されて温暖化を壊滅的に進行させるのではないか、というものだ。水面下500メートルほどの海底からさらに100~200メートル下の地層にあるメタンハイドレードだから、それを採掘すると言っても人が直接行うことはできない。海底に穴をあけ、何らかの方法で「吸い上げ」なければならないだろう。その時、その層にあるメタンハイドレードを100%完全に回収できることは考えにくい。必ず漏れ出すメタンがある。それらはすべて大気中に広がる。そして、メタンは二酸化炭素の20倍もの温室効果を持っている。  また、これだけの大規模で深海底中から物質を持ち出せば、地盤沈下など未知の影響があるはずだという人もいる。  もう一つ。僕は生物への影響を心配する。深海底では、調査のたびに新種が発見されるほど、生物的環境が未知だ。そこを今までに例のない方法で引っかき回したら生物への影響が無いわけがない。  地球上で最初に誕生した生命は深海底の火山の噴火口付近だと考えている生物学者も多い。深海底は地球上の生命のふるさとだという説は有力だ。人類が深海底を荒らし回ることによって、次の世代に地球上に出現する生命に影響を与えることはないだろうか。  いずれも確たる証拠はない。推論よるものではあるが、環境への影響については今こそ真剣に詳しく調べておく必要があるのではないだろうか。  科学技術には必ず負の側面がある。自然エネルギーの代表のようにもてはやされた風力発電にも鳥類との衝突事故という凶悪な一面があることがわかった。  自分たちに都合の良い面だけを賞賛し、不都合な部分は見ないようにする。こういう姿勢を貫いて原子力エネルギーは、「輝かしい未来を約束する夢のエネルギー」という座から転落したではないか。メタンハイドレードも同じ轍を踏みそうな気がしてならない。  数十年後「メタンハイドレード村」を批判しても、もはや手遅れかも知れないのだ。

2012年11月26日月曜日

ナウシカのジレンマ

 今朝の根釧原野は濡れ雪。道路はシャーベット状でハンドルを取られやすくて非常に危険な状況だった。  そして羅臼は雪。  大粒のボタン雪。  午後からは次第に気温が上がり、雨に変わった。  根室海峡を挟んで国後島が間近に見えた。  「国後が近くに見える時は荒れる」と地元の老漁師はよく言う。  いつもなら15時に一斉に出漁するイカ漁の船(僕たちは「イカ付け」と呼んでいる)も、早々と14時に出航していった。荒天が予想されているからだという。  漁師町には、そこはかとない緊張感が漂っている。嵐が近いのだ。  自然と向き合って生活している町だ。あらためてそう感じた。  それより前、「環境保護」の授業では、「ナウシカ」の最終巻について生徒たちと話し合った。  ナウシカたちが腐海を離れては生きられない身体になっているという事実は、現代の人間の状況を例えたのではないか、と生徒が言うのだ。  つまり、「手つかずの大自然」に憧れる人は多く、毎年たくさんの人が知床を訪れるのだが、その人々も(もちろん我々も含めてだが)人間社会から切り離されて知床のような厳しい自然の中で生きていくことはできない。  つまり文明社会の「毒」がなければ生きられない身体だというのだ。  ナウシカたちが「清浄な空気の中では生きていけない身体になっている」という設定は、これを暗喩しているのではないか、と指摘するのである。  なかなかスルドイ。  一理ある。  自然の大切さを訴え、その保全を望んでいる我々といえども、自然から切り離されてしまった存在であるという事実から出発しなければならないのだ。  この矛盾にどう向き合うか。  羅臼高校自然環境科目群の「環境保護」は正念場にさしかかっている。

2012年5月15日火曜日

野生から切り離されて生きるということ

今回の熱はなかなかひかない。
 朝は比較的熱が低く、調子も良いが昼前くらいから上がってくるようだ。
 単なる風邪ではなく、ダニなどによって感染させられた症状のようにも思える。
 ツツガムシ病のような深刻な病気ではないため、研究されずにいるこの種の発熱を伴う病は、まだきっとたくさんあるに違いない。
 これも原野からヒトへのメッセージに違いない。体力をつけて、治癒するまで待つしかないだろう。

 日本野鳥の会がツバメの減少について報告している。この十年間くらいで都市におけるツバメの営巣数が激減しているのだそうだ。
 困ったことには違いないが、正直なところずっと前から予想されていた結果だと言わざるをえない。ツバメ営巣できる環境がどんどん失われているのだ。何も今に始まったことではない。
 大きな声では言えないが「何を今さら!」というのが多くの人々の感想だろう。野鳥の会は紳士的だから、ハッキリとは言っていないが同じ思いの人は少なくないはずだ。
 日本の都市の「発展」は野生動物を締めだす方向をひた走ってきているのだから。
 
かつては、都市の近郊には田や畑があり、里山が広がっていてツバメをはじめ、サギ、カモ、トキだって普通にいたはずなのである。それらをすべて追い出して、数が減ってから大騒ぎするなど笑止だ。
 まだツバメがたくさんいた頃、糞で汚れるとか不衛生だという苦情が述べられていたではないか。
 いまだに虫をつかめない子どもたちや母親は多くいる。子どもが虫に触ることを好まない大人も多い。
 不潔、くさい、危険、アレルギー・・・いろいろな理由を付けて自然界を遠ざけて来たのは人間の側だ。

 かくして除菌剤や芳香剤が売りまくられ、「衛生的」な環境は保たれる。そこに供給される電力は原子力発電で「効率よく」作られて「便利」で「快適」な都市生活に満足した人々が量産されるのだろうか。

 そういう哲学とは共存できないかも知れないなあ、と寝ていて一瞬考えた。

2012年4月15日日曜日

マガンの迷惑 高速道路

昨日の夕方、道央自動車道を旭川から札幌に向かっていた。
 道央自動車道は石狩平野を南北に縦断している。
 美唄を過ぎ、岩見沢に近づいた時、マガンの群れが高速道路を横切るのが見えた。
 渡りの飛行ではなく、一つの餌場から別の餌場への移動らしく、あまり高く飛んでいなかった。路面から十数メートルくらいの高さだろうか。

 マガンはとても律儀で、餌場を替えるようなちょっとした移動の時も、一文字形かV字形のきちんとした編隊を組んで飛ぶ。
ところが、マガンの編隊が高速道路上にさしかかった時、その隊列が乱れてバラバラになったのだ。

 想像だが、高速道路を走る車が作る空気の渦が道路の上空の気流を乱しているのではないだろうか。

 その後、マガンたちは、何も無かったかのように編隊を組み直して飛び続けて行った。「飛行術のプロ」として、「あんなものは気にしてないよ」という表情をしていたように感じたが、僕は心の中でマガンたちに詫びた。

 人間は自然に対して、なんと身勝手な振る舞いをしているのだろう。少しでも早く目的地に着きたいという欲望のために、何万年も前から石狩平野を往き来していたマガンたちに余分なストレスを加えているのだ。そして、それに気づくこともなく平気な顔で暮らしている。

 マガンは、その整然とした編隊飛行をするところや規則正しい渡りをすることが、昔から人々に知られ、絵画や文学に描かれてきた。興味深い言い伝えも多くあり、タンチョウと並んで日本人好みの野鳥である。
 そのように「自然を愛して」いながら、なんという惨い仕打ちをしているのだろうと悲しくなった。

高速道路がマガンの生命を脅かすほどの危険な存在になっているわけではない。実際には、われわれはもっと危険で過酷な仕打ちを野生動物に対して行っている。
 だが、「自然に優しい」などという曖昧でイメージだけが先走るような言葉を弄ぶなら、ガンの往来する平野に高速道を作って、後は知らんぷりというような態度が許されるわけはないだろう。

2012年4月14日土曜日

成長はいつか止まるものではないでしょうか

いつの間にか、大飯原発の再稼働の理由の中に、「電力の不足への対応」という項目が入っていた。
 人目を盗むようにコッソリと入れられたように感じる。

 だが、電力の需給は、もっとも論議が必要なことだと思う。本当に無駄に使っていないか、送電の効率は、これ以上上がらないのか。水でも電気でもお金でも、豊富にあればつい景気よく使ってしまうのが人間のサガだと思う。
 本当に必要なものから、順に再検討しているだろうか。
 皆、エネルギーを無限に生み出すことが出来るという幻想から、覚めなければならない。
 経済成長という幻想からも。

 いま、そんなことが問われている。

 経済成長を否定すると、「石器時代にも戻ってもいいのか?」という恫喝に近い反論が飛んでくる。それは、感情的な反論で、反発あるいは恐怖から発せられているようだ。
 もちろん極論だが、「戻ってもいいのか」ではなく、「戻らざるを得なくなるかも知れない」ではないだろうか。

 われわれは、すべて自分たちの意志で作り出した環境で生きているように錯覚しているが、本当は与えられた環境条件の中で最大限に適応して生きているに過ぎない。

 謙虚な世界観を持たない文化はいずれ滅びるだろう。

2011年12月24日土曜日

クリスマスの夜に

キリストの誕生は、人類にとってどんな意味があったのだろう。

 キリストが生まれた当時のユダヤは、ローマに支配され、政治的にも混乱していたと聞く。クリスマスは、北ヨーロッパの冬至の太陽の復活を祝う行事と融合したとも言われているから、本当に明日が、イエスの生まれた日かどうかは別としても、閉塞感の満ちあふれていた時代に対して、ひとつの大きな衝撃的な出来事がイエスの誕生だったことは間違いないのだろう。

 いつかこの閉塞した時代や苦痛な生活状況から、自分たちを救済してくれる救世主の到来を渇望する空気が満ちあふれていた中に、自分たちを永遠の幸福と栄光に導く救世主(キリスト)が降臨するという希望は、ユダヤ人や奴隷・使用人といった社会的弱者の他にも倦怠感や無気力感の蔓延した支配する側(ローマ人・貴族階級)の間にもあったと言われている。
『私は何の為に生きているのか?』『この世界が存在する意義とは何なのか?』という疑問への答えを指し示してくれる(かも知れない)存在としてイエス・キリストの誕生を祝ったのだろうと思う。

 そして、それから2000年以上経過して、人類のココロは、それほど変わっておらずクリスマスは、単なるお祭り、あるいは、消費奨励期間の一つと化してしまった。

 今夜は、このようなもろもろを静かに考える夜にしたい。少しだけでも。

2011年11月8日火曜日

突然の断水

 羅臼に一軒住宅をお借りしている。
 由緒ある商家だった方の住宅で、大変古い。
 一週間ほど水道を使わずにいた。先週、蛇口を開けたら水の出が悪くなっていた。
「出が悪い」などというものではない。一分間に200ミリリットルくらいしか出ない。
「ほとんど出ない」と言ってもよいだろう。

 屋内の配管も相当に古そうだったからすぐに修理業者に連絡した。

 今日、工事が始まったが念のためということで、まず外の配管を調べた。
 すると、外からの水の供給がすでの悪くなっていることが判った。
外の配管となるとそれは役場の管轄で、役場の水道課の人がすぐに来てくれた。
 来てくれた時点で暗くなって、今日の作業は終了時刻を迎えた。
 その時、役場の方から意外な申し出を受けた。
「お隣の家へ入っている水道管から分岐させて、臨時の配管を引きましょう」と。
 おおっ、なんという親切。
 しかし、即座に辞退した。一日や二日、たとえ一週間水道が出ないからといって、何が問題だろう?

 部屋の中にいて、寝ぼけ眼にボロパジャマで、蛇口をひねれば新鮮な水がどんどん出てくる状況は、贅沢の極みではないだろうか。日常の、そのような便利さに対して、僕たちは、感謝すべきであり、それが当たり前と思ってはいけないのだ。

 生活用水を手に入れるのに、近くの井戸まで水くみに行くというは江戸時代の普通の生活だった。それだって、遠い川まで行き、重い水を担いで帰ってくる時代の生活から見れば便利だったに違いない。

 僕が子供の頃、函館市に住んでいたが、地域によっては、町内に一カ所しかない共同の水道栓まで、家庭で使う水を汲みに行っていた。

 そう。
 水を手に入れるということは、大変な努力と労働を伴うことだったのだ。栓をひねるとドドドッと水が出てくる暮らしなんて、われわれが手に入れて100年にも満たないのではないだろうか。

まして、未来永劫水道が出ないわけではない。ほんの一週間か十日の間のことだ。臨時の配管をして今夜からまた水道を復活させる必要なんか、全然ない。

 便利であることは良いことかもしれないが、便利さに慣れてしまっては自分の中から逞しいココロ失われると思う。


 それにしてもナァ。
 今では、キャンプ場にまで水道がある。
 キャンプというものは文明のありがたさを知ることが目的だ、と昔習ったような気がするのだが、今は、キャンプに行っても、便利な暮らしを手放せない時代なんだナァ。

 こんな些細な日常の出来事からも、病む社会が見えてくるような出来事だった。

2011年4月14日木曜日

「パパラギ」で授業をする

今日は「環境保護」の授業で「パパラギ」について話した。
 授業の流れに沿って少し紹介したい。

 「パパラギ」は、1920年に画家で作家のE・ショイルマンによってドイツで出版された。サモアの酋長ツイアビが訪問したヨーロッパについて話した演説をまとめたという形をとっているが、実際はショイルマンの手になるフィクションであると考えられている。 「パパラギ」とは「白い人」、「外国人」の意である。この本では、ツイアビがヨーロッパを訪れて見た「パパラギ」について語るという形で、欧米文明の批判が展開される。
 
 このツイアビが実在の人物かどうかはさておき、ここに書かれている近代文明への批判には耳を傾ける価値があるのではなかろうか。

取り上げたのはパパラギの演説のうち、二番目として載っている部分だ。

以下引用(エーリッヒ・ショイルマン著 岡崎照男 訳:ソフトバンク文庫より)

 それからパパラギは、わたしたちのことについてこうも言っている。
 「きみたちは貧しく不幸せだ。きみたちには。多くの援助と同情が必要だ。きたちは何も物を持っていないではないか」」
たくさんの島々の愛する兄弟たちよ。物とは何か、おまえたちに告げよう。
たとえばヤシの実はひとつの物である。ハエたたきも、腕輪も、食事の皿も、髪飾りもすべてこれらは物である。
 しかし、物にはふたつの種類がある。ひとつはヤシの実や、貝や、バナナのように、わたしたち人間が何の苦労も労働もせず、あの大いなる心が造り出す物である。いまひとつは、指輪や、食事の皿や、ハエたたきのように、たくさんの人間が苦労し、労働をして作り出す物である。アリイ(紳士)が言う物とは、彼が自分の手で作った、人間が作った物のことであり、私たちが何も持っていないと言われるのは、こうした物のことである。しかし、大いなる心が造り出す物について、アリイはひとことも言えるはずはない。そう、いったいだれが私たちより豊であり、だれが大いなる心の造り出した物を、私たちより
たくさん持っているだろう。
       ▲「大いなる心」というのは、自然とか神とかの概念だ、
         ということを話し合いで気づかせる。(授業中の補足説明、以下同じ)
      <中略>
 私たちはとうてい、大いなる心のなす業をまねることはできない。なぜなら、大いなる心の持つ力に比べ、私たちの心はあまりに小さく、あまりに弱い。さらになお、私たちの手は、力強い大いなる手に比べてあまりにも弱すぎる。私たちにできることは貧しく、語るに足りない。
 私たちは棒を使って手を長くすることもできるし、タノア(四本脚の木の皿)を使って手のひらを広げることもできる。だが、サモア人のだれも、パパラギのだれでさえ、いまだかつて一本のヤシの木、ひと株のカバの木さえも作ったことはない。
       ▲現代の文明でさえ植物の手を借りずに光合成を試験管の中で行わせるこ        とはできない。
        人間が誇る「科学技術」などその程度のモノだということを確認する。

 いうまでもなくパパラギは、そういう物が作れると信じている。大いなる心と同じように強いと思っている。人間が作る物、私たちにはそれが何のために使われるのか見当もつかず、美しいとはとうてい思えない。
<中略>
 兄弟たちよ、おまえたちにはわかっている。私が嘘を言っていないこと、そしておまえたちに真実見たままを語っていることが。私は何も付け足しはしていないし、何もおとしてもいない。ヨーロッパには自分の額に火の管を当て自分を殺してしまう人たちがいる。これは本当の話なのだ。<中略>
   ▲「火の管」とは銃のことだろうね。
 だから私はヨーロッパで、邪魔にされないで手足を伸ばし、ゆっくりむしろの上に寝られるような小屋にであったことがない。すべての物がギラギラ光ったり、色が大声で叫んだりして、目を閉じることさえできなかった。本当に安らいだ夜は一度もなかった。寝むしろと枕のほかには何もない、海を渡るおだやかな季節風のほか、何も訪れてこないサモアの私の小屋のことを、あれほど恋しく思ったことは一度もなかった。
 少ししか物を持たないパパラギは、自分のことを貧しいと言って悲しがる。私たちならだれでも、食事の鉢の他は何も持たなくても歌を歌って笑顔でいられるのに、パパラギの中にそんな人間はひとりもいない。
<中略>
 物、どれもこれも簡単にこわれてしまい、火事のたび、強い熱帯雨のたびにめちゃめちゃになり、いつも新しく作りなおさねばならない、物。
 ヨーロッパ人らしいヨーロッパ人ほど、たくさんの物を使う。だからパパラギの手は休むことなく物を作る。それゆえ、パパラギの顔はたいて、疲れていて悲しそうだ。だからあの大いなる心の造った物を見たり、村の広場で遊んだり、喜びの歌を作って歌ったり、あるいは安息日に日の光の中で踊ったり、私たちすべての人間がそう定められているように、さまざまにからだを動かして楽しもうとするひとは、ほとんどいない。
 彼らは物を作らねばならぬ。彼らは物を見張らねばならぬ。物は彼らにつきまとい、小さな砂アリのようにかれらの肌をはい回る。彼らは物を手に入れるために、冷酷な心であらゆる罪を犯す。彼らは男の名誉のためでも、力比べのためでもなく、ただただ物のためにのみ、たがいに攻撃し合う。


長い引用になってしまって申し訳無かったが、ここに書かれていることを是非とも若者たちに伝えたかった。

「デルス・ウザーラ」も同様だが、「文明人」の中に、自分たちの属する文明を鋭く批判する著作がある。
 それこそが文明の進む道を示す指標であり、危うい方向に向かった時の木鐸なのではないだろうか。

2011年4月13日水曜日

プロメテウスの憂鬱

 今日から「環境保護」の授業が始まった。
 今年度で3年目に入る。

 過去2年間の反省を踏まえて、冗長な部分は削り、強調したい分野は強化して、年間計画にマイナーチェンジを加えた。
 新たに強調したのは「環境史」だ。これまでもこの部分の授業には力を入れてきた。しかし、一昨年、石弘之先生の本を読み、直接お会いする機会を得て環境史の重要性をあらためて認識した。
 ヒトは、「ヒト」という生物の種として進化して地球上に出現したが、ある時点から文明を手にして、環境に不可逆的な改変を加えるようになった。
 そして、文明が進むとともに、環境に加える改変はますます大規模になって今日に至っている。
 少なくとも3000年から5000年の間のことだろう。
 生物としての歴史は100万年とも500万年とも言われる。どのような動物を「ヒト」とみなすかによって異なる。
 いずれにしても「文明」の歴史よりはるかに長い。

 この長い長い「ヒト」としての歴史の最後の2000年間で、物を燃やして得られる火のエネルギー(つまりは酸化エネルギー=化学エネルギー)にとどまらず、原子の構造を変化させて得られる原子力エネルギー(核エネルギー)を取り出すに至った。

 地球上自然界では、可視的な範囲で物が燃える火はある。雷や火山噴火による山火事などである。だが、原子核の崩壊によるエネルギーは、エネルギーとして目に見える状態では存在していない。
 原子力発電推進派の皆様がよく言うように、天然の放射線は確かに存在するが、それとは桁違いの猛烈な放射線をニンゲンは作り出したのだ。

 問題はそこまでして発電するしか方法がないのか、そうまでして電気をつくる必要(需要)が本当にあるのか、ということだ。この点についての十分な検証は無いと思う。

 現代を生きるニンゲンとして、僕らは、神への挑戦にも匹敵する恐ろしいことをしているのだという自覚を持つべきだ。

2011年3月17日木曜日

流氷再接岸

 今朝、羅臼に流氷が再接岸していた。沖が開いていたので短時間で離岸するだろう。北寄りの風が強かったせいだろう。。湯の沢では北東からの風で吹雪になっていた。
 三月も後半になってから不意に現れた流氷は、ふとした時によみがえる昔の記憶のようだ。

 一晩で現れ
 一晩で姿を消す
 流氷は
 冬の記憶を載せている
 冬の記憶は
 何気なく過ごす日常を
 突然凍らせ 
根拠の無い自信に満ちた
傲慢な視線を凍らせる

 流氷は
 一晩で去るかも知れず
 永遠に動かぬかも知らない
 予測不能とはこんなことだよと
 嘯きながら
 禁忌の力を
 解き放ってしまった愚かさを
 あざ笑っている

2011年3月13日日曜日

いつまでも あると思うな 親と電気

 「明日から計画停電実施」と喧しい。

 いつの間にか、日本の都市部では、電気は途切れなく供給されて当たり前と考えられるようになっていたらしい。
その感覚は非常に危ういと思うのだが。

 地下街、エレベータ、エスカレーター、動く歩道、電車、冷暖房、さらに不必要に多いライトアップや自動ドアなど、「電気はいつでも途切れることなくあって当たり前」という前提で都市が構成されている。

 だが、電気というエネルギーは、ほぼ100パーセント他力本願だ。だから生殺与奪をすべて他人に握られていると言ってもよい。

 自然の中で暮らすには、必要以上に「他力」に頼るのは危険だ。
 他から供給されているものは、いつ止まるかわからないと考えるべきだ。

 都市は、人間を家畜化し、自立の精神を奪う魔力を持っているようだ。

 ここ根釧原野では、停電は日常茶飯のことだ。
 風が吹いたら停電する。雪が降っても停電する。雷が落ちたら停電する。一度停電したら最低でも数時間、長ければ一昼夜以上も続く。
 ある時など、送電線の電柱に車がぶつかったために3時間ほど停電したこともあった。 電気は、「あれば便利」、「無い時はしかたがない」程度のものに思っている。

 必要な準備と心構えが必要ではないだろうか。